第31話 Hide-and-seek

同じだ


『違う』


同じじゃないか


『違う、違うんだ』


──ああ。

別にオレは、お前を責めてるわけじゃない。

ただ、これはあの時と同じで、そして何もできないことも同じ。

オレの手は届かない。すぐ傍に、居るのに。

──ああ。

トアンがオレの体をひっぱってく。ああ。ああ。なんてことだ。何から何まで一緒だ。

──ああ。


またオレは、失うんだ──……




「……。」

薄暗い照明がゆらゆらと揺れる。レインは何度か瞬きすると、ゆっくりとベッドから体を起こした。

暗い窓の外に見える、薔薇。そうか、ここは深水城か──そう思った瞬間、胸が痛んだ。

「……ッ」

痛い。

壁に手をついて痛みをやり過ごすが、額には脂汗が浮かんだ。気持ちが悪い。

ザアアアアアア──

外は、激しい雷雨のようだ。しかし不思議なことに、満月は不気味に光ったまま。

「また、失った……」

呆然と呟いて、窓にもたれる。ひんやりとした感覚が、心地よかった。そうしていると、先程のことがはっきりと思い出される。

「……あ」

「……。」

小さい声とともに、隅にあったベッドからトアンが起き上がった。もう一つのベッドには、ルノがいたのだろう。脱いだままの上着が教えてくれた。

だが、この部屋にはベッドは四つ。それなのに、残りの一つは使われた気配がない。

つれてきたはずの、チェリカは?

レインが口を開こうとすると、それより前にトアンが言った。

「オレ、また……手、離して……」

「おいてきたのか」

がくり、その肩が落ちる。

「折角ウィルが、庇ってくれたのに」

そうだ。

あいつは、約束をやぶったのに。

オレはまた、失ったのに。

「オレ……」

「言い訳なんかききたくねぇよ」

「……」

(──違う。)

いや、約束が破られて悲しいから、怒りがこみ上げるのか。

いや、ウィルがあんな状況に置き去りになってしまったから、怒りがこみ上げるのか。

いや、ウィルがその身を犠牲にしてまで守ったチェリカを、トアンが離してしまったから──?


いや。

再びあんな状況になってしまって、同じ結果だから──……


「……わかんねぇ」

「え?」

「わかんねぇ、わかんない、わかんない……!」


両手で頭を抱え、全てを拒否する様に叫ぶ。

混乱している、自分は。この状況がうまく飲み込めないのだ。そういう事実だけはやけに冷静に受け止めて、レインはぎゅっと目を閉じた。

(なんだよ、くそ……)

コンコンコン

ドアがノックされ、ルノがひょこりと顔だした。部屋を見渡し、驚いたように目をぱちくりする。

「お、落ち着けレイン」

「……ッ」

とりあえず歩み寄り、ルノは顔を覗き──あ、と小さく声をあげた。

あの時と同じだから、こんなにもレインは混乱してるだと。そう悟る。

「レイン、大丈夫だ。ウィルはきっと生きてるよ」

「別に、オレは、あいつのことなんか」

「レイン」

「でも、でも。あいつまでいなくなったら。そんなこと考えてなかったんだ。それなのに」

「混乱するのはわかる。私だって、正直落ち着いていられるのが不思議なくらいだ」

こんなときに支えてくれる、シアングもいない。

こんなときに笑っている、チェリカもいない。

こんなときに熱くなる、ウィルもいない。

──いない。

そう。いない。

「トアン、お前は大丈夫か?」

「大丈夫です」

「……全然そんな顔をしてないが」

「もう一度いく。何度でもいく! 今度は、全員で帰ってこれるように」

ぎゅ、トアンはレインとしっかりと目を合わせて、誓うように、自らに言い聞かせるようにいった。

「そのことなんだがな」

「……?」

「私たちがあの城に行くときに使った鏡があっただろう? それが、割られてしまったんだ」

「割られたって!?」

「詳しい事はわからないが、ヴァイズの話によると、『向こう側』から割られたようなんだ」

「シャインが?」

「……チェリカか。」

驚くほどしっかりした目で、ルノはトアンに告げた。

「とにかく来てくれ。……レインは、落ち着いたら、こい」

これ以上どう言葉をかけたらいいかわからず、ルノはトアンとともに部屋をでた。ほんの少し、シアングのような包容力があれば、と自分の手を見るが、自分の手は小さく冷たい。



「生きてる……?」

窓にもたれたまま、呟く。その声は雨音にかき消されていく。

ちりん……

「!」

鈴の音に部屋を見渡すが、当然何もない。

しかし、空耳だとは思えなかった。何故なら何度も聞いたから。

仲間を助ける──いや、そんなこと言える自分ではない。

そうだ。

進むんだ。

あの、最後に見た親友の笑顔、何もできない自分、それから進むんだ。

(……行こう)


無意識に触った首のチョーカーからは、鈴が無くなっていた。


「粉々だ……」

未練がましく破片の一つを手に取るが、それは鈍く光るだけで全く役に立ちそうになかった。

「お前たちがこちらに帰ってきてすぐに、割れたのだ。この鏡が力に耐えられなかった、ということもあるし、割られたとも考えられる」

こつり、ヴァイズが直ぐ隣に踏み出した。トアンは彼を見上げ、慌てて立ち上がる。

「本当にもう、あの城へ行く方法はないんですか?」

「あぁ……。ない、というわけではないが、確実にあそこへたどり着くには竜の守る特別な門が必要なのだ。今から焔城に向かうのでは間に合わんだろうな」

「そうですか……」

未だに実感がわかなくて、トアンは破片を持った指に何気なく力をこめた。プツン、グローブが敗れて血が流れる。

ツキン……

その些細な痛みが現実味をもたらしてくれるかと期待したが、まったく実感は得られなかった。

もう、あそこへ行く道はない。

あそこにはまだ、仲間が居る。

でも、道がない。

──もう、皆に会えない……?

「しかし、こんなに早く帰ってくるとは」

「それも、最悪な結果で」

ゆらり、室内にテュテュリスの姿が浮かんだ。

「やはり聲に呼ばれたのじゃ」

「すまない、『聲』とはなんだ?」

俯いてしまったトアンを庇うように、ルノが一歩前にでる。

「聲? 聲とは、……いわば、心の強い叫びが聞こえることじゃ」

テュテュリスはそんなルノとトアンを咎めるような目で見ながら、ふっと息を吐いて優しい、だが悲しそうな表情になる。

「あの城は空間がねじれておったろう。それに、魂の還る場所。これに限定とはいえないが、未練を残したものの強い思いが、あの城には彷徨っておるのじゃ」

「じゃあ、ルナリアも?」

「ルナリア……か。あの子に会ったのじゃな」

「どちらにせよ、もう道はない。ここまでというわけか?」

テュテュリスの思考を破るように、ヴァイズが口を開いた。


「ある」


凛とした強い声に振り向くと、決意したかの様な表情のレインが立っていた。

「道が、あるじゃと?」

その言葉を聞くとテュテュリスが怪訝そうに眉を寄せ、レインを見る。

「お主寝ぼけておるのか? もしくはショックのあまりに……」

「トアン」

「おお! 気持ち良いぐらいに無視しおって!」

綺麗にスルーされたテュテュリスはいきりたつが、レインはまっすぐにトアンの正面へと歩いてくる。

と、ここで一つ違和感を覚えた。

「兄さん。鈴は?」

「……向こうに落としてきたみてぇだ」

レインの漆黒のチョーカーには、縫い付けてあった鈴が無くなっていた。その事実を少し悲しそうにレインは呟く。

「レイン、道とは!?」

その表情の意味を思い、しかし堪えきれずにルノが身を乗り出す。彼の心境としては、今は藁にも縋る思いだろう。

「『心繋ぎ』」

「あ、あ。そうか! レインは心繋ぎが使えたんだったな!」

「そうだ。……忘れてたのかよ。お前案外バカなんじゃねぇの?」

「ば、バカとは心外だ!」

つん、ぎゃーぎゃー騒ぐルノからそっぽを向き、レインは涼しい顔。

「でも使い方がわかんねぇんだよ。トアン、夢幻道士の術ってのはどうやって使うんだ?」

「え、え──オレもよくわかんないけど、必死なときとか」

「そんなの説明じゃねぇよ」

「そ、そうなんだけど。でも兄さん! 心繋ぎって、すごい危険なんだよ! 体力だってかなり使うし!」

なにせ、正式な夢幻道士ではなかっといえ、あのガナッシュの体を元にしなければ発動できなかった術だ。それを、このレインが耐えられるのか──?

「……あいつが、使った術だ」

トアンの思いを察したように、レインが言う。

「オレは、ガナッシュのことを──アルライドのことを、……。これしか方法はないんだ。も、亡くしたくない」

決意をしたレインの瞳に、トアンは一歩下がる。

(アルライドのことを思い出すのは、何よりも苦痛なはずなのに……)

そんなトアンの横を通って、す、割れた鏡に手を伸ばす。

「成功するか、わかんねぇけどな」

「──無理はするなよ?」

「……はん。」

カッ!!

レインの口の端がゆるく上がった瞬間、強い光がトアンたちを包み、どこか遠くに体が引っ張られる感覚がした。



「……おかしいな、急に空間が歪んだ」

今まさに振り下ろそうと──命だけは助けるつもりだったが──した剣を鞘にしまい、シャインはじっと床を見つめた。

いくら見てもそこにはもうヘアバンドの少年はおらず、ただ冷たい床があるだけ。

「ハルティア様、彼はどこに?」

この疑問を解決しようと傍らの少女を見るが、少女は何も答えなかった。

カツカツカツ……

木の靴が床に当って耳障りのよい音がする。シャインは振り返ると、その音の主を見た。

「どうしたの」

「……いや」

木の靴の主は、緑の式服を身に纏い、そして緑の大きい帽子を目元まですっぽりかぶっていた。まだ声は若く、少年のようだ。

「…………これは」

ちりん。

少年は何かを見つけたのか床に屈みこむと、それを手に取る。そしてすぐさまぎゅっと握り締めた。

「なあに、それ」

「なんでもない」

素早くポケットにそれを捻じ込むと、少年はシャインに向き直る。

「もたもたしていられないだろ」

「……ふうん」

カツカツカツ……再び廊下に木靴の音が響く。

だがそれにまじって、少年のポケットのなかの鈴が小さく鳴っていた。



「う……ううう」

意識が戻ったとき、トアンは自分が生きてることを幸せに思った。素早く辺りを見渡すと、ここは以前きたウィルの部屋のようだった。すぐ傍に、ルノとレインが倒れている。

なにしろレインの『心繋ぎ』は、ヴァイズたちが開いてくれた道に比べると格段に不安定だったのだ。耳の奥の痛みは勿論のこと、身体はいろんなところにぶつかりそうになった感覚があったし、空間の歪みに入ってしまい体が千切れるかとも思った。あげく、吐き気もするしまつ。

(乗り物酔いみたい……うええ)

フラフラの身体を起こし、身体の何処も欠けていないことを確認し、改めてため息。

とりあえず二人を起こそうと、まずレインの身体を揺さ振った。

「兄さん、起きてよ、成功したよ」

「……ん、ぅ……」

「起きてったら」

「ぅ……ッ…………あ──」

小さく呻いた後、ゆっくり瞼が開かれ、オッドアイの瞳にトアンが写る。

「大丈夫?」

上半身を起こすのを手伝ってやると、レインは額に手を当て、ソファにもたれかかった。顔色が酷く悪い。

「兄さん……」

やはり、相当な負荷がかかってしまったようだ。レインはトアンに応えず、ただ荒い息を繰り返すだけ。

「ありがとう、ごめんね」

ぺこりと頭を下げ、今度はルノを起こしにかかる。

「ルノさん、兄さんが辛そうなんだ、おきて!」

「……む、ん、ううう、気分悪い……」

うーん、彼にしては珍しく、だるそうな情けない表情をし、ルノは瞳をあけた。トアンの手をかりて起き上がると、頭をぶんぶんとふる。

「う……長時間馬車に乗ったみたいだ……」

「だ、大丈夫?」

「ああ、私は、うー……平気だ」

どう見ても平気じゃない声をあげると、ルノはレインのほうへ目を向ける。

そしてだるそうな身体を引き摺って、傍に寄った。

「大丈夫かレイン……お?」

「え?」

「トアン、見てみろ」

何故か少し笑みを浮かべて、ルノが手招きをした。トアンもそれにつられてレインの顔を覗き、ほっと息を吐いた。

レインは、眠っていた。先程の不調が嘘のように、あどけない顔で。

「寝てる……」

「恐らく、こんな無理矢理な方法で、私たちを空間が歪みきったこんな場所につれてくるのは相当な負担だったようだな」

その額に手を当て、大丈夫熱はない、と呟く。

「よかった、本当に」

胸を撫で下ろしながらも、トアンはふと考える。

(でもちょっとおかしいよな。さっきはすごいきつそうだったのに……こんなに安らかに眠れるなんて)

「これからどうする?」

「え?! あ。ごめん」

突然ルノが口を開き、思考を続けていたトアンは動揺して上擦った声をあげた。ルノは呆れたようにため息を一つ。

「シャインたちを追うといっても、私たちにはこの城がどうなってるかまったくわからないんだぞ?」

「う、うん……。そうなんだけど。とりあえずじっとしてられないよ、行こう」

「レインは?」

「オレが背負ってく。大丈夫、兄さん軽いから」

「まったく……無鉄砲だな、トアン。行くといっても、当てもなければ永遠に彷徨うだけだ」

「と、とりあえずオレたちが帰った場所に行ってみない? ウィルと別れた、あそこ」

ふむ、とルノは顎に手を当てた。

「行ってみるか。道は覚えているな?」

「う、うん」


冷たい石の廊下の上には、最悪の想像にあったウィルの死体も、血のあともなかった。不思議と静まり返った廊下には、何もない。

トアンはレインを背負ったままなので立ったまま辺りを見渡すことしかできなかったが、ルノが膝をついて地面を調べた。

「……なにもないな。ウィルはどこにいったんだろう」

「シャインに連れていかれたとか?」

「まさか。第一シャインにとってウィルは、──こういうのは気が引けるが、なんの意味もない」

「そっか……そうだよね……」

トアンは眉を寄せて考え込むが、それで答えがわかるわけではない。

「無事で居てくれればいいが……ん?」

「どうしたの?」

「魔力の残りだ。それも攻撃的ではなく、守るためのような」

ルノの指す先をまじまじと見ると、ぼうっとした小さな光の玉が、床の上をふわふわと漂っていた。それは優しい、森のような緑色だ。

それはふんわりと舞い上がってトアンの前をくるくるとまわると、ふよふよと進みだした。トアンもそれを追って歩き出す。

「トアン!」

「大丈夫だよ。ルノさんいったでしょ、攻撃のためじゃないって。」

「む……」

小さく頷くと、ルノも歩き出した。そうしているとなんだか歳相応に見えて、トアンは改めて彼が自分の一つ下、ということを思い出す。

光は、壁に這う植物の前で止まった。その場でふよふよ、浮き沈みを繰り返す。

「……なに、これ」

「迂闊に触るな!」

ぼーっと間抜け面で天井まで続くそれを見上げながら、トアンがそれに手を伸ばす。慌てたルノがトアンの服を掴むのと同時に、トアンの手はそれを掴んでいた、

──ぐん!

「うわ!?」

「わ!」

身体が宙に引っ張られ、天井がぐんぐん近づいてくる。

(ぶつかる──!)

そう思って身を固めたが、ぶつかる瞬間、天井の一部が光り輝き、トアンたちはそこに吸い込まれるようにして消えた。

再び、辺りに静寂が訪れた。


「そこにいたのね」

可愛らしい声に、帽子を深くかぶった少年は顔をあげた。

「ルナリア」

「探したのよ」

「……『シアング』は?」

「お兄ちゃまはシャインがつれてっちゃったわ」

「そっか」

「あれ……ねえ、どうしてお兄ちゃまの名前知ってるの?」

ルナリアが首を傾げると、少年はポケットから鈴を取り出した。

「前に世話になったんだ。シアングと、その仲間にはね」

ちりーん……

少年の手の中で、鈴が小さく鳴く。

「知り合いだったのね」

「うん、ってもねぇ、俺のことわかるかなー」

「え?」

「ん、んー。なんでもないや。ごめんごめん」

「……変なのぉ」

「それより、ルナリア。……ばれてないだろうね、『あれ』は」

「うん、大丈夫」

くすり、ルナリアは微笑むと人差し指を口の前に立てた。

「でも、しー、よ。大きな声でいっちゃあ」

「わかってるって。……『かくれんぼ』は、俺たちが勝つ。だから、シアングのこともそれまで我慢」

「ふふふ、しー」

少女と嬉しそうに笑いあいながら、少年の帽子の影で、深緑色の瞳がきらきらと輝いた。


「ここは……」

ごお、耳元で凄まじい風が流れていったのは確かだ。ただ、あまりにも眩しかったのと、壁にぶつかる、という恐怖から瞳を閉じていたので、トアンはこの状況がいまいち理解できていなかった。

まわりには、水々と生い茂る草木。深い深い森の中心のぽっかりと開いた空間のように、静かな冷たい空気が頬を撫ぜる。

「こ、ここは?」

「どうやら連れてこられたようだな、私たち。……先程の光は空間を越えたものと良く似ていた。城の内部のように単に天井とここが繋がっていたわけではなく、なにか特別な魔法で」

「うるさい」

うんうんと頷きながら情報をまとめるルノの話を一言で片付けたのは、トアンがおぶっているレインだった。どうやら目が覚めたようだ。

「うるさいとはなんだ、寝起き早々!」

「寝起き早々、ぶつぶつ呟かれてストレスがたまるのはオレだけじゃねぇと思う」

「こ、この……」

「ま、まあまあ……」

必死に取り成すと、意外に簡単に二人の口論は終わった。レインはトアンの背から降りると大きく伸びをする。

「兄さん、身体は? 具合はもういいの?」

「別にただ眠かっただけだ」

なんともないようにさらりと言い放つと、今度は大きな欠伸をする。

「それよかここはどこなんだ?」

「わ、私が先程言っただろう。つれてこられたと」

「ふーん。じゃあここにあのシャインとか言うやつがいるのか?」

「それは違うと思う。魔力の感じが全然違うんだ」

「ふーん……」

わかっているのか、いないのか。

夢幻道士には魔力が備わっていない。そのためルノのように『魔力の感じ』をしることなんてできないのだ。

トアンは同じ夢幻道士として、今のレインの返事は妥当なラインだと勝手に感心していた。

幸いにも、魔力は感知できなくても『雰囲気』はわかる。この場所はとても静かで、そして優しい気がゆったりと流れている。

「あ」

ぽう、再び宙に緑の光が浮かんだ。それは森の奥へふよふよ、漂っていく。

「罠の可能性は薄いが、警戒していこう」

「うん」

他に行く当てもないので、とりあえずはそれを追うことにした。


しばらく歩くと、森の中で一際大きな樹が見えてきた。

光は樹の傍までいくと空気に溶けて消えていってしまう。

「きえた」

「何かあるのか?」

立ち止まったトアンを追い抜いて、ルノが樹に駆け寄る。直ぐに、その身体は樹の向こうに隠れてしまった。

警戒しろといったわりには、好奇心に勝てていないルノを見て、トアンが呼び戻そうと口を開いた、そのとき。

「──トアン! トアン!!」

「どうかしたの!?」

驚きと、そして嬉しさが滲む声を疑問に思いながらも、トアンは走り出す。──そして、樹の反対側に回り込んだとき、肩の力がふっと抜けたような気がした。

樹の根元にかくれんぼでも擦るように座り込んでいる少年──茶髪に赤いバンダナが良く映える。目はつぶっているものの、彼はトアンの親友、ウィルに違いなかった。

「ウィル……」

「良かった、眠っているようだ……。良かった。良かった……」

もう二度と会えない。そう思っていたばかりに、ルノも溜め込んでいた息を吐くと、樹の根に寄りかかる様に座り込んだ。安堵のあまり、力が抜けてしまったのだろう。

トアンはできるだけ平常心を保つように心がけながら、ルノと向かい合うように座る。正直、たって居られなかった。

「ウィル、起きろ……ほら」

樹にもたれたまま、ルノが優しく揺り起こす。その感覚に、閉じられていた瞳がゆっくりと開けられた。

「……あれ。ルノ、トアン──」

ぼんやりとした表情のままウィルは二人を見渡すと、突然ばっと飛び起きた。

トアンとルノは驚きと先程の力が抜けたままのため、座り込んだままウィルを見上げ、目を丸くする。

「あれ!? おい、お前ら何やってんの!?」

「それはこっちの台詞だよ」

「もう会えないと思っていたぞ」

「え? ちょ、ちょっと待ってくれよ。え? えぇ? オレはつい、自分は死んだんだと……」

「混乱しているな」

頭を抱えて唸っているウィルからルノに視線を移したトアンは、彼もこちらを見ているのに気付くと、互いに肩をすくめて見せた。

「えっと…………、!」

一人悩み苦しむウィルが、ふと動きをとめた。まっすぐ、前を見て。

不思議に思ったトアンとルノがその視線を追って、あ、と零す。

そのまっすぐな目線の先には、ただ、ただまっすぐにこっちを見るレインがいた。

ザァ……

柔らかい風が、通り抜けていく。

「レイン」

「……」

「レイン!」

その距離が堪らず、ウィルは走って一気に縮めた。レインは動かない。

「生きて、たんだな」

「あ、あぁ。オレもよくわかんないんだけど……」

「──このッ!」

バシッ

突然、握りこぶしがウィルの頬を叩いた。あまり痛みは感じなかったものの、突然のことに放心してしまった。

「……な、なにすんだよ!」

はっとして言い返す。なにしろ感動の再会に、これはあんまりではないか。しかし。

あっけないことにレインの手はウィルの殴ったまま、だらりと下がってしまった。その展開についていけず、ウィルは眉を寄せる。

「つき、……」

「え?」

「うそつき、しかもまた、オレは失くしたと思ったのに! 畜生、何で生きてるんだよ、恥ずかしい、あんなに叫んで……」

「あ、そ、それは……。ごめん」

「ごめんですむかよ、くそ」

「悪かったよ、ごめんって。……でも、うそつきじゃないぞ。オレ、生きてるから」

優しく諭すように、ウィルはレインの肩に手を置く。レインはその重みに安心したように息を吐いた。

「生きてる」

「うん」

「……生きてる……」

ぽつりと呟いたレインの美しい瞳が、一瞬揺らぐ。そして、次の瞬間には透明な雫が一粒、ゆっくりと零れ落ちた。

「レ、レイン!?」

思わず驚いて、何か自分が悪いことを言ったのか考えこむウィル。おろおろと手を彷徨わせ、どうしても思いつかずにそれを拭ってやった。

「……?」

その仕草を不思議そうに見るレインの様子に、ウィルははっとする。

レインはアルライドをその手で殺めて以来、涙を流すことができなくなっていたのだ。ずっとずっと、失っていたもの。

「レイン、お前、涙……!」

「涙? あ、」

言われてから気付いたのように、自分の手で跡の残る頬を撫でる。

「久しぶりだ、涙なんて。……なんでだ……?」

「理由なんてわかんねえけど、良かったじゃん! 涙取り戻せて!」

「あ、ああ」

まだ実感がわかないようで、レインはきょとんとしたままウィルに寄りかかる。

「わ、どうした?」

「生きてる」

服越しに伝わる暖かい鼓動。もう二度と、暖かい彼に触れることはできないと思った。

──また、一粒。

ウィルは心配そうにまた拭ってやるが、レインはそのとき、心の中に湧き上る感情に、涙の理由を見出すことができた。

「……そうか」

「え?」

「泣けなくなったとき、悲しかった。すげぇ辛かった。アルを殺した、自分が嫌だった」

「レイン?」

「でも今は違う。……逆だ」

小さい、その声が震えていた。

ウィルはかりかりと頬を掻くと、少し考え込んだ挙句、ただ一言、『ありがとう』と告げた。



「お前らが帰ったあと、チェリカが戻ってきちまったんだ」

「うん」

樹の根元に、四人は状況を整理すべく座り込んでいた。まずは、ウィルのことだ。

ウィルは痛む頬を擦りながら──レインの気まぐれか、照れ隠しか、本当に期限が悪かったのかはわからないが、再び容赦なく殴られた跡──ゆっくりと口を開いた。

「そんで、あいつはシャインに『殺すな』っていって」

「チェリカが?」

「ハルティアの狙いか……?」

「わかんねえけど。で、オレ戦ったんだけど全然勝てなくて、シャインが剣を振り上げて、ああ、死ぬのかなって思ったら──ここにいたんだ」

茶髪をがりがりと掻き、ため息を一つ。

「うあ、レイン思いっきり殴ったな。いてて……サンキュウ、ルノ」

「うむ」

ポウ、ルノの手が添えられ、柔らかい光が頬を包む。

「でも良かったな、レイン?」

「あぁ?」

突然話題を振られたレインは、眠そうな目を擦りながら返事をする。

「涙が取り戻せて。泣けないっていうのは、本当に辛かったんだろうな」

「どうだか」

「素直になったらどうだ?」

「そうだよ。良かったね兄さん」

「……別に」



素っ気なさそうに応えながらも、その手は無意識にか涙の跡をなぞっていた。

泣けない間は、その事実がまた辛かった。

ガナッシュと離れ離れになったときも、心は泣いていたのに瞳だけはカラカラに乾いていて、目の奥が痛かった。

泣きたかった。

泣いて、喚いて、叫んだら少しは楽になったと思う。

でも、泣けなかった。──心はあんなにも、どしゃ降りだったのに。

(チェリカも、泣けねぇんだっけか)

彼女が彼女でなくなる前、少しずつ人間性を失っていったチェリカ。

(じゃあきっと、心が痛い)

雨が降る。

雨粒が頬を濡らし、瞳に入った雫が零れる。そうやって、泣いてた。

──きっと、チェリカも。


「とりあえずここからでよう」

「そういうが、トアン。どうやって出るんだ? ここには出口がないぞ」

「あ、そうか……。ねえ、さっきの力ってさ」

「あの光か?」

「うん。あれってウィル知らない? 誰がやったのか」

「あー。この城で人を移動できるのは、スイだけじゃねえかな」

物思いにふけるようにウィルが呟く。

「だとしたら、まだ無事なのか」

「シャインが狙ってるんだよね」

「あぁ……」

「あのさあ、スイさんはウィルのことをシャインから守ってくれたんでしょ? ってことは、ウィルが出たいっていったら、出してくれるんじゃない?」

「そうかも」

足をばねにしてウィルが飛び起き、槍を背負うと息を吸い込んだ。

「スーイ! こっから出してくれ……ありゃ?」

叫んだ声に反応するように、あのふわふわと漂う緑の光が現れた。光は、ウィルのところに案内してくれたときのように、ゆっくりと漂うと樹のうろの中に入っていく。

「ここに入れってか」

レインが嫌そうな顔をして、その細いうろを指す。

「そうみたいだけど。何、どうしたんだ?」

「服が汚れる」

「そ、そんなの気にしたってしょうがねえだろ!」

「ふん」

「もう、二人とも。いくぞ!」

ルノは軽く窘めるとするりとうろに飛び込む。

その銀色の髪を追って、ウィルも飛び込むが──

「は、はまった!」

「ええ!?」

なんと、歳相応に逞しくなってきた身体がすっぽりとはまってしまったのだ。

「助けてくれー」

ばたばたともがいているが、胸の辺りで痞えてしまってどうにもならない。トアンが引き抜こうと手を差し伸べるが、それより前にレインの足が顔面を強打した。

「いて!」

「ホラ落ちろ。早くしろ」

げしげしげし。

「あ……」

トアンはとめようにもとめられず、ただ立ち尽くすだけ。

「いててて! この、いた! 覚えてろよ、いて!」

「もうちょいか?」

「いてえ! 鼻踏むな、いってえ! ……うおあ──!」

不意にウィルの姿が消え、悲鳴が木霊して聞こえていく。それを確認すると、レインがトアンに向き直った。

「トアン」

「な、なに?」

レインはまっすぐにトアンを見、そして静かに、安らかな声で、こういった。

「オレを助けてくれたこと、……礼を言う」

「……え?」

「涙なんて。もう、こんな気持ちは忘れたと思ってたけどな……」

言い終えると、僅かだが柔らかな笑みを浮かべ、うろの中へと滑り込んでいった。一人残されたトアンは、堪えきれずにこりと

笑った。

「よし、オレもいこう」


誰かを守りきれるほど、自分に力はないけれど。

誰かを正しい道に連れて行くことは、自分にはできないけれど。


誰かの笑顔を守ることぐらい、諦めたくない。



耳元でなっていた風の感覚が消えると、ふっと足の感覚が戻り、重力が肩にのしかかる。

「ふう……」

「ははははは!」

「ん?」

きょろきょろと辺りを見渡すと、ピカピカの床に赤い幕──ここは小さな劇場のようだ。

(つくづく、何でもありだなあ)

先程の笑い声は、爆笑しているルノのもののようだ。その横ではウィルが憤慨し、レインが涼しい顔をしていた。恐らく、詰まってしまったことをルノにレインが言ったのだ。

「お、トアン、あははは、お、遅かったな」

「もう、笑うなよ!」

「どうりでお前ら三人が遅かったわけだ」

「通れなかったからな」

「あはははは!」

……ッ……チバチ

「レイン、余計なことをー!」

バチ……ッバチバチバチ……!

「皆、何か聞こえない?!」

「……何か来る」

ルノが警戒するように身を屈めた、瞬間。

バチバチバチ!

目の前の景色──空間──が切り開かれ、そこから真っ黒な人型のものが現れた。

それを認めた瞬間、トアンの背が泡立つ。

直感で、──怖い、そう思った。

それは他の仲間も思ったようで、真っ青な顔のまま其々恐怖に耐えるように武器を構える。レインだけは眉を顰める程度だったが。

「何だよこいつ……」

ウィルの掠れた声が聞こえる。

目も、鼻も、口もない。のっぺりとした顔。得体の知れないそれに、カチカチと歯が鳴った。しかもそれは、裂かれた空間からずるずると這い出してくる。ゆっくり、ゆっくりと。

それをどこかで見たことがあった。

「オーラ……」

そう呟いて、レインが俯いた。

(そうだ、あの追いかけてきたときのオーラと同じ……)

真っ黒な塊。

どこかぼやけるそれが、ゆっくりと起き上がる。トアンは剣を構えるが、怖くて、怖くて、手が震える──

「危なーい!」

ザ──ッシュ!

突如聞こえたどこか間の抜けた叫び声は、しかし迫力のあるものだった。その声とともに真っ黒なものはまっぷたつに切り裂かれ、大気に拡散して消える。

あまりのことに呆気に取られるトアンたちの前に、一人の少年がすたんと着地した。

ちん、小気味よい音をたてて、今の切り裂きに使った剣を鞘にしまう。

「危ないな、何やってんの」

「え、あ……」

「危機一髪だったじゃん」

「ありがとう、ございます……」

服の乱れを直しながら、下を向いていた少年は顔をあげる。──見る見るうちに、その瞳が見開かれた。

「セフィ? 探したぞ! ここにいたのか!」

目にも留まらぬ速さで少年はルノに駆け寄ると、がっしりと抱きしめる。

「……!?」

熱烈な抱きしめを受けたルノは、何が何だかわからずに目を白黒させた。

それは、トアンたちも同じで。

だが少年のキスがルノの頬に落とされたとき、ルノがついに、キレた。

「何をする! 貴様、無礼もいい加減にしろ!」

バチン。

ルノがビンタした、あまり痛くなさそうな頬を押さえて、少年の顔に大げさなショックが浮かぶ。

「そ、そんな……俺のこと忘れたの?」

「私は貴様など知らない!」

「…………『私』?」

途端に少年の態度が変わる。先程のショックは何処へやら、ルノの顔をしげしげと見つめた。

「あ、セフィじゃない」

「わ、私はルノだ」

「ルノ……? ルノお!?」

今度は大げさじゃない、とてつもない驚きに、少年は『青い』瞳をまん丸に見開いたのだった。

(この人──どこかで)

トアンは一人、その様子を見ながら頭の中をひっくり返す。

少年の外見は17、8歳。軽そうで、しかし丈夫そうな鎧の上に青空のようなマントを羽織っている。髪の毛にはこれまた青い額宛をキリリと巻き、そして青い瞳。

(どこだっけ)

「ルノ、ルノなんだな! ごめんごめん、つい間違えて。綺麗に育ってくれて嬉しいぞ!」

「だから、知らないといっているだろう! 馴れ馴れしく触るな!」

「いやあー、セフィの若いころに似てる似てるー」

「何なんだ、もう! 『セフィ』『セフィ』って、母さんのことを言っているのか!? 何処で知ったんだ!」

「何だよさっきから口が減らねぇなあ! 俺、そんな風に育てた覚えはないぞ!」

「……え?」

その言葉に、きょとんとルノが止まった。

そして恐る恐る、少年の足元から頭の先までを見上げる。

「ま、まさか……」

「何だよ、マジで気付いてなかったの?」

そう言って、少年はイタズラっ子のような笑みを浮かべる。

「あ!」

頭のパズルが合わさった瞬間、トアンは思わず声をあげた。少年はそれを聞くとトアンの方をみ、

「トアン、久しぶり」

と言った。

そう、その笑顔はどことなくチェリカに似ていた。

「久しぶり、です」

驚きのあまり引き攣る喉を何とか動かして、言葉を紡ぐ。

──そう。

少年の瞳は青。額宛に飾られる髪は、金。

(どうして気付かなかったんだろう……いや、でも、あの時より若い!)


「まさか、父さん……」


再びトアンからルノに視線を移した少年は、にこりと笑ったのだった。


「父さん!?」

ウィルが仰天したように叫んで、少年をまじまじと見つめた。さすがのレインも驚いたようで、目をぱちぱちさせる。

「そそそ! 俺がルノのお父さん、クランキスでーす!」

えへん、胸を張るその姿は、どう見ても少年そのもの。二児の父であり、そして一国の王であることを微塵も感じさせなかった。

「でも、父さん、その姿は!? 封印されたと聞いたが、……その、そんなに若いのは……。」

「ああ、これ? 俺もよくわかんないんだけど。でもこの姿、調度俺が18の時に世界を旅してたときと同じ格好なんだ」

額宛をいじりながら、クランキスは言う。

「どうも不思議。最初ここに来たときはセフィもいたんだけど……すぐにどっか行っちゃって。俺一人でうろうろしてたんだ」

「セフィって?」

おずおずとトアンが尋ねると、何故か得意げな顔つきになるクランキス。

「俺の奥さん! すっげ美人だよ」

「奥さんってことは」

「私の、母さんだ」

ぽつり、ルノが呟く。そのルノのことだが、父親(といっても若い)にあったというのにあまり喜んでる様子がない。その態度はどこか他人行儀で距離を置き、親子というよりはあまりにも余所余所しい。

それに気付かないほど、クランキスは間抜けではないようだ。

「……ルノ」

「は、はい?」

「やっぱり、怒ってるよな」

「え?」

「自分でも無責任だとは思ってる。お前を守りきれなくて、幽閉なんて目に合わせて。……でも、セフィのことは責めないでくれ。俺が、浅はかだっただけだから」

「……は?」

「だけど、自分の生まれてきたことを後悔しないでほしい。勝手だけど、お前は俺の、大事な家族だ」

「なにを、言ってるんですか父さん。……私は、父さんが私のことを恥じているのと、思って、て」

後半はしどろもどろになってきてしまったが、ルノとクランキスの言いたいことはわかる。

つまり、ルノが距離を置いていたのを見てクランキスはルノが自分を恨んでると思い込み、ルノは父親が自分の存在を後悔していると思って距離を置いていたのだ。

「ルノ……」

「……。」

「ルノオオオオオオオオオオオ!」

「うわあ!」

がばっと強い力で抱きしめられ、そういうことに慣れていないルノは固まるが、クランキスは感極まった様子でその手を離さない。

「ええ子や……でもそんなこと思わせてごめんなああああ」

「う、父さん……、苦し、」

わんわんと泣き出したクランキスに、どうも親父くさい口調が良く似合い、ほのぼのとした光景にトアンは思わず笑みをこぼした。



ぱた、ぱた。ぱた……

ブーツは小さな音を立てて、絨毯の上を歩く少女の足跡を歌った。

「……。」

広い部屋を少女は当てもなく歩き続け、不意に立ち止まる。そしてまた暫くすると、ぱた、ぱたと一歩ずつ、だがどこか浮遊感のある歩き方で歩き出す。そうやって部屋の中を、ずっと歩き回っていた。

半開きのドアからは廊下の暗闇が滲み出てくる。少女がいる部屋は、柔らかな光に満ちていた。

ぴた、再びその足が止まる。

「……おかあさん、『セフィラス』、おとうさん、『クランキス』、来てくれたの?」

消え入りそうな声で呟く。しかしそれに、不気味なほど罅割れた声が重なった。

「……けて、助けて、たすけて、ころして、『ころす』、ころして『あげる』……」

首を傾げると、さらりしたと金の髪が肩を滑り落ちた。ルビーのように輝く紅い瞳は、ぼんやりと虚空を見渡すだけ。

「ころし……て、はやくきて、はやくきて、みんな。はやく。」

再びゆっくりと歩き出す少女の影は、くっきりと赤い絨毯に写っていた。

それは、頭に当る部分がみっつある、どう見ても人間の影ではない。

──少女の名は、チェリカ。


「てっきり俺は、スイに呼ばれたと思ったんだよ。……誰かに呼ばれたのは確かなんだけど……」

胡坐をかいて座り込むクランキスと、それと円になるように座るトアンたち。

「あ、あの」

「ん?」

慌てて手を上げたウィルに、クランキスは優しく促した。

「クランキス……さんは、スイと知り合いで?」

「クランでいいよ。うん、前にあった。大体15年くらい前になるんだけどさ、今みたいに精霊が不安定になって、世界が危なくなった。そんとき、俺は丁度セフィとあって1年目で」

「15年前のその騒乱も、……スイが原因なのか?」

「いや、違う。スイは悪くないんだ。ただちょっと、ほら。死者を導く仕事っていうのは、未練とか後悔とか、恨みを知らず知らずのうちに体に溜め込んじゃってたんだ」

静かに、クランキスは言う。

「それにあいつ、今から666年前に恋人が殺されてから、もともとはエルフだったんだけど……」

『その昔、森の奥に美しい男のエルフがいました。透けるような無色の髪、全てに優しげな翡翠の瞳。

そのエルフには恋人がいました。恋人も花のように麗しく、美しい二人でした。

しかし、欲に溺れた人間達は、彼の恋人にあらゆる屈辱を味合わせなぶり殺してしまいました』

不意に、トアンの脳裏に一人の少年の言葉が蘇る。

「怒りに任せて人間を殺して、殺しまくったスイは、水の滴る森のような緑の瞳を失って、血の色の目になった。」

『彼は怒り狂い、その怒りに身をまかせ、その人間達を殺しました。彼の翡翠の瞳は、血のように紅い瞳になり、……透明な髪は嘆きをうけて灰色になってしまったのです』

ほろん、竪琴を鳴らしながら、少年は語る。

遠い遠い昔のことに思えるが、これは、焔城での出来事だ。大規模な戦いが終わり、シアングとリクが料理対決をし、チェリカとルノが酔っていた時。

──楽しかった、あの時。

つくん、胸にこみ上げてきた焦るような痛みに、トアンは拳を握り締めた。

(とにかく、これは……タチュール、ううん、タルチルクさんだ。タルチルクさんが教えてくれたことと似てる──同じ?)

まさか、そんな。

トアンはタルチルクに聞くまでそんな話知らなかった。吟遊詩人や一部の人のみが知る話だろうか。

トアンが考えてる間に、クランキスはトアンが思い出した話と同じことを話して聞かせた。

「……ま、こんなことがあったんだよ。ざっと話すとね」

「スイ、そんなことを一言もいってなかった」

「心配かけたくなかったんじゃない? ところでウィルってスイのことしってるの?」

「……前に、ここに住んでた」

ウィルの言葉に、クランキスは心底驚いたようだった。

「へえええ! あのスイが人間を構うなんて!」

「あの」

「……ん?」

意を決して、口を開いたトアンを振り返る。

「今の話って、……『翡翠の瞳』というやつですよね。それって有名なんですか?」

「良く知ってたな、名前。ああいや、有名なんかじゃない。『魔王スイ』として恐れられた彼の真実を知ってるのは、ほんの一部だ。俺とセフィと、竜と……そんくらい」

「でもオレ、前に聞いたんです」

「誰に?」

「タルチルク、という人です」

「うー……ん」

「……?」

「知らねえなあそんなヤツ。……でもソイツは一般人じゃないな。もれるわけない」

なにしろ、世界のトップシークレットだ。

エアスリクやフロステルダ、世界を支える竜たち以外の人々、アールローアのほぼ全員は、その15年前の騒乱も、結局『天変地異』とか『大地震』ってことで残ってるから。

クランキスの眉間に皺がよる。

「……天空の国と地下世界の住人は知っているんですね」

寄ってしまった皺と眺めながらルノが呟く。途端にクランキスの顔には笑顔が浮かび、ついでに親バカと書き殴られた。

何をしても可愛い、というのが親バカなのだろう。

「そそそ。よくわかってんね~ルノ」

「あ、う、はい。一応王なんだから、そんな顔しないでくださいよ」

「いやー、俺は王様の前に『お父さん』だからねっ! ルノはそんな心配しなくていいの」

「……はあ」

「これからどうすんだ?」

先から黙りこくっていたレインが、ポツリと呟いた。正直なところ、クランキスを見るレインの視線は『鬱陶しい・煩い・煩わしい』というあまりよくない感情で構築されている。

「そ、そうだね。どうしよう」

とりあえず、喧嘩にならないように笑みを浮かべてみるトアンである。

「……あんまり良くない気配がするな」

ちなみに、チェリカの異変のことはクランキスには伏せてある。彼なりになにか気付いたらしく、心配だろうに詮索してこないところが強い、と思った。

精神的にも。

「俺、一応それ辿れるけど。それがシャインってやつかどうかわかんないけど、行ってみるか?」

「気配なんて辿れんのか」

「おっと、信用してないね色白くん。ふふん、俺はセフィの気配を辿って夜中の森だって歩ける男だぞ」

「ストーカーじゃねぇか」

「……うるさいなあ、とにかく行くの?」

「行きます!」

険悪な空気が流れた瞬間、ウィルがレインを止め、ルノがクランキスの手をとり、トアンが頭を下げるという過去最高(?)のコンビネーションが決まった。

こうして、クランキスのストーカー能力に頼り、足を進めることが決定したのであった。


異様な影たちは、唐突に現れる。

空間を切り裂く独特の音と微かな気配。それを見逃してしまわないように、常に精神を警戒させなくてはならず、疲労がどんどん蓄積していく。

「……」

ため息をこぼして、額から零れ落ちる汗を乱暴に拭う。そうしていることで、少しでも緊張が和らげられれば、そう思ったが、気休めにもならなかった。

──あのときから。

チェリカが行ってしまったあのときから、世界は闇に閉ざされたまま。不気味なまでに美しい青い満月が、昼夜を問わず輝き続けている。ここは空間の境目だから、空は見えない。が、どの窓を見ても、窓の外には真っ黒な闇が立ち込めている。

よくよく考えれば、気休め程度の睡眠以外に休息をほとんどとっていない。空腹も忘れるぐらい、必死だったのだ。あれから何日たったのか全くわからないが、疲労は確実に溜まっている。そして、心労も。

「ここが一番強いな」

そういってクランキスが立ち止まったのは、窓の前。窓から外を見ると、真っ黒な濃い闇の中にキラキラと輝く宝石のようなものが見える。──本当は、この城はとて

も美しい外観なのかもしれない。

「飛び降りるのか?」

ウィルの問いに、当然とばかりに彼は頷く。

「準備はいい?」

「勿論」

「じゃ、お先に」

ひらりとその身体を窓から投げる。続いて、ウィル、そしてルノが飛び降りた。レインも持ち前の軽やかな身のこなしで身を投げる。

トアンは一つ、深呼吸してから、遅れを取り戻すように勢い良く窓枠に足をかけた。


真っ黒な闇の中。かつん、ブーツが石の床に当って小さく鳴いた。

何も見えない。──が。

「やっぱり、きた」

くつくつ、嫌な笑いが耳を撫でる。瞬間、辺りが光に満ちた。光に照らされ、真っ白な壁の大きな部屋が明らかになる。

部屋の中に、人物は三人。だが、それ以外にも気配を感じる。

一人は、黒曜石のような黒い眼差しを持った、シャイン。

一人は、きっちりとした服で身を包み、狐を模した面をかぶった人物。背中でリボンのように結んだオレンジ色の帯が、風もないのにふんわりと揺れた。

一人は、同じく狐の面をつけ、同じようなきっちりとした服を着ていた。ただ、その青い帯はリボンのようではなく、細くとめて腰の横に流してある。

シャイン以外の二人の正体は、すぐに気付いた。

「──どうして」

す、二人が面を上げる。感情のない瞳で見返す二人は、確かにチェリカとシアングだった。

チェリカが斜めにかけている笑っている赤い狐の面が、じろりとこちらを睨んだ。もっとも、そんな感じがした、ということだが。

「まってたよ」

「シャイン、二人を返せっ!」

「……ふふふ、はははは。なにいってるの。ちょろちょろちょろちょろ君らが煩いから、僕は集中ができなくってね。……どうだい? 大事な仲間の手で、旅の最後を告げるって言うのは」

中々優しいアイディアだと思うんだけどね、とため息を一つ。

「ふざけるな!」

噛み付くように言い放ったのはルノだ。

怒りの為か頬を赤く染め、青い瞳が美しく輝いた。その周りには大気中の水分が感情の高まりによって凍り始め、小さな粒となって浮いている。

「お前は何の権限があってこんなことをした! そのせいで世界は荒れ始め、妹とシアングは……ッ!」

「権限、ねえ」

煩そうに耳を塞ぎながら、ゆらり、その瞳がルノを捉える。

「そんなもの、力の前には何の意味もないんだよ……」

シアングがゆっくりと右腕を突きだす。手の甲には見たこともない真っ白なグローブをはめていて、その中心に埋まった宝石がきらりと輝いた。──宝石から発生した電気が、ぱちぱちと音を立ててシアングの腕を覆う。

感情のない瞳が、合った。

「……ルノ」

かすれた声が、小さく零れた。

「シアング……シアング! よかった、意識はあるんだな!? すぐに助けて」

「……ルノ……」

「危ない!」


「死ね」


バチバチバチ!!!

激しい放電がトアンたちにまっすぐに向かってきたが、それはクランキスの作った光の壁に弾かれて空気中に拡散した。

それでも、直撃は逃れても、重い衝撃が伝わってくる。

「ど、どうしたっていうんだ、なあ!」

「落ち着きなさい。大丈夫だから!」

クランキスが凛とした声で錯乱するルノを叱咤すると、きっとシアングをにらみつけた。

「畜生、竜の子か!」

「はい」

油断すると震えだす体を押さえつけて、トアンが応える。

「やべえな、相当強いぞ。……それにしても、アイツ!」

今度は微笑を浮かべているシャインに視線を移すと、クランキスの周りの空気がざわざわと揺れた。

「アイツ……! よくも、俺の娘を!」


ぎり、怒りを抑えきれず、奥歯をかみしめる。

シャインは弾かれた電撃を見やり、クランキスを不思議そうに見つめた。

「おや、新しい仲間?」

「……あえた」

「…………え?」

小さく、小さく呟いた声は聞き覚えがあるもの。──チェリカだ。唐突に、クランキスを視界に捕らえたチェリカが呟いたのだ。

にたり、口の端が持ち上がり、そしてその人形のような無表情に、悪魔のような笑みが浮かんだ。

「ハルティア様?」

「クラン、キス……。やっとあえた。」

「ハルティア様!?」

先程の余裕は何処へやら、シャインが慌てた様子でチェリカに歩み寄る。しかしチェリカは一向に気にとめず、すっと手を伸ばす。

「やっとあえた……これで」

「チェリカ、何言ってんだよ!?」

「これで、殺せる」

パァン!

風船が割れるように、トアンたちを守っていた壁が砕け散った。光はきらきらと破片を地面に撒き散らし、あっというまに四散する。

「な……!」

「ち、術が不完全だったかな? シアング、ハルティア様をお連れしてくれ」

「ま、まて!」

はっとしたトアンが剣を抜いて駆け出すが、シャインは古びた木のドアに手をかけ、にっと笑う。勝ち誇ったかのような、笑みで。

「じゃあね、また──」

「まて!」

「させるか──!」

バキン!!

咄嗟にウィルが投げた槍が、ルノの放った氷の弾丸と合わさって加速し、シャインの手に向かっていく。ノブを掴んでいたシャインはパッと手を離したが、槍はドアノブに突き刺さるとそれを粉々に破壊した。

「よっしゃ!」

「……貴様ら!」

憎憎しげにシャインが吼えたが、ウィルはガッツポーズを決め、ルノと拳をガツンと合わせる。

「ふん、これでもう出れまい!」

「ルノさん、ウィル! すごい!」

感激したトアンが手を叩くと、二人は誇らしげに鼻を鳴らしてみせた。

「油断すんな! アイツにとって出口は一つじゃない!」

「さすが」

クランキスが冷静に指摘すると、シャインが額を押さえながら答えた。

「お察しの通り、僕は出口を作れます。しかし、それには時間がかかってしまって……」

ひゅん──

トアンの頬を、鋭い風が撫でた。風はくるくると渦を巻き、トアンたちの目の前で二つの人影を作る。

「だから、それまでこの二人と遊んでてください」

り──ん……

すんだ鈴の音が耳を撫で、水々しい緑の森の匂いがふんわりと鼻に入った。

さっと風が晴れて、其処にいたのは二人の人物だった。

一人は、シアングの妹だというルナリア。そしてもう一人は、緑の式服を着、深く帽子をかぶった少年だ。帽子の陰になってる口元が、トアンたちを見て微かに微笑んだような気がする。

「じゃ……。時間を稼いでね」

シャインが薄く笑うのと同時に、二人は其々武器を構えた。

ルナリアはウィルの槍。少年は一対の木の棒。昔読んだ本に出てた、トンファーという武器だろう。両手でくるくると振り回し、ピッと綺麗なポーズをとる。

すっとルナリアがウィルの槍を振り上げた瞬間、少年が木靴をたたんと鳴らし、トンファーを構えて走りこんできた。

すぐにルナリアもそれに続き、その槍をウィルが受け止める。ルノが素早く魔法を唱え、彼女の勢いをとめた。それをぼうっと見ていたトアンの背中を、クランキスが叩く。見れば、目前に少年が迫っていた。

「ぼうっとすんな!」

ひゅん……ッ

「……」

無言のまま、素早く突き出されたトンファーを剣で受け止め、トアンは油断した自分を叱咤する。

(この人……)

右を受け止めるとすぐさま左のトンファーが向かってくる。それをグローブで弾き、その攻撃のさなか、トアンはもう一度森の匂いを覚えた。

(しってる?)

その気になればもっと彼の攻撃速度は速く、猛攻が繰り出せるだろうに、少年はそうしない。トアンの防げる範囲で、トンファーを突き出す。

(知ってる。知ってると思う)

かん、強く弾くと少年は体をくるりと空中で一回転させ、体勢を整えた。

り──ん……

再び頭に響くすんだ音。鈴の音だ。

ちらりと素早く視線を巡らせると、ルナリアはウィルとルノが、動きを止めるように戦っている。事情はよくわからないが、彼女はシアングの妹だ。傷つけるわけにはいかない。

──では、死んだ、という言葉の意味はどうなるんだろう。

(死者が蘇る、なんてありえない)

それでも、シアングがそんな嘘をつく必要はないだろう。ということは、それは事実になる。

(……まさか本当に蘇ったっていうのか? でも、だったらなんでシアングを連れて行っちゃったんだろう)

たたん、木靴が固い床を弾く音に思考をうちきると、ぎゅっと剣の柄を握った。

ふと、止まったはずの思考が動いた。

(ん、え? どうして音を立てるんだ? そんなの接近の合図になるってオレにわかっちゃうのに……わかるように?)

かんかんかん、軽く床をけり、それでもものすごい速さで走ってくる少年。

(だめだ、集中しなきゃ!)

鋭い一撃に続いてもう一撃。なんとか防ぎきると、それは少年の素早さを殺し、ぐらりと体勢を崩させた。

少年の反応は早く、一瞬身を屈めると足をバネにして後ろへ跳ぶ。腰につけた飾り布が、綺麗に舞った。

「よし!」

剣ではなく、左手で鞘をベルトから外すとトアンはそれを空中にいる少年に向かって投げつけた。

鞘が頭に当れば、運がよければ気絶、そうでなくとも動きを抑えられる。──その作戦をとったのは、剣で誰かの身体を引き裂くのは、どうしても嫌だったから。

ところが、それに気付いた少年が頭を逸らしたことで鞘は頭上を通り過ぎようとする。

「あ……」


しかし、その深く被った帽子までは、鞘から逃れることができなかった。


パン! 乾いた音を立て、帽子が弾き飛ばされる。鞘がからんと地面に転がり、少年はくるんと一回転しながら地面に着地する。軽い素材だと思われる飾り布がばさりと舞って少年の顔を隠したが、すぐにそれは重力にしたがって地面に垂れた。


「…………!」


一切先頭に参加しなかったレインが、息を詰まらせた。そして、少年の顔を見たトアンも。

真っ黒な少し撥ねた髪。その少し長めな前髪に見え隠れする瞳は、まるで深緑を湛えたような深緑の翡翠の瞳。


「アルライド……!?」

忘れるはずもない、アルライドの顔だった。


ずっと後悔していた。


『……俺は、ずっとずっと傍にいるから……。』


気付いたときにはもう遅かった。

何故、もっと早く気付けなかったのか

何故、気付いてやれなかったのか


ずっと、


『ガナッシュ……』


ずっと。


喉に引っかかる小骨のように、ちくちくと小さく切なく、その事実は痛み続けた。

なにを失ってもいいから、彼だけは、

自分から奪わないで欲しかったのに。




アルライドは暗い瞳でレインを見やると、ターゲットをトアンから変更する。まっすぐにレインのほうに、トンファーを構えた。

「兄さん!」

「……!」

敵対される。

愛しい人に敵対される辛さは、痛いほどトアンはわかっているつもりだ。確かめるように名前を呼ぶが案の定、レインの耳には届いていなかった。

「ど、して」

「……」

「どうして向けんだよ! オレだ! わかんねぇのか!?」

「…………。」

アルライドの仮面のような表情には皹一つ入らない。

「アル!」

「兄さん!!」

「どうして、だよ……」

一向に構えようとしないレインに、アルライドは表情を変えないまま一歩近づく。トアンが動くより早く、近くにいたクランキスが庇うように立った。

アルライドがもう一歩進んだ、そのとき。

「もういいよ。やっと繋げた」

ふー、ため息とともにシャインの口が動いた。彼の前にはノブの壊れたドアより一回り小さな光のドアが出現していた。途端にぱっと構えを解くアルライドと、槍を床に落とすルナリア。

思わぬ行動に、ルノとウィルもきょとんとした顔で立ちすくむ。

「二人とも、いくよ」

「シャイン!」

「……トアン、君には追いつけるかな?」

シャインの手が、光に触れる。ルナリアとアルライドもくるりと背を向け、去っていく。

「……アル!」

レインの苦痛に満ちた叫び声にも、アルライドの足は止まらない。

「アル、まて!」

かつかつ、足音が遠ざかってゆく。……行ってしまう。

「──アルライド──!」

ゴオオオ!

泣き出しそうな表情でレインが叫んだ瞬間、トアンの頬を強い風が撫でていった。

「……魔力?」

ルノの呟きと、足音が止まったのは同時だった。

──アルライドではなく、シャインの。



「ふ、ふふふふふ……」

静かな忍び笑いに、トアンは思わず後ずさる。シャインはこちらに背を向けたまま、小さく──笑っているのだ。

「ふふ、ははは……」

「……な、何?」

「そうか、やっぱり。やっぱりそこにいたんだね。やっと出てきてくれた」

「何言ってんだ?」

ウィルは槍を拾いながら、怪訝そうに眉を寄せる。

シャインの言葉は誰に向けられてるのか見当もつかない。だが、それでも恐ろしく思えた。

「やっと……会えた」

ゆっくり、シャインが振り返る。


「……『***』!」


青白く光る刃を振り翳し、まっすぐにレインに向かうシャインを止める事ができず、トアンはただその背を見送ることしかできない。

「レイン!」

ウィルが叫んで走り出すが、到底追いつけないだろう。


(ああ)

ぼんやりと、自分に向かってくる刃を見ながらレインは思う。

(これは、当然の報いなのかもな)

それでも。

(でも、こんなとこで死ぬのはいやだなぁ)

狂ったような──本当に狂っているのかもしれない笑いを浮かべながらぐんぐん近づいてくるシャイン。

(折角アルにまた会えたのに、何もかも中途半端なまま。それに……)

青の刃が、振り下ろされる。

(もう少しあいつと、一緒に世界を歩きたかった、かもしれねぇ)


バキィ……!


鈍い音とともに、目の前に迫っていたシャインが横方向に飛んでいった。──いや、自らの意思で飛んだのではない。蹴り飛ばされたのだ。

くるり、綺麗に一回転して、目の前に緑の人影が現れる。

「レイン!」

漸くたどり着いたトアンとウィルが安堵の息を零し、すぐに身構えた。クランキスがルノの手を引き、後ろに庇う。

「裏切るのか」

怒りに満ちた低い声とともに、シャインが起き上がった。

「元々お前の仲間になったつもりはない!」

未だ状況が飲み込めないレインのすぐ横で、アルライドが凛とした声で答えた。

「『***』を渡せ」

「やだね。この人はレインだ。……『スノゥ』なんかじゃない」

きっぱりと言い放ち、シャインを睨みつけるアルライド。トアンの耳に不明瞭に聞こえ続けていた『***』という言葉が、アルライドが言った途端明確に聞こえた。

──スノゥ、と。

「貴様……! 僕の邪魔をするのか!?」

「ふふん」

べー、舌を出してアルライドはにやりと笑ってみせる。

──アルライドだ。

トアンは彼をガナッシュとして接触していたときのほうが圧倒的に多いが、姿は人になれどあの時一緒にいた子猫のぬいぐるみと、今ここにいる少年は同じ匂いがした。

無性にその事実に鼻の奥がつんとしたが、今は感動の涙なんて流してる場合じゃない。

「アルライドさん! 本当にアルライドさんなんだね?」

確かめるように問うと、今度は優しく微笑んでくれた。

「そうそう。そうだよ」

「じゃ、じゃあさっきのあれは?」

「あれはね……」

「もともとアルライドにはシャインの術は聞かないのよ」

アルライドの言葉を継いで、ルナリアが進み出た。そう言った彼女の瞳も、さっきとは違い綺麗に澄んでいる。

「操られてたって演技をしてただけなの。……あたしの術も、解いてくれたわ」

「貴様ら! 僕を裏切んだな! ならば消滅してしまえ!」

「やばい!」

ヴン、月千一夜が空を裂くのを見て、アルライドが叫ぶ。

「え、でも、アルライドさんがいてくれるなら逃げる必要ないですよ!」

何せ、手を抜いていたとはいえ、あれほどの運動能力と戦闘力を持ち得ている二人が味方になったのだ。

トアンの体に、ふつふつと闘志が沸いてくる。

だがしかし、アルライドは首を振った。

「駄ー目。俺たちが束になったって、シャインには勝てないよ」

「どうして?!」

「どうしても。それにシャインは、もうレインの中に『スノゥ』がいることに気付いてる。……レインを死なせたくない。──ルナリア! 『かくれんぼ』だ!」

呆然としているレインをひょいと背中に負ぶると、アルライドはポケットから小さなボールのようなものを出して床にぶつける。するとそこからもくもくと煙があらわれ、視界を遮った。

「みんな、こっち!」

アルライドに誘導され、訳も判らないままルナリアのほうへ走ると、地面に魔方陣が浮かんでいる。──扉だ!

「待て!」

トアンたち全員が乗り終えると、魔方陣は強く強く輝く。

「……シャイン。お前の行く末に、救いがあらんことを……」

アルライドの呟きとともに、辺りの景色が薄れていく。トアンは霞んだ目を凝らすと、最後に無表情のチェリカの顔が見えた気が、した。

「成程……」

煙が収まってくると、シャインはがらんとした部屋の中を見渡して顎に手を当てた。

「『かくれんぼ』……こういうことか。まあ、いい」

ちらりとシアングに視線を走らせる。

シアングの放電は、確かに強力だった。クランキスに弾かれたといっても、衝撃はあったはず。……だが。

「あんなもんじゃないはずだ」

クランキスの結界がかなり強度があったともいえるが、それを上回る威力の放電ができるはずなのに。

「……でも、シアングはアルライドとは違う。『面』をつけることで確実に意思を殺せるはずなのに。──シアング」

「……。」

返事はない。だがそれを分かっているから、シャインは酷薄は笑みを浮かべた。

「次は、遠慮なんてするなよ。……そうだな、最も『気にかかる』やつがいたら、全力で殺してしまえ。…………あの銀髪を、」

「……殺す」

「そう、よくできました」



大木を横にして、その中をくりぬいたような温かみのある柔らかい空間。木目の独特の柔らかさとランプの明るい光に、先程までのピンと張った緊張感はない。

部屋の中央には大きな木のテーブル、その向こうにはソファ、ソファの後ろには大きな本棚。反対側には小さいキッチン、そしてその奥はベッドルームに並んでいく。

──暖かい。

部屋を見渡して、トアンは素直にそう思った。

「ま、座って」

「あ、アルライドさん……」

「質問は後々っ! とりあえず一息つきなよ。その様子じゃ、相当疲れてるね」

「はぁ」

進められるまま、アルライド以外の全員は木のテーブルについた。すぐに奥から人数分のコップを持ったアルライドが帰ってきて、並べ終わるとレインの横に座った。

茶は、濃い茶色をしている。一口飲んでみると、少々熱めで、独特の苦味とさっぱりとした風味が広がる。

疲れがふっとほぐれていき、思わず息をつく。

「ここは何処なんだ?」

茶を飲みながらルノが尋ねる。

「俺の部屋」

「アルライドの?」

「うん。っていっても、空間の隙間に勝手に作っちゃったんだけどね。ここはシャインには入ってこれないから、安心して休んでいいよ」

「それだ。聞きたいことが山ほどある」

「……ん。」


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