第29話 崩れ落ちる空

「ん……」

月明かりがほのかに照らす室内で、ルノは瞳を開けた。具合が悪そうだった妹に付き添っていたのだが、いつの間にか寝てしまったようだ。

ふと顔をあげると、チェリカの寝顔が見えた。しかし、それはあまり安らかな眠りではないようで、彼女の眉間には皺がよっている。

「何か、隠してるんだな」

「……う、……」

「妹なのに。遠慮など、いらないのに」



チェリカは、夢を見ていた。そして今、自分が夢を見ていると無意識に知っていた。

真っ白な空間に、一人。

そこには何も自分を縛るものは無く自由だったが、自分の存在理由になるものも、何一つなかった。

「私……。」

「僕は、待っているから」

「え?」

ふと聞こえた声に振りかえると、見覚えのある少年が立っていた。

「僕は、君が君のすべき事を選ぶときを、待っているから」

「……。でも、私、君の言う『すべき事』をしたら」

「迷うことは無い。僕には君の力が必要で、君は自分の役目を果たしたいんだろう」

その言葉に、チェリカは視線を落とした。ぎゅっと握った拳が、ゆらゆら揺れる視界に滲んで見える。

「僕は、待っているから」

声がそういうと、辺りは闇に包まれていった。



昨日は、いろいろあって疲れた。

トアンたちが帰ってきたときにはもうルノとチェリカは寝ていたので、証が手に入ったことは朝言うことになった。

シアングも、ウィルも、レインもすぐ部屋に帰っていったのだが、トアンはベッドに入った後も不安で寝付けなかったのだ。

今こうして朝日が体中に染み渡り、酷く安心する。

「……なんだろう、この不安」

まとめた荷物を先に馬車に運ぼうと、リュックを背負って馬小屋まで来たとき、初めて異変に気付いた。

──誰か、いる。

ジャスミンの顔を、ゆっくりと撫でている。

変わった服と変わった帽子を深くかぶり、蒼の髪が朝日に淡く光る。背中に背負った大剣が、不恰好でやけに気になった。

少年がトアンに気付いたのか、振り向く。

──瞬間。

「!」

一瞬だが、射抜くような冷たい気配に、心臓が跳ねた。

「あ、あなた、は?」

少し掠れた声でなんとか問いかけると、少年はにこりと笑った。それを見て先程の気配は何かの間違いだったのかな、とトアンは思う。動物は敵意に敏感だが、今こうしてジャスミンは大人しくしているし、少年自身にも大人しく撫でられていた。

「すいません、あまりにも綺麗な馬だったもので、つい」

「い、いえ……」

普通の少年だ。それに、トアンとそう歳も変わらないだろう。

やはりあれは、ああやはり勘違いだったのか、トアンは胸を撫で下ろした。

「僕は、シャイン。」

「あ、オレ、トアンです」

差し出された手を握るが、少年の──シャインの手は少し冷たい。

「敬語はなしですよ? トアン」

「じゃ、シャインも。」

「はは、ありがとう。改めてよろしく、トアン」

シャインは黒い瞳を嬉しそうに輝かせた。

トアンは笑い返すと、背負っていた荷物を馬車に放り込む。

「この馬車、トアンのものなの?」

「え……。いや、みんなの馬車だよ」

「みんな?」

「あ、仲間のこと。一緒に旅してるんだ」

「へー……。いいね、そういうの。」

「シャインは? 誰かと一緒じゃないの?」

その問いに、シャインの顔が曇った。

「……。僕は、一人だから。」

「ご、ごめん。そうだ、良かったらみんなを紹介するよ。まだ寝てるけど」

みんな良い人だから、トアンが言うと、シャインは嬉しそうに笑う。

「本当? 嬉しいな」

「じゃ、この宿の食堂で待っててね!」

トアンが急いで宿の中に入り、階段を駆け上がっていく音がする。

シャインはそれを聞きながら、暗い笑みを浮かべ空を仰いだ。


「良い人、か。……本当に全員、『人』なのかな?」

どこまでも透き通る空を見上げて、彼はクツリと喉を振るわせた。


「おはよう、ルノさん」

毛布の塊と化している同室者に声をかけるが、反応は薄いものだった。

「……ん、う」

うめくような声が、返事の代わりとして使われた。

「ルーノーさーん」

「う」

相変わらず朝が弱いのもあるが、妹の看病で疲れてしまっているのだろう。

「……もう」

シャインを待たせているのだから。そう考えて気持ちは焦るが、これは自分が勝手に決めたことだ。無理に付き合わせることはない。

でも。

迷っていると、ドアが開いた。

そこから顔を覗かせたのは、ウィルとチェリカ。チェリカの顔色は、随分よくなっている。

「おはよー」

「何騒いでんだよ」

「お、おはよう。もう大丈夫なの? チェリカ」

「うん。ごめんね、心配かけて」

「いや、良かった。元気になって。……そうだ。いまね、食堂で人が待ってるんだ。」

「ひと?」

「うん。ずっと一人で旅してた見たいだから、みんなのこと紹介してあげようって思ったんだよ。ごめん、協力してくれる?」

「いいぜ」

「いーよ」

チェリカはにこりと笑うとパタパタと走り去っていく。ウィルはちらりとそれを見てから、トアンに視線を向けた。

「ルノ、起きねえだろ」

「うん」

「寝坊は相変わらず、か。そういう時は枕ひっぱんだよ。驚いておきるから」

それを言うなり、ウィルの姿はドアの向こうに消えた。


「ひとって、誰かな」

チェリカの足は楽しそうに進む。昨日は直ぐ寝てしまったため、元気が有り余っているのだ。

「ま、いいや。新しいともだ──……」

ピタリと、その足が止まった。

席に座っている少年が、こちらに気付いて立ち上がる。黒い、黒い瞳がこちらをみている。

時が、止まった。

「──ど、どうして──」

喉が裏返って、うまく声が出ない。

「久しぶり、チェリカ」

「……シャイン」


「チェリカ、オーダーもうちょっとまってってさ……?」

張り詰めたような空気に、ウィルは足を止めた。

チェリカが。

人懐っこい彼女が、放心したように立ち尽くしているのだ。

その前には、蒼い髪の男。

「トアンが紹介してくれる仲間って、君の事だったんだね」

ウィルには気付いていないようだ。少年が一歩、チェリカに近づく。

そうしてやっと、立ち止まっているウィルに気付いた。

少年はふっと笑うと、頭を下げる。

「や、はじめまして。僕はシャイン」

それを聞いて、チェリカが弾かれたように振り返り、安堵の笑みを浮かべた。

「オレはウィル。……知り合いか、チェリカ」

「え? う、うん」

どこか様子がおかしい。

「どうした?」

耳元で囁くと、チェリカはなんでもない、と首を横に振った。

「昔の友達に会って、ちょっとびっくりしただけ。」

「……?」

笑いながらそういうチェリカの様子は、いつもと同じ。

おかしい、とウィルは首を傾げるが、チェリカはシャインと握手していた。

「また会えるなんて嬉しいな。三年ぶりだよね、シャイン」

「うん。僕も驚いてる。元気そうで良かった」

「そうだ、他のみんなももう少しでくるよ」

一見、積もる話をしている、再会したての友人。

そう。

何も不自然なことはないじゃないか。

そう思いつつも、ウィルは今、この場を離れることができなかった。

今自分が離れることを、きっとチェリカは望んでいない。

そう、思ったからだ。



「そうか。良かったね、お兄さんにあえて」

「うん。大変だったんだけどね」

シャインとチェリカの仲は、とてもいい。

朝食を食べながら、今までの経緯を話している二人を見て、つくづくトアンはそう思った。

驚きだったのは、二人が三年前に出会っていること。

空に住むチェリカと、地を旅するシャインがどうして出会えたか。

それは三年前、チェリカは一度エアスリクから落下していることから始まる。

落下先は、深い深い森だった。

「木がクッションになってね、なんとか無事だったんだけど。でも帰り道もわかんないし、どうしたらいいか彷徨ってたらシャインにあったんだ」

「ちょっと待て。チェリちゃん、オレそんなこと知らねーぞ」

「確か……シアングはそのとき、なんか用事があって城に居なかったんだよ。そもそも私が落ちたのも、シアングを探してたらついうっかりって感じだったし」

「ふーん」

「それで? それからどうしたんだ?」

ルノが興味津々と言う風に問いかけた。

「あ、それでね。そのときシャイン、森の奥でオカリナ吹いてたんだ」

「僕も、びっくりしたよ。空から何か落ちてきたと思ったら、女の子で。しかも目が合ったときの第一声が、『なにか食べるものある?』だったから」

「あ、あの時はご飯の前だったんだよ!」

ムキになって起こるチェリカは、珍しい。まるで、普通の女の子が図星を言われて照れているような感じだ。

「ふふ、どうだか。……それから食事をして、いろんな話をしたんだよ。最初は信じられなかったんだけど。空から落ちてきたなんて」

「信じてもらえるとも思ってなかったけどね」

「ごめんごめん。信じるしかないだろう……なんだい? まだ怒っているの?」

「怒ってない!」

ふい、視線をずらしてふくれっつらになる。

「それから、僕は信じる羽目になってね。地上のことを話してあげたんだ」

だからか、トアンは思う。

初めてチェリカに会ったとき、彼女は地上の生活に全く驚かなかった。それはあらかじめ、聞いていたものと同じだったのだろう。

少しだけ心がもやもやとした。

チェリカについてトアンが知っていることを、シャインは既に知っていて、チェリカについてトアンが知らないことを、シャインは全て知っているような気がした。

それに、チェリカを見るシャインの瞳は、とても優しい。

どこまでも、怖いくらい優しい瞳だった。


ふと、レインのフォークがほとんど動いていないことに気がついた。元々極度の偏食と小食のためあまり食べないのだが、今日は全く進んでいない。

その視線は、シャインとチェリカを伺うように見ていた。

「……どうしたの?」

「! あ、」

こっそり話し掛けると驚いて身をすくませる。……らしくない。

「に……、レイン?」

「別になんでもない」

さらりと言うと、レインは席を立ってしまう。その音に一瞬注目を浴びるが、元々個人行動が主な彼だ。そう思い、仲間たちは食事に戻った。ウィルだけは何かいいたそうな顔をしているのでトアンは心配になって立ち上がりかけるが、動けなかった。

──レインを見るシャインの瞳は、とても優しくて。

どこまでも、怖いくらい優しい瞳だった。


「深水城にいくなら、僕も一緒にいっていい?」

「え」

先程のチェリカのことで、僅かにシャインが苦手になってしまったトアンが間抜けた顔をする。

「いや、せっかく証を手に入れたのに便乗するのは悪いけど。実は一度、いってみたくて」

「いいよ」

あっさり言うのはチェリカ。

「シャインも一緒のほうが楽しいしねー」

「私は別に構わん。一人増えようがなんであろうが」

「オレも」

「ありがとう」

「トアンは?」

チェリカがトアンに振る。

「良いよ、オレは」

自分の弱点は、押しに弱すぎるところだとつくづく思うトアンだった。


「へええ、レインは暗殺者なんだね」

「元・だけどな」

今日は馬車の屋根の上が賑やかだ。

上に居るのは、レイン、ウィル、そしてシャイン。

主にレインの話題をウィルとシャインが進めて、たまにレインが相槌のごこく舌打ちするのが聞こえる。

トアンがジャスミンを操る横にはチェリカ、中にはルノとシアングだ。

中から聞こえる会話は疲労しきっているルノにシアングが声をかけて、ぐだぐだと喋っているようだ。その中に、シャインについての会話がちらほらと混ざっている。

当のシャインは、レインのことを知りたがっているようだ。

「暗殺者ってことは、暗闇のほうが好きなの?」

「……。」

「ふうん、じゃ、今起きてるの辛いかな」

「うるさい。……そんな口きかせねぇようにしてやろうか」

ようやくイラつきが頂点に達したのか、レインが起き上がる。その手は、腰のベルトに括り付けた鞭を掴んでいる。

「レイン、よせよ。シャインはまだ知り合ったばっかりだぞ!」

「関係ねぇだろ、第一てめぇだってそうじゃねぇか」

「な、何!?」

「はは、怖い怖い」

いきり立つウィルの横で、シャインは敵意が無いように両手をひらひらと振った。すっと顔を近づける。

ガタガタ揺れる馬車の上での行動にウィルは焦ったが、レインはただシャインを睨み続けていた。

「睨まないでよ」

「…………」

「……ねぇ、君は何を待ってるの?」

「──?」

囁かれた言葉の意味がわからず、レインはウィルを見た。しかし、それは彼には聞こえていないようで。

「わからないんだ」

「──てめぇ、何言ってんだ」

ぎり、不可解な問いかけに対する怒りで、奥歯をかみ締める。だが、シャインはそれには答えずにこりと笑った。

「怒りっぽいのはカルシウム不足だよ」

どこか涼しそうな顔をして言うシャインに、すっかりやる気をなくしたのか、レインはまたごろりと横になってしまった。背を向けて、身体を丸め。


そしてシャインの死角になっているところで、そっと指輪を手に包み、その手を鈴に触れさせる。

(なんだよ、こいつ)

何もかも見透かされているという、錯覚。

今自分がその気になれば、命までは奪えなくても動けなくすることぐらい、隙だらけのシャインを封じることはたやすいと思う。それでも。

何故か、怖いと思った。



あまりにも急な旅立ちだったので、、チェリカの体調はあまり優れないままのようだ。

頭痛がするのか、トアンの横で、時折額を押さえている。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」

そう返された返事には、まったく元気が無かった。顔色も随分悪い。

「チェリカ、無理は」

「大丈夫?」

トアンの言葉を遮って、シャインが屋根の上から身を乗り出して訪ねた。

チェリカの顔に笑みが浮かぶ。

「全然平気! 心配しないで」

「……また?」

「うん、でも大丈夫だから」

また、とは何のことだろう。

楽しそうに喋る二人を近くで、しかし遠くに感じながら、トアンは苦い表情をした。

居心地が悪かったが、自分は動けない。


街道沿いに進むこと数時間。小さな丘の上に、湧き水でできた泉があった。

日も高いので、休憩も兼ねて食事にしようとシアングが言う。

「昼飯にはちっと早いけど、ま、調度いーだろ。トアンも少し休めよ」

「あ、うん」

咄嗟に返事を返したが、それは随分と頼りなげなものになる。それを聞いたシアングはにやりと笑い、

「元気ねーな。……ははーん、シャインがいるからかぁ?」

といった。

「ち、違うよ!」

「いいからいいから。水汲むの手伝えよ」

「……。」

うまく丸め込まれた気がするが、気がつけば手には鍋。

渋々、それを持って馬車から飛び降りた。


泉の傍には大きな木がある。涼しげな木陰と透明な水を見て、急に水分が恋しくなったトアンである。

直ぐ横を歩くシアングに茶化されながらも、早足になりつつ泉に向かった。と、ちらりと見た大木の根元に、誰か居るのが目に入る。

「あの、どうしたんですか?」

ひょっとしたら、飢えで動けなくなった旅人かもしれない。慌てて近寄ると、その人物は顔をあげた。

「いや、少し休憩をしていたのだ。少々疲れたのでね」

低めの、優しい声。

農夫がかぶるような麦藁帽子を目元まで深々とかぶっているため、顔は優しく微笑んだ口元しか見えない。青い海を思わせる髪が風にゆれ、穴の開いたマントがはためいた。

まさに、荒野を旅してきたような旅人だ。服はボロボロだが、鍛えられた身体は逞しいの一言。

「お前たちは、どこに行くのだ?」

「オレたちはこの先の深水城です。深水竜に会いに行きたくて」

「ほう? 成程な」

口元がゆるく持ち上がる。旅人は小さくわ笑ったようだ。

と。

「なあ、おっさん。オレ、お前に会ったことないっけ」

トアンの横で何か考えていたシアングが、口を開く。だが旅人はゆるゆると首を振って、初対面だ、といった。

「……? なんかなあ」

「シアング、どうしたの?」

「懐かしい感じがしたんだけど。気のせいか」

「気のせいだ。お前たちは深水城にいくといったな。どうだろう。私も其処まで同行してよいか?」

「え?」

「いやなに。恥ずかしい話だが、ここまで来てくたびれてしまったのだ。……あ、証は持っている」

「オレは構いませんよ。皆があっちに居るので、紹介します」

「すまないな」

旅人が立ち上がる。

疲れているとは思えないほど身軽に、トアンの後について馬車のほうへと歩き出した。


一人残ったシアングは、頭をがしがしとかいた。

「あいつ……。やっぱり、知ってる」



食事を終え、其々食休みを取っていた。シアングとルノは後片付け、レインは木の上で昼寝。

普段なら自然とチェリカと話ができるのだが、今、その彼女はどこかにいってしまった。

気を使っているのかいないのか、話かけてきたウィルと一緒に旅人に質問をする。

どうやら彼の名前はヴァイズ。世界各地をたった一人で旅をしてきたようだ。

「こんなことを聞いてなんになる?」

そういって苦笑する口元は、不思議と安心できた。

この人は優しい人。

次は出身地でもきこうか、そう思った時、ウィルがヴァイズの怪我を見つけた。それは擦り傷程度のものだったが。

「トアン、ルノ探してきてくれよ」

「うん。ちょっと待っててね」

走り出した後ろで、ウィルはヴァイズに「ルノは傷を癒せるんだぜ」と自慢しているのが聞こえる。


「ルノさーん」

泉には居なかったので、声を上げて名前を呼んだ。しかし、返事は無い。

「どこ行っちゃったんだよ」

もう、ため息をついて大木に寄りかかった瞬間、声が聞こえた。


「もう……?」


チェリカの声だ。

なんだ、意外に近くに居たのか。

そう思って口を開こうとした瞬間、もう一人の声がする。

「そう、もうすぐ。あと2つ」

──シャインだ。

反射的に、木の風に身を潜ませた。悪いと思いつつも、二人きりで話している会話が気になってしまって聞き耳を立てる。


「どうしててめぇは行かなかったんだ?」

不意に、ウィルの頭上──木の上から声がした。顔を見なくてもわかるが、ついつい見上げてしまう。

「レイン」

「今、ルノを探しに出ればチェリカと、あいつに会う可能性があるから?」

「な!」

声を荒げた瞬間、レインはつんと顔を逸らした。すぐ横ではヴァイズが困ったような顔をしている。

「ま、別にどーだっていいけど」

「……怖いんだ」

「は?」

ウィルの独白が、確かに聞こえた。

「レインの言うとおりだよ。だってオレ、」

一端言葉を切って首を振るウィルを見ながら、レインは奇妙な感覚を覚えた。

自分も、怖いと思ったのだ。


これは偶然だろうか。


「シャインが怖いんだ。そりゃ、良いヤツだけど。」

「…………」


これは、偶然だろうか。



(ふたつ? 何を言ってるんだ?)

全くわからなかったが、ふたつ、それを聴いた瞬間にチェリカの顔が曇ったのは見えた。すぐに俯いてしまったが。

「じゃあ、もう、すぐだね」

「あんまり嬉しそうじゃないね」

「!」

「でも忘れないでね。君は、君の使命を果たしたいんだろう」

「……。シャイン」

す、顔をあげたチェリカの表情に、思わずトアンは息を呑んだ。それは普段彼女が見せるものとは全く違うものだったからだ。そして何より、それはとても美しかった。

「私」

「何を言おうと僕はやめない。僕は僕のしてきたことが過ちであるとは思わないから」


シャインはクツリと笑みをつくると、ただ空を仰いだ。

「僕はもう迷わない。何があろうと、あと少しなんだ。……恨むなら、三年前の自分の行動を恨むんだね」

「そんなこと……っ!」

「ごめん、少し言い過ぎた。でもチェリカ、『そのとき』がきたら、ルノも──

君の兄だって運命の呪縛から逃げられる。もうこそこそ生きる必要はなくなるんだ」

「……。」

「兄を助けたいだろう? 『***』はまだ手に入れてないけど、君は手に入れる」

『***』

トアンの耳に確かに聞こえた、全く聞き取れない単語。ひょっとしたらシャインの出身地独特の訛りかもしれないが、だとしても聞きなれない、ではなく『聞き取れない』というのは──?

(っていうか、手に入れるってなんだよ)

思わずムッとするが、ブンブンと頭を振って訂正した。

それにしても頭に引っかかる会話だ。

三年前、恨むなら、兄を救う、『そのとき』、そして『***』。

二人は何の話をしているのだろう。


「先に戻るよ」

チェリカの肩をポンと叩いて、シャインがこちらに向かって歩いてきた。

慌てて身を縮ませていると、その横をシャインは何事も無いように通っていく。安堵の息をつくも、

(オレ、なんで隠れてるんだろ)

と思った。

(そうだ、チェリカに声を──)

声を上げかけたが、咄嗟にそれを飲み込む。

チェリカは項垂れて、酷く打ちのめされているようだ。

「私を私と呼べるうちに、誰か、止めて」

私は、

「誰か、たすけて」

わたしは、

「誰か──ころして」


(?)

トアンの耳には、途切れ途切れにしか聞こえなかった。彼女はなんと言っているのだろう。

と、そのとき足元でパキンと枝が割れる音がした。

「誰?!」

「わ、わ、ごめん」

其処に居たのがトアンだとわかると、チェリカはほっと胸を撫で下ろした。

「なんだ、トアンか」

「ご、ごめん! 盗み聞きなんて……」

「……え?」

「あ、違うんだよ。中々出るタイミングがつかめなくて」

慌てた誤魔化したが、どうも不自然な態度になってしまった。チェリカは何かいいたそうに口を開きかけ、──閉じた。

ゆるゆると首を振る彼女に、トアンは心配になって顔を覗き込む。紫の瞳を見て、やっと、小さな唇が音を紡いだ。

「トアン、ごめんね」

「どうして謝るの?」

「私ね、まだ、君に言ってないことがあるの」

キー……ン

突然、強い耳鳴りがトアンを襲った。

「あのね、……私、ほんとうは、ほんとうは──」

……──ン!

「痛!」

「!」

激しい頭痛に頭を抑える。歯を食い縛って耐えるものの、一向に落ち着かない。

(せ、折角チェリカがなにか言おうとしているのに……!)

ぼやける視界に、チェリカが写る。

今にも泣き出しそうな顔をしている彼女に笑いかけようとするも、情けない笑顔しか作れなかった。

「やめてやめて! わかったから!」

チェリカの悲痛な叫び声が響いた瞬間、嘘のように痛みが消えた。

「う、う……?」

「……ッ」

痛みの余韻を頭を振ってやり過ごす。ハッキリしてきた視界に、ショックを受けたようなチェリカがいた。

彼女がここまで。

辛いとか、怖いとか、マイナス面の表情を出すことはほとんど無かった。

それなのに、いま、目の前に居る少女は──

「だ、大丈夫だよ。急に頭が痛くな」「ごめん」

「え、チェ、チェリカ!」

トアンの言葉を遮って、チェリカが謝って駆け出した。全く訳がわからないまま、その真意を知ることもできないで呆然としているトアンが手を伸ばすも、その手は虚しく空を掻いた。


(なにも、言うなってこと?)

チェリカは走りながら、頭の中で呟いた。

(酷いよ、トアンは友達なのに、なのにあんなことするなんて!)

でもそれは、自分がした浅はかな行動の所為。

(──ッ)

ぎゅっと拳を握って、走った。

ふと、縋りつく存在を求めたが、自分にはそれが無いことに気付いた。



「トアン?」

呆然と立ち尽くしていると、ルノが遠慮がちに声をかけてきた。慌てて振り返ると安心したように笑みを浮かべる。

「どうしたんだ、鳥でも止まらせる気なのか?」

見れば、手はまだ伸ばしたままだった。

「あ、いや……その」

「?」

「何でもないんです。ごめんなさい、心配かけて」

そっと顔を見られないよう背けた。

「ヴァイズさんが怪我してるんです。見てあげてください」

「あぁ……なにか、あったな?」

「!」

「どうしたんだ? らしくないぞ」

ゆっくりと、ルノの表情に視線を移す。

ルノは目を伏せていて、長いまつげが頬に影が落ちていた。

「お、オレ」

「うん」

「オレ、頼りにならないのかな」

「……何?」

「シャインには何でも話してるみたいなのに」

「チェリカのことか」

「う!」

「図星だな」

「……」

「また、わかりやすい」

歩き出しながら、ルノが言う。慌ててその後を追いかけながら、トアンは沈黙した。

「あの子が、何か隠しているのは私にもわかる。しかし、時が来れば打ち明けてくれるだろう」

「そう、かな」

ヴァイズのもとに急ぎながら、二人の会話は止まらない。



ごとごとごと。

ゆっくりと動き出した馬車の、トアンの隣には黙りこくったチェリカ。何かをずっと考えたまま彼女は顔をあげない。

「……。」

丘の下には深水城が見える。一面が白い、純白の城だ。

トアンはじわじわと広がる不安をかき消すように、ブンブンと頭をふった。

白い白い城壁で、兵士に止められる。

「ちょっと待て。証を拝見させていただく」

「あ、は、はい」

慌ててアレンから渡されたものを見せる。兵士はうんうんと頷くと、道からどきかけ、……立ちふさがった。

「お前たちを通すわけにはいかん」

「ええ!?」

「だって、証は見せただろ!」

幌を捲ってシアングが顔を出した。その後ろに居るルノも、不審そうに眉を寄せる。

「……それを」

「?」

兵士が嫌そうに指した先には、ルノが居た。

「それを入れるわけにはいかんのだ」

「……なんだって?」

怪訝そうに眉を寄せるシアングが、ルノを庇うように馬車から降りた。続いてルノも降りるが、兵士は迷うことなく彼に矛先を向けた。

「この深水城では、『しろ』を尊び、『あか』を禁とする。それの瞳はその禁に値。すなわち、」

ルノの瞳が揺れる。

「お前の存在を向かい入れる訳にはいかんのだ」

チェリカがぱっと顔をあげて馬車から飛び降りた。兄と兵士の間に立ち、杖を向ける。

それでもルノは、一歩下がる。

まさか、こんなところでまで、自分の存在を否定されるとは。

「『あか』は悪魔の色! 直ちに立ち去れ!」

「おい!」

「やめろ!」

見かねたトアンとウィルが叫んだ瞬間、馬車の中から青い影が飛び出した。ひらり、帽子が飛んで地面に落ちる──ヴァイズだ。

「なんだ、貴──!?」

兵士の顔に驚愕の色が写るのを、トアンは見ていた。

「もう良いだろう。このものたちは私の客人として向かいいれる。……さがれ」

「は、はい! 出すぎた真似をしてすいませんでした!」

血相を変えて兵士が走り去っていく。その大きな背中に、トアンは声をかけた。

「ヴァイズ、さん?」

「──すまなかった。『あか』を禁じるのはこの城の習わしでな」

「あんた、やっぱり」

恐らく謝罪は、ルノに向けてのものだろう。シアングの声にヴァイズはやっと振り返る。

クセのある青い髪は相変わらずだが、露になった目は力強い金色をしていた。

「改めて挨拶しよう。私はヴァイズ。この深水城の主、深水竜だ」

「し、深水竜?」

呆然とトアンが呟くと、すまなさそうにヴァイズは頭を掻いた。

「黙っていてすまなかったな。……シアングは気付いたようだが」

「いや、わかんなかった。……でも懐かしい感じはしたんだ」

あれが竜の気配だったのか、とシアングが言う。ヴァイズはにこりと笑うと、そっとルノの頭に手を置いた。

「すまない。非礼を詫びよう」

「あ、ああいいんだ。……今に始まったことではない」

気丈にもそう言い放つルノが、少し悲しそうに見えた。

「本当に悪かった。……さぁ、案内しよう。何用で我が城を訪れたのか、ゆっくり聞こうではないか」

ヴァイズが歩き出したので、トアンも馬車から降りてジャズミンの手綱を引いた。レインは未だに馬車の上だが、シャインは礼儀をわきまえているらしい。すぐに降りてきた。

「綺麗な薔薇」

トアンの隣を歩いていたチェリカが小さく呟いた。

「本当だね。でもちょっと多いな」

「うん、ほんと。咽ちゃうよ」

そういって、笑う。

深水城の城壁の中は、さらに純白の薔薇園が広がっている。白、白、白。成程、白は尊ばれるというのは本当のようだ。

そしてなにより、トアンはチェリカと普通の会話ができたことが嬉しかった。

(笑顔を見るのも、なんか久しぶり)


これまた白を基調にした食卓に案内される。ヴァイズは出ていってしまったが、直ぐに戻ってきた。トアンたちを席に着かせると、メイドを呼んで料理を頼む。

「それで、どうしたのだ?」

「あ、……」

優しい瞳が、まっすぐトアンをみている。

どうも先程までの旅人と同一人物に見れずまごまごしていると、シアングが口を開いた。

「ん。まあ簡単にいうと、おっさん、オレたちはアリスの箱庭ってのを探してる」

「アリスの……?」

ヴァイズが眉を顰めた、瞬間。

ドンドンドン!! バタン!!!

忙しないノックが響いたかと思うと、こちらの返事も待たずに扉が開かれた。

勿論、料理を持ってきたメイドではないし、執事でもない。

其処に立っていたのは、『あか』を見に纏った赤髪の剣士だった。

「ヴァイズ! いったいドコをほっつき歩いていた! お前が居ない間この城を誰が管理していたと思っている!!」

青年はそう怒鳴るなり剣を抜くと、ヴァイズに向かって斬りかかる。

「危ない!」

と、思わずトアンが叫ぶが──。

ヴァイズはナイフとフォークで器用に受け止めると、優しい笑みを浮かべて剣士にただいま、といった。この状況でただいま、など。あまりにも似合わない。

しかしヴァイズはニコニコと嬉しそうに笑ったまま。

「何を笑っている」

「やっと、貴公に会えたから」

「……。バカもの。城を出て行ったのは、お前ではないか」

「そうなんだが、な。ところで、今は客人と食事中なのだが」

「! そう、だった」

はっとした顔で青年はトアンたちに向き直ると、膝を折って頭を垂れた。

「すまないな」

「いや、その! や、やめてください!」

トアンが両手を振ると、青年は顔をあげた。

「トアン、紹介する。こちらは私の護衛、ラプラスだ」

「ふん」

「護衛、の割には真っ赤だね、おにーさん」

ふと、頬杖をつきながらシアングが問う。確かにこの『あか』を禁じる城で、『赤』を纏う彼の存在は異質だ。トアンも感じていた疑問を、意外にもあっさりとラプラスは答えた。

「私はこの城の人間ではない。私が使えているのは深水竜ではなく、ヴァイズだ」

「すまないな、彼は三年前からわが城に居るのだが、何分マナーというものが無くて」

「悪かったな」

「でも私はそんな貴公を気に入っているが

「……。ふん」

ラプラスはヴァイズの横の椅子を引いて、ふんぞり返るように座った。赤い目、赤い瞳。そしてどことなく魔性の香りがする。

「ラプラス、こちらはトアン。その右からチェリカ、シアング、ルノ、レイン、ウィル。最後に座っているのがシャインだ」

「……!」

「……ラプラス?」

「ああ、いや、なんでもない。よろしく」

ラプラスの顔が一瞬驚愕の表情を作ったが、すぐにそれは隠れてしまった。


シャインは、薄い唇の端に笑みを浮かべる。それはとても、小さなものだったが。


「箱庭、か。残念ながら、聞いてないな」

穏やかな表情のままヴァイズが告げる。

「今は何分それどころではなくてね。人間たちの動向よりも、精霊の減少が深刻化してきているのだ」

「精霊? 其処まで深刻化しているのか?」

フォークを置いてルノが問うた。

「ああ、もう一刻の猶予も無いのだ。三年前からじわじわと減ってきていたのが、もう直ぐで千体目になる」

「千……」

「ヴァイズ、そんなこといってもしょうがない。……資料室を見せてやる。お前たちの探し物が見つかるかもしれん」

「本当ですか?」

その一言で、トアンは精霊の減少という事実を忘れてしまった。

そもそもあまりその事実を想像することもできなかったのだ。あっという間に思考から離れていっても、無理は無い。


「じゃ、これ食べたら直ぐ」

「僕は遠慮する」

「……へ?」

唖然とするトアンの横で、シャインはナプキンで口元を拭うとじっとラプラスを見つめた。

「ごめんねトアン。折角だけど、僕少し具合悪くて」

「あ、ああ、無理しちゃ駄目だよ。ヴァイズさん、部屋を一つ貸してもらえませんか?」

「勿論。」

ヴァイズが手を上げるとメイドがやってきて、シャインの道案内をするといって部屋からつれて行った。


「本当にラプラスさんは、ヴァイズさんの護衛なんですか?」

「……突然、なにを?」

「だってあかいから」

「あ、はは。それか。」

ラプラスは口の端を持ち上げて笑う。

「言ったろう、私はヴァイズ自身に仕えているんだ。このありのままの色を認めてくれたからな。それに、周りの家臣への宣戦布告でもあるし」

楽しそうに、からからと笑う。年齢に反して随分幼い人、トアンがラプラスに抱いた印象はそれだ。

ふと、埃っぽい本をぼーっと見ているチェリカにラプラスは近寄る。

チェリカは直ぐに気づいて顔をあげたが、ラプラスは気難しそうに顔を顰めた。

そしてそっと、優しく手を伸ばす。

「……可哀想に」

「……え」

「味覚をなくしたのか」

「!」

チェリカの瞳が、驚愕に見開かれる。

その言葉にトアンも驚きを隠せなかった。

(チェリカ、が?)

「どうして、それ」

「食事をほとんど噛んでいなかった。味がわからない人間は、食べることが苦痛になる。……だから、味あわないために噛まなくなるんだ」

「目ざといんだね」

「チェリカ、それって、いつから……?」

情けないほど、声が震えた。

あまりにも突然のことと、あまりにも不自然な彼女の態度。まるで全て、あきらめてしまったような。

チェリカは優しく微笑むと、ゆるゆると首を振る。

「ほんの、ちょっと前。大丈夫、心配しないで。きっと直ぐ治る」

「どうして! それに、最近具合が悪そうなのは……!?」

思わずその肩を掴んで大声を上げたが、チェリカは少し目を伏せるだけ。

「やめろ」

ラプラスの手が肩に置かれる。

「落ち着け、彼女だって好きでこうなったわけじゃないだろう。……原因の予想はついているようだが」

「大丈夫だってば。トアン、安心してよ」

「……っ」

何が、大丈夫なんだろう。

「……安心なんか、できるわけないだろ」

「トアン」

「一人でまた抱え込むのか!?」

「違うよ!」

「オレ、チェリカのことがわかんないよ! どうしてそうやって平然としてるんだよ!」

「…………」

言ってから、ああしまった、そう思った。

チェリカは傷ついた表情を隠すために俯く。さらり、金の髪が零れた。


平気なわけがない。

何よりも今、一番動揺してるのは、チェリカのはずなのに。


(私を心配してくれてるのはわかるけど……また、トアンが悲しんだ。どうして?)

わからない。

(それに、私自身、私のことがわからないよ)


『それは、君が──じゃないから』


ふと、記憶の中に木霊する忘れられない言葉。

(違う! 私は、私は──)


頭が痛い。

最後に感じたのは、その感覚だった。


気がつくと、もう日は落ちていた。

ゆっくりと瞬きをし、あたりの様子を確認する。暗い室内、それでいて豪華な内装。しかし今のチェリカには、どこか虚しさを感じずには居られなかった。

視線を、動かす。

ベッドに寄りかかるようにして、トアンが寝ていた。

(またまた心配かけちゃった)

チェリカはゆっくりと起き上がると、自分の頭に手を当てる。

(あぁいよいよ、ここまで……)

暫くそのままの体勢で居たチェリカだが、ふと何かを思い出したかのように顔をあげるとベッドから降りた。


ザァ……

ノイズがかかったように耳が聞こえない。

白黒のモノクロの世界に、トアンは立っていた。

(ここは)

辺りを見回そうと一歩歩き出して、トアンは気付いた。

自分は、剣を持っていたのだ。

(ど、どうして)

しかもそれは、この世界に相応しくない真っ赤な色を纏っていた。

(なんだよこれ!)

てんてん、赤いあとは白黒の世界に続いている。

見たくないけれども、見たくは無いのに、足は勝手に動いた。赤を辿って進んでいく。

(行きたくない! やめろ!)

何があるのか知らないはずなのに、嫌な汗が流れた。それでも足は、止まらない。

まるで其処にある事実を、見せ付けるように。

(……ひ……)

息が、詰まった。

どうしてそんなことになったのかはわからない、が。誰が、はわかった。

自分しか、居ないのだ。自分は剣を持っていて、その『跡』は明らかに剣による傷だった。


肩口からばっさりと斬り捨てられ、それでもその口には安堵の笑みが浮かんでいて。

(どうして、どうしてどうしてどうして!)


もう何も映さない青い瞳が、モノクロの世界で鈍く輝いた。


「チェリカ──!」

「──!」

自らの叫んだ声で、目が覚めた。

心臓は早鐘のように打ち、嫌な汗が流れてとまらない。

「……チェ、チェリカ……?」

彷徨わせた視界に写ったのは、蛻の殻となったベッド。

彼女が居ない。

そう思った瞬間、先程の夢が頭に浮かんだ。

殺した

殺した

ころした

──チェリカを。

(違う、アレは、夢)

しかし、自分が持つ血が見せる夢は、『夢』で済ませられない部分があるのだ。

「……探さなきゃ」

額を拭って汗を弾くと、トアンは起き上がって走り出した。

一目でも彼女を見なければ、安心できそうになかった。


月の明かりが、冷たく室内を照らす。シャインはそっと微笑むと、月に向かって手を伸ばした。

「つかめる筈なかろう」

「……やあ」

その視線は声がしたほうには振り返らず、月を見たまま。こちらを見ないシャインに話しかかえたラプラスは、慎重に言葉を選ぼうとした。瞬間、シャインが先に口を開く。

「やっぱり、来ると思ったんだよ」

「まあな」

「……でも、何かいいたそうだね」

「…………。頼む、シャイン。この城から、何も奪わないでくれ」

「……」

「お願いだ」

「それが言いたかったの?」

「あぁ」

「三年前僕が君に言ったこと、忘れたの?」

「忘れてなどいない! ……お前がいなければ、私はここに居なかった。感謝もしている。だが!」

「ラプラス、僕は言ったはずだ。君の役目と、そして」

ゆっくりとシャインが振り向く。

黒い瞳が、蒼く輝いた。


「それに背いたとき、どうなるかも。」


……キィン……キン!

金属同士のぶつかりあう音にシアングは目を覚ました。

(うるせーな)

疲れていたために無視をしようと布団にもぐりこむが、思いのほか音は大きい。

「なんだよ、こんな時間に……こんな時間?」

時計が無いのでわからないが、今は真夜中なはず。それなのに、戦いの音がする。

隣で眠っているルノを起こそうと手を伸ばして、シアングは固まった。

くすくすくす……

幼い、高い笑い声が聞こえたのだ。

しかもそれは、シアングにとってどこか、聞き覚えのあるものだった。

(どこで、聞いたんだっけ)

くすくす、こっちよ、くすくす……

笑い声に導かれるように、シアングは歩き出した。


「ねえ、いつかさ。世界中のチョコレート、食べ歩けたらいいにゃ」

耳元で囁かれた言葉。一瞬、夢か現かわからなくて、レインは寝返りをうった。だが、直ぐに瞳を見開くと飛び起きる。

「ガナッシュ──アル?」

きょろきょろと暗い室内を見渡すが、そこに求める人影はなく。

「夢、か。んなこと、あるわけ──」

ちりん。

小さな鈴音が聞こえた。

「……え」

ちりん、ちりん……

小さな鈴音。それは徐々に遠ざかっていく。

「……?」

ベッドから勢い良く降りると、レインは鈴音がする暗い廊下へと歩き出した。


「チェリカ、どこ?」

夜中のため声を押し殺して、暗い廊下を手探りで進むトアンは、ふと扉が中途半端に開いていることに気付いた。確か、そこはシアングとルノの部屋。

チェリカは居るのだろうかと覗いてみるが、いない。それどころか、室内にはシアングの姿もない。

「ルノさん、ルノさん起きて」

「……ん」

「チェリカがいないんだよ。それに、シアングもいない」

「…………え」

揺さぶられるのが心地悪いのか、渋々といった態度でルノは瞳を開ける。そしてぐるりと室内を見渡すと、ここでようやく飛び起きた。

「何? ……本当だ」

キイン!

「!?」

「ト、トアン、今の音は?」

「剣戟みたいだ。……急いで二人を探さなきゃ。ウィルも起こして」

「おきてるぜ」

切羽詰った声に振り向くと、扉にもたれたウィルが肩で息をしていた。その表情は声と同じく、これ以上ないくらい焦っていた。

「ウィル!」

「レインがいない」

「え!?」

「驚いてるヒマはねえ。なんかやべえぞ、今」


「やばい……って?」

「ざわざわするんだ。早いとこあいつら探しに行こうぜ」

「う、うん」

トアンはウィルが槍を持っていることを確認し、自分も剣の柄を握り締めた。

目を合わせてドアを開ける。

「起きていたのか!」

廊下に出た直後、いつになく焦った低音の声にトアンが振り向くと、ヴァイズが走ってきた。

「ヴァイズさん!」

「良かった。……すぐに非難するといい。この城は危険だ」

「危険だって……確かに剣のぶつかる音はしますけど」

「邪悪な気配が城の中を徘徊している」

「でも、チェリカとシアングとレインがいないんだ!」

トアンを押しのけるようにしてルノが訴える。

「何?」

「それで今探してるんだ。何か知らないか」

「どうだろう、ラプラスの姿も先程から見えないのだ──」

──ドォン──!

突然の爆発音。そしてそれに伴い、身体の中から何かが引きずり出されるような不快感が襲った。

「な、なに──!?」

「ラプラス、そこにいるのか!」

爆発音のしたほうへ走り出すヴァイズを追って、トアンたちも走り出した。


「……ぅ」

「もう終わり? 情けないな」

壁に激突した衝撃で、喉の奥から血の塊が押し寄せてきた。だらり、額を伝う感覚は恐らく汗ではなく血だろう。

ぼんやりとした視界の先で、少年が笑っていた。

(敵わない)

頭は当の昔にその答えを弾き出した。しかし、ここで自分が何もできないということは、

(……殺させない、絶対に、還させない)

ぴくり。

まだ、指は動く。

「ラプラス、僕に勝てるとでも思ってた? ……大人しくしててよ。もう少しなんだからさ」

「そんなこと……! ガハッ」

剣の鞘が、腹に食い込む。

「あと二つ。あと二つなんだよ」

ちらりとシャインが視線を動かす。その先には、倒れたまま動かないシアングとレインの姿があった。

「君は優秀だから。できれば失いたくないんだけど」

ぎり。

更に食い込んできた鞘に、嘔吐感を覚えた。シャインが尚も続けようとした瞬間──

バタン!!

勢い良く扉が開け放たれた。



「何を、している……」

ヴァイズの声に、蒼白になった顔をラプラスが向ける。ぐったりとして動けない彼と、鞘を押し当てるシャイン。月明かりに照らされた室内が明るみに出るにつれ、トアンの動悸が大きくなっていく。

「ヴァ、ヴァイズ……」

「ラプラス……。シャイン、貴様何をしている?」

「や、深水竜様。起こしてしまいましたか」

「答えろ!」

吼える様なヴァイズの声にも、シャインは動じない。

「シャイン、君はいったい何を! チェリカは? レインとシアングは!?」

トアンが一歩前に出ると、乾いた笑い声が上がった。

「……はは」

「何がおかしい?」

「おかしくなんてないよトアン。嬉しいんだ」

「嬉しい──?」

「そう。……僕の旅の終わりがやっと見えてきた」

「!」

言うや否や、シャインが勢い良く踏み込んできた。それを早くに察知したヴァイズが鞘を蹴って軌道を逸らすが、トアンは見た。

シャインの口元に浮かぶ、暗い笑みを。

そのまま勢いを殺さず壁に向かっていったシャインは、壁を蹴って方向転換をした。走りながら鞘を放り投げた瞬間、部屋に青い光が満ちる。

「それは!」

「トアン、これが何かわかってるだろ」

「げ、月千一夜……!」

そう。

シャインが手にしていたのは、トアンの一族が創ったという、精霊を殺す青き剣──月千一夜。

シャインがずっと背中に背負っていた剣の正体は、月千一夜だったのだ。トアンが感じていた不快感は、それから来るもので。

ひゅん、シャインが虚空を切り裂くたび、青く光る粉が飛び散った。

「この剣の名前は十六夜。今、この剣の中には998の精霊のたましいがある」

「なんということを……。まさか、この世界に起きている精霊の減少は、貴様が引き起こしていたのか……!?」

「ものわかりが早くて助かるよ、深水竜。本当は寝てるときに殺すつもりだったんだけど、邪魔が入ってね」

「かは!」

にこり、優しく笑うとラプラスの腹に蹴りを入れる。

「今すぐその人を離せ」

「人、ね」

唸る様な声でヴァイズが告げた。シャインはゆっくりと顔をあげると、剣をもう一振りする。

月の明かりが室内を照らしていく。ここでトアンは初めて、倒れているシアングとレインを見た。慌てて駆け寄って二人の身体を見るが、外傷はない。

「シアング!」

「レイン!」

ルノとウィルも駆け寄ると、その身体を揺さ振ってみるが、二人は反応を示さない。

「どうして……」

「ああ、そのこたちはね。……求めて求めて、探し求めているものを追ってるんだ。今も、そしてこれからも」

「シャインが眠らせたのか?!」

「いいや、僕じゃない。」

くつくつくつ。

どこか壊れた人形のように、シャインは笑う。

「貴様! 許さん!」

飛び掛るようにヴァイズが身を低くした。彼はもう、あの剣の正体に気付いているのだろう。だが、ヴァイズにとっては危険極まりない。

「ははは、相手になってくれ深水流!」

シャインはものすごい速さでヴァイズに迫ると、剣を振り翳す。

「ヴァイズさん!」

トアンが叫んだその刹那。

二人の間に赤い影が割り込んだ。──ラプラスだ。シャインはしかし、それを認めてなお、思い切り斬り裂いた。何の、躊躇もなく。

ザシュッ──

音が、響いた。

裂かれた勢いでラプラスは吹き飛び、壁にぶつかってぐしゃりと嫌な音が聞こえた。

「ラプラス! 何故──!」

呆然としたヴァイズが血相を変えてラプラスに駆け寄る。

「ヴァ……」

「喋るな!」

「す……ない」

抱き起こそうと伸ばした腕が触れる直前に、ラプラスの身体は光の粒子となって拡散した。

トアンの頬を、生ぬるい風が撫でる。

「……ふふふ、ははははは!」

「シャイン……」

「言葉も出ないかトアン・ラージン? そして愚かだ深水竜。……ラプラスは人間ではない」

「……。」

ヴァイズは答えない。トアンから、ヴァイズの表情は見えないが、怒りより憎しみよりも、彼の心を占めているのは喪失感だ。

「精霊だ。気付いてたかな? いや、気付いてなかっただろう。三年前、僕が創りだしたんだから」

──とても楽しそうに。

まるで夢を語る少年のように、シャインは言う。

「これで……999の精霊が宿った」

創りだした? どうやって?

だがしかし、全ての疑問をぶつける前に、足は、動いていた。

「シャイン──!」

「!」

ギギギ……

互いの力が均衡し、交差された剣から火花が散る。トアンは奥歯をかみ締めると、怒りに任せて剣を押した。

「くそお!」

「……。」

その様子を見ても、シャインの顔は涼しげなまま。両手で剣を持つトアンに対し、あくまでも片手で押し返す。

「それが、全力?」

「うう……!」

「そうか、そんなものか。弱い!」

ギィン!

切上げられた衝撃で思わずトアンは足を滑らせ、その隙にシャインは剣を突き出した。咄嗟に剣を横にして防いだが、その一撃は予想以上に大きかった。

剣をその場に落とし、まるで何かとても巨大なものに激突されたような衝撃で、トアンは壁に叩きつけられた。

「っは!」

「トアン!」

ルノの悲鳴のような声が上がった瞬間、シアングが飛び起きてルノを突き飛ばす。先程まで彼が居た場所には、短剣が突き刺さっていた。

「シ、シアング、いつの間に目を……」

「今。……おいやめろ!」

シアングはさっと構えを取る。その前に立っていたのはいつの間にか目を覚ました、──レインだった。

「レイン!」

「ウィル、気をつけろよ」

虚ろに光る瞳。ゆらり、ゆっくりと一歩一歩歩くレインの手には、短剣。

焦って動転し、槍を構えないウィルをシアングが一喝する。

「シアング、どういうことなんだ? 何でレインが、敵なんだよ!?」

「敵じゃねー。……一発殴れ!」

「は? あ、わわわ!」

シアングに押されるまま、ウィルの拳がレインの腹にめり込む。ぐ、くぐもった声を上げてレインは数歩後退すると、かくんと膝をついた。

ルノがその瞳を覗き込むと、段々と光を取り戻してくる。

「……、?」

「よかった」

「シアング、どういうことなんだ?」

「……わかんね。でも、オレもレインも、ついて行きそうになったんだ。誰か、大切な人がどこかで呼んでて……。現にネコジタ君、ついて行きかけてたでしょ」

「何……?」

「ルノ、意味わかんねー気持ちはわかる。でも、オレは途中で目が」「覚めた、んだね」

シアングの言葉を遮って、シャインが口を開く。

「シャイン、なんなんだよ、お前」

「僕が呼んでもらったから」

「……なんだって?」


ひゅん!

シャインの剣が空を斬る。と、その瞬間、トアンたちの身体が鉛のように重くなり動かなくなっていく。

トアンの手当てをしようとしゃがみ込んだルノも身構えたシアングも、膝をついたままのレインとそれを支えるウィルも。

「な、なんだ、これ」

「少し黙っててね」

ぐるりと室内を見渡してから、シャインは落ちていた何かを拾う──トアンの剣だ。

それをもって、ゆっくりと近づいてきた。

カツリ、トアンの前で足を止めると徐に県を振り被る。

「君はちょっとやっかいだから」

「……!」

「死んでくれ」


「やめて!」


「!」

今までどこにいたのか、暗がりから飛び出したチェリカがシャインにしがみ付いた。シャインは少し微笑むと、ゆっくりと剣を降ろす。

「チェリカ!」

「トアン、大丈夫!?」

「オ、オレは平気」

それを聞くとチェリカはほっと息をついた。するとその手をそっと剥がされ、チェリカとシャインは向き合う。

「どうしたの。僕の邪魔する気?」

たった今人を──精霊だが──を殺したシャイン。それが、全く悪びれもせずに笑いかける。

「……だって、シャイン。ダメだよ。こんな、こんな」

「困ったな。協力してくれるんじゃなかったの?」

「だって! 今、ひとを殺したんだよ!?」

「人じゃなくて、精霊。だってあれはもともと僕が創り出したんだよ? それに深水竜に取り入るよう命令したのに裏切るから、予定は狂ったけど変わりに還したんだ」

ケロリと言い放つシャインの服を、必死な表情のチェリカが掴んだ。

「~! わかってよ! それに、トアンたちに酷いことしないで……『シャドウ』を返して!」

シュ!

先程までチェリカが居た場所を剣が掠る。

シャインは薄ら笑いを浮かべながら、咄嗟に飛びずさったチェリカを見る。

チェリカは、──くしゃりと顔を歪めた。

「『シャドウ』に会いたい……?」

チェリカは答えない。泣きそうな表情のまま、動けないトアンたちと、動かないヴァイズを見た。

「僕をひとでなし、だと思ってる? そんなこと思う権利、君にはないよ」

じゃり、一歩近づく。

「……シャイン、もうやめよ。『シャドウ』だって、こんなこと望んでないよ!」


「……そうか」

そっとシャインは顔を伏せると、小さな声で呟いた。


「お前も僕を裏切るんだ」


ザシュ!

ぱ、赤が舞う。

肉を裂く生々しい音がトアンの鼓膜を震わせた。スローモーションのように非常にゆっくりと、映像が頭に入ってくる。

肩口からばっさりと斬り捨てられたそれ。頭の中で響く、遅すぎた警告。

──夢で見たとおりに。

「チェ、リカ……」

喉が渇いていく。前にレインが死んだ時に、覚えた感覚。

「チェリカ!」

悲痛なルノの声が、時を元の早さに戻した。

倒れたまま動かないチェリカから流れ出た血液はじわじわと地面を侵食していく。

「シャイン、なんてことを!」

「……。」

パチン。指が鳴らされるとルノの身体に自由が戻った。シアングたちは未だ動けないままだが、それに構うことなくルノはチェリカに駆け寄る。それを、トアンの剣を持ったままのシャインは嘲るような笑みで見ていた。

「……チェリちゃん……」

「どうして、何故だ! 妹はお前に懐いていたのに……」

ポツ、冷たくなったチェリカの肌に水滴が落ちた。ルノの紅い瞳から零れたそれは、すっと線を描いて流れていく。

「妹、ね。ふふ、はははははは!」

「何がおかしい!」

シャインの持ったのトアンの剣から、赤い雫が垂れる。

しかしそれは、地面に落ちる前に、吸い寄せられるように剣に戻った。

笑みを絶やさないまま剣を振り上げたシャインは、ルノに向かってそれを振り下ろす。

(しま……っ!)

目をつぶった瞬間、ドンと背中を押される。そのせいで地面に倒れこみ鼻を打ったが、斬られることはなかった。

「痛……」

振り返ると、そこに居たのは、


トアンはその光景が信じられなかった。

自分の剣で殺されたチェリカ。笑うシャイン。そして、今目の前で起こったこと。

ルノを突き飛ばしたのは、……たった今殺されたばかりのチェリカ。

庇った所為で腕を深く斬られたが、その表情に苦痛はまったく感じられない。


「チェリカ」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「いや、私よりお前が、いや、よかった、まだ生きていて──?」

嬉しさにルノの声が震えたが、後半になって声のトーンは疑問系に上がった。

「──お前、傷は」

チェリカは服こそ無残にも斬られているが、その隙間から見える肌には傷一つない。それどころか衣服や床に広がってた血液も、綺麗に消えていた。

そして、腕に負った傷までも。

「……!」

言われて、チェリカは表情を硬くした。

「どうし、て」

ルノの手が傷があったはずの腕に触れようと伸ばされた。

「! だめ、触らないで!」

「え……痛まないのか?」

「……。」

「大丈夫、もう痛みは感じないよ。いや、感じることはできない。普通の剣で、死ぬことも」

「シャイン、お前、チェリカに何をした!? 答えろ!」

「何もしてないよ……ああ、ちょっと覚醒を促させてもらったけど」

「……覚醒? しかし、お前は今、人を殺したんだぞ!」

「人?」

さも意外そうに、シャインは繰り返す。

「僕がいつ人を殺した? ラプラスは精霊だ」

「お前……!]

ルノの瞳に怒りが揺らめくのを、チェリカは横で見ていた。

そして、シャインが言おうとしていることも。

(やめて、言わないで、聞きたくないよ、聞かせないで!)

しかし、口は動かなかった。

「それともチェリカのことを言ってるの? それはおかしいよね、チェリカ」

シャインはチェリカに向き直ると、いかにも楽しんでいる、という笑顔を見せた。

「何……?!」

「はは、君は人間じゃないだろう。ましてやルノ、彼の妹なんかじゃ、ない」

「──え」

一瞬、その言葉の意味がわからなくて、ルノは首を傾ける。

「聞こえなかったのかな……?」

「やめて!」

強い拒絶の意志を込めた、悲鳴に近い声。トアンはチェリカと随分長い旅をしていたが、そんな声、聞いたことはなかった。

動けない身体を必死に動かそうとするが、まったくそれは無駄に終わった。

「人間じゃ、ない? 私の妹では……ない……? な、なにを言ってるんだ?」

「知りたい? ルノ、真実を見たいだろ」

ぐ、シャインの手が伸ばされる。それはゆっくりゆっくりチェリカの方を指し、ピタリと止まった。

「そろそろ皆に教えてあげた方がいい」

にこり、シャインが微笑んだ。

ガタガタと震える妹の身体に、ルノは催眠が解けた様にはっとすると庇うようにその手を握る。

「そう、君の正体を。」

「……シャイン、やめて……やだよやだよ、私、私まだ『チェリカ』でいたいの! 皆とまだ旅がしたいんだよぉ──!」 

……──ドンッ!

地鳴りに近い音、吐き気を催すような重圧感。目の前で繰り広げられる会話への疑問が整理される前に、窓ガラスが砕け散る音で一気に現実へと戻された。


床一面に現れた魔方陣。その中央に立つ少女──チェリカの周りで、砕けたガラスの破片が月の光を反射している。しっかりと瞳を閉じたその姿は、破壊された室内と相まって幻想的なものとして瞳に映った。

「……! ルノさん!」

と、見渡した部屋に倒れているルノを見つける。駆け寄ったとき、初めて自分の体に自由が戻っていることに気付いた。

「ルノ!」

シアングがその身体を抱き起こすと、ピクンと瞼が動く。

「てめぇ、何をした?」

噛み付くようにレインがシャインに言い放つ。だが、シャインは何処吹く風とでも言うように首を傾げた。

「……くそ、てめぇ頭イカれてんのか!? 答えろ!」

「うーん、またそうやって君は……。口が悪いよ」

「何!?」

「もっと大人しくしてれば、君の『育て親』だって『ともだち』だって、傍にいれたのかもねぇ」

「──!」

とっさに剣はかわしたものの、頬にピリッとした痛みが走る。

シャインが何を言ってるかなんてレインはわからなかったが、直感的に考えたのはアルライドとハクアスのこと。

「レイン!」

「ちょっと邪魔しないでね『***』」

シャインは優雅に会釈すると、チェリカの傍に立った。

「お目覚めですか」

恭しくその手をとると、チェリカが目を瞑ったままシャインのほうを見た。

「……随分騒がしい」

「申し訳ありません。ご機嫌を損ないましたか?」

「いや、構わない。随分眠っていたのね、わたし」

「チェリカ! 離れて!」

くすり。トアンの声を聞くと、少女らしい可愛らしい声でチェリカは笑う。

依然、シャインの隣にいて。──たった今、殺されたのに。

平然と、そしてトアンに冷たい笑みを向けた

(違う──チェリカじゃない!)

直感に近いものが頭を駆け抜けた。

チェリカは、トアンのしっているチェリカはあんな少女の口調ではない。あんな冷たい笑みはしない。

それに、目の前で兄や仲間が傷ついているのに、笑顔を崩さない。トアンの背中を冷たいものがなぞった。

……いや、だがしかし、どう見てもあの少女はチェリカだ。

「チェ、……チェリカ?」

「……。だあれ?」

「……え?」

「眼が、見えない。ねえあなた、わたしの眼が何処にあるか知らない?」

「え? ど、どうしちゃったんだよ」

「わたし……ずっと眠っていたんだよ……そう、知らないの」

いったい彼女は何を言ってるのだろう。

ちらり、後ろを見ると戸惑いを隠せない仲間の視線がある。

「いえ、貴女の眼はありますよ」

「ある……?」

チェリカの手が空を彷徨い、

「ほんとう、あった。」

表情には笑み。手の先に居たのはルノ。

「ちょ、どうしたんだよ、本気でいっちゃったのか?」

ウィルが立ち上がるが、チェリカは無視。

悔しいが、この状況を理解しているのは、シャインだけ。

ぐ、チェリカの手が握られる。何を掴んでいるのかはわからないが、握った拳に重なるようにしてルノの姿があった。

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