チェリカの真相編

第28話 マリーゴールド数え歌

「実はさ、お前の身体調べてわかったんだけど……。」

トウホは言いにくそうに口ごもると、レインの表情を伺った。だが、その表情はとても落ち着いている。

「あの、さ」

「……もう、長くないんだろ、オレ」

その台詞を遮って、レインの口からトウホが言いたかったことが出てきた。

「気付いてたのか?」

「……あと、どのくらいだ」

「お前、16だろ。20歳までもたないと思うぜ」

そっと、目が伏せられた。

「…………。」

「悪いこたぁ言わない。ここでも良いから、旅なんかでねえで療養してたほうがいい」

「いやだ! オレは、自分の親父に会いに行く。落し前付けさせに行くんだ。それに、あのガキとも約束した。……もう、オレは逃げない」

ガキ、とはウィルのことだろう。

キッパリと言い放ったレインの目に、迷いはない。トウホはやれやれと頭をふると、レインの肩をそっと掴んで向かい合った。

「わかった。でもくれぐれも無理すんなよ? 辛かったら、助け求めてみろ。お前の仲間は、絶対見捨てない」

その言葉をゆっくり飲み込むように頷くと、レインは胸元に手をやった。

その服の下にはペンダントのようにつるした、ハクアスの指輪があった。




昨日の雨が嘘のように、晴れ渡った空。

トアンは眩しそうに目を細めると、大分軽くなったリュックサックを馬車の中に置いた。食材にしろ何にしろ、町に寄らないと

もたないだろう。

「何だか凄い忙しかったな、最近」

コキコキと首を鳴らし、小さく呟く。

あまり広くない馬車を使って旅をする仲間が、二人も増えた。

「でも嬉しいけどさ」

「トーアーンー! 準備できたよー!!」

「チェリカ」

パタパタと駆け寄ってきたチェリカは、あの正装のまま。そういえば、新しい服早く欲しいなと、朝からチェリカは何度となく呟いていた。

肩掛け鞄に残り少ない荷物を詰め込んで走ってきたチェリカの後ろから、ルノやシアング、ウィルも出てきた。そして、トウホも。

「も、行くんだな」

「トウホさん」

眠そうに頭を掻くと、トウホはトアンに向き直った。

「あの、本当にいろいろお世話になりました」

「いや、構わねえ。俺も結構楽しかったしさ」

「そ、そうですか?」

「ああ。シロと二人っきりっての、飽きてきてたしな。それに、ルノやレインにあえた。お陰で俺も一応、悪だったなって思えたから」

「でも今は違うだろう」

口を挟んだのは、ルノ。それを聞くとトウホは驚いたように眉を上げて、すぐにふっと笑みを作った。

「ありがとよ。そーいってもらえると助かるぜ」

「──トアン!」

「え?」

息を切らせながら、シロが走ってきた。手に何か持っている。

「これを」

差し出されたそれは、羽根の形のアクセサリーがついたリボンだった。これはシンカから渡され、そしてトアンがシロに渡したものだ。

「これ、どうするんですか?」

「持ってお行きなさい。そして、彼にあったら、渡してください」

彼、というのは、シンカのことだろう。

トウホがすぐ横に居るため、シロはトアンの手にリボンを捻じ込むと目配せした。

「なんだよ、今の?」

「お守りです」

「はーん? ま、いいや。お前ら、これからドコ行くんだよ。」

「まだ、決めてない」

トアンの代わりに、ルノが答える。

「なら、この森を南に抜けるとハルバの町がある。一時間もあればつくからそこいきな」

「冒険者が集まる町ですし、箱庭の情報もあるかもしれません」

「トウホたちは?」

「俺らはもうちょい、ここに残る」

後ろからチェリカの呼ぶ声がした。シアングもウィルも、もう馬車で待っているのだろう。急かされるまま、ルノが呟く。

「そうか。……ありがとう」

「ン? 聞こえねー」

「なんでもない」

そういうなり、ルノは馬車へ乗り込んでしまった。素直じゃねーの、とトウホが苦笑する。それに続いてトアンも馬車にのり、手綱を握った。

「じゃな、トアン。」

「はい」

「頑張りな。何があっても、お前はお前の守りたいもん守れよ」

「……? は、はい」

ガタ……ガタガタ

馬車が、ゆっくりと動き出した。

トアンは頭を深く下げて、手綱を強く鳴らす。

「う、わわわ!」

相当な勢いがついてしまったようで、ウィルの悲鳴を聞きながら、ト馬車は加速していく。

トアンはもう一度後ろを振り返ったが、木々に隠れて小屋はもう見えなかった。


馬車が見えなくなって、トウホは背伸びを一つ。

「いやしかし、夢幻道士か。運命なのかね」

「トウホ……。トアンたちは決してそんなつもりは」

「どうだかね……。ま、いいやつらだったけどさ」

ポンとシロの肩を叩いて、トウホは小屋の窓から部屋に視線を向ける。そこには、青い刀身の剣が立てかけてあった。

「月千一夜、『十五夜』。トアンのヤツは気付いてなかったみてぇだけどな」

夢幻道士が創った剣。最初はこれを取り返しにきたのかと心配していたが、トアンの目的はまったく違うところにあった。

「これは、返せねーから。兄貴を、殺すまで」

そういって俯いたトウホを見て、シロは空を仰いだ。

(ビャクヤ──アナタはこんなこと、望んでませんよね?)

その答えは、返ってくることがないとわかっていたのに。


森を直ぐに抜け、南に続く街道を馬車は走る。辺り一面、見晴らしのいい野原。草の匂いとポカポカとした陽気は眠気を誘い、トアンの瞼も下がり気味だ。

「ふぁ」

欠伸をかみ殺し、うとうとする頭を振る。馬車の中からはウィルとチェリカの明るい歌声が聞こえてきて、少し孤独だ。

「あー、もう。一人って……」

口を大きく開けて欠伸をもう一度しようとした、瞬間。

ゴン!!

「あだあ!!」

強い衝撃が頭から伝わり、少し遅れてジンジンした痛みと脳みそが揺れているような感覚が襲った。

「いたた、な、何?」

頭を擦りながら馬車の幌の上を見上げる。

今暇そうにブラブラと揺れているブーツが、頭に直撃したらしい。そのブーツを履いているのは、

「兄さん、何するんだよ!」

「……。前見て操縦しろ、バカ」

つまらなそうな口調の中に面白がってる声色が、含まれているのはわかった。


幌の中はうっとうしいのが居るから嫌だ、そういって出発前からレインは幌の上に寝転がっていた。もうすっかりそこは彼の特等席になってしまっているが、暖かい日差しの下の昼寝から目覚めたレインは暇なようだ。

「もうちょっとだからね、兄さん。だからオレで暇つぶしするの、やめてくれよ」

「……あのさ。街中で『兄さん』なんて呼ぶなよ? 『レイン』だ」

「え?」

突然言い出された言葉の意味がよくわからず、トアンは前を見ながら答えた。新しい暇つぶしだろうか。

「いいな。もし言ったら殴るから」

「よくわからないけど、うん」

「あー、レイン、ここにいたの?」

突然会話にチェリカが入ってきた。幌から出てトアンの横に立つと、背伸びして幌の上をのぞく。

「……なんだよ」

「あ、お昼寝か! いーな、私も寝る!」

「くんなよ、狭ぇだろ」

その反応に笑ってから、チェリカはトアンに顔を向けた。そして笑って、一言。

「ごめんね、寂しかった?」

「え」

「隣座っていい? 私外の空気すいたくて」

トアンの気持ちを見抜いていたのか違うのか、チェリカは隣に腰掛ける。

後ろの隙間からウィルが顔をだし、首を動かして上を向いく。そしてレインにちょっかいをかけ、トアンの頭にされたように顔をブーツで踏まれた。すぐに興奮して怒り出したが、冷たくあしらわれて凸凹な口論が始まった。


もう、道の先には街が見えていた。



幅の広いアーチを潜ると、埃っぽい空気と賑やかな話し声が迎えてくれた。すぐに馬小屋がある宿に馬車を預け、トアンたちは買い物に出かけた。この町は役割別に分かれていて、町の西側をバザー、東側に小さな住宅街、そして北側に大きな町長の家があった。

人々でごった返す様々な露店や店が軒を連ねる道を歩きながら、最後尾を物珍しげにゆっくりと歩いていたレインの足が止まった。

「レイン?」

真っ先に気付いたウィルが声をかけるが、レインは店の中に入っていった。慌ててそれをトアン、チェリカ、ウィルが追う。

「服屋?」

店の看板を見て、ルノが呟く。それを聞いて、ネコジタ君も服が欲しいのかね、とシアングが首をかしげた。


カラン、カラーン

可愛らしいベルの音とともにドアを開けると、店主らしき若い男が声をかけてきた。

「よう、いらっしゃい」

「あ、ははは、どうも」

「これまた大勢で買い物かい?」

「ああ、まぁ……あ、にいさ──レイン!」

買い物目的ではないので逃げるように視線をずらすと、レインを見つけることができた。

ただ、ただ食い入る様に。

彼は、壁にかけられたタペストリーを見つめていた。

「なにやってんだよ、お前」

ウィルが肩に手をかけるが、反応がない。ルノがその隣にたって、タペストリーを見た。

「これは……!」

そこには、一人の少年とエルフが対峙していた。少年の手元には杖と、腕輪と、そして指輪があった。少年が放つ光にエルフは戦いて、手で顔を庇うようにする。だが、その足元は樹の幹に変わりつつあった。何かの伝説だろうが、トアンにはわからない。しかし、問題は其処ではなかった。

少年が持っているその指輪は、今はレインの服の下にある、ハクアスの指輪に酷似していたのだ。

「それ、世界創造。複写品だけど、中々だろ?」

あまりにも全員で壁を見ていたせいだろう、店主が口を開いた。

「世界、創造……?」

聞きなれない言葉に、トアンが繰り返した。隣を見ると、ウィルもわからない、と肩を竦める。

「女神がこの世界を創ったって伝説」

それに答えたのは店主ではなく、チェリカだ。

「そこのお嬢ちゃんはともかく、お前ら知らないの?」

「結構閉鎖的な村で育ったもんで」

結構ではなく、かなりだったが。

苦笑してから、トアンはチェリカに向き直ると、一つ問いかけてみた。

「女神が創ったっていうより、女神で創ったみたいだけど?」

「このエルフが女神で、この男の子が勇者フロウ。フロウは元々魔族なんだけど、同じ魔族の女の子とエルフと人間と旅をしてたの。このころ、世界は三つじゃなくて一つだったんだって」

「三つ?」

「今は天空の国エアスリク、中間の地アールローア、魔族の世界フロステルダに別れてるよ」

「ま、エアスリクってのはお伽話だけどな。魔族を見たやつはいっぱいいるからきっとフロステルダはあるんだろうけど、エアスリクを見たやつも行ったやつも、一人も居ない」

店主は頬杖をつく。それを聞きながらトアンはチェリカを見た。

お伽話ではない、ここにいるチェリカとルノが生き証人だ。……証拠はないけれど。

「その世界を旅するうちに、仲間のエルフが人間と恋に落ちてね、フロウはそれを応援してたんだけど、……そのエルフお姉さんが怒っちゃったんだ。仲間のエルフは、長の一族で。怒ったお姉さんが連れ戻しにきたんだけど、エルフは嫌がったの。それをフロウたちが庇ったんだよ。人間も。」

チェリカが深呼吸すると、変わりにルノが語りだした。

「それを一目見、人間とエルフが結ばれるなんて、そう呟くと激怒した姉は世界を壊しだした。すっかり変わってしまった世界と姉を止めるべく、勇者たちは世界の中心にあった島にいった。エルフの姉は、そこで世界の終焉の魔法を今まさに放とうとしていた。そのとき、姉を正気に戻したのが、なにかの道具だと聞いていたが……」

「私剣とか想像してた」

なるほど、ではあの絵は女神が正気に戻すところらしい。

「で、その後どうなったんだ?」

興味津々にウィルが尋ねると、ルノは窓から空を見た。

「正気になった女神は、自分のしたことを悔い、崩壊していく世界を三つに分け、それを自らの身体で繋いだんだ。その身体を、大きな樹に変えて。その樹は、今も港や高台から見える。」

「樹があるってことは、実話なんですか?」

「さぁ。……だがその樹につけられているのは女神の名前だ。伝説にちなんだのかもしれないが。その名は」

「ハルティア」


ほんのすこし、辛そうな表情をしたチェリカが、言った。

「そう、ハルティアだ。しかし、何故伝説上に出てくるものと、あの指輪は似ているんだ?」

妹の些細な変化に気付かず、ルノが考え込む。

「指輪が気になるのかい?」

支えにしていた手を入れ替えて、店主が言う。

「何?」

「あの三つの道具の名前ぐらいなら、知ってるぜ。大海の杖、細波の腕輪、海鳴の指輪ってんだ」

「海鳴りの、指輪」

それまで黙り込んでいたレインが、ポツリと呟く。

「さてと、お前さんたち。ここに絵見に来たわけじゃないだろうな? ここは服屋だぜ」

店主が支えにしていた手を離し、パンパンと叩いた。その顔は、商人の顔。

「買っていけ、ということか」

「そ。ささ、見てってちょうだいな」

「どっちにしろ服買うんだったんだろ? ここでいいじゃん」

ウィルの一言で、店主の顔に満面の笑みが浮かんだ。


「これがいいなー!」

楽しく歌うように言いながら、チェリカが試着室から出てきた。

トアンはいち早く終わったので、待ち人用のソファに座って皆を待っていたのだが、女の子のチェリカが二番目とは思わなかったので驚いた。

しかも、その格好にも。

「チェ、チェリカ!」

今までの法衣のようなローブでもなく、そもそもローブでもない。紅色に染めたノースリーブに、むき出しの腕を保護するようなアームウォーマー。下には膝上のスパッツ、その上に重ねるようにスカートを履いている。

身軽い踊り子のような格好だが、問題は其処ではない。

「お、おへそ! 冷えるよ!」

「あ? ああ、これ。涼しそうでしょ」

ノースリーブの丈が短いからか、僅かに見える、へそ。


次に出てきたのはウィルとシアングだった。ウィルは黒いタンクトップの上に肩口でとめた長袖のシャツ。上の部分にはさらしをぐるぐると巻き、シャツについた羽根飾りが中々いい味を出している。革のズボンにベルトを二重に巻き、ご丁寧に決めポーズをとっている。ただ、少し前髪が長い。

シアングはツナギに上着を腰に巻き、手にはグローブといった割とシンプルなものだった。それでも身軽さを殺さないように注意を払いながら、ツナギの上にベルト、さらに小さな止め具をいくつかつけている。

待ち人が四人になったところで、やはりチェリカのへそが冷えるという話題が出た。本人が直す気がないので、まったくの効果はないが。


へその話題が尽きる頃、ルノが出てきた。

これまでのローブ姿ではなく、大きくスリットが入った服の下に長めなズボン。左腕には袖口が広がったアームウォーマー、右腕にはリストバンドとアクセサリー。さらに、腰には帯のように闇色の布を巻いていた。後ろから見るとリボンのようで結構可愛いのだが、言った瞬間トアンの耳元を氷の刃が掠めた。話をそらすべく入手経路を聞くと、あのマントの血がつかなかった部分で作ってもらったらしい。

「何かお前、身軽に見えるぞ。んなことねーのに」

「何か言ったか」

「うわー、待て待てまってー!」

シアングが悲鳴を上げた瞬間、試着室のカーテンが開いて、レインが出てきた。


暗殺者であったこのろ印象とは全く違う。

白い肩を剥き出しにした、肩口の広いオレンジのセーター。腰にはそのからウェストポーチをつけ、セーターの下に黒いタンクトップをきて肩を少し隠している。下には、膝下で絞ってあるカーゴパンツ。更に白い足が履いている──というよりは踏んでいる──のは、紅いスリッポン。踏んでいるというのは、踵を潰しているためそう見えるのだ。

袖口の長いセーターを捲くった腕には黒いサポーター。そうしていると左手の小指にある、黒いマニキュアがあまり目立たない。

そしてその首にはハクアスの指輪が吊ってある鎖と、逃げ出すときにガナッシュから外した、黒いリボンと金の鈴。それをチョーカーのようにつけていた。


総合的に見て、随分可愛らしい。

「レイン、かーわいー!」

「へそ、冷えるぞ」

「なんかお洒落さんだしな」

「ツナギ? つまんねぇ」

「良く似合ってるじゃないか!」

「うるせぇリボン」

「にい、レイン、肩が……」

「鼻血」

チェリカ、シアング、ルノ、トアンの絶賛を、それぞればっさばっさと斬って行く。

すごいかわいいよねー、チェリカが混ぜ返すと再びほめ言葉が始まった。

レインは煩そうに眉を顰めてから、ボーっとしているウィルに目を向ける。

「……?」

訝しげな視線で、ウィルははっと姿勢を正した。

「バカ面がもっとバカに見えるぞ」

「な、なんだって!?」

「…………。」

一応怒ってみるが、なんだか覇気がない。レインは何か思いついたのか、装飾品が置いてあることろに歩いていった。数分度、戻ってきたレインはウィルに手にしていたものをぶつける。

「!? ……な、なんだよ?」

「前髪が鬱陶しい。それで上げてろ」

渡されたそれ──赤いヘアバンド──をつけてみると茶色の髪が逆立って、なんだか一端の少年戦士のように見えた。

鏡の前で、ウィルはその代わり具合に目を瞬く。礼を言おうと振り返るが、レインはもう既にシアングにちょっかいをかけられていた。

「じゃ、でようか」

シアングが財布を手で遊びながら、にっと笑った。


「あーいいにおい」

何かが焼ける香ばしい匂いに、チェリカが鼻をひくつかせた。それをすかさずシアングが釘を刺す。

「チェリちゃん、おやつは500フォンまでね

「えー」

「えーじゃないの」

「ん……。あ、ほらほらトアン、果物のいい匂いだね!」

「え? あ、うん」

「トアンを巻き込まないの」

先程から似たような台詞を繰り返しながら、広いとはいえない店と店の間を歩いていく。

チェリカは見えてくる店の食べ物に興味深々なので、一番金銭感覚がしっかりしていると思われるシアングがやんわりとその襟首を捕まえているのだ。

こういう場合、押しの弱いトアンは役に立ちそうにない。チェリカがはぐれないようにその手を繋いでいるので、すっかり照れているらしい。

「トアンー、クレープー……、どしたの?」

「や、ははは、なんでもないよ」

ちなみにシアングはチェリカの襟首と、人ごみが苦手でフラフラしているルノの手も引いているので、何だか対照的な性格の子供を世話する保父のようにも見える。

「シアング」

ぽつり、ルノがだるそうに言う。

「ん?」

「……そろそろ宿に帰らないか? 大分疲れた」

「そうだな……うん、トアン、チェリちゃん引っ張って。帰ろう」

人ごみの中にウィルの茶髪を見つけてから、人通りの少ない裏道に入った。


「ふあ」

宿は二人部屋を三つ取ったため、クジ引きで部屋を決めることになった。その結果、トアンとルノ、ウィルとチェリカ、シアングとレインが同じ部屋になった。

トアンは本にレインのことを書きながら、うとうとしているルノの欠伸に小さく笑う。

「眠い?」

「ん……、いや、何だか、この町……」

一端言葉をきってから、ルノはトアンに向き直る。

「胸騒ぎがするんだ。それに、どうしてこんなに疲れるんだ?」

「胸騒ぎ……?」

トアンが首を傾げる前で、ルノは窓を開けた。日は、まだ高い。

「ここから──そう遠くないところに、何かいる」

「そ、それって、オレたちに悪さする関係?」

「いや、その力自体は良いものだろう。ただ、そのすぐ傍に不吉なものが居るんだ」

少し生暖かい風が銀髪をふわりと遊ぶ。

「……なにも、わからない。情報を集める必要があるな」

「そうだね……。とりあえずご飯食べに行こう?」

そっとルノの肩に手を置くが、真紅の瞳はまだ遠くを見ていた。


「あ、」

ふと、シアングの目が留まった。自分が無意味に部屋をうろうろしている間に、レインはベッドの上で丸くなってしまった。それを認めて苦笑すると同時に、気付いたのだ。

それは、ベッドサイドに放ってある、レインのポーチに括りつけられた真新しい鞭。恐らくチェリカが食べ物に夢中になっているときに、買ったのだろう。チェリカしか見てなかった自分のミスだ。

「……いつの間に。ちゃっかりしてんね、このこ」

何しろ人数が増えた。

最近まともに資金調達をしてないから、節約をしないといけないのに。

「暫くこの町で仕事しないとまずいかな、……いや。こーゆーのはトアンに任せよう」

面倒くさくなったシアングは、レインの横に開いたスペースに寝転んだ。

「……。」

そっと、手を伸ばす。だがそれは、触れるか触れないかの瞬間、レインが瞳を開けたことによってとまった。

「……、寝込み襲うなんて、サイテー」

「あ、はははは」

思わず気まずくなって苦笑してみるが、まったく気にもせず、レインはもぞもぞと寝返りをうつ。

「ああ、サイテー……」

「嫌な夢でも見たん?」

「……」

返事はなかったが、なんとなくわかった。

おそらく、

「アル、じゃない」

言おうとしたことを本人に言われ、思わずシアングは間の抜けた表情をした。

「違うのか?」

「……指輪のことで、ハクアスのこと思い出して──」

そこまで呟いてから、ハッとしたように口を噤む。

「ハクアス?」

「関係ないだろ」

「すーなおじゃないね」

「……」

背を向けて、それきり彼は押し黙ってしまった。

「やれやれ」


ガンガンガン


「シアーング! って、あ」

乱暴なノックとともに、チェリカが入ってきた。

「チェリちゃん」

「うっひゃーやるやる! シアングもすみに置けませんねー」

「……ドコで覚えたの、そんなの」

間の抜けた茶化しに苦笑をして、ゆっくりと起き上がる。

「へへへ、内緒」

「最近の子は、もー」

「あのね、トアンがご飯食べに行こうだって。レイン、いこ」

ずかずかと大またでベッドに近寄り、ゆさゆさと揺さぶる。

「……うるせぇ」

「ごーはーんー」

「うるせぇって」

ブツブツと文句を彼を起こすと、チェリカの顔が僅かに曇る。

「……どうしたの?」

「は?」

「悪い夢でも見た?」

「……。」

差し伸べられたその手を煩そうに払うと、レインは瞳を細めた。

「チェリちゃん、いこ。ネコジタ君は落ち着いたらこいよ」

一つ苦笑して、シアングはチェリカの手を取って部屋から出て行く。

その姿が見えなくなって、外にでるドアが音を立てて閉められ、それを認めてやっとレインの苛立ちは収まった。

「……。くそ」


夢に見たのは、広い広い野原。

そこにレインはたったひとり。

(かみさま)

自分が独りということに気付き、レインは空を見上げる。

(かみさま、どうして)

救いを求めるように手を伸ばすが、見上げた空に色はない。青も、赤も、何も。

ただただ透明な空間があるだけ。

さわ、風がレインの髪を揺らした。そういえば、まだ前髪が目にかかるくらい、長かったと思う。

髪の間から見える世界に、転がる沢山の死体。

(オレが殺した、──殺した)

死体の野原を歩きながら、それを一つ一つ見ていく。

(知らない、こんなやつ)

でも自分が殺した。

ふとその中にハクアスの死体を見つけた。

(ハクアス)

指輪に軽く触れる。

ところが、瞬きを一回すると、それはハクアスではなくなった。

其処にいたのは、自分の弟。

(……!?)

更に、その周りには、自分の仲間たちの死体が転がっている。

(オレが?!)

まさか、嫌な予感が背中を撫でる。

恐る恐る手を見るが、其処に、血はついていない。

(いったい、何が)

混乱する頭を抱え込むが、ふと、何かの気配を感じて顔をあげる。

死体の向こうに、少女がひとり背を向けて立っていた。

(チェリカ)

名を呼ぶが、少女は振り返らない。

(オレがやったのか? なぁ、何か知らねぇの!?)

必死の問いかけに、ゆっくり、ゆっくり、少女が振り返る。

その白い頬を濡らしているのは、鮮血。

驚いたレインがそれは、と尋ねると、少女は黙って首を振った。自分の血ではない、ということか。

「……レインじゃないよ」

(じゃ、誰が)

「大丈夫、そんな心配しなくてもいいから」

少し落ち着きすぎる少女の態度に、レインは何か嫌なものを感じる。青い瞳の奥に、燻る何かが見えた気がした。

(……チェリカ?)

「皆をこんな風にしたの、レインじゃない。嘘じゃないよ? だって」


「わたしだもん。そうでしょ? 『***』」


少女が何を言ってるか、一瞬理解できなかった。ただ、『***』という聞き取れない単語があった、ということだけわかった。


夢は、そこで終わっていた。


目覚めたら、その夢に出てきた少女がに来たのだ。とりあえず頭を整理しようと、部屋に居たお節介な男とともに追っ払った。……怖かった、というのもあったが。

「なんだよ、今の」

あいつがあんなことする訳ない、そう呟いて、深呼吸する。

それに。

少女が口にした、『***』という言葉が気になる。あれは、何なのだろう。何故か初めて聞いた気がしなかった。むしろ、幼い事何度か聞いたような──

「……思い出せねぇ」

殺された育て親に預けられる前の、実の親と過ごした記憶はなにも思い出せていない。それなのに、

「…………アル」

縋るように親友の名を口にするが、それに答えるものは居ない。




おろしがたっぷりかかったハンバーグを口に運びながら、ウィルの目が不審げに細められた。カチャリ、音を立ててフォークが置かれる。

「オレも感じた。なんかいやなカンジ……でもそれが何かわかんねえ」

「私も。」

ゆっくりと紅茶を飲んでいるルノは、その会話に直ぐ返事をした。もともと、トアンがルノの不安を言い出したからなのだから当然といえば当然だ。すぐ傍のテーブルの会話が聞こえるほど、トアンたちは珍しく静かだった。

「……この町の北側の町長の家の横の門をぬけて、すっと東からきたんだ」

隣の席の冒険者風の男が、隣に居る女性に冒険談を話しているようだ。

「深水城をみてきたぜ」

「深水城? 嘘、あそこは証を持つ人しか入れないのよ」

「ああ、俺は入れなかった。でも城を『見て』きたことには代わりないだろ?」

「呆れた。」

男が笑って頬杖をつくと、女は馬鹿にしたように手をヒラヒラふる。

「……深水城」

隣の話を聞いていたシアングが、不意に呟いた。

「しんすいじょう?」

「ああ、トアンは知らねーんだっけ」

「オレも知らねえ」

「……ウィルも、か。深水城ってのは、深水竜がすむ城なんだ。焔城みたいに」

「テュテュリスさんみたいな人がいるんだ」

「そー」

「調度いい、証とやらを探して、私たちも会いに行かないか? 何か助言をくれるかもしれない」

ルノがチェリカに同意を求める。……が、チェリカはぼーっとしたまま。

「チェリカ?」

「わ。あ、ごめん。何?」

「お前、どこか悪いのか? 食事だって珍しく控えめだぞ」

「お兄ちゃんに言われたくないよー。大丈夫、ちょっと疲れただけ」

そういうチェリカの顔は、どこかぎこちない。

だが其処にいた全員は、それが疲れからきたのだろうと考えた。

「まあいい、少し休め。具合が悪かったら直ぐ私に言えよ? 治してやるから」

「うん、ありがと」

(──……?)

確かに、チェリカの様子がおかしい。

トアンはフォークを置くとそっと様子を伺うが、チェリカは直ぐに気付いてにこりと笑った。

「大丈夫だから、ちょっと外の空気吸ってくるね」

そういって席を立つと、止めるまもなくチェリカの姿は見えなくなった。

「本当に身体、悪いのかな……?」

「さあ、何か悪いもんでも食ったんじゃねえの」

「ウィル」

咎める様にルノが睨むが、ウィルは聞かなかった事にする。


空気に含んだ湿気が、まるでじわじわと纏わりつくようで気持ちが悪い。

チェリカは首にかかった髪を軽く掻きあげると、そのまま自分の手を見つめた。

「私、どうしたんだろう」

ポツリ、独り言を呟く。調度宿の前を通りかかった男性が振り返ったが、気にならなかった。

「……まだ大丈夫、大丈夫だよね、まだ私、『チェリカ』だよね」

言い聞かせるように何度も呟く。そのままドア伝いにずるずると座り込み、膝を抱えた。そうでもしないと、どうしようもない不安に押しつぶされそうだったからだ。


最初に違和感に気付いたのは、トウホの小屋に着いたとき。

自分の中の何かがゆっくりと頭をもたげる感覚に、その存在を思い出した。それ故、トアンに謝ったのだ。いずれ起こることを予想して。

……いや、何かではない。自分はその正体を知っている。

ウィルとレインのパートナーの儀式を見ている最中も、『それ』の気配はあった。そして、今、食事をしている際に、それは唐突に訪れた。

先程まで感じていた味が、突然しなくなったのだ。再び嫌な汗が吹き出た。

それを気付かれないように、抜け出してきたのだ。味がしない食べ物を食べるのは、想像以上に辛い。

「どうしよう、……助けて」

誰に。

咄嗟に思い描いたのはトアンでもなく、仲間でもなく。

自分の正体を知る、少年だった。



「……そろそろか」

屋根の上から、そっと少女を見守る影がある。

蒼い髪に黒い瞳。変わった服装に大きな剣を背負った少年は、クスリと笑いを一つ。

「哀れな双子だよ、本当に……。精々残りの時間を大切にすると良いさ」

少年はにやりと口の端を持ち上げる。そのまま天を仰ぐと、目を閉じた。



「おい、おすなよ」

「シアング、静かに」

「いてててて」

「て、ウィル、このー」

「あ、わり」

「いてててて、シアングもウィルもオレの

足踏んでる」

「「悪い」」

同時に謝られても、足まだ踏まれたまま。

今、三人が団子状態になってまで尾行しているのは、町長の息子(18)。どうやら名前はアレン。

そもそも何故こんなことになったのかというと、深水城にいくには市長からの証が必要と聞いたのでチェリカの様子が心配というルノと本人のチェリカを残して、トアンとシアングとウィルの三人が市長の家に行ってみたが『証についてはなにも答えられない』と門前払い。

めげずに町で情報を集めていると、「代々市長の家に伝わる指輪が証かもよ」と酔った男に言われ、他に何も当てがないのでそれを信用し、指輪を持っているという息子を探し続け、すっかり日も暮れてしまった頃に見つけ出し、こうしてつけているのだ。

「こっそり奪うのか?」

「いや、なんとか交渉してみるぜ。……深水城ってか竜に関係ある物なら、オレのなかの血が騒ぐんだけど、どうも実物見ないとわかんねーから無闇に争い起こすわけにはいかねーんだよ。あの親父の情報もあてになるかどうか。……でも見せてくれって言うタイミングがつかめない」

「そうしてるうちに相当時間経ったぞ。……もう、こんな暗い」

「二人とも、アレンさんが店に入るよ」

トアンの声にハッとして、シアングとウィルはこそこそとした前進を開始した。


酒場というよりは、洒落たバーだ。

アレンは奥の席に座る。正面には、透けるような白い肌と黒髪が美人な少女が居た。艶やかな黒髪に、片目は隠れてしまっているが、病的というイメージはない。むしろ、ミステリアスな美しさがある。

少女は、アレンの姿をみると小さく微笑んだ。

「やあ、ブランカ。来てくれてありがとう」

「……。」

はにかんだまま、ゆるゆると首を振る少女──ブランカ。随分と無口なようだ。

「あれ、恋人か?」

「さぁ……。オレが聞いたのは、息子の恋人は小麦色の肌に金髪で明るい女ってきいたけど」

ウィルの問いに、シアングが首をひねる。

「ブランカ。僕は、君と──」

「?」

「お、アレン。ライラちゃんが見たら悲しむぞ」

突然、隣の席の男が割り込んできた。アレンは、ライラという名を聞いた瞬間に不機嫌な顔になる。

「放っておいてくれ僕は、ライラなんて好きじゃない」

「だからナンパか」

「違う! 確かに、今日会ったばかりだけど、僕はブランカのことホンキで……」

いきり立つアレンの唇に、細い指が押し当てられてピタリと黙った。

ブランカだ。

ゆるゆると首を振ると、ブランカは微笑む。

「ご、ごめん、大声出して……」

「……。」

「ごめんねブランカ。さ、ワインでも飲もう。マスター!」

アレンがパチンと指を鳴らすと、店主が美しいボトルとグラスを持ってきた。かなりの年代もののワインだ、とシアングが羨ましそうに呟いた。

「状況を整理しよう」

疲れたのか軸にした足を変えて、ウィルは腕を組んだ。

「アレンってヤツはライラって恋人がいるけど、今日であったブランカって女に惚れ込んでる。」

「ああ、そんで多分、指輪はプロポーズに使うんだろうな」

「なに言ってんだよシアング」

「だからさ。アレンの焦り具合をみると、ライラとの結婚が近いんだよ。アレンはきっと、ライラが好きじゃねーんだろーな。そんなときに一目ぼれだ。きっと早いうちに指輪をお目にかかれるぞ」

「……美人だもんな」

「ウィル、ブランカちゃん好きなのか? ま、確かに」

「な、なんだよ!」

「図星?」

にやりと笑うシアングに、ウィルは一睨み。

「別に、だからオレは」

「へーへー。あーうまそう……」

オレも飲みてー、そういってシアングが話を逸らしてしまったので、ウィルは、

「……なんだよ」

やりきれない思いを吐き出すようにもごもごと呟いた。


トアンの足はまだびりびり痛んでいたが、もう気にしないことにした。今のこの二人には、いくら訴えても無駄だとわかったのだ。

(それより……あの日ブランカって娘、始めて会った気がしない)

どこで会ったのかは思い出せないが、でも確かに。

見覚えがあるというよりは、その気配に覚えがあるのだ。

「思い出せない」

頭を抱える前に、踏まれている足を見て、ため息。


「僕は、君と出会えて幸せだ」

「……。」

ふわり、ブランカが微笑む。それはとろける様な笑みで、少女というよりセクシーな

女性の笑みだ。アレンの顔が赤くなるのと同時に、笑みを向けられていないというのに、トアンとウィルの顔は熱くなった。

「ほ、本当は、もっとゆっくり話したいんだけど、時間がない。ブランカ、そろそろ店を出ないか?」

こくん、ブランカが頷く。

会計をさっさと済ませたアレンを追いかけようと、シアングは立ち上がってふやけている友人二人の服を引っ張った。


町の中央を走る、川。その上に架かった橋のに、二人はいた。

やはり傍の植込みから見守っていたトアンたちだが、進展のなさに限界が近い。

アレンは先程から何か言いかけて、直ぐに口を閉ざし、そわそわと視線を彷徨わせている。ブランカはボーっと闇に黒光りする川を見ていた。

その、繰り返し。

やはり踏まれている足が痛いなあ、トアンがそう思ったとき、ついにアレンが意を決したようにブランカの手を取った。よし、とシアングが目を細める。

「ブ、ブ、ブランカ、その……」

「……──。」

「僕は、君が好きだ。君と一緒にいたい──」

ライラとは結婚したくない。

そう叫んだ瞬間、そばの茂みがガサリと動き、小麦色の肌の少女が飛び出してきた。

「アレン!」

「──ライラ」

どうやら少女がアレンの恋人、ライラらしい。ブランカとは正反対の容姿で、歳はブランカより上だろうが性格は随分幼いようだ。

そして驚いたことに、アレンは浮気現場を見られても顔色一つ変えない。肩で息をするライラとは、対照的に。


「どうして、どうしてなのアレン!? 小さい頃はあたしと結婚してくれるっていったのに! もう正式な発表まで、半月なのに!」

「だからだ! 僕は君とは絶対に結婚しない!」

睨み合う二人の横で、ブランカが眠そうそうに瞬きをした。

普通、少しは心配したような顔をするべきなのだろうが、ブランカの顔色は変わらない。

「ライラは従姉妹だろ! 結婚なんてできるか!」

「……ッ!」

ライラが絶句し、数歩下がる。ここでトアンは、彼女とアレンが血縁関係ということを知った。

(従姉妹と結婚か。だから嫌がって……。ん?)

アレンは、ライラとの結婚は血縁同志だから嫌がっている。ということは、従姉妹でということを抜けば、

「あ、あの!」

考え付いた答えに、思わず立ち上がってしまった。

驚愕したアレンとライラ、そしてブランカがほんの少し驚いた顔をしてトアンを見る。ウィルが足元で、「ばかー」と呟いた。

「な、なんだ君は」

「あ、いやその、覗いてたわけじゃ……あはは、偶然、偶然話が聞こえちゃって」

「……はあ。ふん、それで。」

思い切り馬鹿にした表情のアレンに、トアンは逃げ出したい気持ちに刈られた。が、ここは耐えなくては。

「あの、二人の気持ち、すれ違ってるんだと思います」

「え?」

「……何?」

「いや、だから」

「僕が好きなのはブランカだっ!」

「……酷い!」

ドン!

いきり立って叫んだアレンに、ライラが体当たりする。と、その拍子に彼の手から指輪が零れた。

「あ!」

キラキラと光の粉を振り撒きながら、指輪は暗い川へ吸い込まれていく。

「チッ!」

ブランカが舌打ちをすると、手すりに手をかける。そのまま身軽に手すりを飛び越え、指輪を追って川に飛び込んだ。

バシャン、軽めの水音。

「ブランカ!?」

慌てたアレンの横を、シアングが上着を脱ぎ捨てて通り抜ける。

ひゅう、耳元を生温かい風が撫でる。水面で降下を止め、耳をすましてブランカの気配を辿る。

「どこだ、ブランカちゃん──」

焦りながら見渡すと、橋の影に黒髪が見えた。

「……ッと、ごめん」

悪いと思いつつ、その髪を掴み上げる。女性の髪を掴むなんて、あまり言い気分ではないが。

「…………ん、あ?!」

随分軽いな、そう思って手繰り寄せたのは、髪。髪だけ。冷や汗が背中をなぞる。

まさか自分は、髪を抜いてしまったのか。もしくはブランカではなく、何か、死体の髪──?

「シアング!? 何やってるんだよ!」

トアンの声が自分の上から聞こえた。アレンとライラが、「つ、翼?」と上擦った声で囁くのも。

「いやそれがその……オレ、とんでもないことしちゃったみたいで」

ぷく。

「どうしよ、まじやべー……あ」

視界の端で、空気の泡が見えた。

水面に顔を近づけて、手を伸ばす。何か、当った。間違いない、ブランカはここにいる。

意外に深い水の中だ。何かに服が引っかかっているかもしれない。

手探りで腰を見つけ、引っ張り上げた。

ところがだ。

「……え?」

「は、……はぁ、ッ、見つけんの、おせぇよ」

少し掠れた、聞き覚えのある声。抱き寄せたまま急いで星の下に出てみる。

「──ネコジタ君?」

其処に居たのは黒髪の美少女ではなく、苦しそうにしながらも、不敵に笑うレインだった。


とりあえず、橋の上まで運んでやる。地面に足をつけた瞬間、レインは崩れ落ちるように蹲った。水を吸って重くなった服が、かなり体力を奪っているようだ。

「に、兄さん!」

「レイン!?」

いつの間にかウィルがやってきていた。トアンと一緒に揃って間の抜けた顔をしている。

「……ブ、ブランカ……?」

引きつった声で、アレンが呟く。

一向に気にも留めず、レインはゆるゆると頭を振って、水気を払った。シアングがそっと上着をかけてやると、何も言わず包まっている。

「ブランカ、き、き、君……」

「……。」

「き、君、金髪だったんだね」

「……は?」

「いや、僕は金髪でも十分好みだけど」

「何言ってんだよ、お前。オレは女じゃない」

「わかってるよ……。言ってみた、だけ……。」

「ふん」

「な、ネコジタ君。何やってたの?」

いい加減に痺れを切らして、シアングが問いかけた。

「あ、そうだ。これ」

思い出したようにポケットを探り、指輪を取り出す。それをシアングにつきつけ、見ろと促した。

「あ、そ、それは」

「これ……。いや、違う。魔力は感じない」

「そ」

「なんで、指輪探してるって……」

おずおずとしたトアンの問いかけに、レインの鼻がなった。馬鹿にしたように。

「てめぇらが出かけた後ルノから聞いた。それで、市長の息子の指輪が怪しいって酔っ払ったオヤジに聞いて、それからオレたちが探してるのはこの町の市長の家に伝わる婚約指輪ってのも聞いた。だから、指輪が見れる方法は『おとす』しかねぇかなって。……てめぇら、つけてる気配バレバレ」

「……う」

なんともいえなくなったトアンである。レインの話の中に出てきた「酔ったオヤジ」というのは、自分たちに情報をくれた男と同一人物だろう。

それより、哀れなのはアレンだ。先程まで恋をしていたミステリアスな美少女が、毒舌の強い少年だったとは。ショックを隠しきれないのか、呆然と事の成り行きを見守っている。

「兄さん、……その」

「なんだよ」

「どうして女装、あんなにうまいの?」

アレンを刺激しないよう、そっと言う。

「オレは元・グングニルだ。警戒心の強いターゲットの家に忍び込めそうにないとき、変装して乗り込むんだぞ。女装なんて慣れてる」

「そ、そうなんだ」

「納得してねぇな」

「う」

「レイン」

「……?」

黙っていたウィルが、ポツリと名前を呼んだ。

「なんでこんなことしたんだよ。もし、コイツが危ないヤツだったらどうすんだよ!?」

そういってその指は、まっすぐにアレンを指している。

それは、ただの指だ。

だがしかし、アレンは刃を向けられたかのように僅かに後退した。レインをまっすぐに見るウィルの目は、烈火の如く怒りに燃えている。

「──は」

対するレインの目は、やはりというべきかとても冷めていた。

煩そうに手をヒラヒラ振るレインを見て、ウィルの怒りが頂点に達したことが気配でわかった。詰め寄って胸倉を掴むウィルの横っ面をレインのビンタが飛ぶ。

睨み合いがその状態で続き、互いに相手の隙をうかがっているのもわかった。

トアンは止めようと口を開くが、シアングが「ほっとけ」といいトアンをアレンと向かい合わせにする。すぐ後ろでは、互いに譲らない二人の視線が、バチバチと絡んでいた。

「ほら、指輪。わりーな、こんなことに巻き込んじまって」

「あ、あぁいや……。もう、いいんだ」

「すげー落ち込んでるじゃん」

「……。ブランカのこと、本当に好きだったから」

それを聞いて、隣でライラが顔を伏せた。

(そうだ、今言わなきゃ)

「本当に?」

「え?」

「アレンさんは、ライラさんが血縁だから嫌がってるだけで、其処を抜けば本当は好きなんじゃないですか? それを忘れるために、無理矢理兄さ、レインのことを好きだと思鋳込もうとしてたんじゃないですか?」

「トアン……ああ、そうだ。あんた、さっき自分でも言ったじゃんかよ。『いとこ』だからいやだって」

シアングがトアンの言葉をうまく継いでくれた。

アレンは、ただそれを聞いて、ゆっくり項垂れる。

「僕は……。そうなのか……?」

「自分の気持ちに気付いてなかったんだろ。それに、嫌なことを強制されればされるほど、反発したくなるもんだからな」

「アレン、あのね」

「ライラ」

「無理しなくて良いよ。アレンが好きなのって、ブランカみたいな娘なんでしょ」

「……。」

「でもね、いとことかじゃなくて、本当に、」

「ライラ、ごめん」

ぎゅっと唇をかみ締めて、アレンが呟いた。弾かれたように顔をあげるライラに、そっと手を伸ばす。

「僕は、小さい頃気君に言ったんだ、『大きくなったら、結婚しよう』って」

「……うん」

「すっかり忘れてた。親父に逆らうばかりで、すっかり……」

「うん」

「もう少し時間が欲しい。ライラ。答えを……待っててくれるかい?」

「うん!」

にこりと笑ったライラが、アレンに飛びつく。同じ頃、後ろのにらみ合いも一先ず落ち着いた。


「結局振り出しか。ネコジタ君、お疲れさんでーす」

「うるせぇ」

「深水城への証を探していたんだよね」

やんわりとライラの肩を抱いたアレンが、話に入ってきた。

「そ」

「証はこっちだ。差し上げます」

アレンはポケットを漁ると、小さなお守りのような物を取り出した。

それをそっと、レインの手に託す。

「……あ」

「君にはお礼を言わなくては。ありがとう、ブランカ」

「ふん」

素直じゃないね、と苦笑をこぼして、アレンとライラは深々とお辞儀をした。そしてそのまま、橋の向こうへと消えていく。


「ま、なんだかんだで一件落着か」

レインの手の中を覗き込んで、シアングが嬉しそうに言った。レインは無表情──いや、口元に僅かながらの安堵を浮かべている。

「あーでもさ、結構可愛かったと思うぜ」

「?」

「ブランカ。演技もうまかったしな」

「あーゆーの好み? なんなら今度相手してやろうか」

「あ、いや、いやいやいや」

「おい! よせってば!」

焦ったようにウィルが割り込む。また喧嘩がおこりそうだ。

トアンはふっと夜空を仰ぐ。どこまでも広がる闇を見て、空は青にも赤にも、そして闇にも染まることを改めて実感した。そして急に、



不安になった。

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