第27話 ロストマン

森のなかの開けた場所に、トアンたちはいた。全員、酷く疲労して動けなかったが、命に別状はない。

トアンはゆるゆると顔をあげると、不自由な体を動かして辺りを見渡す。

「う、……みんな、ぶ、無事……?」

全員目立った傷はない。

「うう……」

「っ……」

シアングとルノが呻き声をあげた。

慌てて様子をみるが、まだ大丈夫──このままではわからないが。

「ど、しよ……」

ゼエ、荒い息がでた。

(このままじゃオレも……みんなも……!)

ふと、視界に入ったのは金髪。チェリカではなく、レインの。

横向きに倒れている彼に這うようにして近づくと、手に何かもっていた。


ちりん。


ガナッシュの鈴だ。

「絶対、助けるって約束した」

まだ意識を失うわけにはいかない。

「……さん、兄さん」

手をのばして、その肩に触れる──瞬間、トアンの目の前が揺らいだ。どう、地面に倒れる体。

「あ、……」

まだ、倒れるわけには。

まだ、

……──。




Mr.lost


いつだってあいつはオレのために

いつだってあいつはオレのことを

……でも、オレはそんなあいつにいったい何をしてやれた?

自分の気持ちだけ考えて、あいつのことをなにも考えずに。

オレはこれからどうしたらいい?


さあ、オレはどうしたら──。



トアンが目を覚ましたのは、トウホの小屋だった。

疲労しきってボロボロのトアンたちを見つけてくれたのは、シロだったらしい。

目が覚めたトアンにトウホはただ「よお」といって薬草茶を勧めてくれた。

何よりそれが、嬉しかった。

すぐ隣に眠っていたチェリカも先程起き出して、苦い苦いと文句をいいつつ薬草茶を飲み、顔を洗ってくると言い残して部屋を出て行った。

反対側においてあるベッドには、ルノとウィルが眠っている。シアングのベッドは、トアンが目覚めたときには空だった。

(変な夢、見た)

良く思い出せないが、嫌な夢。よくわからないまま、不安になってく。

ガチャリ、ドアが開いた。

「うー、目、覚めたー」

とても言葉の通りとは思えない言い方で、チェリカが戻ってくる。

「トアンも洗ってくれば? あははは、冴えない顔ー」

「う……っ」

ごしごしと顔を拭く彼女は、にっこりと笑った。顔から火が出そうなほど恥ずかしかったが、自分も顔を洗うべくのそのそとベッドから降りる。

「お兄ちゃんもウィルもぐっすりだね」

「うん。……大丈夫かな」

ちらり、視線の先の二人はぐったりと眠り込んでいた。

「ま、そのうち起きるでしょー。」

チェリカがまた、笑う。

その笑顔を見て、トアンもどこか安心して笑みを返した。先程感じた不安も、薄れていく。



「レイン、ねえ、レインってば!」

「……。」

チェリカが必死に肩を揺するが、レインは何も言わずなされるがままになっている。

その目は、チェリカではなく虚空を見ていた。

「どうしたの? ねえ」

「トウホさん、兄さ……レインは、元に戻らないんですか!?」

トアンの訴えに、トウホは黙って首を振った。肯定でも否定でもなく、わからない、と。

「レイン! どうして……」

揺さぶられるまま、長い襟足が、ふわりと揺れる。


「え?」

トウホの言葉の意味がわからず、トアンはぽかんと返した。

レインの居る部屋は、別の部屋だった。

それを知ってすぐに入ろうとしたトアンとチェリカを、トウホは止めたのだ。

「……もうあの子は、戻ってこれないかもしれない」

もう一度、同じ言葉を繰り返す。

それでもトアンは意味がわからず、いや、わかりたくなかったから、どうして、と問うた。

「専門家じゃねえからハッキリとはいえねえけど、レインは強いショックを受けてる。それで、現実を見ることができないんだ」

「うそ」

そういったのは、チェリカだ。

「嘘なんか言うかって」

「うそ!」

「あ、おいこら、チェリカ!」

トウホの制止を振り切って、チェリカが部屋に飛び込む。それを追ってトアンも続き、そして、トウホの言葉が真実ということを知った。

窓が開け放たれた明るい部屋。

レインはそこにいた。窓際にある唯一のベッドの上で、上半身だけ起こして。

普段の彼なら、絶対に警戒するドアの開く音、誰かが近寄る足音。だが、今はそれに全くの無反応で。

レインは、紫と朱色の瞳は、どこか遠くを見ていた。

その先に居るのは、ハクアスか、それとも目の前で殺された両親か、自分が殺めた沢山の人か、それとも、

──アルライドか。

良くも悪くも、レインはアルライドのことを、本当に……。

「レイン」

チェリカが、小さく呼んで近寄る。

しかし、それにも反応はない。

「レイン、ねえ、レインってば!」

堪らず声を荒げ、チェリカがレインを揺さぶった。が、レインは抵抗しない。



そして、今に至る。

「聞いちゃいないんじゃなくて、全く聞こえてないんだ」

トウホが、悔しそうに呟いた。

「わり、どうしたらいいか俺全然わかんねぇ。……なるべく沢山話し掛けてみてくれ。反応を返すまで」

「わかった」

「はい」

チェリカはレインを揺さぶるのを止め、ベッドサイドに座った。トウホが部屋から出て行くと、トアンも隣に座り、今朝みた夢のことを思い出した。

「……チェリカ」

「うん?」

「オレさ、さっき変な夢みたんだ」

「夢? トアンの夢って」

「うん。ひょっとしたら、何か役に立つかもしれない。……でもうろ覚えで」

「言葉に出してみて。そのほうがきっと思い出すよ」

「そうだね」

トアンは一度目を閉じ、ゆっくりと思い出していく。口が、静かに開いた。

トアンの肩に、羽の千切れた黒アゲハがとまっていた。

それは、そこで不自由な羽を休めるためにとまっていたのだが、ずっと飛び続けていたため、疲れ果ててぐったりと身を沈めていた。

それを、振り払うような真似は、トアンはしなかった。何故なら、そこは蝶にとってやっと見つけた安息の地だとわかっていたからだ。

蝶は少し元気を取り戻したのか、羽をゆっくり動かす。トアンはそっと蝶を包み、いつの間にか隣にいたチェリカの肩にとまらせた。

チェリカが微笑んで、そっと撫でる。

やがて蝶が再び羽を動かすと、チェリカはトアンがしたように掌で蝶を包むとルノの肩にとまらせる。ルノも、しばらくして蝶が羽を動かすとシアングに、シアングもウィルに──と順にとまらせていく。

そして、ウィルの肩の上で休むと、蝶はふらふらと飛び始めた。仲間はソレを嬉しそうに見守る。

蝶は、トアンのほうに飛んできた。恐らくトアンの肩に戻るつもりだろう。そう思ったトアンは、身を屈めて蝶をまった。

が。

蝶はトアンに肩を通り過ぎ、暗闇に向かって飛んでいってしまう。

まって、そう叫んだつもりが、喉が張り付いて声が出ない。足も鉛のように重く、蝶に追いつけない。


──いつだってあいつはオレのために

いつだってあいつはオレのことを

……でも、オレはそんなあいつにいったい何をしてやれた?

自分の気持ちだけ考えて、あいつのことをなにも考えずに。

オレはこれからどうしたらいい?


悲しそうな声が、頭に響く。


さあ、オレはどうしたら──。


蝶は闇に向かって、溶けていく。

それだけは嫌だった。しかし、トアンの手は届かない。

声が出ない。足も動かない。

そうしているうちに、蝶は、見えなく──


「そこで目が覚めた。オレが兄さんの夢を見るときは、兄さんは蝶になって比喩的に現れる。……だから、ひょっとしたら」

「レインの心が取り戻せないってこと?」

「……うん」

沈んだ表情のトアンに、元気付けるように肩を叩いた。

「大丈夫。絶対なんとかなる、する。それに、みんな居るんだよ? こんだけいれば大丈夫だよ」

「……」

「今できることをしよ?」

「うん!」


「頑張ってるな」

小さなテーブルに粥を置いて、シアングは小さく呟いた。彼の前には、反応のないレインに本を読み聞かせるチェリカとトアンがいる。本は、童話から物語まで、トウホの書庫にあったものを片っ端から引っ張り出してきたらしい。

一ページごとに読み手を交換して、読み終わった本はうず高く積まれていた。

「どう? っていっても、仕様がねぇか……あ、これはネコジタ君の飯。お前らのはキッチンにあるぜ」

「やった! お腹減ってたんだよ。トアン、食べてから続きしよ。レイン、またね」

またね、といっても反応はない。

チェリカは小さなため息をつくと、立ち上がった。

「そうだね。シアング、兄さんを頼む」

「おう。あ、ルノ、さっき起きたから。あいつ、今本読みまくって解決策探してるけど」

「ホント?」

「ああ」

じゃ、ちょっときゅうけーい、そういってチェリカとトアンが出て行くと、シアングはベッドサイドにある椅子に座った。

「……よう」

反応は、ない。

「お前が大人しいと、調子狂うぜ。なんつーの? 毒舌が返ってこないって」

「……」

「あ、食う?」

サジを口元まで持っていくも、その薄い唇は動かない。

「なんだかね……」

人形のような彼に、ふ、とため息をこぼした。

「アルライドが望んでたのは、こんなんじゃねえだろうに」



本に埋もれた銀髪を、見つけ出すのはそんなに困難なことじゃなかった。

「お兄ちゃん」

「ん、なんだ」

分厚い本から目を離し、ルノが顔をあげる。本の埃で、その白い肌は少し汚れていた。

「ルノさん、埃が……」

「あ、ああ、すまない。……すまない、レインのことなんだが」

「え?」

「まだなにもわからないんだ」

そういって申し訳なさそうに項垂れるルノだが、恐らく探し始めてまだ一時間も経っていない。

それでなにか情報が見つかるほうが奇跡に近いだろう。

「いや、無理しないでください。時間はたっぷりあります」

「ああ」

そう返事をして、再び本に視線を落とす。

「私、もっかいレインのとこいってくる」

そういってチェリカが部屋からでていく。

「トアン」

「はい?」

「兄さん、必ず助けるからな」

ペラリ、ページを捲る音。

「私、……瞳の色でどうこう言われるの、なんだか他人事と思えないんだ」

俯いているルノの表情は読めないが、きっと悲しそうな顔をしているのだろう。

「神を信じるわけではない。が、笑い事だな。神から最も遠い私が、神に縋るとは」

「そんなことありませんよ! ルノさんは光の魔法の癒しの術だって使えるし、ちっとも遠くなんかないです」

「……そうか」

ルノは、ふっと顔をあげて窓をみる。

どんよりと重く曇った空が、広がっていた。



頬に風を感じて、チェリカは目を覚ました。

(ん、いけない、眠っちゃった)

まったく手のついていない粥を片付けるといってシアングが出て行って、また本を読み直したところまでは覚えている。

そのあと、読みながら眠ってしまったのだろう。ベッドに突っ伏した身体をもそもそと起こし、少し折れた本を閉じた。片付けながら、レインに声をかける。

「あはは、ごめんね、レイ──?!」

チェリカの言葉は、最後まで言うことはできなかった。


ベッドには、誰もいない。


開け放たれた窓から、湿気を含んだ風が吹き込んできた。

「トアン、大変、レインがいないの!!!」

「ええ?!」

血相を変えて飛び込んできたチェリカに、トアンは驚いて本を落としてしまった。

「チェリカ、今なんと?」

ルノが立ち上がり、妹を宥め様と肩を叩く。チェリカは、一息つくと、もう一度言う。

「さっき、目、覚ましたら、レイン居なくなってて! 多分窓から外に」

「兄さん!」

「あの状態のレインを放っておくのはまずい」

渋い顔をしてルノはそう呟く。

「シアングを呼んでくる。トアン、お前は──」

「探しに行きます!」

「私も!」

「おい、まて、おい!」

その制止を聞かず、トアンとチェリカは窓から飛び出していく。

「オレもいく」

ひらり、別の窓からウィルが飛び降りた。

「もう大丈夫なの?」

「ああ、……レインを早く見つけないと。分かれて探そう」

寝巻きのまま、長めの前髪を鬱陶しげに払ってから、ウィルは濃い森に飛び込む。チェリカとトアンも頷き合うと、其々別の方向に潜り込んだ。


「シアング、レインが──」

「居なくなったんだろ」

「し、知ってたのか?」

ルノの表情がきょとんとするが、シアングはキッと宙を睨んだまま。

「オレたちは、お留守番」

「……は?」

「オレたちには、ネコジタ君は連れ戻せない」

シアングはソレきり押し黙ると、反論を言うルノの頭をわしわしと撫でる。

「今オレたちがあの子にあっても、……きっと、連れ戻せない」






ポツ、ポツ──

「レイーン! くそ」

降りだした雨が、ウィルの硬い髪を濡らした。そう離れていないはずなのに、深い深い森はトアンの声も、チェリカの声も飲み込んでしまって聞こえない。さらに、雨音がウィルの声もかき消し始め、その視界を蝕み始めていた。

「方角、わかんね……」

手近にあった木に手をあて、意識を集中する。植物の精霊(といわれた)である彼の力で、ここがトウホの小屋から相当離れた場所だということを感じ取った。レインの気配も探ってみるが、反応はない。


「ドコいっちゃったんだよ」

見つけ出したら、一発殴りつけてやろう。

そう思うことで、気を休めた。


どこに行くかは、わからない。

ただ、こんなにも失ったという喪失感が大きいときは、ひとは、あてもなく彷徨うのだと、学者ではないがそう思った。

サアァ……

降りだした雨は空へと生い茂る葉に弾かれ、弾き損ねた水滴が少し、気まぐれの様に落ちてきた。

「……」

冷たい。

この足は、どこへ向かっているのだろう。

わからない。

わからない。何もかも。

不意に、開けた場所に出た。

小さな空間だが、其処だけは木が避けるようにして雨が遠慮なく降り注いでいる。足は、そこに向かった。

深い森の中に、守られるような空間。


「……!」


ズシャッ……


重い空を見上げながら歩いていて、転ばないはずがない。草に足をとられ、見事に転んでしまった。

「……。」

起き上がる力がなわけではない、起き上がる気がしないだけだ。受身を取る気にもならなかったため、身体全体が鈍く痛んだ。

服が泥に汚れたが、気にはならなかった。

そのまま仰向けになって、空を見る。

「疲れた」

何に?

「もう、疲れた……」



まっすぐ、まっすぐ走って。

がさがさという音に、少なからずの期待を託して、トアンは音のほうを見た。

「兄さん?」

ひょこり、金髪が頭を出す。

が、

「あ! ……トアンかあ」

「チェリカかぁ」

顔を出したのはチェリカ。どうやら互いに互いを、レインだと思っていたらしい。

互いに笑顔になるが、落胆の色は隠せない。

「戻ってきちゃったね、しかも」

そういわれるまま辺りを見渡すと、成程。トウホの小屋が見えた。

「おーい、見つかった?」

寝ぼけた顔のトウホが窓から顔を出すが、トアンたちの表情を見て苦い顔になった。

「見つからねーか」

「だっておかしいよ。私とトアン、別の方向にいったんだよ? それに、私はまっすぐ進んでたのに」

「オレもです」

「トアンも?」

「この森は、霧とかでてるときはやばいんだ。……森が、人を選ぶ」

「え?」

「俺とこの森に住んでるシロだって、お前らを見つけんの、ジャスミンが居なかったら無理だったぞ。倒れてるお前らのすぐそばに、ジャスミンがいたんだ。賢い仔だよ」

こっちにこい、トウホの手がトアンとチェリカを呼ぶ。

「でも……ウィルがまだ……」

「あいつもいったの?」

「はい」

「まだ戻ってこない……か、ひょっとしたら、あいつは探せるかも」

「私もいく!」

「駄目だ」

きっぱりと言い切って、チェリカの服を掴む。

「今度は帰ってこられるかわかんねーから」

「そんな、だって森がひとを選ぶなんて、」

「信じられない?」

「……ん」

「チェリカ、気持ちはわかるけど、ここは信じてくれ。トアンもな」

わし、大きな手がゆっくりと頭を撫でた。

腑に落ちない気持ちは拭えないが、この森にすむトウホの言葉を、真実と見ないわけにはいかなかった。


開けた地面に寝転がる彼を見つけた瞬間は、それが何かわからなかった。

一瞬目を逸らし、他の方向を見ようとして、またすぐに視線を戻した。黒いシャツに、泥に汚れた柔らかな金髪と透けるほど白い肌。それは、自分が探していた人だった。

「……おい!」

駆け寄って、自分の膝で支えて抱き起こす。血の気のない顔と閉じられた瞳に、心臓が一瞬止まった気がした。肌も、ゾッとするほど冷たい。

「おい、おい? レイン、おいってば!」

必死な揺さぶりに、夕焼けを思わせる瞳がうっすらと見開かれた。ほっと、ウィルは安堵の息を漏らす。

「なんだよ、心配したんだぞ」

そういって空を仰ぎ、降り続ける雨に顔をしかめる。

「雨かなり冷たいから、風引くぞ。さ、帰ろうぜ」

「……」

「だんまりか。……ま、しょうがねえ」

レインの状態はシアングから聞いていたのだ。反応のなさに少し落ち込んだが、目を開けてくれたことがなによりだ。


「……い」


「え?」

雨音に混じって聞こえた、小さな、でも確かな声。

「レイン、今なんて──?」

「…………」

「は、気のせいか」

確かに聞こえたんだけどな、と呟く。呟いてから、まあいいかとその身体を持ち上げたとき。

「うるさい」

小さな声が、先程より強く、聞こえた。聴いた瞬間はその言葉の意味がわからなかったが、間をおいてから理解した。

「う、うるさい? お前のために来たんだぞ! それなのに、なんだよそれ!」

「……。」

「……あ」

思わず怒鳴ってから、慌てて口を噤んだ。この状態のレインを怒鳴りつけるなんて、正直自分はバカだと思う。

「あ、ごめ」

「……ほっといてくれ」

「レイン」

漸くレインと会話ができたのは嬉しいが、レインの瞳は心ここにあらずという色をしていた。感情が読めないというより感情が感じられない。

「ど、どうしてそんなこと言うんだよ」

「……。疲れたんだ」

「疲れた?」

「もう、オレは疲れた」

「疲れたって、何にだよ」

「戦うのも、守るのも──。」

開かれたままの瞳に、空から雨の雫が落ちた。それは、スッと線を描きながら、こめかみのあたりに消えていく。

まるで、涙のように。

「……生きてりゃいいことあるって、絶対。そうだよ、これから沢山……」

「てめぇに何がわかる!」

ウィルの言葉をさえぎって、レインが吼えた。瞳にはハッキリとした拒絶の意思が映り、それは、悲痛な悲鳴のようにも聞こえる。

ウィルだって、何も悪気があったわけではない。ただ元気付けようとしただけだ。

だが、彼の少年らしい真っ直ぐすぎる考えは、レインにとっては眩しすぎて、煩わしいものだったのだ。

「てめえに何が背負える! 何が裁ける!? オレの過去知ったからって、わかりきった口利くなよ!」

核心に近い部分を言われ、ウィルは言葉をなくした。

(また、オレ、傷つけた……? オレは、オレはただ、レインを守りたかっただけなのに)

叫び続けるレインの瞳から、雨がまた零れた。

「オレは、アルを二回も亡くした。オレの所為で、あいつを二回も辛い目に合わせた!」

(違う)

「ハクアスだって、オーラだって! オレの所為で不幸になった」

(違う、違うだろ)

「オレの育て親だって……ッ」

「レイン!」

「!?」

否定ではなく、名前を呼んだ。

レインは固まったように、目を開いて息を呑む。

(こんな顔とか、やっぱするんだな)

深呼吸を一回。熱くならないように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「レイン、確かにそうだよな、皆キツイ目にあってる。でもな、」

「……?」

「一番傷ついてるの、お前だろ。」

「な、に?」

「目の前で沢山、人が死んだ。お前が殺したのもヤツらも、殺されたヤツらも。」

ザア、雨の冷たさが感じられない。

自分の髪に雨粒が染み、頬を伝ってレインの服に落ちても、そのなぞられる感覚だけ。

「オレ、さ。やっぱりまだまだ子供だ。お前みたいに、うまく流せないし熱くなっちまう。お前のことも、わかったふりとか、してた」

「……。」

紫の瞳と朱色の瞳が、ゆっくりと瞬きをした。冷たく反論しないで聞いてくれてる彼に、安心する。

「オレ、シアングみたいに前から引っ張っていくことも、トアンみたいに後ろから見守ることも、できないけど。お前のすぐ隣なら歩けるよ」

「隣?」

「そう」

まっすぐに見返してくるレインの瞳に、恥ずかしくなってすこし視線を外す。

「……。」

「オレ、努力するよ。お前のしたこと、背負いきれなかったらオレも背負う、背負わせて欲しい」

「…………」

「だから……一緒に行こうぜ」

「……は、」

小さくこぼされたのは、苦笑だろう。

レインはウィルの服を引っ張って耳を引き寄せると、掠れた、しかし綺麗な声で言った。

「口説き文句、もっと練習しな」

「な、なんだよそれ!?」

思わず赤面して顔を離すと、くつくつとレインが──笑った。

「てめぇみたいなののショボイのに捉まるなんて……。今日は妥協してやる」

貶されていることがわかったがレインがあまりにも楽しそうに言うので、ウィルは反論せずに赤面した顔を隠すように俯いた。

「オ、オレで遊ぶなよ」

「さあ、どうだか……」

「なんだよ、もう」

互いに顔を合わせて笑う。

決してけせないものも、降り続ける雨に流されたような気がした。彼とこうして笑い合うまでに、随分時間がかかってしまったが。

「さ、帰るか。皆心配してるぜ」

「……。」

ゆっくりとレインは身を起こしたが、その姿勢のまま立ち上がろうとはしない。

「立てない? ほら」

ウィルは立ち上がると、背中を向けてもう一度しゃがむ。

「は?」

「おぶってやるから」

「んな真似できるか」

「でも帰れないじゃん。早くしろって」

「……」

渋々、といった表情でレインが手を伸ばす。よ、と声をだして、ウィルはゆっくりと立ち上がった。やはり、重みはほとんど感じない。

「ハズい」

草を掻き分けて歩きだすと、レインが小さくぼやいた。

「なにいってんだよ。……それに、お前軽すぎ」

「あ、そ」

「ちゃんと食ってんの?」

「あ」

「え?」

間の抜けた声に足を止め、どうしたのかと後ろを伺うと、レインは空を見上げていた。随分と幼い、ぼーっとした表情をして。

雨はいつの間にか止んでいた。

深い緑の隙間から、──虹が見える。

「虹じゃん、久々にみた」

「にじ?」

「え、レイン知らねえの?」

「ああ」

「ふうん」

「……何笑ってんだよ」

「え、いや。なんでも」

「キモイ」

「うるせえ」

(レインの知らないものとか、これから沢山見せていけたらいい、なんて)

前を向いて、後ろのレインに見えないように笑みを浮かべる。

踏み出した足は、仲間の待つ家へと向かっていった。


「……はあ、緊張するな」

蝋燭と暖炉の明かりが神秘的に照らす、暖かな部屋。外には既に闇の戸張がおり、それが一層明かりを引き立てていた。

「トアンは見てるだけなのにー?」

隣で、珍しく髪を結ったチェリカが笑う。

買ったローブはハクアスの血がついていたために、彼女はトアンが出会ったときの白い法衣を着ていた。

正装、といった雰囲気だ。

「だってオレ、……初めてだから、こういう儀式見るの」

「そっか」

ごめんごめん、チェリカは舌を出して笑う。

トアンも笑い返すと、緊張をほぐすように深呼吸した。


ウィルがぐったりしたレインをつれて帰ったのは、夕方頃。動かないレインにトアンたちは慌てたが、ウィルが言うには彼は眠っていただけだったようだ。

「来るまでに眠っちまったんだよ」

そういって苦笑するウィルは、随分大人びた印象を受けた。

冷えた体を暖炉の前で乾かし、シアングが温かいコーヒーを入れた頃。くしゃみを一つしてレインが起きた。

皆大喜びでレインに飛びついたため(主にチェリカとシアング)疲れていたレインは早速不機嫌になり、心配したと笑うトアンに蹴りを入れ、やめろよと怒るウィルに殴りかかり、互いに自棄になって取っ組み合いの喧嘩に発展した。

ルノが魔法で足を凍らせたところ漸く冷静さを取り戻し、ばかばかしいとふてくされてコーヒーを飲む。そうしてみるレインは、随分幼い印象を受けた。

トウホは彼の心が戻ってきたことに酷く感心し、なにやら大量のメモを取っていた。

そしてそれが終わった頃、ウィルとレインに一つ提案したのだ。


「パートナーの儀式、やったらいいと思うぜ」


と。

ついでにトアンがパートナーの儀式を見たことがないというのもあり、こいつの見本になるから、と強引に言い切ってしまった。

実際、トアンは未知のものに対して強い好奇心を感じていた。だが、自分だけそう思うのは、すこし嫌だ。チェリカは城で何度か見ていたようだし、シアングとルノにいたってはもう本人が契約済みだ。

ウィルも初めてだろうが、レインになめられたくないのか虚勢を張って承諾した。

準備があるから、そういって奥へ消える前、トウホはトアンたちに服を渡した。

キチンとした格好になれ、ということだろう。

「そろそろかな?」

蝋燭に照らされるチェリカの顔は、とても幻想的に見えた。トアンは息を飲んでから、ずっと疑問に思っていたことを口に出してみる。

「チェリカは、パートナーいないの?」

「──え?」

一瞬、酷く動揺した顔を見せてから、チェリカは笑った。ぎこちない笑いだったが。

「やだな、居ないよ」

「どうして?」

「ど、どうしてって、……必要ないから」

だったらオレが、という言葉は喉まで出掛って、彼女の一言に消えた。

必要ない?

何故?

魔法使いだけで戦い抜くことなど、いくらチェリカでも不可能だと知っているだろう。

未だぎこちない笑みを浮かべるチェリカ。そういえばトウホの小屋に来たとき、彼女は確かに言ったのだ。ごめん、と。

それが何に対してか、知ることはできなかったが、一つ確信が持てた。

(チェリカは、何か隠してる──)

「ね、ねえ、チェリカ、」

「準備できたぞ、始めるからな」

「あ、ほらトアン、できたって」

「う、うん」

トウホの声にさえぎられて、トアンはそれを言う機会を無くした。このとき暗がりに隠れて死角になっていたチェリカの表情は、何か思いつめた色をしていた。



「いかなる状況においても、互いを守り、信用していく。互いが互いの源となり、一対の翼になる。それを、誓うか?」

優しいルノの声が、歌うように響く。緊張した表情のウィルは力強く頷き、レインは軽く頷いた。それを見て、ルノの隣に立つシアングが続ける。

「翼となって羽ばたく時、汝らは世界を繋ぐ樹を見よう。女神の微笑みに守られながら、終焉を見るまで囀るといい。では、女神にその心を誓え」

シアングとルノは会釈すると、ウィルの動作を見守る。だが、ウィルは一向に動こうとはしない。

「ウィル、ほらネコジタ君のほう向いて」

見かねたシアングの小声のアドバイスに、ゆっくりゆっくり、身体の向きを変える。

当然のように差し出されたレインの掌を取って、身を屈めた。

ここに来てやっと、トアンは何故ウィルが中々動かなかったのかやっとわかった。

神聖な雰囲気が、更に彼を追い込んでいるのだろう。

(ウィル、硬派だからなぁ……)

と思いつつ、見てるこっちが恥ずかしくなってくる。チェリカがこういうことに女の子らしい反応がないのは今にわかったことではないのだが、トアンはどうも苦手だ。

其々が様々な思惑で見守る中、ウィルは酷くゆっくりとした動きで唇を当て、ものすごい速さで首をひいた。まるで、ものすごく熱いものに触れたかのように。

「こ、これでいいだろ!」

「耳までまっか」

「! チェリカ!」

「ごめんごめーん」

慌てるウィルの反応が面白いのか、チェリカは声を上げて笑った。

それで緊張の糸が切れたのか、トウホとシロも苦笑をこぼし、シアングとルノも小さく笑った。それを見て、トアンも。

当のウィルは怒っていたのだが、ふとシアングが思い出したかのように呟いた言葉に肩を揺らす。

「ネコジタ君、お返事」

「わかってる」

レインはスッと手を伸ばすと、突然ウィルの襟首を掴んだ。喧嘩になるなら止めよう、とシアングが足を進みかけたが、それは杞憂だった。


一瞬。


殴られるのかと思いながら、見開いたままの瞳。レインの眼が近くなって、ああやっぱり綺麗だと場違いに考えた。そして、


唇に当った冷たい感覚が何だか理解する前に、それは離れていた。


「額だぜ、ネコジタ君」

「どっちが飼い主か教えねぇと、だ」

「……そう」

呆然と放心するウィルは、固まったままその会話を聞いていた。少しずつ整理してきたのか、次第に口をパクパクさせ、ついに、

「う、うわぁ──!!」

可哀想なくらいの悲鳴をあげ、床にしりもちをついてしまった。

そんなウィルを馬鹿にしたように鼻で笑ってから、何事もなかったかのようにレインは欠伸をした。トアンはまだ固まっていたが、レインに蹴りをいれられ「いだい!」と叫んで正気に戻る。

「ウィルの苦労、絶えないね」

チェリカが茶化すように言ったが、反論することも今のウィルには不可能だろう。

「手のかかるパートナーだこと……まあ頑張れよ、ウィル」

「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ! 何だよ今の!」

「ネコジタ君なりの先制布告じゃねーの?」

「オ、オレのファーストキス……彼女ができるまで取っといたのに」

(以外に拘るタイプなのか)

半ば呆れてシアングが頭を掻くと、いつの間にか隣にレインが居た。勝ち誇ったような笑みを浮かべたままで。

「ちょっとやりすぎたんじゃね? ウィル、そーゆーの慣れてないだろ」

「慣れてたら意味ねぇじゃんか。それより……シアング」

「ん?」

「ルノと契約してるんだろ」

「……ん、まぁ」

あいまいな返事をして目を泳がすシアングに、レインが顔を近づける。

「そん時、さっきみたいなことやったのか?」

「や、ネコジタ君までは。でも形は」

「オレ、どうせならアンタと組みたかったぜ」

「へッ?!」

不敵に笑うレインに、シアングは間の抜けた返事を返した。見つめるレインにはやはりどこか影があり、その分艶めかしさが強調される。

「アンタの方がよっぽど面白そうだ」

「あの……それはどういう意味で?」

「フフ、いろいろ」

スルリと巻きついた腕を振りほどけず、シアングが困っている、と。

「こらぁレイン! 何をしている!!」

「ち」

ベリ、ルノに引き剥がされるとレインはペロリと舌を出した。見つかった、という風に。

「お前は! お前というヤツは~!!」

「なんだよ嫉妬の鬼」

「お母様、もうその辺で」

「ざけんな、誰がお母様だ」

酷く厳かに始まった儀式は、酷く賑やかに終わった。チェリカは暖炉の傍のソファに座って冷めたコーヒーを飲むと、トアンも座るように言う。

「お兄ちゃん、やきもちだよね」

「……兄さん、はあ」

「苦労が絶えない?」

「う、うん」

「でもさ」

「え?」

「こういうの、私好きだよ。厳かなのも綺麗だけど、賑やかな契約の儀式初めてだもん」

そういう彼女に、トアンは決まり悪そうな笑みを浮かべた。チェリカはコーヒーをもう一口飲むと、ちいさな声で呟いた。


「……ずっと、このままだったら良いのに……」


その一言は、トアンの耳にも微かに聞こえたが、ハッキリとは聞こえなかったため気にしなかった。

暖炉の火が、チェリカの青い瞳の中で、紅く紅く燻ぶっていた。

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