第23話 ふたりぼっちのシーソーゲーム
それぞれがそれぞれの方法でその一日を過ごし、どんよりとした雲に覆われた空が朱色に染まるころ。
そんなに寒くなくなったが、コタツが暖かいので出たくないというチェリカは、暑くなったら出、涼しくなったら潜り込むという動作を繰り返していた。
そしてすぐそばで欠伸をするトアンにちょっかいをかけてみる。
「なんかさー、ヒマだよねえ」
「う、うん」
「でもリラックスできるのはいいけど。……つまんないのはやだなあ」
ごろん。
チェリカが寝返りを打つ。
「トアンも入れば?暖かいよ」
「確かに。コタツって気持ちいいよね」
「だよねえ」
そんな他愛もない話をしている、そのときだった。
『助けて……』
「?」
ガバリと顔をあげてあたりを見回すが、誰もいない。
言っておくが、チェリカの声ではない。
「どしたのー」
「あ、いや」
(幻覚……? )
ふと、チェリカの後ろの窓が目に付いた。
森が見える。
この家は丘の上にあり、見晴らしがいいため背の高い木の頂点が見える。
そこに、
人影が見えた。
「あ」
「え?」
「チェリカ、そっと後ろ見て」
訝しげながらも、チェリカがさり気なさを装いながら後ろを向き、あ、と声を上げた。
「あのひとだ」
「レイン、さん……だよね」
確かに、木の上に大ガマを突き立て、それに寄りかかるようにこちらを見ているのは、あの暗殺者。
「どうする?ルノさんに言ったほうが」
「ううん、行こう」
「へ?」
もそもそとチェリカが立ち上がり、マントを羽織る。
「ちょ、ちょっとチェリカ?」
「あのひと、説得したい。ほっとけないもん」
「オレも行く!チェリカ一人じゃ危ないよ」
「ありがと!……お兄ちゃんたちに見つからないようにいこ?心配しちゃうから」
「そうだね」
カチ、トアンの剣が小さく鳴る。
駆け出したチェリカを追って、自分も走り出した。
はあ、と漏れたのはため息。
マフラーで覆われた口から、ため息は止まらない。
あそこに、ルノがいる。
今度の命は、実はルノを連れ戻すこと。殺してはならない、邪魔する奴は殺ってよし。
ハクアスの上官が出したものだが、ハクアスは心配そうに手を振っていた。
気をつけてね、と。
彼が言うなら気にしないが、気になるのはガナッシュもそう言ったこと。
気をつけろ、と。
しかしいったい……
「何に気をつけろってんだよ」
レインはもう一度、ため息。
眼下に見える小さな家。そこには確かな平和がある。
「……バカみてぇ」
自分はこんなにも、暗闇に塗りつぶされている。
いつかは自由に……
と、窓の明かりに青い髪が映った。あれは確か、ルノの仲間の、
『レイン、逃げてぇ!!』
ズキン!
突然頭に浮かんだ悲鳴。そして、右目に走る激痛。……誰の声だろう?
「いッ……うう」
燃えるような痛み。眼帯の下の、瞳がうずく。
「な、なん……?ど、して」
この瞳は、怖い。
左の朱色の瞳とは違い、この瞳は、何故かとても怖い。
「くそッ」
思わず足元がふらつき、慌てて葉に刺したカマの柄に縋るが、あっさりと抜けてしまった。
耳元で風が鳴る。
地面が段々近づいてくる。
「危ない!!」
切羽詰まる声とともに、強い衝撃を受けた。
「うう」
落ちてくる少年を見つけたとき、トアンは全速力で走りだしていた。
なんとか腕に抱き留めたが、強い衝撃はビリビリと腕を襲った。歯を食い縛って少年を落とすことは避けたが。
そのまま地面に倒れこんでしまう。
「あー!」
やれやれ危なかったと閉じた目をチェリカの悲鳴で見開く。
くるくると弧を描きながらカマが落下してきた。
「うわ!」
ガィン!……キンッ!
倒れたまま少年がいるため動けず、目は再びしっかりつぶる。……が、一向に痛みは訪れず、ゆっくり目を開けば、
少し離れた地面に刺さったカマ。
そしてトアンと少年を挟んで離れたところに落ちているブーツ。
──右のブーツがなく、靴下で走ってくるチェリカ。
「危なかったねー」
「チェリカ……今の、君が?」
「うん」
なんとこの少女、自分のブーツを脱ぎ捨てカマに向かって投げ、落下地点をずらしたのだ。
「ありがとう……助かったよ」
「いいのー。そのひと無事?」
「あ、うん」
トアンがゆっくり体を起こし、ぐったりした少年の顔を覗き込む。
以外にもその顔は、随分と幼かった。
「どうしよう。やっぱりみんな呼んだほうが」
「うーん。でも、やっぱりお兄ちゃんが来る前に話したいし」
「だけどこの人が起きないと」
「──起きてる」
突然のことに、わ、とトアンが驚いて手を離す。
不機嫌そうに少年が起き上がった。
「あ、よかったー」
「……。お前ら、一体……?オレが何の目的でここにいるか知ってんだろ?何で助けた? 」
「なんでって……」
チェリカがトアンに視線を送る。送られてトアンは、どうしようもないので照れ笑いをしてみせた。
「意味わかんねー。変な奴ら」
少年は眉間にしわを寄せてから、地面に刺さったままのカマを抜く。
「あのさ……やめられないかなぁ。きみと戦いたくないんだ」
相手の行動に緊張するトアンに対し、杖すらとらないチェリカ。
「オレたち、話し合いにきたんです」
「話し合い……?んなもんやってどーすんだよ」
ジリ、距離をとる少年。
(ダメか……!?)
トアンの背中を冷たいものが流れた。少年の意志は崩せない。いや、意志というより任務は。
(でも戦えない……この人とは。戦っちゃ、いけない)
「オレは──貴方とは、戦える気がしない。戦いたくないんだ! 」
「……!? 」
一瞬、ピクリと少年の眉が動いた。
「貴方はどうかわかりませんが、とにかくオレは! 」
「……せえ」
「初めて貴方に会ったとき、ひどく懐かしい感じがしたんです。だからやめましょうこんなこと! 」
「うるせえ!」
ヒュン!
耳元で風をきる音がした。……そして頬に鋭い痛み。
「トアン! 」
「チェリカ、下がって! 」
言葉だけでチェリカを制し、視線はしっかりと少年に向ける。
間近で、視線が絡み合った。
ほんの一瞬だったのだが、永遠に感じられた一瞬。
(まただ。この懐かしい感じ──)
しかしその時間は突然破られた。
少年が呻き声をあげ、後ろに大きく飛ぶ。
その手は、眼帯を押さえていた。
「ッ……てぇ……」
「お前……ッ!?なんなんだよ、一体!オレに、何をした!? 」
「え? 」
「どうしてオレの目は、お前に会うと痛む!答えろ! 」
「オレは何もしてない!で、でも痛むのなら医者に見せたほうが……」
さっぱり事情が飲み込めないが、この人は自分に会う度に何故かしらないが目が痛むらしい。トアンにはそんなことはないのだが。
だが、この怒鳴り合いが駄目だった。
騒ぎを聞きつけて、シアングとルノが出てきてしまったのだ。
「何だ騒々しい。どうした? 」
「何遊んで……あ!そいつは! 」
最悪だった。
シアングは少年を見るや否や敵意を露にし、ルノは口元を押さえている。
トアンとチェリカの『できるだけ穏便に済まそう』というのは見事に失敗。
少年の睨みの鋭さが一段と増し、朱色の瞳は強い光を纏った。
「シアング、やめて!お兄ちゃんも! 」
「チェリちゃん、何ですぐオレを呼ばなかった?!手遅れになっちゃまずいんだぞ! 」
「話を聞いてってば! 」
なおもチェリカは続けるが、シアングは取り合わない。
その隙に、少年は丘の端……険しい崖になっているところに走り出した。そして崖を背にしてカマを構える。
「あ、待ちやがれ! 」
「駄目だってばあ! 」
チェリカとシアングも走り出し、トアンとルノも続く。
「わりいけど、死んでもらうぜ! 」
シアングが爪をだし少年に飛び掛る。が、一閃したカマによって身をよじることになった。
着地をしてすぐにもう一度飛び掛るが、結果は同じ。少年に一つの傷も与えられない。
「このヤロッ…」
「まるで馬鹿だな。んなもんオレに通用しねえ! 」
ギン!……ガキン!
勢いよく衝突したカマは刃先が折れ、くるくると回転しながら飛んでいく。
──チェリカのほうに。
「チェリカ! 」
「チェリちゃん! 」
とっさに跳んで避けるが、着地したところは崖の縁。
「うわぁ! 」
その勢いでボロリと足元が崩れ、短い悲鳴とともに少女の姿は、消えた。
「チェリカ!!……わ! 」
飛び出したトアンは誰かに突き飛ばされる。
慌てて身を起こしたとき、少女を追って金髪の少年が飛び降りた瞬間が見えた。
「チェリカー!! 」
崖に縋ってみるがもう二人の姿は見えない。
もう、見えなかった。
「う、嘘だ……」
力なく、ぺたんとルノが地面にへたりこむ。
トアンがあわてて駆け寄れば、ルノはガタガタと震えていた。
「ルノさん」
「チェリカが、落ちる、なんて……」
「オレが……ッオレがもっと早く走れたなら! 」
そんな彼をみていられなくて。
トアンが絞りだすように叫ぶと、ルノが悲しそうな目を向けていた。不安と、嘆きの。
「オレのせいだ」
その声に振り替えれば、茫然と立ち尽くしたシアングがいた。
「違うよ、シアングのせいじゃない。そ、そうだ!その翼で」
「……飛べない。森が濃すぎる」
「頼むシアング!チェリカを、妹を探してくれ! 」
あっさりと言い放つシアングに、すがるようにルノは彼の服を掴むが。
「オレだって行きてぇよ! 」
悲痛な叫びに顔を上げれば、シアングも苦しそうな表情をしていて。
今にも泣きそうだった。
「なにがあった!? 」
「トウホさん!! 」
ばたばたと走ってきたトウホに事情を話す。そして青年の口から「暗くなってきたから今日は戻れ」というやさしく残酷な言葉のもと、抵抗するルノを無理矢理小屋に連れ戻した。シアングは落ち込んだまま。
トアンは逆らえない動きのなか、崖に視線を向けた。
「必ず助けるから、必ず生きていて……」
自分の力不足。
もし少年との対立を丸く収められてたら。
もし自分の足がもっと早くて、あの手を支えられたら。
そもそもあの少年を救いたいと思ったから?
(オレは、贅沢なのか?皆幸せにしたいって思うことが……! )
「くそぉ……ッ」
握り締めたグローブに、雫が落ちた。
ひとりでも多くのひとを救いなさい
ひとりでも多くの人を幸せににしなさい
ひとりでも多くの人を笑わせなさい
(どうして……? )
それが貴女の役目だから
(だけど、そのためにいくつ犠牲を払えばいいの?それは許されるの? )
それは仕方のないこと
貴女は導きのひかりなのだから
(そんなのイヤだよ! )
世界の存続を決める六人の賢者を選ぶことが貴女の使命。
世界を救うのも滅ぼすのも、救済。救済をすることが貴女の使命。
そしてひとを幸せにするのが貴女の使命。
(いやだ、そんなのいやだよ! もうやめて!! )
「ハルティアァ!!」
自分の声に驚いて、チェリカは目を覚ました。
キョロキョロと辺りを見回すが、辺りは木、木、木。
「あれ、私、どうして、……? あ!! 」
ガバリと身を起こす。
チェリカが倒れていたところの回りにはうずたかく積もった沢山の枯葉。それがクッションになってくれたようで、崖から落ちた衝撃や痛みはまったくない。
そして、そのおかげだけではない。
「レイン……。」
自分の下敷きになってくれていたようだ。葉に埋もれた少年はぐったりとしていて、まだ気を失っているようだ。
「……」
チェリカは自分のマントを少年にかけ、パタパタと走りだした。
「ん……。」
レインが目を覚ますと、辺りはもう暗やみに包まれていた。
「オレ、なんで……。あ」
崖から落ちる少女の体を捕まえて、なんとか飛ぼうとしたものの飛べず、葉が生い茂る木の枝を突き破りつつ落下した。それが減速してくれたらしい。
しかも運のいいことに枯葉の山に墜落したようだ。
そろそろと体を動かしチェックする。
「腕は、動くな。どっか折れたかと思ったが……いっ!」
右足を動かした瞬間に強い痛み。折れてはいないがひねってしまったようだ。
「失敗ったな……チッ、やべぇかも」
再び痛みが走り顔をしかめる。
痛みといえば、あれほど痛かった瞳はまったく痛まなくなった。……やはり、原因はあの青髪の少年のせいだろうか。
(でも、あいつ……)
ブーツの紐を解き、靴下を脱ぐ。
(会ったのは初めて、なはず。なのに、どっかで──?)
ポーチから水筒とタオルをだして、赤く腫れあがった足首に水で冷やしたタオルを乗せる。
熱をもった部分が冷やされて気持ちはいいが、その回りの肌はヒンヤリした空気に晒される羽目になってしまった。
(……。ま、いい。……あのガキはどこいった?)
考え事を打ち切って、先程自分が庇った少女を探す。──が、その姿を捉えることはできなかった。
「逃げたのか? いッ! 」
捜しにいこうと立ち上がり、──思わず悲鳴をあげて崩れ落ちた。
捻った足を忘れていたのだ。
(ダメだな──役に立たねぇ。……逃げたんなら別に構わねぇか。なにしろオレは、)
あいつにとって兄を殺そうとした奴なんだ。
自分にかけてあったマントはせめてもの気遣いと思い、少年は再び目を閉じた。
パチパチパチ……
暖かい。それに、なにかいい匂いもする。
(焚き火か……な、なんだって?! )
ぼんやりと考えてから、慌てて目を見開いた。
その瞳に映ったのは、焚き火の前にちょこりと座った少女。
「な、何で……」
「あ、起きたんだぁ。先に起きたから見回りしてきたんだ」
庇ってくれてありがとね、といって少女は笑う。
「……お前、何で逃げなかったんだ? 」
「なんでその必要があるの? 」
「なんでって……」
「きみにもう敵意はないじゃん。でしょ? 」
なんともないようにサラリといわれた一言だが、少年は驚いた。
(オレは敵意が、ない……? どうして……)
混乱して黙り込む少年に構わず、少女はポケットから小さなプレートを取り出す。
そしてそれを少年の手に握らせた。
「これは、オレの……。無くしたかと思ってた。いらねぇけど」
「大事なものじゃないの? 」
「……。」
「名前は大事だよ? レイン」
「…………見たのか、ガキ」
「うん。ガキじゃないよ、私はチェリカ」
もぎたてらしい熟れたリンゴを一つ差出しながらチェリカは言う。
「いらねぇ」
「食べなよ、美味しいよ」
「いらねって、んッ」
差し出された手を払い除けるが、口に無理矢理詰め込まれた。
酸味の中に甘味が強く、シャリシャリとしたそれはとても美味しい。
「……うまい」
思わずつぶやいて、口をパッと押さえるレインを不思議そうにみながらチェリカもリンゴを一つ手に取る。
「これ、なんだ? 」
「リンゴだよ。知らない? 」
「ふーん」
「美味しいよね」
「不味い」
「さっき美味しいっていった」
「あれは……」
もぐもぐと口籠もるレイン。
チェリカはにこりと微笑むとシャリシャリとリンゴをかじった。
「ここね、おっきな蟻地獄見たいになってて登れないんだよ。出口はあるけどおっきい木が塞いでるの」
「……」
「きいてるー?」
「…………あぁ」
またリンゴを一つ食べおわり、すぐそばに置くチェリカ。すでにリンゴの芯の山ができている。
一方レインはまだ最初の一つを食べながら、この少女を不思議そうにみていた。
(オレが怖くないんだろうか。それにこの食った量、ちっせぇ体のどこに入ってんだか)
半ば呆れたように見ていると、もうひとつ山にリンゴの食べ残しがふえた。
「木ってなんだよ」
「おっきい木が道塞いでるの。はまってるみたいに」
「はー……」
レインは朱色の瞳を目蓋に隠した。
「ま、明るくなりゃわかるだろ」
「うん……」
沈んだ表情のチェリカに、レインは少し眉を動かした。
「どうした?」
「うん……。お兄ちゃんたち大丈夫かなって。私は脱走とかよくするけど、あんまり外にでれなかったから。結構不安がり屋なんだ。」
「ふーん。不安がり屋、ね」
聞き慣れない言葉に、レインは繰り返してみる。
「レインは? 家の人とか大丈夫?」
「オレに家なんて無い」
「え?」
朱色の瞳が焚き火に吸い込まれる。白い肌に、パチパチと火が映った。
「記憶がないんだ」
ポツリ。
あまりにも突然につぶやかれた言葉。
チェリカの丸い目がさらに丸くなった。
「記憶喪失なんだ」
「あぁ、そうだな」
「だからこんなに、迷子なんだね」
「は?」
「でもきみ、結構喋ってくれるんだねぇ。よかったよかった」
「おい、ちょっと待て。おい」
「やっぱりいいひとだった。うん」
「……はぁ……」
勝手に話を進めるチェリカに着いていけず、レインはため息を零した。
まったくこいつといると疲れる。
でも何故か、疲れているのに、疲れるのに、落ち着く。
「ん、寒い? 」
「いや、別に」
「そー」
頷くと、チェリカは自分の手に息を吹き掛ける。
「お前が寒いんだろ」
「実はそーです」
「……ほら、マントきてろ。お前のだろ」
「ううん、きみがきてて」
「はぁ? 」
「風邪ひいたらこまるでしょー? ……クシュ! 」
言いおわるやいなや、盛大なくしゃみを一つ。
そして彼女は決まり悪そうに笑った。
「お前が風邪ひくぞ」
「あー、私は丈夫ですから」
「嘘をつけ」
レインがマントを渡そうとすると、チェリカは嫌がるように首を振った。
「ホントに風邪ひくぞ」
「ん、大丈夫」
「聞く気がねぇなあ」
「レイン、やさしいね」
チェリカがまた笑う。
その感情は、レインには今一よくわからなかった。
(優しい……ねぇ。でも優しいって何だ?)
少しずつ、わからないことが増えていく。少しイラついた。
「明日にはここから出られるといいね」
「そうだな」
「……出られるかなあ」
ポツリと不安そうに呟いたチェリカ。今までのは不安を隠してたのかとレインは悟る。
(まいったな……ガキの慰め方なんて知らない。……あ)
黒いグローブに包まれた手が触れたのは、自分の腰のポーチ。
「手、だせ」
「? 」
小さな手が差し出される。
ポーチから小さな包みを一つ取出し、チェリカの手のひらに乗せてやった。
「これ……。」
「食え。…………うまいから」
包みを開けると、正方形の形をした菓子が入っていた。それがなにかぐらい、チェリカも知っている。
それは、
「チョコレートだ」
「あぁ」
「うん、甘ーい。おいしいねぇ!レインってチョコ好きなんだ」
「ビターは、だ。それミルクだろ。オレはミルクは食わねぇ」
「意外にチョコ詳しいんだね」
青空が瞬きに隠された。
「悪いか」
「悪くないよ。ただ意外だなって思って」
小さく、また笑う。
「ありがとう。なんか安心したよ。……ふぁ」
「寝てろ。火はオレがみてるから」
「ん」
ゴシゴシと目蓋をこすり、ごめんねと告げた。そしてそのまま、横になって丸くなる。
すぐに聞こえてきた寝息に、レインは彼女のマントと自分の上着をかけてやった。
ふとここで、安堵している自分に気付く。
「……? 」
(安心? ……。)
まだよくわからない感情だったが、朱色の瞳は穏やかな色を宿していることを、レイン自身は知らなかった。
目を開ければ闇。どうしようもない不安。
「…………。」
ゆっくり身を起こして銀髪をかきあげた。
「ルノさん」
「!」
「驚かせちゃった?」
振り替えれば申し訳なさそうに笑うトアンがいた。
「お前、まだ起きていたのか」
「うん。ルノさんも眠れない?」
「まあな」
ルノのベッドにトアンは腰掛け、寒いねと笑いかける。そして月明かりのしたで輝く銀髪に、一瞬見惚れた。
「……トアンは何故、そこまで安心していられるんだ?」
「え? あ。……いやさ、変な話……。オレはチェリカのことも信用してるけど、あの人のことも信用……してる」
「あの人? ……あの暗殺者か」
「うん。だってわざわざ飛び降りたんだよ? 逃げたっていうより、チェリカを助けにいったんだと思う」
「……」
ルノがうつむいた。銀髪がさらりと零れ、表情を隠す。
「そうだな」
長い沈黙の後、かえって来たのは意外にあっけないものだった。
「お前がそういうなら」
「え、えええ? そ、そうかな」
慌てるトアンを見てルノがクスリと笑った。
それを見てトアンは安心する。ああ、やっと笑ってくれた、と。
「それに、あいつもきっと──被害者なんだろうな」
「被害者?」
「ああ。アリスの箱庭に、ハクアスという研究者がいたんだ。あいつは頭もキレるし性格も捻じ曲がってるし、とにかく最悪なヤツでな」
軽い口調と裏腹に、ルノの顔には苦渋の色が浮かんだ。
トアンは座りなおして耳を傾ける。
「あいつは、もともと私の研究に関わってなかったのに、いつの間にかやってきて、いつの間にかいた。そしておそらく、あの暗殺者はハクアスのお気に入りだろう。だから私が逃げ出したせいで、また自分にハクアスが絡んできたと思っているみたいだ。」
今はもともとやっていた研究に戻っただろうしな、と、ルノは最後にそう付け足した。
私はどこまでっても疫病神だな、とも。
トアンは、黙ってルノの冷たい手に自分の手を重ねることしか、できなかった。
(気のきいたセリフなんて……オレは思いつかない……)
「ねえルノさん。もしあの人をオレが助けたいって言ったら、反対する?」
「何故そう思う」
「命を狙われたから、さ」
「……いや。反対しない。それがあいつのためになることはきっとだろうしな。……もしあの暗殺者が仲間になったら、和解でも求めてみるさ」
ひょいと肩をすくませてみるルノの表情は楽しそうに笑っている。
「よかった。……また、笑ってくれて」
「そ、そうか?」
「そうそう。……シアングも笑ってくれるかな」
「変なところで強情だからなあいつ。……でも、羨ましいくらい来るもの拒まずだからな。大丈夫だろう」
「そうかな。そうだよね。……寒いね、そろそろ寝ようか?」
「ああ」
ルノがもそもそとベッドにもぐりこみ、そして手招きした。
「え、え?」
「寒い。一緒に寝よう? すまないが布団が冷たくて眠れそうにないんだ」
「で、でもさ」
あわわと手を振るトアンに対し、ルノがむっとした顔になった。
「何遠慮してる。……寒いから湯たんぽ代わりになってくれといってるのに」
「おっはよー!」
「……ん、あ?」
いつの間にか寝ていたらしい。レインが左の目をこする前で、チェリカが笑っていた。
「朝は冷えるからねー、あ、湧き水汲んで来たから顔洗って」
「ああ」
悟られないように、傷ついた足をかばいながら立ち上がり、大きな木の実の殻をくりぬいて作ったらしい桶の前に座る。
「眼帯は? 外さないの?」
「──あ」
(やべ……こいつがいたんじゃ外せない……)
「見られるの嫌? だったら私目つぶってるから」
「あ、ああ。わりいな」
「いえいえ」
少女が目隠しをしたのを確認し、眼帯を外す。
水に映った右目に若干抵抗しながら、冷たい水をバシャバシャとかける。おかげで、気分がすっきりとした。
それに久しぶりに両目で世界をみれた。別に感動したとか緑が素晴らしいとかはまったく思わなかったが、ほんの少しだけ暗殺部隊から解放されたような気がして。
「レインーまーだー?」
「ああ、わりぃ」
慌てて顔を拭き、放り投げた眼帯に手を伸ばす。
今度は、自分からひかりを捨てた気がした。
「さてさて脱出計画といきましょーか」
「そんな風にいうことか……ッ」
踏み出した右足に、激痛が走る。
「どうしたの?」
「いや……。なんでもねぇ」
「ホント?」
「あぁ」
歯を食い縛る真似なんかしない。 フラつく体を誤魔化し誤魔化し、チェリカについて歩きだした。
「ねー、ホントに大丈夫?具合悪そう」
「うるせーな。前みて歩け」
「ひどいなぁー」
前を歩くひょいとチェリカが小川をジャンプする。そしてはやくー、とでも言いたげに笑った。
(どこまで見抜いてんだか)
どうせ大した水は流れてない。ブーツが濡れるのに構わず小川を突っ切った。
「跳べばいいのに」
「ガキっぽい」
「失礼しちゃう」
「言ってろ」
今度はレインがチェリカの前を歩く。……が、すぐに追い付かれてしまう。
「辛かったらいってね?ちゃんと」
「…………」
それ以上何も追求してこないチェリカに多少安心しながら、表情はあくまで不機嫌を装う。
──が。
「危ねぇ!! 」
「!! 」
チェリカの体越しに、緑色の蔦が向かってくるのが見えた。
──反射的にその小さい体を抱えて飛ぶ。
「ぐあ!」
着地した瞬間、思いっきり右足をつき、激痛が走った。いくら隠してももう遅い。
「レイン、どうしたの?ねえ!?やっぱりどっか痛いの?! 」
「な、……なんでも……ねぇ……逃げろ」
「やだよ!」
「逃げろって!早く!!」
「いやだ!」
鋭い目で怒鳴るレインに臆することなく、チェリカは彼の腕から逃れる。そのまま杖を構え、蔦の先を見る。
唯一の崖を登る道を塞ぐ、巨大な木。昨日と同じ。
…しかし、唯一違う部分があった。
昨日はなかったものだが、そこの木のほりに浮き出ているのは、真っ赤な目と大きく裂けた口だった。
「人面樹! 」
「キキキキキ、よくお分かりで! 」
何とその木は大きな体を揺らし、愉快そうに笑った。その声は聞いてるものを不愉快にさせる声だったが。
「あー喋ったー」
「喋っちゃ悪いのかいお嬢さん?こんな森も奥までくようこそといってやろう。俺様の養分になりにな!」
「……あのね、私たちそこ通りたい
んだ。通して、友達が怪我してるの」
友達、と言うところで蹲るレインの顔が一瞬呆けたが、すぐさま逃げろと叫ぶ。
「通す?何を言ってる。せっかくの食料を!」
「できれば穏便に済ましたいんだよ」
「ふざけるな! 」
次に襲ってきた蔦を避けるが、それは自分に向かったものではなかった。
動けない少年へ向けて。
「レイン!!」
慌てたチェリカが声をかけるが、そこは一応鍛えられた暗殺者。
ギイン!
折れたカマを盾にし、蔦を弾いて軌道をずらす。
カマに寄りかかるように立ち上がって自分も戦えることを現した。──その表情は苦痛に満ちていたが。
「ガキ」
「私は逃げないよ」
「……わかってる。チェリカ」
不意に名前を呼ばれた。
あまりにも突然だったので一瞬何のことかわからなかったが、すぐに自分の名前だと認識した。
なんだか嬉しくて顔がほころぶ。
「うん。チェリカだよ」
「お前魔法使いだろ。オレが時間稼ぐから」
レインは喋りながら、襲い掛かる蔦を見ずに振り払う。チェリカはレインの反射神経が相当優れていると思う。
(お兄ちゃんと大違いだ)
「なんとかしろ。いいな?」
「お任せあれ」
「よし、いい返事だ」
彼はニイ、と笑うと人面樹に向き直った。
(5分が限界だが……こんくらいの魔物ならなんとかなるな)
「チッ……キリがねぇ! 」
何度蔦を切っても、新しい蔓が伸びてくる。しかもそれに油断していると、人面樹が大きな体をくねらせて覆いかぶさろうとしてくるのだ。
それに、右足がものすごく熱い。
限界が近いのだろう。まだ、限界だと思った5分には程遠いのに。
「チェリカ、まだか!?」
「ごめん……魔力が……集まらない!」
チラリと横目で見れば、集中しようと閉じた瞳と焦りの表情が見えた。
「こんなこと今までなかったのに!どうして……」
「落ち着け!! ……ガハッ!」
バシン!
太い蔓が鞭のようにしなり、少年の細い体を直撃した。
「レイン!!」
気を失えば楽になれるのに、レインは立ち上がる。
そうして自分の代わりに攻撃を受けるのだ。
(守ってもらってるだけなんて、私らしくない!)
ぎゅ、強く握った杖がドクンと脈動した。
(私の気持ちに、応えてる…。)
ドクン。
さらに応えるように、杖が鳴いた。
(お父さん──)
暗闇に一瞬だけ浮かんだ父の笑顔。そして、優しい声。
「……闇深き其処から現われし紅蓮の竜──」
チェリカの言葉に反応し、大気が震えた。
ポウ、と何もないところに小さな火が空中に浮かぶ。そしてそれは、徐々に数を増やしていった。
「今空の声に目覚め、その目で自ら狂い叫べ! 」
空中に黄金の魔方陣が浮かぶのを見て、慌ててレインが人面樹から飛退く。木の枝に捕まって驚きに目を見開いた。
「ダイクルフレイマー!!! 」
キィィィン!!!
黄金の魔方陣が眩く光り、激しく回転する。
そしてその中央に陣面樹を捕らえると、其れを巨大な炎が包み込んだ。
「ギャアアアアア!!!! 」
ゆっくりとその体が地面に倒れこむ。炭屑となった巨大な体が。
「は、はぁ……」
「チェリカ……すげえなお前」
ぺたりと倒れこんだチェリカの手を引きながらレインが微かだが笑った。
「はぁ…は…ッ……昔、お父さんが教えてくれたの……」
『この魔法でね、俺はセフィを救ったんだよ』
『そうなの? 』
『あぁ。……でもねチェリカ。この魔法は消耗が激しいからむやみに使っちゃいけないよ。父さんも一回倒れたからね』
「や、やっぱり……ちょっと……疲れた、かな」
グルルルルル……
「!? 」
何事かと辺りを見渡す朱色の目が捕らえたのは、たくさんの狼たち。──それも、腐っていた。
「な、こいつら……」
鼻にくる腐敗臭に思わず口元を押さえた。狼が動くたびに、ビチャビチャといういやな音もする。
「死体が動くなんて──」
「……チェリカ、立てそうか? 」
狼の目的はわからないが、なにしろこちらの部が悪い。それに数でも圧倒的に負けている今、この場からに逃げるしか生き残る方法はない。
「レイン、ひとりで、逃げて」
「何言ってんだよ」
「……立てないんだ。足に力が入んなくて──だから、はやく」
「……置いていけるかよ」
「でもこのままじゃ! 」
ジリ、狼の群れと一歩距離が縮まった。
「いいや、なんとかなる」
右手にもった折れたカマの柄を少し撫で、レインが言った。そしてそれにまたがると、チェリカに手を差し伸べる。
「捕まれ」
「え? 」
「ほら! 」
「あ、うん」
ひっぱられるまま柄に捕まらされる。
「あとは自分でしがみついてろ。──いくぞ」
ヴン──
レインのブーツから風が起きる。彼が軽く地面を蹴ると、僅かだが──宙に浮いた。
「とんだー」
「わりぃけど、そんな高くは無理だぜ! 」
ビュン!
風を切って、二人を乗せたカマは道をたどる。あまりにも高さが低いため、地面に足が着かないようにぎゅっと曲げなくてはならなかったし、体中に木の枝や葉が当たって痛かったが、すぐ前のレインの背中から伝わる早い鼓動と辛そうな息遣いから、彼も限界に近い──いや、越えているのだと知る。
「ガウガウガウ!! 」
半分腐った狼の息遣いを感じてチェリカはぎゅっと目をつぶった。
(段々近づいてくる……)
レインの鼓動もさらに早くなっていく。
だが、森はまだ濃い。
(お兄ちゃん、シアング、トアン──!)
「……ッ」
「どうしました?」
突然顔をあげたルノに、シロが話し掛ける。丁度トアンも弾かれたように顔をあげた瞬間だったから、その光景が見えた。
「あ、いや……なにか、胸騒ぎがして」
「ルノさんも? 」
「トアンもか? ……なんなんだ、この感じ……」
不吉な、とルノが立ち上がる。そのまま窓をあけ、屋根のうえにいるシアングに声をかけた。
「おいシアング! おりてこい! 」
「なんだ? ……なにも見えねぇよ? 」
「違うんだ。なにか感じないか?こう、もやもやする……」
するりと窓から部屋に入ってきたシアングにルノがいう。トアンは何気なく窓の外に視線を送った。胸騒ぎにくわえて、一瞬耳鳴りもした。不安が増す。
「あぁ。それはある。っていうか、誰かに呼ばれたような──」
「……シアング、ルノさん、みて! 」
窓から身を乗り出したトアンに二人が続く。窓の外に広がっていたのは、
漸くトウホの小屋が見えてきた。小屋の周りに広がる開けた土地。チェリカはほっと息をついた。
だが、不意に視線を落とすと、自分が捕まってる柄が淡く輝いていた。
「え……? 」
次の瞬間、ガクン、体大きくゆれた。柄が光の粒になって宙に溶け、消滅する。
「うわわわ!! 」
勢いが消えずに二人は地面に叩きつけられ、ゴロゴロと転がった。
「いたた……レイン、レイン?! 」
慌てて隣の少年を揺り動かすが、ぐったりと動かない少年の顔は真っ青だ。
(あのカマ……レインが気を失ったから消えちゃった、のかな……。……どっちにしろ無理してたんだね……)
「グルル……グル」
「! 」
ハッと顔を上げれば、いつのまにか狼たちに囲まれていた。
「どうしよ……」
もう魔力はない。それに体も思うように動かない。
(ばんじ、きゅーすってヤツかな)
でもレインには生きてほしい。どうしたものかとどこか冷静に考えながら、チェリカは狼たちをにらみつけた。
そうしたところでなにか効果があるわけではなかったが、彼女はレインを庇うようにただ睨み続けた。
「グルル……ガウ! 」
それを合図のように、一斉に飛び掛かってきた狼たち。
「……!!」
「チェリカ──!!」
ひらりとトアンがチェリカの前に飛び出し、その剣が向かってきた狼を切り捨てた。さらに別の狼をグローブの堅い部分で殴り飛ばす。
「ト、トアン?」
「大丈夫!? ……くそ、キリがない 」
目をパチクリさせるチェリカにトアンは少し微笑む。が、すぐに狼に向き直り切り付けた。
「チェリカ!」
振り返れば、シアングに庇われながらルノが走ってきた。チェリカのもとに着くと、シアングもトアンに加勢する。
「怪我は? どこか痛いところは?!」
「ないよ、大丈夫。……どうして私たちがここにいるってわかったの?」
「あぁ」
クスリ、ルノが小さく笑った。
「トアンが見つけたんだ。あいつはチェリカのこととなると凄まじい執念だな」
「そうなんだ……」
ほえー、と間の抜けた声を上げるチェリカ。
「ルノ!」
突然のシアングの声に顔をあげると、ずらりと四人を取り囲む狼がいた。
「シアング──どういうことだ!?」
「こいつら倒しても倒しても生き返るんだ。なにしろ死体だし。こいつらを片付けるには……」
「強い火か聖なるもので攻撃するしかない」
シアングの言葉を続けたのはチェリカ。
「そ。チェリちゃん、パパーッと……」
「無理だよ。だって今私魔力スッカラカンだもん」
「……なんですって? 」
「うん」
兄にもたれかかったチェリカを見て、トアンは身を堅くした。
彼女の白い肌は青ざめ、その表情は疲労の色が濃い。今にも倒れてしまいそうだったからだ。
「そか……チェリちゃん無理すんな。オレたちがなんとかする。」
シアングがトアンに同意を求めたとき。
ヒュン!!
「ギャン! 」
一本の矢が流星のように飛来し、狼に直撃する。
何事かと振り返れば、木で作られた素朴な弓を構えるシロがいた。
「シロさん!? 」
「皆さんお怪我は? 」
涼しい顔でまた矢を射つ。
だがすぐに態勢を整えた狼達はシロに狙いをかえた。
「……死体どもが、この私に牙を向くとも?ああなんて愚かなこと」
「シロさん危ない! 」
「その心配はありませんよ、トアン」
その言葉が終わらないうちに、剣を腰に構えたトウホが走ってくる。
その白衣も少しボサボサな頭も頼りなさげに見えるが、その眼差しは、まるで。
「運悪かったな、狼チャンたち」
トウホの振りかざした剣に、ゆらりと炎が宿る。
「ま、これも何かの巡り合わせかと思って……ばいびー」
ブン!!
風を切って炎を纏った剣が狼を吹き飛ばす。トアンは思わず、仲間を庇うように覆いかぶさったが、熱さはこなかった。
みれば、シロが守りの魔法を使ってくれたようだ。
「シロ、聖水まけ! 」 トウホから渡された小瓶を矢に括り付け、狼たちの頭上に放つ。それは雨となってトアンたちに降り注いで、狼たちの腐った皮膚を焼いた。
「あ……ッ」
「ルノ! 」
シアングが上着を脱いでルノの頭からかける。
「なにやってんだよ、火傷するぞ」
「す、すまない……」
「ルノさんが……火傷? 」
「私は一応魔族の血をひいているからな。聖水には触れないんだ」
シアングが覚えていなかったら火傷していた、とルノはいう。
「それにしてもよく覚えていたな」
「あったりまえだろ。何年お前のパートナーやってると思ってんだよ」
わしわしとシアングがルノの頭を撫でた。照れ隠しをしているようだ。
「あまり頭をいじるな。あーグシャグシャになる!!」
恥ずかしそうにその手を避け、ルノがチェリカの顔を覗く。
そこにトウホが走ってきて、チェリカとレインをひょいと抱えた。
「おーい早く家帰るぞ。この二人の具合が気にかかる」
「ああ」
「トアン、帰るって」
「うん」
トアンはぞろぞろと歩きだす皆の後をついていく。
と、狼の屍骸の前にしゃがみこんでみた。
(トウホさんの……あの剣はすごかった。どんな技なんだろう)
黒焦げになった狼の屍骸。
(ここまでできるなんて、チェリカの魔法みたいだ。それに……。この狼たち、どうして、死んでるのに動いたんだろう? )
「トーアーンー」
「あ、シアング待ってくれよ! 」
考えをやめて走り出したトアンの後ろで、狼たちの屍骸は砂になっていく。
そして、風が砂を吹き飛ばすと、そこにキラリと光る小さなプレートが残った。
「はい。お嬢ちゃん、この薬草茶飲んで。魔力切れには果物がいいんだけど、まずは体あっためなきゃな」
「ありがとう」
毛布に包まったチェリカが両手でカップを持ち、一口飲んで幸せそうな顔をする。
「うまい? あー、ちっと苦いかな?」
「大丈夫。おいしいよー」
「そか。んじゃ、それ飲んだら今度はこっちのお茶な。ポポルハーブの茶だぜ」
小さなカップに注がれたそれからは、鼻を刺すような強い刺激臭がした。
「……トウホー、これホントに体にいいの?」
「あったりまえー」
「…………。飲みます。はい」
渋々チェリカが受け取ると、今度はトウホはレインが寝ているベッドに進む。
「まだ寝てる? ……んー、やっぱり服脱がそ。苦しそうだ 」
「脱がすのか? ……そ、それは……」
「なんだよールノーなに照れてんだよー」
「うるさい変態!」
「心外です」
トウホはククッと笑うとルノに隣の部屋から薬を持ってくるように言った。
「ああ、ついでにシロに水もらってきて。あんちゃんとトアンが汲んできてると思うから」
「わかった」
ルノはチェリカに「いい子にしてろよ」と言うと部屋から出て行った。
チェリカはというと眠そうなので、暖炉の前のソファに寝かせてやる。
そして静まり返った部屋で、トウホは少年の顔をまじまじと見つめた。
チェリカの小さい寝息が聞こえ始める。
「……こいつも、暗殺者なのか。こんなに若くてキレイな子が、まあ……」
ハクアスも良くやるぜ、と呟く。
ふと、少年の右目を覆っている眼帯が気になった。
「なんだ……これ」
ゆっくり手をかけるが、少年は僅かに眉を寄せただけで起きる気配はない。
そして、ゆっくりとそれを取り払い、長い睫毛が飾る瞼を開ける。
それは、
「!…………こういうことか……。なるほどね、やってくれんじゃん」
指を離すとすぐにその瞳は閉じられた。
眼帯をかけなおしながら、トウホは少し楽しそうな顔をする。
本来なら苦い表情をするはずだが。
「ふーん、そっかー。なるほどねえ。トアンたちは苦労するなぁまったく……。」
恐らくキークの略か、願いか。
後者だろうなぁとぼんやり考えながら、トウホは少年の服に手をかけた。
白い肌は綺麗だったが、実は随分と傷が沢山ある。
そして、すべてを拒絶したように閉じられた瞳が、どこまでも世界を拒否していた。
赤い部屋だった。
開けたままのドアから、朱色の夕焼け空が見える。
自分はそれを呆然とみていた。いや、──呆然とではない。
震えているのだ。
カチカチとうるさいぐらいに歯が鳴り、震える足は立てそうにない。
(立たなければ)
立って、逃げなくては。
しかし体は言うことを聞かない。
ドタドタ、とどこか悪そうな足音がする。
涙をこぼしながら、ヒューヒューとのどを鳴らしながら、女性が走ってきていた。
その背中に刺さっているは、
「うわああああああ!!! 」
「うわっ! び、びっくりした」
ガバリと身を起こそうとすると、夕焼けのような瞳が自分をベッドに押しかえした。
「まだ寝てなきゃだめですよ」
「……誰だ、てめー」
名前を聞いてから、相手の名前を思い出した。
確か、──トアン。
「あ、オレ、トアンです」
たった今自分が思い出した通りの名前を言うと、少年は枕元の水差しを取ってくれた。
「飲めますか? 」
「……」
さっきは押し返したくせに、今度は起こしてくれた。
(変なヤツ)
そう思いつつ自分の体をみて──ギョッとする。
「オレの服は!? 」
「あ、汚れてたから洗濯に」
「返せよ!」
「そ、そんなこといわれても」
何しろ少年が着ていたのは、シアングの古着だと言う大きな服にズボン。どちらも鮮やかなもので、少年が纏っていた黒い服とは似てもにつかず。
「あー、起きたんだー」
能天気な声がトアンにとってどれだけ救いだったか。何しろ敵意むき出しの少年に襟首を掴まれている今は。
「チェ……チェリカ、もう起きていいの? 」
「ん、私はもう大丈夫。おはよ、レイン」
「……。生きてたか」
「生きてたよ。ホント」
トアンに笑いかけ、レインに微笑む。そうやって場を和ませながら、チェリカはレインのベッドに腰掛けた。
「駄目だよ、喧嘩しちゃ」
「喧嘩じゃない」
ついと突き放されてトアンが数歩よろめいた。
(喧嘩じゃないよ……一方的な)
「ヒイイ!!」
トアンは引きつるような悲鳴をあげる。何しろ頭の中で、ブツブツと文句をたれていた最中に少年の鋭い目で睨まれたのだ。
まるで、射貫かれたような。
しかし、チェリカが傍にいるだけで少年の目が幾分か緩んだ。誰とでも打ち解けるチェリカだ。自分の知らない間に、随分と仲良くなったらしい。
(なんだよ……)
そう考えると少年が可愛く思えるが、でも何故か、悔しい。
コンコン
「はーい」
ノックの音に立ち上がったチェリカがドアを開ける前に、ドアは開かれた。
そこにいたのは、お椀をトレーに乗せたシアング。
「……飯」
彼にしてはぶっきらぼうだ。かなり。
チラリとチェリカに視線を送る。
(チェリカ……部屋、出たほうがいいかも)
(え?)
(いいから)
慌ててトアンがチェリカの腕を掴み、部屋から引っ張っていく。
パタン、ドアが閉まるとチェリカが口を尖らせた。
「ねー、なんで? 」
「いやさ……シアングとレイン──さん、絶対仲悪いから。ちょっと二人にさせてみようよ」
「そう……かな? 」
半分はこれからのため。きっとできるなら、少年と今後の行動を供にしたい。ならば、蟠りは早めになくしたほうがいい。なにしろシアングは、レインがルノを殺しにきたことを根に持っている。
でも、半分は自分のため。
──チェリカは、誰を見てるんだろう。
自分勝手だと思う。レインにもシアングにも、悪いとは思う。けれど、あの場にチェリカを居させたくなかったのも事実。
やはり、自分もまだまだ子供だ。
ぴっとりとドアに耳を付けているチェリカを見ると、なんだかもやもやしているものが晴れていく気がした。
(何考えてんだよオレ……チェリカは、チェリカなんだ)
シアングはキツイ目線を緩めることをなかったが、少年も同じだ。
ゆっくりと距離をつめて、ベッドサイドの椅子に座る。
「オレが嫌なら出て行きゃいいじゃねぇか。他のやつに任せて」
「そーいうわけにもいかないんでね」
トレーを少年に差し出す。
「……なんだよこれ」
「粥」
「いらねぇ」
「これ食わすまでオレは部屋からでれねーんだよ」
「じゃ、自分で食え」
「……ッ」
シアングは怒りのあまり口元を引きつらせた。が、心のどこかで随分と子供っぽい少年に驚きながら。
そのまま蓋を開け、ふーふーと簡単に冷まし、少年の口の中にさじを捻じ込んだ。
「!!! 」
「どーだ?うまいだろ……どうした? 」
ゲホゲホとむせ続ける少年に眉を寄せた。
柔らかく煮込んだから、ここまでむせることはないだろう。
それに、十分冷ましたはずだが……?
「ゲホ、ゲホゲホッ! 」
「ほーらもう一口」
「ゲホゲホ、いい、ゴホ、自分で食う! 」
バシッと音を立ててトレーがひったくられた。
呆気にとられるシアングの前で、少年はさじにとった粥に息を吹きかける。
「ふー、ふー」
「何だよ、そんなにうまかった? 」
「ふー、不味い、ふー」
「……そう」
「ふー、ふー、ふー」
「……冷ましすぎじゃね? 」
「……。」
無言のまま、十分すぎるほど冷ました粥を口に放り込み、今度はむせずに飲み込んだ。
そんな少年を見ているうちに、シアングの頭の中にあった、少年に対するのは憎しみ──というものが少しずつ崩れていく。
「もしかしなくても……お前、猫舌? 」
「…………」
「なーんだ。ネコジタ君、ゆっくり食えや」
「なんだよそれ。ざけんな」
「ふざけてませーん」
黒い色をとり、明るい色で包み込んだ少年は、随分と別の印象を与えた。
(なんかこーしてっと……普通の子供みたいだなぁ)
十分すぎるほど冷ました粥を口に運ぶ少年。暖かなクリーム色の髪と、朱色の瞳。そして、白い肌。
(なんで暗殺者なんかやってんだか、まぁ)
「……んだよ、人の顔ジロジロ見て。気持ちわりい」
「その口の悪さ、なんとかなんねー?へこむぜ」
「しらね」
形のい口から零れる言葉は、想像を絶するほどの毒舌。
シアングが複雑な思いを浮かべている最中に、少年はさじを置いた。
「ん、もういいん?……なんだぁ全然食ってねぇじゃん」
(遠慮してんのか?こいつ)
半分以上残った椀を見て、シアングが呆れた声をだす。
「ネコジタ君、もっと食えよ」
「もういらねぇ」
「……随分小食で」
「ふん」
(前言撤回。やーっぱ可愛くねえ)
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