第22話 暗い冬も照らす火のように
「おいおいおいおい!まだぬけねーのかよ」
「うーん…」
イライラしたシアングの声にせかされて、トアンはガシガシと頭をかき、やっと地図を逆さに見ていたことに気づく。
「あ」
「どうした?」
「あ、い、いや…おっかしいなあ、あははは」
「何笑って…あ、ト、トアン!おめえ地図逆さに見てるじゃねーか!」
「何ぃ!?何をしてるんだバカ者!」
「ご、ごめんなさい…」
シアングとルノの双方から怒鳴られて肩身を狭くするが、もう空は暗い。
結局野宿する羽目になってしまった。
「あーあー…昨日はベッドで今日は野宿。辛いねえ」
小さな小川の横で水を調達しながらシアングがぼやく。
「そういわないの。トアンにまかせっきりだったシアングも悪いんだし」
「チェリちゃんだって寝てたじゃーん…」
「私は何も文句言ってないもん」
「はあ。…まあいーんだけどねぇ。魔法頼んでいいか?焚き木に火、つけてほしいんだ」
「まかせんしゃい」
チェリカが焚き木に杖をかざし、レング、と唱えると火が赤々と暗闇を照らした。
そこに、バケツいっぱいの魚と釣竿を持ったトアンと本を持ったルノが川の上流から帰ってきた。
「魚つれたよー」
しかも何故か泥だらけ。
「…どうしたん?」
「いや、何か動物が狩れないものかと二人でがんばってみたんだが」
「失敗して転んじゃって」
申し訳なさそうに言う二人。
「まあこんな暗いし?それに食料いっぱいあるから気にすんな」
ポンポンと二人の頭に手を乗せてシアングが言う。
「スープももうちょいだし、魚焼いちまおうぜ」
ひょいとバケツをとり、火の傍に寄りナイフを使って魚を捌きはじめたシアング。ご苦労さまー、とチェリカがトアンとルノに温かい紅茶を渡してくれた。
トアンが何気なく見上げれば、満点の星空だった。
トアンが何気なく見上げれば、馬車の天井だった。
「ん…?なんでオレ、こんな時間に…?」
自然に目が覚めてしまった。
確か夕食を食べて、キャンプだーと騒ぐチェリカに便乗してみたところ、うるさいとルノに怒られ、とりあえずランプの灯りの下今までの旅のことを全員で本にまとめ、明日に備えて眠り──すぐに目覚めた。
何度寝返りをうっても寝付けないので、外に出てみる。
「寒いな…」
肌寒さに身震いし、小川の横の石に座った。
睡魔は一向にやってこないし、気晴らしだ。
──と。
不意に何かの気配を感じて顔をあげる。小川のすぐ向こう岸の森の中に、何かいる!
「!?」
それは白い…獣のようだ。ふさふさとした毛並み、アイスブルーの瞳がじっとこっちを見ている。
不思議な犬だ。
右足にリボンを巻いた、真っ白い犬。
(……ん?)
そんなこと…どこかで聞いた気がするのだけど。
「何者ですか」
犬は口を開き、驚くとことに人間の言葉を口にした。
ということは──この犬は、魔物だろうか?
「え?」
「何者ですか、と聞いているのです。誰の許可があってこの森に近づいたんですか?」
「オ、オレはトアン・ラージンです。許可…はとってませんけど」
「ならば去りなさい。もしくはここで死ぬか、どちらかです」
丁寧な言葉のまま犬は姿勢を低くし、身構える。
「えええ??!」
「さあ」
「どうした?」
片目をこすりながらルノが出てきた。
「あ、ルノさん」
「なんだその犬は?」
「お仲間も──おや、あなたは…」
戦闘態勢を崩し、犬は耳をぴくぴくと動かす。
ルノは首を傾げたまま目をパチクリとさせ。
「私に犬の知り合いはいないぞ?…ああ、一人、というのか?まあ一人いたな」
「え?」
「ほら、あの黒い……」
「あ!」
ルノが言う前に、トアンの頭の中でふいにさあっと視界が開けたような感覚が起きた。
そうだ。
『これ…持ってって欲しいのだ』
そういって彼は、大事なものを託してくれた。
『え?』
『もし旅先で、右足にリボンを巻いた真っ白い犬に会ったら…それを見せて欲しいのだ。きっときっと、いいことがあるはずなのだ』
『いいこと…?』
首を傾げるオレに、そういってくれた。
『『物事のもう一面』を知ることができると思うのだ』
忘れてはいけなかった。
あの独特の喋り方、犬の耳…
「ちょっと待ってて!」
慌てて馬車の中の鞄を取りにいき、中をあさる。
お目当てのものは、幸いなことにすぐに見つかった。
「あ、あの、これ!」
「?」
トアンが差し出したのは、小さな羽根の形のアクセサリーがついたリボン。
初めはなんだそれはと言わんばかりだった獣の瞳が、ゆっくり見開かれていく。
「それは…どこで…?」
「ある人からもらったんです。貴方はこれを知っていますか?」
「知っているも何も…」
ふ、と犬は小さく笑う。
「失礼します」
遠慮がちに側によってきて、リボンに鼻面を押し当てた。
「……。………」
トアンとルノが見守る中、獣の耳が時たまピクンと動き、頷くように首を縦に振る。しばらくソレを繰り返し、獣はトアンたちに向き直ると頭を下げた。
「わかりました。…まあ、シンカが認めた方たちですからねぇ…失礼いたしました」
「あ、いやいや」
突然丁寧な言葉で謝られ、しどろもどろになってしまう。
「やはりシンカを知っていたのだな」
「はい。改めまして、私の名前はシロ。本名よりこちらの方で通っているので。」
「シロ、さん?前に、ツムギさんが言ってました。…あ、ルノさんと会う前にあったときなんだけど…」
「……、ツムギ様は、何と?」
「幸せだったって。すごく!」
「…そうですか……。シンカは、やはり言っていないのですか」
「何をだ?」
シロはリボンを懐かしそうに眺めた。
「私とシンカは、距離をとりつつこうして道具に思いを込め、会話しているのです。ツムギ様と彼が出会わないように。かれこれ14年の間、ずっと。…私のほうはすぐ彼と行動をともにできましたが、シンカがツムギ様に出会えたのは最近。それに…貴方たちのおかげのようですね」
「彼?」
「よければついていらっしゃい。…いえ、それすら必然かもしれませんが」
意味深にシロは天を仰ぐと、ちょこりと地面に座る。慌ててルノを馬車に押し込み、トアンはジャスミンの手綱を握って隣に立った。
それを確認し、シロは立ち上がると森の奥に歩きだした。
わりと広めな道を通り、小高い丘の上の小さな小屋に辿り着く。
(へんだな…もっと早く目についてもいいのに、全然気付かなかった…)
「不思議に思いですか?何故、ここが見つけられなかったのかと」
先を歩いていたシロがとまって言った。
「あ、はい」
「簡単な細工をしてあるんです。木々に協力していただいて。さ、お仲間を起こしてさしあげて」
「もう起きてるぜ。…オレは」
シロの言葉に、止まった馬車からシアングが飛び降りる。
「よー白わんこ。オレはシアング…事情はルノから聞いたぜ」
「チェリカは?」
「まだ眠いってさあ。トアン起こしてきてくれよ」
「うん」
促されるまま幌を開けると、毛布にくるまったチェリカを見つけた。
「チェリカ、起きてくれよ。なんか大変なことになっちゃったんだ」
「………んー」
「チェリカ」
二度の呼び掛けに、眠い目を擦りながら起き上がる。
「昔ツムギさんが言ってたシロにあったんだよ。それに、シンカが渡してくれたリボンを見せたらついてこいって」
「…ぼんやり聞いてた…ふぁー」
小さくあくびをするが、どこかぎこちない。
「…どうしたの?」
「うん?な、なんで?」
「あ、オレの思い違いかな?ならいいんだ」
トアンが笑ったのにつられて、チェリカもぎこちなく…笑った。
「いこう」
少し照れくさいが、なんとか差し出した手。
それをゆっくり握ってチェリカは馬車から降りる。
「…ごめ…」
一瞬。
「え?」
小さく聞こえた声。
意味を知り、ザワリと嫌な予感がした。
空耳かと思って彼女を見ると、彼女はにこりと笑う。
ああ、空耳か。
そう思って、嫌な予感を打ち消した。
ゴンゴン!
「もう寝てるのですか!おきなさい!」
シロの何度目かの怒声がドアに浴びせられるが、物音一つしない。
シロがトアンたちに会わせたいらしい人は寝ているのか、もうドアの前に立って10分以上たっている。
「おきなさい!バカ!バカ者!!」
「…うるさいな!」
バタン!
すごい勢いでドアが開けられ、中から黒髪の青年が出てきた。
眠そうな顔はどことなく好感をもてるが、着ている白衣や手に持った試験管……怪しげな雰囲気は拭えない。
「!」
「お兄ちゃん?」
青年の姿を認めた瞬間、ルノが数歩後ずさった。
顔を上げた青年の瞳が驚きに包まれる。
「お前は……。」
青年の声は少しかすれた、優しい低音の声だった。
「たった四人で『アリスの箱庭』に挑むってか?やめとけってーかなわねーからさー」
ふー。
その口から真っ白の煙が吐き出され、ランプの光に溶けていく。
「でも……。やらなきゃ、駄目なんです」
トアンの瞳が青年の眠そうな顔を写す。暖かい火を囲みながら、それぞれお茶を持っている。
「…まあ、俺も人のこと言えねえけどね。立派な裏切り者だし。…だからそんな緊張すんなよ、ルノ」
青年は煙草を口から離し、ずっと黙っているルノに視線を向けた。
青年の名は、トウホ。
ツムギの弟にして、ツムギを憎しみ続けているらしい青年。その話はシロに目配せで止められたので、トアンたちがツムギに会ったということはトウホは知らない。
そして。
『アリスの箱庭』で薬師をしていて、ルノと面識がある。そのせいでルノは警戒しているのだが、トウホは自ら箱庭を裏切り(そもそも何故箱庭にいたのかわからないのだが)今は薬の調合をしながらシロとともに旅をしているようだ。
「トウホさんは、どーして箱庭にいたの?」
チェリカが温かいお茶を飲みながらそれとなく聞き出そうとしてみる。
「……ん、まあ色々あってね」
「ふーん」
あくまでそれとなく、という姿勢を崩さないチェリカに拍手を送りたいと思うトアンだった。
「それよりさチェリカ。俺はねー、お前さんのお兄さんの体調べたいんだよ」
「!!」
シアングが弾かれたように顔を上げ、トアンと顔を見合わせる。
そして、ゆっくりルノを見た。
「お兄ちゃんは実験動物じゃないよ!」
「ああ、そういうつもりじゃないんだ」
「じゃあ…どういうことだ?」
「ハクアスが、さ。あ、研究者の名前なんだけどな?
まあそいつがね、お前さんに無理をさせてたじゃねーのさ。だからま、調べてやるって」
敵意がないようにいうトウホだったが、反射的にルノを守るようにしたシアングの手は下がらない。
と、その手をルノの手が降ろさせた。
「お、おい?」
「確かに。…お前は私の実験を、いつも止めに入っていたな」
「ん、まあ」
「何故だ?」
「………。ビャクヤを思い出したんだ。お前よりずっとわがままで強情で、つれなかったけど。俺の最高のパートナーだった。お前はどっかあいつに似てるんだ」
だから、ほうっておけなかったと、青年は言う。
「どうよ?まあすぐ済むし」
「わかった」
「ルノ?」
「心配するな、こいつはそんなに悪い奴ではない…と思う」
「でもよ!」
「シアング、お前はチェリカたちについててやれ」
これ以上ないほどすっぱりと会話を切り、ルノはトウホの瞳を見る。
「安心しなよあんちゃん。俺は悪人でもなきゃなんでもねえって。…お前さんのパートナーいぢめたりしねえよ」
「信用していいのか?だって、アンタは」
「…。ま、過去のことはなんともいえねえけど。シロ、お客様たちの寝室用意して。あと風呂」
「はい」
白い犬がシアングの服を口で噛んで引っ張っていき、その後をチェリカが歩き、トアンがチラチラルノを見ながら続いた。
「ね、チェリカいいの?」
「うん?トウホさんはきっとホントとはいいひとだと思うよ」
「その確信はどこから?」
「なんとなく」
トアンも心配性だね、といってチェリカが笑う。
先ほどまで彼女も警戒したていたのは確かだが、一瞬のうちに警戒を解いてしまった。
お風呂だーと喜ぶ彼女に笑いを返して、彼女の兄に一瞬心配を寄せたが、彼女が笑っているなら大丈夫だろう。
無茶苦茶な理由だが。そう思ってトアンはシロの手伝いに走った。
「はーい上脱いでってー開けるだけじゃ駄目だって」
促されるまま渋々上着を脱いでローブも上だけ脱ぐ。
ルノの目の前でトウホは先ほどから忙しそうに紙に走り書きしていた。
「うん、まあ大丈夫だ。そんな心配することないって……」
トントンと胸をノックされる。
と、ルノが眉を寄せたのをみて、トウホが笑った。
「どうした?」
「手が、冷たい」
「そりゃ悪かった。てっきり痛いのかと思ったぜ」
「馬鹿にするな!そんなにヤワはない!」
「はーいはーい。息すって」
さらにヒヤリとした聴診器が当てられ、思わず身震いする。だが言われた通りにするしかないと、息を吸った。
「なあ、どうして検査受ける気になったんだ?あんな警戒してたのに」
「何故聞く?関係ないだろう」
「関係あるぜ。はい舌だしてー」
「ん……。もしも、の話だ。…もし私が、何かスイッチが入って、…そしてもし、殺人兵器などになってしまったら。あいつらもきっと…」
「殺してしまうって?んな馬鹿な話あっかよ」
「ありそうだろ?あそこでは……何があっても不思議ではない」
「まーな。…でも安心しな。それに近い話は俺も聞いたことあるけど」
ビリ、トウホが今書いていた紙をちぎり、新しい紙に書き出す。
「…やっぱりあるのか?」
「ソレが怖かったか、お前は」
「……」
「俺が聞いた話ってのはな、『一番好きなひとを殺すかそのひとに殺されたら、その術は解ける』っての」
「なんだそれは?まさか、私にも」
「安心しろつったろ。それは実験段階で取り消されたし。…万が一その術にかかっていると、」
ドン。
少し強い力で胸を叩かれる。
「ここに、黒いバラみたいな痣がうかぶんだとよ」
ルノは恐る恐る自分の胸を見て、安堵の息をもらした。
「はい、検査おーわり」
「もう?」
「ああ。問題なしだぜ。あんま詳しいのはやってねえけど、あそこで開発された術や薬の効果があるか調べたんだ」
ガチャガチャと散らかった器具を片しながら、ルノにもう服着ていいぞ、を告げる。
「…よかった」
「っつかさっきお茶飲んだだろ?あれ、薬打ち消してくれるこうかあるから。あとであんちゃんに渡しとくから、具合悪かったら飲め」
あんちゃんというのはシアングのことだろうか。
「すまないな、そんなことまで」
「いいってこと」
そういって笑うトウホ。
──本当にコイツは兄を殺すために旅をしているのか?とてもそうは見えない。
「そういやさ、お前太ったな」
「は?」
思考を巡らせている時に突然意外な言葉を言われた。
すぐには理解できなかったが、一泊置いて意味を知る。
「な、どういう意味だ!?」
「怒んなって。健康になったってことだよ」
「けんこう?」
「ん。なんかあのころの不健康さが消えて元気になったじゃねーか。よかよか」
「そう見えるか?」
自分の指で頬を撫でてみる。
……あまり自覚は生まれなかったが。
「見えるぜ。……あーのあんちゃん、なかなかしっかりしてんだなあ」
あの不健康児が幸せそうだぜ、ガリガリ頭をかきながらトウホが笑う。
「それで『太った』か。失礼だな」
「そーいうの気にするって乙女ちゃんだね」
「ほうっておけ!」
怒ってトウホを睨みつけたあと、フンと視線をずらす。と、その瞳に本に埋まった古い紙切れが写った。
「なんだこれは」
ずるりと引き抜くと本がバサバサと雪崩を起こした。
ああ、とトウホが非難の声を上げたが気にしないで紙に視線を落とす。
そこには、『国歌認定妖歌:灯呂 冬火』と書かれていた。
「…?」
ルノには全く読めなかったが、トウホがひょいとその紙を取り上げた。
「見なくていいの」
「大事なもの、なのか?管理が適当だが」
「んー。昔、大事だった」
「なんて書いてあるんだ?」
「……国歌認定妖歌、灯呂 冬火」
「こっかにんていようか、あかりろ とうほ?」
「そうだよ。妖歌っていうのは俺が昔やってた職業」
「ふうん。…こういう字を書くのか」
「ああ。俺のいた国ってのは、漢字ってのを使ってね。名前にこめられた意味があるんだ」
私の名にも何か意味があったらいいな、トウホの話を聞きながらルノがポツリとつぶやく。
「お前の名はどういう意味だ?」
紅い瞳がまっすぐにこちらを見ていた。
「俺の名前の意味?」
「ああ」
「……『暗い冬も照らせる火のように』。だから、冬火。」
「いい名前じゃないか。まるで希望が持てるような」
「どうかね。この名前をつけた親父は、きっと『あの時』まで予測していたらしいけど……『今』は全く予測できなかったらしい」
「あの時……?」
悔しそうに、憎らしそうにしっかり宙を睨みつけながら、トウホの横顔はどこか寂しそうに見えた。
「はいあんちゃん」
「どうも」
翌朝。
どんよりとした雲の下、それでも朝は来た。
トウホお手製の薬茶をもらい、シアングは頭を下げる。
結局、皆、トウホの兄・ツムギに関しては名にも口に出さなかったらしい。シロの口止めもあり、トウホから来る兄の情報を聞こうとしたのだが、驚いたことにそれはまったくなかった。
追求することはしなかったのだが、それでもトウホは旅の理由等を尋ねてもはぐらかすだけ。逆に「兄をみなかったか」と聞かれることもなかった。
「もういくのかよ」
「ん、まあ……」
「待て」
口ごもるトアンをとめたのはルノ。
「お前は薬学に詳しいだろう」
「んー。専門だし」
「トアン、すまない。もう一泊できないか?……私は新しい知識が欲しいんだ」
「ルノさんそれって、」
「俺に教えて欲しいってか?」
「ああ」
「でもなあ、俺は」
困ったようにガリガリと頭をかくトウホ。それにルノが素早く答えた。……反論を許さない内容で。
「嫌とは言わせないぞ元研究員」
「……性格悪いねあんた」
「ふん」
「ま、こーなりゃなるがままだな。一日じゃなんもできねーけど、いい本やるよ」
「話がわかるな。頼むぞ」
「シロはお仲間と遊んでやって」
腕を振りながらトウホとルノが隣の部屋に消えていくのを、以外に黙ったままシアングは見送る。
絶対何か言うと思っていたので少し拍子抜けした気分だ。
「シアング……いいのか? 」
「あぁ。きっとあいつが信用してんならいいと思う。ホントはよくねぇけど」
苦笑しながら笑う彼はまさに彼そのもの。
トアンは思わず笑いをこぼした。
「トアン、シアング、シロがおいしいもの作ってくれるって!」
チェリカがパタパタ走ってくると手招きをする。それに続いて、白い髪の青年がやってきた。
その耳は、獣のよう。
「あ、あなたは? 」
トアンの呼び掛けに、青年は気だるげに髪をかきあげながら答える。
「なに言ってるんです、シロです」
「え、ええ!? 」
「シンカにあったならある程度予測できるでしょうに。……私がひとの姿になるなんて朝飯前ってことですよ」
『シンカ』というところはトーンを落とし、シロはフッと微笑んでみせた。
「飯、どうするんだ? 」
「温かいものでも作りますよ。……シアング、よければお手伝いお願いします」
「あ、うん。構わねぇよ」
しばらく待っててくださいね、と言われ、トアンとチェリカはガランとした居間に残されてしまった。
「……」
「…………」
二人して黙り込んでしまう。
こういうとき必ずといっていいほどハプニングかなにかした話題を作ってくれるチェリカが、黙っているのも珍しい話だ。
トアンがどうしようか一人でアレコレ考えを巡らせていると……。
「トアン」
「え、えええ?何?」
「何驚いてるんのさ。……あの、さ。話があるの」
「……は、話って?」
「これのこと」
そういって彼女が取り出したのは、小さなプレート。
そう、あの暗殺者──レインのものだ。
「これがどうかした?」
「うん、やっぱりね、……私、次にあのひとに会ったら話し合いたいんだ」
「話し合うって……。だってあの人、ルノさんの命狙ってたんだよ?」
「だから言いにくかったの」
「ご、ごめん!そんなつもりなかったんだ……」
しゅんと俯いてしまう彼女の顔を上げさせたくて、慌てて訂正した。
「私ね、お兄ちゃんのこと心配だけど、あのひとも心配なんだ。トアンもでしょ?」
「うん。でも、どうしてオレがそう思ってるって……」
「かーんーたーん」
あのひとと会ったとき、不安な顔してたよ、とチェリカは言って見せた。
まさにその通り。
「知ってるひと?じゃないよねぇ」
「うん、オレも知らない。初めて会った人だった」
それなのに。
「オレは、チェリカの言うとおりあの人を放っておけない」
彼女があの人を気にかけているのはどこか気に入らない気もするが。
でも、何故こんなにも気になるのだろう。
それがわからない。何だかわかるのが怖く感じてきた。
(その理由を知ったとき、オレは……)
トントントン、野菜をきる音がやけに響く。そろそろ腹が減ったなぁとトアンが考えたとき、チェリカがポツリとつぶやいた。
「もう一つあるんだ、きみに言いたいこと」
「なに? 」
「あのね、もし。もしだよ?究極の状況で、私かお兄ちゃん、どっちかしか救えなかったら──どうする? 」
「え? 」
チェリカかルノ、どちらかしか助けられない?
大事な仲間、というところは二人とも同じだが、なにしろルノは彼女の兄で、憧れの人。チェリカは自分の──……
「いきなりどうして、そんなこと聞くの?」
「……。」
「選べないよ!だって、二人とも大事な」
「ごめん。変なこと聞いて」
トアンの言葉を遮ってチェリカが頭をゆるゆると振った。
「でもトアン、覚えてて。いつか必ず、絶対に答えて。……必ず」
「何言ってんだよ!なんか最近のチェリカおかしいよ?昨日だって! 」
そう、馬車から降りたとき、彼女はつぶやいたのだ。
ごめん、と。
「何か一人で抱えてない?オレはそんなに頼りにならない!?……ルノさんやシアングでもいい、一人で考えないでくれよ! 」
「……ごめん。頼ってないわけじゃない」
言葉を飲み込んだトアンに、チェリカは言う。
「勝手な話だけど、いつかきみは選ばなきゃならない」
「……嫌だ」
「トアン?」
「そんなの嫌だ!オレは選べないよ!ルノさんは大事な仲間だし、チェリカはオレの好きな人だから! 」
そこまで一気に吐き出してから、あわてて自分の口をふさぐ。
──もう遅すぎた。
赤くなる頬を憎らしく思いながら、恐る恐るチェリカをみる。
が。
彼女の顔は赤くなったわけではなく、嫌悪の色もしていない。
ただ普通の表情をしていた。
普通の。
「……私もきみのことは好きだよ」
あっさりと返ってきた答え。
どこか虚しさを覚えながらも、嬉しさは隠せない。
「本当に……? 」
「うん。ホントにホント」
それにしては彼女の表情が気になった。普通という、さも当然だという顔をしたチェリカ。
「きみも好きだし、シアングもお兄ちゃんも好き」
ああ、そうか。
ここで彼女の表情の謎が解けた。
『好き』という意味を間違えてるのだと。
「びっくりした……」
「ん? 」
「なんでもない」
ひらひらと手を振って微笑むと、チェリカも笑みを返した。
これから、ゆっくり言おう。
時間をかけて、言葉を探して。
トアンは勢いで言ってしまったことがまだ伝わらなくても、心のなかで安堵した。
「……チェリカの心に、『愛』という概念はない」
本の山に埋もれながら、ルノがトウホに返した。
まずどんな薬草があるか覚えるため、図鑑の薬草の図に片っ端からチェックをいれているときだった。
トウホはルノに仲間についていくつか質問してみた。それはただ単に、アリスの箱庭の実験対象だった子供が幸せな日常を送れているかという、心配からだったのだが。
トアンについて、トウホは頼りない印象を受けたが、ルノは笑いながら「あいつは成長している」と言った。
シアングについて、トウホはしっかりしている印象を受けたが、ルノは苦笑しながら「あいつはどこかでなにか迷ってる」と言った。
チェリカについて、トウホは明るい印象を受けたが、ルノも「あいつは元気だ」と言った。
──問題はそのあとだ。
だが、とルノは続けた。
「チェリカは、一つの感情が欠落してるんだ。チェリカの心に、愛、と言う概念はない」
「なんでだよ」
「どこかに落としてきたらしい」
「はあ?」
ふいにメルヘンなことを呟いたルノにトウホは首を傾げて見せるが、ルノは一向に気にしなかった。
あくまで本心で言っているらしい。
「だから、『好き』という感情はあるんだ。でもソレより深く、美しくも残酷でもある『愛』はない……どれもこれも、クラインハムトが仕組んだことだ」
「クラインハムトって、アリスの箱庭のNO.2の?」
「ああ」
ふーんとうなって、トウホは頭をガシガシかいた。
他に、どうすればいいかわからなかったから。
ずっと煮込み続けた麺と野菜。
シロとシアングが苦労して打ち上げたうどんという麺らしいが、不恰好さが手作りのようで愛嬌がある。
寒さのため、コタツという独特の暖房設備に入りながら食事を取ることのにした。
「あのさ、気になったんだけど。……トアンってさ、兄貴いる?」
「え?」
突然のことに顔を上げたので、慣れない『箸』という道具から大根が器に逃げた。
「いませんよ!……多分」
キークはそんなこと一言も言ってなかったはずだ。
自分に兄弟がいるなどとは。
「そうか?」
「はい」
「ふーん……」
「どうしてですか? 」
「いやあ、ね。……ホントにいないのか? 」
「本当ですよ」
「……」
なおじっと見つめてくるトウホに苦笑いを返す。
「ま、まさかトウホさんがオレの兄さん、だったり」
「それはねえよ」
「はぁ……」
「ならなんでそんなに?」
チェリカが不思議そうに尋ねた。
「一応聞くけど、お前トアン・ラージンだよな」
「はい」
「『キーク・ラージン……長男は行方不明、次男は現在空の子と接触』っていう情報見たんだよ。キークの腹探るためにいろいろやってたらそんなん出てきちゃって」
あっけらかんと話して見せるが、それは重大な裏切り行為ではないだろうか。
「そんなことやってたのかよ」
「まーねえ」
「箱庭も大変だな、こんなやつがいて」
「あんちゃん、俺は俺のために行動したの。でもそのおかげで貴重な情報手に入っただろ? 」
シアングとトウホの会話は、トアンの耳に届いていなかった。
兄がいる。
突然のことで驚きはしたが、その事実はしっかりと胸に刻んだ。
(いつか会えるかな)
もうトアンたちはトウホに対しても、トウホ自身も、警戒心はなかった。
そしてついに、彼の口があの話題に触れた。
「俺が箱庭にいたの、精霊を殺す方法を探してたんだよ」
「なんでそんなことを」
「……兄貴がいた。兄貴は半分精霊だった。」
ぽつり、とつぶやく。
それは憎しみを込めるというより、淋しそうないい方だった。
「生れつき決まってたんだ。俺達が戦うことを。精霊がでてきたとき、茶色だった瞳は深緑になっちまった。──俺たちは兄貴のなかの精霊を倒した……はずだった」
でも、兄貴の瞳のいろは元に戻らなかったんだ。
トウホは悲しそうだった。
そう、とても兄を殺すなどと言えない青年に見える。
「ビャクヤって言っただろ?戦争であいつ、……死んじまって。兄貴の置き手紙で『私が殺した』って書いてあったけど、俺は信じねぇ。……文字震えてたし」
その言葉にトアンは思った。
これは、ひょっとして。
ツムギとトウホが和解するということも、できるんじゃないか、と。
「トウホさ」
ガスッ
パッと顔を輝かせ、口を開いたトアンの足をルノが蹴り飛ばした。
コタツの下だから他の人には見えていない為、シアングとチェリカ、トウホはどうした?という顔でトアンをみている。
トアンが涙目でルノをみれば、「黙っていろ」という視線。
(ルノさん──? )
(余計なことは言うな)
「で、どうした?」
一瞥をくれてからうまい具合にルノが話を戻す。
「あ、うん。きっとさ。兄貴には兄貴なりの理由があると思って、箱庭に入ったんだ」
頭を掻きながらトウホが言う。
(違うだろう)
トウホの言葉に、ルノは心の中で反発をする。
(微妙に話が噛み合ってない。……肝心な部分を隠しているな。箱庭にはいったのはおそらく……)
ご馳走様、トウホが立ち上がりシアングとシロもつづく。洗い物をするのだろう。
(半精霊の『兄』を殺す方法を探すためだろう……? )
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