第17話 激突!料理人の意地!

(…んなのオレに決まってんじゃねーか)

「でもさ、」

チェリカがまた口を開く。

「二人が料理対決してくれたらいいなあ」

「ええ!?」

「だってさ、お互いに負けない!っておもうから、すんごいおいしいものが食べられるじゃん!」

「ははは!そっか。チェリカらしいや!じゃ、そろそろ顔洗いたいんだけど」

「え?」

「動けない…」

「あ、ごめんごめん。」

ひらりと降りてしまったチェリカに、少し物足りなさを覚えながらトアンは立ち上がる。



二人が出て行くと、シアングはもそもそと起き上がった。

「なんかなあ…すっきりしねえ」

ホントのところどっちがうまいんだろう?

「よし、いっちょやるか…ん?」

ベッドから滑り降りようとして、…止まった。

ルノの手がしっかりと、シャツの裾を掴んでいたのである。

「何だよー甘えて」

「…」

「寝てんの?起きてんの?」

「…」

「寝てんのか」

返事は返ってこない。

しかしあまりにもしっかり掴んでいるので、起きているのだろう。

寝起きが悪い彼にしては珍しい。


「ルーノー」

「…」

「…ったく。このまま運んでくぞ」

「…ん」

ようやく返事が返ってきた。

「困ったちゃんだねまったく」

苦笑をひとつ残し、ルノを担いでシアングは歩き出した。



食堂についたとトアンは、続々とおきだしたエラトステネスの船員たちに挨拶するのに追われていた。

この大人数のためにテュテュリスが用意した部屋は、食堂、というよりパーティー用の大広間のようだ。


「ルーガおはよー」

「ようチェリカ」

人懐こくチェリカがルーガに話しかける。ルーガはまだ、奇妙な刺青が消えていない。

「アクエも。おめえいい加減謝れよ」

ルーガの後ろから出てきたアクエは、つんと顔を逸らした。

「アクエおはよう」

「…」

「おはよーってば!」

「…おはよう」

四、五人ずつ向かい合って食事できる丸いテ-ブルの合向こうからアクエは応えた。

やっと返ってきた返事に満足げにチェリカは微笑み、すぐにトアンのほうに走っていく。


「おーっす」

シアングが食堂に到着した時、すでにリク以外は席についていた。

彼が何をしているか、考えることもない。


料理だ。


この大人数の食事を作るのに追われているんだろう。

ルノをチェリカとトアンのいるテーブルにおろすと、シアングは厨房目指して歩き出した。

「なー、なんか手伝うか?」

「あ!シアング君!ちょうどいいところに!」

あせあせとリクが寄ってきた。

「人数多いんで大変なんスよ」

「…まじで?」

シアングの言葉、それはリクの答えに対して言ったものではない。

どれもこれも中途半端な仕込みのまま放置された食材の数々に対してだ。

「おいおい何があったよ?」

「あはは…俺が料理はじめたところにテュテュリスが来て、『鶏肉のワイン煮が食べたい』とか『ツムギのためにパン焼いてくれ』とか『魚を…」

「もういい。ったくあのジジイ…」

リクも素直すぎんだよなあ…いや、パシリだなこいつ…という意味をこめてため息をついた。

「どうしましょ…皆まってますよね」

「ああ…」

シアングとリクが考え込んだ…瞬間。


「料理対決ってどう?」


「チェリちゃん!」「チェリカちゃん…」

えへへと笑いながらひょこりと顔を出したのはチェリカ。

「シアングもさ、その気はあるよね?」

「あー…オレはな」

「で、でも、」

「リクさーん!ただでさえギクシャクしてる皆をひとつにまとめるには何かお祭りが必要だと思わない?」

「そ、そうっスかね」

「そうだよ!テュテュリスも喜んでくれるって!」

「!」

その一言が聞いたのか、リクは考え込んだ。

「ね、ね?やろ?」

「ううう…」

「まだ悩んどるのか?」

「うわあ!」

リクは驚いてその場で飛び上がった。

チェリカはにっこり笑って声の主に飛びつく。

「ジジイ…」

あきれる声を上げたのはシアングだ。なんとかチェリカを抱き上げる声の主…テュテュリスに向けて。

それを無視し、テュテュリスはリクに声をかける。

「リク、やってくれんか?わしとしてもお主が勝ってくれれば嬉しいのう」

「ホントッスか!?」

「うむ」

「お、俺やります!」

ついでにもらったウインクで赤くなりながら、リクは手をあげた。

「ま、詳しい事は私に任せてよ。」

意味ありげにチェリカはにやりと笑う。

(ああ…チェリちゃんがこんな顔するの、何かいいイタズラ考えたときかそれがばれたときだよなあ…)

彼にしては珍しく、これから自分の身に何か起こると確信し、不安な笑みを返した。


廊下を歩きながら、テュテュリスはチェリカに話しかける。

「のう…チェリカ。お主、さっきの考えといい笑みといい、とてもクランにそっくりじゃったよ」

「お父さんに?そうかなあ」

「うむ。チェリカ、クランと…セフィは…」

「…水晶の中だよ」

「そうか…ぱったりと連絡が途絶えたので心配しておったのじゃが…」

ぽつりとつぶやいてから、テュテュリスはチェリカの視線に気付くと慌てて笑みを浮かべた。

「す、すまんのう、つらいのはお主の方であったのに…」

「ううん、私は…今は皆が傍にいてくれるから幸せ。でも…朝、目を覚まして、一人ぼっちだって思うのはもう…やだなぁ」

「チェリカ…」

と、振り返ってチェリカは笑った。

「テュテュはおじいちゃんみたいだから大好き!あ、おばあちゃんかな?」

「ふふ…お主は強い子じゃの」




「さて!皆さんおそろいですかー?」

一同はきょとんとして、チェリカに視線を向けた。

「お腹すいてるますかー?」

「空いてるぜー!」

ルーガが笑って返し、アクエを除いたエラトステネスのメンバーはつられて笑った。

それにチェリカは満足気にうなずき、再び声をあげる。

「それでですねー、皆さんの親睦を深め、なおかつオイシイご飯を食べる!その為に今回、二人の料理人さんが料理対決をしてくれます!名付けて!『第一回!オレの料理は天下一品対決!』」

「よっしゃーっ!」

「何だそのネーミング…」

一気に盛り上がる海賊船のメンバー、冷静なルノ。

テュテュリスがVサインをしている。名前は奴の案だ。

呆れ果てるルノはさておき、チェリカは杖をマイク代わりにくるくる回すと、テュテュリスを呼ぶ。

テュテュリスは立ち上がってルールを説明しだした。

「ルールっていうのはのう、シアングとリクが料理をつくり、ここにいる全員が味の判定。多数決で勝者を決めるというものじゃ。わかったか?」

期待や呆れ、様々な顔を見ながらテュテュリスは自慢気にいった。と、チェリカが続ける。

「ここまではテュテュリスが考えたんだけどね、私も少し考えたんだよ」

「へっ?」

意外そうな顔をするテュテュリス。

「あのね、言います!リクさんとシアングは、一人助手をつけてください!」

「ええぇ!?」

「まじ?!」

リクとシアングが同時に声をあげた。

「ちなみに…ここで料理するから、助手は誰選んでもいいよ」

「お、俺…」

ちらりとリクがテュテュリスに視線を向けた。

それを見たチェリカは、『司会』とかかれた看板のある席からテュテュリスをつき落とす。

「いたっ…なにする…」

「ごめんねー。リクさんが呼んでるよ」

「じゃ、私がここに座ろうかな」

三つある司会席のうち、テュテュリスのいた場所にツムギが座る。

すかさずその横の床にムククヒルがあぐらをかいて座り、真っ黒な犬──シンカをクッション代わりにしてよりかかった。

「ど、どくのじゃ!」

「テュテュ、がんばってね」

「おい焔竜。ツムギに手ぇだすなよ」

ちょこりと座ったままのツムギに何か言おうにも、横で目を光らせるムククヒルが邪魔だ。

「あーうー…」

「往生際が悪いなぁ。リクさん、テュテュ引っ張ってて」

「は、はい!…すいませんねえ」

「…わしはなにもせんぞ」

「それでも十分っス!」

「むう…シアングはどうするのじゃ?」

「あ、オレ?」

引きずられていくテュテュリスの問いに、シアングは頬を掻いた。

「どうするのじゃ?」

「ん、やっぱさ」

シアングはトアンとルノが座るテーブルまで歩いていくと、ルノの肩を叩こうとして──避けられた。

「なんで避けんだよ」

「私はイヤだ」

「さっすがルノちゃん。オレの言おうとしてることわかってくれたんだな」

「イヤだぞ!!」

「イヤって言われてもなー。オレが選ぶの、お前に決まってんじゃん?」

「知るか!」

「がんばってお兄ちゃん♪」

いつの間にか側にいたチェリカがルノの肩を押す。

「んじゃ決まり」

「な、離せ!」

軽々と担がれて抵抗するものの、シアングは離す気はないようだ。

「トアン!ぼさっとしてないで助けろ!」

「あ、でも…」

たははと苦笑いを送るトアンに、チェリカが話しかけた。

「トアンはこっちー。司会の席はもう一個あるからね」

「あ、うん!ごめんねルノさん」

「裏切り者ーッ!」

「いーかげん諦めろって。別に取って食うってわけじゃねぇんだからさ」

「うるさい!降ろせ!」

じたばた暴れてみてもまったく意味なし。

「シアングがんばれよー」

「任せといてくださいよ船長!」

ルーガからの声援に満面の笑みで返す。

「あ、ルノ、この人オレがお世話になった人。ルーガさんだ」

「お?そいつがルノだな?シアングのコレの」

「違う」

「照れんな照れんな!なんだよシアング。随分キレイな子じゃねーか」

「こいつ母親似なんですよ」

「そうなん?」

ルーガは何か言いかけたが、何も言わず手を振った。







「…テュテュリス、これは?」

「ん?」

ルノが興味津々に見ていた物、それは──…

ここは焔城の衣装部屋。この城をテュテュリスが受け継いだままの状態で放置してあったので、様々な服がある。

「それはウイディングドレスのベールじゃな」

「…なんでこんなものがあるんだ」

「前の城主の趣味かなんかじゃろ?…おぉ、メイドの制服があるぞ」

「エプロンはどうなったんだ。…何故私がこんなことを」

手分けして巨大なタンス(しかもたくさんある)を引っかきまわし、探すはエプロン。

早くもバカらしくなってきたルノである。

「メイドの制服なら沢山あるんじゃがの」

「…それ着ればいいじゃないか」

「わしか?わしの引き締まった体ならどんな服でもバッチリ着こなせるがのう♪」

「本当に着る気か…」

「ルノはどうじゃ?」

「誰が着るか!!…うあ!」

ドドドッと雪崩を起こした服に埋もれるルノ。

「大丈夫か?!」

シアングが慌てて服を除けて手を伸ばす。

「…誰のせいだと思ってる」

「わーりぃ」

なんとか這いだして、一息つく。

「テュテュリスはあれを着る気らしいな」

「ジジイのやることはよくわからん。大体あいつ男か女かもわかんねぇし」

「…女じゃないのか?」

「オレ的には男に1000点」

「確かに性格は男っぽいな」

「でも顔が女みたいな男をオレ知ってるぜ」

「…何故私を見る」

「ん?自覚済み?」

「凍りたいか」

「いいえ…」

「遠慮するな」

「うわーッよせっておい!」

ブツブツと詠唱を始め右手を向けてくるルノから、慌てて後ずさる。

するとルノは軽く笑って、冗談だと手を振った。

「結局テュテュリスの性別はどっちなんだ?」

「本人が教える気がないんなら意味ないんじゃねーの?」

「そうだが…」

「エプロンあったか?」

「ない」

互いに不毛な会話を繰り返し、ハァとため息。

「…何作ろうかなぁ…」

「料理か?」

「うん」

「…言っておくが、私は何もできないぞ」

「んなこと知ってらぁ。でもオレはお前を選んだんだ。構わねーよ」

「構わないって、そんな──」

負けるのはお前にとって不名誉だろう、という言葉を飲み込む。

「いーの。」

それきりシアングは口を閉じると衣装の山に取りかかった。ルノはさっぱり理解できなかったが、大人しくエプロン捜索を再会する。


「あった!」

苦労のかいあって、なんとか灰色のエプロンを発掘したルノ。

ほっとシアングが一息ついた。…が、少し不満気だ。

「?何だ?」

「いや…それ色がつまんねぇなって思って」

「まぁ確かに」

「もっとねーの?」

「ない」

「お前さ、もっといろんな色身に付けた方がいいんじゃねーの?きっと似合うぜ」

「余計なお世話だ」

ふい、と横を向いてしまったルノに苦笑し、シアングは新しいタンスを開いた。


二つのキッチンの前には沢山の観衆、キッチンのすぐ横には司会席。

「あー始まっちゃっ……ブッ!」

真っ白な料理人の服に着替えたシアングは、何気なく司会席を見て思わず吹き出した。

そこにいたのは、テュテュリスが持っていたはずのメイド服を着たチェリカ。

「チェチェチェチェリちゃん!?」

「これテュテュが着ろって」

「ぁあ?!いや、可愛いけどさぁー…て、トアンは?」

「そこ」

チェリカに代わってツムギが、苦笑しながら指を指す。

その先に、気持ちいいくらいにぶったおれているトアンがいた。

「トアン…生きてるか?」

「オレはもうダメだよ…オレには刺激が強すぎるよ…」

「おめーは何妄想してんだ…おい」

「はーい…」

「ダメだこりゃ」

「お兄ちゃんかわいー!」

「またチェリカは…そんな格好して」

「ルノ君可愛いね」

「ツムギ、私は可愛いって言われるのはあまり好きではない」

ツムギとチェリカに絡まれているのは、長い髪を一つにまとめ、苦労して探したオレンジ色のエプロンを身に付けたルノ。

照れ隠しなのか本気でイヤなのか、どちらともとれそうな顔をしてむくれていた。

「さぁてそろそろいいかな?シアング、お兄ちゃんと位置について」

「あ、あぁ」

言われるままむくれっぱなしのルノを押していき、キッチンに着く。

隣を見ると、同じく料理人の服を着たリクと、メイド服ではなくエプロンを身に付けたテュテュリスがいた。

「なぁジジイ、お前料理できんの?」

「シアング君、多分できると思いますよ。」

テュテュリスの代わりにリクが答えた。

「なにしろ一人の時間が長──いてぇー!!!」

「何勝手なこといっとるんじゃアホリク」

「足ッ!足踏まないでくださいよぉ!」

「うん?わしは足なんて踏んどらんぞ。アホの一部を踏んどるんじゃ」

フフフと笑う顔はまさに悪魔。

シアングは会話を諦め、チェリカに向かって準備ができたとうなずく。

「はい!それじゃあただいまより料理対決を、開始いたします!」


カーンと鳴らされた鐘…ゴング?を合図に、シアングは包丁を手に取った。

何を作ろうか、と考えながら、包丁をもて遊ぶ。

ちらりとリクの方をみれば、顔をしかめながらもう玉葱をみじん切りにしていて。

軽い焦りを感じなが包丁を振り回し続けていると、ルノが文句を言った。

「危ないじゃないか」

「ん」

その手をぴたりと止めて、ルノに視線を向ける。

「……ルノ」

「なんだ」

「何食いたい?」

「…は?」

「何作るか決めてないし、お前の食いたいモンつくるわ」

「私の?」

きょとんと丸くなった瞳に、焦っててもしょうがないよなと笑った。

「そう、その顔」

「へ?」

「お前はいつも笑っているから。…たまにお前が怒ったりするの、私はお前が別の人になってしまったようで」

「イヤなんだ?」

「あ…」

その唇が発するはずの言葉を奪って先回りすると、ルノの顔が桜色に染まる。

「そっかー」

「私は、別に…」

「顔あけえぞ」

「!」

ますます赤くなる顔を抑えるが、赤さは増すばかり。

「お前赤面症かぁー?」

「うるさ…」

うつむいたルノはシアングの服の裾をつかむと、シアングが笑いをこぼした。

「オムライス」

「ん?」

「オムライスが食べたい」

「オムライスね。よっしゃ」

でもまさか本当に言ってくれるとは思わなかったぜ、と言いながらたっぷりのバターをフライパンに転がす。

「…なんでオムライスなんだ?」

「それは、その…別にいいだろ。それより私は何をすればいいんだ?」

「ん、そーだな。んじゃニンジン細かく切ってくれ。…あ。手え気をつけな」

「ああ」

手際よくたまごを割り、ちらりとルノを盗みみれば、彼はまな板の上にニンジンを置くと包丁を振りあげ、


ズダン!


勢い良く切りつけたのだ。

「お、おい何やってんだ?!」

「何って…」

まっぷたつになったニンジンをみる。

「見ればわかるだろう?お前に頼まれた事をしてるんだ」

「いやいや一致してねぇよ!包丁は短剣じゃねぇし!」

「そうか?」

「細かくきんのってもっと近くでやんだよ!」

「そうか………」

言葉が終わらないうちに顔を伏せてしまったルノ。

慌てたシアングが弁解を始める。

「…わり。お前料理なんてしたことなかったんだよな」

「…。」

「まじごめん…な」

「ふん。さっさと謝ればよかったんだ」

「なっ…」

プイと顔を背け、再び包丁を手に取るとニンジンを刺した。

「あーあー…」

あちゃぁ、顔に手をあけるシアングをさらに無視し、続ける、が。

「ッツ!」

「切った?」

「…」

ひょいとその手を取ると、なるほど、右手の人差し指にプツンと血玉ができている。

「ほーらみれ。あんな扱いしてるからだ」

「すぐに治す!離ッ…?!」

突然のことに、おもわずビクリとしてしまった。

その指は──なんのためらいもなく、シアングにパクリとくわえられていたのだ。

「な…な、何を……?」

銀糸を引いてそれは唇から離れた。

「消毒」

こともなげにシアングは言うと、固まったルノから包丁をとってニンジンをみじん切りにし始める。

口をぱくぱくさせるルノに、あくまで自分は冷静とみせながら、シアングはこっそり笑みを浮かべる。

それはトアンたちにしか見えなかったのだが、ついでにウインクを投げた。


「シ…シアング…ι」

「トアン真っ赤ー」

やっぱり動じないチェリカに、トアンは驚く。

「チェリカ…だって、だってさぁ」

「うん?大丈夫?」

「はい…大丈夫です…」

変なのはオレなのか…それともチェリカなのか…

戸惑うトアンであった。


一方、リクはハンバーグとテュテュリスの二つと戦っていた。

「のーまだかー?わしは疲れたー」

「はいはーい、もう少し待ってくださいねー」

「ヒマ。ヒマヒマヒマ」

「も、もう少し…」

「そんな肉団子よりわしの相手せえ」

「もうちょっと待ってくださいよお」

「むー…」

大量の数のハンバーグを作り、肉汁を中に閉じ込めるように焼く。出てしまった肉汁は後でワインを混ぜソースを作るのだ。

(お子様料理ッスけど、まあ手堅くいったほうがいいッスよね…。あ、師匠は食べられるかな)

ちらりとツムギを見ると、目が合った。やんわりと微笑む彼に、思わず頬が緩む。

…それにいち早く気づいたムククヒルが睨んでくるのだが。


ツムギはもともと、小さな島国の出身らしい。

その国では料理に油をほとんど使わず、独特の調味料や塩等を使い、淡白ゆえに素材の味が引き立つ――そんな料理をしているらしい。

残念ながら詳しいことが、ツムギの口から聞けることも、リク自身が想像することもできなかったが。


(今は俺たちと同じようなもの食べてるけど…結構キツイんじゃないッスかね)

駄々をこねるテュテュリスの声をどこか遠くで聞きながら考える。

どうせなら、懐かしいであろう料理を作ってあげたら?

──喜んでくれるだろうか。

焼きあがったハンバーグを次々に皿に乗せ、その次にフライパンにワインを入れる。

(でも──)

「リク!」

「あちっ!」

テュテュリスの声にハッとした瞬間、跳ねた油が頬に付いた。

「なにやっとる。…ふん?考えごとをしていたようじゃな」

「あ、いや…その」

背伸びしたテュテュリスに袖で頬を拭われ、思わず口ごもる。

「何考えてたんじゃ」

「な、何でも…」

「うん?……まあ良い」

以外にあっさりと引かれ、リクは不思議に思う。

(いつもならもっと詮索してくるのに…)


「ルノ、味見してみ」

「う」

つきつけられたスプーンに思わずのけぞると、にっこりと笑ったシアングと目があった。

スプーンの上にはできたばかりのオムライス──の一部。

「どした?食ってみってほら」

「…」

ゆっくり口を近づけ、食べる。

瞬間、パッと口を押さえたところを見ると、思いの他熱かったらしい。ごくん、細い喉が動いて飲み込む。

「どう?」

「熱かった」

「んなこというなって。」

「…まあまあじゃないか」

「へへ、さんきゅ」

卵は自信ありだ、という。

牛乳は少なめ、卵はふんわり優しく混ぜ、弱火で焼く。そして、最後は余熱で焼き上げる。

「それがミソなんだよなあ」

「ふーん」

「んっふー。ありがたいと思えよ?こもシアングさんの料理の出来立て食えるんだから」

「味見じゃ…毒見じゃないか」

「てっめ…」

つい、また顔をそらされてしまった。

「まあいいや。熱いうちにまず出しますか。チェリちゃーん」

「はーい!」

呼ばれたチェリカがとてとてと歩いていき、料理をテーブルに運び始める。

それに続いてツムギ、トアンも手伝った。


「チェリカちゃん、こっちもお願いします」

「はーい」

今度はハンバーグ。人数が多いので料理の量が多く、できたものから運んで食べてもらわないと、すべての料理をつくるころには冷めてしまうから。


「う、うまい!」

「このオムライスの卵すげえー!」

「いや、ハンバーグもうまいって!」


「次はスープ、だな」

皆が喜んでることに自分の顔も笑っていることに気づきながら、シアングが言った。

「シアング君」

「ん」

振り向くとリクが手を振っている。

「なんだ?」

「あの、スープは同じ物作りません?」

「……それってオレへの挑戦?」

「ふふ」

否定とも公定ともとれるその笑みに、一瞬だけ眉を寄せて。

(リクってこんな自信家だったっけ…?おどおどした感じが印象だったんだけどな…まぁいいや。受けてたとうか)

すぐに不敵な笑みを返し、シアングは腰に手をあてた。

「ん、で、何にすんの?」

「コーンスープってどうっすか。入れる具は自由で」

「いーぜえー。吠え面かくなよ」

一瞬火花を散らせると、二人は食材を手に取った。


スープというのはこれまたやっかいで。

コーンスープに限定されたといっても、温度や甘味の好みは人それぞれ。


「どーするかな。なぁルノ」

「私に言われても…何で私に言うんだ?」

「お前の好みで作るから」

「…私に…気を使うな」

「いや、オレはお前の好きなもん作ってやりたいの」

「…」

「どした?」

「足はひっぱりたくない!!」

そういってルノは後ろを向いてしまった。その仕草はシアングの保護者…というか男心をくすぐった。

「お前ってさぁ…なんか守りたいんだよ」

「…ッ」

「そこんとこしっかり覚えといて」

「迷惑…だろう」

「だろう?だろうってなんだよ」

「お前が、だ。」

それは、本当に、本当に、消え去りそうな声だったが。

「…オレはこれっぽっちもそんなつもりないんだけど」

「何を怒っている」

「お前がオレに対して、なんか遠慮してるから」

「遠慮なんて…」

「してる。すっげしてる」

「…」

「お前が壁作っちまうのは仕方ないけど、オレとしてはんなもん不要だって思う。…うまく言えねえけどさ」

「…私とお前は、相容れない…『私』がどんなに……望もうとも……」

ルノの声は徐々に小さくなって、最後の方はほとんど聞こえなかった。…それでもシアングの耳は、かすかな声を聞き取っていた。

「お前が…望んだ?」

不謹慎と思いつつも、何だかそれはとても嬉しいことに思ったが、ルノの顔を見て、打ち消した。ルノは、とても悲しそうだったから。

(結局オレは、こいつのことよくわかってない…でもいつか。いつかきっと互いに理解できると思う)

今のシアングがいくら考えてみても、ルノが悲しむ理由が分からず、優しく頭を撫でてやることしかできなかった。

(シアング。お前と私は、あまりにも生きる場所が違うんだ)

その手を払い除けないまま、ルノは考えていた。



ことことと音を立てて、鍋が歌っている。

ルノの注文でたっぷりのコーンにミルク、少し甘めの味付け。優しい感じのスープになっていた。

「ちょっと煮込めばうまいのできるからな。先にデザート作ろうぜ」

「デザート?」

「うん。何がいいかねえまったく。ルノ、なんかある?」

「私に聞いてばかりだな。…デザート…か」

(ルノは甘いもの好きだからなぁ。ずいぶん考えてる…やっぱりこういうとこは)

「シアング」

「うおあ!!!」

いきなり話し掛けられて驚くシアングに対し、首を傾げるルノ。

「あ、はは。なんだ?」

「フルーツポンチとかどうだ?」

「お子さま…」

「なんだと!!」

「へっへっへー。んでもよ、簡単すぎじゃねえ?」

「だったらお前なりに工夫すればいい」

「なるほど」

そりゃ名案、果物を切りはじめる。そしてルノは見ていなかったが、シアングはボールの中にワインを少々いれた。

(チェリちゃんもみんな…トアン以外酒オッケーだろきっと。トアンも少しぐらい飲ましてみたらいいかもしんねえし。ルノも…平気だよなきっと。)

手に付いたワインを舐め、鍋の火を止める。

「チェリちゃん、全部できたぜ」

「俺もっス」

いつのまにか作ったのかクッキーの山の向こうから、リクの声がした。



スープとデザートを配り終え、今度は全員が席についた。

「お疲れさまお兄ちゃん」

「…疲れた」

長い髪を一つに結ったルノは司会席の正面のテーブルに突っ伏したまま、チェリカがいじるままになっている。

「髪ながーい」

「ん…やめろチェリカ」

「みつあみって難しいなぁ」

「やめろと言うに…」

「ほらお兄ちゃん、クッキーもフルーツポンチもおいしそうだよ?決着つくのかなこれ」

「どうだか。…みつあみならお前にやってやる」

未だ試行錯誤をやり続けるチェリカに手を伸ばすが、ひょいと避けられた。

「私にやりたいんじゃないもん。もう、お兄ちゃんの髪さらさらでやりにくいよ」

「しょうがないだろう」

「んー」

ぷっとふくれるチェリカの頭を優しく撫でると、すぐに笑った。

やたら陽気なエラトステネスのメンバーの声を聞きながら、ルノはクッキーを一枚手に取ると噛ってみる。

さくさくとした触感のそれは、バターの味がふんわりとでていておいしい。きっと紅茶にも合うだろう。

「うまいな」

「そーなの??」

チェリカも一枚食べる。

「あ、すっごいおいしー!!!」

うっとりと頬に手を当ててチェリカは至福、という表情を見せた。

「チェリカー」

「んー?」

ぱたぱたとトアンが走ってきた。手には長いスプーンが入ったグラスが四つ。

グラスの中にはシアングの作ったフルーツポンチ。

「うっわおしゃれだー」

「うん。シアングが食べやすいようにって。」

「ふーん。美味しそー」

四人の席に並べていき、トアンもそのうちの一つに座る。

「えっへーいっただっきまーす♪んん、おいし~い」

チェリカが一口食べる。

「そうか?」

ルノも身を起こすが、固まってしまった。トアンも固まっている。

なんとチェリカが──トアンにべったりくっついていた。

「な、な、な、何!?」

顔を真っ赤にしたトアンがチェリカの顔を見れば、それは桜色で。

「シアング!何を入れた!?」

「ワインを少々…で、でもチェリちゃんは酒強いはず…」


「ワインには弱いんじゃよ」


振り向けば、テュテュリスとムククヒルが笑っていた。

「氷の一族の奴らはな、ワインだけに弱いんだ。ビールとかはすんげえ強いんだけど」

ザル一族、とムククヒルが笑う。

「どうやら…チェリカは酒については母に似たらしいのう」

「クランも弱かったよな」

「じゃがの、セフィが本当のことを言ってからは必死に特訓してた」

「うんうん」

「しかし酒に酔ったクランはセフィに襲い掛かって殴られて…翌朝になったら何も覚えていなくて、不思議に痛む頬を押さえていたし」

「傑作だよなあ!!」

ムククヒルはひっくりかえって笑い、テュテュリスは腰を追って笑った。

「あ、あの」

「ん?」

「チェリカはいつまで…?」

「ああ、安心せえ。セフィは次の日にはしゃっきりしておったし、明日には元どおりじゃろうて」

「そうか」

安心して息を出すルノは、無意識に手元のフルーツポンチに手を伸ばした。

そしてそのまま、一口食べる。

「あ」

シアングが慌てて止めるが、すでに時遅し。ぱったりとテーブルに倒れこむ。

「もうちょいだぜ。へっへー精々がんばんなッ…!?」

「どうしたのじゃ?」

突然宙を睨んで顔をしかめたムククヒル。

「これは……まさか…」

「ムクク?」

「ん、あ、わり。何でもねえよ」

それきりムククヒルは口を閉ざし、何を言っても答えなかった。


「なんだってんだ?」

「さあ…」

ルノ背中を擦りながらつぶやくシアングに、トアンが返す。

「あいつがあんなに慌てるなんて…うわあ!?」

「…シア……」

いきなり抱きついてきたルノに、動揺を隠せないシアング。

「うわ…」

さらに顔を赤くしてトアンが言った。

「な、お、おいルノ?どうしたんだよ?」

「ん…」

猫が甘えるように顔をすり寄せてくるルノ。ほんのりと桜色になった頬、スルリと絡まった細い腕。

「うわぁー」

「シアング…複雑そうだね」

「いや、わしにはどこか嬉しそうに見えるぞ」

「うるせ。なあ、このままじゃいろいろもたないよオレ」

「もて」

「ちくしょーっ!!だって、これ…」

「がんばれアホ」

「うー」

テュテュリスの冷めた突っ込みを受けながら、取り敢えず頭を撫でてやる。

が、ルノは満足しないのかシアングの服に手を掛けた。

「おーい何するつもりなんだよ」

「何って…わからないか?」

虚ろな瞳はしっとりと潤み、甘い香りがした。

「!?ルノ…ッ」

「まさかわからないとか?」

「お前…性格かわってないか?っておいちょっとまて」

ボタンが一つ外されたところでシアングが止める。

「何だ?」

「『何だ』ってこら。やめろって」

「うるさい」

もう一つ外される。

「なあ…やめろってさー」

「断る」

「こら」

「お前は私が嫌いなのか!!?」

「何でそうなるんだよ!」

「じゃあおとなしくしろ!!」

「ルノーなんだよその酒癖…」

困り果てている中でもどこか嬉しそうなシアングに対し、ルノの表情は真剣そのもの。紅い瞳は挑発的に揺れ、じっと見返してきた。

「…だーめだわ。完璧酔ってる。こいつさっさと寝かせたほうが…ッ!?」

「クリアフール」

「うわあ!」

パキン!と氷のカケラが頬を掠める。

「てっめ…」

「逃げる気か!どうなんだ!?」

「ダメだこりゃ…ってえ!いてえよ!」

立ち上がったルノはキッとシアングをにらみつけたまま、その手に魔力を集め魔法を構築していく。


「さむーいよー」

あくびを一つにチェリカが目を覚ました。

トアンの腕からそっと離れると辺りを見渡す。

「お部屋に雪が舞ってまーすねー」

「チェ、チェリかもう大丈夫なの?」

「んー。」

まだ酔ってらっしゃる、トアンは確信した。それでも今は、この最強の妹様に頼るしかない。

「まっかせんしゃーい。こらお兄ちゃーん、暴れちゃ駄目っしょー」

ふにゃららした口調が耳に聞こえた瞬間、ルノがピタリと止まる。

振り返り、何か言おうとした瞬間──


ガタガタバタン!


凄まじい音を立ててルノが倒れた。

「あーもうしょーがねーなあ」

ひょいとシアングがルノを担ぐと、チェリカの頭を一撫でして歩いていく。

「いっちゃったー…んもー、トアンもっと飲みなよー」

「オレは駄目だよ!!」

「遠慮はいらない!」

「遠慮はしてない!!」

逃げ回るトアンを追い掛けるチェリカ。笑いながら、テュテュリスはふと目に入った男のもとに行った。ルーガのところへ。

「のう」

「んー?」

どこからか出したのか大量の酒がテーブルの上に転がっていた。

アクエが黙ったまま睨み付けてきたが、取り敢えずは無視。

「お主の、そのイレズミだがな、ほうっておくと命にかかわるぞ」

「だろうな」

「だろうなってお主!」

「テュテュリスさんや。自分のことは自分がよくわかってるってもんよ。」

そこでルーガは酒を一口飲む。アクエの睨みはますます強くなっているが無視しかない。

「でもよ、しばらくは世話になるぜ。…ただ」

「む?」

「トアンたちを隣の大陸に送ってやんにゃー」

「塩の流れが変わる。風も味方にすればその日の午後には一番近いフィルラーチ大陸の港、クノンベルにはつくじゃろ。だからすぐ終わる」

「そか」

「うむ。トアンたちは真冬に来て…春の少し前に出ていくのか。かわいそうに、フィルラーチはこれから秋じゃ」

テュテュリスはくすくす笑うとルーガの肩を叩いた。

「まあ飲め。これからはお主らで遊ぶとしよう」

「んじゃ焔竜様もお飲みなさい!」

「リクの料理が酒の肴に…まあええ!受けてたつ!」

小さな挑戦者の参加に、海賊船のメンバーの歓声が上がる。

アクエはその様子をじっと見てから、リクの傍に行った。

「アクエ」

「…兄さん」

「…」

「…」

重い沈黙。

「あ、そうだ!これ」

アクエが慌てて腕を出した。そこには、いつかの腕輪が光っている。

「もらったよ。…ありがとう」

「あ、はは。よかった」

「うん…。兄さん、聞いていい?」

「ああ」

「どうして出てったんだ?」

ピクリ、リクが反応する。

「…やっぱり俺のせいか?」

「へ?」

シュン、アクエがうなだれた。

「ち、違うよ。俺は…その…」

「?」

「……言っただろう。俺は、もう普通の人間じゃないんだ。だから、だから帰れない」

「そんな!俺だって人間じゃ……」

「シ」

「ん」

人差し指でソレに続く言葉を止められた。リクの瞳は、不思議なくらい優しい色をしていた。

「そんなこというな。…それに、俺は満足してるんだ」

「なんだって?」

「俺はここで、あの人に尽くしたいんだ」

そう言って笑うリクは、本当に幸せそうだった。



「そうだね…『翡翠の瞳』、という詩を知っているかい?」

「ううん」

突然のタルチルクの言葉に、チェリカとトアンは…トアンが主だが…返事をした。

「賑やかだね。この場で是非歌わせてくれないか?きっと君たちにとって興味深い詩なんだ」

「え?…はいお願いします」

トアンは首を傾げながらもなんとか床に座るとチェリカも座らせる。この場合の詩、というのは弾き語りのような物語のことだ。

興味をもったのか、ムククヒルとツムギもそれに続いた。

ホロン、優しい音色が流れはじめる。

「…その昔、森の奥に美しい男のエルフがいました。透けるような無色の髪、全てに優しげな翡翠の瞳。

そのエルフには恋人がいました。恋人も花のように麗しく、美しい二人でした。

しかし、欲に溺れた人間達は、彼の恋人にあらゆる屈辱を味合わせなぶり殺してしまいました。

彼は怒り狂い、その怒りに身をまかせ、その人間達を殺しました。

その人間達を殺しても彼の怒りは納まらず、村や町を滅ぼしました。そしてそれは、666人もの人間の命を奪うことになりました…」


タルチルクは憂いを帯びた瞳であたりを見渡す。

「そしてその瞬間、彼は正気に戻りました。

ところが遅かったのです。

彼の翡翠の瞳は、血のように紅い瞳になり、透明な髪は嘆きをうけて灰色になってしまったのです。彼は苦しみました…」

琴はどこまでも優しいが、タルチルクはさびしそうなまま続けた。

「彼は悩んだ末、崖から身を投げました。そうすればこの苦しみから解放されると。

…しかし彼は消えることはできませんでした。森が、彼が還ることを拒んだのです。

森が拒否をしたのです。彼は生き続けるしかありません。彼はエルフの里からも追いだされ、その報いとして666年、森の外で生きることになりました。

森がエルフの生みの親といわれるほど森を守り守られているエルフ。

本来エルフは森から出るとあまり長くは生きられませんが、彼は行き続けることが代償なので、逆に生きるしかありませんでした。666年も…」


トアンはソレを想像してみた。

大事な人を失ってたった一人、しかも今まで住んでいて、親のような人のもとから追い出されるのだ。

親のことはどうだか知らないが、恐ろしい。大事な人が…沢山いる今では…失うなんて考えられない。

「さらに、そのエルフの中には人間を殺したときにできた闇がありました。

一度は消えたものの、それは再び何かの弾みで現れるでしょう。絶対に。……今も世界のどこかで、彼は一人『闇』を隠したまま生き続けているのです」

「ちょっとまて」

詩が終わると同時に、ムククヒルが口を開く。珍しく、その声は震えていた。

「何でソレをお前が知ってる?」

「…」

「え?」

何も言わないタルチルクの代わりにトアンが聞き返す。

「まさかとは思ったが、それは人間の知っていい詩じゃない。一瞬作り話かとおもったけどな」

「…作り話じゃないよ、これは」

「その笑い、やめろ」

落ち着いた姿勢を崩さないタルチルクをムククヒルは睨んだままだ。

「確かにこの詩はあまり人目にさらしていいものじゃない。…でも」

「なんだよ」

「トアン君には…いや、この子たちには、知っていてほしかった」

「は?」

「え?」

ますます険悪になるムククヒル。

「それは人間が決めることじゃない」

「そうだね」

「お前は人間だ。そうだろ?」

「…ボクはただの吟遊詩人だよ」

ムククヒルの額を小突くと、タルチルクはトアンに笑いかけた。

「覚えておいてほしい。この詩は。きっといつか、助けになるはずだよ」

「…え?」

「いずれわかるさ。…うん?どうしたタン?」

振り向くとタンは困った顔をしてツムギをみている。ツムギもタンをみて──驚いたことに恐怖を浮かべた。

「…あなたは!」

「ツムギさん…タンさんのこと知ってるの?」

「あ…」

「私を…知っているのですか?私もあなたを見たことが…あるような」

タンが首を傾げた。

目を丸くするツムギに、タンに代わってタルチルクが口を開く。

「ああ失礼。タンは記憶喪失なんだよ。もし彼のことを知っているなら教えてやってほしいのさ」

「…本当に?本当に記憶を?」

「ああ。なにかの後遺症みたいなものらしい。完璧に消えたわけではなく、うっすら覚えているものもあるけど」

「そう…ですか」

「はい」

「…あなたは…小さな、あなたの国の王子さまをつれて、私の家に来たんです。その王子さまにかけられた呪いを解くために。これも思い出せませんか?」

「…王子…?」

「はい」

「…。私にはきっと…誰か大切な…守る人がいたのでしょう。それは少し、覚えています」

「よかったじゃないかタン?君のことを知っている人にあえて」

「…ごめんなさい。これ以上は言えないんです」


「「え?」」


「私はわけあって追われる身。だから…これ以上は…」

「そうですか…ありがとうございます。わざわざ危険を犯してまで教えてくださって。」

タンはふっと微笑むとツムギの頭を撫でた。ツムギは驚いたように目を見開くが、すぐに目をつぶる。

「タンさん、あなたが優しいのはかわってません」

「ふふ」



「…ん……」

「大丈夫か?」

ゆっくり目を開くと白い天井が見えた。続いて金の瞳。

「シア…?……私は…、う!!」

「まだ起きんな。つらいだろ」

起き上がった瞬間頭を押さえるルノを、そっとベッドに押し戻す。

「…何があったんだ…?その格好。ボロボロじゃないか」

「なんも覚えてないのかよ?」

「何を?」

「何をって…」

シアングが口籠もる。

「…私が何かしたのか?」

「お前…オレに襲い掛かってきたんだぞまったく。オレもいろいろ我慢したんだぜ」

「私が…お前に?」

「ああ」

「噛み付いたりしたのか?」

「それよりタチ悪いな」

「…」

「何も覚えてないなら構わねえ。むしろ…まあいいや」

「…何だそれは…あ!お前、料理対決は!?」

「あ?あぁあれ。」

「結果はどうした!?」

「もういいんだ。うまくいったしさ」

「うまく…いった?」

「ああ」

コップに水を注ぎながらシアングが答えた。

「やられたよ。結局チェリちゃんとジジイにはめられたってワケだ」

「…」

「今あっちいきゃわかるんだけど、すっげ盛り上がってるぜ?もーすんげえ仲いいの。だからチェリちゃんとジジイの思惑通りってことだ。…水飲むだろ?」

「…もらう」

「こぼすなよ」

シアングに支えてもらい、ひんやり冷えた水を喉に通す。今まで飲んだ水の中で、一番おいしく感じられた。

「お前は、それでいいのか?」

「うーん…なあ、オレの料理どうだった?」

「うまかった」

「ならそれでいい。オレはそれだけで十分だ」

「……ふん、変わった奴だ」

シアングがなお満足そうに喉で笑うのを聞きながら、ルノはころりと寝返りをうった。

「そうそう、今日は暗くなったらみんなで風呂はいろうぜ。そんでゆっくり寝ろ。明日にはもう発つらしいぞ」

「…もう?」

「ああ。ここは居心地いいけど、、いつまでもいるわけにゃいかない。それに、なんだか世界が…震えてるんだ」

「何?」

「オレ、一応竜の血があるから。精霊がどんどん減ってってんのがわかんだ」

淡々と続けるシアング。

「なんかやばい。じわじわって感じで…。」

「精霊が死ぬなんて、そんなことが」

「あるんだ。きっと月千一夜が関係してる」

「──クルゥ…!」

「あん?」

「あ、いや…」

ごまかすように視線をずらす…が、シアングには何か気づかれている気がした。

「隠すなよ。お前の…友達だろ?あの城で戦った」

「戦った!?」

「あ、ああ大丈夫殺してねえ」

「…そうか…。すまなかった。クル

ゥは賢い子だったから、きっと、大丈夫だよな…」

「ああ…」

「少し眠っていいか?ほんの、少し」

「おやすみ」

「シアング…ここにいてくれ」

「え?」




翌朝早く、霧が立ち込める焔城の中は、いつもどおり

の朝だった。

「あの、これサンドイッチです。船の中で食べてほしいッス」

旅支度を整えたトアンたちの前に、リクが駆け寄ってきた。

「うわ、おいしそう!」

「ちゃんと皆さんの分あるんで、…アクエ、ほら!」

「…」

コートを着て出てきたのはアクエ。ルーガではなく。

「あれ?」

「ルーガはしばらく動けない。だから、どうせ一日なら俺がいってやるよ」

アクエはくるりと向きを帰ると、少し暖かくなってきた太陽の下歩きだした。数人の海賊船員も続く。

「じゃ、そろそろ」

「トアン待って、ツムギさん達がきたよ」

チェリカの声に振り向けば、ツムギとムククヒル、犬ではなく人の姿だった。

「トアンく…うわぁ!」

ぼふりと雪の上に倒れたツムギ。ムククヒルが手を貸すと、照れ笑いをしながら起き上がる。

「ありがとムクク。…トアン君、チェリカちゃん、ルノ君、シアング君。気を付けてね、私は見送りしかできないけど…」

「ううん、ありがとムギさん」

「本当に…気を付けてね」

「…もしなんかあったらムクク様を頼んな。ツムギが世話になったし、礼をしなきゃな」

ツムギは一人一人と握手し、ムククヒルは一人一人の頬をつねった。

「ツムギ、冷えるからそろそろ戻るのだ」

「大丈夫だよシンカ」

「ダメなのだ!」

「んじゃ連れてくぞ」

「あー!」

ひょいと担がれて、茶髪は焔城の中に消えていった。それを見届けてから、シンカはトアン達に向き直る。

「これ…持ってって欲しいのだ」

そういうとシンカは自分の首輪についていた、小さな羽根の形のアクセサリーをトアンに差し出した。

「え?」

「もし旅先で、右足にリボンを巻いた真っ白い犬に会ったら…それを見せて欲しいのだ。きっときっと、いいことがあるはずなのだ」

「いいこと…?」

「『物事のもう一面』を知ることができると思うのだ。おお、旅の方我輩も応援しておるぞ」

「うん!」

チェリカがシンカの手を握る。リボンはトアンの鞄の中に入れた。

「…次にあったとき、敵同士ではないといいのだ…」

「シンカ?」

「いや、なんでもないのだ」

少しだけ悲しそうな笑みを残して、シンカは城に帰っていく。

「どうして…?」

チェリカのつぶやきに、誰も答えることができなかった。


さくさくと雪の中を歩くとアンたちはツムギの力であろう風に乗せられ、あっという間に港に着いた。

と、雪の丘の上をテュテュリスが走ってくるのが見えた。

「こらー!お主ら、わしに挨拶もなしに行くつもりか!」

「ジジーイ!」

「はーっ…はーっ…やれやれ、やっと追いついた」

「どうしたの?」

「いや、見送りじゃ…と」

テュテュリスが服の中から無造作に取り出したのは、綺麗に飾られた一総の黒い獣の毛だった。

「これもってけ」

「なんだこりゃ」

シアングがひょいと持ち上げてくるくる回してみる。

「これ、粗末に扱うな。…旅先で何かあったとき、占い師か神官に渡せ。わしと交信できるはずじゃ」

「え?」

「じゃ・か・ら!もう!こんな特別滅多にないのじゃ!おとなしくもってけ!」

「あ、う、うん」

トアンが鞄に入れるのを確認して、テュテュリスは満足気にうなずいた。

「お主たちの旅に、幸あらんことを!」

降ろされた梯子を上るトアンたちに、テュテュリスが声をかける。

全員乗り込んだところで梯子は戻され、船はゆっくり動き出した。

「さよなら!」

ほんの少し悲しみを感じながらトアンが船から身を乗り出してテュテュリスを見ると…テュテュリスの目には涙が浮かんでいた。

「さらばじゃ!」

「さよなら!!!」

「…!」

テュテュリスが叫んだ言葉は、船の音によってかき消された。でも、それでも。


この一ヶ月間少し、一緒にいた。

でもこの一ヶ月間少し、とても身近にいた。

確かにこの『一ヶ月間少し』、トアンたちとテュテュリスたちは…家族だった。そして、きっとこれからも。

「じゃーなあジジイ!」

「世話になった!!」

「体に気をつけてね!」

気がつけば、隣にはシアング、ルノ、チェリカの姿。

三人とも、寂しさに負けていた。ルノはすぐ顔を背けてしまったが、チェリカの目にも涙があった。

「チェ…チェリカ…」

「…うん」

「あ、あの、」

「うん、泣かないよ」

ごしごしと目をこすって、トアンがとっさに出した手をそっと握って、チェリカは笑う。

「笑ってお別れだよ。交信ってやつをやればまた会えるんだから!ね?」

「…うん!」

今度はトアンが頷く番で。

二人は顔を合わせてにっこりと笑うと、テュテュリスに向かってもう一度手を振った。

もう随分小さくなったテュテュリスに。

「じゃあねー!」

「ありがとうございましたー!」






小さくなった船から聞こえてきた言葉に、テュテュリスは涙を拭って微笑んだ。

「まったく…。さて!城にはまだまだ手のかかる連中がおるし帰らねば!」

帰ったらどうしようか。

きっとこれ以上弱さを見せるのを懸念して帰ったツムギに、なんと言ってやろうか。

そして他の『家族』たちに。

くるりと踵を返し、焔竜は雪原を歩き出した。

白い雪の上を黒い髪の人物が歩いていく。




そして、足跡だけが、残された。

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