第15話 時が満ちる夜

「テュテュは?先刻から気配が途絶えてね」

「焔竜なら片付けた」

「君が?」

「…あんたもすぐに終わるさ」

アクエの瞳が、ランプの光にゆらゆら揺れる。

「私は簡単にはやれないよ」

「どうかな!」

言葉とともに踏み込んできたアクエの剣を驚くべき早さでツムギの刀が受け止めた。

「はぁ!」

そのまま弾き返し、アクエが衝撃で止まった一瞬の隙に、刀は風を裂いてアクエの喉元に突きつけられていた。

「さぁ、月千一夜を渡して」

「…ふ」

「手を離すんだ!」

「…お前は時の守護神の宿り主か」

「え?…!」

油断した瞬間に、月千一夜が怪しくきらめくのが見えた。慌てて身を引くが、太股に強い衝撃を受けた。

「ぅ、…ぐ!」

月千一夜が引き抜かれ、血が溢れ出す。

月千一夜がドクンと脈動し、赤に塗れた青が不気味だ。

「さようなら時の宿り主」

『嫌だよぉー!』

「え…」

剣を振り上げたままアクエが止まった。

(今の声は…この子の意志?)

呆然とするツムギ。

(この子の声がするってことは…テュテュは殺されてない?)


月千一夜は一度精霊を殺すと心が死んでしまう。

実は、それにはもう一つ事実があった。

月千一夜はもともとある一族が作りだし、その一族しか使えない剣だったが、徐々に本来の月の魔力が目覚め始め、剣自ら使い手を選ぶようになった。

使い手以外がその剣を使っても、精霊をに殺すこともできず、意志を完全に食われることもない。



(…もし、あの子が使い手でなかったら…)


そして、自分を止めようとしているなら。


(なんとかできる!)

ツムギが刀を支えに立ち上がり、口を開いた瞬間。

「ぅあ!」

アクエの蹴りが傷口に当たった。

そのまま倒れて痛みに歯を食いしばる。

そして、再び立ち上がろうと伸ばした手が踏まれた。

「ううッ…ぐ」

「ツムギィ!」

シフォンが飛んでくる。アクエがそれに視線を動かし、剣を向けた。

「だめ!シフォンくるな!あぅ!」

より強く手を踏まれ、ツムギが悲鳴をあげる。

「…てめぇ…よくも」

シフォンがつぶやく。

「かかってこいよたかが妖精。ひねりつぶしてやる」

「たかが妖精…?」

「は、違うのか?」

アクエは嘲るような笑いをあげた。楽しくて仕方がないように。

「とことん俺をなめてんな」

「…は?」

「俺はただの妖精じゃねぇ!」

…ドンッ!

強い光が、廊下を照らした。



「ふぅ!」

倒れた男たちをよけながら、リクは雪原を走っていた。

乗っていた馬は離してやった。利口な馬だから、自分で馬小屋に戻れるはず。

と、雪原の一部だけ雪が溶けている場所があった。

「なんだあれ…?」

近づくにつれ、二つの人影が見える。一人は金髪で、誰かを介抱しているようだ。

金髪の人物の後ろ姿から、

…長い黒髪が見えた。

「あ、れ…?」

ざわりという嫌な感覚が背筋を這いあがる。

震える足で、より早さをあげた。

「テュテュリス!」

泣きそうな青年の声に、チェリカは顔をあげる。

駆け寄ってきた青年は不安の色を顔いっぱいに現していた。

「あれ、チェリカちゃん?」

「あ、リクさん…」

リクはすぐに、チェリカの顔に残る涙の跡を見つける。

(チェリカちゃんがどうしてここにいるかは後で。…きっとこの子はすぐに泣きやんで、テュテュリスの手当をしたんだろう。俺がヘコんでてどうすんだよ!)

自分に言い聞かせて側にしゃがむ。テュテュリスの赤く染まった体が、まだ腹の傷からでる血が、守るべき人を守れなかった後悔になる。

「テュテュリスは…誰に?」

血の毛をなくした青白い手を握ると、すっかり冷たくなっていた。

「リクさん…あのね、テュテュリス…」

そこでチェリカは言葉をとめた。

その続きを言おうか止めようか迷っているようだ。

「言ってください!俺覚悟できてます!」

「…。」

「お願いします!」

「…。あのね…。………アクエなんだ」

「え?」

あまりにも意外な人物の名前に、リクは唖然とした。

「アクエって…俺の離ればなれの弟の?」

「うん。」

「何でこんなとこに?あれ?」

慌てるリクにチェリカはゆっくり口を開く。

「最初の最初っから話すとね、港町でリクさんと別れたあと、私とトアンは船に乗ろうと思ったけど船が出ちゃって。で止めてあった船に乗り込んだらそれは海賊船だったんだよ」

「乗り込んだって…密航者っスよ、それ」

「いいのいいの。なんとかなったし。それで、その船にアクエがいたんだよ」

「海賊船に?!ってことはあいつ海賊に?!」

「副船長だって」

「騎士の家マリウス家から海賊が…。でもまぁ、それもあいつらしいっスね」

リクの苦笑に、チェリカも少し笑ってみせた。

「それで、あ、腕輪届けたよ。そのあと色々あって…で、まー随分飛ぶけど、空から落ちたの」

「飛びすぎっスよ」

「えーっと、空中にあった城が消えて、空に投げ出されたの」

「…」

「それで、私気がついたらアクエの乗ってる海賊船…エラトステネスにいてね、アクエの様子が何か怖かったんだけど、そのまま乗ってて、アクエが『焔竜を殺す』っていいだして、よくわかんないけどアクエをとめなきゃいけないから、男の子のかっこしてトアンと戦って、アクエが来て、テュテュリスを刺して…」

そのぐちゃぐちゃな言葉が、彼女の動揺を表している。

信じられないことばかりだが、大体のことは理解した。

「チェリカちゃん…大丈夫っスよ」

「…」


バサン!


翼の音に反応して顔を上げると、シアングがいた。

「チェ…リちゃん?」

「シアング…シアング!」

彼女に異変を感じ、そしてシアングはすぐに原因がわかった。ゆっくり足をつける。

血に濡れた、焔竜。


「くそ…」

「私がなんとかする!」

ルノがシアングの腕から逃れ飛び出した。

だが、チェリカと目が合うと気まずそうに目を逸らす。

逸らされたチェリカもうつむいてしまった。

「おいおい!あとで再開の挨拶の時間はたっぷりやるから!」

その言葉に二人ははっとし、頷き合う。

「チェリちゃん、誰がやった?」

「…アクエ」

「副船長か…くそ!で、どこ行った?」

「お城の方だよ。トアンも追って、」


---------キイィィィンン!!!!


突然の耳なりに、全員耳を押さえた。


「な、なに?」

「強い魔力が動いている…焔城からだ!」


ルノがテュテュリスの傷を癒やしながら叫ぶ。

「あの、行ってきます!」

「私もいく!」

リクが立ち上がって剣を握ると、チェリカも立ち上がる。

「チェリカ!」

「チェリちゃん!」

シアングとルノの声がかぶった。

一瞬顔を見合わせるが、すぐにチェリカに向き直る。

「トアンが心配だよ!」

「だが、」

「お願い!行かせてお兄ちゃん!」

ルノは不安そうにうつむいてしまった。

チェリカの力を知らないわけではない。

でも心配だ。


…だが…。

どこまで心配したらいいかわからない。度が過ぎるとチェリカが自分を煩わしいと思うかもしれない。

そんなのは嫌だ。しかし、


ポン。

大きい手が、頭に置かれた。

「シアング…」

「思ったこと言ってあげな。大丈夫。」

「すまない──…。なぁ…チェリカ?」

「ん」

待っていたかのように返事が返ってきた。

ゆっくり顔をあげれば、真剣な青い瞳。

「わ、私は…。やはり心配なんだ…。でも、煩わしいと思われるのも…。」

最後の方の声は小さくて、それでもしっかり耳に届いた。

「お兄ちゃん」

「…?」

「ありがとう。煩わしいワケないよ!大事なお兄ちゃんだもん」

「チェリカ…」

ね?と笑って見せるチェリカに、ルノも微笑んだ。

兄とか、紅い瞳とか、実の妹なのにどう接していいかわからなかったが、なんだか、少し楽になった気がする。

誰かが笑いかけてくれるだけで気が楽になるのだと、改めて思った。


「それじゃ行ってくる!テュテュリスを頼むね」

「あぁ!」

ルノの答えに安心した顔を見せ、チェリカとリクは駆け出す。

「な?案外簡単なもんなんだよ」

「そうだな」

「でもこれから先チェリちゃんと喧嘩しても、会えなかった空白の時間のせいにするなよ?」

「わかっている。不思議なものだな。大きな溝を一気に飛び越えられたよ…あ、シアング」

「ん?」

「先程は…ありがとう。お前のおかげた」

そう言ってルノは微笑みかけた。

シアングは驚いたような顔をし、よせよ、と小声で言って照れたような笑みを返す。

「さ、ジジイ手当しねぇとな」

「任せておけ」






トアンが城の中に飛び込むと、何か強い波動に吹き飛ばされそうになった。

「な、なんだこれ…」

重い空気。強い気配。一歩進むごとにそれは増す。

まるで強い風が吹き付けてくるようだと、髪を遊ばれながらトアンは思った。

目も開けてられないので薄目で歩いていくような状態で、門を曲がる。


冷たい瞳でアクエをにらむ妖精。出血の止まらない足を押さえるツムギ。

「ツムギさん!」

慌てて駆け寄ると、痛みに苦しむ深緑の瞳が返ってきた。

「いけない…シフォンを止めなきゃ!」

「シフォン?」

問いかけるが、すぐに意味がわかった。

この強い力は、シフォンから起こっているのだ。

「シフォンは…いったい…」

「俺が何かっつーのを詮索する必要はねぇ」

ツムギに対する問いに、シフォンの声が返ってきた。

「どういう…」

「今見せてやる!オオォオォーッ!!」


──ィイイイン!ドン!


耳鳴りと何かが爆発するような音。得体のしれない気配に肌が泡立つ。

おそるおそる瞳を開けて、トアンは息を呑んだ。


「シ…シフォン?」

そこにいたのは、緑の瞳の茶髪の青年。長い髪がその裸体にかかっていた。

「ムクク…」

その姿に、かすれた声でツムギが言う。

「ムクク…?」

「ツムギ。この姿でお前と向き合うのは初めてだな。…悪かった、お前の運命、狂わせちまって」

「…ううん。それが私の運命なんだよ?でも、どうして今…?」

「仮の妖精の姿じゃお前を守れない。」

青年はキッパリ言い切ると、ツムギの頭を一撫でする。

「『シフォン』として魔力を溜めててよかったぜ。一か八かだったけどな。…あ、トアン」

「は、はい!!」

「ツムギ頼むわ」

「はい!…ところであなたは?」

すると青年は、美しい顔に笑みを浮かべた。

「俺ぁムククヒル。元・時の守護神で、仮の姿は妖精のシフォン」

青年…ムククヒルはアクエに向き合う。

「待たせたなクソガキ」

「…同化してると思ったが」

「残念ながらちょっと前に分離してね」

ムククヒルは肩をすくめてみせた。

トアンは相変わらず状況を飲み込めないが、なんとか整理する。

(前、ツムギさんが言ってた存在がムククヒル。ツムギさんの中で意識だけの存在のはずが、オレたちと再会する前に何かあって、ムククヒルは『シフォン』として分離した…?)


「どちらも葬るまでだ」

アクエが月千一夜を構える。

「あめぇ。てめぇなんざにヤられるわけねーだろーがよ!」

いうが早いが、ムククヒルがアクエに突っ込んでいく。

(そんな!危ない!)

(バカが!死にに来るようなもんだ!)

トアンが思ったのと、アクエが口の端を上げるのは同時だった。

アクエがまっすぐに突き、月千一夜はムククヒルの腹に刺さる。

トアンが目を見開くのを見ながら、アクエは余裕の笑みを浮かべた。

「あっけないな」

「──ムククッ!」

「ツムギさん動いちゃだめだよ!」

「離して、ムククが!」

ツムギの泣きそうな声を聞きながら、アクエはムククヒルの顔をのぞき込んで──顔を凍り付かせた。

ムククヒルは…笑っているのだ。

「よぉ」

「な、お前…」

情けないことに語尾が震える。

「どうした?震えてるぜ?」

「何故…何故死なない?!」

「さーね」

ムククヒルが一歩近づく。嫌な音を立ててより深く月千一夜が刺さった。

何か得体のしれない恐怖にアクエは思わず月千一夜を離し、一歩後ずさる。

ムククヒルは顔色一つ変えず剣を引き抜くと、アクエの頭をつかんだ。

「今更後悔してんの?」

「な…」

「てめーはツムギを傷つけた。絶対に許さねぇ」

──ガン!

「うぁ!」

顔を思い切り壁にぶつけられる。

「ったくよぉ!てめぇなんかが月千一夜を持つなんてふざけてるぜ!」

ガン!ガン!

「心食われて終わり。たったそんだけ。でもよ、そんな奴にツムギを殺させるわけにゃいかねーの」

ガンガンガン!

容赦ない攻撃に額が割れて血が顔を伝った。

「ムククやめて!やめてぇ!」

「だって許せねーんだもんよ。てめぇ、ツムギを傷つけたんだぜ?」

「ムククーッ!」

「ツムギさん!」

もう一度手が上げられる前に、ツムギがトアンを振り解いてムククヒルの腕に飛びついた。

「ツ、ツムギ?」

「やめて…ムクク…」

無理に動いたせいで、足からは血が溢れている。

「でも、お前、傷…」

「ムククの傷の方が大変でしょ!無理ばっかりして!…それにこの子を殺しちゃいそうでッ…君は死んじゃいそうで……」

優しい色の瞳からは、一粒一粒涙が落ちる。未練があるように、涙が集まって大きくなった滴から落ちた。

「無理ばっかしてんのはお前じゃねーかよ。泣き顔なんて久しぶりだぜ」

流れる涙を優しく拭うムククヒルからは、先程の残酷さは感じられない。

トアンは二人の傷に気が気ではなかったが、ゆっくりと立ち上がるアクエに息を飲んだ。

「ツムギさんムククヒルさん危ない!」

「!」

すぐにムククヒルが反応し、ツムギを抱えてその場から離れる。

今さっき二人がいたところに、月千一夜が叩きつけられた。

「アクエ!もうやめてよ!」

「アクエ…?アクエか、ははは。」

アクエは乾いた笑い声をあげる。

「我が名は月陰!アクエリアス・マリウスという意識なんざとうに消した!」

「な、」


『違う!』


また。

頭の中に響くアクエの声。


「そんなの嘘だ!」

「嘘じゃない」

「この声が聞こえないの?!」

「声?」

アクエ…月陰は鼻で笑った。

「何も聞こえないぜ」

「そう…」

どこまでが月陰で、どこまでがアクエかわからない。

でも、アクエの心の一番深いところは拒否をしている。それは確かだ。


トアンはゆっくり剣を抜いた。緊張のためか額には汗がにじみ、しかしそれには構わなかった。

「お前は夢幻道士だろう」

「だから何だ!」

夢幻道士の名前が、あまりにも意外だったため動揺した。どうしてここでその名前がでてくるんだろう。

それに、正直そんな名前聞きたくなかった。

村一つ作って勝手に消し、ウィルを、ルノを辛い目にあわせてしまった。

そしてその力が、実の父親であったキークから受け継がれ、自分にも宿っている事実。

まだ使いこなせるわけでないが、そんな名前から耳を背けたかった。


「知らねぇみたいだっな。俺達月千一夜は、お前等夢幻道士によって作られたんだ」

「それがさっきの『一族』って言葉の意味か!」

「正解。ま、もうずっと前のことだけど」

「…ッ」

トアンは唇を噛みしめる。とことん『夢幻道士』はトアンの仲間を傷つけ、それがトアンを傷つけた。

「どんな気分だ?」

「…ぅ…」


「トアぁーン!」

「が!」

背後からの回し蹴りが綺麗に決まり、アクエが吹っ飛んだ。

アクエが居た場所には、肩で息をきらすチェリカの姿。その後ろには、複雑な顔をしたリクがいた。

「チェリカ…リクさん」

「トアンごめんね!足が鈍っちゃって遅くなってて…テュテュリスはお兄ちゃんが治してる。あ!私ね!お兄ちゃんと会って、仲直りっていうか、なんていうか…わだかまりが溶けたんだよ!」

チェリカはそう言って笑った。トアンも笑うが、先程のことでどこかぎこちない笑顔になった。チェリカも気付いたようだ。

「…どしたの?」

「……オレ…」

浮かない顔のトアンを、チェリカが心配そうに見つめた。

「──月千一夜は…オレの一族が作りだしたんだ…」

「そーなんだ」

意外にも拍子抜けする、あっけない答えが返ってきた。

「チェリカ、怒らないの?」

「何を怒るの?」

「だって!テュテュリスや皆を傷つけた剣も、ルノさんやウィルを辛い目に合わせたのも、オレのッ…」


「確かにトアンの一族だよ?でもトアンじゃない」


「…え」

「トアンは何にも悪いことやってない。それどころか、夢幻道士の力をお兄ちゃんを助ける為に使ってくれた」

そう言って、チェリカが笑いかけてくれた。

彼女が笑ってくれるだけで気が楽になる。まるで、暗くなってしまった道に光がさしたように。


「ありがとうチェリカ…」

「うん?元気でた?」

「でた。ありがとう…」

トアンは笑い返し、あ!と声をあげて上着を脱いだ。?という顔するチェリカ。

トアンは急いでムククヒルのところへいくと上着を渡す。

「なにこれ」

「腰にでも巻いてください!素っ裸ですよ!?」

「…血つくぞ?腹の傷全然塞がってないから」

「構いません!女の子がいるんですから!」

「女ぁ?」

どれが?とでもいいたげな彼に、トアンは無言でチェリカを指す。

「ああ!お前かぁ!お前あれだろ!空の子!」

「うん。君は?」

「お前…仮にも元時の守護神・ムククヒルに向かって『君』はないだろ?」

ムククヒルはトアンの上着を渋々まきながら言う。

「ダメ?」

不思議だ、とでもいいたげなチェリカの問いに、ムククヒルは笑った。

「いーぜぇ。かまわねぇよ。ナリもそうだが、そういうとこお前の父親にそっくりだぜ」

「お父さんのこと知ってるの!?」

「あー知ってる。クランキスだろ?」

「うん!そうだよ!」

うれしそうなチェリカと目を丸くするツムギ。

「いつ会ったの?」

「あん?」

「いや…私たちずっと一つだったのに私は知らないから…」

「…あぁ…お前はクランキス達に会った記憶がないのか」

「え?」

「そのうちわかるぜ」

意味深なことを言うムククヒルに困ったように微笑んで、ツムギは立ち上がった。




「アクエ…」

ぴくりとも動かないアクエの脇に、リクが座り込む。

「なんで…こんなことを…」

「…アクエ起きないね」

トアンとチェリカがリクの側にしゃがむ。

アクエは動かない。

「そんなに強くけって似ないんだけどなあ」

「…」

「アクエ、アクエ出ておいで?君は剣に負けるほど弱くない人だよ?」

『俺は…も…駄目だ…』

チェリカの呼びかけに、あたりにアクエの声が響いた。ツムギとムククヒルはあたりを見渡し、その様子が彼らにもこの声が聞こえていることを表す。

「どうして?」

『俺は……。いろんなやつを…手にかけた…』

「俺死んでねえぞ」

すかさずムククヒルが言う。ツムギもうなずいた。

「そう。アクエ君、君はまだ大丈夫だよ?」

『でも…!俺は…!』


「わしだってしんどらんわ」


その声に、その場にいた全員が振り返る。


そこには、いつかの小さな子供の姿になったテュテュリスがいた。


「テュテュ!大丈夫なの?!」

「ツムギのほうこそ」

駆け寄ろうとして顔をしかめるツムギに笑いかけ、ムククヒルを見て驚いた顔をした。

「お主…」

「んだよ」

「シフォンか・それにその姿…ムククヒル?」

「そうだよ。お久」

「わしがいない間にいろいろあったようじゃのう…」

さっぱり状況が飲み込めんわ、そういってテュテュリスは頭をかいた。


「まあええ。とりあえず起きろアクエリアス…じゃったか?お主はすでに月千一夜から開放された」

テュテュリスはしゃがみこんで、リクに安心しろと笑いかける。

「あ、あんた…怪我…!」

「焔竜の力とルノのおかげでの。おかげですっかり力使って、しばらくはこの姿じゃがの」

ふふん、いつかの不敵の笑顔。

リクはほっとしたようにため息をつき、そっと目じりに浮かんだ涙を拭った。


「ジジーイ」

ばたばたと足音がして、ルノを担いだシアングがかけてきた。ルノは随分ぐったりしているが、ふらふらしながらもシアングの肩の上から降りる。

「大丈夫かの?」

「お兄ちゃん!」

駆け寄るチェリカに笑いかけ、ツムギの怪我を見ようとするルノ。

だがツムギはふらふらだから無理しないで、回復力は早いほうだからといって、ルノを気遣った。


「…う…」


「アクエ!」

うめいたアクエを、リクが抱き起こす。

ゆっくり目を開け、アクエは笑った。

「あ…兄…さん…へへ…かっこわり…」

「アクエ…。良かった!!でもとんでもないことしてくれたな」

リクの叱るような口調にアクエはごめん、とつぶやく。

「謝るのは皆に。俺じゃない」

「うん…。──あ!!!」

起き上がったアクエがルノを見た瞬間、目を見開いた。

「?」

「あ、あ…」

がちがちと震えるアクエをリクが心配そうに覗き込む。

「お前は──お前は!」

「何だ…?」

「灰色の…!化物!なんでここにいるんだよ!化物!!!」

「…ち、違う」

化物、と言う言葉に、ルノが一歩後ずさる。

「違うもんか!お前のせいだ化物!灰色の悪魔!」

「アクエ!」

リクにしては珍しい怒鳴り声に、アクエは一瞬すくみあがったがすぐに口を開いた。

「なんだよ兄さん!コイツが悪いんだぞ!?コイツが俺に月千一夜を渡したんだ!」

「違う!お前なんか知らない!私じゃない!」

「嘘つくなよ!これで『焔竜を殺せ』って言ったのはてめえだ!この化物!」

「知るか!私ではない!」

「でも俺は覚えてるんだよ!あんたのその長い灰色の髪と紅い目!」

「違うー!!!」

ルノはそう叫ぶとうつむいてしまった。

その肩は、小さく震えている。


「もう我慢できない!!アクエ酷いよ!私のお兄ちゃんがそんなことするわけないでしょ!!」

チェリカがルノの前に飛び出す。それにトアンも続いた。

「そうだよ!ルノさんは化物なんかじゃない!ちゃんとしたオレたちの仲間だ!それにルノさんの髪は灰色じゃない!今は暗いことにいるから灰色に見えるけど、銀髪だ!」

「お前らだまされてんだよ!」

アクエも言い返す。

そしてさらに口を開こうとしたとき。



「副船長…いい加減にしてくんねえですか」



シアングが低い声で言った。

その迫力にテュテュリスは目を丸くし、ムククヒルは口笛をならした。


「な、なんだよ」

「こいつ、ちいせえころから化物って言われ続けてて、すっげ傷ついて、それで『チェリカは化物の兄なんていらないだろうな』って悲しそうに言ってたんだぞ!それなのに!チェリちゃんの前で、オレたちの前で何度も何度も!!」

胸倉をつかまれたまま、アクエはシアングを睨んだ。

「関係ないだろ!!!どうしたってこいつは化物だ!…ッ!!!」


バキ!


強い力で殴られ、アクエは呆然として言葉をとめた。

殴ったのはシアングではない。


リクだった。

アクエの目にも、トアンたちの目にも、リクは穏やかで、先ほど声を荒げたのも意外だったが、まさか手を上げるとは予想外だった。


「兄、さん」

「…。そんな傷つける言葉を何度も吐くんじゃない。それに…化物って言うなら俺だって化物なんだ」

リクは寂しそうにつぶやくと、ルノのほうに向き合った。

「ごめんなさい、ルノさん。あとでよく言い聞かせておきます」

「いや…お前が謝ることじゃ…」

「すいません」

「あ、ああ」


その様子を見ながら、テュテュリスはほう、と息を吐いた。

「皆のもの、今夜はゆっくり体をやすめるといい。言いたいことはまた明日にでも…」




「おーいおきろや」

雪原に倒れる仲間たちを、ルーガはけった。彼の体には相変わらず印があったが、彼は気にしていない。

重い体を引きずって焔竜に会いに行く前に、この戦い──アクエの起こした──は終了したらしい。

「んー…せ、船長?あれ、おれらなんでここに?」

次々と起き上がる船員たち。彼らの瞳がしっかりしていたことに安堵の表情を浮かべた。


「夏草の匂い、揺れる花は光を弾いて…視界を塞ぐ綿帽子。さよなら…さよなら、背を向けた僕を押し出すのは暖かい風…」


ほろり。琴の音色に続くのは澄んだトランペットの音。

あたりに降り注ぐ雪は淡く輝き、戦いの爪痕の残る雪原に優しく降り注ぐ。

「すげえ…」

「せんちょーう!」

「ん?」

後ろから走ってきたシアングに、ルーガたちは振り向

いた。

「こんなとこに!!!早く城にきてください」

「…ああ、お邪魔するぜ」

「ボクたちも行ってもいいかな?」

楽しげな声にシアングは顔をしかめる。

自分の楽器を持ったタチュールとタンがそこにいた。

「この雪…お前らが?」

「そう。ボク等は音を魔法にする。吟唱魔法っていうのだよ」

ふ、と彼は笑みをもらす。


「すべてを許せ、月と雪たちよ」


歌うように、彼は言った。


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