第14話 頭上の星屑 眼窩の奈落

「駄目ッスよ。何か…なんでもいいのでなにか口にいれないと」

「…。『今』は、嫌だ」

「どうしたの?」

デザートのシュークリームをほおばりながらツムギが言った。

「師匠…」

「ん?」

「…威厳と言うものがないッス…」

「あ、はははは、ははは。…ところでルノ君、大丈夫?」

「…」

「顔色わりーぞ」

シフォンが自分と同じくらいの大きさのシュークリームを食べながら言う。

「あ、そだ」

「ん?」

「うるさそうな顔すんなってーぇ。…なぁ、お前『アリスの箱庭』とどういう関

係だ?」

「!!!」

「シフォン!こら!」

「いいじゃねーか」

「よくないよ!」

ガタン!

ツムギが立ち上がってシフォンを捕まえる。

「もう!…ごめんねルノ君」

「いいじゃねーかよ!こいつが闇の種だってはっきりすればお前だって…」

「……。そうか…。お前らも被害者か…」

「ルノ君、ごめん」

「私は、その妖精の言うとおり、闇の種だった。『アリスの箱庭』の、合成獣実験で使う「あれ」を得るためにつかまった」

「ルノさん」

「ルノ!」

「そうだな。闇の種と言う呼び名も間違っていない」

自嘲気味にルノは笑うと、詰め寄ってきたシアングを見た。

「何を怒っている?」

「お前な!」

「……うるさい…リク、お前だって合成獣なんだろう!?アリスの箱庭の被害者!」

「え、あ、そうッスけど、…俺はなかなか楽しんで」

「嘘をつくな!」

突然話を振られ、笑ってリクはごまかしたが、ルノはピシャリと言い放った。

「…私は、災難を蒔くだけで、誰も救えない」

「んな訳ねぇだろーがよ」

シアングは呆れたように言う。

「そういう風に思ってんのお前だけだぞ」

優しく笑って、ルノの頭を撫でた。

「!やめろ!今私に触るな!」

「へ?」

無遠慮にわしわし撫でる。やめる気配はない。

「やめッ…ぅ!」

「お、おい?」

口を押さえてルノは走っていってしまった。

「なんだよあいつ…やたら今日は走るなぁ」

「実は…ルノ君、さっきもどしちゃったんです」

リクが果物を切りながら言う。

「ふーん…あ、オレちょい行ってくる」


「アリスの箱庭…父さんの組織…」

シアングが走っていったあと、トアンはつぶやいた。ツムギは、悲しそうに目を伏せる。



「う、ぇ…ゲホッ!ぇッ…」

「大丈夫かー?」

「カハッ…さ、わるな…」

「なーに言ってんだか」

優しいその手が、今はとても煩わしい。



…気持ちが悪い…



魔法が使えるようになったら、今度はあいつの幻影におびえるのか?


情けない。

情けなくて涙が出そうになった。



あいつの手が

あいつの声が

あいつの体温が

あいつの息が



何故重なるんだろう。

シアングとあいつは違うのに。



「大丈夫か?」

「…は、」

「どうしたんだよルノ。風邪でも引いたのか?」

「…お、前は…シア、ングだよ、な」

「は?うん、ま、そーだけど」

「そ、か…」


この背中を擦る手は、シアングだ。

あいつじゃない。あいつじゃないんだ。


そう言い聞かせて、目を閉じた。






ツムギが顔を上げるのと、思いつめた顔をしたテュテュリスが部屋に入ってくるのは同時だった。

「ど、どうしたんスかテュテュリス」

「いや、…」

「潮風がきてるね…しかも、かなり重い」

「気づいたか。」

「ね、どうしたの?」

トアンが口を挟むとテュテュリスの困ったような目とぶつかった。

「海から何かきとる」

「なにかって?」

「あまり、喜べないモノじゃ」

テュテュリスはさめたコーヒーをのむ。

「…皆…戦闘の準備をしてほしい…いや、」

「?」

「戦争の準備じゃ。迎え撃つ」

「せ、戦争?」

「小規模じゃが、大人数相手にすることにかわりはない」

その金の瞳にあるのは、深い悲しみの色。



「…戦争?」

「うむ」

ルノが戻ってくると、テュテュリスはテーブルの上の地図を見せた。

「なんでだよ?!ここが戦いになる理由がねぇ!」

「…シアング、理由はなくとも敵は来ておる。狙いはわしの首か、力か、もしくは…」

そこでテュテュリスは言葉を切った。

続きを言うか言うまいか、迷っているようだ。

「もしくは、なんだよ」

「…。ここにいる者の誰かが狙いか」

「は?」

「ここにいるものは、なにかしら狙われる理由を持っておる。わしは焔竜じゃし、」

「俺は合成獣っス」

リクが苦笑混じりに言った。

「私は弟に追われてるし、この子たちも私の旅の仲間」

ツムギがシフォンとシンカをみながら言う。トアンとシアング、ルノは互い互いをみた。

ルノはアリスの箱庭に捕まっていたし、キークの切り札として使われたが、再び狙われているかもしれない。

シアングは目立った理由はないが、トアンたちの仲間という狙われる理由がある。

トアンはトアンで、キークの息子、ルノやシアング、チェリカの仲間である。

それにキークが言っていた

『一族の争いに使える』という言葉が気になる。



結局ここにいる人々は、何かしら追われる理由があるのだ。


「…わかったじゃろ?」

「うん…」

「しかも、理不尽な理由ばかり…まあええ。それでは作戦を説明する」

テュテュリスは怪しげげな笑みを浮かべ、地図をさした。


「敵は西の海から。今日の夜中か明日の早朝にくるはずじゃ。数は大体30前後」

「多くねぇか?」

「いや…そのうち活力が感じられるのは4人ほど」

「どういう意味だ?」

ルノが睨むようしてに言う。

「言葉のとおりじゃ。ほかのものははっきり言って意思が感じられん。つまり、実際にわしらがぶつかるのは4人じゃ。で、そやつら以外は、」

「?」

「わしの使い魔でなんとかしよう。ただ意思がないといっても使い魔に任せっぱなしというのもつまらん」

「つ、つまらないて…」

「じゃから、…ルノ、ツムギ。お主らは敵全体の足を乱してもらいたい」


焔城のテラスから、その上空の雪雲をルノが刺激し、ツムギの風で吹雪をぶつける。


「なかなかじゃん。ジジイ、オレは?」

「シアングはトアン、リクとともに先ほど言った4人をつぶしてほしい」

「…」

「トアン?」

トアンは、うつむいたまま答えない。

「どうした?」

「あ、…敵って、人間でしょ?…オレ、斬れないよ」


人間を斬る。

…一度だけある。相手は、幻の存在だがそれは認めたくない。

しかし自分は、この手で、親友を。

あんな思いだけは、もう。

「安心せえ、追い返すか捕らえるか、二つに一つ。殺すつもりはない。…今、ここにいるもので、人を殺めたことがあるやるはいるか?」

「…俺はあるぜ」

シフォンがにやりと笑った。

「お主…妖精のお主が、何故できる?」

「ふふん。てめーで考えろ」

「シフォン!」

ツムギの声に、彼は肩をすくめた。

「ツムギ!その妖精は、いったい…」

「…。テュテュ、ごめん。話を続けて」

「…?まぁええ。とりあえず言っておく。わしは、殺めたことがある。」

テュテュリスは淡々と続ける。

「それが罪と言うことは理解しておる。じゃから、お主らは殺めるな。もう殺めてしまったなら、二度と殺めるな」

「テュテュリス」

「…もし。何かあったのなら、それに囚われるな。そして、忘れるな。誰かの命を奪うということは、その分生きなければならない。責任を取らなくてはならんのじゃ」

トアンはゆっくり顔をあげる。と、テュテュリスとの視線がぶつかった。


黄金の瞳は、すべてを認めるような色を、していた。


城の中があわただしい。

ルノとツムギは空を見て話し込んでいるし、シアングはテュテュリスが呼んだ使い魔…大小さまざまな動物のようだ…になにやら熱心に教え込んでいる。

リクはばたばたと走り回り、トアンは剣の練習をしていた。


あたりは段々朱に染まり始め、雪の輝きが増す。

「今日はもう少し休んで仮眠をとれ。倒られると困る」

テュテュリスがあくびをしながらいった。

「そうっスね」

「んじゃねるかー」

シアングが立ち上がった、瞬間。


『…えるか』

「え?」

突然、トアンの頭に声が響いた。

(今の…今朝の夢の声…?)

『聞こえるか!!?』

「…誰?」

「おいトアン、どうした?」

「皆聞こえないの?」

「何が?」

「この声…」

「声ぇ?」

シアングは眉を顰めた。

『畜生!何で気づいてくれないんだ!』

声は、どんどん悲痛になるばかり。

『このままじゃ!!!』


「おい見ろ!」

突然ルノが叫んだ。

声は、ぷっつりと途絶えてしまう。

「ルノさん、どうしたの?」

「あれ!」

窓の外は雪景色。

ルノが指す方向の遠くに海が光るのが見える。

そこに、

人影が。


「あ、あれって…」

「もう来たみてーだな」

いつの間にかそばにいたシフォンが笑う。

「バカな!こんなに早く…!!?」

「テュテュリス、てめーもヤキが回ったなぁ」

「うるさいぞ妖精!いったい何故?!…皆のもの!今すぐ戦闘の準備をするのじゃ!」

「波が見方なのさ」

と、シフォン。

「お主、一体、」

「まだわかんねーの?何回目だよその質問。でも教えねーよバーカ」

チロリと赤い舌をだし、笑うシフォン。

「こらシフォン!」

「あ、いけね」

ツムギの言うことは素直に聞き、甘えるように頬をよせる。

「テュテュ、準備して。来ちゃうよ?」

「うむ…」

テュテュリスは何かいいたげにシフォンを見たが、ツムギの言葉に表情を引き締めた。


「…敵は一刻ほどでここにつく!よいな?殺してはならん!」





腰にレイピアを差すと、白いペガサスに飛び乗る。

帽子に金髪を押し込み、ついでに目元も隠す。

どこから見ても、一人の少年剣士。


「大丈夫かい?」

竪琴を持った青年が言う。

その後ろにはトランペットを持った青年。

「タンさん、タツさん。私は強いよ」

二人の青年はペガサスの上の少女…今は少年にしか見えないが…を心配そうに見つめた。

「大丈夫。絶対誰も失わない。絶対にアクエをとめる」

「しかし、なんにせよ気をつけてくれたまえ。ここはボクたちがなんとかしよう」

「…お気をつけて…」

「ありがとう。それじゃあね!」

少女を乗せたペガサスは大陸に横付けされた船から駆け出していく。

ただ、

焔城にむけて。

そしてそれを合図に男たちも走り出す。

男たちの瞳は濁っていた。






一人の少女と二人の青年、そして一人の少年。

この四人以外の瞳は皆、濁っていた。

テュテュリスが呼び出した馬の背にトアンは飛び乗る。

隣の馬にはリクが。


「シアングは?」

「あーオレはいいの。馬って乗ったことほとんどねーし、うまく扱えねぇ」

「でも」

「オレには翼がある」

シアングはつなぎの袖を腰に巻き、上半身を出す。

その背中の翼が生える場所には、不思議な痣のようなものがあった。


「露出狂め」

「ん」

振り向くと、ルノがいた。

「お、ルノ」

「…」

「無理すんなよ。高いところは弓に気をつけてな」

「…お前がいうか」

「あ?」

「その肌だ!」

「あー…ちょい寒いな」

「寒いじゃない!そんな、一撃でも受けたら、」

シアングは頭をがりがりと掻いた。膝をまげ、ルノと視線を合わせる。

「…なに、心配してくれてんの?」

「してない!」

「じゃーなんなんだよ」

「…わからない」

「はぁ?」

「…」

シアングがプッと吹き出すと、ルノは彼をにらみつけた。

「んな顔すんなって。お前まだまだガキだよなぁー」

「な!」

「ルノ。できれば傍にいてやりてぇけど…ツムギ、こいつ頼むわ」

「任せて」

「頼むって……」

私はお前の持ち物ではない、その目はそう言っている。

「それじゃいくか!」

シアングが走りだしたのを合図に、トアンとリクも馬を出した。


走りだしてすぐに、白銀の大地に立つ人々が見えた。

一頭の美しいペガサスにまたがった剣士…少年だろうか?の後ろにいる男たち。全員どこか視点が合わず、濁った瞳でどこかをみている。

(…あれ?)

トアンは何かひっかかる物を覚えた。

(あの人たち…どこかで?)

喉の奥に魚の小骨があるような、チクチクとして気になる感覚。

(思い出せ!なんだ?)

その時。

すぐ横で、シアングが息を飲む音がした。

「みんな…」

呆然とした声が、敵の正体をトアンに教えた。


「海賊船…エラトステネス!」


そう。

トアンとチェリカが忍び込んだあの船。たくさんの優しい人に出会い、チェリカはシアングとも再会した。


「わりぃ!オレ、船長に話聞いてくる!」

「え、」

「頼んだぜ二人とも!」

シアングは翼を広げると、あっという間に飛び立ってしまった。

「知り合いっスか?」

「うん…」

どうして、何故、…わからない。

でもルーガならきっとわかってくれる。

「シアングがルーガさんをつれてくるまで、がんばりましょう」

「ルーガっていうのがあの人たちのボスっスか?」

「うん」

と、少年がレイピアを抜いた。それに続き、男たちも構える。

トアンたちの周にテュテュリスが呼んだ使い魔たちが集まったことを確認すると、トアンも剣を抜いた。

「あの人はオレが!リクさんは他の人を頼みます!」


ギィン!

「っ…」

少年のレイピアは弾いたかと思うとすぐに襲ってくる。


(この人…オレと対して歳はかわらないと思うけど…!帽子かぶってて視界悪いはずなのに剣が上手い!)

休みを与えてくれない、レイピア。

「…ッわ!」

首筋めがけて突き出されてきたのを間一髪かわすが、バランスを崩してしまう。無理をせず馬から飛び降りると、グローブでレイピアを受け止めた。

「君は…誰?」

「…」

「さっきから、君の攻撃はもう少しってところで遅くなるから、楽に受けられる」

「…」

「どうして?」

「…」

少年は答えない。

レイピアを引っ込めるとペガサスから飛び降りた。


ヒュン!


風を裂き、トアンの頬に傷ができた。

少年は手をちょいちょいと動かし、『かかってこい』という。

「…君を殺す気はない!」

キン!

剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。

「ねえやめよう!?どうして君がエラトステネスの人たちと一緒にいるか知らないけど、皆もともとは優しい人なんだ!」

「…そう」

少年が呟いた。

(え?…この声)

キィン!

勢いよく出した剣はレイピアを弾き、そのまま少年の帽子を吹き飛ばした。


はらり。


金髪がこぼれる。


「あー…負けちゃった。やっぱりトアンは強いなあ」

帽子の下にあったのは、何よりも見たかった笑顔。

太陽を思わせるような金髪が、綺麗な瞳が、

とろける様な笑顔を飾っていた。


「チェ…チェリカ…?」

「久しぶり」

「本当に?本物?」

「うん、ホントに本物」

「よかったー!オレ、すっごい心配してたんだよ!」

「ありがとー。私もだよ」

こみ上げてくる感情を抑えきれず、トアンはチェリカの手をしっかりと握る。

(シアングならがばーっといっちゃうんだろうけど…オレはまだ無理だなぁ…)

それでも進歩だと思う、チェリカの笑顔を見ながらトアンは思った。



「でも、どうしてこんなことに?」

トアンは馬に跨りながら言う。

「それがね、エラトステネスの人たちはただ操られているだけなんだ」

「誰に?」

チェリカは瞳を伏せた。怒声や悲鳴が響く雪原を、自らの瞳から隠すように。

「…アクエリアス」

「アクエリアス…?」

「アクエ。アクエのことだよ。でもね、アクエもなんか変なの。まるで人が変わっちゃって…」

「チェリカ…」

「前は持ってなかった青い剣を持ってて、その剣から嫌な気配がするんだ。ルーガはルーガで病気になってて」

「ルーガさんが…病気?」

「うん。私が助けられたときにはもう…。」

「助けられた?」

「私、あのお城から落ちて…皆に助けられたみたい」

悲しそうな横顔をトアンはじっと見ながら考えていた。

(テュテュリスは『城に呼び寄せる途中で持って行かれた』って言った。それが正しいとしたら、チェリカを持っていったのはアクエさん…アクエさんは何を考えてるんだろう。それに、青い剣って…)

「トアン?」

「あ、わ!ご、ごめん」

「いいよ」

「あ、あのさ。アクエさんは何でここに来たか目的わかる?」

「…ううん。…あ!焔城があるって」

「…まさか狙いは、」


赤い花びらが散り、雪原に染みを作っていく。

致命傷にはならない傷だろうが、見ているのはつらい。

「ルノ君」

「!」

突然話しかけられて少し驚く。

後ろを向くとツムギがいた。

「そろそろやるよ」

「…ああ」

「大丈夫?皆が心配?」

「…」

ついとそっぽを向くと、ツムギが素直じゃないね、と笑った。


「何の魔法を使えばいいんだ?」

「え?」

「雪雲を刺激する魔法なんて、わからない」

「いつもやってたのは?」

「私の周りで氷の粒を作って相手に向かってぶつける、なら。」

「うん!それで大丈夫!」

「そうか?」

「それをあの雲に向かってやって」

空に向かって突き出した手に、集中する。

「詠唱の必要はないと思うよ」

ツムギが言う。

「君の力なら、きっと大丈夫」

「だが、」

「失敗を恐れちゃだめだよ」

「…わかった」

ツムギの自身がどこから来るか知らないが、自分より長く生きているなら信用できる。

「…クリアリール!」

あたりに現れた氷の粒が、空に向かっていく。

「できたできた!フィーティス!」

すっと伸びた手から風が現れ、やがてちらちらと雪が降り出す。

「ルノ君、成功したよ…ルノ君?」

ツムギが振り返ると、ルノは心配そうにテラス下の雪原を見ていた。

(やっぱり心配なんだねぇ…)

「待つ」ということは、とても残酷なことだから。

薄い闇の中で舞う雪が、光って見えた。



「あ、雪」

チェリカが顔を上げた。

「ルノさん達だ」

「お兄ちゃん?」

「うん。これも作戦なんだよ。チェリカ、この戦いが終わったらやっとルノさんとゆっくり話せるよ」

「…そっか…」

「どうしたの?」

喜ぶと思ったが、以外に複雑な顔をしたチェリカ。

「…うん。あのね、お兄ちゃん、私のこと嫌ってないかな」

「え?」

「お兄ちゃんばっかり辛い目にあってるから…」

やはり、離ればなれの時間が長い。

でもルノは、チェリカのことを少しも恨んでいないだろう。

「ルノさんはチェリカのこと心配してたよ?」

「…本当?」

「うん」

「そか…じゃー早くこれ終わらせて、お兄ちゃんに会わなきゃ!」

「そうだよ!さて、どこに行く?誰を説得すれば終わるかな?」

「アクエ。ここに戦いを仕向けたのもアクエだよ。…でも、なんかおかしいんだ。アクエがアクエじゃないの」

チェリカはレイピアをしまって杖を出した。

「そのことだけどさ、オレちょっとひっかかるんだ」

「え?」

「アクエさんが持ってたっていう剣。」

「…何なんだろう。とりあえずアクエを探そう」

「そうだね」

二人は頷き合うと、人波に飛び飛んでいく。





「殺さないっていっても…困ったッスね…」


どうしても、多少の傷はついてしまう。

傷からは血が出、それが自分の理性を揺さぶる。

「はぁ…合成獣も楽じゃないッス…」

リクはかるいため息をつくと、無表情の敵に向かっていった。




雪原の向こうに見えたのは巨大な船。

そして、懐かしい船。

だが、自分がいたころのあの暖かい雰囲気がない。

船全体に暗い影が落ちていた。

「…何だよこれ…」

あまりの変わりように、シアングは呆然とつぶやいた。


翼はそのままで船に着地し、さらに顔をしかめる。

「こんなに綺麗なのに…なんで嫌な雰囲気がするんだ…?…と、船長室船長室」

一歩一歩歩くたびに、不穏な気配は強まる。


闇夜に月がにじむ

頬を包む生温かい風はまるで私を誘うよう

深い深い闇へ…


「誰だ!」

突然の歌声に振り向くと、一人の青年がいた。

ホロリ。手に持った琴が鳴く。

「ボクはタチュール。本名タルチルク。まあどちらでもいいことさ」

青年はくすりと笑うと手をさしのべる。

「…なんだよ」

「握手。何万分一、何千億分一の確率と奇跡でせっかく巡りあえたんだ」

「なに言ってんだ。お前何でここにいんだよ?」

「その言葉、そっくり君にお返ししよう」

「…オレはこの船のもと料理人、シアング・アルキメデスだ。船長に会いに来た」

あくまでも優雅に喋るタチュール多少苛つきながらシアングは言った。

「へぇ、君がシアング君かい?レディが言っていた」

「レディ?」

「チェリカという少女だよ」

「チェリちゃん?チェリちゃんがいるのか?!」

喜びと驚きがこみ上げてくる。

(前チェリちゃんに再会したのも…この船だったな。無事でよかった…)

「よかったよかった。そのお祝いに歌をお届け」

「せんでいい。」

ピシャリと言い切られ、タチュールは肩をすくめた。

「遠慮しないでくれたまえよ」

「…。船長室いこっと」

「ああ!待ちたまえ!今は無理だ!」

「無理?」

「船長さんは病気で寝込んでいる」

「…は?!まじかよ!」

「と、いうことになっているのだよ」

「はぁ?」

「今の彼を見れるのならついてくるといい。鍵を開けよう」

タチュールは厳しい表情を崩さないまま言う。

「ただし、本当に合える自信があるなら、ね」

「何だよさっきから勿体つけて。会う。なんと言おうと会うぜ。んでこの戦いをとめるんだ」

「…そこまでいうなら、」

タチュールが鍵を取り出し、ドアに差し込む。

ゆっくりと、扉が開かれる。その瞬間、優しいトランペットの音が聞こえてきた。


「タチュール…」

と、浅黒い肌の青年が出てくる。

「タン。ご苦労サマ。船長サンは起きているかい?」

コクリ。タンと呼ばれた青年はうなずく。

シアングはゴクリとのどを鳴らした。部屋の奥から、とても重い空気が伝わってくる。

「お久しぶりです船長…オレです。シアングです」

「…シアング…か…」

人影が、ゆっくりと近づいてくる。そして、その体に浮いている奇妙な刺青も。

「な、なんですかそれ…」

喉が引きつって、枯れた声が出た。

それはあまりにも不気味な、黒い刺青。

「はは…オレにもなにがなんだかわかんねーんだわ。突然浮き出てよ…」

「そんな…。」

「外が騒がしいな」

「…戦いが起こってます。副船長がそれを率いて」

「アクエが?…あいつ…」

「なんとかしてとめたいんです!船長!何故こんなことに!!!」

ルーガは伸びてきた不精髭を撫でると、伸びをした。

「…この刺青が出たとき、あいつ『焔竜の印だ!』って騒いでたけど」

「焔竜の…?」

まじまじとそれを見るが、そんなものシアングは知らない。

少なくとも、こんな恐ろしい呪い…のようなもの、テュテュリスは使わない。


「船長…これ、焔竜の仕業じゃありません」

「そーなん?」

「はい。会えばわかります」

「会うって…」

「この側の城にいるんです。なんならオレが運びます」

そういってシアングは翼を広げてみせる。

「…おめー…それ…」

「オレは雷鳴竜の子。船長、行きます?」

にっと笑って手を出す。

「…ああ。この戦いもオレがしっかりしないからだしな。いくぜ」

ルーガはそういって笑い返した。



アクエを探しながら、襲い来る男たちを倒す。

トアンとチェリカは戦場を駆け回っているが、アクエを見つけられない。

「いないね!」

男の脳天に杖の一撃をお見舞いしながらチェリカが言う。

「そうだね…大分探したけど!」

剣を払いながらトアンが叫んだ。

「いったいドコにいるんだろ」

「うーん」





「チェリカ、お前は裏切り者だ」






「!?」

不意に耳元でささやかれ振り向くが、誰もいない。

と、突然男たちは戦うのをやめ、ばたばたと地面に倒れ始めた。

「…え?」



「うわ、な、なんスか?」

倒れ始めた男達にリクは驚き、剣を引いた。すぐ側にいたテュテュリスの使い魔も、煙のように消えていく。

「…トアン君!どこっスかー?!」

胸騒ぎを感じリクは馬を走らせる。

頭上で輝き始めた星たちと、美しい月が雪原を見おろしていた。


月は、残酷なほど美しく。




ヒュン!

耳元で風を感じ、慌ててペガサスから飛び降りる。

と、待ちかまえていたように喉元にヒヤリとした感触が押し当てられた。

「チェ…チェリカぁ!」

トアンの叫び声が響いた。


「動くなトアン」

「ど、どうして…アクエ…」

「悪いけど、裏切り者は生かしちゃおけねえ」

「…」

「や、やめろ!チェリカを離せ!」

「トアン…」

チェリカが苦しげに言う。やはり怖いんだろう。

「アクエさん、お願いやめて!」

「うるせえな!」


「!!?」

テラスの上にいるルノが身を乗り出した。

「ルノ君!あんまり体だしちゃ危ないよ!狙われる!」

慌てて引き戻そうとするツムギの方をまったく見ず、ルノは雪原を見ている。

その手は、微かに震えていた。


倒れているのはさきほどまで敵だった人々。そんな中で唯一立っているのは、

トアンとチェリカと、栗色の髪の少年。

…チェリカの首につきつけられているのはナイフ。


「ルノ君落ち着いて!」

「落ち着いていられるか!」

「いいから!」

抑えようとするツムギを振りほどき、ルノはぐっと身を乗り出した。

「チェリカー!!!」


(お兄ちゃん!)

ピクリとアクエが反応し、気がそれた一瞬を狙ってチェリカは勢いよく頭突きをかます。

「くっ!」

体を起こそうとしたアクエの首に、剣が当てられる。

「トアン…」

その行動に、チェリカが驚きの声をあげる。

「アクエさん。オレは怒ってます。…でも貴方を殺すとか、そんなことしたくない」

「…」

「だからもうやめましょう?」

「更…」

「え?」

「今更終わりになんてできない!」


テラスの上で、ルノはため息をついた。

(よかった…)

ほっとしたその瞬間。

「ルノ君!!!」


ドスッ!


鈍い音をたてて、矢が左腕に突き刺さった。

その矢のあとを追うように、沢山の矢が降り注ぐ。



「ルノー!!!」

空中でルーガの腕を掴んだまま、シアングが叫ぶ。

今あの場に飛んでいけたら。しかしそれはルーガさえも危険にさらし、今自分がすべきことではない。

「くそ…ッ!」

唇がぷつりと割れ、鉄の味がした。

「シアング」

「…」

「行ってもいいぜ?オレもうこっから一人で行ける」

雪原に倒れて動かない仲間たちを苦痛の表情で見ながら、ルーガは言う。

「で、でも船長」

「いいから!行け!」

「…はい!」

シアングはルーガを雪の上におろし、テラスに向かって飛ぶ。

矢の雨がやんだ今、気になって仕様がなかった。



「ッ…」

声を殺し、無理やり矢を引き抜く。あふれ出た血の上から右手で押さえ、治癒の魔法をかける。

「大丈夫?」

「ツムギ…すまないな。忠告を無視したばっかりに、う!」

「無理しないで…」

「すぐ治る…ッ」

と、そこにシフォンが何か持ってやってきた。

「おいルノ。これ、見てみ」

「…?」

差し出されたのは…一粒の種。

「これは?」

「最初にお前を撃った矢。あれ、確実にお前の心臓を狙ってたぜ」

「だが、」

「腕に当ったって?そりゃな、その種が矢に当って軌道を変えたんだ。」

「何故?」

「知るかよ。…でも誰かに助けられたってことぜ。ああ、あとお前が当った矢と後から飛んできた奴見比べてみな」

言われるままに血に赤く濡れる矢とほかの矢を比べる。…当った矢は、幾分か小さく、驚くほど軽かった。

「…あとからきてあたんなかったのは多分今回の敵だ。でも当った矢は、」

「別の、存在…」

「先にいっとくぜ。ルノ。お前狙われてる」

「…だろうな」

「心当たりが?」

「まあな。クラインハムトは簡単にあきらめる男じゃない」

「クラインハムト?」

ツムギが訊ねる。

「確か現エアスリク王だったな」

シフォンが言った。その言葉にルノが首をかしげる。

「何故知っている?妖精の一匹に過ぎないお前が」

「えらそうにすんなよ空の子。俺はただの妖精じゃねっつの」

「じゃあ何だ」

「内緒だ。」

それにしてもお前『空の子』って呼んでもらうの初めてか?すっげ驚いてたぞと呟く。

「…現エアスリク王ってことは君のお父さん?」

ツムギが再び訊ねた。こいつはどこまで知っているのかという顔をすると、君と妹さんが空の子ってことくらい、と答える。

「いや、クラインハムトは父さんじゃない。父さんの弟だ。父さんと母さんを封印し、王として君臨している」

「…そうなの?」

「ああ。私を幽閉し、アリスの箱庭とも通じている」

「そんな!エアスリクは天空…神の国!神の国の王がどうして神に背く行為に協力を!」

「わからない。ただいえることは、あの男が自分自身を『神』だと思っている、ということだ」

ルノは空を仰いだ。神からすれば、自分の存在はどれほどの罪なんだろう。

そう思うと、なんだか苦しくなってきた。

「ツムギ、ほんとの神はどこにもいないぜ。形あるもんじゃねーんだよ、神っつのは」

シフォンが言う。

その宝石の様な瞳の奥には、得体の知れない色があった。




「今の弓は…」

トアンが顔を上げた。

(テラスを狙ってた!矢の方向からみて焔城のすぐそばにある崖から撃ち込んだんだ!…ルノさん、ツムギさん…)

「トアン危ない!」

「わっ…」

チェリカの声に驚いて体を反らすと、ギリギリのところを剣がかすった。

バランスを崩して雪の上に倒れる。

「トアン!」

「つくづく甘いんだよ。…さよなら」

アクエは無表情で言うと剣を振り上げる。…が、不意に腰につけた短剣を押さえた。

その短剣の鞘からは青い光が溢れている。

それに気付いたアクエは剣を抜き、身構えた。


ヴー…ン…


「ん?」

トアンの回りに赤い光が集まってきた。

「何だ?これ」

「トアン危ない!下がって!」

チェリカが叫んで前に飛び出す。すぐに杖を構え…


ドドドドドン!


あちこちで爆発が起こり、雪が飛び散る。

「な、なんだなんだ?」

一つも怪我をしてないということは、チェリカが魔法で相殺したのだろう。


「お主…いいかげんにしてくれんか」


強い怒りの声が雪原に、響いた。


雪の雨が治まるにつれ、艶やかな黒髪が露になる。

「あんたがテュテュリスか」

「お主がアクエリアス、じゃな」

不機嫌そうにテュテュリスは言うと、金の瞳でアクエを睨みつける。

「俺のこと知ってんの?」

「ふふん。これだけ派手に暴れてもらった奴を知らんまぬけはおらんじゃろ。探知はわしの十八番じゃ」

「へーぇ。まあいいや。」

アクエはにやりと笑って短剣を抜いた。

とたんに、青い光があふれ出す。

「何…あの剣…」

「チェリカ?」

息を呑んで見守っていたトアンが振り返ると、口元を押さえたチェリカの姿が。

「ちょ、どうしたの!?」

「あの剣…気持ち悪い!」

「あの剣?」

青く、ただ青く。

その青の中には、残酷で貪欲な顔が見え隠れする。

ドクン。

「…え?」

ドクン、ドクン。

今改めてあの剣を見た瞬間から、目を離せない輝き。

「ト、アン?」

「え、あ…ごめん」

(何なんだ今の…)

トアンは頭を振るとチェリカに手を差し伸べた。

「あの剣…オレ怖い。きっと何か良くない剣だ」

「良くない…剣?テュテュリス平気かな…」


「これが何かわかるか?焔竜」

「…。驚いた。こんなばかげたものを、どこから持ってきたのかが気になるの」

「ばかげたもの…ねえ。こんな素晴らしいものを!」

「お主、それが何なのかわかっておるのか?」

すると、アクエはゾッとさせる笑みを浮かべた。


「知ってるぜ。『月千一夜』だろ?

「月千一夜…?」

トアンは首を傾げる。チェリカも同様だ。


「ふざけている!お主のような若造がそれを使えるかわかっているのか?!」

「使えるさ。ばっちりな!」

襲いかかってきたアクエの一撃をテュテュリスは楽々かわすと、フッと笑う。

「ほれ、まったく使いこなせてないのう」

「…それはどうかな?」

「…ぐ!」

突然苦しそうに胸を押さえ、テュテュリスが後ずさった。

「テュテュリス!」

「チェリカ危ないよ!」

「でもでも!見てるだけなんてやだ!」

「…いかん…チェリカ下がっておれ。」

金の瞳が細められた。

「でも!」

「いいから!月千一夜は精霊を殺す剣!一度鞘から抜けば最後、使用者の意識を食らう!」

「じゃぁテュテュリスも危ない!今だって焔竜が傷つけられたんじゃ?!」

「わしは平気じゃ!お主等ではあれを封印できず、お主等ではアクエを助けられん!」

テュテュリスが印を結び、空中に火球を呼び出す。

向かってくるそれをアクエは剣で弾き飛ばすと、テュテュリスにきりかかる。

「死ねぇ焔竜!お前を殺さねぇと…!」

(まずい…このままでは完全にアクエは乗っ取られてしまう!)

もうその水色の目に、正気はない。

ただ目の前の食事にありつくとこが月千一夜の望み。

使用者の意識さえ飲み込んで、剣に使われることになる。

(剣を、離せれば!)

頬に鋭い痛みが走った。幸いなことにかすり傷だが、精霊達の血に植えた剣にとって、焔竜の血は興奮剤。

「お主が何故そんなものを手に取ったかしらんが!」

火球を雪にぶつけて身を隠す。

「そんな状態じゃ当初の目的さえはたせぬぞ!」

「うるさいよ!」

「仕方ないのう!多少手荒な手段でもかまわんじゃろ!」

テュテュリスが手をかざすとアクエを炎が取り囲む。

「…?」

パチン!テュテュリスが指を鳴らした瞬間、火が燃え上がってアクエを燃やす。

「うあああああ!」

「テュテュリスやりすぎだよー!」

チェリカガ杖を振ると、杖に吸い込まれるように火は消えた。アクエに駆け寄る。

「いかん!チェリカ!そやつはもう!!」

「アクエ、アクエしっかりして!お兄ちゃんならきっと治してくれるよ!」

「…殺…」

「え?うあ!!!」

突き飛ばされたチェリカが悲鳴を上げる。慌ててトアンが駆け寄り、テュテュリスはアクエにもう一撃炎をぶつけた。

それをぎりぎりかわし、テュテュリスの腹部に剣を突き立てる。

「ぐッ…は…」

「死ね」

剣を抜いた瞬間、ドプリと血があふれ出した。

「…よくも!!」

チェリカがアクエに飛び掛るが、簡単に弾き飛ばされてしまう。

「は、ははは!やった!これで俺は、俺は!」

乾いた笑いに、トアンの中の何かが切れた。

「うおおおおお!!!」

ギン!

怒りに任せて剣を振るうが、簡単にとめられてしまう。

「なんだよお前」

「アクエェ!あなたは!」

「ああ…その目。…は、そんなに自分たちの作った宝が俺みたいなのに使われるの嫌なんだ?」

「何言って…!」

「でもうるせぇ」


『違う…』


(え?)

不意に頭に響いた声に、トアンははっとした。

今の声は、ついこの前夢の中で聞いた声。

そして、


あの優しい時のアクエの声だった。


「…ん?」

アクエが顔を上げ、焔城を見た。

「…もう一匹いるな」

そうつぶやくと、アクエは走っていく。


チェリカはピアスを外すと、テュテュリスの腹に近づける。

「どうしよう…血が…とまらないよ…」

チェリカの瞳が揺れた。

涙が雪の上に落ちる。

「チェリカ、テュテュリスならきっと大丈夫。ルノさんも気づいてくれると思う。……。オレ、アクエを追う」

「危ないよ!」

「でも、オレ、今アクエの声を聞いたんだ。優しかったころの声を!」

「優しかった『ころ』…?テュテュリスも言ってたね」

「アクエはあの剣に操られてるんだ。オレは声が聞こえた!それに、アクエが言ってたことも気になる」

「…トアン」

「ごめん。こんな状態のテュテュリスと君を置いていきたくないけど」

「行って」

「え?」

「今の自分にできること、やらなきゃ」

チェリカは不安を隠して力強い笑みをうかべる。

トアンもそれに応えると、城に向かって走りだした。

「焔が!」

シフォンが顔をあげる。

すぐにツムギが顔をこわばらせ、立ち上がった。

「?」

「ルノ君、腕は大丈夫?」

「…あぁ」

本当は大丈夫なんかじゃなかった。傷はまったく塞がっていないが、苦痛を隠して答える。

「そう。ごめん、ちょっと行ってくる」

「何処へ?」

「城の中だよ。いいかい?絶対ここを動いちゃ駄目だよ」

ツムギはルノの答えを待たずに、城の中に走っていった。シフォンも後を追う。

「おい!ツムギ!シフォン!…ッ」

腕の痛みに顔をしかめ、ルノは膝をついた。

「何なんだ…」

そのまま、壁を頼りにして、ずるずると倒れ込む。

「っく…」

ポタッ

指の間から次から次に溢れる血が、床に円形を描く。


バサッ!


「ルノ!」

「!」

驚いて顔をあげれば、月を背にしたシアングがいた。

「飛んできた…のか?」

「ああ!おい、大丈夫か?どこやられた?!」

「く、バカ者!」

ルノはシアングの服をつかみ、テラスの内側に引っ張り込む。

支える力もなく、シアングもそのまま倒れ込んだ。

「バカ!いくら夜といえ、無防備すぎる!」

「…わりぃ。お前が心配で…。あ!傷は?!」

「…平気だ」

「腕か?見せてみろ」

「うるさい!重いどけ!」

「傷」

「重い」

そのままにらみ合ってからシアングはむっとしたように言う。

「見せろ」

脅すように、顔を近づけて低い声で囁いた。床に倒れたままのルノは逃げられない。

「ッ…やめろ!」

「やめねぇ」

「嫌だ!」

不適な笑みを浮かべるシアングに、思わずギュッと目をつぶる。

…が、何も起こらない。おそるおそる目を開ける。

「…?」

「何?なんか期待した?」

「…ッする訳ないだろ!」

「あー腕、これひでぇな」

「…っ」

シアングは自分の首に巻いていた青いバンダナをはずすと、腕の傷に巻いていく。

すぐに血が滲み、青いバンダナを紫に染めた。

「ほら、あと魔法かけとけ」

「お前…これ…」

「ん?」

「お前の大事なバンダナだろう?」

「あ、いーのいーの。気にすんな」

「だが、」

「いいから!」

怒鳴られるように言われ、ルノは身をすくめた。

「…わーりぃ。ほれ、早く魔法かけな」

「あ、あぁ…すまない」

「お前をやった奴はどんな奴だ?」

「見てない。…あ、そうだ。この種に助けられたらしい」

「種ぇ?」 

ルノが出した物に、怪訝そうに眉を寄せる。

「この種が矢に当たって、軌道を変えてくれたようだ」

「へー。んなすげぇことができんのは…草木の精霊か一流の狙撃者くらいか…?…あれ、そういやツムギは一緒じゃねぇの?」

「いや…お前がくる少し前に、何か察知して城の中へ」

「ホントか?!」

シアングは目を閉じ、首を上げた。

「…。………ん?」

「どうした?」

「いや…ジジイの気配がしねぇ…」

シアングが立ち上がり、雪原に目を凝らす。

「シアング、危ないぞ」

「もう狙撃者の気配は……ん?……ジジイ……!」

「?」

「嘘だろ!?」

「ま、待て!」

シアングが翼を広げ、飛ぼうとするのをルノが押さえる。

「どうした!?なあ、何があった?」

「ジジイが刺された。…わりぃけどルノ、魔力は残ってるか?」

お前の力を借りたい、という意味をこめて。

ルノもそれを理解したらしい。不敵に笑って見せた。

「まあまあだ。だがシアング、お前も傷が治りきってないだろう」

「…お前一人抱えるくらいどーってことねーよ」

いうがはやいが、シアングはルノをひょいと小脇に抱え、テラスから飛び降りた。

闇の中を、

白く輝く大地に向かって。


「ああ、どうして花は散り急ぐんだろうね」

タチュールは竪琴を奏でた。ホロリ、雨粒が落ちるような音がする。

「…」

「ねえタン。君の記憶がないのはきっと、争いがあったからかな」

「何故そう思う?」

「君の顔が辛そうだからさ。」

タチュールはそのまま星空を見上げる。

「歌おうじゃないか。せめて、この戦いで誰の命も消えることがないように」

「…ああ」


「…どこだ?」

もう一匹の獲物匂いは、すぐ側に来ている。アクエは血の滴る剣を振り、城の中を歩く。

「姿隠したって無駄だぜ」

「隠したワケじゃないよ」

凛とした声が、広い廊下に響いた。服の飾りの布がゆれ、怒りに満ちた深緑の瞳が茶髪の髪に見え隠れする。



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