②叩けば治る

 緊張感に包まれた部屋で、銀狗郎と狐黄太がお互いの顔を見合っていた。


「……」

「ぬぬぬぬぬ……っ」


 銀狗郎は険しい顔をして自分の手元……残り二枚となったトランプを見る。片方はハートの3、片方はジョーカー、つまりはババ。二人の間には組になったトランプが山のようにして積まれていた。

 再び狐黄太の方へ視線を向けると、ついさっきまで慌てふためいていたとは思えない程に落ち着いた表情。いつも彼女が見ている兄の姿だ。千枝の前でもこの態度でいてくれていれば……そんなことが脳裏をよぎるが、今はそんな場合ではない。

 まるで冷酷な狩人のようにトランプを見つめていた狐黄太は、おもむろに手を伸ばした。手の行き先は……一輪車に乗ったピエロが描かれたトランプ。


(セーフ!)


 銀狗郎は安堵した。

 いや、安堵してしまった。

 口元が緩んだのか、はたまた目元が笑ってしまったのか。どちらにせよ狐黄太がその隙を見逃すはずもなく、その手はハートの3のトランプを掴んで引き抜いた。


 ググッ。


「……」


 引き抜こうとした。


 グググッ。


「んっ」


 力強く引き抜こうとした。


 ググググッ!


「ん~~~~!」


 引き抜かせてほしかった。


「……はぁ」


 結局狐黄太が折れ、ジョーカーは彼の手札へと招き入れられた。


「ぷぇっぷぃ?」

「えぇそうですよ。これが試合に負けて勝負に勝った、の良い例」


 膝に乗せた茶々狸に微笑み、コックリはぼそりと。


「……勝負というか、アピールですけどね」


 勝利に喜ぶ銀狗郎の横で、やれやれといった様子でトランプの片づけを行う狐黄太。その姿を眺める千枝を横目で見やり、コックリは意味ありげに笑った。


「さーって、次は何をやる? 人生ゲーム? UNO?」


 舞華が意気揚々と玩具を並べていく。


「ぷぺ!」

「えー、UNOはやだー! さっちゃんってば人の頭の中見てくるもん!」


 銀狗郎が床をごろごろ転がり、全身で拒否の意を伝えてくる。

 実際先ほどのババ抜き、茶々狸が堂々の一位であった。順に、千枝、コックリ、舞華、そしてさっきの通りである。コックリがトップでないのには誰もが驚いたが、本人曰く「こんなことで力を使ってどうするんですか」ということらしい。もっとも、舞華に負けるのはプライドが許さなかったらしく、先に上がれたときにはガッツポーズを決めていた。

 銀狗郎の言う通り、この手のゲームはやめておいた方がいいのかもしれない。


「じゃあ銀狗郎君は何がいいの?」

「相手を叩くやつ!」

「語弊がある言い方はやめなさい」


 コックリがぴしゃりと銀狗郎を叱る。


「それだとサッちゃんが危ないしねぇ」

「それ以前に勝負にならないと思うんですが……」

「そっか、ジャンケンか」


 狐黄太が言うまで、叩かれるか守るかを決めるルールをすっかり忘れていた千枝。

 ぽん、と手の平を打つと、狐黄太がジト目で見てきた。


「わ、忘れてなんかないよ! 本当……だよ?」

「なんで疑問形なんですか……」

「ほら、女の子って秘密が多いから」

「ミステリアスな女って素敵よねぇ~」


 一番めんどくさそうなのが味方になってしまった。


「舞華ちゃんみたいなぁ、セクシーでもキュートでもいけちゃうような女の子はぁ、たくさんヒミツがあるんだぞぉ?」


 ウザさと甘ったるさとぶりっ子を釜で煮詰めたような口調と動きの舞華は、トドメにきゃぴるん☆とウィンクをして星を飛ばした。同時に千枝と狐黄太の背筋に寒気が走る。


「銀狗郎、アレなら叩いてもいいですよ」

「いいのー?」

「壊れる勢いでヤりなさい」

「おう待てやゴラァ!」


 ごく自然にトンカチを銀狗郎に手渡すコックリ。嬉々として受け取ろうとする銀狗郎もアレだが、娘に過ちを犯させようとする母親もどうなのだろう。

 穏やかな笑顔で鈍器を渡そうとするコックリに突っかかる舞華。その姿はミステリアスな女というか、前科を隠しているスケバンみたいである。もうこれが本当の舞華ではないのか、そう勘繰る千枝であった。


「叩けば治るって言うでしょう」

「治んないわよ! むしろ悪化するわ! さも当然のように娘に嘘を教えるな!」

「例外的に治るかもしれないでしょう?」

「人を例外にするな! むしろ人外よ!」

「…………あぁ、霊と例外を掛け」

「解説すんなぁっ! 傷つくわ!」

「じゃあ叩いて治そー?」

「なぜそんなワクワクした顔で舞華ちゃんを見るわけ!? ちょ、来ないで!」


 脱兎のごとく逃げる舞華と、キャーキャー叫びながら追いかける銀狗郎。ちゃっかりトンカチではなくピコピコハンマーに持ち替えているのだが、焦っている舞華はそれに気づかない。まぁ、そもそも後ろを見る余裕なんてないと思うが。


「ぷぇー」

「はいはい、茶々狸ちゃんはこっちで海賊危機一発やろうねー。危ないから」


 珍しく興奮したようにドタバタ劇を見ていた茶々狸をひょいと抱っこし、玩具をスタンバイしていた狐黄太の元へと連れていく。彼女にとっては某猫と鼠の喧嘩みたいな感覚なのだろうか。そうだとすれば、早急にマトモな道へと戻してあげないと。

 ふと視線を狐黄太の方に向ければ、ちゃっかりコックリが座っていた。


「助けてあげないので?」

「治ったら儲けものじゃないですか」


 茶々狸をコックリの横に下ろし、千枝も座る。


「薄情な人ですねぇ」

「時には突き放すのも親友の役目ですよ」

「それぐらいがアレにはちょうどいいかもしれませんね」


 笑いながら言うでもなく、淡々とプラスチックの短剣を配り始めるコックリ。

 親友をアレ扱いされるのは少し引っかかるが、我関せずを貫き通している自分も相当酷いので黙っておく。


「さて、ではこの海賊を跳び出させた人が勝ちということで……」

「えっ? 負けじゃないんですか?」

「えっ」

「えっ」

「ぷぇ」


 なぜか茶々狸も発言した。


「……あ、あーはいはい。最近はそうなんでしたっけ。忘れてました。本来は跳び出させた人が勝ちだったんですよ」

「へぇ、そうなんだ。それっていつぐらいの話なの?」

「昔ですよ」

「いや、だからさ」

「私が昔と言えば昔なのよ? 分かりました?」

「は、はい」


 涼しい笑顔で拳骨を構える母親に、狐黄太は小さく頷いた。


(カカア天下だなぁ……)


 苦笑いを浮かべながら狐黄太を見る千枝。

 まぁ、一番苦労しているのは苦笑いを浮かべている当人についてなのだが。


「では、飛び出したら負けということで。無論、罰ゲームもありますからね」

「お、燃えますね! ちなみに内容は?」

「そうですねぇ……」

「考えてなかったの?」


 考え込むコックリに、狐黄太が呆れたように言う。


「いえ、どれを最初に持ってこようかと思いましてね。どれも甲乙つけがたいですが……」

(嫌な予感がする……)


 狐黄太と千枝の心が初めて一つになった瞬間であった。


「一回戦はくすぐりの刑にしましょう。うん、それがいい」

「普通だ!」

「普通ですね!」

「……茶々狸が居るんだから、激しいのはするわけないでしょう」


 ほっと顔を見合わせる二人へ、コックリが少々乱暴に短剣を配る。

 タルに空いた穴は全部で二〇個。なので各々の手元には五本の短剣があることとなる。


「じゃあここは茶々狸ちゃんからいこっか」

「ぷぃ~」


 指名された茶々狸はおずおずとタルに近づき、目の前の穴に短剣を突き刺した。もちろん跳ぶわけもなく、そこから流れでコックリ、狐黄太、千枝、再び茶々狸……と何事もなく二周目を終えた。一喜一憂しつつ、自然と全員のテンションが高まっていく。


「誰か助けなさいよぉぉぉぉぉ!」


 ……時折恨めしそうな幻聴が聞こえてくるが、霊でもいるのだろうか。


(くわばらくわばら……)


 どたんばたんと鳴り響くポルターガイストを完全無視するほど熱中し、全員が固唾を飲んで成り行きを見守る四周目直前、遂にその時は来た。


「……ぁ」


 小さくそう声を漏らした千枝は、刺しかけた短剣を気づかれないよう引き抜こうとする。が、その手をコックリががっちりと掴み止めた。反射的に顔を上げると、あの勧誘されたときのような、意地悪いニヤニヤとした笑顔を浮かべているコックリの姿。


「一度選んだからには、最後まで刺さないといけませんよねぇ?」

「は、はは……」


 本当に人の不幸が嬉しいのだと分かる声色で、いやらしくもコックリは、ゆっくりと千枝の手を――短剣を穴の中へと刺していく。


 カチッ。


 そんな何かが外れる音と手ごたえと共に、中央の海賊が空へと跳んだ。


「はい、千枝さんの負けですね」

「あぁ~、負けたあぁ~」


 へなへなとその場に崩れ落ちる千枝。その横では恍惚ともいえる表情でコックリが千枝を見下ろしている。そこまでして負けたくなかったのだろうか。


「ドンマイです、千枝さん!」

「ぱっぴぇー」


 何とか励まそうと狐黄太が声を掛ける。茶々狸も続くように声を上げ、ぽふぽふと頭を優しく叩く。その気づかいはとてもありがたいのだが、負けは負け。待っているのは罰ゲームである。コックリが不安要素だが、この二人はそこまで脅威ではないだろう。


(所詮は子供よ……)


 励まされたそばからこの思考である。

 やはり今日の千枝はテンションがおかしいらしい。


「では刑を執行するとしますか」

「刑って……」

「銀狗郎……と乳デカお化けさん」

「はーい」

「ぜぇ、はぁ……あ、あによ……!」


 息切れひとつしていない銀狗郎と、息も絶え絶えな舞華がこちらに歩いてくる。見て分かるが、どうやらもうツッコむ気力も残っていないらしい。

 そんな風に呑気に構えていると、次の瞬間、コックリの手から線状の閃光が放たれた。それはあれよあれよという間に千枝の手足を拘束し、そのまま千枝は大の字に固定される。突然のことに声も出せずに戸惑っていると。


「今から罰ゲームをしますので、二人も千枝さんを思いっきりくすぐってください」


 そんなことを言い放った。


「はーいっ!」

「……なるほどぉ? そういうことね」


 ウキウキ笑顔の銀狗郎、そして手をワキワキさせながら邪悪な笑みを浮かべる舞華。真逆ながらも両方恐ろしい力を持っていることは見て取れる。


「あ、あの……? これはどういう……」


 引きつった笑みでコックリを見る。


「あら、仲間外れはよくないでしょう? そうよね、狐黄太?」


 もう面白くて仕方がないのだろう。飛び出た獣耳と尻尾が嬉しそうに揺れている。


「……すみません、千枝さん」


 今生の別れのように顔を隠す狐黄太。

 頼みの綱が潰えたと同時に、千枝を覗きこむ影が四つ。


「ぷぴーっ」

「やるぞー!」

「これはくすぐり……これはくすぐりなのよ……」

「あっ、私は尻尾も使いますからね?」

「……や、優しくお願いします、ね?」


 それがきっかけだったように、四人が一斉に千枝へと躍りかかった。





 そのときのことを、狐黄太はのちにこう語った。


「……あのとき、何かに目覚めそうで怖かったです」

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