②ファンタジーじゃないんだから

 るんるん気分で下へ戻れば、銀狗郎が千枝のスマホを眺めていた。

 特に変わった形ではなく、よくある長方形の物なのだが、普段使っているのと違うのが物珍しかったのだろうか。ペタペタと画面を触り、まるで本当に操作しているようにも見える。

 パズドラが好きだと舞華が言っていたし、イメージトレーニング的なものなのだろうか。千枝はその類いのアプリを入れていないので、いまいち分からないが。


「ぷえ」

「あっ、千枝さんおかえりなさい。なんか物音がしてましたけど、大丈夫ですか?」


 千枝に気づいた狐黄太が近寄り、心配そうに見上げる。

 何があったのか聞く前に人の心配をする辺りがこの子らしいところだ。


「うん、ちょっと投げられただけだよ」

「投げらっ、えぇ!? 何してるんですかあの二人!」


 そして千枝が何かしたと思わない辺り、惚れ込んでいるのがよく分かる。単にあの二人がよく騒ぎを起こしているだけというのもあるが。


「んあ? お姉ちゃんおかえりなさーい」


 ワンテンポ遅く千枝に気づいた銀狗郎は立ち上がり、千枝の元に歩み寄ってスマホを差し出した。


「はいこれ」

「おっ、ありがとう。気が利くねぇ」


 スマホを受け取り、反射的に銀狗郎の頭を撫でる。

 コックリ家に入り浸るようになって一か月の間に、何かしてもらうと頭を撫でるというのが千枝の中に刷り込まれていた。おかげで学校でも舞華に対してやってしまい、何度かお叱りを受けている。自分で子供の見た目をネタにしているのに、子ども扱いされると怒るとか理不尽極まりない。


「えへへ。メールは来てなかったよー」


 わしわしと頭を撫でられ尻尾を振る銀狗郎。

 電源が切れているんだから当然だろうと思いつつ、千枝はケーブルを接続しようとスマホに目を向けた。その拍子にいつもの癖で電源ボタンを押してしまったのだが、光るはずのない画面にロック画面が浮かび上がり、千枝は目を疑った。


「えっ、これなんで電源……えぇ?」


 電池切れは自分の勘違いだったんだろうか、と目に見えて混乱する千枝。

 あわあわしていると、事態に気づいた狐黄太が銀狗郎に近づいてきた。


「銀狗郎、何したんだ?」

「な、なにもしてない……よ?」


 露骨に目を逸らす銀狗郎。掠れた口笛も合わさり、ますます分かりやすい。


「分かりやすい嘘をつくんじゃない! 正直に言わないと、おやつ抜きだ!」

「ひ、ひどい!」

「そこまで残酷なことしなくても……」

「そんな酷いこと言いました!?」


 青い顔になった二人を見やり、狐黄太は慌てた。


「うぅ、どんなアプリが入ってるのか見てました……ごめんなさい」

「ほら、銀狗郎君もちゃんと謝ったし、ね?」


 謎の結束を見せる二人からの視線を受け、納得のいかない表情で狐黄太は肩を落とした。


「……千枝さんがそう言うのならいいんですが。けど、今度から勝手に人の物を触るんじゃないぞ。約束な」

「うん、約束するー」


 銀狗郎の間延びした返事にため息を吐き、狐黄太は千枝に軽く一礼すると、元の場所に戻り勉強を再開した。茶々狸がその肩をポンポンと叩くのだが、可愛らしくもあり、物悲しさを感じさせる。

 貴重なオヤツが確保され、ほっと胸を撫で下ろす二人。

 千枝には何の関係もないのだが、買い食いが趣味の千枝にとってオヤツを抜かれることがどれほど辛いのかはよく分かっている。


「それで、どうやって起動させたの? 電池は切れてたよね?」


 首を傾げ、モバイルバッテリーでも持っていたのだろうか、と考える千枝。


「えっとねぇ、簡単だよ」


 そう言って銀狗郎が勢いよく両手を合わせ、何かを潰すかのように一瞬だけ力を込める。すると、その手の隙間から青白い光が溢れだし始める。そのままゆっくり手を離していくと、そこには何本もの電撃が、まるで龍のようにうねりながら手のひらから発生していた。


「こうやって充電したの!」


 CMでやっているなんちゃらチャージのようなポーズで話す銀狗郎を、千枝は呆気にとられたまま見る。確かに電気を操ることが出来るのであれば充電なんて簡単だろう。

 ……簡単、なのだが。


「じゃあ、なんでさっきこの能力で充電してくれなかったの?」

「だって言われてないもん」


 あ、そうですか。

 悪びれることなく言う銀狗郎に、千枝は何とも言えない気持ちになった。


「……電気を操れるってことはさ。パソコンとかそういう電子機器を遠隔操作したりハッキング出来たりしないの?」

「ファンタジーじゃないんだから出来るわけないよー」


 存在がファンタジーの癖に何言ってるんだこの子は。

 そうツッコミたい気持ちでいっぱいの千枝だったが、グッと抑え込む。相手は子供。ここは大人の対応でいかなければ。そう、たとえ相手が可哀そうな目でこちらを見ていたとしても。


「……」

「ふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇ」


 銀狗郎の頬を片手で鷲掴み、執拗にぐにぐにと動かす。

 その度に銀狗郎のアヒル口が奇声をあげるが、細かいことは気にしない。大人は些細なことを気にしないのだ。


「ん? じゃあ銀狗郎君は電気を操る能力として、茶々狸ちゃんは?」

「ぷーえぇ」

「ご覧の通りテレパシー、だそうです」

「ふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇ」


 為すがままにされている銀狗郎の代わりに、狐黄太が通訳してくれた。

 そういえばそうだった。最初こそ意思疎通できるか不安だったが、今は慣れてしまってジェスチャーと「ぷえ」のニュアンスだけで簡単な会話が出来るようになったので忘れていた。

 三兄妹の内、二人が分かったとなれば最後の一人も気になるわけで。


「それじゃあ、狐黄太君は何の能力があるの?」

「僕は……」


 そう聞かれると、狐黄太は言い淀む。


「未来予知、ですよ。私と同じ」


 二階から降りてきたコックリが、狐黄太の言葉を引き継ぐように言った。その後ろでは舞華がふよふよとつまらなそうに浮いている。


「可哀そうに。こんなオカンと一緒の能力を持ってるだなんて」

「一緒じゃありませんよ。……いえ、厳密に言えば一緒なんですが」

「どういうことですか?」


 千枝が首を傾げる。


「単純な話です。狐黄太はコックリとしてまだ未熟ですので、不確定な未来、それも自分の意志ではなく無意識にしてしまうんです。まぁ、簡単に言うとおねしょみたいなものですね」


 クスリと笑って狐黄太を見るコックリ。狐黄太は恥ずかしそうに頬を赤く染め、シャツの裾を握った。


「もうちょいまともな例えをしてあげなさいよ……」

「でも的を射ているでしょう? 大人は意思がしっかりしているからおねしょはしません。予知も同じです。強い力を持っていても、自分の意思をしっかり持っていればうっかり暴発したりしないわけですよ」

「と」

「歳を重ねて老人になったらおねしょする、とか小学生以下のうすら寒いことなんか言わないでくださいね。ただの例えなんですから」

「……」


 コックリを指さし、口パクで「こいつ嫌い」と伝えてくる舞華に、千枝は苦笑いを返した。実際分かりやすかったし、納得出来る例えだった。


「未熟ってことは、修行したら狐黄太君も立派なコックリさん、って言うと変な感じですけど。とにかく、ちゃんと予知能力が使えるようになるんですか?」

「……えぇ、まぁ。恐らくは」


 さっきまでの様子からがらりと変わり、歯切れの悪そうに答えるコックリ。


「おっ、どしたん。自分どしたん。急に自信なさげになったやん? なんや、もしかして生まれつき出来るから修行のやり方分からんとちゃうん? ん?」

「その口調止めないとぶっ飛ばしますよ」

「はい、すみませんでした」


 素人の千枝でも見えるほどのオーラをまとった拳を見せられ、舞華は即座に土下座した。といっても空中なわけだが。やはり歳をとってい。


「千枝さん?」

「あ、いえ、何でもないです、はい」


 実力に年齢なんて関係ないですよね。えぇ、本当に。

 冷や汗をかきつつ、千枝は愛想笑いを浮かべる。


「千枝さんは私とちょっとお話しましょうか」

「……はい」


 許されなかった。

 コックリの後に続き、肩を落とした千枝は部屋を出ていく。


「……」


その姿を、狐黄太は複雑そうな表情で見つめていた。



     ◇     ◇



 コックリが選んだのは浴室の手前、いわゆる脱衣所だった。洗濯機に手洗い場、その横の透明の収納ボックスにはパジャマや下着が入っているのが見える。千枝がもし男ならば世の男子達が期待するシーンへの布石なのだろうが、残念なことに千枝は女で、目の前のコックリは穏やかな笑みを浮かべて千枝が逃げられないように出入り口を塞いでいた。

 ……これも期待しているシーンのような気もしないが、それはともかく。


「そう固くならないでくださいよ。別に怒ってなんかいませんから」


 いつもの柔和な笑みを浮かべ、コックリは千枝に近づく。

 じゃあなんでこんな狭くて逃げ場のない場所に連れ込んだのさ、と思う千枝だったが、また怒られるのも嫌なので、すぐにその考えを打ち消した。


「お話のことですが……あの子達のこと、あの子達の未来についてです」

「未来……?」


 千枝の言葉に頷くと、コックリは俯きがちになって話し始めた。


「まず、千枝さんはあの子達の能力を聞いて、なんで最初に教えてくれなかったんだろう、って思いませんでしたか?」

「……正直ちょっとだけ」


 家庭教師をやる上で必要なことではなかったから言わなかったのだろうが、隠し事をされていたみたいで、少しだけ傷ついた。


「ふふっ。素直な返事、ありがとうございます。やっぱり千枝さんを選んでよかったと思いますよ。本当に」

「どういうことですか?」

「正直で素直、表裏がなくて明るくて」

「いやぁ、そんな褒めなくても」

「あと知能レベルがちょうどいい感じで♪」

「最後で台無しなんですが」


 自分から良い話な感じを出していたくせに、なぜ自分で潰すのだろうか。


「冗談ですよ。実はネタを挟まないと喋れない病にかかっていて」

「前に似たようなこと聞いた記憶があるんですが」

「じゃあ話は早いですね」

「早くないです。真面目な話じゃないなら戻りますよ」

「もう、最近の若者は」

「それも聞きました」


 はぁ、とため息を一つ。


「……三人には聞かれたくない話なんですか」

「まぁ、そうですね。別に聞かれても構いませんが、それだと千枝さんのハードルが上がってしまうことになりますけど」

「じゃあ盗み聞きされる前に早く教えてくださいよ」

「せっかちさんですねぇ」


 よっぽど頭を叩いてやろうと思ったが、千枝はぐっと堪える。


「それでその話なのですが……千枝さんがせっかちなので端折ると、あの子達を千枝さんの手で立派な人間にしてほしいんです」

「下ネタですか。最低ですね」

「えっ」

「えっ」


 …………。


「えぇっと、千枝さんを家庭教師として呼んだ理由ですが」


 特にフォローされることなく話を再開された。

 恥ずかしくて顔が真っ赤になるが、コックリは話を続ける。


「子供達を『人間』として……と言えば変な話ですが、要はあの子達に普通の人間としての生活を学ばせてあげてほしいんです。勉強は二の次でも構わないんで。ぶっちゃけ、その為に呼んだようなものですし」

「普通の人間って……」

「成績も普通、体能力も普通、平凡中の平凡な人、ただし霊感有、で探した結果、千枝さんがヒットしたので」

「褒めてます?」

「褒めてます♪」


 うふふ。あはは。


「それで、その普通の人間の私に、あの子達を『人間』として育てたい理由を教えていただけますか?」


 うっすらと額に青筋を浮かばせ、千枝は笑顔でそう尋ねた。

 わざわざ平凡中の平凡を選んだのだから、きっとそれなりの事情があるのだろう。

 なければ今すぐにでも辞表を叩きつけてやる。


「簡単ですよ」


 にっこり笑い、コックリはその理由を口にした。


「それ以外生き残る道がないからです」

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