3 生きていくのに必要なこと

①どこへ行こうというのですか

 都市伝説の家庭教師になり、友人が幽霊だったことが分かった、驚きと衝撃の連続であった四月から時は過ぎ、現在は五月の初め。いわゆるゴールデンウィークも二日目に入ろうというところ。

 桜は自らの名を関する色から青々とした緑色に変わり、太陽も少し早いが夏に向けてじりじりと力を強め、町ではちらほらと爽やかな格好をした人々を見かけるようになった。

 そんな中、千枝はいつものようにコックリの家を訪れていた。


「光合成をするには、何が必要なんだっけ?」

「えっと……日光と、にさっ、に、にー……二酸化酸素!」

「あー、おしい。正解は二酸化炭素だよ」

「んぅー、おしーなー」


 唇を尖らせ、赤字で『二酸化炭素』とノートに書く銀狗郎。

 その横では茶々狸がぐしぐしと画用紙に落書きしており、狐黄太は教科書を片手に黙々と問題集を解いていた。

 シフトが月・水・木・日の週四日、学校から帰ってきて基本三時間(延長あり)ということに落ち着き、銀狗郎はその内の月・水・木が授業となっている。ちなみに狐黄太は木・日、茶々狸は本人の気分次第である。なぜ来年中学生になる狐黄太ではなく銀狗郎が一番なのかは……深くは言うまい。つまりそういうことである。

 しかしながら今日は木曜日。本来なら狐黄太も教えなければいけないはずなのだが。


「ごめんね狐黄太君。茶々狸ちゃんの面倒を見てもらって」

「いえ、大丈夫ですよ。茶々狸の扱いなら慣れてますし、僕のことは構わずに銀狗郎の方をよろしく願いします」


 爽やかな笑みを浮かべる狐黄太は、それはもう千枝の目には眩しかった。

 勉強も出来て、妹達の面倒もしっかり見て、ダメな年上のフォローまで気が回る。おまけにカッコ良くて優しいとか、本当に小学六年生なのか、本当は二十歳ぐらいのイケメン狐に化かされているんじゃあるまいな、と訝しむことも少なくない。無論、本気でそう思っているわけではないが。

 狐黄太の言葉に改めて胸のつかえが落ち、授業を再開しようと口を開


 ピーッ、ピーッ。


 机の上に置かれているスマホからビープ音が流れると、システム遮断中を示す画面が現れ、プツリと消えてしまった。


「ありゃ、充電切れちゃったかー。まだ電池残ってると思ってたんだけどなぁ」


 スマホを手に取り電源ボタンを何度も押すが、うんともすんとも反応しない。大抵は電池が切れてもすぐに起動させれば少しの間は復活するのだが、どうやら今回は本当に空っぽらしい。

 特段なくても困るわけではないが、なければないで困る物である。万が一、早急に返事が必要な連絡が来ないとも限らないし、それが気になっていては出来るもの出来なくなってしまう。


「ごめん銀狗郎君、ちょっと充電器貸してくれないかな」


 銀狗郎の方を困り顔で見る千枝。

 スマホの所有者はコックリなのだが、実質この家で一番長く触ってるのは銀狗郎である。もっぱらパズドラをやっているだけなのだが。


「それならお母さんが、舞華ちゃんを連れて上に持っていってたよー」

「舞華を連れて?」


 珍しい組合せだと、千枝は目を瞬かせた。

 そういえば、いつもは居るはずの舞華の姿を今日は一度も見ていない。コックリは居間で顔を会わせたがすぐに出ていってしまったし。あの犬猿の仲の二人が一緒に上へ行くとは、いったいどういう風の吹き回しだろうか。


「そうなんだ。ありがとう、ちょっと借りに行ってみるね」


 超能力バトルなんか起こってないだろうな、と二人が部屋の中で波動的な何かを出して戦っている場面を想像しつつ、階段を上がっていく。

 二階の突き当たり、なぜかドア代わりに障子があるコックリの部屋の前に立つ。

 少しぐらい話し声が聞こえてきてもおかしくないのだが、コックリお得意のなんちゃって不思議パワーが働いているのか、本当に人がいるのか疑うほどの静けさに包まれていた。

 ノックをしようにも出来ないし、名前を呼ぼうにも障子から妙な威圧感があって呼びづらい。もしかしたら寝ている可能性もあるしね、となぜか自分を正当化しようとする千枝。

 おどおどしていても埒が明かないので、結局障子を開けて様子を窺うこと。

 恐る恐る隙間を開け、片目を近づける。


「……だから反時計回りって言ってるでしょ。ほら、真ん中、左、上、右、下」

「わ、分かってますよ! ただ、この画面の反応とか指の滑り具合が悪くてですね……」

「滑り具合ってアンタねぇ……。ギンちゃんがやってるパズドラじゃないんだから、そこは我慢しなさいよ。カッコ良く使ってるところを見せて驚かしたいんでしょ」

「誰もそこまでは言ってません! ただ、人並みに扱えるようになればと。……というか、ギンちゃんって何ですか」

「ギンちゃんはギンちゃんでしょうが。コォ君、ギンちゃん、サッちゃん。仲良し三人兄妹。そんなことより、ほれ、さっさと練習に戻る!」


 部屋の中には、おぼつかない手つきでスマホを持つコックリと、画面を覗き込む舞華の姿があった。学生服の見た目小学生と和服で背の高い女性が、一つのスマホを頭を突き合わせて見ている姿は、どこか微笑ましさを感じる光景である。しかも教えられているのが大人の方なのがそれを一層引き立てる。

 しかし、困ったことに物凄く声を掛けづらい。と言うか掛けれない。

 仕方がないので、障子からそっと目を離し、ゆっくりと閉め直す。

 充電器は諦めざるを得ないが、代わりに頬を赤らめたり口を尖らせて言い訳するコックリを見れたのでよしとしよう。

 そう思い、千枝はゆっくりと立ち上


「どこへ行こうというのですか」


 底冷えするようなドスの聞いた声と共に、千枝の肩ががっちりと掴まれた。

 正体が誰かは明白なのだが、千枝が恐る恐る振り向くと、青筋を立てた笑顔のコックリが、うっすらと目を開いて千枝を見つめていた。


「どこへ、行こうと、いうのですか」


 語気を強めて繰り返すと、無抵抗の千枝をずるずると部屋の中に引きずり入れる。そしてぽいっと、まるで物を投げるかのように片手で千枝を放り投げると、後ろ手で障子を閉めた。


「覗きは犯罪だよねー」

「ご、ごめんなさい……」


 和室に似合わない大きなクッションに倒れた千枝を見下ろし、舞華がイタズラっぽく笑った。


「それで、覗きが趣味の千枝さんはどういったご用件で私の部屋を覗いていたので?」

「覗きが趣味って……」


 言い返そうにも勝ち目がないので、千枝は諦めて用件を話した。


「充電器ですか。それならそうと最初からそう言ってくれれば良かったのに」

「言えてたらこんなことになってないんだよねぇ」


 茶化す舞華を一睨みで黙らせ、コックリは話を続ける。


「貸すのはいいですけど、大丈夫ですか? 私のはソフトなバンクですけど」

「はい、問題ないですよ。昔ならともかく、今はほとんど共通の規格になってますから。会社ごとの規格じゃなくて、アイフォンとアンドロイドの二つに」

「アンドロイド? 私のはUS‐04って型番なんですが……」


 スマホを裏返し、書かれているであろう型番を見つめるコックリ。

 その行動と発言が可愛いやら面白いやらで、舞華と目を会わせた千枝はプッと吹き出してしまった。

 二人の反応から自分がおかしいことをしているのだと悟ったコックリは、恥ずかしそうにスマホを置くと、充電器を千枝に投げつけた。


「痛っ! お、怒ってるんですか?」

「怒ってません。ただ、人が知らないことを自慢気に話すことが気にくわないだけです」

「つまり恥ずかしがっているわけだ?」

「あなたは黙ってなさい!」


 ゴホン、と咳払いを一つ。


「……とにかく、用が済んだ千枝さんは早くこの部屋から出ていくこと。さもないと給料減らしますよ!」

「うわー、横暴だー」

「恐いねー」

「ねー」

「~~~~っ! さっさと出ていきなさいっ!」


 投げられた次は蹴り出され、ピシャリと障子が閉められた。

 部屋の中からは舞華の甲高い笑い声と、コックリの怒鳴り声が聞こえてくる。

怒りで防音能力が消えたのか、はたまた最初からそんなものなかったのかは分からないが。


「……♪」


 ふと仕返しを思いつき、千枝はニマニマ笑いながら再び障子を開けた。


「コックリさん」

「なんですか! いい加減にしないとただじゃ――」

「さっきの照れ顔、可愛かったですよ」


 そう言って障子を閉めると、ぼふっと重みのある柔らかい音と共に、障子が少したわんだ。おそらくクッションを投げつけたのだろう。

 最後に見えたコックリの顔は、普段の彼女からは想像もつかない可愛らしい表情だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る