⑤悪霊どころか、守護霊


「せめて、お邪魔しますぐらいの挨拶は言えないんですか?」


 困惑で涙が引っ込んだ千枝を余所に、コックリはこめかみを押さえて舞華に話しかける。


「うっさい化け狐。よくもこの舞華ちゃんのキャワイイ親友を泣かしよってからに! ちょっとは歳を考えて喋れ、この年増!」


 かっちーん。


「狐ですが何か? そう言うあなたも人のこと言えないでしょう? 昭和の幽霊の癖にそんな学生のフリして自分のことをちゃん付けして。芋臭いから早く出て行ってくれませんか?」


 かっちーん。


「芋臭くないわ! アンタみたいに線香臭くないですー。あぁ、そっかー。長生きしすぎて、若者の間で流行ってる香水の匂いが分からないんだー。可哀そうな若作り(笑)おばあちゃんですねー」

「その香水の香りを超えるほど芋臭いって言ってるんですよ。そして私のは若作りでもなんでもなく、そういう存在なんです。あなたみたいに実年齢よりも若い姿で芋臭い学生を演じているわけじゃないんです。それより、今まで千枝さんを騙していたことに対して何か謝罪の言葉はないんですか?」

「騙してないですー。そもそも千枝はそんなことで怒ったりしませーん。そうだよねぇ、千枝」

「えっ、あっ、うん」


 突然話を振られ、千枝は反射的に頷いてしまった。

 それよりも、いきなりのカミングアウトに千枝はいっぱいいっぱいだった。

 舞華が幽霊、しかも昭和生まれって……いや、コックリが大正生まれなので、それに比べれば大丈夫だ。許容範囲内だ。


(……いや、何が?)


 何が、どこが大丈夫なのだろうか。

 やはり親友が人間ではない事実を知り、頭が混乱しているらしい。

 まぁ、舞華が言う通り、別に彼女が幽霊でも関係は変わらないだろう。なんせ、都市伝説の子供達の家庭教師を引き受けるぐらいである。別に今さら驚きはしない。戸惑いはするが。

 そんな千枝を置いてけぼりにし、二人はさらにエスカレートしていく。


「きゃー、脅して頷かせてるー、こわーい」

「脅してないっての! アンタだって千枝と会った時に脅し未遂してたろ!」

「未遂だからセーフ……って、まさかあなた、あの時から千枝さんに憑いてたんですか?」

「ふっふっふっ、その通り! 高校入学した時から取り憑いてたわけよ! まぁ? その言い草だと? 気づいてなかったようですけどー?」


 ふーんっ、と鼻息荒くドヤ顔を披露する舞華。

 だがしかし。


「はい、まったく気づきませんでしたよ。あまりにも存在が希薄でしたので」

「な、なにぃーっ!?」

「おかしいなぁ、何か不純物が混ざってるような気配がするなぁとは思ってたんですが、まさかあなたみたいな低級浮遊霊だったとは」


 お返しとばかりに、コックリは『あらやだわ』と露骨に袖で口元を隠す。

 煽り耐性の低い舞華は、当然すぐに反応。


「低級言うな! その気出したらこんな家ぐらいめちゃくちゃに……」

「銀狗郎、塩持ってきなさい。ありったけ」


 コックリが台所に声をかけると、お茶を飲もうとしていた銀狗郎がひょこっと顔だけ出した。


「岩塩でもいーい?」

「えぇ、構いません」

「よくない! つーかせめて神社とかで清められた塩を使いなさいよ!」

「岩塩がカタマリでしかないんだけど、これでも大丈夫?」

「だからよくな……デカっ!? 正真正銘本物の岩塩塊じゃないのそれ! なんでそんなもん台所にあるのよ!」


 台所から出てきた銀狗郎が抱えてきたのは、彼の頭ほどもある白い岩だった。表面には浮き出た塩がまばらに付着しており、銀狗郎がよろよろと歩くたびにパラパラと床に落ちていく。


「どうしたらいいー?」

「このお姉さんに思いっきり投げつけなさい」

「死ぬ、死ぬって! 死んでるけど死ぬって!」

「それじゃあ不法侵入と取り憑いてたことに関して謝罪しなさい」

「分かった! する、するから! そしてキミはそれを降ろしなさい! 無理に投げようとしなくていいから!」


 コックリの言葉に従って投げようとしていたらしく、岩塩を頑張って頭上まで持ち上げた銀狗郎の腕は小刻みにぷるぷると震えていた。顔も真っ赤になり、今にも落としかねない。

 そんな銀狗郎を見た狐黄太が慌てて駆け寄ると、落とさないよう慎重に岩塩を受け取り、二人で台所へと消えていった。

 ひとまず成仏する恐れもなくなり、胸を撫で下ろす舞華。

 そんな舞華に、当事者なのに話に入れず傍観していた千枝が声をかけた。


「舞華」

「はい、なんでごぜーますか」

「何その語尾。じゃなくて、私に憑いてるって言ってたけど、それじゃあ教室での、あのやり取りは?」

「やり取りって……あぁ、彼氏の話のやつ?」


 舞華の言葉に、千枝は軽く頷く。

 もし高校入学の頃から千枝に取り憑いていたと言うのなら、コックリから貰ったあの紙のことも知っていたはずだ。何かしら事情があってあぁなったのかもしれないが、もう少し他になかったのだろうか。


「んーとねぇ、千枝に憑いてるって言っても、ずーっとくっ付いてるわけじゃないんだよねぇ。憑くだけに」

「銀く」

「呼ぶなっ! 呼ぶにしてもお兄ちゃんの方を呼んであげなさいよ! さっきふらふらしてたでしょうがっ!」

「……ちっ」


 残念そうに舌打ちするコックリから視線を千枝に戻し、舞華は再び話し始める。


「んー、なんて言えばいいかなぁ。千枝はお気に入りのお店、ネットで言うブックマークみたいな感じなんだよね。霊力って言うのかな? 長いこと幽霊してるからそれがもうほとんどないんだよね。だから千枝みたいに霊感のある人に唾付けておいて、力をちょっとお借りすると言うか、分けてもらってるの」

「つまり、親友だとか言っておきながら、その実は千枝さんをガソリンスタンドみたいに利用してるだけだと。はー、やだやだ。嫌な女ですねぇ」


 舞華の後ろで、コックリがわざとらしく嫌味な口調で声を上げる。

 もちろん舞華が無視するわけもなく、むしろ突っかかっていく。


「違うっつってんでしょうがよ! そんなんじゃなくて……砂漠の中にあるオアシスの方が合ってるかな、うん。千枝は他の人と違って、体から霊力が常に湧き出てるの。そんでそれに気づいてないから、全身からその力が垂れ流しっぱなしなのよ。私、千枝にやたらボディタッチしてるでしょ? あの時にその溢れてる力を貰ってるわけ」

「垂れっぱなし……」


 自分の手を、そして体を見るが、そんなあやふやな力が見えるわけもなく、いつも通りの見慣れた光景だった。


「とにかく、私は千枝を利用する目的で取り憑いてたわけじゃないから! そりゃあ最初はそのつもりだったわけなんだけど……今はそれ抜きで千枝と居て楽しいの! ねっ、だから見捨てないで、あんな人を騙くらかすような性悪狐の口車に乗せられて嫌わないで~」


 およよよ、と涙目で千枝にしがみつき、上目づかいでじっと見つめてくる舞華。童顔で低身長なこともあり、見慣れたとは言え、その破壊力は絶大だった。


「そんなこと言わなくても別に舞華のこと捨てたりしないよ。私だって、同じ立場ならそうしてただろうし」


 嘘泣きだと分かっていても、千枝は舞華の頭を軽く叩いて慰めた。


「千枝さんは優しいですねぇ。そんな悪霊を許すだなんて」


 そんな二人を、主に舞華の方を見て、コックリは鼻で笑った。


「悪霊って……さっきからやたらと突っかかってきてますけど、コックリさんは舞華の何が気に食わないんですか?」

「存在です」

「そんな根本的な部分からですか……」


 アパルトヘイトを思い出すような、そんな言い方だった。


「気高き私の住む家に挨拶もせず入り込み、あまつさえ主である私を殴り倒そうとしてきたんですから、これを悪霊と言わずして何と言うんですか」

「何を言うか! 千枝を泣かせた不届きものを成敗しようとしただけのこと! 悪霊どころか、守護霊と言っても過言ではないですぞ! んんんんんー!」


 真っ赤な雪男の子供を髣髴とさせるような口調と動きになる舞華。

 とりあえず動きが腹立つのでやめてほしい。主に胸の辺り。自分の中に溜まっていく、どす黒いヘイトが拳に乗せて開放されないうちに。

 一方コックリは舞華の言葉を聞き、ニヤリと口の端を引き上げた。


「ほう……ところでつかぬ事をお聞きしますが、その守護霊さんはこのテスト作成を手伝ったりはしていましたか?」

「ん? 千枝の隙を見て何枚か……あっ」


 慌てて口を覆うが、時既に遅し。


「ですよねぇ。どう見ても筆跡が違いますし。良かったですね千枝さん、頭が残念だったのはあなたの守護霊(笑)さんらしいですよ」


 ニマーっと嬉しそうに笑うコックリ。


「舞華……」


 ため息を吐き、親友を見つめる千枝。その視線は舞華の心に深く突き刺さり、再び涙目になって千枝に抱き付いた。


「ち、違うんだって千枝! この舞華ちゃんはただ、少しでも親愛なる友人の負担を減らしてあげようと思ってね!? でもそんな、まさか教科書を見ながらやって間違うだなんて想像出来るわけないじゃない?」

「想像というか、想定もしないですからね、そんな事態」

「うっさい! 入ってくんな! ね、だから千枝、許してよー、この通りだからさ~」


 どこをどう見ればこの通りなのかは分からないが、千枝は呆れたように笑い、ポツリと。


「パフェ」

「……へ?」

「今度買い物行く時にパフェ奢ってくれたら許してあげる。拒否権はないけど」

「おっ、おう! 了解! ……でも手加減してね?」

「さっ、何食べようかなー。デラックスこんもりジャングルかな、それともいただきジャイアントRかなー」

「お慈悲を、お慈悲をぉぉぉぉぉぉ……」


 涙を流して腰に縋り付く舞華。

 今日はよく泣くなぁ、と思いながら頭を撫で、横目でコックリの様子を窺う。

 コックリは机に頬杖をつき、怒るというわけでもなくジッと千枝達の様子を見ていた。


「終わりました?」

「あっ、はい」


 先ほど舞華と言い争っていた時とは裏腹に、冷めた反応を返すコックリ。


「いや、若いっていいですね。こんなうすら寒い会話と行動を淡々と出来るんですから。私は大人ですから絶対無理ですね。まぁ、歳重ねてても馬鹿な思考の人は違うんでしょうけど」

「うっ……す、すみません」


 棘のあるコックリの話し方に、千枝は思わず頭を下げる。


「いえいえ、千枝さんは悪くないんですよ。私が言ってるのは、昭和生まれの若い(笑)学生で馬鹿な癖にテストを作れるとか自信を持ってた人のことです」

「そうだよ! 千枝はまったく悪くないよ!」

「……嫌味を言ってるの分かってます?」

「実際若いし、馬鹿なのは自覚してるから嫌味にならないんだよ、あほー」

「馬鹿なのも幸せの内ってことですかね……」


 千枝の腰に抱き付きながら高笑いををする舞華を見て、コックリは眉間をつまみ、やれやれと言わんばかりの表情で首を振る。

 千枝が愛想笑いを浮かべてコックリを見ると、突然、足に軽い衝撃が走った。何事かと振り向き見下ろせば、そこには千枝の足を抱えるかのようにして抱き付く茶々狸の姿。

 千枝の視線に気づいた茶々狸は顔を上げると、ぷぇ、と一言呟いて足に顔をうずめた。構ってほしかったのだろうか。


「ウチのお姉ちゃんなんやから構え~、だって。甘えんぼさんだー」


 台所から出てきた狐黄太が、洗って濡れたままの手をぐしぐしとパジャマにこすりつけながら説明してくれた。

 後を追うように狐黄太が小走りでやってくると、首根っこを引っ掴んでずるずると台所に連れ戻していった。タオルがどうのこうのと言っているのが聞こえてくるので、どうやらちゃんとタオルで手を拭かなかったことを怒っているらしい。律儀な子である。

 しかし、なぜ関西弁……?


「おーう、やるなぁ狸のお嬢ちゃん。この千枝暦二年の私と張り合おうってか」

「ぷぇっ!」

「その意気やよーし! まずは千枝の触り方について説明をだね……」

「どうでもいいけど、人の下半身挟んで会話するのやめてくれない?」

「やだ、いきなり下ネタとかやめてくれない? 小さな子供だっているんで」

「おらっ」

「すばらっ!」


 膝蹴りが腹に直撃して崩れ落ちる舞華を、千枝は冷ややかな目で見つめる。勢いに任せて強めに蹴ってしまったが、まぁ大丈夫だろう。幽霊だし。

 相変わらず何を考えているのか分からない目で舞華を眺める茶々狸を、顔の前まで抱き上げて見つめる。シャンプーの甘い香りがふわっと香り、ますます愛おしさが増していく。


「そっかー、構ってほしかったのかー。茶々狸ちゃんはかわいいなぁもう」


 頬をむにむにとこすり付け、抱きしめる。

 茶々狸も茶々狸で、その行為を何の反応も起こさず受け入れているので、千枝が満足するまで行為は続いた。


「……」


 その様子を狐黄太が羨ましそうにこっそり見ていたのだが、割愛させてもらう。


「よし、満足したから今日は帰ろう」


 若干グロッキーになっている茶々狸を降ろし、千枝はそそくさと帰宅準備を始める。


「ちょっ、私にはノータッチ!? というか今日のお仕事終わり!?」


 ガバリと起き上がり、舞華が慌てた様子で千枝に近寄る。

 まだ二時間ちょっとしか経っておらず、日もまだ沈んではいない。

 しかしコックリは笑顔で千枝の帰り支度を見ている。


「では千枝さん、お気をつけて」

「雇い主公認!? アンタもいいのか! 簡単なテストして娘さん弄られただけで給料払っていいのか!?」

「好きな時間、好きな曜日って契約ですし、私は構いませんよ。それより、あなたもさっさと帰りなさい。というか出ていけ。そして二度と来るな」

「酷い言いよう! そんなこと言われなくても、頼まれたってこんなとこ二度と来るもんか!」


 そこへ、戻ってきた銀狗郎が驚いた顔で。


「えーっ! お姉ちゃんもう遊んでくれないの!? また遊ぼうよー!」

「いいよー! また遊ぼう! 今度はマリカーとかで遊ぼうね!」

「おい」


 即座に手の平を返す舞華を睨みつつ、コックリはため息を吐いた。


「……今度はちゃんと、玄関から入ってきてくださいよ」

「おうよ! 任せとけぃ!」


 ビシッとガッツポーズを決め、ウィンクをする舞華。

 そんな彼女に呆れた表情を見せるコックリだが、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


「ついでに千枝の家庭教師も私が手伝ってあげるからね!」

「それはやめて」

「それはやめてください」

「……ですよねー」


 二人から同時に拒否され、舞華はがっくりと肩を落とす。

 口ではそう言ったものの、千枝は内心嬉しがっていた。

 一人では不安だったし、勉強の役に立たなくても知り合いがそこに居るというだけで安心感がある。実体があるので、幽霊であっても特に支障はないし。

 見送りに来た銀狗郎と茶々狸に千切れんばかりの勢いで手を振る舞華を眺めつつ、千枝は柔らかくほほ笑むのだった。

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