④……うん、全部間違ってるよ
「はーい、そんじゃあテストを返すよー」
千枝が声をあげると、それぞれ散らばっていた子供達が集まってきた。
ついでにコックリも。
「だってどれぐらいの成績なのか気になるじゃないですか」
四人の視線を受け、コックリがそう話した。
「大丈夫、みんなマンテンだよきっとー」
銀狗郎が満面の笑みで答える。
「ありがとう。でもあなたが一番心配なのよ」
さらりと毒を吐くが、どうやら銀狗郎に伝わらなかったらしく、頭に“?”を浮かべている。
「ええっと……まずは狐黄太君からね」
苦笑いを浮かべつつ、千枝は手元の紙束から数枚の答案用紙を取り出し、狐黄太に手渡す。
間違っている部分には赤ペンで正しい解答が書かれているのだが、狐黄太の答案には片手で数えられる程の箇所しか訂正されていなかった。
「さすが勉強してただけはあるね。ケアレスミスがなかったら満点だから、落ち着いて考えるように」
「はい、ありがとうございます!」
答案用紙を受け取ると、狐黄太は嬉しそうに笑顔を見せた。
やはり褒められると嬉しいのだろう。コックリが今までどんな教育をしてきたのかは分からないが、勉強に関しては若干スパルタなイメージがあるため、あまり褒められ慣れていないのではないかと勘繰ってしまう。
そう思ってコックリを盗み見ると、意外にも穏やかな笑みを浮かべて狐黄太を見つめていた。やはり母親なんだなぁ、と改めて思うと共に、コックリへの偏見を変えなければいけないと心に刻む千枝であった。
「それじゃあ次は」
「はいはいはいはいはいはい、はいっ!」
ぴょんこぴょんこ、と興奮した様子で挙手し、その場で何度も飛び跳ねる銀狗郎。
その姿を見て、千枝は子犬が飼い主に飛びついてじゃれている動画を思い出し、口元を綻ばせた。もちろん、本人に言えば怒るのは目に見えているので言わないが。
「はい、どうぞ。銀狗郎君はもう少し頑張ろうね。国語と理科はまずまずだけど、社会と算数が絶望的だから」
「ふりきるぜーいぇー」
言葉の意味は分からないが、とりあえず凄い自信があるのはよく分かった。
銀狗郎が受け取った答案用紙にはそこかしこに赤字が点在しており、丸の数は目に見えて少ない。
しかし全て間違っているわけでもなく、どちらかと言えば誤字脱字などのケアレスミスを示す三角が圧倒的に多い。基礎は出来ていてるようなので、後は焦らず解かすことと見直す癖を付けさせれば大丈夫だろう。
それに、少し気になることがある。
千枝は手元から、解答用紙とは違う紙を取り出した。
紙には割り算掛け算を活用する文章問題がいくつか書かれており、それを見た銀狗郎は露骨に嫌そうな顔になる。
「えぇぇ~? またやるの~?」
「まぁまぁ、すぐ終わるから」
「んぅ、わかった……」
耳までしょんぼりさせながら受け取ると、銀狗郎はうんうん唸りながら問題にとりかかった。もっとごねられると思っていたので、文句を言いつつもやってくれたのはとてもありがたい。
ほっと胸を撫で下ろし、千枝は茶々狸に向き直る。
「それじゃあ、今のうちに茶々狸ちゃんのを返すね」
「ぷぇいっ!」
銀狗郎に負けず劣らずの元気な返事をすると、茶々狸は両手を差し出し、賞状を貰うかのように答案用紙を受け取った。答案用紙とは言うものの、実際は「ひらがな すうじ」と書かれているだけなので、どちらかといえば練習帳に近いような気がする。
そんな茶々狸の成績は文句なしの満点で、端の方に自分の名前まで書く余裕があるほどだ。
「満点なんてすごいねー。よく出来ました!」
頭をわしわしと少し強めに撫でると、茶々狸は嬉しそうに目を細めて吐息を漏らした。
銀狗郎のように耳が自己主張はしないのだが、その代わりに尻尾が一定のリズムで上下し、ぽふぽふと音を立てている。かわいい。
「……いいなぁ」
そんな和やかな空気の二人を眺め、狐黄太はぼそりと言葉を漏らした。
もちろん彼が見ているのは千枝の手、そのただ一点のみである。
出来うることなら自分の頭も撫でてほしい。が、そんなことを頼めるわけもなく、至福の表情を浮かべる茶々狸を、ただ歯噛みして見ることしかできない。
「ぬぬっ、ぬぬぬぬ……できた―!」
一人机に向かって頑張っていた銀狗郎が、両手をあげて叫んだ。
答案用紙にはみっちりと計算式が書かれてあり、その下には何度も消した跡が見える。よほど苦労したのだろう。
「お疲れ様。それじゃあパッパと丸付けしてー」
「うんうん」
銀狗郎が期待のこもった眼差しで千枝を見つめる。
「…………うん、全部間違ってるよ」
が、現実は非常である。
予想通りだったのか、特に慌てる様子もなく答案用紙を返す千枝。
「えっ、えぇぇぇぇぇぇぇぇ!? そんなわけないよ! だってボクいっぱい考えたよ!?」
「それは認めてあげるけど……。それじゃあ、次はこっちの問題を解いてみて」
また同じような紙を手渡す千枝。
「やだやだやだやだやだやだー!」
やはり三回もテストを受けるのは嫌なようで、床に寝転んでジタバタとごね始める。
「そう言わずに。これで本当に最後だし、プレゼント以外にお菓子も付けてあげるから、ね?」
「…………チョコパイ買ってくれる?」
「買ってあげる」
「箱のおっきいのでも?」
「うっ……も、もちろんいいよ! 箱でもなんでもどんと来い!」
「……じゃあがんばる」
渋々と受け取り、再び問題を解き始める銀狗郎。
勢いで言ったものの、今の財布事情的にチョコパイの出費はダメージが大きすぎる。せめて、せめて来月でもいいのなら……。
悔やんだところで結果が変わるわけでもなく、千枝は力なく座り込んだ。
「だ、大丈夫ですか……?」
「あぁ、うん。大丈夫だよ。こ、このぐらいの出費、たかがチョコパイの一つや二つ……」
「でもプレゼントも用意するんじゃ」
「……」
「す、すみません余計なこと言って!」
千枝の絶望しきった顔を見て、狐黄太は即座に頭を下げた。
そんなに酷かったのだろうか、と自分の顔を撫でても分かるはずもなく。
「終わったよー……」
机に項垂れ、答案用紙をひらひらと振る銀狗郎。数分どころか、数十秒も経っていない。
黙って受け取る千枝の横で、狐黄太は驚いた表情を浮かべていた。
「もう!? お前、さっきので嫌になってテキトーにすませたんじゃないだろうな!」
「そんなことしてないもーん」
机に伏せたままの頭をゆらゆらと揺らしながら、銀狗郎は不満気に口を尖らせた。
その姿にカチンときた狐黄太は口を開きかけるが、千枝が立ち上がったの見てグッと自分を押し留める。
「やっぱり……」
「どうしたんですか?」
「ほら、見てこれ」
狐黄太の前に、千枝が銀狗郎の答案用紙を並べる。片方は赤文字が書かれているが、もう片方は赤文字どころか丸しか付いていなかった。
それだけなら特におかしなことはないのでは? そう思って千枝を見ると、彼女は問題文を指さし、衝撃の言葉を発した。
「銀狗郎君はね、お金絡みだと全問正解してるの」
「……はい?」
「だーかーらー、同じ問題でも、金額計算になると計算スピードが違うの」
そう言われてもう一度答案用紙を見ると、なるほど、確かに文章を変えただけで数字は変わっていなかった。
「でも、それなら同じ問題だから銀狗郎が答えを覚えていたって可能性も……」
流石に千枝の言うことでも信じることが出来ず、狐黄太が訝しむ。
しかし千枝は慌てることなく、銀狗郎に向かって問題を出す。
「銀狗郎君、三七二九円を三人で割ると?」
「一二四三円」
「23×12は?」
「えーっと、ニサンが6で、ニニンが4……」
「八六三円を十五人から貰うと?」
「一万二九四六円!」
まるで打ち合わせをしていたかのように、銀狗郎は見事に金額計算の問題だけを暗算ですらすらと答えていく。逆にそうでない問題が出た途端、それがどれだけ簡単な問題でも、手を使わないと解くことができない。
そんな妹の姿を見て、狐黄太は口をポカンと開けていた。
「ねっ? 言ったとおりでしょ?」
「……喜ぶべきか呆れるべきか、僕はどっちを選べばいいんでしょうか」
「素直によろこんでよー」
ぷんすこ怒る銀狗郎を、狐黄太は乾いた笑みで見るのだった。
「千枝さん千枝さん、ちょっとこちらに」
狐黄太の答案用紙を見ていたコックリがちょいちょいと手招きをする。
何事かと思い歩み寄ると、開口一番。
「私は心配になってきましたよ」
「ん? 銀狗郎君のことですか?」
「いえ、千枝さんを選んだことです」
どういう意味かと尋ねる前に、コックリは答案用紙を指さすと。
「ココとココ。それにこの式と、あとその答え。全部間違えてますよ」
「えっ、嘘!?」
慌ててコックリから答案用紙を受け取り、目を皿にして計算式をチェックする。
夜更かしして作成していたことや、授業中にバレないように作業していたこともあるのか、一部分だったり全体だったり、とにかくコックリが指摘した部分は確かに全て間違えていた。
誤魔化そうと笑みを浮かべる千枝に、コックリはさらに追い打ちをかける。
「それと、国語のここの漢字とこれ。あとそことそれとあれ。あぁ、社会と理科もまだまだありますよー」
コックリが口を動かすたび、みるみるうちに千枝の顔色が悪くなっていき、遂には今にも泣きださんばかりの表情になってしまった。
「で、次はこの部分ですね。初期微動継続時間を求める式は――」
「か、母さん。もうそれぐらいにしておいたら……」
見かねた狐黄太が口を挟んだことでコックリはようやく面を上げ、千枝が涙を堪えていることに気がついた。
「い、いやー、これは、そのー……あれです、一日で作ってくれたんですもの。そりゃあ間違いの一つや二つや三つは……ねぇ?」
「ぼ、僕に振らないでよ!」
「そんなこと言わずに。ほら、ここで一言ビシィッと決めたらかっこいいわよ」
「そんな利用する気満々の言葉に乗るわけないでしょ!」
押し合い、へし合い、押し付け合い。
コックリ達が騒いでいる間に、千枝はますます瞳に涙を溜めていく。
情けないやら恥ずかしいやら、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。高校二年生にもなって小学生の問題を間違えるだなんて、来年受験生とは思えない。これは酷い。酷すぎる。
スカートの裾を握りしめ、立ち上がろうと足に力を込めた。
その瞬間。
「何泣かしとんじゃわれぇぇぇぇいっ!」
聞き覚えのある絵性の良い声と共に、炭酸飲料のペットボトルを開けた時のような音が響く。
何事かと音の出所を見れば、コックリの前に誰かが居た。
否、誰かが宙に浮いていた。
コックリはその人物の右手を掴んでおり、その右手はコックリの顔面直前で止められている。
まるでコックリが片手を掴んで浮かせているようにも見えるが、体が風船のようにゆらゆらと揺れているため、千枝は直感的にそうではないと分かった。
それより重要なのは、千枝にはその後ろ姿に見覚えがあることだ。
切り揃えられた黒髪、平均より小さめの身長、そして自分と同じ制服。
いや、まさかそんな。ここに居るはずがない。しかし先ほどの声といい、見覚えのある姿といい、もはや間違えようがない。
千枝は驚きと悲しみが混ざった声で、友人の名前を呼んだ。
「ま、舞……華?」
「……置いてけぼりにされて寂しかったから、来ちゃった♪」
いつもとなんら変わらぬ調子で喋る友人は、しかしどう見てもいつもの友人とは違っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます