④空気が読めて気配り上手


「いやはや、無事に千枝さんを家庭教師に出来て良かったです。わざわざここの住人を追い出して、曰く付き物件に仕立て上げるの、大変だったんですからね」


 畳を撫でながら、そんな恐ろしいことをさらりと話すコックリ。

 現在はコックリ家の居間にて、遊びに出かけているという子供達が帰ってくるのを待っているところである。和風の家を期待していた千枝にとって、外観がオシャレな洋風二階建て住宅だったのは少し残念であった。

 また、コックリの家は意外と千枝の自宅から近いところにあった。

 具体的に言えば自宅と学校のちょうど中間地点。偶然にしては出来すぎていると思ってはいたが、まさかそこまでして千枝を狙っていたとは誰が予想できただろうか。千枝は改めて、横に座っている女性が人ではないことを実感した。


「そういえば、なんで私を狙ってたんですか?」


 千枝がそう尋ねると、コックリは悪戯っぽく笑う。


「無自覚なようですけど、千枝さんって霊感がお有りなんですよ? しかも強力な。学生で霊感持ちって言うのは探してもなかなか見つかりませんし、コチラ側の世界と関わるのなら、少しでもそういった人が好ましいと思いましてね」

「私に霊感……?」


 そう言われても、にわかには信じられない。

 オバケなんて今まで一度も見たことがないし、前世の記憶が囁いてきたなんてことも体験したことはない。何かの間違いではないだろうか。


「信じられないって顔してますね。でも実際そうなんですよ? 例えばさっきのコンビニ。実はあそこ、元は由緒ある神社が建っていた場所でして。霊脈が通っていることもあってか、いまだにご利益があるんですよ。千枝さん、毎回あそこでバイト探してたでしょう? たぶん無意識にあそこを選んでるんですよ」


 そんなまさか、と出かけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 言われてみれば、他の場所で取ろうと思ったことは一度もない。なんというか、他の場所で見ても取る気が起きないのだ。自分でも不思議に思っていたが、まさかそんな理由があったとは。


「なるほど。だからこんなバイト長続きしないような人間でも、すぐに採用先が見つかるわけですか!」


 清々しい程に自分をダメ認定していた。


「そこまで言わなくても……っと、もうそろそろ帰ってくる時間ですね」


 壁にかかった時計を見ると、時刻は午後五時を過ぎたところだった。千枝は高校生なので門限は特にないが、一応母親に帰るのが遅くなる旨の連絡は入れておいた。すぐに返信が来たが、『今日はロールキャベツよ〜』となぜか夕食の献立が書かれていた。


(……そういえば)


 千枝はそこで、子供達が複数人ということ、小学六年生までのどこか、ということしか聞いていないのを思い出した。

 道すがらに聞けばよかったものを、あのノリでここまでやってきてしまったので、うっかり聞きそびれてしまった。せめて時給や詳細を聞いておけばよかった、と千枝は今さらながら自分のアホさ加減に呆れる。

 コックリにそのことを訊ねようと口を開く。


 がちゃっ。


 が、玄関の開く音にそれは遮られてしまった。


「ただいま」

「ただいまーっ!」


 落ち着き払った声と、まだ幼さの残った元気な声が聞こえてくる。どちらも声の質から男の子だろうか。そう直感的に思うと同時に、体がビクリと跳ねる。


(うわっ、めちゃくちゃ緊張してきた……!)


 慌てて背筋を伸ばし、顔が強張る。

 そんな彼女を見て、コックリは顔をそむけると小さく震え始めた。どうやら笑い声をあげるのを我慢しているらしい。

 何か文句の一つでも言ってやりたいところだが、今はそれどころではない。下手をすれば、先ほど食べたパフェを全部ぶちまけることになる。それだけはなんとしても防ぎたい。

 初対面でゲロまみれの女家庭教師(十七歳)なんてまっぴらごめんだ。

 そんなことを考えているうちに、足音がどたどたと近づいてくる。

 そしていよいよドアノブが回り、ゆっくりと開いていく。

 ごくりと唾を飲み、身構える千枝。

 そして現れたのは。


「…………う?」


 柔らかそうなほっぺたをした茶髪の少女だった。

 頭には丸い獣の耳が付いており、その横には葉っぱを模したバレッタが留められている。髪型はサイドに緩くウェーブのかかったショートボブで、幼さも相まって可愛らしさが全身から溢れ出ていた。遊び疲れたのか、その目はとろんと眠そうに垂れていて、千枝を凝視したままぱちぱちと瞬きしている。

 一方、千枝も想定していたものと違っていたことにより、少女を見たまま固まっていた。

 しばし交錯する視線。


「……くぁ……っぁ」


 先に静寂を破ったのは少女の方だった。

 大きく欠伸をすると、おぼつかない足取りで千枝の方へと近づいてくる。その背後には楕円状の大きな茶色い尻尾が付いており、だらりと垂れたそれは床を掃除するかのようにずるずると引きずられている。

 そうして千枝の前で立ち止まると、少女は気を失ったかのように突然倒れこむ。


「えっ、ちょっ、えぇ!?」


 慌てて少女を受け止め、ゆっくりと自分の太ももに下ろす千枝。あお向けにして顔を見ると、少女はすでに穏やかな寝息を立てて眠っていた。


「あ、あの、この子どうしたらいいですか?」


 突然の事態に戸惑いつつ、コックリに対処法を尋ねる。


「千枝さんさえよければ、そのまま寝かしておいてあげてください」

「それは構いませんけど……」


 再び少女に視線を向けると、まだ赤ちゃんの頃の癖が抜けていないのか、親指をちゅぱちゅぱと吸っていた。


(か、可愛い……)


 その瞬間、千枝の母性本能が疼きだす。

 頭を撫でようか、でも起こしたら可哀想だし。いやでも触りたい。このゆるくウェーブかかってるところとかわさわさしたい。けど起こしたら……うーん。

 手を出しては引っ込め、また手を出しては引っ込めと、どう見ても不審者の動きを繰り返す千枝。

 和やかな雰囲気を壊すかのように、続いてドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえてきた。軽い足音から察するに、幼い声の方の子供だろう。


「もー! さっちゃんってばー! 毎回言ってるでしょー! お家に帰ったら、まずお手々洗わないとダメっていっつも言っお客さんだー!!」


 ドアの向こうから騒ぎながら出てきたのは、銀髪の子供だった。頭には先ほどの少女と同じく獣の耳が付いているのだが、こちらはピンと尖っているうえにふさふさとした毛並をしている。

 千枝を確認すると驚いた表情から一転して笑顔になり、彼女の元へと一目散に走りよってきた。その後ろでは固そうな毛並みの尻尾がぶんぶんと千切れんばかりの勢いで振られ、喜んでいるのが一目で分かる。


「初めましてっ! 銀狗郎ぎんくろう、九歳です! 好きなことは食べることと遊ぶこと! あとみんなでお昼寝することも大好き! あとね、あとねっ!」


 どうやら感情が行動に反映されるタイプらしく、千枝の前で立ち止まると、興奮した様子でぴょんぴょんと跳ね始めた。きらきらと輝くその目は千枝を一心に見つめ、頭に生えた耳は興味深げにぴくぴくと動いている。

 てっきり短髪だと思っていた銀狗郎の襟足からは、尻尾のように伸びた髪が本物の尻尾と同じように暴れていた。どうやらウルフカットらしい。犬っぽい見た目をしているからだろうか、ちょこまかと元気に動くのと相まってよく似合っている。


「銀狗郎君か~。よろしくねぇ」

「よろしくねっ! ……よろしく? 何を? まぁいいやー」

(可愛い)


 ほにゃっと八重歯を見せて笑う銀狗郎に、千枝は一瞬で心を奪われた。もちろん恋愛感情ではなく、母性本能の方で。もし膝に誰も寝ていなかったら、抱きかかえて固そうな髪をわしゃわしゃ撫でまわしていたことだろう。

 それはそうと、もう一人の男の子はまだなのだろうか。銀狗郎の話から察するに手を洗っているだけらしいが。


「あの、もう一人の子は……」

「ん? あぁ、狐黄太こおうたのことですか。あの子は生真面目ですから、しっかり手洗いうがいをしてからじゃないと部屋に入ってこないんです。そうしないと気が済まない、とも言えますが」

「しっかりしてるんですね」

「長男としての性か、はたまた宿命なのかは分かりませんがね」


 そう言ってコックリは苦笑いを浮かべる。正座した膝の上にはいつの間にか銀狗郎が座っており、彼女の右手を遊び道具代わりに弄っていた。その姿が微笑ましく、千枝の頬はますます緩む。


「ボクだってちゃんとキレイキレイしたよー!」


 褒めてほしいのか、銀狗郎が手遊びを中断して両手を見せる。

 言葉のチョイスといい、行動といい、まるで千枝の母性本能をピンポイントで狙ってくる子供だった。


「あら本当。偉いわねぇ」

「えらいでしょ~」

「それじゃあもちろん、ちゃんと爪の間も洗ったわよねぇ?」

「あー、お兄ちゃんがもうそろそろ来る気がするなー」


 露骨に母親から顔を逸らす銀狗郎。本当に分かりやすい子供だった。



「ただいま」


 銀狗郎の読みが当たったのか、はたまた偶然か。狐黄太と呼ばれた少年が部屋の中に入ってきた。ドアを後ろ手ではなく、振り返ってからきちんと閉めるその姿は、先ほどのコックリの言葉を千枝に思い出させた。

 金髪、というよりもイチョウ色と呼んだ方がしっくりとくる髪色の少年で、獣の耳と尻尾の姿が見えない。凛々しい顔立ちなのだが、黙っていれば女の子にも見える。

 女形をやらせたらさぞ似合うだろうなぁ、と千枝はぼんやりと考えた。歌舞伎の知識がないので、可愛い男の子=女形という安っぽい考えしか浮かばないだけだが。


「おかえりなさい」

「おかえり~!」

「ただいま。母さん、玄関にあった靴っていったい誰の……」


 振り返りながらそう言った狐黄太は、千枝を見た瞬間に動きを止めた。

 かと思えば、目を大きく見開いて、みるみるうちに耳まで赤くなっていく。漫画やアニメなら、頭から湯気や煙が出ているところだろう。

 つまり彼は、千枝に一目惚れしたのである。

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