②私、コックリと申します

 店内へ入ると、来客を知らせる音が流れ、レジの店員が間延びした声で出迎える。

 千枝はそんな不愛想な店員に目もくれず、レジに駆け寄るやいなや、お目当ての商品を注文する。


「この春一番イチゴどっさりパフェをください! それと――」


 目を輝かせて注文する千枝だったが、女性の注文を尋ねようとしたところで、名前を聞いていないことに気づいた。


「あの、えぇっと……」

「レギュラーコーヒーのSをお願いします。お会計は一緒で」


 慌てる千枝に歩み寄り、女性は慌てることなく注文する。

 店員は合計金額を読み上げて代金を受け取ると、レジの後方に設置されているスペースでパフェを作り始めた。


「そういえば名乗り忘れてましたね。私、コックリと申します。以後お見知りおきを」


 先ほどのようににっこりと微笑み、軽くお辞儀をするコックリ。


「こ、こうくりさん? 変わった名前ですね……」

「いえ、コックリです。『う』じゃなくて小さい『つ』、です」


 『つ』と空中に描く女性。もといコックリ。

 ただ人差し指で文字を書いているだけだというのに、その動作一つ一つが妙に艶っぽく、同性だと言うのに千枝は胸の高鳴りを感じてしまった。


「そちらのお名前は?」

「い、泉原いずはら千枝ちえです。泉に原っぱの原で泉原、千の枝と書いて千枝です」


 慌てて千枝もぺこりとお辞儀。

 が、馬鹿正直に本名を言ってしまったことをすぐに後悔した。

 どうしてこうも、自分は爪が甘いのだろうか。

 千枝の表情を見て相手もそう思ったのか、クスリと笑って聞き返してきた。


「ご丁寧にフルネームで解説ありがとうございます。ところで、私に本名を教えてしまってよかったんですか? まだ信じてらっしゃらないんでしょう?」

「もしかしたら偽名かもしれないじゃないですか」

「なるほど。偽名の割にはいいお名前ですね」


 とっさに嘘を言ったものの、当然信じてくれる様子はない。

 そうこうしているうちにパフェが出来上がったらしく、店員がプレートに乗せて運んできた。イチゴを贅沢に三粒も使っているのがウリのパフェは値段に比例して大きく、横に置かれたワンコインのコーヒーがますます小さく見える。

 千枝はその大きさを見て、今さらながら初対面の人間にパフェを奢ってもらっている自分が恥ずかしくなってきた。申し訳なさそうにコックリの表情を窺うも、おごらされている当人は特に気にした様子もなく、会計を済ませるとレジの横にあるカフェスペースに歩いていく。


(これが大人の対応……)


 千枝は感心しながらコックリの後を追いかける。

 コックリが選んだのは奥側の席で、椅子や机が綺麗でしっかりしている反面、ゴミ箱が近くにないので残骸がよく放置されている席だった。今回は清掃されていたらしく、いつもより綺麗なのは運が良かったのだろう。


「ささ、遠慮せずに食べてください」


 着席するやいなや、千枝の心を読んだかのようにコックリがそう言った。


「本当にすみません。こんな高い物奢ってもらって」

「何を今さら。悪いと思うのなら、無駄にならない様にちゃんと残さず食べてくださいね」

「はい……」

「あと、出来ればイチゴ一つください」

「それはダメです。譲れません」

「……」

「ダメです」


 物欲しそうな顔をするコックリをばっさり一刀両断し、パフェを頬張る千枝。それはそれ、これはこれである。遠慮せずに食べろと言われたからには、たとえ奢ってくれた人であろうともあげるわけにはいかない。

 イチゴに舌鼓を打つ千枝に対し、コックリはコーヒーを一口啜り、突然早口で話し出す。


「まぁ、私は大人ですから? 別にイチゴ一つ貰えないだけで機嫌を損ねるなんてことはありませんし? 甘い物より苦い物の方が好きですし? そんなパフェなんて甘ったるくてカロリーが高そうなデザートをこんな真っ昼間から食べるだなんて私にはそんなとても」

「あっ、底の方にドライフリーズのイチゴが入ってる」

「すいません店員さん、私も彼女と同じ物ください。大至急」


 キリッとした表情のまま、手を挙げて店員に注文するコックリ。


「さて、お話の内容なのですが……なんですかその顔は」

「いえ、別に」


 散々見栄を張った割にはあっさり折れたなぁ、と思っていただけである。


「……まぁいいです。それでお話と言うのが、単刀直入に言いますと、我が家で家庭教師のアルバイトをしてくれないか、ということでして」

「無理です」

「わぁ即答」


 お互い爽やかな笑みだった。花びらを散らして謎の光を当てれば、そのまま少女漫画のワンシーンに使えそうである。

 無論それが続くわけもなく、バンッと机を叩いてコックリが抗議の声をあげる。


「なんでですか! 人にパフェ奢ってもらっといてそれはないでしょう!」

「話を聞くとは言いましたが承諾するとは言ってません」

「あなたの方がよっぽど詐欺じゃないですか! 少しは聞いてくださいよ!」

「嫌です! 自分の勉強ですら手一杯なのに、他人に教えろとか無茶にも程があります!」


 自慢じゃないが、赤点を取ったことがないのが奇跡なレベルである。


「大丈夫ですって! 小学六年生までの勉強ですから! たとえ千枝さんが三桁の暗算が出来ない馬鹿だったとしても、それぐらいなら大丈夫でしょう!?」

「馬鹿って言った! 私のこと馬鹿って言った!」

「たとえばの話ですよ! 千枝さんが実際に頭が悪いとは誰も――」


 ダンッ!


「店内ではお静かにお願いします」

「ごめんなさい……」

「すみません……」


 店員の冷たい視線と共にパフェが届けられ、二人は同時に謝った。


(……それにしても)


 謝りながらお金を支払うコックリを眺め、千枝はぼんやりと考えた。

 まさか自分に家庭教師のアルバイトの声がかけられるとは思ってもみなかった。

 バイト探しの時に見かけることはあるものの、どれも高校生や中学生を対象にしたものばかりなので千枝には自信がない。きっとこの先、大学生になったとしてもやることはないだろうと思っていた。

 だが小学生なら話は別。中学一年生と小学六年生、一年違うだけじゃないかと思うかもしれないが、千枝にとってその差は大きい。要は気持ちの問題で、中学生は教える自信がないけど、小学生レベルの勉強ならイケるはず……それぐらいの浅い気持ちの問題だった。

 それに。


「うぅ、私大人なのに……。大人なのに年下に怒られた……、イチゴ美味しい……」


 しょんぼりした様子でパフェを食べるコックリを見て、千枝は自分の勝利を確信した。

 最初こそミステリアスで近づきがたい人だと思っていたが、どうやらそれは千枝の勘違いだったらしい。今の彼女はどこからどう見たって、なし崩しに和服を着させられているお姉さんにしか見えない。


(……お姉さん?)


 自分の言葉に、千枝は首を傾げた。

 いや、確かにコックリは若い。どう見たって二十代前半、もっと言えばそれ以上に若く見える。そのくせ体はダイナマイツで、そこから溢れる大人の色気と、あどけなさと清楚さを兼ね備えた顔が合わさることにより、同性すら落としそうな魔性の魅力を持っていた。

 ……これで小学六年生の子持ち? 仮に子供が十二歳で出産したのが二十歳だとしたら、彼女は三十代なわけで。それはつまり、その、なんというか。うん、あれだ。ムカつく。


「……どうしました千枝さん。『阪神タイガースって大阪にあるんでしょ?』って言われた阪神ファンの兵庫県民みたいな顔をしてますけど」

「なんですかそのやたら具体的な例え。いや、とても子持ちには見えないのでちょっとムカついて。はははっ」

「褒めてもイチゴはあげませんよ」


 乾いた笑い声をあげる千枝から守るように、パフェを両腕で抱えるコックリ。


「なんでそうなるんですか……」

「あれ、違うんですか? まだ食べ足りないのかと思ったんですけど」

「えっ!?」


 慌てて自分の手元を見ると、確かに容器の中身は空になっていた。

 無意識に食べていたのだろうか。けど、それにしては満腹感がないような。


「やっぱり平成生まれの子は食欲旺盛ですねぇ。そのくせ好き嫌いが多いだなんて、私たちが生まれたときはそんなこと言ってられませんでしたよ」


 生クリームを口に運びながら、昔を思いだすようにしみじみと話すコックリ。


「昭和生まれの人はそうやってすぐに昔のことを持ち出すから嫌いですけどね」


 パフェのことはいったん置いておき、千枝も負けじと嫌味を返す。

 しかし、コックリはなぜか嬉しそうに微笑む。


「あら、そんなに若く見てくれるだなんて嬉しいですね」

「……はい?」

「やっぱり常日頃のエイジングケアが大事ってことですかね。まっ、私はそんなことしなくても美しいんですけど」

「いや、え、ちょっと待ってくださいよ。……昭和生まれ、ですよね?」

「いえ、明治生まれですが」

「はぁっ!?」


 予想の斜め上の返事に、千枝は思わず立ち上がるほど驚いた。

 いや。いやいやいや、明治って。いくら馬鹿な私でも分かりますよ。大正跨いじゃってるじゃないですか。余裕で百歳超えちゃってますよ。百歳越えでこんだけ若いとか。それはもうギネスも真っ青の人間離れした長生きおばさ。


(…………人間離れした? こっくり……?)


 その瞬間、千枝の頭の中で何かがカチリとかみ合った。というよりも、なぜ今まで気がつかなかったのか自分でも分からないほどだ。

 いやいや、きっと何かの間違いだ。私をおちょくって遊んでるだけだ、そうに決まってる。どう見たってそんな老けてるように見えないじゃないか。

 でもなぜだろう。私の直感は、彼女の言葉は真実だと訴えかけている。

 頭がごちゃごちゃにかき混ぜられているような感覚に襲われ、千枝は力なく椅子に腰かける。

 ふと手の平を見ると、まるで水に手を突っ込んだかのように濡れていた。そのまま何気なく顔を上げれば、コックリはあの時と同じ柔和な笑みを浮かべ、テーブルには食べかけのパフェがあった。

 たった一つだけ。千枝が先ほどまで食べていたはずの、そのままの形で。

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