2 隠し事はいつかバレるモノ

①最近の折り紙って

 コックリと出会った翌日、千枝は教室でこれからのことについて考えていた。

 両親に家庭教師をすることになったと話すと、反対されるでもなく、嫌味を言われるわけでもなく、頑張れと言われただけだった。

 いや、頑張れじゃなくてさ。もう少し何かさ。応援してるわよ、とか、どんな子に教えるの、とか聞いてくれてもいいんじゃないのだろうか。信頼の裏返しかもしれないが、心のどこかで質問されるのを期待していただけに、そういう反応が一番辛い。

 ため息を吐き、授業の準備をしようとカバンに手を伸ばした。


「見えたっ、千枝の一滴ひとしずく!」


 背後からそんな声が聞こえた直後、千枝の胸は誰かに鷲掴みにされていた。


「ひあゃぁ!?」


 素っ頓狂な叫び声をあげ、椅子を倒しながら立ち上がる。周りの生徒が何事かと視線を向けてくるが、声の主が千枝だと分かると、何事もなかったかのようにそれぞれの行動に戻った。

 首を動かし背後を見ると、黒髪の頭頂部が見える。

 その人物はわさわさと手を動かすと、びくりと痙攣して顔を上げた。


「なっ……千枝に胸がある!? さては貴様、偽物!」

「失礼な!」

「じゃあ偽乳?」

「とりあえず胸から離れなさいって!」

「ハハハ、ない物から離れろとは無理を仰る」


 イラァッ。


「そぉいっ!」

「もるすぁ」


 千枝が背後の人物を攻撃すると、奇声と共に手が離れる。

 息を荒げながら振り向けば、ちんまりとした黒髪ショートボブの少女が床に座っていた。良くて中学生、ともすれば小学生にも見える身長の少女は千枝の視線に気がつくと、軽やかな動きで立ち上がり、手を挙げて笑顔を見せる。

「おはよ、舞華まいか

「おはよー千枝。今日もナイス触り心地だったよ」

「チョップ!」

「ぬぁああ」


 千枝の一撃が見事頭に刺さり、舞華が再び床に沈む。

 彼女は萱島かやしま舞華まいか。千枝の親友である。

 高校受験の頃には千枝にも友人が出来ていたが、心の底から話し合えるような人物はおらず、どこか寂しさを感じていた。そんなこともあってか、高校入学初日にテンション高く絡んできた舞華とは打ち解けるのが早く、舞華が馬鹿なのも相まって今では二人の間に隠し事は何も無いほどの親友となっている。


「おぉう……馬鹿になったらどうするわけ」


 そんな自分の頭をさすっている親友を、千枝は冷たい瞳で見る。


「もう馬鹿だから大丈夫でしょ」

「そ、そうだった! 舞華ちゃんってば馬鹿なんだった!」

「何その地球人最強の坊主頭みたいな反応」


 馬鹿であることを忘れるほどの馬鹿なのだろうか。そして自分のことを舞華ちゃんというところもますます馬鹿っぽい。

 そんなことを思いつつ、倒れた椅子を戻して座り、今度こそ授業の準備を始めた。

 が、構ってもらおうと、舞華が千枝の前にひょっこり顔を出す。


「そんでさー、次の授業なんだったっけ」

「英語だよ。小テストあるから舞華も勉強しとけば?」

「マジで!? やっば、舞華ちゃんも早くカンペ作らないと!」

「私もカンペしてるみたいなこと言うのやめてくれない? それで成績に響いたら笑いごとにならないんだからね」


 前に呼び出されたことがあるから尚更である。


「いやぁーはっはっ、面目ない。お詫びに、千枝にはないこの胸の柔らかさを体験させてあげるからさー」


 言うが早いか、座った千枝の背中に柔らかい感触が広がる。ついでに怒りも体中に広がっていく。なるほど、これが殺意か……。

 いや、別に羨ましいわけではない。欲しいと思ったことは一度もない。

 ……嘘である。

 ほんの少しだけ欲しいと思ったことはある。一年生に男と勘違いされて告白された時の、あの嘲りが混ざった周りの笑顔は今でも鮮明に覚えている。

 その告白してきた女の子が体育の授業の時しか千枝を見たことがなかったため、そのようなことが起きてしまったわけだが、さらに傷ついたのは、千枝がスカートをはいているのを見たその子のセリフが「罰ゲームですか?」だったことである。あの時ばかりは、憎々しげに思っていた舞華の胸を借りてさめざめと泣いた。

 そんなこともあって、千枝の前で貧乳ネタを言うことはご法度となった。もっとも、見ての通り、舞華だけは気にせず言い続けているが。


「だぁぁぁぁっ! やめろっつってんでしょうがぁ!」

「嫌よ嫌よも好きのうちー」


 体を揺さぶって振りほどこうとするが、舞華はがっちりと組み付いていて離れる気配がない。むしろ揺さぶるほどに締め付けはきつくなっていく。

 いったいこの小さな体のどこにこんな力があるのだろう。

 乳か、乳にあるのか。その小さな体に不釣り合いな乳から力があふれ出ているのか。

 おのれ巨乳。巨乳死すべし、慈悲はない。


「ほれほれー。どうだー、参っ……」


 いよいよ千枝が殺意の波動に覚醒するかというところで、舞華の声が不自然に途切れた。


「ん、どしたの舞華。先生でも来た?」

「いや……その黒い紙が気になって」


 舞華が指さす先には、コックリから渡されたあの紙が教科書の間からはみ出していた。どうやら登録し終えたあと、机の上に放り出していたせいで紛れ込んでいたらしい。

 特に隠す必要もないが、家庭教師のバイトを始めたなどと舞華に話せば、『えー? 千枝が家庭教師ぃ? マジウケるんですけどー☆』とか言われるに決まっている。それにコックリについてどう説明したものか。

 そんな考えが頭をよぎり、千枝は咄嗟に嘘を吐いた。


「あー、これはねぇ……あれだ。折り紙、折り紙だよ」

「折り紙」

「そうそう。昨日親戚の子供が家に来ててさ、折り紙で遊んであげてたの。休みの日だってのに困ったもんだよねぇ」


 困った笑みを浮かべ、舞華の様子を窺う。出来事を話すだけでなく、それについて感想を言うと真実味が増すものである。まぁ全部嘘なわけだが。

 千枝の肩に顎を乗せ、じぃっと黒い紙を見つめる舞華。いつもと違う舞華の反応に、千枝は不安で机に乗った教科書を見つめることしかできなかった。


「……最近の折り紙って」


 舞華が耳元で囁く。


「電話番号とメアド書いて折るもんなんだねー」


 首に回された腕に軽く力が入ったのを千枝は感じた。背筋に冷たいものが走るが、それが舞華の吐息のせいなのかはよく分からない。

 紙がはみ出ているのは極一部で、よくよく目を凝らさないと文字が出ているのは見えず、見えたとしてもそれが電話番号とメアドと察するには情報量が少なすぎる。なぜ分かったのだろうということよりも、なぜそれに注目したのかと言うことに千枝は関心が向いた。


「えっと、これは、その」


 いつも通り話せばいいだけなのに上手く口が回らない。舞華と目を合わせるのが怖くて自然と視線は下を向いてしまい、焦りからか心臓が痛いほどに鳴っている。

 何も恐れる必要はない。実は家庭教師のバイト始めて、そこの連絡先なんだー、と正直に話せばいいだけじゃないか。頭の中でそう分かっていても、そう言い出せない自分に千枝は戸惑いを隠せなかった。

 そんな千枝をしばらく見つめた後、ポツリと舞華が言葉を漏らした。


「…………彼氏か」

「えっ」

「彼氏か、彼氏なんだな! 貧乳の癖に巨乳の舞華ちゃんより早く彼氏を作ったんだな!! うわぁぁぁぁ、私の千枝が穢されたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ちょ、違うって! というか舞華のものでもなければ貧乳関係ないし!」

「誰だ! 貧乳好きで有名な一組の箕面みのおか! それとも若干ホモっ気のある三組の交野かたのか! まっまさか、この前告白してきた一年生の柴島くにしまちゃん!? 男にモテないから女の子と交際だなんて、お母さん許しませんよ!」

「ホント失礼だなあんたは!」


 勘違いするにしても、もう少しまともな選択肢を出してほしかった。貧乳好き以外女として見られていないのはどういうことだろうか。

 とはいえ、舞華が暴走してくれたおかげで話を誤魔化すことが出来たのはありがたい。代償として教室中から視線が突き刺さってくるが。


 キーンコーンカーンコーン。


 始業を告げるチャイムが鳴って先生が入ってくると、今まで騒いでいた生徒達が慌てた様子で着席し始める。もちろん舞華も例外ではなく、抱き付いた状態からあっさり離れ、自分の席へと歩いていく。どうにか誤魔化せ、解放された千枝は胸を撫で下ろした。


「千枝」


 舞華が千枝の机の前で立ち止まった。


「……なんか困ったことあったら、相談してね」


 背を向けているのでどのような表情をしているのかは分からないが、その声は先ほどと同じ明るい調子だった。

 返事をする間もなく、舞華は自分の席へと戻ってしまった。

 これはもしかして、自分に相談せず付き合い始めた(と思っている)ことに対して怒っているのだろうか。もしくは頼りにされなかったと悲しんでいるのか。

 舞華の真意を理解できないまま、千枝は最後の足掻きと教科書を開く。


(……)


 去年の教科書だった。

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