第2小節:ノイズ混じりの願い

第2小節:ノイズ混じりの願い(1)

「あ、哀れな、じ、人民の皆さん、聞いてくださいっ」


 人気のまばらな昼下がりの公園。心地良い日差しが優しく包み込むその場所で、声が響いた。


「わ、わわ、我らは世界崩壊を企む悪の大組織『シャトランジ』!わ、我々がこの世界に降臨したからには、お前たち人間に未来はないっ……えっと、次なんでしたっけ」

「ほら、血と狂乱の…」

「あっ、はい。…こほん。もう間もなく、世界は血と狂乱の闇に崩壊する事になるでしょう!わ、我々はここに宣言します。この世界を、絶望によって征服する事をっ」


 長い演説を終えて、私は後ろでそれを聞いていた"上司"の方を仰ぎ見た。しかし、ヨレヨレで、どこか知らない街の写真がプリントされたTシャツ姿の"彼"は、私の演説が終わるなりしかめっ面でため息を吐いた。


「ダメ。全然ダメ。迫力なさすぎ。15点」

「うぅ」


 そして、先ほどの演説に対して言いたい放題ダメだしをされる。気持ちはわからないでもない。確かに私の声は相手を圧倒するような勢いはないし、緊張していたせいで何度も噛みそうになった。しかしそうは言ってもこの演説、正直に言って滅茶苦茶恥ずかしいのだ。普段使う機会などまずないような単語は満載されているし、とても今の自分の年齢で口に出して許されるような内容じゃない。原稿に目を通しただけで、背中のあたりがムズムズしたくらいだ。しかし、目の前で腕組みをしてこちらを睨みつけている"彼"は、「これくらいの啖呵が切れずして悪としての資格はない」と、こう無茶な事を言ってくるのだ。


「大体途中、何子供に手ェ振ってんだ、あん?」

「え、いや…向こうが振ってくれたので…」

「アホ、懐かれてどうする! 俺たちゃこれから世界をぶっ壊そうとしてる悪の大組織だぞ!? 恐れられ、怯えられ、逃げ纏い…終いにはブルブル震えながら許しを請われなきゃいけないんだよ!それがなんだ! それじゃ選挙カーの演説だろうがッ!」

「そう言われましても…それに、3人だけで大組織というのもちょっと…」


 私は小さく不満を漏らす。そもそも本心の所は、世界を征服する気も、崩壊させる気も更々ないないのだ。しかし、そんな事を知る由もない"彼"は、尚も偉そうに私に講釈を垂れてくる。


「いいから、もう一回だ! いや、納得いくまで何回でもやらせる!」

「そんなっ…!」


 冗談じゃない。先ほどの演説中だけでも、通行人や無垢な子供達の白い視線が突き刺さってきて顔から火が出そうなほど恥ずかしかったのに、その上まだそれを続けろというのか。


「うぅ…ゆかりさん……」


 私は、彼の傍らに寄り添うように控えていた女性―――ゆかりさんに縋り付くような視線を投げかけた。彼女…ゆかりさんこそ、私を助けてくれた漆黒のドレスの女性だった。今の彼女は、ドレスの代わりに特に何の変哲もない黒のワンピースを見に纏い、手にはヴァイオリンのケースと思われる小さな箱を携えていた。

 だがそのゆかりさんは、私の声を聞くなりわざとらしくひとつため息を吐いた。それで私は、思わずあっ、と声を出す。


「あ、えっと……"クイーン"、さん…」


 またやった。これで4度目だ。この悪の組織『シャトランジ』では、お互いをコードネームで呼び合わなければならないという掟がある。だが、これがどうも慣れない。理由は様々聞かされたが、大体要約すると『本名で呼び合うよりかっこいいから』という感じだった。迷惑な話だ。その界隈の人間にとってはカッコよく感じるのかどうか知らないが、私からしてみれば最近流行りのキラキラネームと大差なかった。それに、人の目がある場所でその呼び名を口にするのは少し…いや、かなり恥ずかしい。ちなみに、私のコードネームは『ポーン』。恐らく、チェスの駒に準えているのだろう。私は一番下っ端で、力も強くない。だからポーン。チェスを愛する人には申し訳ないが、人の名前として宛がわれるにはちょっぴり間抜けな感じなのが悲しい。


 結局、それから私はあの恥ずかしい演説を6回繰り返した。が、その演説が上達する事は最後までなかった。そればかりか、途中から学校の演劇部か何かの練習と勘違いした通りすがりの老人達に頑張って、とかなんとか励ましの言葉をかけられてしまい、何とも気まずかった。


 それでも、私はそれに文句は言えないし、"彼"の無茶な要求にも逆らう事はできない。

 何故なら、目の前にいるこの冴えない恰好をした"彼"こそが、私が所属するハメになった悪の大…小組織、『シャトランジ』の首領にして、"キング"の名を冠する男だったからだ。


———どうして、こんな事に。




 私が妹を救う決断をしたあの日から、3週間が経った。しかし私は、早くもその決断を後悔し始めていた。


 駅を出たあの後、私はゆかりさんに連れられて昔に閉館した小さなコンサートホールに招かれた。そこが彼ら、そして私の所属する事になった悪の組織『シャトランジ』のアジトだった。意外と近所だったのには拍子抜けだったけど、薄暗い照明にそこらじゅう捲れあがった壁や床、その荒廃しきった屋内から滲み出る雰囲気は中々に不気味で、いかにも、という感じだった。


「遅かったな、新入りちゃん」


 そこで出会ったのが、"彼"、シンだった。所々板の捲れたコンサートホールの檀上…その中央に配された椅子に、少し伸びたT シャツを着たどこにでもいそうなその普通の男は座っていた。


 彼と初めて出会った時、私は目を疑った。


「どうも、俺が首領の『キング』だ。まぁ気軽にキンちゃんとでも呼んでくれ」


 最初は何かの冗談だと思った。世界を壊そうとするような組織のトップなのだから、もっとこう、悪魔の翼を携えた異世界の魔王みたいな、そうでなくても裏世界を牛耳るマフィアのボスのような…とにかく荘厳で、近づくだけで相手を威圧し、誰もが畏怖するような禍々しさを湛えた存在だと思っていたのだ。

 それがどうだ。この、これから近所のコンビニにでも出かけていきそうなみすぼらしい容姿は。カリスマ性の欠片も感じられない、能天気な雰囲気は。これじゃ、そこら辺の不良以下だ。人生の休暇に入ってる大学生だ。私が昔通っていた、ヴァイオリン教室の先生の方がまだ怖かった。


「"シン"…流石に、その呼び方はどうかと」

「ちょ、本名いうなよゆかりー。ミステリアスさがなくなるだろう?」


 ちなみにミステリアスさなんか、最初からない。この時ばかりは、ゆかりさんが悪ふざけで騙しているんじゃないかと本気で思った。"悪者"なのだし、十分あり得る話だ。だが、彼の前に跪くゆかりさんは本気で彼を崇敬している様子だったので、私も止む無くそれを信じるしかなかった。

……今日から、コレを敬わなきゃならないんだ。そう思うと、途端に憂鬱になった。


「ま、それはそれとして」


 そう言うと、シンはひょいと椅子から飛び降り私の肩を乱暴に抱いた。ゆかりさんの時のようなな優しさは、感じなかった。


「よろしくな、新入りちゃん。今度他の連中も紹介するわ。まぁ、あいつら集まり悪いから、滅多に顔出さないんだけどな」


 と、ここまでが3週間前の出来事。

そして、ひとつめの後悔。



「ゆかりさ、今回ばかりはアテが外れたんじゃねぇかい? そりゃ、外見はなかなかに好みだけどよ。流石にあれは才能なしなんじゃねーかなぁ」


 恥ずかしさに意気消沈している私の後ろから、シンのそんなヒソヒソ話…というには大きすぎる囁き声が聞こえてきた。残念ながら、私も同感だ。それに、人様に迷惑をかける才能なんて特に欲しいとも思わない。

当のゆかりさんはというと、そんな私を何か物言いたげな目でじっと見つめていた。もしかして、自分の見込んだ人間が実はこんな落ちこぼれでガッカリしているんだろうか。

 私を助けてくれたゆかりさんを悲しませるのは、なんとなく気が引けた。しかし、いくらみらいの為とはいえ、やはり他人を苦しめるような行為に助力するのは今ひとつ気が進まないのも事実だった。


 そう、もうひとつの後悔は悪の組織というその職業性にあった。職業と呼んでいいのかはわからないし、"悪者"を自称する組織に与するのだから覚悟はしていたつもりだった。しかし、何しろ人助けが日々の日課みたいなみらいばかり日常的に見てきたので、悪行を進んで働くというのにはどうにも抵抗があった。人の生き方というのは、そう易々とは変えられるものではないのだ。

だからこそ、世界がみらいにした行為は許せないと思う。


 そういえば、悪の組織に定番の洗脳や調教やらを受けるのではないかと最初はヒヤヒヤした。もちろん、もしそれがあったなら何としてでもはぐらかすつもりだったが。みらいより組織の事を優先するようになってしまっては、今のみらいと同じだ。それでは、意味がない。

でも、結果としてそれはなかったし、むしろもう少し狡猾さがあってもいいのではとすら思えるくらい平和だ。今の私にとっては、"正義の味方"と称される彼らの方が、よっぽど悪のように思えた。今のところは、だが。


「どうしたの?」

「あ、いえなんでも…」


 ゆかりさんが、呆然としていた私の顔を心配そうに覗き込んできた。いけない、これ以上は気づかれる。私は前髪を手串で梳き、表情を隠した。ゆかりさんに見つめられていると、心の内を見透かされているようで体中がそわそわする。


「優しいのね、あなたは」


 やっぱり。ゆかりさんと一緒にいるといつもこうだ。どんなに胸の内に秘めた想いがあっても、彼女の瞳はすべてを見透かしてしまう。だから、私がみらいに対してどれ程の大きな想いを抱えているのかも、悪の組織の為に忠誠を誓う気などこれっぽっちもない事も、ゆかりさんには全部わかっていた。

勿論、私が今考えていた事も。


「でも、いつかその優しさは捨てないといけない」


 私は、思わず言葉を詰まらせた。


「わかっているでしょう? 妹さんと世界、両方は救えない。妹さんを取り戻す為には、世界を壊すしかないの。そうなった時…その優しさで傷つくのは、あなた自身だから」


 ゆかりさんの言う通りだった。あの日、私は確かにみらいの為に世界を売り渡す覚悟をしたはずだった。しかし、心のどこかではまだみらいも世界も、その両方が元通りになるんじゃないかと甘い幻想を抱いていた。悪行への加担に躊躇いがあるのも、その甘さからだった。失ったものを取り戻すには、それ相応の対価が要る。もはや、みらいと平和な世界で一緒に暮らすという当たり前だった日常は、叶わぬ夢であり手の届かない幻なのだ。


 その時、せっかく目元を隠した前髪が何者かの細く繊細な指で掻き分けられた。ゆかりさんだった。彼女の身長は、私よりも少しだけ高い。だからゆかりさんは、私と目線を合わせる為にほんの少し屈むようにしてから、子供をあやすような声で言葉を紡いだ。


「ごめんなさい、変な話して。大丈夫、答えはゆっくり考えましょう。2人でね」


 そしてそれから、その指で私の額をつんと小突いた。それが余計に私を気恥ずかしくさせて、気がつけば私はゆかりさんの吸い込まれそうな瞳から視線を逸らしていた。


「あのー、俺もいるんだけどね」


 と、その時。


「あっ」


 思わず、小さく声が漏れた。

 逸らした視線の先―――そこに、小さな時計台があった。確か、随分前に針が止まってしまって、誰も修理しないのでいつしか周囲の人間から見向きもされなくなった、年季の入った代物だ。一見するとそれは、針が止まっている以外おかしな点はないように見える。だが、今の私は普通の人間とは違う。私の瞳は、その時計台にある小さな"違和感"をはっきりと捉えていた。


「ゆかりさん…見つけました」


違和感の正体。それは、止まってしまった針の軸の部分にあった。そこを中心に、本来ならばあるはずのない黒い"歯車の形をした穴"が、ぽっかりと空いていた。

その不可思議な光景を眺めながら私は、初めてアジトを訪れた日のシンの言葉を思い出していた。







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