第7小節:未来への鍵(4)


 舞台上に、金属の擦れあう甲高い金属音が響き渡った。先に攻撃を仕掛けたのは私の方。だが、対してセカイは棒立ちで迫ってくる私を眺めている。戦うつもりはないのか? いや、そうではない。私の振るった弓が彼に届こうかという瞬間、突如何もない空間から白い歯車が出現して攻撃を防いだ。私は一瞬驚愕したが、すぐに次の攻撃に移行する。しかし、それも弾かれた。次も、その次も。どうやら、見えない歯車がセカイの周囲を覆っていて、彼に危害が及んだ時だけ現出しているようだった。


 私はすぐに態勢を立て直し、彼の背後に回る。私が本来持つ機動力に、ゆかりさん譲りの正確無比な精度を誇る攻撃が合わさって、セカイの背中を捉える。が、やはり歯車は背後にも姿を現す。しかし、私は構わずその背中に現れた歯車に弓を振るい続けた。何度も。その狙いは単純。ひとつの歯車に攻撃を集中し、破壊する事。いくら強固な物体と言えど、同じ箇所に立て続けに衝撃を与え続ければ、いつかは必ず崩壊する。そして、歯車がひとつ抜け落ちれば、そこから綻びが生じ、連鎖的に瓦解させる事ができるのではないかと思った。


 しかし、いくら攻撃をしてもその白い歯車には傷ひとつ付かない。そして、すぐに反撃が来た。セカイを取り巻く歯車とは別に、今度は黒い歯車が檀上に浮かび上がってきて、まるで生き物のように私目掛けて飛んできた。私はそれを、盾で受け止める。だが、今度はラビット・ホースの時のようにはいかない。歯車と盾が交錯した瞬間、私の体が数歩後ろへ押し戻された。見かけからは想像もつかないような、強大な力。だが、その歯車の数は1つや2つではなかった。50、60…もっとある。このホールの観客席の数くらいはありそうな、無数の歯車。それが、一斉に私に襲い掛かる。私は一瞬で、雪崩のように殺到する歯車の渦に飲まれた。


「お姉ちゃんっ!」


 みらいが悲鳴を上げる。そして、すぐに無数の金属音がそれを掻き消していく。私は何とかヴァイオリンの盾を構えるが、それさえもこの歯車の嵐の中では木の葉のように頼りない。視界を黒い歯車が覆い尽くす中、私は体を右に左に揺さぶられながらも必死にその荒波に耐えた。


「威勢はよかったのに、その程度か」


 セカイの声が聞こえる。彼は、腕を組んで私に嘲るような視線を向けていた。だが実際、手も足も出ないのは事実だった。

 白い歯車は私の攻撃を悉くはね返し、黒い歯車はゆかりさんから貰った漆黒のドレスを徐々に引き裂いていく。このままでは、いずれ追い詰められてしまうのは明白だった。


「ほら、どうしたの? もっと頑張ってよ。あまり一方的じゃ、"観客"が飽きてしまうじゃないか」


 挑発するように、セカイが膝をつく私の顔を覗き込む。ここにきて、埋めようのない力の差を思い知らされる。そして、みらいに手が届かない自分の無力さに歯噛みする。


「…まぁ最も、最初から勝敗は決まっているんだけどね。何しろ、今の僕は"管理者"としての力に加えて"最強の英雄"の役割も併せて掛けている。もはや君に、万に一つも勝ち目はないんだよ。さぁ、そういうわけだからさっさと僕のシナリオ通りに消されてくれ」


 いつか、私に差し向けると言っていた"最強"の役割を持った英雄。しかしまさか、彼自身がそれになってくるとは思いもしなかった。それに、世界を創造するほどの力を持つ"管理者"の力―――本来ならば、勝てる道理はなかった。

 だが、私はその絶望的な状況を鼻で笑ってやった。


管理者かんとく最強の英雄しゅじんこうですか。独りよがりも、ここまでくればいっそ清々しいですね」


 そして、表情を殺すセカイに対してシンみたいな不敵な笑みを見せつける。


「何とでも言え。どうせもうすぐ、異を唱える者はいなくなる」


 セカイの掌に、黒い歯車が集束していく。そしてそれが、みるみる内に姿を変えていき、ひとつの武器になった。私は、その形に見覚えがあった。鉄の円柱を三角形に折り曲げたような武器―――それは、かつて私が使っていたトライアングルの武器そのままだった。セカイは、それを棍の姿に変形させて私に振り降ろしてきた。咄嗟にヴァイオリンの盾で受け止める。しかし、その力は予想以上に強い。あまりの衝撃に動く事のできないでいる私に、更に彼の流れるような連続攻撃が襲いくる。そして遂に、私の体が衝撃で宙に浮いた。その無防備な体に、容赦なく叩きこまれる一撃。横っ腹に棍をまともに受けてしまった私は、みらいが繋がれた歯車の所まで吹き飛ばされ、その盤面に叩きつけられた。


「……ッ、ぐ…!」


 呼吸ができない。体中が悲鳴を上げる。何とか立ち上がろうとするも、意識が混濁しているせいか、思うように手足が動かない。


「…つまらない幕引きだな。まあいい、さっさと次の世界を始めよう」


 セカイの手にしていた武器が、トライアングルからみらいのレイピアに変わる。彼の歯車は、この世界に存在するあらゆる武器に姿を変換させる事ができるようだった。私はそれでも何とか反撃しようとするが、いつの間にか右手にあった弓はグランドピアノの下に転がっていた。多分、吹き飛ばされた時に手から離れてしまったのだ。


「お姉ちゃん、立って!」


 私のすぐ真横で、みらいが必死に叫ぶ。だが、もう間に合わない。


「さようなら、悪の女王ふきょうわおん


―――そして、鈍い光を放つレイピアがの切っ先が、私に向かって突き立てられた。









 のぞみとななもまた、苦戦を強いられていた。最大の障害であったヒカルは沈黙した。しかし、それでいて尚彼女達の士気は下がっていなかった。

 れんなが、砲撃の雨を掻い潜りななの懐に飛び込む。そして、近接戦闘を苦手としているななの胸部に向かって思い切りトンファを叩きつける。だが、それを割り込んできたのぞみが遮る。


「友達を、傷つけないで!」


 紅の槍が、トンファと交錯する。力と力のぶつかり合い。普通に見れば、れんなより遥かに幼い体ののぞみに勝ち目はない。だが、体を仰け反らせたのはれんなだった。ななを守りたいという想いが、のぞみの力を限界まで引き出していた。そのまま、態勢を崩すれんなに槍を突き立てようとするのぞみ。しかし、どこからともなく飛んできた弾丸がそれを阻んだ。れんなを援護しようとあいらが放った、角散弾の狙い澄ました一撃。それが、のぞみの左腿に突き刺さった。突如走る燃えるような痛みに、思わず体をよろけさせるのぞみ。そこに、れんなのトンファが来た。ピースメーカーの甲冑をも容易く砕く、悪魔の一撃。のぞみは、咄嗟に槍を横に構えてそれを受け止めようとする。だが、間に合わない。今度はのぞみが仰け反る番だった。そして、反撃できないのぞみに容赦なく叩き込まれる一撃。直後、れんなのトンファがのぞみの体を吹き飛ばした。


「ひゃあぁぁっ!」


 体重の軽いのぞみの体が、ボールみたいにコンクリートの地面で跳ねた。更に追撃をかけようと、風を巻いて突撃するれんな。


<のぞみ様!>


 しかし、今度はななの機銃がそれを制した。ななは、機銃をれんなに撃ち続けたままユーフォニアムスラスターを全開にしてのぞみの元へと体を滑らせる。ななにとって、のぞみの安全確保は他の何よりも優先される事項だった。

 だがその時、ななのボディに衝撃が走った。そして次の瞬間、背中のユーフォニアムスラスターが根本から折れた。不意に推進力を失い、バランスの取れなくなった鋼の肉体が地面を転がる。それは、それまで戦場に姿を現していなかったしおりとおりめの攻撃だった。彼女達はななの背後から音もなく忍び寄り、時計の針を模したハサミでスラスターを斬り裂いたのだ。アンドロイドでありながら、ななは死角から迫る双子の接近に気づけなかった。レーダーは、しっかりと2人の反応を捉えていたはずなのに。接近に気付けなかったのは、焦りが彼女の視界を曇らせていたから。それは、感情を持っているからこその負傷だった。


「……ななちゃん…」


 なんとか上体を起こしたのぞみは、転がっているななに向かって体を引きずるようにして、手を伸ばす。しかし、すぐにまた地面に崩れ落ちた。


(……お姉さんも、あの時こんなに痛かったのかな…)


 意識が激痛に支配されていく中で、のぞみはかつて自分が少女の脚を刺し貫いた時の事を思い出していた。そして、それに何の躊躇いもなかった自分の異様さに、気づいた。


 その時、非現実的な閃光が戦場を切り裂いた。タクミのチューバ砲、その第2射が来たのだ。戦車一台は軽く溶かすと言われる、無慈悲な光の渦。しかし、今ののぞみにはそれをかわす術も、防ぐ術もない。そのままのぞみは、迫ってくる閃光に目を伏せるしかなかった。


―――10数秒の後、光が止む。その場の誰もが、のぞみは消滅したものと思っていた。のぞみ本人でさえそう思っていたくらいだ。しかし、のぞみが恐る恐る目を開くと、そこに広がっていたのは天国でも地獄でもなかった。


「……ななちゃん!」


 のぞみの視界に最初に飛び込んできたのは、ななの顔だった。彼女は、のぞみが無事であった事に静かに微笑む。しかし、のぞみはその笑顔の裏に隠されたものがあるとすぐにわかった。ななの背中は、チューバ砲の直撃を受けて黒く焼け爛れていた。背中の装備は全て融解し、その奥の肌色まで変色させている。ななは身を挺して、のぞみの事を庇ったのだ。


<…お怪我は>

「のぞみより、ななちゃんが…!」

<私は問題ありません>


 平然と答えるななに、困惑するのぞみ。そこに、追撃の角散弾とフライ・チキンの羽が来た。のぞみより先にそれを察知したななは、目の前ののぞみを抱き寄せ、自分が壁になるよう彼女を覆い隠す。あいら達の攻撃の全てが、ななの背中に直撃する。そこから先の戦いは、あまりに一方的だった。

 ななは反撃しない。いや、出来なかった。背中の装備は全て消失し、機動力はほぼ失われた。それに、迂闊に動けばのぞみを危険に晒してしまう。そうなれば、彼女の笑顔を望んでいたタクミに顔向けできない。その想いが、ななをその場に踏む留まらせていた。だが、そこにそのタクミが現れた。ななの創造主である彼は、彼女の弱点を知っている。背中のスラスターを失ってしまえば、接近は容易である事。そして、ななが接近戦を苦手としている事を。タクミは、トランペット小銃を構え、角散弾の援護に合わせて引き金を引いた。

 遂に、ななの背中から煙が上がった。


「ななちゃん、もういいよ! もうやめて!」


のぞみの悲痛な叫び。しかし、ななはそこを動こうとはしなかった。


<タスク拒否>

「そんな…! このままじゃ、ななちゃん死んじゃうよ!」

<平気です。痛覚は遮断しています>


 その間にも、肩が装甲ごと持っていかれ、剥き出しになった関節部からは火花が散る。相手の為すがままに甚振られるななの体。崩壊は、もはや時間の問題だった。のぞみは、そんなななの胸の辺りをぎゅっと掴んだ。


「平気なわけ……痛くないわけ、ないよ!」


 そして、叫ぶ。その半分は、のぞみが自分自身に言い聞かせていた。のぞみは、彼女と同じ境遇になって初めて気がついたのだ。ピースメーカーという居場所を守る為に、相手を犠牲にしていた事。そして、相手が苦しんでいるのに気づいていながら、無意識の内に見て見ぬふりをしていた事に。

 のぞみが、ななの抱擁を振り切って前に出た。そして、槍を振り回して降り注ぐ無数の凶弾を弾きながら、突撃する。今度は、自分がななを守る。それが、これまで目を背けてきた自分への贖罪だと思った。だが、撃ち抜かれた足に上手く力が入らないせいか、その足取りはどこかおぼつかない。再びれんなのトンファと交錯するも、今度はすぐに押し負けた。あっさり吹き飛ばされ、ななの足元まで転がっていくのぞみの軟な体。それでも、のぞみはすぐに立ち上がった。あの時、彼女も槍に貫かれた足で、誰かの為に立ち上がった。だから、自分にだってできる。目の前の、大切な人の為にならと、そう言い聞かせて。その後ものぞみは、何度も立ち向かってはその度に跳ね返された。トンファで殴られ、ハサミで斬られ、銃弾に撃たれ―――それでも、それを止めようとはしなかった。その体はもうボロボロだったが、硬い意志を宿した瞳だけは、輝き続けていた。そして、その意志だけがのぞみの体を突き動かしていた。


「…何か、おかしくないですか」


 それを呟いたのは、タクミだった。目の前の少女は、いくら倒しても何度でも立ち上がってくる。それが何故か、タクミの心を酷く締め付けていた。


「僕達は、正義の味方…という存在のはずですよね。…こんな事ですか? セカイを守るというのは。何か、違う気がしませんか」

「は? 違うって、何が」


 れんなが首を傾げる。しかし、それが何なのか、今のタクミにはうまく説明する事が出来なかった。

 と、その時。


「…?」


 しおりとおりめによって吹き飛ばされたのぞみの服から、何かが放り出された。それが、タクミのすぐ足元に転がる。他の仲間達が戦闘に身を投じていく中で、タクミはその転がった"木箱のような何か"が気になり、手を伸ばした。すると。


「……!」


 拾い上げたそれから、突如何かが飛び出した。その中身は"音"だった。それも、心に沁みわたるような、優しい音色。そのどこか懐かしいメロディが、彼の心を釘づけにした。


「? 何、どうした?」


 急に固まってしまったタクミの顔を覗き込むれんな。そして、彼の顔とその掌に乗せられた木箱―――オルゴールを交互に見つめる。


「……? れんな、何をやってるんだ?」


 次に、動きを止めたれんなの様子を怪訝に思ったあいらもトリガーから指を離す。


「…これは」

「"あの曲"…?」


 そして最後に、流れ出した『未来への鍵』のメロディにしおりとおりめが足を止めた。結果的に、その場にいる全員が戦闘を停止した。

 久々に訪れた静寂の中で、そのオルゴールが静かに音色を奏でる。言葉を発するものはいない。皆、一様にその小さな演奏に耳を傾けている。しかし、その途中でれんなが一度だけ口を開いた。無理もない。多分、れんなが言わなければ、他の誰かが同じ事を言っただろう。


「……あんた、何泣いてんの?」


 タクミは、それが自分に対しての言葉だと気づくのに随分かかった。そしてその涙は、いくら拭っても決して留まる事はなかった。










「な、何故…?」


 体から、鮮血が滲んでいた。しかし、それは私の体ではなかった。セカイが、目を見開いたまま硬直している。彼のレイピアは私の心臓には至らず、肩を僅かに掠めただけだった。代わりに、彼の腹部には私の手に握られたみらいのレイピアが深々と突き刺さっていた。彼にトドメを刺される直前、私はすぐ真横にいるみらいに気づいた。そして、その腰に携えられていた彼女のレイピアを鞘から抜き取り、必殺の間合いに入っている彼に向かって突きつけたのだ。息がかかりそうな程の至近距離なら、白い歯車の壁も発生しなかった。勝利を目前に、私を侮ったセカイのミスだった。

 仰け反り、わななくセカイの前に私は悠然と立ち上がった。


「ゆかりさんが私を守ってくれている……そして、みらいが力を貸してくれる…。独りぼっちのアナタに、今の私を倒す事など絶対に出来ない」

「ふざけるな…僕は、この世界の創造主だぞ……それが、こんな事…あっては、ならない……あるはずがない!」


 その怒号と共に、再びレイピアを振るうセカイ。しかし、もはやその動きは滅茶苦茶だ。私は冷静にそれを受け止め、がら空きになった胴に一撃を加える。セカイが後ずさった。そして、もう一度。雨のように繰り出される突きをかわし、隙のできた所に再び一閃。それはまさに、舞台の上の演武だった。


「悪魔め……まだだ…まだだっ!」


 悪あがきとばかり、セカイは歯車を鍵銃やトンファなど、手当たり次第に変換させて私を襲わせる。だが当然、今更そんな攻撃が私に通用するわけはなかった。そして、やれやれ君より遥かに遅いセカイの大剣による攻撃をかわした私は、舞台を締めくくる為の指揮棒レイピアを振り下ろした。




「…終演の時です、セカイ。アナタの物語シナリオは、暗すぎる」


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