第6小節:セカイ(3)

 私達はまず、これまでにノイズに飲まれた場所をひとつずつ巡っていく事にした。

目的はただひとつ、ノイズの残滓の捜索。

 ピースメーカーでもシャトランジでもなくなった私とのぞみちゃんの力で、真っ向からゆかりさんに挑んでも敵う確率はゼロに等しい。ならば、私達が力を失ったように、ゆかりさんの役割もノイズによって消失させ、無力化させるしかない。役割の消失は、下手をすれば永久に居場所を失う危険な行為だが、少なくとも偽りの意志に心を閉ざされているよりはマシだろう、そう自分に言い聞かせた。それに彼女が私の側に戻ってくれれば、この抗いようのない運命を切り開く一筋の光明になるかもしれない―――そう思った。

 そして、ゆかりさんをセカイの偶像という強力な呪縛から解放するには、どうしてもノイズの存在が不可欠だったのだ。


 しかし、公園の時計台と駅の待合室、そして小学校の音楽室を廻ってはみたものの、それらの場所にあったノイズは既に完全に修正されていた。残りは4箇所だが、内3箇所は私がシャトランジに加入する前から既に起動させていた場所で、それがどこにあったのかはわからない。必然的に、残る1箇所に望みを託す事になる。しかし、私達はその希望の地に足を踏み入れる事を躊躇っていた。

 その1箇所とは、タクミさんの工房だった。

 本来ならば、そこに至るまでの心臓破りの坂道以外に問題はない。しかし、ゆかりさんがピースメーカーという役割を与えられているという事は、タクミさんやれんなちゃん達も同じように役割を変えられている可能性が高い。そうなっていた場合、工房内で鉢合わせになるのはまずい。れんなちゃんとあいらさんは目の前にいた私に気づかなかったとはいえ、もし仮に彼らに見つかってしまった時、再び逃げ切れる保証はどこにもなかった。


「皆、セカイに変えられちゃったのかな…」


 シン、れんなちゃん、タクミさんの顔が脳裏をよぎる。もしそうだとしたら、私はまたみらいと同じように、彼らとも相対さなければならないのだろうか。

しかし、のぞみちゃんがそれを否定した。


「多分、全員がピースメーカーになったりはしてないと思うよ。悪者がいなくちゃ、正義の味方が偶像ヒーローにならないもん。でも、最悪そのままなのは1人だけかもね…」


 そうなったら、残される1人はやはり首領のシンだろうか。しかし、シン自身の力はお世辞にも役に立つとはいえない。もしそうなったら…希望はないかもしれない。


「どうか残ってるのがシンだけじゃありませんように…」


 私は音楽室を後にしながら、そう強く祈った。

 その時、ふとある場所で私は足を止めた。そこは、ひとつの教室。別段不自然な所はないのだが、何故か私はそこに意識を奪われた。表札には"5-1"とある。


―――そういえば、以前もなんとなくここに入ったっけ。

 あの時も、なかなか見つからないノイズに困らされていた。それから、ここであいらさんに出会って、やれやれ君に殺されかけて…。

 それが懐かしく思い、気がつけば私は、再びその教室に足を踏み入れていた。中にはやはり誰もおらず、以前訪れた時と同じ光景がそのままの姿で私を出迎えてくれた。


「…いるわけないよね」


 私は、それに倣って以前と同じように教卓の下を覗き込んでみる。れんなちゃんがいてくれれば、どんなにか心強いのに。しかし、勿論こんな場所にいるわけはなかった。だがその時、代わりに私はある違和感を覚えていた。

 あの時も、その違和感に私は足を止めて、でもそのすぐ後に目を逸らした。その全く同じ場所に、あの時とは真逆の違和感があった。

 そう、壁に掲示されていたあの文集だ。『将来の夢』というテーマで、それぞれ思い思いの未来が綴られた紙。そして、その中で何故か白紙のまま掲載された1枚。

―――だが、その1枚が白紙ではなくなっていた。

 何故? あの後で、誰かが書き加えたのだろうか。いや、きっとそうじゃない。

本当は、始めから書いてあったんだ。

 でも、これを書いた子はもう役割を失って消えてしまったから、セカイが辻褄を合わせる為にその痕跡を全て"ないもののように"見ていた。そして今、役割を持たない私もその"ないもの"と同じだから、見えるようになったんだろう。多分。


『しょうらいの夢は、きかいを作る人になる事です。私にオルゴールをくれたお兄さんみたいに、私が作ったものでだれかを笑顔にできたらいいなと思います』

「オルゴール…」


 その内容を読んで、私はある話を思いだした。

 タクミさんが笑顔にしたかった、1人の少女の話だ。ひとりぼっちで、誰かの愛を求め続けた薄幸の少女。その文面は、多くが彼の話したその少女の状況に酷似していた。だとしたら、きっとこれを書いた女の子こそ、タクミさんの守りたかった少女だったんだ。

 それで、ひとつわかった事があった。オルゴールに生まれたノイズの事だ。

 ノイズは、人の記憶から消失したものに侵蝕する。しかし、少女は決してそのオルゴールの事を忘れたわけではなかった。それは、この文集を読めばすぐにわかる。

では、何故ノイズは生まれたのか。それは、少女が役割を失い、この世界から消えた事が原因だった。役割を失った者の想いは、きっとシャトランジの人間と同様に"あるもの"として扱われないのだろう。その結果、少女の想いはこの世界から消えてしまった。そしてそれが、連鎖的にノイズが発生してしまったのだ。

もし、その推測が正しかったとしたら。少女はまだ、人影の姿でこの世界のどこかにいる。そして、誰かが気づいてくれるのを待っている。もしかしたら、工房の入り口に置かれていたというオルゴールも、少女がタクミさんに気づいてほしくて置いたものかもしれない。

 私は、文集に書かれたその少女の名前を見た。どこかで出会った時、タクミさんの事を伝えたいと思ったからだ。しかし、そこに並べられていた文字に、私は思わず目を見開いた。


「あ、それのぞみが書いた奴だ」


 隣から、のぞみちゃんの顔が覗いた。そう…確かに、そこにはのぞみちゃんの名前が綴られていたのだ。


「あのオルゴールの曲、大好きだったなぁ」

「の、のぞみちゃん。今はそのオルゴール、持ってないの?」


 思い出に耽るのぞみちゃんに、私は努めて冷静に質問した。あまりに予想外の事で、私も動揺していたのだ。

 そして、のぞみちゃんは向日葵みたいに眩しい笑顔を私に向けて、答えた。


「うん。それをくれたお兄さんが、すごく悲しそうな顔をしてたから…のぞみがそのオルゴールの曲で元気になれたみたいに、お兄さんもその曲を聞いて元気になってほしいなって思って、返したの。…でもそのお兄さん、途中からのぞみに会いに来てくれなくなっちゃった。ひょっとして、もうのぞみの事、忘れちゃったのかなぁ…」

「……やっぱり、忘れてなかった」

「?」


―――のぞみちゃんの言う通りだ。世界にはまだ、ちゃんと希望はある。

 私は、笑顔を曇らせた少女の頭を撫でた。彼の代わりに、その笑顔を取り戻す為に。


「大丈夫。そのお兄さん、きっとのぞみちゃんの事、忘れてなんかいないから」

「…ホント?」

「本当。だから、今から会いに行こう。私も、のぞみちゃんが好きっていうオルゴールの曲、聞いてみたいな」


 『未来への鍵』は、そこにある。

 他のノイズが生まれたモノは、多くの人達の記憶から消えた事で発生した。しかし、オルゴールの事を知っているのはタクミさんとのぞみちゃんだけだ。もし、連鎖で発生したノイズという推測が正しければ。のぞみちゃんが役割を持っていない以上、あのオルゴールを覚えている人間は今もいないはずだった。ならば、再びノイズが発生している可能性は、十分にある。

 例えタクミさんがピースメーカーとして立ち塞がっても構わない。それで、のぞみちゃんの笑顔も、タクミさんの願いも叶うのなら―――。

 躊躇っている暇などなかった。


「うん! じゃあのぞみが案内するね!」


 のぞみちゃんは、再び取り戻した笑顔で私の手を引く。その暖かな掌に引かれながら、私は覚悟を決めた。








 ノイズを探して廻っている時もそうだったが、私達の姿はやはり誰にも見えていないようだった。私の顔は、心霊現象の記事の写真で既に広く知れ渡っているはずだったが、周囲の人も、記者らしき人も、誰も私を見ようとはしなかった。そればかりか、無意識の内に彼らは私達を避けていく。道端にある、邪魔な小石か何かのように。別に騒がれるのは好きではなかったが、"いないもの"として扱われるのは少しだけ寂しいものがあった。

 のぞみちゃんは、こんな寂しさとずっと戦ってきたんだ…。

そう思うと、改めて目の前の少女の心の強さを実感した。


「見えてきたよ! あの岬の上にある建物が、お兄さんのおうち」


 と、その少女が長い坂道の先に見える小さな建物を指さした。タクミさんの工房まで、いよいよもうすぐだ。

 だがその時、私のすぐ耳元で風を切るような音がした。それがヴァイオリンの弓だと気づいた時、私は咄嗟にのぞみちゃんを抱き寄せた。


「…ッ!」


 のぞみちゃんを庇った私の肩に、大きな切り傷が刻まれる。私は、その痛みを堪えながら数歩先に飛び退いた。

―――目の前に、甲冑を纏ったゆかりさんがいた。


「お姉さん!」


 のぞみちゃんが叫ぶ。そして、私の肩に出来た傷を心配そうに見つめた。

そこに、ゆかりさんの冷徹な声が静かに突きつけられる。


「…言ったはずよ。優しさを捨てなければ、傷つくのはあなた自身だって」


 もはや、逃げる事は叶わない。

 私達がオルゴールの元へ辿り着くか、それともゆかりさんの弓が私達の体を斬り伏せるか。今こそ、覚悟を決める時だった。


「のぞみちゃん…あなたの槍を、少しだけ貸して」

「お姉さん!? 無理だよ、今ののぞみ達じゃ……!」

「わかってる。だけど…やらなくちゃ。私は……ゆかりさんを、取り戻したい」


 人は時として、それが間違いだとわかっていたとしても、あえてそれを犯して進まねばならない時がある。いつか、みらいの為に悪に身を堕とした時のように…今もまた、その時だった。


「…きっと、そう言うと思ってた」


 その時、一瞬だけゆかりさんがいつもの涼やかな笑みを見せた。しかし、すぐにそれを掻き消すように、彼女は携えた弓を私に突きつける。


「でもね……もう、終演の時間よ」


 その言葉を合図に、2つの武器が交錯した。

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