第6小節:セカイ(2)
「のぞみちゃん、どうして…!?」
小さな体で懸命に攻撃を受け止める可憐な少女。しかし、突然現れた救世主に私は戸惑いを感じていた。
かつてピースメーカーの1人として敵対し、更には私の手によってノイズという闇の中に消えてしまったのぞみちゃん。そもそも、こうして目の前に存在している事自体が不思議なくらいだ。そして、そんな彼女が仇敵であるはずの私を助ける理由など、全くないはずだった。
そんな私に、のぞみちゃんが叫ぶ。
「お話は後で! 今は一旦逃げよう!」
それと同時に、彼女は携えた槍でゆかりさんの弓を押し返す。そして、地に着けた槍の切っ先を横に思い切り滑らせた。
それが、壁のように分厚い砂塵を生み出す。ゆかりさんの姿は、その中に消えた。
そのあまりの勢いに、私は思わず咳き込む。しかし、呼吸を整える間もなく駆け寄ってきたのぞみちゃんが私の腕を引っ掴んだ。
「行こう、今の内に!」
そして、まだ状況を掴めないでいる私をグイグイ引っ張って、砂塵に支配された公園を後にした。
「ここまで来れば大丈夫かな…」
公園から商店街を抜け、しばらく走った所でのぞみちゃんはようやく足を止めた。大した距離ではなかったが、何物でもなくなった運動神経ゼロの私にとってはプールをぶっつづけで3㎞位泳がされた後のような感覚だった。
だがそれよりも、私はもっと別の事に気が行っていた。
「の、のぞみちゃん、ここって…」
それは、彼女が私を連れて逃げ込んだ場所。そう、そこはもはや私にとってはお馴染みとなってしまった因縁の地―――あの薄暗い路地裏だったのだ。
私は、それを前に少し躊躇った。心霊現象の件はともかく、迷宮のように入りくねった通路は、人影に誘い込まれた時の言い知れぬ不安感を思い出させ、腰が引けた。しかし、のぞみちゃんはそんな私の想いとは裏腹に、闇に覆われたその通路の奥へと何の躊躇いもなくずいずいと足を踏み入れていく。
「あっ、ま、待って!」
ここで立ち止まっていたら、ゆかりさんに追いつかれてしまうかもしれない。
私は戸惑いながらも、その小さな少女の背中を追いかけるしかなかった。
しばらくは、同じような無機質な通路が続く。以前、人影の後を追っていった時と同じだ。しかし、しばらくして通路が開けると、そこは以前のように商店街の入り口には繋がっていなかった。
「ここは…?」
私は、呆然としながら辺りを見渡す。そこには、周囲をコンクリートの壁に囲まれた小さな集落のようなものが広がっていた。
中央には干からびてひび割れた噴水があり、それを取り囲むようにトタン板で組まれたバラック小屋がぽつぽつと点在している。地面はまるで舗装されていない、水はけの悪そうな赤黒い土。そして何より、昼間であるにも関わらずそこは常に夕方のように暗かった。
朽ち果て寂れた雰囲気を持つその場所。その空虚な光景を眺めていると、何故か私の心は痛く締め付けられた。
と、その時。そんな呆けている私に、何かが近づいてきた。私は反射的に身構える。
その姿は、近くにいても像を結ばない曖昧な存在……あの人影だったのだ。しかし、それをのぞみちゃんが手で制す。
「大丈夫、何もしないよ」
その言葉の通り、人影はその場を徘徊しているだけだった。そしてすぐに、私の横を素通りしていく。そこで私は気づいた。噴水の周りや、バラック小屋の中…その所々に、何人もの人影が佇んでいる事に。
「ここは、役割を失くした人しか入ってこられないんだ」
のぞみちゃんは、中央にある噴水まで私の手を引いて近づき、その縁にちょこんと座った。私も、それに倣って隣に腰を下ろす。
「あの影みたいに見える人達もそう。のぞみやお姉さんと同じように、役割を失って皆の記憶から消されていって…世界のどこにも居場所がなくなったから、ここに来たの。黒く見えるのは、体中がノイズに侵されてるから」
驚きだった。私がバラックミュートのような怪物だと思っていたそれは、人間だったんだ。だとしたら、駅で私に手を伸ばしてきた人影―――あれは、私を襲おうとしていたんじゃない。もしかしたら、誰かに気づいてほしくて、救いの手を求めて伸ばした腕だったのかもしれない…そう思ったら、無性にみらいに消されたあの影に対して切ない想いが込み上げてきた。
「ノイズに侵された人は、消えてしまうの…?」
「ううん、そうじゃないよ。でも、セカイも気づけなくなっちゃう位存在が薄くなるから、消えたって思われちゃう。それに、仮に気づいて貰えたとしても、セカイはノイズを全部消したいと思ってるから…ピースメーカーに見つかったら殺されちゃう。
のぞみは元々強い役割を持ってたから、ノイズの侵行はあの人達よりすごく遅いみたいだけど…」
「じゃあ、のぞみちゃんも?」
「うん。ノイズに触っちゃったから、もう"正義の味方"じゃないよ。この槍も、ピースメーカーの本部に置いてあったのをこっそり持ってきた、2本目なの」
そういって、のぞみちゃんは膝の上にそれまで槍の役割を持っていた傘を置き、それを愛おしそうに撫でた。シャトランジの武器と同じように、モノの役割を変換して武器に変えるシステム―――今思えば、敵対する組織が全く同一のシステムを持っている事に、疑問を持つべきだった。
「お姉さんも、本当は一度ここに来てるんだよ」
「え、どういう事?」
私は首を傾げてのぞみちゃんを見つめた。確かに、私は一度この路地裏を訪れた事がある。だが、あの時は通路を抜けた先にあったのは商店街の入り口だった。このような場所を訪れるのは、初めてのはずだった。
「えっとね、あの時はまだお姉さんは悪者の役割を持ってたから…だから、この場所に来ても気づけなかったんだと思う。それに、気が付いたらもう外に出て行っちゃってたし」
「それじゃあ…あの時の人影って」
「うん、のぞみだよ! 路地裏の入り口が騒がしかったから見に行ってみたんだけど、その時にはもう誰もいなくて。それで、しばらくそこにいたらお姉さんと目が合ったの。それで、もしかしてのぞみの事が見えてるのかなって思ったから、この場所で一緒にお話しようと思ったんだ。だから、さっきも助けたの」
向けられた彼女の向日葵のような笑顔を眺めながら、私は路地裏に初めて迷い込んだあの日の事を思い出していた。
多分、騒がしかったというのは私とあいらさんが野次馬に囲まれていた時の事だ。そして思い返してみると、確かにあの時遭遇した人影は、駅で見かけたものよりも体つきが小さかった。
つまりあれは、別に近道を教えてくれていたわけではなく、ましてや路地裏に永久に閉じ込めようとしていたわけでもなく。ただ、自分がまだこの世界にいる事に気づいてほしかっただけだったのか。
「ごめんね。ずっと、寂しい思いをさせちゃって」
私は、償いの気持ちを込めてその少女の体をそっと抱き寄せた。気づいてあげられなかった事だけではない。彼女が見つけた居場所を、役割と共に奪ってしまった事。そして、長い間彼女をひとりぼっちにしてしまった事。それら全てを含めて、私はのぞみちゃんに謝罪しなければならなかった。
しかし少女は、小さく首を振って微笑んだ。
「ううん、平気。ひとりぼっちは慣れてるもん。それに、今はお姉さんがのぞみと一緒にいてくれるから」
その言葉が、余計に私の心を突き刺した。
のぞみちゃんは強い。私なんかよりもずっと。彼女は、いつ消えてしまうともわからないこの状況の中でたった1人孤独に耐えながら、それでも懸命に生きてきたのだ。私は、彼女の事を愛に飢えて歪んでしまった哀れな少女だと思っていた少し前の自分を殴ってやりたかった。
そして、背負っていた罪の本当の重さに気づいた。
私は、より強く、しかし優しくのぞみちゃんを抱きしめた。彼女が私の想いに気づいたどうかはわからない。胸の中の少女はただ、笑っていた。そして、誰かが側にいるの事が嬉しいとでもいうように鼻歌を歌いだした。それを見守るように、周囲の人影達が彼女の歌に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「でもお姉さん、どうしてのぞみに気づけたの? 人影みたいに見えたって言っても、ヒカルお兄さんやさっきのヴァイオリンのお姉さんだって、のぞみの事、気づく人なんて全くいなかったよ」
「そういえば…なんでだろう」
言われてみれば不思議だった。この世界を創造したというセカイですら、役割を失った人間には気づく事はできない。それなのに、元はエキストラでしかなかった私が、のぞみちゃんや彼らに気づく事が出来るなんて。
…ひょっとして、セカイが言っていた『私が役割に反した』事に、関係があるのだろうか。しかし、それだって私にはわからない事だった。私はただ、自分が思うように生きてきただけだし、そんな大それたものに自分から逆らったつもりもない。
一体何が私を、エキストラという役割から抜け出させ、悪役にさせたのだろうか…?
「まぁいっか。のぞみの事を見てくれる人がいるだけで、のぞみは嬉しいよ」
そういってのぞみちゃんは、私の胸に自分の頭を摺り寄せる。私も、それに応えるように微笑んでみせた。今まで与えられてこなかった分、私が彼女を愛す。それが、今の私に出来る償いだった。
「うん。これからは、側にいるよ」
「でも、あのヴァイオリンのお姉さんはどうしようか…」
しかし、のぞみちゃんは私の胸の中で困ったような顔をした。
言われて、私は私達を追う刺客となってしまったゆかりさんの事を思い浮かべた。きっとあの白い甲冑の姿は、セカイがゆかりさんの役割を無理やり変えてしまった結果に違いない。今の彼女は、何を思っているのだろうか。望まぬ役目を押し付けられて、泣いているのか。それとも、もう私の事など忘れて、疑問もなく役割に忠実でいるのか。
しかし、ひとつだけはっきりしている事がある。
「ここにいよう。ゆかりさんは、ここには来られないんでしょう?」
「え?」
「いいの。私はもう…檀上に上がるつもりはないから」
私はもう決めていた。自分が完全に消えてなくなるまで、この場所に留まると。私が役割を持つ事で、世界を不安定にさせるなら。私が消える事で、世界が救われるなら。ゆかりさんともう会えなくたって、みらいと2人で檀上に上がる夢だって、諦められた。そして、残りの時間をのぞみちゃんと過ごし、彼女の傷を癒す。それが私の答えだった。
しかし、それを否定したのは他でもない、のぞみちゃんだった。
「そんなのダメだよお姉さん! お姉さんだって、本当はもう一度外に出たいでしょう!? 外に出て、もう一度あのヴァイオリンの人とお話したいでしょう!?」
意外だった。のぞみちゃんがこの場所に来てしまったのは、私のせいだ。私の事など、恨んでいてもおかしくない。それなのに、その小さな少女は私の事を心配してくれていた。それがたまらなく、嬉しかった。
しかし、私は静かに首を振った。
「…でも、私がいなくなったから世界が元通りになったんでしょう? れんなちゃんとあいらさんも一緒にいられるようになって、幸せそうにしてた。きっと、ゆかりさん達だって、与えられた役割の中で生きてる。それを、私のワガママのせいで壊しちゃいけない。だから、それで皆が幸せになれるなら私はいいの。もう、私が外に出ていく理由なんて……」
「あるよ!」
のぞみちゃんが立ち上がる。私は、それに合わせて顔を上げた。そこに、こちらをまっすぐに見つめるのぞみちゃんの瞳があった。
「理由ならあるよ。だって、お姉さんは泣いてる…他の皆が幸せになっても、お姉さんが幸せじゃなかったら、そんなのハッピーエンドじゃないもん! ハッピーエンドは、そこに出てくる人全員が幸せでなくちゃハッピーエンドにならないんだよ!」
「のぞみちゃん…」
彼女は、あくまで私を救うつもりでいた。いや、私だけじゃない。私と同じくらい恨んでいてもいいゆかりさんの事や、知らない仲間達の事も。
「どうして、そこまでして助けてくれるの?」
私は、かつてゆかりさんにもした質問をのぞみちゃんにぶつけた。そして、少女は奥気のない希望に満ち溢れた表情で答えた。
「皆が笑顔でいるのが、のぞみの願いだから。
誰にも気づかれなくなってからわかったんだ。人の、心からの笑顔を見てると、自分も少しだけ嬉しくなれるんだって。それが積み重なって、たくさんになったら…きっと、ひとりぼっちのままでも幸せになれると思うから。だから、のぞみは皆を笑顔に出来るなら、なんだってするよ。勿論、お姉さんや、ここにいる人達の為にも!」
私は、彼女が何故正義の味方に選ばれたのか、ようやく理解した。
見えなくなっていた彼女の芯には、確かに世界を救うに足る愛が宿っていたのだ。
「大丈夫。世界からのぞみを消したのはお姉さんだけど、消えたのぞみを見つけたのもお姉さんだもん。だから、お姉さんにしか気づけない
のぞみちゃんが、私に向かって手を伸ばす。その眩しい笑顔こそ、今の私にとって希望の光に見えた。
……情けないな、私。
子供に諭されないと、自分の気持ちにも気づけないなんて。
「こんなんじゃ、いつまで経ってもこのヘアピン、外せないよ」
一人前になるのは、まだまだ先になりそうだ。
私は立ち上がって、のぞみちゃんのその小さくて柔らかい掌を取った。
「ありがとう」
「えへへ…」
そして、私が微笑んでみせると、のぞみちゃんも照れくさそうに笑った。
「でも、ひとつ直させて」
「?」
のぞみちゃんが、きょとんとした顔で首を傾げる。何か、間違った事を言ってしまっただろうかとでも言いたげな、少しだけ不安の入り混じった表情。しかしそれは、すぐに満面の笑みに変わった。
「のぞみちゃんはもうひとりぼっちじゃないよ。言ったでしょ。これからは、私がのぞみちゃんの側にいるって。だから、もうそんな心配はしなくていいんだよ」
「…! うんっ!」
それから私達は、一歩を踏み出した。暗い路地裏から、光ある未来に向かって。
その後ろで、人影が私達の背中をいつまでも見つめていた。
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