第6小節:セカイ

第6小節:セカイ(1)

「はじめまして、セカイです」



 彼を見て最初に感じたのは、違和感だった。風貌は、大人でも子供でもない高校生くらいの男。しかしその姿とは裏腹に、その雰囲気は既に長い人生を歩んできた年長者のような佇まいだった。その釣り合わないアンバランスさが、私の脳の理解を拒絶していた。


 彼は何者なのか。

 まるで自分の家のようにくつろぐ彼の様子に、私は一瞬入る部屋を間違えたのかと思った。しかし、家具や内装が細部まで私の部屋と一致していたので、すぐにそれはないと思い至る。ということは、ただの空き巣? あり得ない。空き巣は自己紹介なんかしないし、私の事を知っているような口ぶりから言って間違いなく今の説明がつかないこの状況に関わりがある人物のはずだった。

そのセカイと名乗る男は、まるで私の事を友達か何かと勘違いしているような親しげな口調で私を部屋へと促した。


「ま、立ち話もなんだしこっちへ来て座りなよ」

「……何者ですか、あなた」


 私はそれを無視して、その男を警戒した。見た目だけならば、小柄で薄着の、どこにでもいそうな普通の高校生くらいの男性。しかし、容姿が当てにならないという事はシンを見ているだけでも嫌というほどわかっていた。油断はできない。それにシンとは違い、彼には他者に有無を言わせぬような妙な威圧感があった。

 そのセカイは、そんな私の様子に深くため息を吐いた。


「ああ、そういうのはもうよそう。"君の物語"は、もう終わったんだから」

「私の、物語…?」

「そうだよ。本来なら、世界を脅かすシャトランジをヒカルが打ち倒し、世界が救われるハッピーエンドだった物語。でも、君が出しゃばったせいでその物語は大きく変わってしまった」

「何を言ってるの…?」


 彼の言う言葉は、ひとつとして理解できなかった。物語? ハッピーエンド? 出しゃばった? 何を言っているのか。それはまるで、この世界そのものが舞台や映画の中のような、決められた筋書きの通りに動いているとでも言うような口ぶりだった。するとセカイは、そんな私に態度を一変させた。それまでの朗らかな笑みはなりを潜め、代わりに呆れたような嘲りの視線が私の体を深く突き刺さった。


「君には理解できないだろう。僕がこの世界を保つ為に、どれだけ苦労してきたか」


 それから彼は、あるものをズボンのポケットから取り出し、掌に広げて見せた。それは、シンとピースメーカーが持っていたそれぞれ色の違う2つの歯車だった。


「ノイズがどうして発生するか、君は覚えているか」


 そう問われ、私は公園でのシンの解説を思い出していた。


「世界のあらゆるものは、人の記憶から形を成す。どれほど素晴らしく、どれほど大きなものでも、誰かにそれを認められる事で、初めて役割を得るんだ。逆に、誰からも認められず存在する意義をなくしたものは、例えどんなに優れているものであってもやがて形を保つ事が出来なくなり、いつしか誰も気づかない内に消えていく。

ノイズは、そんな全ての人の記憶から排斥され、役割を失ったものを侵蝕していく世界の"綻び"なんだ。だがそれは、何もモノに限った話ではない。場所も、生き物も―――そして、世界そのものさえも。人が何かを忘れていく度に、世界は徐々に崩れていく」

「じゃあ、それを修復する為にピースーメーカーを…?」


 それなら、彼らがシャトランジの撲滅よりもノイズの修正を優先していた事にも納得がいく。そして、みらい達がその度に口にしていた『セカイの調停』。あれが世界を守るという意味ではなく、この男が創り上げてきたバランス、そして秩序を守るという意味だった事も。

 しかし、セカイは静かに首を振り、私の言葉を否定した。


「そうじゃない。ピースメーカーは偶像だよ」

「偶像…?」

「そう。僕の創ったこの小世界は、ほとんどノイズに飲まれかけていた。だから僕は、ヒカルに"正義の味方"という役割を与え、シンという悪を打ち倒す偶像ヒーローになってもらったんだ。人は、圧倒的な力に惹きつけられるものだからね。

彼だけではない。あいらやれんな達、君が今開けたドアから時計まで……この世界にある全てのものは、皆僕の与えた"役割"の元に動いている。いわば、この世界は壮大なひとつの舞台なんだよ。

その上で、彼やその仲間がヒロイックに活躍し英雄として祀り上げられれば、それだけこの世界は"観客"の記憶に刻み付けられ、存在を保つ事ができる。

それで、全ては上手くいっていたはずなんだ。……なのに!」


 彼が、私を指差す。その視線は、憎悪に満ちていた。


「君が現れてから、全てがおかしくなってしまった! 君は、この舞台の"エキストラ"でならなければならなかった。なのに、君は悉く僕の与える"役割"を無視し、更には君に近づく人間の役割まで狂わせ始めた! れんなは心を開かないまま悲劇を演じるはずだった姉と心を通わせ、タクミは叶わぬまま朽ちていく夢であったはずの K-MAと『Mareメア』を完成させてしまった。

そして何より―――ゆかりは"一般人"でなければならない君の"役割"を悪に変えた!

おかげでシンは順調に力を取り戻し、ピースメーカーも敗北を続ける事になった。それも、泥臭い戦いばかり……わかるか!? 築き上げたものが一瞬で崩れ去っていく僕の無念が! 憤りが! 君さえいなければこうはならなかった…君は、招かれざるものなんだよ!」

「嘘…そんな話、信じられません」


 彼の怒りに、私は戸惑いを隠せなかった。そもそも彼の話は、そのほとんどが信じられるようなものではなかったし、私がゆかりさん達の役割…いわば運命を変えたと言われても、眉唾ものだった。しかし彼が次に話した真実によって、私はそれを信じざるを得なくなる。


「ならば、信じさせてあげるよ。君、自分の名前はわかるかい?」

「え…?」


 私はきょとんとしてしまった。そんな、当然わかるような質問を不意にされたから。その答えに、一体何の意味があるのかわからなかった。

―――しかし。


「名前…あれ…?」


 当然わかっているはずの答えが、何故か喉の奥でつっかえて出ない。そして、その内につっかえていたものが何だったのかすらわからなくなっていった。私はなんとかそれを思い出そうと、これまでの記憶を手繰り寄せる。しかし、みらいも、シャトランジの仲間達も、『ポーン』というシャトランジとして与えられた名前以外、一度として私の事を名前で呼んではいない事に気づいた。


「思い出せるわけないよ。だって、元々君に名前なんてないんだから。エキストラにわざわざ名前を与える必要なんて、ないからね」


 足が震えた。手から、額から、冷たい汗が吹き出した。それはまるで、これまで生きてきた自分の人生全てを、根本から否定されたようなものだった。しかし、いくらそれを自分の中で否定しようと、自身の名が記憶のどこにも存在していないのは覆りようのない真実だった。

 その事実に打ちひしがれる私をよそに、彼は続ける。


「僕は君をこの世界から排除する為に、あらゆる手を尽くした。最初は、"君の妹"という役割を与えたみらいを君の側に置いて、君を世界の片隅に追いやり遠ざける事ができた。しかし彼女も、君に近づきすぎたせいか強力にかけていたはずの"妹"という役割に背くようになっていってね。そして彼女は、とうとう自分が役割に動かされている事に気づいてしまったんだ」


「!? …妹という…役割…?」


 全身を鳥肌が覆った。

 今まで長い長い時間を共に過ごしてきた妹。誰よりも愛し、何よりも大切にしていた妹。その時間が、絆が。それさえも、彼によって創られた虚構だったなんて。

あの日、駅でみらいに拒絶された時と似たような絶望感が、私の体を駆け巡った。


「そう。そして、自分達が役割に準じ踊らされている事に気づいた彼女は、あの日君にそれを伝える為に駅に君を呼び出した。多分、直接でなければ信じてもらえないと思ったんだろうね。でも、それで君がこの世界の理に気づいてしまっては困る…だから、急遽彼女にも僕の世界を守る"正義の味方"になってもらったんだ。……最も、君にまた消されないように強く役割を強制しすぎてしまったようでね。すっかり、意思のない人形みたいになってしまったよ」

「じゃあ……みらいがあんな風に変わってしまったのは…!」


 今度は、私がセカイを睨みつけた。そして彼は、まるで悪びれない調子で言った。


「僕のせいだよ」


 頭に血が上っていくのを感じた。

 許せなかった。例えみらいが本当の妹でなかったとしても、彼女を想うこの気持ちは嘘でも幻でもない。そして、そのみらいから心を、笑顔を奪った目の前の男が、許せなかった。

 私は、戦闘スーツを纏ってその男を蹴り飛ばすつもりでいた。

トライアングルはみらいとの戦いで全壊してしまって、もうない。それでも、一発殴ってやらなければ気がすまなかった。


―――しかし、いくらスーツを変化させようとしても、何故か服は変化を見せない。そして、その様子を嘲るようにセカイが笑った。


「無理だよ。君の"悪役"という役割はもう消えた。ノイズに触れた事で」

「どういう事ですか…!?」

「言ったじゃないか。ノイズは不要なもの…つまりは、役割を失ったものを侵蝕すると。それに飲まれたものもまた、ノイズに侵蝕されて役割を消されていくんだよ。それからやがて、何の役割も持たないものとしてなくなる。今の君は、まさにその状態……もはや役割を持った役者でも、エキストラという背景でもない…舞台の外にいる、何者でもない存在なんだよ!」


 信じたくはなかった。しかし、先ほどのれんなちゃん達の反応…あれは多分、私が何の役割も持っていなかったせいに違いないと思った。戦闘スーツのステルスが人の無意識の中に潜り込むのと同じように、役割を持たないものがこの世界という舞台で認識される事はない。だから、れんなちゃん達も私を認識できなかった。

 それが、信じたくない彼の言葉を真実である事を裏付けていた。


「役割を持たない役者が、舞台の壇上に立つ事などあってはならない…だから君には、この舞台から退場してもらいたい。本来ならば、僕が手を下さずとも役割を失ったものなど誰にも認知されなくなって勝手に消えていくはずだけど…僕の与えた役割を拒絶した君だからね。念には念を入れておかないと」


 そう言って彼は、指を鳴らしてある人物を自身の傍らに呼び寄せた。

―――ゆかりさんだった。

 彼女は、セカイの存在に驚く様子もなく、以前のようにヴァイオリンの役割を武器に変化させた盾と弓を携え、佇んでいた。

 しかし、その姿はいつもの黒いドレスではなく、代わりに纏っていたのは白い甲冑。そして、いつもの優しい眼差しは、鋭く研ぎ澄まされていた。


「ゆかりさん…冗談、ですよね? それに、なんですかその白。全然、似合ってないですよ…」


 自分でも、顔が引きつっているのがわかった。

 冗談だと言ってほしかった。いつもみたいに。それで、私をからかってるんだって。しかし、ゆかりさんは私に言葉を返そうとはしなかった。そして、これまで幾度も正義の味方達に向けられてきた弓の刃を、私に向けた。


「彼女を引き込み、物語を壊したのは君の責任でもある。だから、君の手で物語を修正するんだ。出来るよね」

「はい」


 そして、セカイの言葉に淡々とした声で返し、頷いた。


「ゆかりさんっ、待って! 私、ゆかりさんとは―――!」


 しかし、彼女の弓が私の言葉を遮った。その閃光のような一撃が、私の首元スレスレで閃いた。…彼女は、本気で私を殺すつもりだ。

 私は、自分の家―――いや、自分の家だと思っていたその部屋を飛び出した。セカイの創りだしたこの世界に、私が逃げのびる事のできる場所があるとは思えない。だが、ここでむざむざ殺されるわけにもいかなかった。

 後ろで、ゆかりさんの軽快な足音がする。今の彼女に捕まったらおしまいだ。私は、もはや攻撃を避ける俊敏性もない元の運動音痴な足で、走り出した。絶望と涙でぐしゃぐしゃに歪んだ、未来の見えない道を。









 必死に走った。無心で走った。しかし、すぐに追いつかれた。私は、いかにあの戦闘スーツに助けられていたかを思い知らされた。何者でもなくなった私の足は、冗談みたいに動かなかった。対して、ゆかりさんは今までどおりの機敏な動き。もはや、結果は火を見るより明らかだった。

 公園の時計台の前まで差し掛かった所で、ゆかりさんの弓の閃きが私の左腿を捉える。その痛みに、体が前のめりに倒れこんだ。そこに、更に容赦のない一撃が叩き込まれる。

 立たなきゃ…!

 しかし、思うように体は動いてくれない。そのまま、斬りつけられた私の体が縦に転がった。頭を何度も打ち付けられ、遠心力に意識が飛びそうになる。やがて私は、時計台に背中を打ち付けられるまで転がりつづけた。

 ゆかりさんが、動かなくなった私にじりじりと迫ってくる。しかし、今の私にはそれを阻止する術も、そこから逃げる余力もない。もはやその光景を、呆然と見つめるしかなかった。

―――みらい……お姉ちゃん、頑張ったよね…?

 私は死を覚悟していた。


 セカイの語っていた事が全て事実なら、私はこの世界の秩序を乱す不協和音みたいなものだ。不協和音は、完全な音楽を作る為には取り除かれなければならない。私がゆかりさんのヴァイオリンをチューニングし、調整しようとしたのと同じように。

そう思ったら、不思議と死ぬのも怖くなかった。私の命ひとつで、この世界が消えずに済むのなら、安いものだ。それに、ゆかりさんが私を殺してくれるなら、それも悪くないと思えた。

 私は目を伏せ、ゆかりさんの弓が私に振り下ろされる瞬間を静かに待った。


―――しかし、その瞬間が訪れる事はなかった。


「諦めちゃダメだよ、お姉さん!」


 そこに、少しあどけなさの残る鋭い声が響いた。私はわけがわからず、混濁した意識の中でその声の主を必死に探した。果たして、それは目の前にいた。私とゆかりさんの間に割って入り、傘のような意匠を持つ槍でゆかりさんの弓を受け止めて立ちはだかる一人の少女。

 そして意識がはっきりとしてきて、その姿を鮮明に捉えられるようになった時―――私は、思わず言葉を失った。


「正義の味方、のぞみ見参! 皆の笑顔の為に、お姉さんを守ります!」


 そこにいたのは、かつてノイズの闇に飲まれ、消えてしまったはずの少女……

のぞみちゃんだったのだ。

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