第4小節:夢の欠片(6)


 ホールを飛び出してから10分。これまでたどってきた道を全速力で逆走するが、彼の工房まではまだかなりの距離があった。焦りがつのる。


 もし、私が到着するまでに彼が力尽きてしまったら―――


 最悪の結末が、脳裏を何度もよぎった。そしてその度に、首を振ってそれを振り払った。


「…大丈夫、きっと」


 タクミさんは、やれやれ君達との戦いの中でも咄嗟に作戦を考え付くくらいには頭が回る。彼なら、例え相手が自分を圧倒する能力を持っていたとしても、逃げのびているだろう。だが、それでも長くはもたないかもしれない。しおりちゃん達は、彼の追手にかなりの信頼を寄せているようだった。恐らく、その実力はやれやれ君に近いものだろう。もしそうなら、時間はあまり掛けられない。


「でも、タクミさん、どうやってあのノイズを守るつもり…?」


 タクミさんが、ピースメーカーの狙いに気づいているのは多分間違いない。しかし、いくらシン達には秘密にしていたとはいえ、たった1人であのオルゴールを守れるとは思えない。それに、仮にあのオルゴールを回収できたとしても、その後は?

追手は必ずオルゴールを携えたタクミさんを追う。きっと彼が諦めるまで、いつまでも。

 もしかしたら、あの工房に何か秘策が?

 あり得る。トム・キャットがいかに協力的であったとしても、いざという時の防衛策くらい、あのタクミさんなら用意していそうだ。

 だったら、その中から可能性を探る。あの工房には何があった? 立地は? 秘密兵器となるものは?

 そうして、私が頭の中で工房内の道のりを再び歩いて行った時、ようやくその答えに辿り着いた。


「…いや、待って」


 絶対に相手を倒す事の出来る手が、ひとつだけある。しかも、私はその瞬間をこの目で見ていた。その瞬間を目撃したのは、工房の中ではなく、公園。そこでも、その方法によって1人のピースメーカーの戦士が私達に敗れていた。

―――できれば信じたくはない方法だ。でも、それしか考え付かなかった。

 それは、オルゴールに浮き出た"ノイズ"。もし私の想像が正しいとすれば、彼はノイズを守る為に工房へ戻ったのではない。むしろ、その逆。


「まさか、ノイズの膨張に追手を巻き込もうと…?」


 もし、この想像が当たっているとしたら。彼が、あの女の子に込めた願いはどうなる? それだけじゃない。歯車を嵌め、大きく膨張した闇の塊は確実にあの小さな工房そのものを飲み込む。そうなれば、タクミさんが心血を注いできたものは、彼が救いたかった少女への想いは―――その全てが消える。まるで、この世界に最初から"なかった"かのように。


 彼はシャトランジの為に、かつて望んだ願いの全てを自ら消滅させようとしていた。


「そんな、タクミさん…!」


 そんなのダメだ。少女の願いを叶える為にシャトランジに入って、シャトランジの為にその願いを犠牲するなんて、本末転倒もいいところだ。

 私は、地面を蹴る足を一気に速めた。

 タクミさんの事も、タクミさんが込めた願いの結晶も、決して消させない。追手がどんなに強くても関係ない、守り抜いてみせる。私みたいに、消えた想いに後悔をさせたくなかった。


 しかし、その時だ。

 ふと、視界の端に映ったあるものによって、私の足はピタリと止まってしまった。

…違和感があったのだ。何か、見てはいけないものを見てしまったかのような、世界の中でそれだけが隔絶されているかのような、違和感。私が立ち止った場所は、ちょうど私が心霊現象となり、同時にあいらさんとひと悶着起こした例の路地裏の前だった。そして、その違和感の正体はその路地裏の入り口に立っていた。


「……あれ、って…」


 私は、その"違和感"に見覚えがあった。あの日…私とみらいを引き合わせ、同時に私をこの世界へと誘うきっかけとなった存在。


―――ゆらゆらと蜃気楼のように揺らめく黒い人影が、そこにいた。

私は、その歪さに少しだけたじろいだ。悪者になって、戦うようになって、大抵のものには慣れたが、駅で出会って以来のその姿にはやはり抵抗があった。

 相変わらず、人影はその場に立ち尽くし、じっとこちらを見つめる以外、行動の気配はない。だが、見るからに醜悪な容姿で、それでいて何も危害を加えない事が余計に不気味だった。そもそも、人影の正体は未だにわかっていない。綻びを守る霊獣に実体のないという点は似ているが、その性質までもが同一であるとはとても思えない。そして、私意外で、その人影の存在を認知している者がいないという事が、私の中の言い知れぬ不安を加速させていた。

 だがその時。その人影に、予想だにしない変化が訪れた。


「っ、どこへ…?」


 人影が、突如体を引きずるようにして路地裏の奥へと消えた。その動きは酷く緩慢で、まるで亡者のようだ。しかし私は、何故かそれが自分を誘っているような気がしていた。そして気が付けば、私はその人影の跡を追っていた。

 本当なら、こんな事をしている場合ではない。一刻も早くタクミさんがいるはずの工房へ行き、彼を助けなければならなかった。しかも、ここから工房へは、まだ随分な距離があった。


 それでも、私は影に向かって歩きだす自分の体を止められずにいた。理由は…わからない。ただ、意識がその影に惹きつけられていく。

 もはや見慣れてしまった路地裏の入り口を潜り、薄暗い路地を奥へと進んでいく。鬱蒼とした雰囲気に、室外機の唸る音が静かに響き渡っていた。


 …あの影は?


 光の差さない路地裏の闇は、人影が溶け込むには絶好の暗さであった。私がようやく影の姿を捉えた時、人影は既に次の角を左へ曲がろうとしていた。


「ま、待って!」


 私も、それに倣って角を曲がる。すると、またも影は次の曲がり角へと消える。それを何度か繰り返した。

 あれほど緩慢な動きでありながら、一向に差が詰まる気配はない。そればかりか、角を曲がるにつれて周囲はどんどん暗さを増していき、見失いそうになる。次第に、底知れぬ不安が胸の中を支配していった。同じような通路の繰り返し。視界だけが不自由になっていく恐怖。そのうち、自分が歩いているのか、走っているのかすらわからなくなってくる。その間にも、影はどんどん奥へと進んでいった。私は、今にも自分を置いて消えてしまいそうなその影を必死に追いかけた。

 このまま、永遠にこの暗闇から抜け出せないんじゃないか。そう思い始めた時、ようやく変化が訪れた。


 幾度目かわからない曲がり角を曲がった先に、僅かに光が差し込んでいた。私は、それまで追っていた影の事も忘れて、その光の方に歩を進めた。そして、その先に広がっていたのは―――


「…? ここって…」


 気が付けば、れんなちゃんを見かけた商店街の入口に立っていた。ここからタクミさんの工房がある岬は、目と鼻の先だ。時間を見ると、路地裏に迷い込んでから5分と経っていなかった。あの位置から商店街を抜けるのには、悠に20分はかかるはずなのに。


「あの影は…?」


 路地裏の方を振り返るが、影はもういなかった。


「…なんだったの?」


 あまりに唐突な変化に、私は狐につままれたような気分になった。

 結局、あの影は何がしたかったのだろう。もしかしたら、私に近道を教えてくれたのだろうか。それとも、路地裏の中を永久に彷徨わせようとしていたのかも。どちらにしても、大幅な時間短縮になったのは事実だった。


「ありがとう…で、いいのかな」


 私は、どこにいるかもわからない、未だ正体も目的も知らない影に心の中で会釈し、再び走り出した。








 岬の長い上り坂を一気に駆け上がり、ようやくタクミさんの工房に辿り着いた。

―――その工房から、煙が上がっていた。焦燥感が、鳥肌となって私の全身を駆け巡る。更に工房の入り口まで近づくと、ナイトを運搬していた軽トラックが頭から突っ込んで玄関を新しいガレージに変貌させていた。一目で、彼が危機的状況に立たされている事がわかった。


「そうだ、ナイトは…!」


 私は右手に握られた『Mare《メア》』ユニットの事を思い出し、沈黙したトラックの荷台を覗きこんだ。ナイトを起動させれば、タクミさんを救出できる確率がぐっと上がると思った。しかし、荷台にはナイトの姿はなかった。

ガレージへ運んだのだろうか? しかし、追手のいる中でそんな事をする余裕はないと思うが…。

 いや、今は悩んでいても仕方ない。ナイトがないのなら、自分で彼を助けるだけだ。


「お願い、間に合って…!」


 私は、坂のせいで息が上がっている事も忘れて工房の中へ飛び込んだ。

 中は酷い有様だった。ただでさえ什器が散在していた床には、ショートした配線の火花が迸り、落ちた工具が足の踏み場を完全に失わせている。横倒しになった計器からは黒煙が立ち込めていて、今にも火を噴きそうな怪しい音を立てていた。

 と、不意に何かが床に散らばるようなけたたましい音が工房中に響き渡った。2階からだ。間違いない、オルゴールを置いていたあの部屋だった。私は、脇目も振らず錆びついた階段を駆け上がった。そして、目の前の扉を勢いよく開け放つ。


―――果たして、タクミさんはそこにいた。


「タクミさんッ!」


 しかし、彼の様子は明らかに異常だった。足を床に投げ出し、オルゴールの乗っていた棚に背中を預けていた彼は、肩で息をしながら額に赤黒い血を滴らせていた。

私は慌てて彼に駆け寄る。手に触れると、温もりがどんどん薄らいでいくのがはっきりとわかった。顔色も青ざめていて、生気がない。

 …このままじゃ、間違いなく彼は死んでしまう。

 部屋を見回すと、滅茶苦茶になっていた下の階に比べ、タクミさんが落としたと思われる工具箱以外に荒れた形跡はない。それに、追手の姿もそこにはなかった。ここに至るまでに、なんとか振り切ったのだろうか。


「……新人さん、ですか…。すみません、気が付かなくて…」


 と、ここでようやくタクミさんが私に向かって声を発した。弱々しく、今にも消え入りそうな声だった。


「タクミさん、しっかりしてください!」

「あぁ、今…コーヒーでも淹れます、ね…」

「こんな時まで冗談はいいですから!」


 私は、表情にならない顔で笑顔を作ろうとしている彼の体を抱きかかえた。追手がどこに潜んでいるかはわからないが、とにかく今は彼を治療する事が先決だった。だが、そのまま抱え上げようとした時、タクミさんは私の腕を掴んでそれを制した。


「待って…。まだ、"あいつ"は、この工房の中にいます……今なら、これで…あいつを…確実に、倒せます」


 あいつ、というのは追手の事だろう。そして、途切れ途切れの声で話すタクミさんの手の中には、一枚の歯車と綻びの生まれた小さな木箱のオルゴールがあった。

―――やはり彼は、ノイズの生み出す闇の中に追手を飲み込ませるつもりだったのだ。


「ダメです!そんな事の為に、自分の大切なもの、全部消してしまうつもりですか!?」


 私はオルゴールを手で覆い、叫んだ。確かに、追手は相当な手練れだ。タクミさんの今の状態を見ればそれはわかる。だが、それに勝つ為だけにタクミさんの全てを犠牲にするのは、どう考えても割に合わない対価だと思った。しかし、タクミさんは静かに首を振った。


「いいんですよ…僕は、少し…長く夢を、見すぎました……。叶わなかった願いに、いつまでも、しがみついていては…いけなかったん、です…」


 彼は自嘲気味に笑った。しかしそれがいかに無理をした笑顔だったか、私にはわかった。


「どうして…自分に、嘘なんか吐かないでくださいよ。本当は、この工房も、オルゴールも、消したいなんて思ってないでしょう? まだ、あの子の事を…あの子の願いを、諦めてなんていないでしょう! 悪者になってまでナイトを造り上げたんですよ!? だったら、最後までその願いを叶えてくださいよ! …一生叶わない夢を抱えて生きるなんて、そんなの辛すぎます……」


 いつの間にか私は、覆っていたオルゴールを強く握りしめていた。そして、いつの間にか泣いていた。タクミさんの顔が滲んで見える。自分でも、ここまで彼に肩入れしている事に驚いていた。最初は、シャトランジの誰とも心を通わせるつもりなんてなかったのに。気が付けば、ゆかりさんを信頼しようとし、れんなちゃんを理解しようとし、タクミさんの願いを守ろうとしている。私は知らず知らずの内に、彼らと心を通わせていたのだ。


 私は、無意識のうちに俯いていた。滝のように垂れた髪の中で、私の目から小さな滴がひとつ零れ落ちた。

 そんな私の頭を、タクミさんはくしゃくしゃと撫でた。冷たい手だったが、確かに暖かさを感じた。


「…優しいん、ですね。涙、まで…流してくれる、なんて。悪役としては、失格ですけど、ね…」

「…タクミさん」

「大丈夫、ですよ…少しの間、心の中に、閉まっておくだけです…から。だから、何も消えたりしませんよ…この、オルゴールが…僕の心から、無くならない限り」


 そうして、息も絶え絶えのタクミさんはわずかな力を振り絞って私の掌をこじ開けた。私もそれ以上、抵抗するつもりはなく、タクミさんの為すがまま、事の成り行きを見守る。

 遠くで、錆び鉄を叩くような音がする。どこかに潜んでいた追手が、こちらに気づいたのだろう。錆びた階段を上る足音が、一歩一歩近づいてきていた。


「さらば……我が、夢の欠片」


 そして―――彼の指が、小さなオルゴールに歯車をそっと押し当てた。












 タクミさんに肩を貸しながら、私はあの無駄に長い坂を下っていた。後ろには、岬の半分ほどをも飲み込み肥大化した綻びの穴がある。その大きさは、前回の小学校の時のものとは比べ物にならないほど大きい。広がる穴の大きさは、喪失した想いの大きさに比例するという。つまり、それだけ女の子のタクミさんに寄せていた想いは大きかったのだ。


 …歯車がオルゴールに嵌った後、私はタクミさんを抱えて窓から脱出した。追手の姿は、結局見ていない。だが、今回の穴は膨大だった分普段よりも幾分か早く広がっていた。多分、気づいたとしても逃げることはできなかっただろう。

またひとつ、私は罪を背負った。


 タクミさんは、一度も振り返らなかった。表情はわからない。ただそれが、後悔などないと自分に言い聞かせているように見えて、いたたまれなくなった。


「なんて顔ですか」


 そのタクミさんが、私を指してぎこちない笑みを浮かべた。


「…見ないでください」


 私は顔を逸らした。彼を見ていると、また涙が零れてきそうになる。こんな時、前髪で隠せたらなんて思った。でもやっぱり、ヘ音記号のヘアピンは外れてくれなかった。

 そんな私の心を見透かしたように、タクミさんは言葉を紡いだ。


「ありがとう…」


 その時のタクミさんの声は今まで聞いた中で最も穏やかで、最も静かな、降り積もる雪のような声だった。


「でも、いいんですよ。あの子に手を差し伸べたのと同じように、これもまた僕が望んでやった事です。これは、僕が見た夢への責任みたいなものなんですよ。…後悔もしません」


 その雪が、私の悲しみも、彼の惑いも、全てを覆い隠していく。


「だからもう…僕の為に悲しむ必要なんて、ないんですよ」


 そういって、タクミさんはもう一度私に微笑みかけた。その時にはもう、いつものタクミさんの笑顔に戻っていた。


「代わりといっては何ですが……。もし、僕の願いが叶った時には…思いっきり笑ってください。それこそ、悪役失格ってくらい、明るくね」


 私は心の中の涙をそっと拭って、その笑顔に応えた。


「…はい」





 6つの歯車が起動した。残りの歯車は、ひとつ。

 もうすぐだ。もうすぐで、みらいを取り戻せる。そして同時に、今の世界が滅ぶ。全ての歯車が起動し、シンが全てを制する力を取り戻したとき、世界はどうなっているのだろうか。その時、私は世界の敵になっているのだろうか。


 …いや、今はその答えを知る時じゃない。とにかく今は、最後の歯車を起動させる。正直言って、もう普通の生活に戻れるとは思っていない。例えみらいを取り戻す事に成功したとしても、世界は―――いや、みらいは私を許さないだろう。

それでもいい。みらいが幸せな未来を得られるなら。それが罰だと言うなら―――それもまた、私が願った夢への責任だ。


「…とは言ったものの、今日の宿はどうしたものですかね」


 不意に、いつもの調子に戻ったタクミさんが茶化すように言った。しかし、その問題はそれなりに深刻だ。本来なら、シンとゆかりさんも寝床に使っていたアジトのコンサートホールを借りれば済んだ話だったのだろうが、ピースメーカーの襲撃のせいでアジトはあの有様だ。とても人が寝泊りできる状況にない。というか、あの2人も今夜どうするつもりなんだろう?


「新人さん、しばらく泊めてもらえませんかね」

「えっ! いやぁ…流石にそれは。付き合ってもいない男女2人が、ひとつ屋根の下だなんて問題ですよ」

「じゃあ付き合ってください。これで問題ないでしょう」

「問題大有りでしょ。っていうかお断りします」

「ははっ、振られましたね。まぁ当然ですか。では今度、女になって出直してきます」

「いや、だから何でそうなるんですかって」


 そんな、取り留めのない会話がしばらく続く。そしていつしか、それが愛おしく感じていた。タクミさんだけじゃない。ゆかりさんとの時間も、シンとの時間でさえも。れんなちゃんは…まだこれからかもしれないけど。

 あとひとつの歯車が起動するまでの僅かな時間かもしれないし、今が永遠に続いて欲しいとも思わない。でも、もう少しだけこの時間を楽しんでいたい。確かに私は、そう思っていた。


―――だがその時、そんな私の想いを切り裂くかのように、一条の閃光が私達の眼前に迸った。


「っ!?」


 私とタクミさんの体が、芝生の上に転がった。私はすぐに体勢を立て直して顔を上げた。まさか、しおりちゃんとおりめちゃんがゆかりさんを突破してここまで来たのか? それとも、れんなちゃんの願いを無視してやれやれ君が緊急通信に気づいたのか。しかし、閃光の正体はそのどちらでもなかった。そしてその姿は、私が想像できる範囲の埒外にいた。


「な…ナイト!?」


 それは、タクミさんが願いを込めて先ほど穴の中に飲まれたはずの機械人形―――ナイトだった。本来であれば、やれやれ君に対抗するための最後の希望として羽ばたくはずだった切り札。しかし今、それが腕に内臓されていたリコーダー型の機銃を突きつけ私達に牙を剥いている。しかも、元々漆黒に彩られていた装甲は、透き通るほど純白に変えられていた。一体、何が?


「そんな…動力ユニットがなければ、ナイトは起動すらできないはずなのに……!」


 これにはタクミさんも動揺を隠せないようだった。当然だった。その心臓ともいえる動力ユニットの為に彼は、多くの犠牲を払ってきたのだ。そして何より、その動力ユニット『Mareメア』は、今尚私の手中にあった。


「これで、セカイの調停は守られた」


 その答えを知らしめるように、ナイトの後ろに潜んでいた一人の少女が悠然と姿を現した。まだ幼さの残る控えめの体躯に、感情の籠らない声。手には今にも私達を貫かんとしている鋭いレイピア。そして…艶やかな髪にはト音記号のヘアピンが留められていた。それは、私が追い求める最愛の存在―――


「みらい……!」

「この人形は、セカイが築き上げたバランスを崩す。よって回収した」


 タクミさんを狙う追手は、みらいだったのか。だとしたら、一歩間違っていればみらいはあの闇の中に飲まれていたという事になる。そう思ったら、変な冷や汗が吹き出た。


「何を仰る…戦力的バランスは、御宅の方が圧倒的だと思うのですがね…」


 何しろ戦力の拮抗を図るのがナイトの役目のはずだった。しかし、そんなタクミさんの抗議にもみらいは一瞥すらしなかった。世界の意志こそ絶対。それが、今のみらいなのだ。


「で、でも動力ユニットもなしにどうやって…!?」


 すると、みらいはナイトの胸部装甲を引っ掴み、下着でも破き去るかのように思い切り引き下げた。その結果、無駄に豊満に設定された胸部が露わに…はならず、代わりに胸の更に奥、つまり内部メカが剥き出しになった。

そこに、本来ありえないはずのものが嵌められていた。


「なっ、『Mareメア』と同じユニット……!?」


 私は目を見開いた。ナイトの内部にセットされていたのは、私が今握りしめている動力ユニットと同一の形をした鋼の心臓だったのだ。ただし、その色は黒ではなく白。更に丹頂鶴の紋様の代わりに黒い蝶々のシルエット。そして最後に、紋様の下には『Holy』の文字が刻まれていた。

 それは、ナイトがみらい同様"正義の味方"という役割を持ってしまった事を意味していた。

―――つまり彼女達の狙いは、シンでもノイズでもなく、最初からナイトの奪取だったのだ。


「正義の味方が、人のモノを勝手に横取りして自慢ですか。盗人猛々しいとはこの事ですかね」


 タクミさんは深く息を吐いた。嘲りとも、怒りともつかない深いため息。しかし、それに対し返ってきたのは、ナイトの肩部からせり出たホルン型ビーム砲による砲撃だった。もはや、創造主の事もその人形にはわからないらしい。


「今回の任務は完了……撤退する」

「ま、待ってみらい!」


 私は、踵を返しその場を去ろうとするみらいを呼び止めた。だが、私の叫びはやはりいらいには届かなかった。その叫びは、ナイトの苛烈な砲撃の中に掻き消された。


《ブラストバンドオーケストラ・フルスコア》


 華奢な体のどこにそれほど内臓されていたのか―――装甲の隙間から、背中から、腕から。無数のサックスやらトロンボーンやら、数えきれないほどの楽器型の重火器がナイトの全身を埋め尽くす勢いで展開し、掛け声と共に一斉掃射された。

閃光。熱風。そして、耳を劈く轟音。そして炎が晴れた時、そこには既にみらいもナイトの姿もなかった。鮮やかな引き際だった。


「やれやれ、厄介な事になりましたね」


 タクミさんは、半ば他人事のように呟いた。流石にやれやれ君に対抗する為改造されたというだけあって、目の当りにした火力は凄まじいものがあった。それが敵の手に渡ったとあれば、目を逸らしたくなる気持ちもわかる。しかし、私はそれほど悲観してはいなかった。むしろ、その逆。


「まぁ、ものは考えようじゃないですか。闇に飲まれるはずだったナイトを拾ってくれたと考えれば。後は、"心"を入れ替えて目を覚まさせてあげればいいだけの事です」


 私は、行き場を失くし押し黙ったままの『Mareメア』を掌で弄びながらタクミさんに笑みを送った。


「おや、らしくないじゃないですか。もしかして、悪役失格と言われたのを気にしてましたか?」

「まぁ、そんな所ですかね」


 勿論そうじゃない。ただ、元に戻すべき相手が1人から2人になっただけの事だと思った。しかも、ナイトに関しては取り戻す方法も、それによって確実に取り戻せる保証もある。そう考えたら、不思議と希望が湧いたのだ。それに…タクミさんの夢のカケラが、全て消えたわけではなかった。それがわかっただけで、自然と私は笑う事が出来ていた。


「それにしても、『Mareメア』のシステムはそう簡単に複製できるものではないはずなのですが…彼女達は、どのようにして開発できたのでしょう」


 それは確かに疑問だった。メアのシステムは、先ほどの僅かな戦闘からでも分かるとおり明らかに現代科学の域を超えている。しかも、その特性はかなり特殊だ。いかに高度な工学技術を持っていたとしても、複製など不可能なはずだった。それこそ、『Mareメア』の情報がどこかで流出でもしない限り。


―――この時、私はまだ知る由もなかった。その動力ユニット『Holyホーリー』と『Mareメア』、その2つが後に重大な役割を果たす事を。









 余談だが、次の日の朝刊に私がまた載った。しかも、今度は顔もばっちり映って。

内容によると、私はまた少女を1人神隠しに遭わせてしまったらしい。しかも、私はどうも露出狂の女が路地裏で死んだ事で現れた地縛霊だそうだ。ふざけてるのか。

…色々な意味で、私は2度と日の光を浴びる事が出来なくなってしまったのであった。








「……もう少しよ」


 天井が崩れ落ち、瓦礫と差し込む光に包まれたホールの壇上で。ゆかりは、誰に言うでもなく、小さく呟いた。

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