第4小節:夢の欠片(5)


「…ところで、さっきの話なんだけど」


 コンサートホールへ向かう途中、ふとゆかりさんが口を開いた。しかし私は、雑踏を最速で駆け抜ける為にさっき不具合が起きたスーツをもう一度着用せねばならず、また不具合が起きないか気が気でなかった為に返しもおざなりだった。


「はい? さっきの話?」


 そもそも、何か話していたっけか。私が首を捻っていると、それに対しゆかりさんはなんだからしくない、か細い声でぼそぼそ何か呟いていた。


「いや、あの子と仲良くとか何とか…」

「え? …ああ、あいらさんの事ですか? 別に大した話じゃ…」

「でも…」


 どうしたんだろう。なんだかゆかりさんの様子がおかしい。まるで、少し前までの私みたいないまいち煮え切らない反応。


「…いえ、やっぱりなんでもない。ちょっと、大人げなかったかな」


 だが、その原因が何かわかる前にゆかりさんは首を振った。そしてその頃には、いつものゆかりさんに戻っていた。

 私にはそれが何だったのかさっぱりわからず、結果として私の中にもやもやだけが残った。


 しかしアジトに辿り着いた瞬間、そんな疑問はすぐに頭の片隅に消えた。私は言葉を失った。そこには、無惨にも変わり果てた姿のアジトがあった。

元々廃屋ではあったが、今や瓦礫が通路を埋め尽くし、まともに歩く事すら困難な状態だった。


「キングは?」


 自分達がまだ生きている以上、彼もまだ生存しているのは間違いない。だが、無事とも言い難い。襲撃を受け、更にこの惨状。少なくとも、深い傷を負っているのは間違いなかった。一刻も早く彼の元へ行き、治療を施さなければならない。しかし、この瓦礫の中での捜索が一筋縄でいかない事は、火を見るよりも明らかだった。


「とにかく、ホールまでの道を確保しましょう」


 ゆかりさんは、現状最も彼がいる可能性のあるホールに狙いを絞り、ヴァイオリン型の武器を構えた。それで、瓦礫を除去していくつもりのようだ。しかしその時、彼女の背後で何かが妖しい閃きを放った。


「ゆかりさん、後ろ!」


 私が叫び、ゆかりさんと私は咄嗟に地面を蹴った。それとほぼ同時に、それまで私達が立っていた場所から新たな瓦礫が生み出された。白い甲冑を纏った西洋の騎士のような風貌の少女2人―――ピースメーカーの攻撃だった。

 その幼さを残した、中学生くらいの少女達。それは、今まで私が見たことのない人達だった。


「新手…!? まだいるんですか!?」

「…量産しないといけないほど、ヒーローも人材不足なのね」


 同情とも挑発とも取れないため息をつきながら、ゆかりさんが2人の白騎士達を見やる。確かに、そこにいる2人の顔はまるで鏡写しにしているように瓜二つだった。違いといえば、サイドテールの結び目が右か左かという点と、手にしている武器の差くらいだった。結び目が右の子は、身の丈半分ほどの大きさをした金色の矢印……いや、時計の長針のようなものを。結び目が左の子は、それよりも一回り小さい銀色の短針をそれぞれ携えていた。

 すると、彼女たちは真面目そうな口調でゆかりさんの言葉を否定してきた。


「量産型」

「じゃないし」

「双子」

「だし」


 2人は、ぴったりの息で交互に口を開く。それも、他人の介在を許さない、独特のテンポでの会話だった。


「へぇ…それで、人の家で暴れておいて何の御用でしょうか? コピーさんとペーストさん」


 さりげなく、ゆかりさんはヴァイオリンを構えた。挑発しながらも、相手の力量を推し量っているのだ。しかし、彼女たち双子に動揺はなかった。


「"しおり"と」

「"おりめ"…です」


 そして、ゆかりさんに呼応するように彼女達も武器を構える。


「この長針"ゴールデンタイム"と」

「短針"シルバーウォッチ"で」

「あなたたち」

「悪者を」

「バラバラに」

「刻むよ!」


 それが言い終わるか終らないかの内に、鏡写しの騎士―――しおりちゃんとおりめちゃんは、それぞれ時計の針の意匠を持った武器を手に風を巻いて突撃してきた。

私の方には銀の短針を持ったおりめちゃんが、ゆかりさんの方にはしおりちゃんが迫る。流石に双子というだけあって、その動きには寸分狂いもない。だが、やれやれ君のデタラメな攻撃を思えば大した事はなかった。私はそれをトライアングルの音壁で、ゆかりさんはヴァイオリンの盾で軽々と受け止める。そして、浮足立ったしおりちゃんにはゆかりさんが弓で、おりめちゃんには棍へと姿を変えたトライアングルで一撃をお見舞いする。すると2人は、元いた位置まであっさり吹っ飛ばされた。もしかして、今まで私の棍が貧弱に見えていたのは、私が弱いからというだけではなく、相手がやれやれ君だったからか。


 今度は、私が2人の方へ飛びかかる。今の攻撃が自信となって、振り下ろしたトライアングルの勢いに拍車をかける。私の狙いはおりめちゃんだ。しかし、流石に受け止められた。少し、太刀筋が素直すぎた。ならば、手数で翻弄する。そのまま右から胴を狙い、左から脇腹を突く。おりめちゃんの態勢が崩れた。細かなフットワークは、私の数少ない取り柄だ。私はトドメとばかりに、がら空きになったおりめちゃんの背中に向かって棍を振りかぶった。


「てぇい!」


 が、直後鈍い衝撃が私の腕を伝った。その感覚は、人間の背中を殴打した時のものではない。それは、金属同士がぶつかりあった時のしびれるような感覚だった。ゴールデンタイム。おりめちゃんを庇うようにして、しおりちゃんがそこにいた。初めてまともに攻撃が通用した慢心が、しおりちゃんの接近に気づかないという油断を生んだ。その結果、態勢を立て直したおりめちゃんの攻撃をまともに受けてしまう。私は思わず後ずさった。おりめちゃんのあの隙は、私を誘い込む為の罠だったのだ。常に意思疎通ができる、双子ならではのチームワークだった。

 その時、2人がそれぞれの持つ武器を掲げるようにしてくっつけた。それまで個々の装備だった長針と短針は、根本で重なり合って本来の時計のような姿にその形を変えた。


「まず1人」

「刻まれちゃえ」


 そしてそれは、巨大なハサミとなって私を挟み込もうとしていた。


「…ッ!」


 私はすぐにトライアングルを盾へと戻そうとするが―――巨大化した2つの針は、想像を遥かに超えたスピードで私の体に迫ってきていた。もはや盾を造りだす事も、逃れる事も間に合いそうにない。双子は、勝利を確信したようにわずかに笑みを浮かべていた。


 しかし、私は逃げようという気はなかった。逆に、時計の中心にめがけて走り出す。しおりちゃんとおりめちゃんは、その様子に同時に目を見開いた。


 別に、諦めて死に急ごうというわけではない。私には、この時計が途中で動きを止める事がわかっていたのだ。私が走り出すその背後で、ゆかりさんがヴァイオリンと弓で2つの針を塞き止めた。私がおりめちゃんに気を取られてしおりちゃんに気づかなかったように、2人も私に気を取られてゆかりさんが頭上を通って私の真後ろに着いていた事に気づいていなかったのだ。そのまま、私は時計の針の根本に棍となったトライアングルを捻じ込んだ。異物が挟まりこんだ時計は、完全にその動きを停止させる。これで、トライアングルが切断されない限りはこの時計は無力化された。そして、私は突き刺したトライアングルをポールのようにして、それに掴まりながら宙に跳躍した。眼下に、同じ顔で呆然としてるしおりちゃんとおりめちゃんがいる。私は、動かない2人に目がけて渾身のサマーソルトキックを放った。武器が無力化された今の彼女達に、私の攻撃を防ぐ術はない。しおりちゃんとおりめちゃんは、そのま

ま私の脚を胸部にまともに受け、もんどりうって倒れた。


「悪者同士足を引っ張り合う時代は、終わったのよ」


 ゆかりさんが静かに、でも勝ち誇ったように呟く。しかし、私は素直には喜べなかった。先ほど生まれた、疑念のせいだった。

 私は、彼女を信じているのだろうか。しかし、戦っている時の私は確かに彼女を信頼していた。そうでなければ、私はさっきの鋏の攻撃を避けていたと思う。例え、ゆかりさんの動作が見えていたとしても。


―――答えは、出ない。


 と、その時、ゆかりさんの背後の瓦礫がわずかに崩れた。そして、中から太い腕が覗いた。シンだった。


「キング…ご無事でしたか」


 ゆかりさんは彼の腕を掴んで引っ張り上げる。シンは意識こそ失っていたが、命に別状はなさそうだった。


 しかし、私は何故か違和感を感じていた。


 あまりに敵が脆すぎる。


 最初私は、やれやれ君のせいでずっと負けっぱなしだったから、圧勝した事に感覚が麻痺してしまっているのだろうと思った。だが、アジトのこの惨状を生み出した元凶ならば、もう少し抵抗があってもいいはずだった。それに、アジトを襲撃するならシンにもトドメを刺しているはずだ。彼は首領だ。その彼を倒してしまえば、戦いは終わり世界を脅かす存在はいなくなる。それはピースメーカーだってよく知っているはずだった。それでも彼を生かしておく理由なんて、例えばあまりの覇気のなさにシンが首領だと気づかなかったか、別の目的があったとしか思えない。


「別の目的…」


 そして、私は気づいてしまった。彼らの目的は、世界の調停を守る事。つまり、例え戦いが終わろうと世界の綻びであるノイズを修正する使命は終わらない。それは即ち、彼らの最優先目標がシャトランジの壊滅ではなく、ノイズの修正である事を意味していた。そして私は今、ノイズが確実に存在している場所を知っていた。


「こっちは、囮…!?」









 小波が穏やかにさえずる午後の海岸線。その静寂を裂いて、一台の軽トラックが海岸沿いの道を爆走していた。

 トラックのハンドルを握るタクミの額には、珍しく汗が浮かんでいた。今、唯一ヒカルに対抗しうる戦力であるナイトを失うわけにはいかない。しかし、タクミにはどうしても逃げ切れるという希望が湧いてこなかった。すぐ背後に、死神が迫っていた。その、ト音記号の髪飾りを付けた死神は、シャトランジが拠点にしていたコンサートホールをものの数分で瓦礫の山に変え、そして今ナイトを死守する為にアジトを離れたタクミを人間とは思えない猛スピードで追跡している。この状態で、果たして何分持ちこたえられる?1分か、2分か。いずれにしても、アジトを壊滅させるような怪物に捕まればおしまいだ。まともにやりあった所で、万に一つも勝ち目はない。


 だが、勝機がゼロというわけではない。たったひとつ、彼女を問答無用で無力化させる方法がある。しかし、それには一度タクミの工房へ戻り、かつ彼女を惹き付ける必要があった。


「分の悪い賭けは、嫌いなのですがね…」


 タクミは、ハンドルに向かって毒づいた。そうこうしている内に、岬の上り坂が見えてくた。後は、死神がうまく誘いに乗ってくれればいいが。

運を天に任せ、タクミは思い切りアクセルを踏み込んだ。







「今頃」

「気づいても」

「もう」

「遅い」


「どういう事?」


 怪我を負いながらもけろっとした様子で勝利を確信した双子。ゆかりさんの声に緊張が走る。私は躊躇った。ゆかりさんに疑惑が残ったままなのもあったが、何よりタクミさんとの約束を裏切るのが後ろめたかった。しかし、もし私の予感が的中していたとしたら、早くしなければ手遅れになってしまう。


 私はタクミさんを助ける為、意を決して彼との約束を破った。


「タクミさんの工房に、ノイズがあるんです…きっと、彼らの狙いがそっちだって、タクミさん気づいたんだと思います」


 どうしてピースメーカーが工房のノイズに気づけたかはわからない。住み着いていたトム・キャットが場所を知らせたのか。それとも、どこかでタクミさんか今日の私を監視していたのか。どちらにせよ、彼らの狙いがそれである事は、間違いなさそうだった。


「…どうして黙ってたの?」


 ゆかりさんの咎めるような視線が刺さる。しかし、私は何も答えられなかった。気まずい沈黙。静寂が、埃の舞うホールを支配する。

 その間、しおりちゃんとおりめちゃんは、既に自分達は役目を終えたとばかり寝転んだり、体育座りでくつろいでいた。れんなちゃん辺りが居たら何も言わずに殴りかかっていそうな光景だ。

 それからしばらくして、静寂を切り裂いたのはゆかりさんだった。


「…ビショップを追って。あなたの足なら、なんとか追いつくかもしれない」

「えっ…」


 確かに、シャトランジの中で直線距離を最も速く動けるのは私だ。つまり今、タクミさんを助けられるのは私しかいない。

 だがいいのか。私はノイズの場所を黙っていたのに、それでも尚私を信用しようというのか。するとゆかりさんは、いつものように私を見透かした目で語りだした。


「私にだって、誰にも話せない秘密くらいあるもの。だから事情は、話せるようになったら話して」


 その表情は、完全に私を信頼しきった慈愛に満ちていた。どうして。私は不思議で仕方なくて、思わず尋ねてしまう。


「どうして…そこまで私の事、信じてくれるんですか?」


 と。

 するとゆかりさんは、何を今更とでも言うような様子で微笑んだ。


「言ったでしょ、一目惚れ。何度も言わせないで」


 それがどこまで本気かはわからなかったが…少なくとも、この時にはゆかりさんへの不信感はほとんど消えていた。そして、少しでも彼女を疑っていた自分を恥じた。


 そうだった。こんなにも私の事を想ってくれている人を、疑うなんてどうかしていた。あいらさんの話との矛盾は気にはなるが、きっとそれもどこかに情報の行き違いがあったに違いない。私は、何があってもこの人を信じる。私に唯一の昏い光を照らしてくれた、この人を。


「それは」

「無理」


 そこに、双子が水を差す。


「…何が言いたいの?」


 それに対し、ゆかりさんは冷めた声色で訝しげな視線を送る。それもお構いなしに、少女達は勝ち誇ったように言葉を続けた。


「もうすぐ」

「ヒカルさんが」

「来る」

「から!」


 ヒカル…つまり、やれやれ君に連絡をしたといいたいのだろう。

 彼は確実に勝利を呼ぶ、彼女達にとっての救世主だ。もし、ここに彼が現れればその例に漏れず私がタクミさんを追う前に戦闘不能にされてしまうだろう。

―――彼が来れば、の話だが。


「残念ですが、やれや…彼は来ないです」


 私は、誇らしげにする双子に負けず劣らずの自信を込めて言い放った。


「そんな」

「デタラメ…」


 彼女達は信じていなかったが、私にはある秘策があった。今回に限りだが、確実にやれやれ君を封じる方法が。









「あー、5年分は泣いたわ」


 映画館から出てくるなり、れんなはんっ、と伸びをした。

れんなにとって、今日は最良の一日だった。

仕事は休み。天候は快晴。そして、隣には最愛の男性。まさに、至福のひと時だった。


―――それを台無しにする、一本の電話がかかってくるまでは。

携帯のディスプレイを見るなり、舌打ちが漏れる。画面には、生意気な後輩の名前を指す文字が並んでいたからだ。大方、招集を無視した自分への催促辺りだろう。


(どーせ説教でもしようってんでしょ? 適当に流して切ろう)


 そう思いつつ、通話ボタンに手を伸ばす。すると、案の定いつもの声量の小さい遠慮がちな声が聞こえてきた。


『れんなちゃん、今どこにいます?』

「……さーね。そんなことより何か用? 今めちゃめちゃ忙しいんですケド」


 気だるげに答えるれんな。休日な上にデートまでしているのだから、忙しいわけはないのだが、それを彼女が知るはずはないと、いかにも投げやりな対応をする。しかし、受話器越しの彼女はそれを意に介さず、突如ありえない事を口走った。


『今、やれや…ヒカル君と一緒ですよね?』

「な!? あんたなんで…!」


 見られたら恥ずかしいという理由で、れんなは今日の事を誰にも話していなかったはずだった。


(まさか、どっかで見てるのか?) 


 そう思ったれんなは、辺りを見回す。しかし、それらしき影はない。その様子に、ヒカルはきょとんとした表情で首を傾げていた。


「言っておくけど、今日はそっちに顔出す気はないんで!今日の為にあたしがどれだけ…」

『いや、それは別にいいんです』

「はぁ? だったら何」


 れんなにとっては意外な返答だった。いつもなら、「ちゃんと出席してください!」とか何とか、新人のくせに生意気な事を言ってくるはずだった。だが、折角のデートに水を差された事実には変わりない。れんなは、棘のある語気の裏で、後日どのような落とし前を付けさせるか考え始めていた。

 しかし、それらは次の一言によって全て吹き飛ぶことになる。


『そのデート、なるべく長引かせてください』


 一瞬、れんなの中の時間が止まった。


「……は、はぁ!? 何いってんのアンタ!? ていうか、ででデートじゃないし!」


 理解に苦しむ内容に困惑するれんな。いきなりうろたえだした彼女に、ヒカルも訝しげな視線を向ける。


「れんな? 何やってんだお前」

「な、何でもないし!」


 必死に取り繕うが、ヒカルの目にはそれが余計怪しく映った。


『理由は後々説明します。とにかく、1分1秒でも長く彼の傍にいてほしいんです。あ、出来れば携帯とかも取らせないように』

「いやいや意味わからないんですケド!大体、そんな事してアンタに何の得が―――!」

『もう!とにかく、大好きな彼とイチャイチャしてればいいんですよ! 願ったり叶ったりでしょ!?』


 れんなは肩をビクンと跳ね上がらせた。あの温厚な新人が、声を荒げるなんて思っても見なかったのだ。


『とにかくそういうわけなんでお願いしますね!』


 そうこうしている内に、電話は切られた。


「…なんだったんだ」


 自分から切ってやるつもりだったれんなは、通話の切れたディスプレイを眺めて呆然とした。


「学校の友達かなんか?」


 そのれんなに、ヒカルが顔を覗かせた。


「え? あ、ああうんまぁそんなトコかな…」


 それに対し、曖昧に返答するれんな。それから、ヒカルの事をまじまじと見つめた。ヒカルの顔は、特別丹精に整っているというわけではない。どこにでもいそうな、平凡な顔立ちだ。それでも何故か、れんなはその彼の顔を気に入っていた。それだけじゃない。なんとなく会話のウマは合うが、趣味や嗜好が似通っているわけではないし、彼が何か特別長けたものを持っているかどうかもよく知らない。それでも、そんな彼に好意を抱いていた。その理由は、恐らくれんなにもわかっていないのだろう。


―――大好きな彼とイチャイチャしてればいいんですよ!

 ふと、先ほどの新人の言葉がれんなの脳内に反芻される。


(まさか、あれで応援してるつもりだったとか言うんじゃ…)


 そう思うと、れんなは急にヒカルと一緒にいる事が恥ずかしくなった。それに、改めて自分の気持ちを確認する形になりつい意識してしまう。


「ん、こっちにも何か来てるな…ごめんちょっと」


 と、それまで電源を切っていた携帯に着信がある事に気がついたヒカルが内容を確認しようとそれを弄りだした。しかし、れんなはそれを両手で握る形で遮った。


「ちょ、おいれんな…?」

「あ、あのさ…」


 顔を真っ赤にして俯いているれんな。長身のヒカルには、背の小さなれんなの表情を窺い知る事はできない。しかし、やがて意を決したように彼女は顔を上げた。


「あ、あたしが傍にいる内は、他の事、考えないで欲しいんだ…。あたしも、そうするから……」

「お前、そんなキャラだっけ…?」


 普段の勝気な姿からは想像もつかないようなしおらしいれんなの様子にヒカルは目を丸くしている。れんなは、火が出そうなほどにますます顔を赤くした。


「っ、っさい! あたしだって好きでやってるんじゃないし」

「れんなの方から誘ったんじゃなかったか?」

「いや、そうじゃなくって……あーもう、頼むから空気読めっての!」

「そうは言ってもお前…」


 ヒカルは、何か言いたげに口をしどろもどろさせた。もし、ピースメーカーに関わる緊急の用事だとしたら、場合によっては取り返しのつかない事態になる可能性だってある。しかし、すぐに彼は言葉を詰まらせた。彼の前には、上目遣いで顔を上気させたれんなの、無言の抵抗があったのだ。それを前にして、彼女のお願いを断れる男は恐らくいない。


「…わかったよ」


 やがて、ヒカルもため息交じりに彼女の願いに応じた。


(まぁ、もしもの時はあいらが対処してくれるだろう)


 最も、ヒカルが当てにしているあいらは彼らのすぐ後ろにいて、2人のデートを見守っているのだが。

 あいらもまた、れんなが唯一心を休めているこの時間を守ろうと、彼女らのデートを長引かせ、成功させようとしていた。

 その為、先ほど救援要請にやってきたハウンド・ドッグもあいらが追い返していた。


「…本当に何をやってるんだろうな、私は」


 そんな事も露知らず、れんなは心の中で無粋な横槍を入れる新人に対し毒づくのだった。


(くそ、なんであたしがこんな恥ずかしいマネを…もし下らない事情だったら、アイツ三角形に畳んで鳴らす…!)





「というわけで、ヒカル君は封じました!」


「…意外に強引なのね」


 私が得意げにいうと、何故かゆかりさんは少し呆れていた。私としては、自分たちもれんなちゃんも幸せになれて、一石二鳥の作戦だと思ったのだが。

 それに少なくとも、しおりちゃんの動揺は誘えたようだ。彼女は私の話を完全に信じ込み、顔を青くしていた。それを、おりめちゃんがなんとか宥めようとする。


「まずいかも」

「落ち着いて」

「でもでも」

「大丈夫」

「大丈夫?」

「うん」

「…ごめん」


 今ので収まったのか。なんだか、2人同士での会話もかなり独特で不思議だ。なんとなく、小動物の会話を翻訳したらこういう感じなんだろうなと思った。


 ともかく、これでやれやれ君は封じられたはずだ。後は、私がタクミさんの居場所に到達するまでに間に合うかどうか…だ。


「そうだ、これ」


 と、ゆかりさんがどこからともなく何かを取りだした。


「これは…?」


 それは、黒く小さな球体状の金属だった。中心には、どういう意味なのか丹頂鶴の紋様があしらわれている。


「これが、ビショップから預かっていた動力ユニット『Mareメア』よ。これで、眠れる森のお姫様を起こしてあげて」


 それこそ、タクミさんが悪に身を失墜させてまで造り上げた、ナイトに生命を吹き込む鋼鉄の心臓であった。ゆかりさんは、丹頂鶴の紋様に軽く口付けをしてから私の掌にそれをそっと乗せた。なるほど、姫の眠りを解く、王子様のキスというわけか。でも、どちらかというと眠っているのはナイトで、姫はクイーンであるゆかりさんだ。本来なら、役割が逆なような気がしなくもない。


「王子様の口付け、必ず姫にお届けしますね」


 …細かいことは気にしなくてもいいか。

 私は、タクミさんとゆかりさんの想いが込められたその小さな球体を手に、地面を蹴りだした。


「いいよ」

「どうせ行っても」

「あの人は」

「止められない」


 しおりちゃん達はもうそれ以上妨害する気はないらしく、その場で小さな瓦礫で積み木のような遊びを始めてしまった。気になる事はまだある。でも、それを考えるのは後だ。

 私は彼女達を尻目に、振り返る事なく半壊したホールを飛び出した。

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