第4小節:夢の欠片(3)
「半年ほど前の事です。僕がまだ、シャトランジに入る前……ちょうど、研究室が解散して、頼る当てもなくなった頃だったでしょうか。僕は、ある一人の女の子に出会いました。小学生くらいの、小さな女の子です。
その子は、いつも公園の時計台の下に一人でいて。でも、何をするでもなく日がな一日地面を眺めて俯いているんです。それも、暗くなってもずっとそこにいるんです。それが何日も何日も。流石に気になって、話しかけてみたんです。どうしたの、お友達やお母さんは? と。
しかし、彼女は力なく首を振るだけで。話してくれるようになってから聞いたんですが…どうも、学校でも家でも生活が上手くいっていなかったらしいです。だから、いつも誰もいない時計台の側にいるのだと。
…このオルゴールは、そんな彼女の心を少しでも癒そうと思って作ったものなんです」
指で綻びの穴をなぞりながら、タクミさんは静かにそのオルゴールの生い立ちを話し始めた。その中で、ひとつだけ覚えのある場所が出てきた。公園の時計台。多分、私が始めて歯車を起動させた場所だ。同時に、のぞみちゃんをノイズの中に消してしまった場所でもある。
「これを渡した時は、それは喜んでくれましたよ。何せ、その瞬間までその子の笑顔を一回も見たことがなかったのでね。あの時の笑顔は、今でも忘れません」
驚いた。あのタクミさんにも、そんな他人を思いやる慈愛の心があったとは。しかし、傍から見れば怪しい男が女児を誘拐しようとしているようにも見えそうなものだ。よく通報されなかったな、と変に心配してしまう。
それから、それとは別にひとつだけ疑問があった。
「あれ、でも……オルゴールは渡したんですよね?」
女の子にプレゼントしたものなら、オルゴールはその女の子の元にあるはずだ。だが、それは今タクミさんの手の中にある。
まさか、気に入らなくて返された? いや、少なくとも話を聞く限りでは女の子はそれを気に入っているように思った。多分それはない。
すると、タクミさんは目を伏せて指の動きを止めた。
「……多分、僕のせいです。僕が、あの子をひとりぼっちにしてしまったから」
「え?」
タクミさんは、オルゴールを元あった棚の上に置き、何気なくそれを開いた。そして、小さな箱が奏でる安らぎの音色と共に再び言葉を紡ぎだす。
「オルゴールを渡してからも、僕は時折…いや、ほとんど毎日その子の元に足を運びました。ここに来ないかと誘った事もあったんですが…心配をかけたら、また母親に叱られるからと、断られました。驚きましたよ。どんなに酷い目にあわされたとしても、子にとって親は親なんですね。だからそれ以上は何も言えませんでした」
暖かい家庭に育った私にとっては、想像もつかない話だった。れんなちゃんの時もそうだった。姉妹で憎しみあったり、家族で傷つけあったり……悪者、なんて自称しているシン達より、普通の人間の方が余程醜悪な存在なのではないか。そう思った。
「そこで代わりに聞いてみたんです。"今、何か欲しいものはないか"、"どんな願いでも、必ず叶えてみせる"って。そしたらなんて言ったと思います? 彼女、こう言ったんです。
―――『友達が欲しい』…って」
周囲が、シンと静まり返った。それは、本来なら小学生の口から出るはずのない、残酷な望みだった。
「流石に悩みましたよ。僕自身がなってあげたかったですけど、性別や歳も離れすぎてますし、いずれ弊害は起こってしまう。かといって、知り合いや親戚に同年代の子供はいませんでしたからね」
「それで、どうしたんです…?」
私は息を呑んだ。その時のタクミさんの瞳は、今までで一番感情が篭っていない、空虚な眼差しだったのだ。
「"つくる"ことにしました」
「え?」
「ない物は自分で作るしかない。そう思って、僕はその日からこの工房に篭りきりになりました。彼女と心を通わせ、かつあの子を絶対に裏切らない"トモダチ"を造り出す為に」
「それじゃ、まさか…?」
私はわかってしまった。タクミさんがその時、何をしようとしたか…そして、あの小さなガレージが、本来何の為に存在していたのかを。
「"Knight-Machine Afecter"007…元々ナイトは、その子の為に製作していたものなんです。Knightとは、彼女を傷つける者から守る騎士という意味を込めて。そして、Machine Afecterとは……感情を持つ者という意味です」
「感情を持った機械…タクミさん、そんなものまで造れるんですか?」
いくら科学が発展した昨今といえど、感情を再現した装置など例がない。もし本当なら、それはもはや人間一人を生み出す事に等しいのではないだろうか。
だが、タクミさんは静かに首を横に振った。
「…いいえ、無理でした。僕一人の力では。どんなに精巧に人間の姿に似せても、機械としての役割しか果たせないのではそれは今まで与えてきた玩具と変わりない。…それでは、意味がない。しかし、いくら試行錯誤を重ねても、感情に至る装置の開発には到達できませんでした。…シン―――キングに、出会うまでは」
「シンが?」
「彼は、僕に取引を迫りました。『もし、シャトランジの軍門に下り忠誠を誓うならば、お前が望む力をくれてやる』と」
想像できなかった。シンが、悪の組織の親玉みたいな事をしていたなんて。
「最初は悩みましたよ。悪の大組織などと言われても、そんな空想の漫画のようなお話、すぐには信じられませんでしたからね」
「ですよね」
私も同じだ。正直、今だってたまに自分でやっている事が信じられない。
「でも、"現実的な力"ではもう限界でした。だから、僕はその取引を受けることにしたんです。空想や漫画みたいな"非現実的な力"でも、機械に感情を与えられるなら、魂を売り渡すくらいどうという事はなかった」
タクミさんもまた、私と同じだったんだ。私と同じように、悪魔に魂を売った人間。自分の為に、世界を売り渡した罪人だ。
今ならわかる気がする。彼が召集にあまり積極的でないのは、世界が壊れるまでの時間を少しでも引き伸ばし、また一刻も早くあのナイトを完成させる為。小学校で教室の様々なものを観察していたのは、その女の子と同年代の子供の心を理解し、アンドロイドに組み込む為。
全ては、たった一人の女の子を笑顔にする為の行動だったのだと。
「…ですが、シャトランジになったその日、久しぶりに時計台を訪れてみると…彼女はいませんでした」
「えっ…?」
タクミさんの声が、少しだけ低くなった。きっと、その時のショックを思い出しているのだろう。目を伏せた彼の姿は、今でも後悔している事を如実に表していた。
「僕は気づかなかったんです。ナイトを造り上げ工房に篭っていたその間、あの子をまた一人ぼっちにしてしまっていた事に。…本末転倒ですよ。それから何日か、その公園に通ってみました。でも……最後まで、彼女は現れなかった」
「そんな…」
「それから少し経ったある日の事でした…工房の玄関前に、このオルゴールが置かれていたのです。その時既に、ノイズを生み出した状態で」
なんだか私まで悲しくなってきてしまった。ノイズが生み出されたという事は、そのオルゴールの事を覚えている人間がいなくなったという事…つまり、その女の子はオルゴールの事を忘れてしまったという事。それは同時に、タクミさんの事も忘れてしまったという事を意味していた。彼は、自分が汚名を被ってでも彼女に手を差し伸べようとしたのに。
「あの子が、どうやってこの工房を突き止めたのかはわかりません。でも……僕はこう思うんですよ。このオルゴールのノイズは、あの子からの別れの言葉なんじゃないかって。1人にしないという約束を破った、僕への…」
タクミさんは、音色を奏でていたオルゴールの蓋をそっと閉じた。静寂が、再び世界を支配する。
「僕はその後、ナイトを戦闘用に改造しました。ちょうど、キングより対ピースメーカーの彼に対抗する策の打診もされていたので。…でも、その為だけではありません。これは、僕への罰でもあるんです」
「罰?」
「……あの子が僕を忘れたように、僕も…あの子を忘れる為に」
私は、どう声を掛けたらいいかわからなかった。タクミさんは精一杯頑張ったのだ。何も恥じる事はない。だが、それを言って彼が納得するとも思えなかった。彼にとっての賞賛は、その女の子の笑顔、ただひとつなのだから。
「……変な話をしてしまいましたね。さ、コーヒーが淹れてあります。出発前に一杯どうぞ」
そういって、彼はいつもの調子でおどけてみせた。でも、彼がどんなにか傷ついているのか、私には痛いほどわかった。大切な人に心が届かない気持ちは、私にも覚えがあったから。
「…きっと、幸せに暮らしてますよ。その子」
だから私は、なんとか彼を元気づけてあげようとして、ついそんな事を言ってしまった。何の根拠もないのに。現実は、変わらないのに。
「オルゴールの事を忘れたのだって、友達が出来て、その子達と遊ぶのに夢中になってるからですよ。そうに決まってます。だから…その、えっと……」
何とか好意的に考えられるように、でも何を言ってあげたらそうなるのかわからなくて、言葉が続かなかった。そんなしどろもどろする私に、タクミさんは力ない笑顔を向けた。
「……だと、いいですね」
軽トラの荷台にナイトを乗せていると、死体を隠ぺいしようとするサスペンスドラマの犯人みたいで妙な気分になった。それからアジトへ向かう途中、窓から街並みを眺めていると、ふと異様な光景が目に飛び込んだ。
「ちょ、ちょっと止まってください!」
慌ててブレーキを踏むタクミさん。おかげで、シートベルトをしていたにも関わらず体がフロントガラスから飛び出しそうな勢いでつんのめった。
「なんです突然…忘れものですか?」
「いや、あれ」
訝しげな視線を送ってくるタクミさんに、私は窓の外を指さす。そこで繰り広げられている、ある光景に向かって。
そこにいたのは、なんとれんなちゃんだった。聞いた話では、れんなちゃんは今日もレストランのバイトで欠席すると言っていたはずだったのだが、どういうわけか賑やかな店の立ち並ぶ商店街の入り口に立っていた。いや、だがそれはこの際問題ではない。問題は、その"隣"にあった。
れんなちゃんの隣にいたのは―――やれやれ君だった。プライベートの彼を見るのは初めてだったが、彼はその性格からイメージされるそのままのくそダサいTシャツを着て、れんなちゃんと何かを楽しそうに話していた。そしてれんなちゃんも、特にそれを指摘する事もなく、いつもは不機嫌そうな表情を綻ばせている。私の服装にはすぐに『芋女』とかケチをつけるくせに…。
「まさか、デート…?」
れんなちゃんが、やれやれ君に好意を抱いている事は知っている。しかし、彼がピースメーカーの英雄である事を知ってしまった以上、あまり迂闊に近づかせてはいけないような気もした。そしてやはり、彼女は彼の正体に気づいていなかった。
「服装くらいしか違いはないのに、なんで気づかないかな…」
恋は盲目、とはよく言ったものである。
「ほう、意外な趣味ですねぇ。もしや、ダメな男に尽くしたいタイプなんでしょうか」
「まぁ…ああ見えて、性格だけなら頼りがいある時もありますからね」
ピースメーカーの戦士として、戦ってる時とか。
「おや、知ってるんですね。彼の事」
もしやとは思っていたが、まさかタクミさんもやれやれ君があの最強の戦士である事に気づいていないのか。ひょっとして、世界中で彼の正体に気づいているのって、私だけなんじゃないだろうか。
「もしかして、新人さんも彼の事が?」
「それはないです。断じて」
彼には申し訳ないが、一回手を差し伸べられたくらいで好きになるほど私は安い女じゃない。例えば、彼が漫画か小説の主人公で、私がヒロインだったら話は違ったかもしれないが…。
いや、待て。もしそうなると、やれやれ君の仲間であるみらいも彼に好意を抱く事になってしまう。イマドキの男主人公って奴は、麻薬のような優しさで好意を錯覚させ、近づいてくるヒロイン全てを見境なく蹂躙する存在なのだ。実際、れんなちゃんのお姉さんであるあいらさんも彼に好意を寄せている節がある。つまり、同じようにみらいも……!
「お、お姉ちゃんそんな男は認めませんッ!」
私は、隣にタクミさんがいる事も忘れて年甲斐もなく叫んでいた。おかげで、車の天井に頭をぶつけた。
「ああ、狙いはれんなの方でしたか」
私はそれを否定したかったが、あまりの痛みに声も出ず、額を押さえて蹲るしかなかった。
「まぁ、そこまで気になるのでしたら後をつけてみてはいかがです? キングには、僕から別の依頼を受けて貰ったと言っておきますから…」
何か誤解されている気もするが、2人の事が気になるのもまた事実。
そういうわけで、タクミさんはナイトを搬送する為アジトへ。私は、れんなちゃん達を尾行する為に別行動を取る事になった。
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