第4小節:夢の欠片(2)
コバルトブルーの海を臨む海岸線を波打ち際に沿って歩くと、小さな岬がある。それをまた少し登った先に、小さな建物があった。そこが、目的地。そして見た目より長い傾斜の道を私は息を切らしながらなんとか登って、もたれかかるようにその建物のチャイムを鳴らした。
建物の外観は、近くで見ると錆びや煤で鬱蒼としていた。それに、なんだか少し油臭い。玄関と思われる扉のすぐ脇には大きな鉄のシャッターがあり、訪れるものを威圧している。なんだか、実家の近所にあった自動車工場を思い出した。しかし、こんな寂れた場所に人が住んでいるとはにわかには信じがたい。もし、ここが実は廃墟だと言われても私は信じる自信があった。だがしばらくして、目の前の扉が錆びたブランコのような音をたてて開いた。
「ようこそおいでくださいました」
その奥から顔を出したのは、あのタクミさんだった。
シンに連絡してきた電話の主とは、タクミさんの事だった。その内容は、『例のモノが完成したので、受け取ってほしい』というもの。それは、ピースメーカーと戦いを始めた頃から兼ねてより準備が進められていたもので、シンも長らくそれの完成を心待ちにしていたらしい。新参者である私にはその”例のモノ”が何の事を指しているのかさっぱりわからなかったが、シン曰く『見ればわかる』という事だった。
「というわけで、新人ちゃんにはそれを受け取ってきてもらおうか」
「シンは、行かないのですか?」
「思ったんだけど、やっぱり悪の首領が自ら動くのはあんまりよくない。貫禄が薄れる」
だから、そんなものは最初からない。
「とにかくタクミの元へ行くのだ!さっさと、今すぐ、早急に!」
そういうわけで、私はシンの代理としてタクミさんが所有し寝泊まりもしている岬の上の工房へとやってきたのだった。ちなみに、ゆかりさんも別にやる事があるとかで、今回初めて単独での行動となる。
彼に促されてその中へ入ると、重そうな工具や唸りを上げるよくわからない機械や計器が通路のあちこちに雑然とひしめき合っていた。なんだかおもちゃ箱の中にいるみたいだった。
「昔、大学の研究室でロボット工学の研究をしてたんですよ。ま、あまりに結果が出ないってんで解散させられましたがね。で、シャトランジに入ってからはここで整備技師みたいな事をしてるんですけど…あ、そこ気を付けて」
辺りをキョロキョロと見回しながらおっかなびっくり進んでいた私に、タクミさんは足下を指差して注意を促した。そこには野太いコードが通路の真ん中に堂々と鎮座していた。話をしながら、タクミさんは機械で渋滞を起こした狭い通路をずんずん進んでいく。しかし、私は着いていくのが精いっぱいだったし、作業機械の音うるさかったので彼の話は3割ほどしか聞けなかった。それからしばらく、錆びついた銅の階段を登りきった先でようやく小さなガレージのような空間に出た。そこも、相変わらず計器や機械が敷き詰められていたが、私はその中でも一際異彩を放つあるものに目を奪われた。
それは、ガレージの中央で物々しい鉄骨と鎖に繋がれて"眠っていた"。正確には、そう見えた。私と同じように肌色の体を持ち、私と同じように瞼や口や、髪があった。所々、胸や肩に黒い装甲を纏ってはいるが、その姿はまさに人間と同じだった。
「これが、連絡した"例のモノ"…対ピースメーカー用に開発した戦闘用アンドロイド、『Knight-Malicious Android 007』―――"ナイト"です。あ、女性型なのはキングのリクエストで…私は男性型の方が強そうでいいと言ったんですけどね」
私は唖然とした。これがロボット? 信じられない。私は"彼女"に顔を近づけ、まじまじと観察してみた。肌の質感から造形の細部に至るまで、普通の人間そのものだった。…すべすべの肌と、豊満な胸が少し羨ましいくらいだ。
「すごい…本物みたい」
思わず感嘆のため息が漏れた。初めて出会った時から只ならぬ人だとは思っていたが、まさかこれほどとは。人は見かけによらない―――今日は、嫌というほどそれを思い知らされる。
「えーと、初めまして…で、いいのかな」
私は、そのロボットに会釈してみた。これだけ完璧な姿だ、きっとその反応も自然なものに違いないと思った。しかし、期待に反し"彼女"は瞼を閉ざしたまま一向に反応を見せない。感度が悪いのかと思って、今度は彼女の眼前で手をヒラヒラさせてみる。が、やはり応答なし。と、そこにタクミさんが申し訳なさそうに口を挟んだ。
「ああ、まだ完成ではないんですよ。AIを搭載した、起動用の動力ユニットをまだ取り付けていないので」
「えーあい?」
「人工知能の事ですよ。自ら学習し成長する、機械の頭脳のようなものといったところでしょうか」
「ええと、要するに…心を入れないと動かないって事でしょうか」
首を捻った私に、タクミさんは一瞬困ったように眉を顰めたが、すぐにいつもの笑顔で「まぁ、そんなところです」と相槌を打った。
「で、そのユニットは今どこに?」
「クイーンに預けています。先に完成していたのですが、正義の味方さん達がいつここを嗅ぎ付けるとも限らないので」
なるほど、守ってもらっていたというわけか。確かに、ゆかりさんの元にあるなら安心だ。という事は、ゆかりさんが言っていた別の用事というのはその動力ユニットとやらを取りに行く事だったのだろうか。
「シンに預けたら、『飲み物こぼして壊した!』とか、ありそうですもんね」
「あなたも、キングの事をわかってきましたね」
タクミさんは得意げに言っているが、果たしてそれは褒めているのか、それとも貶しているのか。まぁ、どっちでもいいか。
「まぁとにかく、これで多少は彼らにも対抗できるようになるでしょう」
私は、作業アームに固定された彼女を見つめながら、正義の味方に辛酸を舐めさせられ続けたこれまでの戦いを思い出していた。
小学校での一件の後も、私達は何度かノイズを発見してはそのたび彼らと激突してきた。そして、その全てで敗北を喫していた。原因は、やはりやれやれ君ことヒカル君にあった。彼の常軌を逸した機動力は私達の攻撃を悉く躱し、その動きに不釣り合いな大剣の一撃は私の防御すら易々と貫く。たまに運良く追いつめてみれば、″裏換し″からの飛龍十字剣で完膚なきまでボコボコにされた。まさに人類にとって無敵のヒーロー。私達にとっては悪夢のような存在だった。
あまりに負けが込み過ぎたせいか、れんなちゃんはそのうち顔を出さなくなった。いや、そうでなくても参加率はとても低かったけど、余計に顔を見せなくなった。ゲームで負け続けると拗ねる子供みたいなものなんだろうけど、こちらとしては人員が1人減るだけでただでさえ勝てない試合がコールドゲーム状態になってしまうので、それは勘弁してほしいところだった。
しかし、そんな状況もナイトの登場できっと変わる。私は、タクミさんへの賞賛と未来への希望を込めてその攻殻の騎士に熱い視線を送った。
「これで、私達の悪夢も終わりますかね」
「…だと、いいのですが」
私が期待に満ちた視線を送ると、それに対してタクミさんは遠慮がちに笑った。
「その辺に座っててください。今コーヒーでも淹れますから」
ガレージの一角に、クッションから綿のはみ出た椅子と、紙や工具箱が積まれたテーブルがあった。一応、生活スペースなんだろうか。タクミさんにはその周辺を使うよう促されたが、おおよそ客人を迎え入れるには相応しい場所とは思えなかった。
「え、でも私、早く彼女をアジトまで運ぶよう言われてて…」
私がこの工房に来たのは、例のモノことナイトを受け取る為だ。早急に持って帰らないと、シンにどやされる。それはかなり面倒だ。しかしタクミさんは、私のはやる気持ちとは裏腹に、緩やかな動きで私を制す。
「まぁそう焦らずに。来るまでの上り坂で結構疲れたでしょう? それに、あんな大きなもの、1人で運べるのですか?」
「まあ、それは…そうですけど」
言われてみると、確かに。ナイトの身長は私よりも少し高い。しかも、見た目が人間そっくりなので忘れていたが、彼女は機械の塊なのだ。その重量は、人間のそれとは比べ物にならないほど重い。非力な私が、持ち上げられる重さではなかった。
「後で私が車を出しますから、それに乗せて行きましょう。何、そんなに焦らなくてもナイトは逃げたりしませんよ。まあ、ナイトの胸でも触りながら待っててください。ちなみに、そこの再現度には結構自信があります」
「いやいや、何いってるんですか」
「抵抗ある方がお好みで?」
「じゃなくって、私の事何だと思ってるんですか?」
「おや? キングの話では、あなたは『女湯に堂々と入る変態のプロ』と聞いていますが」
…あのエセ魔王め。
「変態でもプロでもないですけど、そりゃ堂々と入りますよ」
だって女湯だから。
「だったら、胸を触るくらいわけないでしょう」
何が、だったら、なんだ。女湯を覗く下劣な男と同列以下の扱いか、私は?
私なんて、ゆかりさんにキスされると勘違いしてドキドキする程度の健全で清純な普通の女性だ。
「恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ、秘密にしておきますから」
「いやあの、そういう事じゃなくてですね…」
しかし、それ以上の返答はなく、いつの間にかタクミさんは奥の台所があると思しき部屋へ消えていた。結局、彼にからかわれていただけだった。そう思うと、急に坂道の疲れがぶり返してきたような気がした。
「……」
1人になって、ふとガレージのひんやりした空気に気づく。長い坂道の道のりで火照った体には心地良いが、反面その冷たさが孤独感を増長させる。タクミさんは、いつもここで1人でいて寂しくはないのだろうか? どうせなら、アジトに使っているコンサートホールにでも機材を持ち込んで、皆と作業すればいいのに。まぁ、それはそれでやかましくて集中できないかもしれないが。
タクミさんが入っていった扉を見つめる。もう一度それが開くには、まだ当分はかかりそうだ。
なんとなく手持無沙汰になった私は、改めてナイトの全身を見回してみた。物言わぬ機械人形は、作業アームに吊るされ尚も抵抗する事無く項垂れている。黒い装甲からはみ出た、白い肌が眩しい。
「寒くないですか?」
答えを求めるつもりはなかったが、なんとなく尋ねてみた。よくよく見ると、備えられた装甲は結構小さいし、少ない。もし普通の人間だったら、風邪でも引いてしまいそうだ。最も、私の戦闘服はこれ以上に布地が少ないが。
「…そういえば、ナイトって事は私より立場上なんだよね……」
チェスの駒で当て嵌めるなら、ポーンは間違いなく一番下になる。ということは、私の存在ってロボット以下か。なんでだ。私の方が先にシャトランジに入ったのに。もしかして、それより以前から開発に着手してたから? しかし、少なくとも実績と経験は私の方が遥かに上だぞ。
「先輩として接すべきか…」
私は、押し黙ったままの彼女を睨みつけて首を捻る。
「ナイト先輩、今日も綺麗な肌ですね! …いや、そりゃ当たり前だ。えーと…一緒にオイル交換行きませんか!? 待て待て、死ぬ気か私は」
虚しい1人コント。当然、反応はない。その沈黙が、あたかも私が滑ったような雰囲気を漂わせる。
「…実際起動してから考えればいいや」
私は、気まずさから逃げ出すようにナイトの顔から視線を背けた。だがすぐに、その下の豊満に造詣された胸部に目が止まる。
マスクメロンくらいはありそうなそれは、間違いなくシャトランジに所属する全ての女性の中で1番の大きさだった。ふと、先ほどのタクミさんの台詞が頭の中で反芻される。
———再現度には結構自信があります。
「………」
気がついた時、私の手は勝手に彼女の胸に伸びていた。
「如何わしい事なんて考えてないし…ちょっと気になるだけだし…」
そして、誰に言い訳をするでもなく自分に言い聞かせる。
あとほんの少し手を伸ばせば、その禁断の果実に手が届きそうだ———
が、そう思った直後、ガタンと何かが落ちるような音がガレージに響き渡った。
「ひぇっ!? さささ、触ってませんよ!? 触れたとしても先っちょだけで……!」
瞬間、私の肩が跳ね上がった。心臓が飛び出すかと思った。私はその物音の主に向かって必死に弁明する。しかし、それはタクミさんではなかった。
「…?」
私とタクミさん以外には誰もいないはずのガレージ。その隅を、何かが横切った。さほど大きいものではなく、しかし一瞬でもはっきりわかるほどに白く透き通っていた″何か″。私はその正体を確かめるべく、それが通ったと思われる道筋を辿る。そして扉を出て、隣の部屋へ。
そこは、小さな私室のようだった。本棚やテーブルがこじんまりと置かれていて、ガレージよりは生活感を感じられた。それでも、ところどころに何かの部品や工具が放られている。それからプロペラ飛行機の模型に、解体された置き時計なんかも。アンドロイドなんてものを作り上げるような人だ、きっとこれらも自作したものだろう。この一角だけでも、彼が機械いじりにかなりの情熱を傾けている事が窺えた。しかし、あの怪しげで感情の読み取れない笑顔しか浮かべられないような不審な男が、こんな可愛らしい置き時計を組んでいると思うと少し笑える。
「…っと、それより」
私は"何か"の姿を求めて辺りを見回す。が、既にそれらしい姿は見つからなかった。気のせいだったのだろうか? そう思って首を捻る。
だがその直後だった。
また。今度ははっきりと見えた。細くしなやかな四肢を持ち、私の膝ほどもない小さな、実体のあやふやな体躯。それが、本棚の上でまるで置物みたいにちょこんと座していた。
しかし、それは―――本来、ここにいてはいけないものだった。
「バラックミュート…!」
小さな耳に長い尾…猫型のバラックミュート『トム・キャット』が、そこにいた。
私は、咄嗟に臨戦態勢を取った。が、すぐにしまったと思った。私の武器であるトライアングルは、ガレージのソファの上だ。今から取りに戻ったのでは間に合わない。
「しょ、しょうがない、素手でなんとかするしか…!」
それにしても、何故ここが感づかれてしまったのだろうか。まさか、近くにノイズが? いや、それはない。少なくともこの工房内にそれがあるなら、タクミさんが気がつくはずだ。ならば、何故?
心の片隅で、こういった状況対応に慣れてきてしまっている自分自身に密かに嘆きつつ、私は考え得る限りの可能性を思案した。
お互いの視線が絡み合う。私は、いつトム・キャットが飛びかかってきても回避できるよう、足に神経を集中させた。
しかし、トム・キャットは睨みあいに飽きたとでもいうように、そのしなやかな体を翻して開いていた窓から外へと消えてしまった。
「…なんだったの?」
まるで狐につままれたような感覚だった。猫だけど。
とにかく、今はタクミさんに知らせなければ。仮にノイズがこの周辺にあろうとなかろうと、ここが彼らに知られてしまったとなればナイトの存在を彼らに知られてしまう事になるし、タクミさんだってここにはいられなくなる。そう思った私は、踵を返し足早にガレージに戻ろうとした。
その時、コツン、と、小気味よい音と共につま先に何かが当たる感覚がした。視線を落とすと、そこには木製の小さな箱のようなものが転がっていた。多分、トム・キャットがどこかの棚の上から落としたものだろう。見た目は何の変哲もないただの小箱のように見える。日に焼けて表面の所々が色褪せているのがどことなく哀愁を感じさせた。私はそれがなんとなく気になって、その掌に収まる程度の小さな箱を拾い上げた。
「…?」
掌に乗せてみると、ほとんど重さは感じられなかった。中身はないのだろうか。何気なくその箱を開けてみる。すると…
「…!」
その箱が真珠貝みたいな開き方をしたとき、瞬間心臓が飛び跳ねた。別に開き方に驚いたわけじゃない。驚いたのは、その中身だ。
その中身は、"音"だった。それも、心に沁みわたるような優しい音色。正確には、小さなピンのついた円筒が掌の箱の中で、繊細なその音色を奏でていた。
そう、これはただの箱ではなく、オルゴールだったのだ。
流れた曲は、『未来への鍵』。この曲を聴くのは、今日で三度目だ。
きっと、これもタクミさんの作品だろうと思った。特に特別な所はなかったけど、素朴さと木製の暖かみになんとなく心惹かれて、しばらくはその場でその掌の音楽会に耳を傾けた。
しかし、それもわずかな間だった。私は、そのオルゴールを棚の上に戻そうとして思わず固まってしまった。
「えっ……?」
開いた瞬間には気が付かなかった。多分、鳴りだした音に気を取られてしまったからだと思う。だが、それは確かにそこにあった。
「これって…」
本来ならば、あり得ない事だった。しかし、トム・キャットがこの場にいた事を考えれば、そのあり得ない光景にも現実味があった。
オルゴールの中―――そこに、明らかに本来存在しないであろう歯車の形をした黒い穴があった。
「どうやら、見つけてしまったようですね…」
不意に、背後から声がした。タクミさんだった。彼は、少し困ったような顔で私と、そのオルゴールを交互に見つめている。その様子で、彼がこのオルゴールに生まれたノイズに気づいていたとすぐにわかった。
「タクミさん…今、バラックミュートが」
だからそう告げても、彼は特に驚く様子を見せなかった。
「大丈夫です。あれは他のバラックミュートと違って、何もしませんから」
代わりに、私の掌に乗ったその小さなオルゴールを手に取る。
今、私達は苦境に立たされている。起動すべき歯車は残り2つ、しかしここ最近は一度として歯車の起動に成功していない。なればこそ、邪魔が入る事のないここで確実に目的を達成すべきだった。しかし―――
タクミさんは、今まで見せたことのない悲しげな瞳でオルゴールを見つめたまま、抑揚のない声で呟いた。
「新人さん。この事は…二人だけの秘密にしておいて貰えませんか」
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