第3小節:最近の主人公は、最初から理不尽に強い(6)

 私達は、負けた。


 ゆかりさんも、れんなちゃんも、タクミさんも。誰も、一歩も動けない。圧倒的だった。


「インチキ、すぎる…」


 少しでも勝てるかもしれないと思った私の希望はあまりに浅はかなものだったのだと、今更ながら思い知らされた。同時に、理不尽すぎて腹が立ってくる。最後の攻撃に至っては、始めから終わりまで、何をされたのかさっぱりわからなかった。気が付いた時には、全員埃くさい床に体を横たえていた。


「主人公に負ける悪役って、こういう気分なのかな…」

「まぁ、いつもよりは健闘したんじゃないですか…?」


 動けない体で口々に文句を垂れる仲間たち。そこに、あいらさんを腕に抱えたやれやれ君が現れた。


「もうこんな事はやめろ。何度来ても、俺には絶対に勝てない」


 それはまるで、みらいの事は諦めろ、と言われているようだった。だが事実、今の私達ではどう足掻こうと決して彼には敵わない。私にとって、思わぬ壁が立ちはだかった瞬間だった。


「だが、おかげで時間は稼げた」


 その時、不意に背後から声がした。そこにいたのは、ヨレヨレのTシャツにくたびれたジーパンを履いた長身の男。忘れていた。私達にはもう一人……威厳のない首領がいた事を。


「何?」


 やれやれ君は油断なくシンを睨み付け、構えを取る。しかし、シンは彼と戦うつもりはなかったし、そもそも戦う術など持っていなかった。

代わりに手にしているのは、ひとつの小さな歯車―――。


「ッ、まさか!?」


 やれやれ君が何かを察知し、目を見開く。私は、しばらくはぼんやりと2人を交互に眺めていたが、やがてあるものに目が止まり、彼が何に驚愕したのかを理解した。

シンが寄りかかっていたのは、埃を被っていかにも使われていなさそうな古いグランドピアノ。だが、ただのピアノではない。よく目を凝らすと、埃の下で黒光りする譜面台の一部分にわずかに違和感があった。そう、そこに歯車を嵌める綻びはあった。


「そっか、色が同化してたから…」


 黒いピアノに、黒い穴。よほど目を凝らさなければ気づけないほど、それはよく溶け合っていた。何気ないものに目を向け、注意深く見ろ―――タクミさんの言っていた事は、確かに正しかった。


「くっ、させるか!」


 やれやれ君が飛びかかろうとする。しかしそれよりも早く、シンの太い指が、黒い歯車を見えない窪みへと押し込んだ。








「流石はキング。しかし、よくあそこにあるとわかりましたね」


 タクミさんが、やはり胡散臭い笑みでシンを称えた。その後ろでは、風船のように膨らんだノイズの球体が、くたびれた校舎の一部を飲み込んでいる。

 でも、本当に不思議だ。彼はどんなマジックを使って、あの場所を探り当てたのだろうか。その疑問に、シンは得意げに答える。


「簡単な話だ。近くにバラックミュートのトサカ頭がいたんで、それを目印にな」

「は? そんなのいた?」


 れんなちゃんが首を傾げる。


「いたんだよ。あの真上にな」


 そういわれて、全員がシンの顎が指し示す先に視線を移す。すると、確かにいた。屋根の上で羽を休める、十数体のバラックミュート…フライ・チキンが。

 彼らは、お世辞にも知能が高いとは言えない。特に鶏型のフライ・チキンはそれが顕著だった。恐らく、公園でのラビット・ホース達同様に彼らもノイズを防衛しようとはしていたに違いない。しかし彼らは、閉鎖された音楽室への侵入方法がわからなかった。その結果、最も位置の近い屋上で立ち往生していた、という事だった。屋根の上というのも、意識しなければ気づかない場所だ。発見したのはシンだが、タクミさんも十分誇っていいと思う。


「それにしても、何故あのピアノだったのでしょうね? 別に、他の楽器だって使われていないようでしたけど」

「さあなぁ…ま学校の生徒達にとっちゃ何か特別なピアノだったんだろ。ま、何にしても馬鹿なトリ頭のおかげで今回は完全勝利ってな!だっはっは!」


 シンは、漆黒の球体の周囲を困惑気味に旋回するフライ・チキンをよそに豪快に笑い飛ばす。それに対して、れんなちゃんはやれやれと肩をすくめた。


「バカがバカをバカにしてる…」

「あれを完全勝利というなら、僕は二度と完全勝利なんてしたくないですね」

「バカバカうるさいわバカ! つかもうちっとノリよくしてくれや」


 私はそんな光景を尻目に、校舎を飲み込んだノイズを1人見つめていた。




 シンが歯車を嵌めた時、拡がったノイズは音楽室を飲み込んだ。しかしそれは、前回の公園ほど膨大な範囲ではなく、音楽室を飲み込む程度の小規模なものだった。結果的に、被害は最小限で済んだのだ。

 しかし、それでいて私の心はどこか浮かなかった。そんな私に、ゆかりさんが声を掛ける。


「何を、考えてるの?」

「いえ、別に…」


 それに曖昧に答える。私は、あのノイズが音楽室を飲み込む直前、やれやれ君が叫んだ言葉を思い出していた。


「いつか必ず助ける!」


 彼は、捨て台詞のようにそれだけ吐き捨て、あいらさんを抱えて姿を消した。大剣を携えたままあんな動きが出来るのだから、多分ノイズからも逃げられただろう。なら、また戦う事になる。


「不安なの?」

「……」


 私は、何も答えられなかった。

 だが、ゆかりさんの言う通りだった。やれやれ君の事だけじゃない。もしいつか、私がみらいと対峙しなければならなくなった時……私達もまた、れんなちゃんとあいらさんのように、姉妹で傷つけあわなければならないのか。その時、私はみらいの事をどう思うのか。れんなちゃん達のように憎みあうのか、それとも―――。


 数々の不安が、ない交ぜになって私の中を渦巻く。そんな時、服が破れて露出した肩に、ふと温もりを感じた。ゆかりさんだった。ゆかりさんは、私の正面に立った。そして、彼みたいに真正面に私と向き合う。夕闇に彩られた彼女の姿は、同性の私でも見惚れるくらい神秘的で、艶やかだった。


「少し、目瞑って?」

「へっ!?」


 思わず声が裏返った。変なことを考えていたから、余計に動揺したのかもしれない。そんな私に、ゆかりさんは少し呆れたような顔で苦笑した。


「何勘違いしてるの、そんなことするわけないでしょ」


 まだ何もいっていないのに、やっぱり私の考えていた事はお見通しのようだ。でも、お互い向かい合ったこの態勢で、そんな風に言われたら勘違いのひとつもしてしまうだろう…その、キスされるんじゃないかと。ゆかりさんなら、そういう事をしてもなんとなく不思議じゃないと思うし。


「ほら、いいから早く」


 急かされた私は、観念して目をぎゅっと閉じた。ゆかりさんでなくとも、私が緊張しているのはすぐにわかったと思う。視界を闇が覆い、遠くで鳴くひぐらしの声が、研ぎ澄まされた感覚の端に小さく木霊する。しかし、心臓の鼓動がそれを一瞬にしてかき消す。何をドキドキしてるんだろうか。何にドキドキしてるんだろうか。混乱が、より一層ひぐらしの鳴き声を遠ざけていった。と、その直後にゆかりさんの息が髪の毛をくすぐった。瞬間、肩が跳ね上がる。近い。眼前に彼女の気配を感じた。何をされるか見当もつかない私は、蛇に睨まれた蛙みたいに身を縮こまらせた。


「何緊張してるの? リラックスして」

「はひ…」


 また、声が上ずった。多分、今の私は何をされても何も抵抗できないだろう。鼓動が早まる。それを聞かれるんじゃないかと思って、更に鼓動が高まる。このまま心臓が爆発してしまうんじゃないかとさえ思った。いつまでこうしていればいいんだろう。今、どれくらい経った? 30秒?30分? いずれにせよ、随分長く感じたのは確かだった。その時、何かが髪に触れる。暖かく、そして冷たい何かが。そして今度は、髪が掻き分けられる感触。晒された額に冷たい風が当たる。しかし、顔は熱さで溶けてしまいそうになっていた。もう、どうにでもなれ…。私は、覚悟を決めた。


「……よし。さ、もう開けていいわ」


 しかし、重い決意とは裏腹に、永遠とも思えた長い時間はあっさりと終わりを告げた。恐る恐る瞼を持ち上げる。キスはされなかった。当然だが。じゃあ、何をされたんだ? 視界に最初に入ったのは、ゆかりさんの笑顔。何か知らないが、満足のいった表情でこちらを見つめている。私は、さっきとは別の意味で鼓動が早まるの感じていた。私は、自分の体をあちこち触ってみた。何か、変わったところはないか。変なことをされてないか。そうして闇雲に手を動かしていると、しばらくして違和感にたどり着いた。


「これは…?」


 前髪の辺りに、硬いものがあった。その冷たいものに指を這わせて、形を探る。大きさはそれほど大きくはなく、重さもほとんど感じられない。小さな形で描かれた曲線が、妙に心地よかった。

 それで、ようやく私は思い出した。かつて、みらいにヘアピンをプレゼントした時、私が選んだものの隣にこれと同じような形のものが並べて置いてあった。みらいは「流石、センスない」と笑ったけど、その日から毎日そのヘアピンを付けてくれていたっけか。みらいに渡したヘアピンは、ト音記号のもの。その隣にあったのは、それと対を成す記号―――ヘ音記号のものだったはずだ。


「不安がなくなるおまじない」


 そのヘ音記号のヘアピンが今、私の長い前髪に留められていた。


「本当はもう少し早く渡したかったんだけどね。タイミングを見てたら、別行動になっちゃったから」


 少し困ったように笑うゆかりさん。私は、指でもう一度そのヘアピンの曲線をなぞった。

 ゆかりさんにはわかっていたんだ。私が、ここに来る以前から思い悩んでいた事に。多分、レストランに行ったあの日くらいから。そうでなければ、今日のこの日に用意するなんて事は出来ない。


「ありがとう、ございます」


 素直にそう思う。もしかしたらゆかりさんは、私より私の事を理解しているかもしれない。そう思ったら急に照れくさくなって、私はいつものように前髪を梳いて―――

 梳こうとして、ようやく気づいた。そのヘアピンが持つ、真の意味に。


「ふふ、隠せないでしょう」


 してやったり、という顔をするゆかりさん。

やられた。いつも、恥ずかしくなった時に私の目元を隠してくれた少し眺めの前髪。それが、ゆかりさんのくれたヘアピンによって封印されてしまっていたのだ。


「あなたはもう少し自分に自信を持たないと。だからそんなに不安になるのよ」

「そ、そんな!」


 私は慌ててそのヘアピンを外そうとした。が、何故か外れない。ゆかりさんが何かしたんだ。


「は、外してください!」

「あなたが一人前になって、ちゃんと自分に自信を持てるようになったら外してあげる」


 悪戯っぽく笑みを浮かべるゆかりさん。彼女の視線が、守りのなくなった私の顔面に直接突き刺さる。その視線に耐えられなくなって、私は逃げ場を求めて目を泳がせた。

 まじないは、漢字では"呪い"と書く。私にとってこのヘアピンは、まさしく呪い(のろい)であった。そして、その呪いは……しばらく解けそうにない。

悔しくなった私は、負け惜しみに一言だけ呟いた。


「……このデザイン、センスないですね」


 それでもゆかりさんは笑みを崩さなかった。けど、本当は少しだけムッとしているって事もわかった。それを必死に隠そうとしているのが、少し可愛かった。何故わかったかというと―――


 同じようにみらいにセンスがない言われた時、私も同じように取り繕った笑顔で誤魔化そうとしたのだ。つまり、結果としてこの仕返しは成功だった。そんなゆかりさんの様子に、私はほんの少しだけ気が晴れた気がした。そう、それまで抱いていた不安が、吹き飛んでしまうくらいには。

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