第3小節:最近の主人公は、最初から理不尽に強い(3)
『…見つかったの?』
「見つかったというか、見つかってしまったというか…っ!?」
背後から迫る弾丸が、私の左股を掠めた。
私が少女の攻撃を掻い潜りつつ、ゆかりさんに救援を要請できたのはあれから10分後の事だった。彼女は、大きな鍵のような形をした銃を携えて私を背後から狙い撃ってくる。鍵の銃だから、さしずめ鍵銃(けんじゅう)と言った所か。もし、この恥ずかしい戦闘スーツによって人並以上のフットワークを得ていなかったら、私の心臓は彼女の弾丸に撃ち抜かれていただろう。それでも、既に私の体には彼女の放つ弾が掠めた傷跡がいくつも刻まれていた。
それにしても、何故"正義の味方"にここを勘付かれてしまったのか…?
ふと窓の外を見ると、上空を何かが旋回していた。鳥? しかし、白い翼はともかく、その鳥にはトサカがあった。その特徴を持つ鳥といえば、すぐに思いついたのは鶏だ。が、鶏は空を飛ばない。それに、白い体も透き通るように綺麗で―――
そこまで考えて、やっと気づいた。バラックミュートだ。フライ・チキン。空を飛ぶ鶏型のバラックミュート。それが、私達の気がつかない遥か高空から正義の味方を呼び寄せた。私達はずっと前から、既に見つかっていたのだった。
『私がそっちに行くから、少しだけ時間を稼いで』
この状況でも、ゆかりさんの声は冷静だった。
「あの、それよりも……」
と、その時。
「ひっ!?」
弾丸とは別の、何か…恐ろしく速く、長大なものが眼前を駆け抜けた。反射的に体が飛び退く。しかし、突然の事で体勢を崩した私は、そのまま尻餅をついてしまった。
「痛った…」
暢気にお尻をさすってから、私は顔をあげ―――顔から、血の気が引いた。
目の前に、私目掛けて振り下ろされたであろう巨大な剣がコンクリートの床にめり込んでいた。敵は、背後の少女以外にもいたのだ。だが、突き刺さった剣の軌跡を辿り、その得物の主が見えた時、私は目を見開いた。そこには、見覚えのある―――本来こんな所にはいるはずのない人物が立っていたのだ。
「げっ、やれやれ君…!?」
そう、そこにいたのはれんなちゃんのレストランで見かけた、あのやる気のなさそうな男の子…ヒカル君だった。
「…? なんか言った?」
「いえ何も!」
どうしよう。彼が正義の味方だったなんて。もし、れんなちゃんにこの事が知れたら…。
『大丈夫…!?』
携帯越しに、ゆかりさんの張りつめた声が聞こえた。私は彼女に心配をかけまいと、努めて冷静に返した。
「…私なら大丈夫です。それより、ゆかりさん達は早くノイズを見つけてください」
しかし、その言葉にゆかりさんは安心するどころか更に狼狽した声をあげた。
『何言ってるの、あなた1人じゃ…!』
「バラックミュートにももう私達がいる事、バレてます。急いだ方がいいかと」
「でも…!」
「大丈夫です。戦いじゃお役に立てませんが、彼らの気を引いておくくらいなら、私でもできますから」
ゆかりさんはまだ何か言いたげだったが、私はそれを遮るように電源を切った。帰ったら叱られるかも。…帰れれば、だけど。
私には、どうしても助かるという希望が湧いてこなかった。自分でも馬鹿な事をしたと思う。だが、彼らに歯車の起動を妨害されたら全てが水の泡だ。その可能性は、少しでも減らしたい。割にあわない賭けなのはわかっている。下手したら、挟み撃ちにされてすぐに殺されてしまうかも。それでもいい。それで、少しでも早くみらいが元に戻るなら。
私は、へたり込んで投げ出された自分の足を思い切り叩いた。それで、わずかだが足に力が戻る。そして、まだ呆然としているやれやれ君を尻目に走り出した。すぐ後ろで、鍵銃を構えた少女の足音がする。しかし私は、あえてその少女の方に突っ込んだ。少女が一瞬動揺する。それが狙いだった。それでも、動揺したのはその一瞬だけだ。彼女はすぐに鍵銃の銃口を私に向け、引き金を引く。だが、私にとってはその一瞬で十分だった。年甲斐もなく床に体を滑らせ、その第1射をかわす。かわした先に、呆然とする少女の顔があった。そして、目標を見失った銃弾の斜線上には―――やれやれ君がいた。
「危ッ!?」
咄嗟に、床に突き刺さっていた大剣を引き抜くやれやれ君。キン、と金属の擦れあう甲高い音が廊下中に響いた。
狙い通りだった。彼女の攻撃は正確無比だ。だが、正確すぎる故に予測するのは難しくなかった。そしてこれは逃げ回っている最中にわかった事だが、彼女は私の機動力を奪う為か、私の足ばかりを狙っていた。更に、この狭い廊下―――自然と狙いの選択肢は限定されてくる。そして、俊敏さが取り柄の私と違って、重そうな武器を携えているやれやれ君に、流れ弾をかわす術はなかった。
少女が呆気に取られている内に、私は彼女のすぐ右脇にある東校舎への連絡通路に体を滑り込ませた。背後では2人が揉めている声がかすかに聞こえていたが、気にも留めず全力疾走で右に左に通路を縫っていく。作戦は完全に成功した。後は、校内を捜索中のゆかりさんと鉢合わせにならないよう連絡を取りつつ彼らをかく乱していけばいい。何度か少女の銃弾が飛んできたが、校舎の地形も味方してくれる今の私にとって、回避する事はわけなかった。
しかし、私が優位に立てたのはそこまでだった。
「!?」
ゆかりさんに連絡を取ろうと携帯を取り出した私の前に、一陣の風が舞った。いや、風じゃない。やれやれ君だ。彼は、ついさっきまで銃弾を放つ少女の後ろにいたはずだ。それがどうやって? 彼が風を巻いて突撃してくる。見た目からは想像もつかないような、目にも止まらぬ速さで放たれる大剣の閃き。紙一重。咄嗟に、横っ飛びでそれをかわす。それを回避できたのはほとんど奇跡に近かった。私には、何が起こったのかまるで理解できていなかった。そして、私が攻撃をかわした、と認識した時には彼はもう次の動作に入っていた。
まずい―――!
咄嗟に、右足を彼の脇腹に向かって突き出す。高速移動を生み出す脚力から放たれるハイキック。少なくとも、虚をつくには十分な速さと威力のはずだった。しかし、その脚が彼の体を捉えようとした時には、もうそこに彼はいなかった。そして。
「飛車、勅閃斬―――!」
背後から声がした。
普段の私なら、彼が叫んだその痛々しい技名のようなものにこちらが恥ずかしくなっていただろう。だが、この絶望的状況が私からその余裕を打ち消した。
彼が大剣を振り翳す。縦に振り下ろす動作と、横に薙ぐ動作がほぼ同時に見えた。その瞬間、私の体は紙みたいに宙を舞った。
飛車勅閃斬。人には知覚できないほどの超高速で放たれる2発の斬撃。彼の最も得意とする所は、高速移動とそれにそぐわぬ重々しい力を兼ね備えた白兵戦だった。その機動力は、フットワークだけが取り柄の私ですら比較にならないほどの次元あった。
逃げられるわけがなかった。投げ出された私の体は、分厚い鉄の扉を突き破って冷たいコンクリートの床に転がった。
背中が熱い。彼の身の丈よりも大きな刃を、まともに受けてしまったのだ。立ち上がることすらままならない。遠くから、無情にも響いてくる足音。はやく、逃げないと…。しかし、焦りが手足を自由を奪い、思うように動いてくれない。そんな、溺れている子犬のように無様にもがく私の手に何かが当たった。それは、私の携帯電話だった。先ほどの飛車勅閃斬を受けたせいか、縦に大きな亀裂が入ってしまっている。割れた画面の片方には私が、もう片方にはみらいが映っている。それはまるで、今の私とみらいの関係を見せつけられているようだった。亀裂によって隔てられた画面の中で、こちらに向かって微笑みかけるみらい。
「みらい…」
私は僅かな力を振り絞って、みらいに手を伸ばす。しかし―――
「あっ…」
心の支えだったその微笑みも、やがてブラックアウトした画面の中に消えた。
「追い詰めたぞ」
やれやれ君と、少女が迫る。私が吹き飛ばされた先は音楽室だった。辺りを見渡すと、埃をかぶったグランドピアノや打楽器など、使われなくなって久しい多くの楽器達が周囲に整然と並べられていた。しかし、それらがこの状況を打破するのに、何の役にも立たない事は私自身よくわかっていた。扉は、出入り口のひとつだけ。逃げ道はない。
「セカイの調和の為、貴様を排除する。お前達の企みもこれまでだ」
少女は、私との距離を一気に詰めて銃口を突きつける。その距離はわずか10mにも満たない。至近距離。外す可能性は、まずないだろう。
「企みなんてっ…私は、ただ…」
そこまで言いかけて、私の声は銃口から発せられた乾いた音に遮られた。銃弾は、私の脇腹を掠めた。どうやら、話を聞いてくれるつもりはないらしい。少女の表情は研ぎ澄まされ、初めて顔を合わせた時に見せた動揺などもはや微塵も感じられない。私が少しでもおかしな動きをすれば、彼女の鍵銃は今度こそ本当に私の心臓を貫くだろう。助けは……来ない。強がりを言ったばかりに。どう考えを巡らせても、絶望的だった。
―――なんで。
なんで私が、こんな目に。
ふと、そんな事を思った。みらいと世界の運命を天秤にかけなければならない理不尽さに、死の危険が追い打ちをかけたのかもしれない。気がつけば、弱音を吐いていた。
「……妹を助けたいと思うのは、いけない事ですか」
「…?」
訳が分からないという顔をする少女。そりゃそうだ。私自身、どうしてこんな話をしてしまっているのか不思議に思っているのだから。
「私だって、こんな事…したいなんて思ってない。けど…! こうするしか…これしか方法がないから……!」
少し長い前髪がパサリと落ちてきて、目元をくすぐった。その心からの叫びは、自分と、世界に向かって言い訳しているみたいだった。情けなくて、惨めで、涙が出た。
「お願いです…妹を……みらいを、返して。私…これ以上、誰かを傷つけたくない…」
しかし、少女は悲痛な叫びも意に介さぬと言った様子で引き金に指を掛けた。
「…話はそれで終わりか」
彼女にとって最も優先されるべきは、悪の根絶だった。そこに情状酌量の余地はない。そして銃口が、私の心臓を捉えた。
しかしその時、意外なものがそれを阻んだ。
「ヒカル…どういうつもりだ?」
彼女を制したのは、やれやれ君だった。意図を読めず、少女は眉を顰めた。多分、私も同じような顔をしていたと思う。
「君は…他のシャトランジとは違うんだね」
いつの間にか、彼は矛を下ろしていた。でも、私はその場から動けなかった。涙が、必死に保っていた抵抗の意思を洗い流してしまっていた。できるなら、このまま消えてしまいたかった。
しかし、そんな私に白い甲冑の少年は予想だにしない行動を見せてきた。
あろうことか、私に手を差し伸べてきたのだ。あの日、初めて出会った時のゆかりさんと同じ、慈愛の笑みを浮かべて。
「まだ間に合うよ。俺達と、セカイを守る存在…"ピースメーカー"に来ないか」
「え…?」
呆気にとられた。あまりに予想外の反応だった。
「今のでわかったんだ。君は、他人を傷つけるべき人間じゃない。他人を愛するべき人間だって」
「な、何言ってるんですか…? 私、そんな聖人君主なんかじゃありません! あなたたちの仲間…のぞみちゃんって子も、消してしまって……」
のぞみという子の、闇に飲まれた瞬間の顔がフラッシュバックする。
そんな人間を、取り返しのつかない罪を背負った私をみらいが…いや、他の誰であろうと、受け入れてくれるはずがない。
すると、彼はまたもあり得ない反応を見せた。
「のぞみ…? 誰かな、それは」
「えっ…?」
聞き間違いかと思った。しかし、目を丸くしてこちらを覗き込んでいる彼の表情は、それが真実である事を物語っていた。
のぞみちゃんは、本当は正義の味方ではなかったのか。いや、そうではないはずだ。もし違っていたなら、ラビット・ホース達が彼女に従うはずはない。だとしたら、どういう事なのか。
「まさか、じゃあ、あの子は……?」
たったひとつだけ、思い当たる節があった。
ノイズは、多くの人、または大きな想いを持った人の記憶から喪失したモノや場所に生まれる。つまり、ノイズの生まれたモノや場所は、この世界から『元々なかったもの』として消えていく。つまり、そのノイズに体を飲み込まれてしまった彼女は―――。
「全ての記憶から、消された…?」
彼女は、ノイズに蝕まれたモノと同じになった。もう誰も、彼女の事を覚えている人はいない。もう誰も、彼女の事を思い出す事も出来ない。
―――私は文字通り、のぞみをこの世界から完全に消し去ったのだ。
体から、力が抜けた。どうしたらいいかわからなかった。私は今更になって、取り返しのつかない罪、その大きさに気づいたのだ。
「わからないけど…君は何か、自分の中で取り返しのつかない事をしてしまったんだね。それが何かはわからないけど…それでも、俺は君を救いたい」
「私を、救う……?」
彼は、私の手が自分に届くようにしゃがみこむ。そこにあった暖かな笑顔は、もうとてもやれやれ君とは呼べそうにないような、信念と優しさに満ち溢れていた。今の私にとってそれは、どうしようもなく暖かく、眩しいものに見えていた。
「困っている人を救うのが、正義の味方の仕事だから。そして、君は自分の罪に自分で気づいている。だったら、あえてこれ以上罪を重ねる必要なんてない。そうだろう?」
「それは…」
私は、自分の中で感情がはっきりと揺らいでいるのを感じていた。少なくとも、シンが必ずしもみらいを救ってくれるという保証はどこにもない。しかし、彼らの元へ行けば少なくともみらいには会える。その事実が、私の意志を惑わせていた。
「まったく…相変わらずのお人よしだな、お前は」
後ろの彼女が呆れたように首を振った。だが、彼に毒気を抜かれた為か、もう私に対する敵意はないようだった。
「まぁ、私はお前のそんな所が―――」
「え? 何か言った?」
「いや、なんでも」
今なら私も、彼女やれんなちゃんが彼に好意を寄せる理由が少しだけわかる気がした。私は、差し出された彼の掌を見つめた。この手を取れば、悪の組織を離れれば、私はこれ以上の罪から解き放たれるのか。そして、そこにはみらいも待っているはず。
―――気がつけば、私は手を伸ばそうとしていた。
早く楽になりたかったのかもしれない。覚悟なんて捨ててしまいたかったのかもしれない。それほど、私の心は疲弊していた。
私の心が、彼の掌を掴むまで、あと数センチ―――。
だが、その時だった。
「…!」
突如耳を劈く、轟音。そして、粉塵。即座にそれを察知した彼は差し伸べていた手を引っ込めて飛び退く。彼の掌にしか意識の行っていなかった私は、気づくのに遅れてその場で目を伏せた。その煙の中で、誰かの鋭い声が響く。
「あたしはさぁ…そういう人の事情に知った風な口利くヤツが大っ嫌いなんだよ」
それは、よく聞き覚えのある声だった。凛として、静かに響いて、それでいて暖かみがあって。
「れんなちゃん…!」
塵の雪が晴れた時、そこには黒い制服を身に纏ったれんなちゃんの華奢な背中が見えた。
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