第2小節:ノイズ混じりの願い(3)

 少女の手には、シンが持っていたものと同様の形をした、白い歯車が握られていた。黒い歯車がノイズに反応し力を解放するものなら、恐らく白い歯車はノイズを抑制し、世界を修復するものなのだろう。だが、少女は目の前にあるノイズには目もくれず、代わりに動けないでいた私のすぐ傍らにしゃがみ込み、そして顔を覗き込んできた。


「ねぇねぇ、のぞみの話聞いてた?」


 小さな体に不釣り合いな重厚な甲冑を身に纏って、のぞみと名乗る少女は不満そうに頬を膨らませた。私の反応がない事が、お気に召さなかったらしい。


「……っ…く…」


 しかし、言葉を返そうにも口が思うように動いてくれない。この絶望的な状況と、目の前の少女があまりに幼いという二つの衝撃が、私の思考を鈍らせていた。

のぞみちゃんは、しばらくは頬杖をついて私が目を白黒させる様を面白そうに眺めていた。が、一向に返事がない事に飽きたのか、やがてゆっくりと立ち上がった。


「まーいっか!倒しちゃえば同じだね」


―――そして私に、得物を突きつけた。

 螺旋を描くドリルのような刀身に、それにそぐわぬ可愛らしいカーブを描く柄の形。彼女の武器である槍は、さながら傘の意匠を思わせた。

私には、それが悪魔の使いに見えた。しかし、それは本当は私達の事で、世界が賛美するのは彼女達の方なのだ。


「えいっ」


 子供が弱った虫を弄ぶみたいに、のぞみちゃんは無邪気な表情で槍を突き立てた。為すすべもない私は、それをまともに受けてしまう。その槍が、私の太腿を易々と貫く。


「っぐ…!」


 刹那、燃えるような痛みが足から全身を駆け巡った。まるで炎の中にいるかのような錯覚に、私の喉が喘ぎ声を漏らす。そして、その苦しみから逃れようと無意識に槍を掴んだ。


「あのね、のぞみね、セカイに選んでもらって、正義の味方になって、本当によかったって思ってるんだ」


 私が声にならない悲鳴をあげているのをよそに、のぞみちゃんはうっとりとした表情で誰にともなく語り始める。


「だって、のぞみの事を、皆が褒めてくれるようになったんだもん」

「ッ……何を、言って…?」

「正義の味方がワルモノをやっつけたら、みんなが喜ぶんだ。それでみんなが、セカイが褒めてくれるの。頑張ったね、えらいね、って。でも、正義の味方でなくなっちゃったら、誰も褒めてくれない。そうじゃないのぞみがワルい人をやっつけても、皆コワイ顔するんだよ。『苛めちゃいけない、仲良くしなさい』って。そしたら、またのぞみはまたひとりぼっちになっちゃう。だから、のぞみはずっと正義の味方でいるためにワルモノをやっつけるの。それで、また褒めてもらうんだ」


 嬉々として語るのぞみちゃんに、私は狂気を感じていた。

 この少女は、徹頭徹尾自分の為だけに戦っている。"正義の味方"という、居場所を守るために。そこに世界の命運を守護する使命感だとか、誰かを助ける為にという慈愛の意思はない。その本質は、世界を捨ててでもみらいを取り戻そうと戦う私と―――"悪者"と同じものだった。


「だからお姉さんのことも、やっつけるね」


―――私にとって、その笑顔が幽鬼のように見えた。

 のぞみちゃんは、私の太ももから生えた槍を乱暴に引き抜く。その軌跡が弧を描き、赤黒い鮮血がそれに倣う。だが槍が想定外に重たかったのか、少女の体がよろめき、同時に暴れる槍の切っ先が私の頬をなぞった。


「っとと…あっごめんね、お顔にあたっちゃった。大丈夫? 痛くないですか?」


 自覚のない狂気に、背筋が凍った。彼女にとって、正義の味方として戦う事と、他人を傷つける事は同義になっていない。恐らくこの戦いを、ゲームのようにに捉えているのだ。そして、そのゲームに勝ったら褒めてもらえる。その後、その槍に串刺しにされた相手がどうなるかなんて考えてもいないのだろう。理由はわからないが、のぞみちゃんの愛に飢える心は、彼女から正常な判断力を奪っているようだった。

 頬の傷を心配そうに覗き込む少女に、私は掠れた声で叫んだ。


「あのね…お姉さんも、同じなんだ」


 そして、生まれたての小鹿みたいに震える足になんとか力を入れて、立ち上がる。


「負けられないの。大切なものの為に」


 私は、のぞみちゃんを見据えた。のぞみちゃんは、初めてまともに言葉を発した私に対しきょとんとした表情を浮かべていた。


「だからごめん。やっつけられては、あげられないんだ」


 弱り切っていた私の心に、再び意志の炎が灯った。私とのぞみちゃんが戦う理由、その本質は同じだ。この戦いに正義はない。想いと想いのぶつかり合い。ならば、ここから先は想いの強さの戦いだ。私がみらいを想う気持ちの方が強いか、それとものぞみちゃんの居場所を守りたいという想いの方が強いか。正直言って今の私は喋るだけでも精一杯の状態だ。槍を一回かわす事すらままならないかもしれない。それでも、私は決してのぞみちゃんから視線を逸らさなかった。


「そっか…でも、きっとのぞみが勝つよ!だって、"正義は必ず勝つ"からね!」


 その言葉と同時に、のぞみちゃんが長大な槍を振り上げた。私はそれに対し、一歩も動くことなく対峙する。今のこの足の状態では、フットワークを生かす事は出来ない。ならば、受け止めるしかない。例え非力でも、武器を持っていなくても。僅かな可能性があるなら。

 槍が振り下ろされた。私はすべての力を振り絞って、その槍へと腕を突き出した。


―――その時だった。

 何か暖かいものが、私の体を包み込む。次の瞬間、私の体は時計台の前とは別の場所にあった。


「"勝った方が正義"、とも言うぜ?」


 気が付いた時、私はシンの腕の中にいた。彼は、バラックミュート達がひしめく戦場の中を単身突っ切って、のぞみちゃんの振り下ろす槍の中に飛び込んできたのだった。


「シン…!? え、でも、あなたが死んだら皆死ぬんじゃ…!?」


 私には理解できなかった。彼の命は、私達全員の命でもある。その背負った命全てを危険に晒してまで、ひ弱な部下1人を助けようとするなど、本来ならばあり得ない事だ。しかし、この男は違った。


「部下1人救えずして、何が王かよ。俺は、同志を切り捨てるような支配者になるつもりはないぞ!」


 不敵な笑みを湛えて、彼はそう言い放った。その時の彼の横顔は、確かに悪の組織の―――いや、上に立つ者の顔をしていた。


「邪魔しないでよお兄さん、いいところだったのにー。むー、こうなったら2人まとめて…」


 のぞみちゃんは、再び攻撃の態勢に入る。しかし、その体が抵抗を受けて止まった。

 抵抗の正体は、彼女の槍だった。空を切ったのぞみちゃんの槍は、地面に深々と突き刺さり、その場にガッチリと嵌ってしまっていた。


「うーん? ぬ、抜けない…」


 うんうん唸りながら、曲線を描く柄を懸命に引っ張るのぞみちゃん。今なら、力を持たない私にも勝機があるかもしれない。だが、彼女を守るようにして側に控えていたハウンド・ドッグとラビット・ホースが立ちはだかった。


「シン、逃げて…!」


 私は、満身創痍の体で彼の前に立った。目の前のバラックミュートの数は10。深手を負った私を抱えて、庇いきれる数ではなかった。そうなれば、私だけでなくシンとゆかりさんまで死んでしまう。私のせいで、皆が死んでしまうのはごめんだった。

しかし、シンはその場を動こうとはしなかった。そればかりか、待ち受けるように不敵な笑みで彼らを挑発している。そんな事をすれば、余計にバラックミュートを興奮させてしまうだけなのに。案の定、10のハウンド・ドッグとラビット・ホースが一斉に飛び掛かってきた。大地を揺さぶるような無数の咆哮がこだまする。今度ばかりは助からない。私は迫り来る牙を目の前にそう思っていた。


 が、刹那閃光のようなものが私の眼前を駆け抜けた。それだけで、10のバラックミュート全てが弾けて消えた。ゆかりさんだった。

 見れば、時計台の周囲を囲んでいたバラックミュートの姿はもうない。40体以上いたバラックミュート、その全てを彼女はたった1人で全滅させたのだ。


「キング、あまり無理はなさらぬよう…」


 ゆかりさんは、シンに向かって窘めるように言った。私と会話をする時とは違う、儀礼を込めた鋭い声。対して、シンは調子に乗った様子で軽くそれを受け流す。


「何、心配すんなって。俺は不死身だ」


 得意げに胸を張るシン。しかし、ゆかりさんが彼の腕を人差し指でちょんとつつくと、シンは突然飛び跳ねて悶絶しだした。どうやら、私を庇った際、のぞみちゃんの槍が右腕に掠っていたらしい。


「痛ったいだろーが! ショックで死んだらどうすんの!?」

「不死身なのでは?」


 一転、涙目で怒りを露わにするシン。しかしゆかりさんは、特に悪びれる様子もなく視線を明後日方向に投げた。ゆかりさんは、シンの扱いをよくわかっているようだった。


「ご、ごめんなさい。私のせいで…」


 だが、元はといえば彼が怪我をしたのは私の責任だ。私は、素直に謝ろうと頭を下げる。すると、シンはすぐに私の方に向き直り、私の前で両の掌を合わせた。


「すまん!」

「え?」


 私は、彼が何を言ったのか、一瞬理解できなかった。だって、今謝っているのは私の方であって、彼が謝る必要などないはずだから。しかし、彼はそのまま言葉を続けた。


「実は俺、お前の事ちょっと試してたんだ。本当にシャトランジに忠誠を誓う気があるのかどうか。自分から世界に疎まれる悪にになりたいヤツなんてそうそういないからさ。だから、実際はまだシャトランジの力なんて何一つ与えてなかったんだよ」


 私は呆気に取られた。では、身体能力があがったように感じていたのは、単なる思い込みだったのだろうか。そうだとしたら、あんな力が秘められていた自分に驚く。


「だが、ここまでの行動を見ててよくわかった。新人ちゃんは、同志として迎え入れるに足る人物だってな」


 そう言ってシンは、私の肩に手を置く。するとどうだろう。それまでボロボロだった私の服が黒い光に包まれ、そしてその姿を変え始めた。ゆかりさんのワンピースが黒いドレスに変わったように、私の纏っていた服もまた、シンの性質変化の力でその役割を変えようとしていた。


「これで名実共に、新人ちゃんは"新人"ちゃんだ」


 やがて黒い光が晴れ、漆黒の戦闘服が姿を現す。この瞬間、私は正式に悪の大…いや、小組織『シャトランジ』の一員となったのだ。


「……って、なんですかこの服ッ!?」


 直後私は、自分の姿に思わず悲鳴を上げた。私が纏っていた黒い服。それは、ボンテージと水着を掛け合わせたような全体的に露出の多い服で、しかも身を守る為の装甲も肩と胸に申し訳程度にしか添えられていない、おおよそ服とは呼べない代物であった。


「おー、いいじゃん。ちょっぴり大人な雰囲気になったな」

「布地がちょっぴりの間違いでは!?」


 私は前髪を乱暴に梳いて赤くなった顔をすぐさま隠した。私にとって、もはやこの姿は裸同然だった。もしもみらいに見られでもしたら卒倒ものだ。こんな姿にされる位なら、あの恥ずかしい演説をあと50回練習する方が10倍はマシだった。


「も、元に戻してくださいッ!ていうかこっち見ないでくださいッ!」


 私は、できる限り隠せる所を隠しながら懇願した。しかし、シンは頭を掻き困ったような表情をした。


「見ないで直せとか無茶いうなっての…あのなぁ、悪の組織にいる女ってのは、そういうのを着てるもんなんだよ。伝統なの」

「ゆかりさんは違うじゃないですか!」


 私が指差した先には、ドレスを纏ったゆかりさんがいた。彼女のドレスはシックで落ち着いていて、そのまま結婚式に出ても差し支えないと思えるほどのものだった。露出もせいぜい、肩周りと太腿くらいしかない。


「贅沢言うな! お前のそれだって、着てるだけで身体能力が格段アップ!見た目よりも固く身の安全を保障!ついでに周囲の人間に感知されなくなるステルス機能付きで、女湯なんか覗き放題なんだぞ!」

「いや、私覗く前に堂々と入りますので…」

「えっ……新人ちゃん、意外と大胆だな…」

「どういう意味ですかっ」


 そんな風に、私とシンが言い争いをしていると、ゆかりさんが呆れた様子でその間に割って入ってきた。そして、ある方向を指さす。


「男の浪漫について語るのは後でごゆっくりどうぞ。それより、お客様がお待ちです」


 その先に、ようやく槍を引き抜いたのぞみちゃんが待っていた。


「おっと、そうだったな。よし、こっからはもう俺が手を出さなくても大丈夫だろう。2人でさっさと決めてこい!」


 そういってシンは、私とゆかりさんの背中を同時に叩いた。この格好についてはまだ言いたい事が山ほどあるが、今はやるべき事をやる。私の想いを貫く為に。そして、私を信じてくれた彼とゆかりさんに応える為に。


「そういえば…私も、黙ってた事がひとつだけあります」


 背中越しに、私はシンに向かって語りかけた。


「実は私、悪の組織に忠誠を誓うつもりなんてこれっぽっちもありません。…助けたい人がいるんです。例え、世界を壊してでも」


 私は、真実を打ち明けた。彼が私を信用したように、私もまた彼を信用しての決断だった。


「…そうか」


 シンもまた、それを最初から知っていたかのように特に驚きはしなかった。


「ま、俺たちゃ"悪者"だからな。それくらい捻くれてる方が、ちょうどいいってもんだ」


 背中越しに聞こえてくるシンの声は、いつも通りの能天気な声だった。私は、心の中で彼に感謝した。


「ねぇねぇ、もうお話終わった? もう待ちくたびれちゃったよ」


 退屈そうに槍を振り回し、弄ぶのぞみちゃんと向き合う。彼女にも、今の私のように1人でも信用できる人間がいれば、あんな風に狂気に歪む事はなかったかもしれない。だが、今の私は彼女を助けてあげる事は出来ない。なぜなら私は、自分の為―――私のみらいを取り戻す為にしか戦えない悪で、決して誰しもに手を差し伸べる正義の味方ではないから。だからせめて、私が勝つ事で彼女の思考を歪ませたゲームを終わらせる。それが、のぞみちゃんに対して私ができる、せめてもの救済だった。

私は、隣に立つゆかりさんに視線を向けた。それから、お互い合図をするように頷く。


―――戦いが始まった。



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