第120話/現魔王の……

第120話


 俺の夜目が、はっきりと敵の存在を認めていた。


 呼吸が、止まる。

 周囲の音が、掻き消える。

 俺を殺す気がない、なんて愚考が……恥ずかしくなる。


 俺の喉元を……人間によく似た右手が、獣じみた握力で絞めつけていた。




「「「!! ツヨシイイイイイィィィィィ―――!!」」」




 オッサンヌコ族達が怒号をあげ、俺からツヨシを引き剥がそうと飛びかかってくる。だがツヨシの……深緑の魔力がそれを許さない。

 彼の背中に漂う魔力が厚みを増し、まるで磁石の反発のようにオッサンヌコ族達を弾き返したのだ。


 それも、イカダから水中へ転落どころの威力ではなく。オッサンヌコ族達の体は、それぞれ地下水道の壁にぶち当たり、壁の一部を粉砕させた。


「おっと。俺様としたことがつい力んでしまったにゃ。あまり同族殺しはしたくないんだがにゃ」

「……、」

「まぁヤツらはさっきの水攻めでテメエと仲良く逝っちまうはずだったにゃ。一度殺したと考えれば、さほど俺様の心も痛まないにゃ」

「……、」

「しっかし、理解できんのにゃ。ここまで来る道中、俺様は同族から妨害行為を受けまくったにゃ。そんだけ……そんだけテメエの命を護る価値が、あるのかにゃア?」

「……、がっ!?」


 ツヨシが俺の首をさらに絞めつけていく。

 俺は両手が使えないので抵抗できない……!


「にゃはは。テメエを生かす価値なんてな、これぽっちもあるはずがないんだにゃ。テメエは今、この俺様に殺されようとしてて……俺様の方が圧倒的に強いんだからにゃア?」

「あ。あが。があっ……」

「テメエは俺様より弱いのに、どうして次の魔王になれるんだにゃ? だいいちだにゃ。テメエが魔王最有力候補だと目されてんのは、単にテメエがだからだろうがにゃ」


 …………は!? 

 この俺が、現魔王の息子、だと……(衝撃)!?


「苦しみながら何を驚いてるにゃ。テメエは現魔王の息子で……人間族とドラゴン族のハーフなのは、昔から結構噂されてたにゃ。姿―――それがツキシド、テメエのはずだにゃ」


 ま、まさかツヨシは知ってたのか!? 

 現魔王が人間族であり先代の魔王を倒した伝説の勇者であることも!? 

 これは予想外だが……し、死ぬッ!


「俺様がテメエを殺せば、魔王最有力候補の称号はナクコに移るにゃ。そしたら逃げたヌコ族も手の平返して帰ってくるにゃ。次の魔王に最も近いヤツ。ソイツにすり寄ってくのは、弱者の習性だしにゃア?」


 ツヨシが会心の笑みを俺に向けてくる。

 自分の描いたシナリオ通りに事が進んでいると、いかにも満足げだ。


「さァ、テメエはオネムの時間だにゃ。俺様がナクコと入れ代わる前に、死んでもらうにゃ」

「! な……ク……こォ……」

「にゃはは、アイツに呼びかけてもムダにゃ。あと二分は俺様のターンだにゃ。そう、テメエのヤバい死に顔を観察する余裕すら、俺様にはあるん、」


 とその時。

 ツヨシの唇が半開きで固まり、耳がピクリと動いた。


「にゃるほど、よく分かったにゃ。……テメエらは平穏な日常を取り戻したくないんだにゃ? テメエらが本当に欲しいのは……、だにゃア!?」




「「「ふんにゃアアアアアアアアアアアア―――!!」」」




 突如イカダが持ち上がったかと思うと、水の中に潜んでいたらしい何十匹ものヌコ族達が一斉に現れ、イカダを転覆させていく!


 その最中、ツヨシが俺の首から右手を放すと、水面に浮く粗大ゴミの上へ飛び移った。


「にゃは、にゃははは! とことん諦めの悪いヤツらだにゃ!! そんなに俺様から絶望が欲しくてたまらんのかにゃア!?」

「絶望するのは貴様の方だにゃ、ツヨシ!」


 他の粗大ゴミへ着地するヌコ族達。

 彼らはボロボロの体になりながらも敵意を露わにしてツヨシの前に立ち塞がった。


 ちなみに俺は、


「んぼっ、あぼっ!?」


 ……はい、一人で溺れております(非情)。


 俺が必死に足をバタつかせては口をパクパクさせているのにもかかわらず、ヌコ族達はまるで俺の存在ごと忘れているかのように気づいてくれなかった。

 恐らくはツヨシに全神経を研ぎ澄ませているせいだろう。


(けど俺が溺死したら元も子もないんだがっ!? 誰も気づいてくれないとか酷すぎる!!)


 そんな犯罪級のヘマしたヌコ族達に、俺は『死んだら全員呪ってやるからな!?』なんて風に恨まずにはいられなくなっていると、


 俺の両手の拘束が解けた。


「……、おぉ?」


 俺は期せずして自由になった手を伸ばし、粗大ゴミに掴まった。

 ……これはいわゆる火事場の馬鹿力だろうか?

 無意識に発揮されたのかもしれない。きっと恨みのパワーだ。


 とにもかくにも、自力で溺死の難から逃れることができた。

 俺はヌコ族達の戦いを見届けるつもりでその場に留まる。


 強力な魔力が扱えるツヨシが負けるとは思えないが、この場にヌコ族達が結集しているし、彼には俺を殺す時間がほぼ残されていないと言える。

 だから彼は―――。


「いいにゃ! ツキシドの代わりにテメエらを一匹でも多く殺す! 死んだヤツも生き残ったヤツも後悔するがいいにゃア―――!!」


 開き直ったような言葉と同時、ツヨシの深緑の魔力が膨れ上がっていく。

 さらに魔力は彼の頭部から生えるように、一つの巨大な形シルエットを成していった。


 それは、ライオンだった。


 筋骨逞しい四肢に、炎の揺らぎにも似たたてがみ。

 邪悪なまでに歪な目鼻立ちは、敵対するヌコ族達を大いに威圧していた。


「どうだにゃ? これが俺様のトッテオキだにゃ。現魔王を倒すために、わざわざこんな魔力操作を編み出しておいたんだにゃ。もちろんザコのテメエらがコイツになぶられたら、だにゃア……」


 即死、だと!? 

 そんなの反則じゃないか! 

 武装したところで他のヌコ族達の勝ち目はゼロだ!


「ナクコに戻るまであと九十秒ってところかにゃ。にゃはは、超絶楽勝だにゃ。魔力コイツのデカさと俺様の卓越した身体能力があれば、追い込み漁みたいにテメエらの逃げ場を潰せてしまう」

「ぐっ! ぼ、僕らは貴様に負けるわけには……!」


 ライオン型の魔力に圧倒され、ヌコ族達が完全に怖気づいてしまっていた。

 それがツヨシにも見て明らかだったのか、彼は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「奇跡なんて起きないにゃ。少なくとも、テメエらが根性論で俺様をどうにかしようとしてる内はにゃア?」


 ツヨシが頭を下げ、中腰になる。

 今にもこの地下水道で暴れ回らんとする体勢だ。


 俺は首の痛みを感じつつ唾を呑み込んだ。

 非常に悔しいが、俺にはヌコ族達を助けてやれない。

 ……力がないからだ。


 俺は無力だ。

 前の世界と同じだ。誰かに頼ることしかできない―――。


「にゃはは。無力なテメエらはな、大人しく神に祈っとけばいいんだにゃ! そう、もはや神の降臨以外に、この俺様は止められないんだにゃアアアアア!!」


 豪語するツヨシに、他のヌコ族達が戦意喪失し、俺も絶望感を抱いた。


 だが。

 まさにその直後だった。




「そっかー。じゃああたし神様なんで、君にエアキャノン撃っとくお♪」




「にゃ!? ぶにゃアアアアアアアアアアアア――――!?」


 声が降りかかった時点で手遅れだったようだ。


 不意にツヨシナクコの体が魔力ごと吹き飛び、水面をまるで跳ね石遊びのように、どこまでも駆け抜けていった。


 やがてドボォォォン、という音が微かに聴こえ……彼の姿は、闇の中に消えた。


「「「……??? 何が起こったんだにゃ……?」」」


 謎の急展開に呆然としているヌコ族達。

 だがまぁ理解できないのは無理もない。


 俺は頭上、橋があった手前の歩道を仰ぐ。そこには案の定、ドヤ顔のアリスが『えっへん!』と、無い胸を張って立っていた。


 ……なるほど。

 ツヨシがフラグを立たせたせいで、本当に神様がご降臨してしまったんですね。

 こんな呆気ないオチ、正直俺にもよく分かりません……(奇跡)。

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