第10話 剣術勝負

 着替えを済ませた小泉警部補、漆間巡査部長が玄関ホールに現れた。

 冷たい大理石の床には、すでの2人の若者が準備を終えて待っていた。

 北大路威宏たけひろが2人を紹介した。

「青年部の武術部に所属している佐久間と池田です。大学まで剣道部で活動し、今は教団内で時々鹿島神流の師範を招いて技を磨いています。必要に応じて、教団幹部の警護も務めます」

 佐久間と池田が揃ってお辞儀した。

「未熟者ですが、よろしくお願いします」

 言葉とはうらはらに、かぐやには、2人から並々ならぬ剣精が立ち昇っているのが見て取れた。

 一方の今泉警部補、漆間巡査部長も、いつもと違って完全に武術家の凜々りりしい顔になっている。いい勝負になりそうだった。

 初めに、漆間巡査部長と佐久間が立ち会った。

 2人は片膝を床に着け、立ち膝で上体を起こした蹲踞そんきょの姿勢から立ち上がり、互いに青眼の構えに入った。

 剣先がわずかに震え、せんを取ろうと相手を威圧する。

 せんを取って一気に打ち込むのか、せんせんを取って相手の動きを見切って打ち込むのか、数秒間の息詰まる駆け引きが始まった。

 動いたのは、慈愛党の佐久間であった。脚力を生かして瞬時に間合いを詰め、左右に激しく打ち込む。

 漆間巡査部長は、竹刀で激しい打ち込みを防ぎ、ほとんど脚を動かさない。

 佐久間の竹刀の先がアメ棒のように曲がっては戻る。打撃音がコンサートホールのような玄関ホールにこだました。

 両者は左へ30度ほど移動した。そこで、間合いを広げた佐久間に対して、漆間巡査部長が竹刀の剣先を巻き込みながら、小手打ちに出た。

 佐久間は動じず、竹刀を擦り上げてかわして、面打ちで応酬する。

 しかし、漆間巡査部長の体はすでに移動しており、佐久間の竹刀はかすかに面を擦るだけであった。

 小さな動きであっても、筋力が集中して出すエネルギーはすさまじい。

 佐久間は、長引けば不利と判断したのか、さらにエネルギーをめて一気に連続の打ち込みにきた。受け止めるだけでも、並みの剣士なら足下がふらつくほどの威力である。

 そして、漆間巡査部長が左右の痛撃をかわし、体勢を整えようとした瞬間を狙って、ひときわ伸びる竹刀が正中線上の面を狙って打ち下ろされた。

 佐久間、渾身こんしんの一撃・・・

 だが、漆間巡査部長の面を捉えるわずか数センチ手前で、漆間巡査部長の竹刀が佐久間の竹刀を受け止めた。意図的に受けを遅らせたのである。

 佐久間は、決めにいった一撃のためにほぼ両腕が伸びきっており、脚は間合いから抜け出すように動いていた。

 がら空きの佐久間の胴に、真横から回し込まれた漆間巡査部長の竹刀が叩き込まれる。

 竹刀が空中に美しい弧を描き、佐久間の脚が止まった。

「一本!お見事!」

 漆間巡査部長の見事な、瞬速の「面返し胴」であった。

 礼を交わして、2人は分かれた。

 次の立ち会いは、小泉警部補と池田である。

 青眼の構えのまま、2人はかなりの時間、動かなかった。

 互いに隙がなく、打ち込みができない。

 気迫を込めた小手の打ち合い、躱し合いが始まった。「小手抜き小手」「小手擦り上げ小手」の応酬である。それは、見た目には小さな動きであるが、激しく消耗する攻防戦である。

 池田の剣は、正中線を護る構えが崩れない、堅い剣であった。

 打突だとつも振りが鋭く、小さい。最も攻めにくい相手といって良かった。

 密度の濃い攻防が続き、さすがに両者の息が上がってきた。

 せんを取るタイミングにも、微調整が必要となってくる。動きがともに慎重になった。

 今泉警部補は剣先を数センチ下げた。誘いである。

 その動きを先を取る動きと見て、先の先を取るために、池田が竹刀を左肩に担いだ。

 一瞬隙があるように見せて、相手の意表をつき、小手から面を狙う「担ぎ面」の動きである。高段者同士の立ち会いでは滅多に使われることのない技を、池田はえて使って勝負に出たのであった。

 しかし、池田の攻撃を予測したかのように、今泉警部補は、伸びてきた池田の竹刀を上から軽打して制すると、間髪いれず諸手突きを繰り出した。目にも止まらぬ早技である。

 まっすぐに喉を突かれた池田の体が後ろにのけぞり、大きくバランスを崩した。

 突き技は激しく動く相手のわずか数センチの的に当てる、最高難度の技である。その分、正確に打突すれば、破壊力はきわめて大きい。防具を着けていても、喉の骨に損傷を及ぼすことすらある。

 今泉警部補は、瞬時に竹刀を引き抜き、残心を取った。

「突き、一本!」

勝負は終わった。

 面をはずし、今泉警部補は顔全面に浮かんだ汗を拭き取った。

 教団代表の北大路公威が、感心したように声を掛けた。

「さすがです。2人ともお強い」

「いえいえ。青年部のおふたりも強い。こちらは紙一重でした」

「ご謙遜を・・・さて、彼らは役に立ちますかな」

「そうですね、危険を承知の上であれば、警護に加えていただいてもかまわないかと」

「警察の方では警護をどのようにお考えですか・・・息子はただの副代表で、党の方では公務についていません。私人の警護にはあまり人をけないのではありませんか?」

「事態が事態ですから、本部か千葉県警からの護衛は出せると思います。それ以外に、わたしか漆間のどちかがお供しようかと考えています」

「そうしていただければありがたい。安心して息子を送り出せます」

「いえ、相手の正体がわからない以上、油断はできません」

 そこへ、息子の威宏が話に割り込んできた。

「父さん、お話中すみません・・・あの、有紗・・・いや中園さんは何か武術を?」

 北大路公威は、中瀬一佐とかぐやに顔を向けた。

「中園さんは、文官なのでは?」

 中瀬一佐は、こともなげに答えた。

「いえ、中園三尉は、わが防衛省で最高の遣い手です。だからここへ連れてきました」

 北大路公威が驚きの声を上げた。

「本当ですか、それは・・・わたしは、中園家の大事なお嬢さんとしての有紗さんしか知りません。まさか、あのおとなしいが・・・」

 威宏が口をはさんだ。

「でも、運動神経は抜群だったよ。足は学年で一番速かったし、鉄棒も一番うまかった。男にだって負けなかった。よく先生が県や地区の大会に連れていってたよ」

「それにしても、とても想像がつかない・・・」

「試してみますか?」

 中瀬一佐の声は幾分楽しげであった。

「えぇ、ぜひ、お願いします」

「僕も、見たいな、有紗の武術」

「中園三尉、後は任せるよ」

 かぐやは立ち上がって羽織はおっていたコートを脱いだ。指令となれば、いたしかたない。

 長命寺で修行をするつもりで着込んでいたボディスーツが露わになる。

 男たちの目が、かぐやの体の美しいラインに釘付けになった。

 かぐやは、男たちの注ぐ視線を無視し、小泉警部補、漆間巡査部長に呼びかけた。

「では、二人で・・・めんは付けなくてけっこうです。わたしは今日は素手ですから」

 小泉警部補と漆間巡査部長は顔を見合わせた。

「では、われわれも素手で」

「いいえ、竹刀をお持ちください。先ほどお二人の剣さばきを見せていただきました。その分のハンディということで・・・」

「本当ですか?われわれ2人相手に、素手で?・・・」

「どうぞ、遠慮なく打ち込んでください」

 かぐやのうちには、沖縄の旧海軍司令壕で闘った双子の剣筋がはっきりと残っていた。先ほどの教団青年部と闘った小泉警部補と漆間巡査部長の剣筋も、一連の動きの中でほぼ完全に把握できていた。

 ホール中央に進み出た2人は、それぞれ斜めにかぐやに向き合った。

「行きます」遠慮がちの、漆間巡査部長の声であった。

 気迫が感じられない。これでは、かぐや相手に勝機を見出すのは不可能である。

 だが、漆間巡査部長は、まだかぐやの真の実力を知らなかった。そのため、華奢な見かけに惑われてしまったのである。

 漆間巡査部長は、竹刀を中段に構えようとしたが、無意識のうちに緩みが生じた。

 かぐやがそれを見逃すはずがなかった。

 漆間巡査部長の目に、竹刀の左右にかぐやの姿が映った。

 えっ・・・なぜ、2人?・・・

 慌てて剣先の左右を見直した時には、かぐやの姿は視界から消えていた。

 しまった・・・どこだ・・・

「あぅ・・・」手首の経穴を突かれた漆間巡査部長は、両腕の力が一気に抜け、竹刀を保持することができずに床に落とした。

 竹刀の床に転がる音が、玄関ホール全域に響き渡る。

 漆間巡査部長は唖然として、足下に転がる竹刀を見つめるしかなかった。

 刀を落とすなど、剣の求道者として恥辱以外のなにものでもない。

 小泉警部補は、漆間巡査部長を攻めているかぐやの左後方に迫ると、袈裟けさがけに竹刀を振り下ろした。かぐやの肩口を狙ったのである。

 だが、竹刀は空を切った。

 手ごたえのなさに、さらに踏み込んで躊躇ちゅうちょなく両手の拳そのものを突きだした。相手に竹刀があれば、鍔競つばぜり合いになる距離である。

 華奢なかぐやを力でねじ伏せる意図が見られた。

 小泉警部補の両手首は竹刀を握ったまま、吸い込まれるようにかぐやの正中線に入っていった。

 しめた、捉えた、と思った小泉警部補は背後に人の気配を感じた。

 誰だ?・・・まさか・・・

 この接近した間合いで、このわたしが、裏を取られたのか?・・・

 馬鹿な・・・学生チャンピオンのわたしが・・・

 こうも易々やすやすと・・・

 かぐやの円環術は、髪の毛一筋の間隔で小泉警部補の体を躱して、ほぼ真後ろに回っていた。

 いかに力強い打突であっても、かぐやはまるで速さを感じない。伊波師夫の神速に鍛えられた感覚からすれば、スローモーションの動きに等しかった。

 振り返る時間はないと判断し、小泉警部補は竹刀を巧みに回転させ、腰溜めに後ろへ突きだした。

 かぐやは、ふわりと剣先をかわし、両手で小泉警部補の腕と背中に円を描いた。

 内功を込めて、経穴を連打したのである。

 小泉警部補の両腕が麻痺して、竹刀が床に落ちた。

「うぐっ・・・」

 両腕と上体を制せられた小泉警部補であったが、何とか両足を踏ん張り、左肩を腰の回転で勢いよく回して接近しているかぐやに体当たりしようとした。

 しかし、かぐやの体ははるか空中にあり、大きく弧を描いて数歩の間合いに柔らかく着地した。

 小泉警部補は恥も外聞もなく突進した。竹刀は失っているが、剣道の「飛び込み技」のような捨て身の攻撃である。

 だが、直線の単純な動きなど、かぐやには通用するはずがなかった。

 かぐやの体が1回転、2回転し、3回転目には、再び、小泉警部補の背後に回っていた。

 小泉警部補が振り向く間を与えず、かぐやは身をかがめて小泉警部補の腰部を突いた。

 バランスを崩されたのと、正中線の経穴を突かれたため、小泉警部補は前のめりに倒れた。

 華麗な舞を舞うような、かぐやの二の円環術であった。

 周囲の男たちの視線は、今度は、その舞の美に魅せられた。

 小泉警部補を制したかぐやは漆間巡査部長に顔を向けたが、漆間巡査部長はすでに戦意を失っており、手首をさすりながらかぐやの卓越した円環術に見惚れていた。

驚きと称賛がないまぜになっているような北大路親子を、中瀬一佐は満足そうに眺めた。

「どうやら、勝負はあったようですな・・・」

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