第9話 幼馴染

 佐倉市は千葉県北部にある人口17万人の都市である。東京都内から約40キロという距離から、約20パーセントの市民が都内へ通勤している。こうした通勤者は、バブル経済期に急増し、千葉都民などと呼ばれていた。

 かぐやが乗るランエボは、佐倉城址に近づいた。

 鎌倉時代からこの地はさまざまな変遷を経て、江戸時代に堀田家の所領となった。そして、老中首座にまで登りつめた堀田正亮まさすけが11万石となり、城下町として栄えた。

 佐倉城址を包む林を回り込むようにして、かぐやは目的地に着いた。

 緑の濃い地域である。

 その緑の覆いを縦長に切り取ったような広大な敷地に、慈愛党の本部はあった。

 全体としては質素なたたずまいであるが、各所に贅を凝らし、信者たちに威を示す構造体は見事であった。

 ナビの地図によれば、本部の奥に垣間見える大社造り風の建築物が、慈愛党の母体となっている宗教団体「いつくししみの教え」の総本山である。こちらは、党本部の堅牢な門構えとは別の出入口となっているらしい。

 門衛に名を告げると、電動のゲートが開いて、かぐやはランエボを敷地内に乗り入れた。 

 300台は収まるであろう駐車場の奥まで進んで、車を停めると、すぐに建物から若い男が出てきた。

「お待ちしておりました。お連れの方はつい先ほどお着きになられました」

 髪を短く刈り上げ、さっぱりした好青年である。

「ご案内いたします。こちらへ、どうぞ」

「お願いします」

正面入口の大きな扉が観音開きに開けられると、床が大理石貼りになっている玄関ホールが広がり、奥にはたっぷり幅をとった階段が正面から左右に分かれていた。

 まるで、ヨーロッパ貴族の屋敷のようだと、かぐやは思った。

 おそらくは、ここへ信者、党員を集め、階段中程にある踊り場をステージのように使って説教をべるのであろう。

 青年は階段を上らず、一階のフロアを左に進んで彫刻の施された木製扉に向かった。

 扉には貴賓室というプレートが懸かっている。青年は、扉をノックして、ゆっくりと開けた。

 豪奢な応接セットに腰を下ろしていたのは、6人。

 顔を見知っているのは、中瀬一佐、小泉警部補、漆間巡査部長。

 テレビや新聞で見たことがあるのは、慈愛党幹部の川元恵一国土交通大臣。

 残りの2人は・・・

「・・・有紗・・・有紗じゃないか・・・」

 2人の内の1人が、驚きの声を上げながら席を立ち、かぐやに近づいてきた。「そうだよね、君だよね・・・」近づいた男は、かぐやが後ろに下がろうかと思うほど、接近した。

 この男の面影・・・かぐやの記憶も甦ってきた。

威宏たけひろ・・・北大路威宏・・・小中学校の同級生・・・

「僕だよ、僕・・・威宏だよ・・・北大路威宏・・・。忘れてないよね」

「ええ、覚えています・・・」

 父母の事件から訓練所アスラムでの5年間、そして特殊工作員としての2年間、ずっと過去を封じ込めて生きてきた。そのため、こうした記憶を掘り起こすには少し時間がかかった。

 だが、きっかけさえつかめば、当時の記憶は鮮明に思い浮かぶ。

「良かった・・・父さん、中園家の有紗ちゃんだよ」

 北大路威宏がもう1人の男を振り返った。

 その男もまた、初対面ではなかった。

 北大路公威きみたけ、威宏の父親であり、子どもの頃遊びに行った北大路家で何度か顔を合わせたことがある。

 「それは奇遇ですね。まさか、中園さんのところのお嬢さんとは・・・さぁ、こちらへどうぞ」

 父親が手で招いたのを見て、威宏はかぐやを応接セットに導いた。

 中瀬一佐は表情を崩さなかったが、漆間巡査部長は意外な成り行きに驚いている様子であった。小泉警部補は、北大路威宏が親密そうにかぐやに接するのをみて、複雑な表情を浮かべていた。

 かぐやが1人掛けの椅子の前に来たのを見て、中瀬一佐が口を開いた。

「お知り合いのようですので、詳しい紹介は省きますが、今回の捜査に加わっているわたしの部下の中園三尉です」

「驚いたなぁ・・・」声を上げたのは、かぐやのすぐ隣に腰を下ろした威宏である。「あの頃から気の強いところはあったけど・・・まさか、自衛官になっていたとは、想像もつかなかった・・・」

 北大路公威が、威宏の言葉を遮った。

「・・・威宏、積もる話があるのはわかるが、後にしてくれると嬉しいのだが・・・」

「父さん、ごめんなさい。あんまり嬉しくって、つい・・・」

 鷹揚おうように頷いて、北大路公威は居住まいを正した。慌てて、威宏も座り直す。

 小泉警部補は、黙って座っている川元国交大臣に顔を向けた。

「大臣、お変わりはありませんか。何か、危険を感じられるようなことは?」

「今のところ大丈夫です。基本的に国会とこの政党本部の往復しかしていませんし、ここは警備も最新鋭のものが設置されております。あれ以来、警察の方の人数も増やしていただきましたから」

「それならいいのですが、何ぶん、犯人の目星が皆目つかない状態ですから」

「それについて、ぜひ、お知らせしたいことがあります。今日、わざわざお呼び立てしたのは、そのためです」

「といいますと」

「実は、この教団代表のご子息である威宏様が襲われました」

 中瀬一佐、小泉警部補、漆間巡査部長、かぐやの視線が威宏に集まった。

「それは、大変なことでしたね・・・お怪我は?」

 威宏が両腕を広げた。

「見ての通り、無事です。膝と肘を少し擦りむきましたが・・・」

「・・・その、襲われた場所と時間を、教えていただけますか?」

「この本部建物の奥にある教団総本山で、昨夜9時過ぎです」

「どのような連中に襲われたのですか」

「黒づくめで、マスクを掛けた7,8人の大男でした」

 小泉警部補と漆間巡査部長が、身を乗り出した。和田家を襲った黒服の男たちと人相、風体が一致する。

中瀬一佐が、北大路威宏に声を掛けた。

「それにしても、よくご無事でしたね」

「危ないところでした。夜の勤行ごんぎょう、お勤めに行こうとして建物の入口を開けると、突然、暗闇に突き飛ばされて転びました。ここ最近の事件のことは知っていましたが、まさか僕が、と思いました。でも、振り向いて見たら、明らかに殺意を感じたので、転がったまま幹部専用エレベーターへ乗り込んで非常ブザーを鳴らしたのです。エレベーターが一階に止まっていて、すぐに開いたので助かりました。総本山の非常ブザーは全山に鳴り響き、赤色灯が点滅します。おそらくは、その警報音で逃げたのでしょう」

「監視カメラはありますか?」

「エレベーター内と、建物の内部と外にもあるはずです」

「早速、チェックさせていただきます。漆間巡査部長・・・」

 はい、という返事とともに立ち上がった漆間巡査部長は席を離れ、電話をかけ始めた。

 これから合同捜査本部から、専従捜査員が多数派遣されるに違いない。

 小泉警部補は、教団代表の北大路と国交相の川元に向き直った。

「奥の総本山を含めて、ここの警備をさらに強化します。わたしたちは監視カメラを分析し、犯人グループの割り出しに全力を上げます」

 教団代表は、息子の威宏に目を向けた。

「実は、困った問題がありまして・・・この威宏が、明後日、京都に行かなければならないのです。本来はわたしが出向く用事なのですが、わたしは持病を抱えておりまして、体調がすぐれないのです。キャンセルできる用事ならいいのですが、多くの信者たちが待っており、それは難しいのです」

「困りましたね・・・護衛をお付けしましょう」

「わたしどもの方も、青年部から同行者を4人ほど選びました」

「かなり危険だと思われますが、大丈夫ですか?」

「教団を護るためには、仕方ありません。すべて警察の方にお願いして、万が一のことがあった場合、教団は何をやっていたのか、ということになりかねません。それに、こうした法難に備えて日々鍛錬を積んでおります」

「武術の心得があると?」

「剣術です。ご存じのように、ここ千葉は古来より武道が盛んな地でありまして、さまざまな剣豪が生まれました。そして、鹿島流の流れを汲む、さまざまな剣術、長刀術が伝えられています」

「それは、一の太刀を編み出したという不敗の剣聖、塚原卜伝ぼくでんですか」

 塚原卜伝は、39度の合戦に参加し、19度の真剣勝負に一度も負けなかったという。

「よくご存じです。剣の心得がおありですか?」

「わたしも、漆間も、剣道を得意として、警視庁で鍛錬しています。古い話ですが、わたしは大学剣道選手権で優勝、後輩の漆間は3位になったことがあります」

「それは、心強い・・・よろしければ、うちの4人の腕前、お試し願えませんか?使い物にならなければ、同行者を考え直さないといけませんから」

 小泉警部補は、迷う表情を浮かべた。

 すでに電話を終えていた漆間巡査部長は、やる気を見せた。

「先輩、僕が相手をします。大丈夫、けがをしないようにやります・・・防具をお願いできますか。先輩、どうでしょう?」

「それなら、わたしも1人、お相手します。そちらからも1人ずつ出していただけますか、4人全員となると大変なので」

「わかりました。早速、用意をさせましょう」

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