第6話 文京区の惨劇

 かぐやがランエボを警視庁に乗り付けると、寒風の中、小泉警部補がわざわざ出迎えに来てくれていた。どこか違う部屋に案内されるのかと思ったが、案に反して、小泉警部補がかぐやを連れていったのは前回と同じ部屋だった。

 ただし、前回訪れた時には殺風景な部屋だったが、今回はホワイトボードが2台と、液晶プロジェクターが1台持ち込まれ、写真やメモ、地図を張り巡らし、中央には事件のあらましが書き込まれてずいぶん賑やかな部屋になっていた。

 どうやら、警視庁のこの部屋は、臨時の合同対策室に決められたらしい。

部屋の中には、中瀬一佐、漆間巡査部長が待っていた。

 中瀬一佐は、かぐやに椅子を勧めた。

「衆議院の予算審議は止まったままだし、どこもかしこもマスコミだらけ、日本中が大騒ぎだ。内容がわかりやすくてスキャンダルがらみだけに、この前の沖縄独立問題の時よりもはるかにひどい。ここでも詳しいことを教えろと記者たちがうるさいし、夜駆け朝討ちで自宅にまで押しかけてくるから、警察幹部たちは帰宅もままならないらしい」

「国中が大変なことになっていますね」

「総理大臣が予算委員会中に倒れ、文部科学大臣が愛人と殺された。その上、今回は大物中の大物、財務大臣兼副総理、和田文悟だからな」

「場所はあそこですか?」かぐやはホワイトボードに張られた地図のマークを指さした。

 漆間巡査部長が立ち上がって、地図に近づいた。

「東京都文京区力石りきいし、ここから皇居をはさんで真北にあたるところです」漆間巡査部長はメモを見た。「近くには、東京大学大学院理学系研究科附属植物園、通称、小石川植物園がある閑静な住宅地です。マンションやアパートも多いのですが、和田大臣の自宅は、周りの邸宅の二十軒分はあろうかという広い敷地をもった豪邸です」

「宇都宮の豪商、和田商店の江戸屋敷だからな」中瀬一佐も知っている名家らしい。

「そうです。生糸、綿織物で財をなし、明治時代に入ると銀行業で大成長を遂げました」

 かぐやは、小泉警部補に質問をした。

「副島文科相の事件を受けて、政府要人の警護は、最高レベルに引き上げられたのでは?」

「確かにそうです。しかし、この屋敷は何しろ広く、ほぼ全体が道路に面しています。監視カメラはありますが、素人目にも設置場所が丸見えですし、プロ相手の警護となると弱点だらけです。そもそもが、政府要人とはいえ、個人を狙うテロや暗殺者から身を護るような警備を想定していないのです」

「殺されたのは、大臣一人ですか?」

「いいえ、警護の警官4名。大臣の個人秘書1名、書生1名。奥様は宇都宮の自宅で過ごされていて無事でした」

「また、凶器は日本刀ですか?」

 小泉警部補は困惑したような表情で、首を振った。

「後で写真を見せますが、まるで違います。大臣たちはすべて、撲殺されたのです。死体検案書を見ても、刀傷は皆無でした。全員が、殴り殺されたのです」

 かぐやには、小泉警部補が困惑している理由が理解できた。

「画面をご覧ください。防犯カメラの映像です」

 ホワイトボードに液晶プロジェクターからの画像が映し出された。再生待ちの記号が出ている。

 漆間巡査部長がすかさず壁際に行き、照明を暗くした。

「犯行推定時刻は午後8時、和田家の防犯カメラは破壊、またはライン切断がされていて画像は残っていないのですが、近所の米穀店、コンビニの防犯カメラに実行犯と思われる人物が一部写っていました」

 夜の暗さもあってかなり不鮮明な動画が再生された。

 先頭をかなり細身の人物が相当のスピードで歩き去る。後ろから8人の大柄な人物が同じスピードで画面を横切っていく。いずれも真っ黒な衣装に、マスク姿である。

「この日以外に、この人物たちが写っているビデオはありませんでした。彼らはこの日、この時刻にだけ現れた。そして、約40分後、彼らが同じ人数で、逆方向に歩いていく姿がビデオに残っています。犯行推定時間と完全に一致します」

「新宿の事件の時はどうだったのです?ホテルの防犯ビデオとかに、写っていないのですか?」

「現時点では、確認できていません。周辺には相当数の防犯カメラや監視カメラがあるのですが、通行人やホテルの客などの数も多く、彼らと一致する人物を短時間で探し出すのは至難の業かと思われます」

漆間巡査部長が、ホワイトボードの空いたスペースに、屋敷の簡略な見取り図を描いた。

「和田家は、中央に二階建ての母屋、東側に使用人部屋と新聞記者などの接待スペースがある東屋あずまや、東屋の奥にシャッター付きの駐車場があります。防犯用の監視カメラは旧式のものが、母屋の北西と南西に2つ、駐車場に1つ、東の正門に1つしかありません。監視カメラで屋敷を護ろうというより、侵入者に見せつけて抑止するのが目的のようです」

「空き巣、侵入泥棒よけですか」

「一応、録画機能はありますが、夜になるとぼんやりとか写っていませんし、この夜は犯行前に切断されてしまっています。仮に動いていたとしても、役に立ったかどうか・・・」

 中瀬一佐は、あきれたような顔で漆間巡査部長を見上げた。

「警備員の配置は?」

「屋敷周りに4人、庭に2人、駐車場に1人、門に2人です。東屋の応接間に、バックアップの2人が待機していました」

「それだけいて、何もできずに大臣を殺された?なぜ、母屋には誰も配置しなかったのです?」

「申し入れたのですが、仰々ぎょうぎょうしいことは嫌いだ。いざとなれば秘書と書生が大声で知らせるからと断られたそうです」

 馬鹿な、と中瀬一佐はつぶやいた。

 漆間巡査部長の説明を、小泉警部補が引き継いだ。

「連中は敷地の北西部から侵入し、建物の周囲を警備していた1名を音もなく殺害し、二手に分かれて建物を回って3名を殺害しました。銃声もなく、争う声もなく、母屋以外にいた警備員は誰も気づきませんでした」

「一撃、または二撃で仕留めたというわけですか」

「そうです。死体の写真を見ますか?」

「いいや、後にします。先を続けてください」

「犯人たちは、警備員のいなくなった母屋裏手の通用口を破って侵入し、台所で読書中の書生を殺害、玄関三和土たたきを上がった客間で秘書を殺害、最後に奥座敷にいた大臣を殺害して逃走しました。発見は、取材のため秘書に電話を入れた新聞記者が、何度コールしても出ないことを不審に思って警備本部に連絡した9時過ぎのことです」

小泉警部補は、新しい画像をホワイトボードに映し出した。

 人相が識別できないほど変形した顔、どす黒く変色した手足、大きくはだけられた和服からのぞく胸と腹にも打撃痕がいたるところに見られる。

「これは・・・」数々の変死体や殺害された死体を見てきたかぐやでさえ、息を呑んだ。

「1人だけ、めった打ちにされた和田財務大臣です。致命傷は、額の両脇部分の頭蓋骨骨折で、急性硬膜下出血、脳内出血が認められました」

「なぜ、大臣だけが、これほど多く殴打されているのでしょう?」

「わかりません。抵抗の跡も見られませんし・・・考えられることは、副島大臣の時と同じ、犯人によるデモンストレーション」

「左胸にまた、あの奇妙なマークがあったのですか」

 小泉警部補はうなずき、画像を変えた。

「着物で一部が覆われていましたが、今度のマークはこれです」

 一本の縦線の中央に左へ回る円、縦線から真上へ飛び出すような円、左側へフックのように飛び出している線。

「副島大臣の時とは、違いますね」

「ええ、まったく別物に見えます・・・それにしても、これほど見事に殺人をやってのけているのに、わざわざ証拠となるような痕跡を残していくのはなぜでしょうか」

「捜査するわれわれに、あるいはマスコミに、何らかのメッセージを伝えているのだと思います」

「しかし、これでは何もわかりませんよ」

 確かに、奇妙なマークだった。

 メッセージということであれば、すぐに岸部総理と般若面の男の動画が思い浮かぶが、あれなら、英語で明確なメッセージが伝えられている。まるで、性格が違う。

 その後、かぐやたちは用意されたすべての画像に目を通し、動画を繰り返しチェックし、さまざまな角度から意見を交わした。

 岸部総理の動画から副島文科大臣、今回の和田財務大臣へと明らかなつながりを持っているに違いないのに、どこかかみ合わない、一つの線にまとまっていかない、そのいらいら感や気持ち悪さはいくら議論しても少しも軽減されなかった。

 2時間後、休憩をとることになった。

「よろしければ、飲み物のあるラウンジへ案内します。眺めもいいので、ここよりくつろげると思います。どうぞ、こちらへ・・・」

 小泉警部補の案内で、かぐやと中瀬一佐は部屋を出た。

 一緒に部屋を出た漆間巡査部長は、別室の合同捜査本部に向かった。

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