急章 特別

第7話 廃虚の書物

 黄肌村の村人たちは俺が寺院へ行くのにかなりの難色を示した。揉めて揉めて、危うく怒鳴りあいの喧嘩になりそうになったが、そこで美緒が助け船を出してくれた。

「じゃあ畑仕事が終わってからだけ、ならどうですか」


 日が暮れるまでの農作業を済ませてから。その条件でようやく村人たちも了承し、俺のほうにも選択肢はなかった。

 だからその寺院に初めて行くのも夜道をたどってだった。徒歩でだいたい一時間の場所だった。


「うっわー……」

 たどり着いた寺院は、ものの見事に正しく「廃墟」と言うべき代物だった。石造りの壁は半分以上が崩れ、同じように石の屋根も軽く三分の二が下に落下している。床は瓦礫だらけで全然まっすぐに歩けなかった。想像力をフル回転させてようやく祭壇跡と分かる場所の傍らに、赤い肌の兵士がやる気のなさそうに立っていた。


「王都から連絡は来ているね? 古文書整理のための人員を連れてきたよ」

 付き添ってきてくれた和夫が書類を兵士に示す。相手は不審そうな顔をした。

「そいつ、黄肌人じゃないっすか」

「黄肌人でも文字は一部読めるんだよ」

 兵士は眉をひそめたまま書類をねめつけていたが、やがて諦めたように横へどいた。


「白光、夢幻、被覆、暴露」

 兵士の詠唱に合わせて壁の一部が光り、光が消えた後にはぽっかりと入り口が開いていた。

「おお、隠し部屋!」

「こんなものがあるとは誰も思わなかったんだよ」


 さっそく中に入って、俺は目を瞬いた。部屋というより通路のような細長い空間。その長辺は両側ともぎっしりと本の詰まった棚になっていた。通路のどちら方向を見ても延々と本棚が続く。

「崩れていない壁に沿ってこの本棚は続いている。と言うより、本棚があった部分だけ壁が崩れなかったんだろうね」


「えっと、何冊ぐらいあるんだろう……?」

「概算だけど、六千冊」

 ごくりと俺の喉が上下した。和夫が心配そうに俺を見ている。

「できるかい?」

 俺は手をきつく拳に握った。

「もちろんやってみせる!」



 本を抜くことで壁が崩れる可能性もあるから通路の奥から見ていくように、と言い置いて和夫は帰っていってしまった。残された俺はさっそく作業を始めた。


 通路の中で本を見るのは息が詰まるので、五冊ほど抱えて寺院内に戻る。兵士があくびをしていた。もう夜も更けている。俺はカンテラの灯りを強くして、瓦礫と瓦礫の間の床に腰を下ろした。村に戻って睡眠を取ることを考えると、今日はもう二時間くらいしか作業できないだろう。急がなくては。


 一冊目の最初のページを開き、俺はのけぞった。楔形文字のような文字がびっしりと書いてある。しかし全然意味が分からない。どんなに眺めても、意味が脳裏に浮かんでこない。あせってページをめくる。五ページ目で、ようやく一単語だけ分かった。「光」。俺は頭を抱えた。

「光だけじゃ分かんねえよ……」


 兵士がこちらを見たが、俺には構う精神的余裕がなかった。

 何百ページもあるその本を端から端まで見て、分かった単語は「光」「檻」「花」の三つだけだった。これでは内容は全く分からない。途方に暮れて、俺は固まった。


「どうせ黄肌人なんかに分かりゃしないだろ」

 突然兵士が話しかけてきた。

「おいらにだってほとんど意味が分からねえんだから」


「そっ……そんなことはない!」

 必死に言い返したが、兵士はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。俺は意地になって本にかぶりついた。もう一度、もう一度読んでみよう。読むというよりにらみつけ直していく。


「あっ」

 声が漏れた。さっきは浮かばなかった意味が頭に浮かんでいた。「地上」。さっきは見飛ばしてしまっていたのか? さらに先のページを見つめていく。すると続けて「鳥」「風」「空」と分かっていった。

 どういうことだろう、一度手を止めて考えた。


 英語の長文読解で、知らない単語でも前後の内容から大体の意味が推測できることがある。それと似たことなんだろうか。だとすると、一読して全く意味が分からなくても、二度三度と読めば分かるようになるかもしれない。希望が、少し見えてきた。


 俺は結局その本を五回眺め直した。そしてやっと「神」「恩寵」という言葉を見いだした。

「これは宗教の本だー!」

 拳を突き上げる。居眠りをしていた兵士を起こしたらしくきつい目でにらまれた。俺はそれを無視して強ばった肩を回し首を回し、そして初めて気づいた。崩れた壁の向こうの空が白みだしていた。


「やっべえ、村に帰らないとどやされる!」

 飛び上がって、持ち出していた本を屋根のある所に移動させて、そして全速力で走って村へ戻った。


 徹夜明けのその日、日中は気合いで畑仕事をこなした。しかし日が暮れて夕食を食べ、また寺院へ向かってからはまずかった。次の本を開いて眺めようとするが、まぶたが徐々に落ちてくる。

「おーい」

 兵士の声にハッと目を覚ました。


「いちおう貴重な書物なんだ、よだれとか垂らすなよ」

「そんなことするか!」

 しかし危険だった。眠りこけていたら作業にならない。俺は考えて、立ち上がった。高さが低くて平らな瓦礫の上に上り、下りる。踏み台昇降を始めた。その状態で本を開き直す。


 兵士は目を丸くしているようだったが構わなかった。俺はどうしても、この寺院にある古文書を調べなきゃならなかった。

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