第5話 現実の生活

 三日後にたどり着いたそこは、確かに黄肌人がたくさんいた。


「新入りが来たぞー!」

「おお、今度のは若いな」

 というかウジャウジャいた。俺たちのそばへ寄ってくる人、見向きもせずに歩いていく人、ともかく大勢いた。


「この村何人ぐらいいるの?!」

「お前らで百三十五人目と百三十六人目だったかな」

「みんな異世界召喚されて来たっていうのか?!」

 俺が叫ぶと、俺や美緒と同じ肌色の人たちは苦笑を浮かべた。


「そんな大仰なことじゃないさ、年に三度は新入りが来るし、多い年は十人近く増えるし」

「じゃあ後は任せていいかな」

 ここまで付き添ってくれていた和夫が言うと、一人のおばさんが胸を叩いた。

「任せておくれ。いつもありがとうね、和夫さん。花枝さんにもよろしく」

 服装を除けば、日本のどこにでも、近所にもよくいたようなおばさんだった。


「私は良子、この村で新入りの世話係みたいなことをやってる。これからよろしくね、お二人さん」

「よろしくお願いします」

 美緒は頭を下げたが、俺はまだ茫然として動けなかった。


「長旅で疲れてるところさっそくで悪いけれど、あなたたち特技はない? そうね、農業高校に通ってたとか、手工業の経験があるとか」

「いえ、そういうのは……私たち、普通の高校に入ったばかりで」

「あらそう、じゃあ普通に畑仕事をやってもらうことになるかな」

 ふむと首を傾げるようにしたおばさんへ、俺は思わず訊き返した。


「え、畑仕事って」

「食べて生きていくための物は自分たちで作らないとならないのよ」

 おばさんは小さい子に言い聞かせるような表情を見せた。

「王国もそこまでは支援してくれないからね。ここは、あっちの世界とは違うの。これがこっちの世界の普通」


 特別じゃなくて、普通。俺は、足下が激しく揺れてどんどん崩れていくような気がした。俺は特別になったんじゃなかったのか。


「さあ、まずは村をざっと案内しましょうか」

 おばさんはさっさと歩き出す。その背中に俺は何とか声を投げた。

「あのっ……魔法とか、剣とか、そういうのは、みんな、誰か……っ」


 くるりとおばさんは振り向いた。笑っていない、真面目な顔。

「私たち黄肌人は魔法を使えないよ。剣は、そうだねえ、あなた剣道とかフェンシングとかやってた?」

 俺は力なく首を横に振る。


「じゃあ無理ね」

 それだけ言ってまたおばさんは歩き出す。美緒が彼女を追いかけた。周囲にいた人たちもいつの間にか散っていた。

「英汰」

 俺を美緒が呼ぶ。それでも俺は立ち尽くしていた。



「もっと腹に力を入れろ!」

「そんなへっぴり腰でどうする!」

 周囲の男たちから叱責が飛んでくる。俺は必死に鍬をふるって畑をたがやしていた。


「まったく、近ごろの若いやつはなってない」

「こいつを一人前の農夫に育てるのは骨が折れそうだ」

 農夫。俺の目の前がまた暗くなる。おかしい、俺は勇者に、特別な存在になるために異世界召喚されたはずなのに。


「はーい、お昼ご飯持ってきましたよー!」

「よし飯休憩だな」

「やれやれ、ほとんど進んでないが仕方ない」

 手を振る女たちの方へ行く男たちの後ろを、俺は痛む腰をさすりながら何とか歩いた。女の人が配っているのはパンとチーズ。どちらも固くて、すごく味気がない。


「英汰くん、ふらふらね」

「こいつ全然体力ないんだ、筋も悪い」

 男の一人が俺の頭をこづく。痛い。


「美緒ちゃんはどう?」

「あの子はすっかり戦力になってるわ、刺繍が本当に上手でねえ」

 手芸部に中学三年間いたことを言い出した美緒は、お針子組に入れられていた。近くの街で売るための小物を作っているらしい。


「お前も負けてられないぞ」

 別の男が俺の脇腹をこづく。痛い。

「早いこと畑仕事になじんでくれよ、せっかくの若手なんだから」

 うつむいた。なじみたくなんかなかった。俺は、特別になるために。


「さあ休憩は終わりだ! 始めるぞ!」

 リーダー格の男が言って皆立ち上がる。俺も腕をつかまれて引き起こされた。



 黄肌村に住むようになって十日余り経った時には、俺はもう耐えられなくなっていた。だから朝早く村を抜け出した。

 一人、まだ薄暗い中を王都へ向かってがむしゃらに歩いた。王都のある方角は黄肌村に来る途中で和夫に教えられていた。


 王都には和夫や花枝がいる。いざとなれば彼らを頼ってもいい。それに何より、王都なら黄肌人はきっと俺一人だ。黄肌村では埋没してしまう普通でも、王都でなら特別な存在になれるに絶対違いない。

 歩いて、歩いた。食べ物や飲み物を持ち出すまで気が回らなかったから、飲まず食わずでずっと歩いた。


 大きな壁が見えてきたのは正午近くなったころだった。たぶん王都を囲む防壁だと、俺の足が速くなる。やがて門に続く道を見つけた。荷馬車や馬で往来する人たちの視線が、俺に集まるのを感じた。そうだ、俺は黄肌人なんだ。これでもかと胸を張って俺は進む。


 門までたどり着き、くぐろうとしたら、突然長い槍が俺の前に突き出された。びっくりして槍を持つ兵士を見ると、ひどく険しい顔だった。

「通行証の提示のない者が王都に入ることはまかりならん!」


 俺は狼狽した。通行証なんて持っていない。

「お、俺、黄肌人なんですけど」

「だからどうした、黄肌人は定められた地に住むのが決まりだ!」

「でっでも、お願いです王都に入れてください!」

「ならん!」


 騒ぎに、周囲を人々が取り囲み始めた。

「何だ、黄肌人か?」

「厄介者じゃないか」

「招かれざる者」

 漏れ聞こえる言葉に、辺りを見回す。彼らの目が嫌悪に満ちているのに俺はようやく気づいた。


 肩にいきなり衝撃があった。痛みと驚きに振り向くと、門の向こう、王都の内側にも人が集まっていた。手に、石を持っていた。

「来るな!」

「私たちの街に来ないで!」

「お前たちが竜を呼び寄せるんだ!」


 ヒュンヒュンと石が投げられ俺の体に続けざまに当たる。容赦のないえぐるような痛み。

「帰れ! お前たちの村へ!」

「竜に食われろ!」

 耐えきれなくなって俺は逃げ出した。それでも石は追ってくる。


「お前たちなんて皆死んでしまえばいいんだ!」

 どうして、どうして。目に涙がにじんだ。俺は必死に走って逃げた。罵声はいつまでも追いかけてきた。



 他に行く当てもなく、とぼとぼと黄肌村に戻った時には、日没だった。

「英汰! どこ行ってたんだ!」

 いきなりの怒声。俺は深くうつむく。だがそれ以上何か言う声は続かず、不審に思って顔を上げた。


 村の中は騒然としていた。慌ただしく走る人たちや、あちこちに集まりしゃべる人たちが目についた。

「ちょうどいい、お前も手伝うんだ」

 ぐいと腕を引かれた。逆らいようもなくついていきながら尋ねる。

「何があったんですか?」


 堅い口調で返答があった。

「一番の古株の、昭彦じいさんが亡くなったんだ」

 俺は絶句した。


 夜になってから、葬儀は村の住人総出で行われた。

「じいさん……もう六十を過ぎてたから……」

「長生きしたほうではある……」

 囁き声に乗って、かすかな不安と恐怖、それに諦観が、波のように俺に押し寄せてきていた。


「英汰……」

 美緒がそばに寄ってきた。小さな子供のように、ぎゅっと俺の服をにぎってくる。

 俺が掘らされた穴に、昭彦というじいさんが入った棺が下ろされていった。そしてバサッバサッと土がかぶされていく。


「あの人……」

 俺の声はひどく掠れて震えていた。

「異世界召喚されてから、どれくらい経ってたんだろ……」

 美緒の涙ぐんだ声が答えた。

「五十年……近かったって……」


 五十年? 召喚されて、でもこの村で農夫とかしかできなくて、それで五十年生きてきた?

 俺の身体が震えだした。どうしても止められなかった。

 バサッバサッと土が落とされていく。ひどく嫌な音だった。

 土をかぶされているのは、未来の俺だった。

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