破章 現実

第4話 暗雲、そして晴れた視界

 風の吹き抜ける音を聞きながら俺は目を覚ました。妙に重たいまぶたを開けると、ラベンダー色の空が目に入った。

 ああやっぱり異世界だ、と思った次の瞬間、違和感を覚えて俺は身を起こす。


「……え……?」

 俺の周囲は原っぱだった。まだらに生えたやせた草が風に揺れている。

「ううーん……」

 声に振り向けば美緒がすぐ隣に横たわっていた。高校の制服を着ている。見ると俺も制服になっていた。俺たちの周囲には大きな杯のような器に果物や野菜が盛られた物がいくつか並んでいた。ピクニックにでも来た? でもそんな記憶はないぞ?


「おい美緒、起きろよ、何か変だ」

「うん、うーん……」

 体を強く揺さぶってやっと美緒を覚醒させる。彼女は目をこすりながら上体を起こし、ぺたんと座った。

「ここ、どこ……?」

「分かんねえんだよ」

 美緒の瞳は奇妙に虚ろだった。寝起きにしたっておかしいほどに。


 いてもたってもいられなくなった俺は立ち上がろうとした。が、突然膝ががくっと折れて転倒する。

「なっ?」

 体に力が入らなかった。

「頭が……ぼうっとする……」

 ゆるゆると首を振りながら美緒が言う。


 待て、いったん落ち着こう。仕方なく俺が座り直した時、ざあっと吹いた風に乗って、ひどく生ぐさい臭いが鼻を襲った。反射的にその方向を見た俺の目に映ったのは。

 巨大な、真っ黒な影。コウモリのような翼を羽ばたかせ、トカゲのような頭を持ち上げ、サメのような口を大きく開いた――どう見てもドラゴン、だった。

 それは低空を飛び、一直線に俺たちの方へ向かってきていた。


「げっ?!」

 俺は立とうとする。立てない。美緒はまだぼうっとしている。

「美緒しっかりしろ! 逃げるぞ!」

「うん……?」

 彼女の様子に構っている暇はなく、俺は美緒を片手で抱えると残りの手と足で這って逃げようとした。ずりっ、ずりっ、必死で自分と美緒の体を引きずる。


「英汰……?」

 美緒が俺の腕にしがみつく。彼女のやわらかい体を、しかし俺は感じるゆとりなんかない。

 さっと周囲が暗くなった。強烈な生ぐささ。

 ギエエエ――ッ!

 ぞっとするような鳴き声が真上からした。俺は恐怖に逆らえず背後を振り仰ぐ。


 すぐ間近にドラゴンがいた。二階建ての家ぐらいの体躯は太陽と空を隠し、これでもかと開かれた口は深紅にぬめっていた。

「うわああああ――っ!」

 俺は叫ぶしかなかった。美緒の体を力の限り抱きしめた。

 死を覚悟した瞬間、何かが視界の隅できらめいた。


 ギャアアア!

 ドラゴンの雄叫び。黒い首筋から吹き出す真っ赤な血。ドラゴンが首を大きく振り回すと、地に降り立った者がいた。

「ちっ!」

 女? 背が高い、赤い肌の、革鎧を着た剣士?


 彼女へドラゴンが太い腕と鋭い爪を振りおろす。彼女は剣を掲げそれを受け止めた。ガキンという打撃音。そこへ聞こえた男の声。

「紅蓮、灼熱、苦悶、業火!」

 俺たちの左斜め後ろから輝く何かが飛び、ドラゴンを襲った。またドラゴンの絶叫。やつの右半身が紅の炎に包まれる。


「大丈夫か君たち!」

 男が駆け寄ってきた。やっぱり赤い肌で、丈の長い衣服をまとって杖を持った、魔法使い?

「緑柱、堅固、拒絶、防壁!」

 男が唱えると緑色がかった透明なシールドが俺と美緒を包んだ。


「和夫!」

「分かってる!」

 再び男が詠唱する。

「紫雲、光輝、断罪、雷電!」

 男の杖から紫電が走り、女の剣を覆う。女はその剣を振りかざし、強く地面を蹴った。

「たあ――っ!」

 気合い一閃だった。雷を帯びた剣はドラゴンの鱗に覆われた太い首を切り落とした。


 ズシンと地響きを立て、やつの頭部が落ちる。緑のシールドにバシャッと血しぶきがかかり、一面真っ赤になるのを俺は茫然と眺めていた。

「お見事、花枝」

「当然よ」

 女剣士は血糊をぬぐって剣を鞘に収める。男の魔法使いは笑みを浮かべて俺たちに手を差し伸べた。するとシールドがさっと霧散していった。


「大丈夫かい?」

「あんたたちは……いったい……」

 俺の声は驚くほど掠れていた。男が笑みを濃くする。少し苦笑の色が混ざっていた。

「僕たちは、君たちを保護しに来たんだ」



「つまるところ、君たちは竜への生贄にされそうになってたんだよ」

 僕らがぎりぎり間に合って良かったと、魔法使いの和夫はほほえんだ。俺たちは幌の付いた馬車に乗せられていた。狭い中でガタゴトと揺れて腰が痛くなりそうな、粗末な馬車。


「本当にありがとうございました」

 頭を下げる美緒。俺と美緒に小川村の連中が盛った毒は、和夫が魔法で解いてくれていた。


「あの黒竜は樹海から出てきて、この辺り一帯に居座っちゃってたのよ。それで討伐兼黄肌人保護のためあたしと和夫が派遣されてきたってわけ」

 手綱を握っている剣士の花枝が言う。彼女はよく見れば三十代に見えた。一方まだ若い二十代らしい和夫が続ける。

「竜は人を食うからね、小川村や近隣の村の住民は恐怖に震えていた。そこに黄肌人の君たちが来てしまったんだ。竜は黄肌人を食うと樹海に戻るという伝説があるものだから……実際は全然そんなことないんだけど」


 俺の背筋がぞっと凍る。

「生き神様って、そういう意味……」

「生贄にする人間にはその前に思う存分贅沢をさせる。よくある風習ね」

 背を向けたままの花枝が冷ややかに言い放つ。


「どういうわけか、竜が出没する地域に黄肌人が現れることが多いんだ。竜が喚ぶのかどうなのか、その関係は分かっていないのだけれど」

 和夫は幌に背中をもたれさせ、ギシリと布地がきしむ。

「疲れた? 和夫」

「そうでもないよ」

「もうすぐ山西街へ着くから、そこで宿を取りましょう」


「あの」

 俺は思いきって割り込んだ。

「俺たち、どこへ連れてかれるんです?」

「英汰、そういう言い方は失礼!」

「ああいや、説明が遅れた僕らも悪かったね」

 魔法使いの男は変わらず人のいい笑みだった。


「王都のそばの黄肌村きはだむらだよ。そこは王国から保護を受けて、黄肌人が集まって暮らしてる村なんだ」

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