第16話 北欧の雷神

 最初の揺れと比べものにならない程に揺れは激しくなっていく。そしてアンが「来ます」と言ったと同時に、葵たちの前にある電波塔前の広場の至る所に亀裂が入った。

 次々に亀裂が入っていき、まるで干ばつした地面のような状態になる。そしてそこから勢いよく這い出てきたのは、巨大なクモ型の自動機械人形。全長はおよそ三百メートルで、八本ある足の長さはそれぞれ約二十メートルといったところだろうか。

 見たところ数十種類の銃火器を装備しており、このクモ型が本気を出せば神原市など数分で焦土と化すだろう。


「……ナナ。これ、ヤバくね?」

「……ええ。ヤバいわね」


 ナナは葵と同じように目の前に突如として現れた巨大兵器に度肝を抜かれたようで、その場に立ち尽くしている。

 その様子を知らないクモ型は眼前に立つ葵たちを敵と見なしたようで、頭に装備された重機関銃の照準が葵たちに重なった。


「葵、クモ型の自動機械人形にロックオンされたようです。いかがいたしますか?」

「……ヤベェなぁ」

「ってホントにヤバいわ! 逃げるわよ!!」


 葵とアンはナナに首根っこを掴まれ、そのままナナと共にその場を離れる。その一瞬後でクモ型が発射した重機関銃の弾丸は、葵たちのいた箇所を大きく抉ったのだった。


「しっかりしなさい葵!」

「……すまねぇナナ、助かった。つってもあいつどうすればいいんだ……? どう考えても並の自動機械人形じゃ歯が立たないだろうし、ナナでもあのクモ型は無理だろ……?」

「確かにあたしもアレは無理ね。勝てる訳ないわ」

「チッ! ……せっかく電波塔の前にまで来たのに!」


 クモ型はそのまま重機関銃の第二射を放つ為か、索敵行動を始めたようだ。


「葵! アン! 早く逃げるわよ! このままここにいたら死ぬわ!」

「すまねぇ、頼む!」

「ええ任せなさい!」


 葵とアンを抱える為にナナは二人の腰を掴んだが、何故かナナはその場から動かなかった。その顔は焦っているように見える。


「どうしたナナ!?」

「……ゴメン葵。体力切れたみたい。もうさっきみたいに速く走れないし、アンタたち2人を持ち上げられない……」


 ナナの声は震えていた。

 それは当然のことだろう。この場で重機関銃から逃げ切れるような速さで走れるのはナナのみ。そのナナが動けなければどうなるのか。 

 答えは簡単。全滅だ。


「……マジで?」

「虎に限らず、肉食動物ってスタミナがないのよ……。あたしも体力はあんまりなくてね。ここに来るまでかなり頑張って走ったからツケが来たみたい……ゴメン」

「いいさ。なっちまったもんは仕方ねぇ。でも、まったく動けない訳じゃねぇんだろ?」

「あたぼうよ。あたしだってこんなとこじゃ死ねないわ。意地でも生き残ってみせる」

「なら、死ぬ気で走るしかないな」

「そうね」


 葵とナナは覚悟を決めた。生き残る覚悟を。

 それは戦場においてもっとも必要とされるもの。なくてはならないものだ。しかし、アンは葵とナナのその覚悟を知らないのか、葵に問うた。


「葵、目の前のクモ型自動機械人形はあなたの敵ですか?」

「アン? 何だよいきなり? 早く逃げねぇとヤバいぞ。クモ型がターゲットスコープで俺たちを捕らえたらアウトだ。その前にあいつの視界から消えないとならねぇ」


 アンは葵の言葉を聞いてもその場から動かず、葵に言う。


「あなたが望むのなら、私があのクモ型を破壊します」

「……アン?」

「葵は、敵の破壊を望みますか?」


 アンは葵の目を真っ直ぐ見て問い掛けた。なので、葵もアンから目を離さずに自分の思いをそのままアンに告げる。


「……望む。いや、正確にはクモ型の破壊ではなく停止を望む。破壊はできるだけしたくねぇ。でもそれがなんだ? お前がクモ型を破壊できる訳ねぇだろ? なんの武装もないんだから」

「はい。現在、私には何の装備もありません。ですが、それは私に装備がないという意味ではありません」

「スマン。俺はお前が何を言ってんのか分からねぇ。意味が分からねぇよ」

「あたしもよく分かんないわ。アン、アンタ一体どうしたの? まさかバグった?」

「いいえ、私にバグはありません。私に搭載されているプログラムを起動すれば、あのクモ型など敵ではありません。葵、あなたは私がそれを使うことを是としますか?」

「……本当にクモ型を停止させることができるのか?」

「可能です」

「なら、俺は何をすればいい?」

「ちょっと葵!?」

「では葵。私にキスをしてください」

「キ、キキキキ、キスゥ!?」

「わ、分かった」


 葵はアンの肩を掴んで自分の元へと引き寄せる。緊張のせいで葵の手と声は震えているが、アンはそんな葵を笑いはせず、ただ葵の目をじっと見つめていた。


「ではお願いします」


 アンは目をつぶって葵のキスを待つ。


「あ、あわわわわわわ……」


 ナナはキスの経験がないのか、葵とアンがキスしようとした瞬間に両手で目を隠したように見えた。しかし、指の間はしっかりと開いている。どうやら気になるみたいだ。


「じゃあ、いくぞ」


 そして、葵はアンとキスを交わす。葵の生涯二度目のキスは、ほんの少し唇が触れただけの軽いキスだった。

 以前と同じ柔らかく甘い唇。機械とは思えない程に暖かい体温。掴んだ肩は小さくて華奢だった。やはり、葵にはアンが機械ではなく人間に見えるし、そう感じられた。しかし、見た目がどれだけ人間に近かろうと、葵はアンが機械だと認識している。何故なら、葵はアンのコアに触れ、会話することができたからだ。

 葵はこう考えている。人間は自分を裏切るが、機械は自分を裏切らないと。

 勿論、裏切らない人間だっているだろう。だが、葵はあまりに人間のよくない部分に触れすぎたのだと思う。そんな時に自分は機械と会話し、機械と共に育った。人間よりも機械を信じてしまうのは仕方がないと言える筈だ。

 アンは機械で、自分を裏切らない。そんなアンは葵にとっては何よりも大切にすべき存在であり、信じる理由としては充分すぎるだろう。


「……アン? 大丈夫か?」

「はい。たった今、マスターからの認証を確認しました。これより、プログラム【トール】の起動プロセスを開始します。危険ですので、少し離れていて下さい」


 葵がアンから離れた瞬間、アンの足元に銀色に光る魔法陣が現れた。


「これより記憶装置上のプログラム【トール】にアクセスします。……実行完了。アクセスが完了致しました。メインプログラム【ブランク】を終了し、プログラム【トール】の起動を試みます」


 アンが言った途端、足元の魔法陣から銀色の光が伸びていき、アンを包む繭のような形になる。


「魔力接続……クリア。空間接続……クリア。これより、プログラム【トール】を起動します」


 アンが言い終わった瞬間、光の繭が弾けてアンの姿が露わになる。そこにいたアンの姿は、先程までと違っていた。

 アンの両腕には黒い手甲が装備されており、脚にも黒い鎧のようなものが装備されている。服装も先程まで着ていた現代風のものではなく、襟付きの黒いワンピースドレスになっていた。


「ア、 アン!? その姿は一体……何だ!?」

「先程思い出したのですが、これは私に搭載されているプログラムの一つである【トール】です。これを使えば私にも戦闘が可能になります」

「……任せていいのか?」

「勿論です。ですので葵は電波塔を昇って犯人を確保して下さい。それがあなたの目的なのでしょう?」

「……なら任せた! 死ぬんじゃねぇぞ!」

「無傷で勝利することを約束しましょう。私は優秀ですから」

「ナナ! 俺と来い! お前に手伝って欲しいことがあるんだ!」

「分かったって言いたいけど……。アン、ホントにアンタ一人で平気なの?」

「問題ありません。早く行ってください」

「……分かったわ。葵のことはあたしに任せなさい!」


 そうして葵とナナは電波塔へ入って行く。

 葵とナナを電波塔に行かせる為に一人残ったアンは、クモ型の巨大な自動機械人形と対峙している。先程までのアンならばクモ型に勝てる筈もなかったが、今のアンは先程とは違い、武装していた。


「あなたは葵の敵です。ですが、葵が破壊ではなく停止を望んだ以上、私はあなたを破壊せずに停止させます。お覚悟を」


 クモ型はアンへと狙いを付けた。頭に搭載されている重機関銃の全ての銃口がアンの方を向き、背中にあるミサイルポットもアンをロックオンしたようだ。


「それでは、コモイディアを始めましょう」


 対するアンはスカートの裾を少しだけ持ち上げ、優雅に一礼する。


「『タングリスト』発動」


 アンが言葉を発したと同時に、クモ型に装備されている銃火器たちがアンを撃つ。重機関銃にミサイル、他にも小型のバルカンやマシンガンなどが一斉に放たれた。それらが発射されたれたことで辺りに爆風が舞う。

 だが、そんな攻撃に当たるアンではない。先程までの彼女であれば回避など出来なかっただろうが、今の彼女は【トール】を発動している。故に、クモ型の銃火器がアンに損傷を与えることはない。

 蜘蛛型の攻撃を高速で回避したアンは今、クモ型の背中の上にいる。アンの脚に装備された鎧は現在、雷を帯びており、そのおかげでアンは常人を遙かに超える速さで動けるのだ。脚鎧に帯電している雷は激しく唸るように輝いており、その雷のせいでアンが立っているクモ型の背中の一部分が焦げている。


「『ヤルングローヴィ』発動」


 アンが言った瞬間、アンの両腕の手甲にも雷が宿る。そしてアンはそのまま雷を帯びた拳でクモ型の背中の装甲を思い切り殴り、穴をあけ、装甲を引き剥がしていった。それによりクモ型の内部が露わになる。

 アンはそれを確認すると右手に両脚と左手の雷を集めた後に右手でクモ型の内部に触れ、そこに集めた雷を放電する。

 その電圧は約二百万ボルト。これは自然に起きる小規模な落雷と同じ電圧だ。それをまともに受けてしまえば、機械であるクモ型はショートして壊れてしまうに違いない。

 アンの目的はあくまでクモ型の停止。それはつまり、コアを傷付けなければその他の部位を壊してもいいという意味だ。

 今アンがやろうとしているのは、各部位の装甲を剥がし内部のケーブルや線をショートさせること。それによりクモ型を壊さずに動きを止めることが可能になる。

 アンは背中のケーブルをいくつか焼いた後、八本ある足の一本を破壊する為に全力で走った。今の彼女は両脚の『タングリスト』により高速移動が可能。『タングリスト』の能力は両脚の鎧に雷を宿すことと、脚と足の能力強化だからだ。先程クモ型の一斉射撃を避けることができたのもこれのおかげである。ちなみに『ヤルングローヴィ』の能力は両腕の手甲に雷を宿すことと、腕と手の能力強化だ。

 アンは次々にクモ型の足の装甲を剥がし、中の重要なケーブルを焼いていく。途中に何度もあったクモ型の反撃も、アンにとっては大したものではない為に軽やかに躱していった。そうして足を停止させた後は背中と腹の装甲を剥がし、中の線やケーブルを焼きながらコアを探していく。

 コアさえ見つければ後は楽な仕事だ。そのコアから伸びる神経ケーブルをコアから外せば自動機械人形はその構造上、もう動くことはできないのだから。そして遂にアンはクモ型のコアを見つけ、神経ケーブルを丁寧にコアから外していく。この時に神経ケーブルを傷付けてはいけないので、アンはゆっくりと作業を進める。アンによって瞬く間にクモ型の動きは止まり、その場に崩れ落ちた。


「任務完了。クモ型の停止に成功しました。……私はこれからどうすればいいのでしょう? 葵を追い掛けるべきか、この場で待機すべきか。……悩むところです」

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