第11話 獣人の少女


「……ここまで離れれば大丈夫かしら」


 葵とアンが少女に担がれ、連れて来られたのは町はずれにある空き地。運ばれている途中に葵は少女へ多数の質問を投げ掛けたのだが、「黙って運ばれなさい! あとでちゃんと話するから!」と言われので、大人しく運ばれたのだった。


「それじゃ離すわよっと。アンタたち、怪我とかない?」


 解放された葵とアンはその場で立ち、身体についたホコリやゴミを叩いて取り除く。


「私に外傷はありません」

「俺も大丈夫だ。それにしても銀行では助かったよ。おかげで怪我人を出さずに事態を収拾できた」

「そう、それは良かったわ。……ところで、疲れたから座っていい?」


 少女はすぐ後ろにあるベンチを指差す。


「ああ、勿論」


少女はベンチに座ると、被っていたフードを外して自己紹介を始めた。フードを外したことで、少女の燃えるような赤い髪と鮮やかな黄色い瞳があらわになる。


「ふぅ。それじゃ自己紹介でもしましょうかしら。私は夏野紅花(なつのべにばな)。長いし言いにくいからナナでいいわ。アンタたちは?」


返答を求められていることには気付いているのだが、どうしても気になる点がある。だからこそ、葵はナナの頭の上に視線を向けてしまう。


「葵? どうかしたのですか?」

「ナナの……耳」

「耳? ナナの耳がどうかしたのですか葵?」

「ナナ! お前その耳……!!」

「……あ。忘れてた」

「お前は……獣人なのか!?」

「あ、あはははは……」


 フードを外したナナの頭の上にあったのは獣耳だった。ぴょこぴょこと小刻みに揺れているし、少し濡れているところを見るにそれは本物のようだ。

 それに、考えてみればヒントは他にもあった。

 機関銃を持った三人の強盗を瞬時に無力化できる存在がただの人間である筈がない。そんなことができるのは特殊な人間だけだろう。たとえば、驚異的な身体能力を持つ獣人ならば可能な筈だ。


「葵。獣人とはなんですか?」

「獣人ってのはな――」


 葵は先日小学生たちにしたのと同じ説明をアンにした。


「成程。確かに外見情報だけで判断しますとナナは獣人となりますね」

「そうだな……って和んでる場合じゃねぇ! ナナ、早くその耳隠せよ! 周りにお前が獣人ってバレるだろ!」

「ここなら大丈夫よ。あたしが何の理由もなしにここを選ぶ訳ないじゃない。それにこれは隠せないから」

「隠せないってことはねぇだろ。知り合いの獣人たちはいつも耳と尻尾を隠していたし、本やら教科書にも獣人は耳と尻尾をいつでも隠せるって書いてある」

「それは普通の獣人の話。私は人間とのハーフだからか知らないけど、そういう便利な能力が使えないのよ」

「……成程。だからこそのフードか」

「そういうこと。アンタも夏なのにマフラーなんて巻いてるし、左腕にはリボン巻いて手袋までしている訳だし、首と左腕に何かあるんでしょ?」

「……まぁな」


 葵の左腕のリボンと手袋は義手であることを隠す為に身に着けている。勿論、マフラーを巻いているのにも理由がある。葵には、義手の他にも隠さねばならない物があるのだ。


「まぁお前が獣人と人間のハーフなのは分かったけど何でこんなとこに? 見つかったら獣人の国に強制送還させられるだろ?」

「獣人の国ってのは人間の国と違ってまだ野生の掟みたいのが残っていてね。強い者が正義みたいなところがあるのよ。だから弱い獣人や戦うのが嫌いな獣人は人間の国に亡命しているの。私もその一人ね」

「そうか……逃げて来たのか」

「そういうことね。……まぁ他にも色々あるけれど」


 ナナの目は少しだけ鋭くなる。その目にはまるで燃え盛る炎が躍っていたようで、葵は少しだけ威圧された。


「つーかなんで銀行から逃げて来たんだ? お前だってフードさえ外さなきゃ人間と変わらねぇんだし、もしかしたらヒーローになれたかもしれねぇぞ?」

「……アンタってそこそこ頭良さそうだけど実はバカなの?」

「んだとコラァ! 俺は天才じゃボケェ!」

「返しがもうバカのそれね……」

「なら納得する理由言ってみろ! 俺を納得させられたら言うこと一つ聞いてやるよ!」

「……言ったわね?」

「男に二言はねぇ!!」

「分かったわ。それじゃ、納得させてあげる」


 そう言うとナナは中々に大きい胸を張って、自信満々に話し出した。


「まず、あのままだと近いうちに必ず警察がやって来るわ。だけど、突入しようとしていた彼らが見るのは気絶して無力化された強盗たちになるわね。そしたら次に警察が調べるのは、誰が強盗を無力化したかになるわ。そして無力化した方法は強盗たちを見れば一目瞭然。打撃痕と銃痕があるんだもの。凶器が分かれば警察はアンタに聞くでしょうね。日本には銃刀法違反ってルールがあるのに、何で銃を持っているのかって。それに私にはこんな質問が来る筈よ。君は獣人なのかって。だってそうでしょ? 機関銃を持った相手に打撃を打ち込めるのは、とてつもない身体能力を持つ獣人しかいないんだから」


 葵はナナの話を聞きながら、自分たちが銀行に残った場合のシミュレーションを何度か行ってみた。


「もしかしたら目撃者が誤魔化してくれたかもしれないけど、そんな確実性のないものを頼る訳にはいかないわ。だからアンタたちを連れて逃げたのよ。その銀髪の子も連れて来たのはアンタたちが友達だったように見えたから。連れて来る間も抵抗しなかったんだし、アンタもあのまま一人で銀行に残るよりかはよかったでしょ?」


 ナナはアンの方を向いて問い掛ける。


「ナナ。葵を助け出してくれたこと、感謝します」

「いいわよ別に。これからアンタの友達にしっかりとお礼して貰うしね~」


 ナナは腕を組み、ニヤニヤと薄く笑いながら葵を見ていた。葵はナナの話に納得してしまったことが分かったからであろう。

 ナナの話に納得したら言うことを一つだけ聞くと葵は言ってしまったので、何を要求されても断れないことが恐ろしい。口は禍の元とはよく言ったものである。


「それじゃぁ言うこと聞いてもらおうかしら~?」

「うう……くそぅ」


 葵は挑発に乗って余計なことを言ってしまったことを後悔していた。はたしてどんなことを要求されるのか。


「……しばらく泊めてくれない? アンタの家に」


 ナナは少しだけ顔を赤らめて言った。その発言に葵は面食らってしまった。


「……は?」


 おそらく、自分は今、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていることだろう。それ程までに驚いているのだ。


「だから! アンタんとこに泊めて欲しいのよ! 少しでいいから!」

「何? 家出でもしてんの?」


 するとナナはうつむいて、声を絞り出した。


「……家がないのよ」

「……え?」

「だからぁ!! 家がないの!! ホームレスなのよっ!!」

「……マジで?」

「……マジよ」


 ナナの顔は真っ赤になっており、少し泣きそうだ。よっぽど恥ずかしいのだろう。


「え? じゃぁ今まではどこに?」

「……いろんな人のとこに泊めて貰っていたのよ。何でもするからって言ってね」

「……身売りしてたのお前?」

「失礼ね! 身売りなんてしてないしあたしはまだ処……コホン! 何でもないわ気にしないで。今までは教会とか住み込みさせてくれる個人経営のお店とか色々なところを転々としていたの。まぁ言うなれば旅人していた訳よ」


 ナナは見た目で言えば十五歳前後だろう。真夜と同じくらいだろうか。そんな年頃の娘が特定の家も持たずに旅をする理由など、親や親戚がいないからに決まっている。

 それでもナナは諦めなかったのだろうし、自殺なども考えなかったのだろう。

 それに、ナナは獣人でも人間でもないし、戦力的にも頼りになる少女だ。葵にとって何かと都合のいい存在でもある彼女に、ここで恩を売っておいて損はない。


「分かった。お前のことをしばらく泊めてやる」

「ホント!?」

「男に二言はねぇって言ったろ?」

「ありがと! ええと……」

「ああ、まだ俺らは自己紹介してなかったな。俺は塔野葵。んでこっちが……」

「アンスリウムと申します。アンとお呼びください」

「了解! よろしくね、葵にアン!」


 これでアンに続きまた家の一員が増えた訳だが、まぁ修士なら許してくれるだろうし、真夜も許容してくれるだろう。


「ところで、俺に獣人ってバラしてよかったのか? 万が一にでも俺がお前のことを通報したらヤバかったんじゃねぇのか?」

「アンタたちなら大丈夫だと思っただけよ。面白い目してるしね。特に葵は」

「なんかアンにもそんなこと言われたなぁ。俺ってそんな変な目してんの?」

「安心しなさい。褒め言葉よ」



「イヤーン! 可愛い~!」


 真夜はナナに絡みつくように抱き着き、全力で撫でたり擦り寄ったりしている。ナナはものすごく嫌そうな顔をしているが、居候するという立場である故に断れないようだ。


「ちょ、ちょっと真夜……苦しいんだけど……。というかそろそろアタシのこと放ってご飯作らないといけないんじゃ……。今日はアンタの当番なんでしょ?」

「大丈夫ですよ~。兄さんが代わりにやってくれますので~。ああ、髪の毛も耳もモフモフしてる……!」


 葵たちが塔野家に着いた時、真夜はキッチンで夕飯の準備をしていた。

 そして葵が真夜にナナのことを紹介した瞬間、真夜はいきなりナナに跳びつきその場でナナを撫で回し始めた。葵は忘れていたのだ。真夜が無類の動物好きであったことを。


「ちょっと葵! アンタの妹どうにかしなさいよ! これじゃ落ち着けないじゃない!」


 ナナは真夜に抱き付かれたまま葵に抗議する。先程から真夜に撫で回されているせいで髪はボサボサだ。


「んなこと言われてもよー、ナナのこといきなり連れてきた罰だよ、とか言われたら断れねぇだろ。確かにいきなり連れて来たのは悪かったと思うし」


 葵はエプロン姿でキッチンから答えた。真夜の代わりに夕飯を作っている訳だが、下ごしらえはしてあった為にそこまで大変な作業ではない。


「アンタ大丈夫って言ったじゃないの!!」

「大丈夫だっただろ? 真夜は快くお前を迎え入れてくれたじゃねぇか。ちなみに父さんからも問題ないってさっきメール来てたぞ、ほら」


 葵は修士から届いたメールを表示してから、ナナに向かって自分のケータイを投げた。ナナはそのケータイを受け取り、ケータイの画面を見てから答える。


「……それについてはとても感謝してるわ。って、それより真夜を落ち着かせてよ!」

「俺にゃ無理」

「じゃぁアン!」

「私に命令できるのは葵だけです。あなたの命令に従う理由はありません」


 アンは椅子に座ったまま微動だにせずに答えた。当初、アンは葵の手伝いをしようとしたのだが、如何せん経験不足ということで葵がキッチンからアンを追い出したのだ。

 ただ、経験不足なのは仕方のないことなので、時間のある時に料理を教えようとは考えている。アンは優秀だ。少しでも料理を経験すれば着々とその技術や知識を吸収していくだろう。それはきっと料理以外の家事全般にも対しても言えることであり、アンが家事全般をこなせるようになれば真夜と自分の負担も減るかもしれない。


「葵! アンタちょっとアンに真夜のこと止めさせるよう命令しなさいよ!」

「まぁこれからお世話になるんだし今日ぐらいは別にいいだろ。そのうち飽きるって」

「ほらほらナナさん。兄さんもそう言ってますし、諦めてください」

「うう……私の耳が……私の髪が……」


 結局、真夜の可愛がりは夕飯が終わった後も続き、まだ部屋が用意できないという理由でナナは真夜の部屋で寝たのだった。

 多分、真夜はナナに自分と同じベッドで寝るように言ったのだと思う。だって葵は、どうすればナナと一緒に寝られるかという相談を真夜から受けた時、「一緒に寝ようと頼み込めばそのうち折れる」と真夜に言ったのだから。


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