第8話 顔合わせ
「帰りてぇなー……つーか何で俺がこんなじじいの相手なんぞ……」
「何か言ったかね? 葛西室長」
「……何でもございません」
ソファに座る葛西の前には、スーツを着た男が一人。その男が小学校での特別授業の依頼主であり、今は葵の到着を待っているところだ。
二人は大きな会議用デスクを挟んで向かい合っており、デスクの上にはいくつもの資料とファイルが置いてある。男はそれらの資料をデスクに目を通しながら葛西に問うた。
「それで、レポートはまだかね?」
「まだ十時半ですよ。ウチの研究員は時間を守ります。病的な程に。だから心配しなくても大丈夫ですよじじい」
「葛西室長。少し余計な言葉が聞こえたが」
「気のせいですよ、元室長」
「……市長と呼んでくれないかな。葛西室長」
「うるせぇな黙ってウンウン頷いてろやこのじじい(これは申し訳ありませんでした)」
「葛西室長、おそらくだが本音と建前が逆だ」
「すみませんね。不良室長なもんで」
「君は昔から変わらんな。だから未だ昇進できずに室長止まりなのだよ」
「俺は昇進できないんじゃなく、しないんです。このニュアンスの違いぐらいは分かって貰いたいですねー」
「……まあいい。それで、この依頼を受けた研究員はまだ十六歳の少年という話だが」
依頼主であるこの老人、赤川(あかがわ)はテーブルの上に置いてある葵に関するファイルを手に取り、それに目を通しながら葛西に聞いた。
「そうですよ。まだガキですが優秀です。ウチの期待の星ってところですかね」
「塔野葵くんだったな。彼の論文のいくつかは私も見たよ。まだまだ詰めが甘く説得力に欠ける部分もあったが、とても興味深い内容だった。数年もあれば化けるだろう」
「あいつは俺たちとは着眼点が違いますからね。というより、見ているものも聞いているものも俺たちとは違う。そこがあいつのすごいところですよ」
「フム……具体的には?」
「教えねーよバーカ(すみませんが教えられません)」
「葛西室長、本音を隠して建前で会話したまえ」
「つい本音が。まぁ悪いんですけど教えられません。葵に口止めされてるんで」
「そうか。それは残念だ」
突然、応接室のドアがノックされる。
「室長? 葵です。ここにいると聞いたんですけど」
ドアの向こうから聞こえてきたのは葵の声。少し息切れが聞こえてくるのは走ってきたからであろうか。
「おう、葵。待ってたぞ。鍵は開いてるから入って来い」
「はい。失礼します」
葵はそのままドアを開けて応接室に入る。
「室長、こちらの方は?」
葛西が葵に赤川を紹介しようと口を開く前に、赤川がその場で席を立った。赤川はそのまま葵の元に向かい、葵に自己紹介を始める。
「こんにちは、塔野葵くん。私が君に特別授業を依頼した赤川だ。この神原市(かみはらし)の市長をしている」
葵は握手の為に差し出された赤川の手を握り、自己紹介を始めた。
「初めまして、塔野葵です。本日はレポートをお届けに上がりました。これは赤川市長にお渡しすればいいのでしょうか?」
「ああ、このまま貰うよ」
葵は肩に掛けている自分のカバンからレポートを取り出し、赤川に渡した。
「確かに受け取った。特別手当は給料と共に振り込まれる筈だ。万が一振り込まれていなかったら私に直接連絡をくれたまえ」
そう言って赤川は懐から名刺を出し、葵に手渡した。
「ありがとうございます。それでは、自分はこれで失礼させて頂きます」
「ああ、待ちたまえ葵くん。一つ聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
「キミは我々と違うものを見て、違うものを聞いていると聞いたものでね。具体的に何を見て、何を聞いているのかを知りたい」
「……おい、室長?」
赤川の話を聞いた葵は、葛西をにらむ。それに気付いた葛西はすぐさま顔を逸らた。
「……ナンニモシラナイ」
葵の才能、いや異能というべきだろうか。ともかく、葵が人と違うものを見て聞けることを知っているのは、修士と葛西、そして葵の古巣の人間の一部だけだ。もしこの情報が漏れるとしたら、葛西以外にないというのは明白であることを失念していた。
「それで葵くん、教えて貰えるのかね?」
「……すみません。これだけは教えられません」
葵は申し訳なさそうにうつむく。よほど知られたくないのだろう。葛西は自分が軽率だったことを反省した。
「フム……ならば構わない。もう下がってよろしい」
「……では、失礼します」
「これからも研究、頑張ってくれたまえ」
葵は赤川に軽く頭を下げてから部屋を出て行った。葵が部屋を離れたことを音で確認した赤川は葛西に話し掛ける。
「よく出来た若者じゃないか。君の教え子にしては礼儀も正しいし、言葉遣いもまあまあだ。少し私を警戒しているのが気にはなったが」
「そいつはよかったですねー。反面教師で悪かったですよー」
「まあいい。それで、研究所の自動機械人形のデータは用意できているんだろうね? 葛西室長?」
「できてますけど……こんなもんを何に使う予定で? 余計なことに使われるくらいなら渡したくないんですけどね」
「市長である私の頼みが聞けない、というのかね?」
「聞いてみただけですよ。それにこっちにゃ拒否権はないんだ。渡すしかないでしょう」
「それでいい。それでは私もこれで失礼するよ」
赤川は葛西から書類の束を受け取り、席を立って応接室を出て行った。葛西は赤川が応接室を離れたことを確認すると溜め息を吐く。
「……冷静になってたつもりかもしれねぇけど、研究所に対する敵意は隠せてなかったぞ、じじい。つーか研究所と警察の自動機械人形のデータなんて何に使う気だ……?」
赤川が葛西に用意させたのは研究所にある自動機械人形の種類や武装。そして研究所が軍や警察に送った自動機械人形の種類と武装だ。
本来、それらのデータは外部に漏らしてはならない。だが、赤川はこの研究所の元室長である為か、少しだけガードが緩いのだ。それに研究所としても市長をあまり刺激したくはないのだろう。
結局のところ、保身の為に研究所は赤川に対して甘いのだ。
「十年前のことをまだ気にしてやがんのかな。……確かにあの時、研究所は赤川を守れなかった。だけど、それが仕方のないことだったってのは誰が見ても明らかだ。それぐらいは分かってるよな? ……元室長」
葛西はもう一度、溜め息を吐いた。
◇
葵はアンを迎えに行く為、応接室を出てすぐに自分の研究室へと戻った。
研究所までは一緒に来たのだが、流石に一緒に応接室に行く訳にもいかず、アンには葵の研究室で少し留守番して貰っている。
葵の研究所での職位は主任研究員だ。この研究所での主任研究員の役割は、自分の研究と葛西が指示する研究の計二つを進めることである。
その二つは同時進行で行われることが多いが、葵の部下たちは葵の研究にはまったく関わっていない。葵の部下たちは葛西に指示された研究のみを進めているのだ。
その理由は、葵の研究の特殊さにある。葵の研究の大部分は葵の感覚と才能に頼らなければならないので、誰にでも手伝えるものではないのだ。
(まぁ、焦らずにしっかり進めていけば近いうちに完成すんだろ)
焦る必要はない。だが、のんびりしている訳にもいかない。
何度か行った実験は全て成功している。それはつまり、今のところ論理や仮説は間違っていないということだ。
(必要なのは……質か)
葵の研究に必要なものは未だ揃っていない。それさえ揃えば葵の目的達成はかなり現実味を浴びるのだが、現時点ではそれを用意することができないのが悔やまれる。
(今はいいか。焦ってミスる訳にはいかねぇし、今はまだその時じゃねぇんだろ)
葵は頭の中で現時点での結論を出し、思考を止めた。そして自分の研究所の前まで来た葵は、扉を開けてアンの姿を探した。
「アン! 待たせたな……ってお前ら、何してやがる」
「あ、主任。おかえりなさい」
「まったく主任ってば、こんな可愛い子を隠しておくなんてひどいじゃないですか!!」
自分の研究室に戻った葵が目にしたのは、チャイナドレスを着て写真を撮られているアンと、大量の衣装を持ってアンにカメラを向けている自分の部下の研究員たちだった。
「おかえりなさい、葵」
「……ああ、ただいま。それでお前ら、アンに何してやがる」
「いやーあまりにも可愛いんで写真撮っちゃいましたよっ!」
「撮るのはいいけど、なんでチャイナドレスなんだよ!?」
「ああ、それはあたしが持ってましたので!」
「何でそれを仕事場に持って来てんだ!? おかしいだろ! ……って、もしかしてアンの周りに置いてあるメイド服だとかバニースーツとかもお前のか!?」
「……テヘペロ!」
「何やってんだお前はあああああ!!」
「あ、でも全部が私のって訳じゃないですよ。スク水とか学生服は加藤(かとう)のですから」
葵はいまだ写真を撮り続ける加藤に問う。
「おい加藤。お前今年で二十五歳だったよな。……何で女子用スク水だのセーラー服だのを持ってんだ? お前は男なんだし、お前のお古って訳じゃねぇだろ?」
「いつか彼女が出来たら着させようと思って用意してたんです!」
「……まぁ人の趣味にケチつける気はねぇからそれはそれでいいが……というかアン。お前も何で大人しくコスプレしてんだ……?」
「この方々の言うことをよく聞くように、と葵が言ったので」
「そうだった……」
葵は自分の浅はかさを後悔した。
「それで主任! お話があります!」
加藤がいきなり葵の前に躍り出る。
「え!? な、何だ……?」
「アンちゃんを僕にください!!」
「やるわけねぇだろこの馬鹿が!!」
加藤はいきなり土下座してバカなことを言ってきたが、くれてやる訳がない。アンのマスターは葵だけなのだから。
「その通りです。私はマスターである葵のものです」
「きゃー! アンちゃんったら大胆ー!!」
チャイナドレスやらメイド服やらを持っていた佐野(さの)はきゃーきゃー言いながらアンの写真を撮り続けている。
「ちょ、ちょっと待てアン! ちょっとこっち来い!」
「? はい」
葵は部屋の隅にアンを連れて行き、他の研究員たちに聞こえないくらいの声で言った。
「アン! 自動機械人形だってことは秘密だって言っただろ!」
「はい。存じております」
「だったら何で今、俺のことをマスターって呼んだんだ!?」
「私は葵のことをマスターとは呼んでいませんが」
「だって今、俺のことをマスターって……」
「私は葵の身分を言ったまでです」
ああ。そういことか。少し考えれば分かることではあった。
アンは葵のことをマスターと言ったが、それはあくまで間接的にだ。葵のことを直接マスターと呼んではいない。言葉とは難しいもので、そのニュアンスや間接的な言葉で込められた意味を理解できてしまう。
アンは、「マスターである○○」という言葉だけで葵がアンのマスターだと大多数の人間が理解するということを、分かっていないのだ。そして葵がアンのマスターであるということは、アンは自動機械人形であるということになる。つまり、アンが自動機械人形だということがバレるのだ。
まぁバレてしまったのならばしょうがない。アンが自動機械人形であることを隠してくれるように頼まなくてはならないだろう。
葵はアンを連れて研究員たちの元へ戻る。
「あー……その、なんだ。いきなりこんなことを言うのも何だが、お前らにはアンのことを黙っていて貰いたい。勿論、いずれ何かしらの礼はする」
「「「……」」」
葵の言葉を聞いた研究員たちは揃って黙り込む。そして、一番初めに口を開いたのは佐野だった。
「安心して下さい主任。誰にも言いませんから」
そして佐野がその言葉を言ってすぐに、他の研究員たちも佐野と同じような言葉を言ってくれる。
「秘密にしておきますよ主任!」
「主任にはかなりお世話になってますしね!」
「このことは墓場まで持って行きますから!」
葵は部下たちは葵とアンの秘密を守ってくれるようなので、葵はホッとした。
「お前ら……ありがとう!」
「それにこんなこと……言える訳ないじゃないですか!」
「確かに人には言えませんよねー。こんなこと」
「普通じゃないとは言いませんが、少し特殊ではありますからね」
「まあ誰にだって趣味趣向はありますし、人それぞれだと思います」
「たとえ主任がどんな趣味をしてたって、僕らは主任の味方ですから。安心して下さい!」
「……ん?」
何だろう、何かがおかしい。何というかこう、歯車が噛み合っていないと言うか、言論がすれ違っているというか。
「お前ら、念の為に聞いておくけど……俺が秘密にしておいて欲しいことが何なのか、理解してるか?」
「「「家ではアンちゃんとメイドプレイしてるってことでしょ?」」」
「んな訳あるかこの馬鹿どもがあああああああ!!!」
葵の怒号は研究室どころか研究所一帯に響き渡った。
「何でだ!? 何でそんなふうに思った!?」
「だって主任はアンちゃんのマスターなんでしょ? で、マスターって呼ぶのは古今東西メイドさんでしょ? つまりはメイドプレイでしょ?」
佐野が「え? 違うの?」とでも言いたげな顔で葵に聞いた。
「加藤! お前かそんなふざけた妄想したのは!」
「え? だってそうなんでしょ?」
「違うわボケェ!!」
そして葵は一生懸命に研究員たちの誤解を解こうとしたが、いざ誤解を解こうとしたら、「じゃあマスターってどういうこと?」などと聞かれるだろうと思ったので、結局誤解はそのままにしたのだった。
勘違いをしてくれたのはありがたいが、葵の評価が何だかおかしなことになってしまったのは痛手だったと言えよう。
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