第6話 家族

「……オッホン! オッホン!! えー、終わったかな? 若者たち」


 そう言って家のポーチの外から入って来たのは、塔野修士(とうのしゅうし)。葵と真夜の父親だ。


「父さん!? ……いつからそこに?」

「……家に帰ってきたら葵とその銀髪の子がキスを始めたところだったんでね。邪魔をしてはいけないと思って終わるのを待っていたんだよ」


 長身で眼鏡を掛けている修士の年齢は三十代後半だが、見た目で判断すると二十代後半、いや、学生でも通じるかもしれないぐらいに若い。

 言葉遣いは丁寧で物腰も柔らかな誠実な人間であるので、修士は近所でも職場でも大人気だと修士の同僚たちに聞いた。彼は複数の博士号を所持している天才であり、それならば修士に対する妬みや嫉妬なども多いだろうと葵は思っていたのだが、彼を知る者は皆口を揃えてこう言った。


「「「聖人過ぎて妬みとか嫉妬とか出て来ない」」」


 葵自身、彼の父親のことを聖人か何かだと思っていたが、まさか社会の評価すらもそうなっているとは思わなかったものだ。


「マスターのお父さまですね? 私はアンスリウムと申します。アンとお呼びください」

「これはどうもご丁寧に。僕は葵の父親で塔野修士と言います。アンさんは葵の恋人なのかな?」

「いえ、恋人ではありません。私たちの関係はそのような言葉で形容できるものではなく、まさに一蓮托生。死が二人を分かつまでと言ったところでしょうか」


 その言葉を聞いた修士は急に真面目な顔になり、葵をじっと見て言った。


「葵……近いうちにこの子と結婚でもするのかい?」

「ちげーよ!」


 その誤解を解く為にアンが自動機械人形であることと、自分がアンのマスターになったことを説明しようと葵は考えた。


(……でも、正直に言っていいのか?)


 アンは世界最高レベルの自動機械人形だと葵は考えている。もしアンのような人間と変わらない自動機械人形がいたとしても、アンには敵わないだろう。

 ならば、アンの存在は世界中の科学人形技師の希望となるに決まっている。最悪の場合、解体されたり実験材料にされたりするかもしれない。それが科学者というものだ。

 隠さねばならないと葵は思ったが、葵が父親である修士に多大な恩を感じているのも事実であり、葵は修士に嘘を吐きたくないと思っている。


(……父さんなら大丈夫かな)


 自分を救ってくれた修士なら。真夜の父親である修士なら。


(……うん。父さんなら大丈夫だろうし、ちゃんと言った方がいいだろう)


 そうして葵は、修士にアンのこと、アンのマスターになったことを説明した。


「成程ね。アンさんは自動機械人形なのか。とてもそうは見えないけどねぇ」


 普通、人間に限りなく近い自動機械人形を見れば少なからず動揺したりするものだが、修士はずっと落ち着いていた。


「それは俺も同感だよ。アンはどっからどう見ても人間だ。言わなきゃ誰も分からないんじゃねぇかな」

「そうなのですか?」

「そりゃあなぁ。人型の自動機械人形は世の中に沢山いるけど、お前みたいに人間とまったく変わらないレベルは見たことねぇよ」


 自動機械人形を日々研究し、開発している葵でもこのレベルの自動機械人形など見たことはないし、そもそも聞いたことすらない。

 ただ、下っ端である自分が知らないだけで、国の重役ならばアンと同じレベルの自動機械人形を持っている可能性はある。まぁその可能性は限りなくゼロに近いとは思うが。


「ところでアンさん。君はこの近くに住んでいるのかい? 今から帰るにしても、葵との用事を済ませてからにしても、こんな時間だからね。よければ家まで送るよ。葵が」

「俺がかよ!」

「私は先程稼働したばかりなので住む家はありません。それに、この世界についての情報もほとんどありません」

「そうか。アンさんには家がないのか……。ならアンさん、この家に住むかい?」

「父さん!?」

「何を驚いているんだい葵? 自動機械人形とマスターが一緒に住むのは当然だろう?」


 介護や家事手伝い、家の警備用の自動機械人形などは基本的にマスターと共にあることが多い。何故なら、それらは人と共にいて初めて役に立つからだ。

 ちなみに、軍や警察が使う戦闘用の自動機械人形の利点は遠隔操作と自立行動なので、介護や家事手伝い用のものと違って共にいない方が役に立つ。


「まぁ……そっか。そうだな」

「よろしいのですか?」

「勿論さ! 子供が二人から三人に増えたところで大した違いはないからね」

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「それじゃぁアンさん。今日から君も家の子だ! もしよかったら塔野の名字を名乗ってくれてもいいよ」

「ありがとうございます、お父さま。それではこれから、よろしくお願いします」

「……何だろう? 何か外堀から埋められたみたいな……」

「兄さん、結局誰だったんです? あ、帰っていたんですね、父さん。それにお客さんまで」


 葵がなかなか戻らないからか、心配した様子で真夜が玄関に来た。


「やあ、真夜。ただいま。今日はまた新しい家族が増えた記念日だよ」

「え? もしかしてその銀髪の女の人がですか?」

「そう。なんと彼女は自動機械人形なんだよ」

「ちょ、父さん!? 秘密にしてくれって……」

「真夜なら大丈夫さ」


 修士はそんな調子で言うが、そんな重大事実を聞いた真夜は――


「え!? ほ、本当ですか!? どこからどう見ても人間にしか見えませんけど……」


 目を見開いて驚いていた。今はアンをじっくりと観察している。まぁ、それが普通の人間の反応だろう。やはり修士がおかしかっただけだったのだ。


「いえ、私は自動機械人形です。アンスリウムと申します。アンとお呼びください」


アンは丁寧に頭を下げる。すると真夜も同じように頭を下げた。


「あ、これはどうもご丁寧に……。塔野真夜です」

「……取り敢えず、家の中に入らねぇか? もう腹減ったし、ここ玄関だし」

「そうだね。それじゃあアンさん。今日からここが君の家だよ! あとで君の部屋も用意するから安心してね」

「いえ、私はマスターの部屋で待機しますので――」

「やめてくださいお願いします」


 自動機械人形であろうとこんなに可愛い女の子と寝る時まで一緒にいれば、ドキドキで死んでしまう。女の子と付き合ったことがない葵には刺激が強すぎるのだ。


「そうですか。それではお父さま、私の部屋の用意をお願いします」

「うん。でも取り敢えずご飯食べちゃおうか。葵の言う通り僕もお腹がすいたし」


 葵たちはそのまま靴を脱いでリビングに戻った。修士は着替える為に自室へ向かい、真夜と葵は夕飯の準備を始める。


「それじゃ兄さん、夕飯を並べるので手伝ってください」

「おう」

「私もお手伝い致します。ご命令を、マスター」

「今日の夕飯の指揮官は真夜だ。今は真夜に従ってくれ」

「了解しました。真夜、私は何をすればいいのでしょうか?」

「それじゃあ兄さんと一緒にここにある料理をテーブルに運んで下さい。置く場所は兄さんが教えてくれると思いますので」

「了解しました。それではマスター、ご命令を」

「取り敢えず一緒に料理を運ぶぞ。どこに置くかはテーブルの前に来た時に言うから」

「了解しました」


 そして夕飯の準備はテキパキと進み、あっという間に準備は終わったのだった。


「やっぱり人出が増えると違いますね。兄さんと私だけだともう少し掛かりますが、三人でやるとこうも早くなるんですね」

「まぁ二人と三人じゃあ結果が変わるのも当然だな」

「お、今日は麻婆豆腐なんだね。相変わらず美味しそうだ」

「ありがとうございます父さん。それでは、冷めないうちに頂きましょう」

「「「頂きます!」」」


 早速食事を始める葵たちだったが、アンは食事に手を付けずに葵たちの様子をじっと眺めている。


「どうしたアン? 腹減ってないのか? お前は人型だから人間の食べ物でエネルギーを回復できると思ってたんだけど」


 自動機械人形は様々な方法でエネルギーを蓄える。

 一番メジャーな方法は充電だ。自動機械人形に付いているプラグをコンセントに差し込むだけでいい。他にはガソリンを入れて動く自動機械人形もあるし、水を入れるだけで動くものもある。

 ちなみに軍や警察が使うような戦闘用の自動機械人形はいつでも補給できるとは限らないし、一度の補給で長時間行動する必要があるので、『レルド』と呼ばれる特殊な液状のエネルギーを燃料として動くものが多い。

 だが、人間そっくりに作られる介護型や家事手伝いの自動機械人形は人間と共に行動することが多く、一緒に食卓を囲むこともあるので、人間の食べ物をエネルギーに変換できる機能を持っていることが多いのだ。アンもその類なのだと葵は考えていた。


「はい。私は人間の食べ物でエネルギーを補給できます。そろそろエネルギーが尽きそうではあるのですが……これがこの世界の食べ物なのですか?」

「……お前の記憶装置にプリインストールされてる情報って少ないのか?」

「ほとんどありません。あるのは自分の名前と私たちの開発思想、それと人間という種の情報だけです。他の情報といえば、ローズから口頭で受け取ったこの世界の直近の歴史と現状だけでしょうか。会話機能はありますので言語に関しては問題ありませんが」

「ということはつまり、アンさんはまだ何も知らないんだね。葵、アンさんに色々と教えてあげるんだよ?」

「分かってるって。それじゃアン。まずは箸の使い方からだ」

「箸とはなんですか?」

「食べ物を食べる時に使う道具の一つだ。持ち方はこうやってだな……」


 葵は持っていた箸の一本を鉛筆のように持ち、もう一本を親指と人差し指の間に差し込んでアンに箸の持ち方を教えた。


「? こうですか?」

 

 だが、やはり箸は少し扱いが難しく、理解しにくいのだろう。アンはどうもピンと来ないようだ。


「いや、そうじゃない。……取り敢えず今回はフォークとスプーンを使え。箸は後でお椀と豆でも使って教えるから」


 葵はアンにフォークとスプーンを手渡す。


「こっちのフォークって道具は刺して使う道具。このスプーンって道具はすくって使う道具だ。この二つがあれば今日の食事には困らねぇだろ」

「ありがとうございます、マスター」


 そうして塔野家の夕飯は過ぎていった。



「アンさん、今日からここが君の部屋だよ。自由に使っていいからね」


 夕飯の後、修士は早速空き部屋の一つへとアンを案内した。長らく使っていなかったせいで少し汚れていたが、先程掃除した為にかなり綺麗になっている。


「でもベッドはどうすんだ父さん? まさか床で寝ろなんて言わないだろ?」

「そうなんだよね。空いてるベッドはないし、女の子に布団を敷いて寝て貰うのもなんだし……どうしようか」


 修士はチラチラと葵を見て来る。その目を見ただけで、葵には修士が何を言いたいのかが分かってしまう。


「……分かったよ。アン、今日は俺のベッドで寝ろ。俺は布団で寝る」

「よろしいのですかマスター?」

「いいよ。明日にはベッド買ってくるし。それじゃ俺はもう寝るから――」


 葵が空き部屋に入ろうとした瞬間、修士は葵の肩をガシッと掴む。


「ねえ葵。まさかこの空き部屋に一人で寝るなんて言わないよね?」

「……そのつもりだけど?」

「駄目です。アンさんと一緒のベッドで寝ろとは言わないから、せめて一緒の部屋で寝なさい」

「……やっぱりこうなったか」


 修士は筋金入りのお節介焼きだ。大方、初めての家で一人寂しく寝るのは不安だろうから一緒にいなさいということだろう。その相手が真夜じゃないのは、葵がアンのマスターだからだ。

 同じ部屋で寝るのはかなり恥ずかしいしドキドキするが、一日なら耐えられるだろうと葵は考えた。


「分かったよ父さん。アン、俺の部屋に案内すっからついて来い」

「よろしいのですかマスター? 私と共にいることが嫌なのかと思っていましたが」


 表情は変わらないが、その声のトーンで落ち込んでいることが分かる。


「そ、そんなことねぇよ! 俺はただお前みたいな可愛い子と一緒にいるとドキドキするってだけで……お前と一緒にいられんのは凄ぇ嬉しいよ!」

「ほうほう、それが葵の本音かー。初心だねー」

「ハッ!」


 葵は思わず本音を漏らしてしまった。だがそれも仕方ないだろう。葵がアンを嫌うことは未来永劫ありえない。何故なら、アンは葵を認めてくれたのだから。

 誰かに認められるのはとても幸福なことであり、誰もが誰かに認めて貰いたいと思っている。だからこそ人は他人と接するし、友情を築こうとするのだ。


「ありがとうございますマスター。私はとても嬉しいです。今の言葉、優先度Aで登録しますね」

「い、いや。まぁ……うん」

「ふふふ。いい雰囲気だねー。それじゃあお邪魔虫は退散して部屋に戻るかな。二人とも、おやすみ」


 修士はニヤニヤしながら自室に戻って行く。その表情はまさに少年のそれであり、その子供心こそが若さの秘訣なのだろうかと葵は思った。


「それじゃ俺たちも部屋に行くか」

「はいマスター」


 葵たちが部屋について早々、一段落して気が抜けたのか急激に眠気が襲って来る。今日は色々なことがあり過ぎた。むしろここまでよく耐えたと自分自身を褒めるべきだろう。


「……悪ぃ、アン。もう俺は限界みたいだ。今日はそのベッドで寝てくれ」


 葵はそのまま押入れにある来客用の布団を取り出して乱雑に敷いた。しっかりとシーツを掛けたりする余裕はなかったのだ。


「了解しました。私はスリープモードに移行しますので、私を起こす時には私に触れながら私の名前を呼んでください。そうすれば私は通常モードに移行しますので」

「……了解だ。それじゃ、おやす……み……」


 アンの言葉を聞いてすぐに葵は布団に仰向けに倒れ込んだ。その様子を見ていたアンは膝を折ってしゃがみ込み、葵の上に毛布を掛ける。


「マスター……私は、空っぽです。何も知りませんし、何もできません。私は、怖いです。あなたが私を捨てないかどうか。それだけが心配なのです」


 葵は薄れゆく意識の中でアンの端正な顔を見ていたが、何を言っているのかは聞き取れなかった。でも、その声から寂しさや悲しみを感じた。


(アン……そんなの悲しそうな声を出すなよ。何を言ったのかは分からねぇけど、俺はお前に会えて嬉しいんだぜ? ……これからもよろしくな、アン)


 アンが何を言ったのかは分からないが、葵はアンを悲しませたくはない。だからこそ、葵はアンを大事にしようと再度決意したのだった。

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