第5話 マスター認証

 葵は、今の状況をよく理解できないでいた。

 思えば今日はいつもと違うことばかりしていたが、そのトドメとしては中々に強烈ではないだろうか。

 昨日の葛西からの「特別授業の教師として小学校行って来い」という発言から始まり、平日に立ち寄ったことのない住宅街に足を踏み入れ、ローズと名乗る規格外の自動機械人形に出会った。それだけでも結構な心労があったというのに、いざ家に帰れば葵をマスターと呼ぶ銀髪美少女が来訪して来たのだから、世の中って分からないなぁと葵が考えるのも仕方がないだろう。


「マスター? どうかしましたか?」

「い、いや。そろそろ俺の頭じゃ処理し切れなくなりそうでな……」

「成程、そうでしたか。それでは私の膝枕で休憩などは如何でしょう?」

「……え?」


 葵は目の前の銀髪美少女のミニスカートから伸びた脚に目を向けた。肉付きのいい太ももはとても柔らかそうだ。思わず頼もうかと思ってしまったが、目の前の少女が初対面であることを思い出して頭を切り替え、葵は少女の正体を問う。


「い、いやそれよりも、君は誰だ? 妹の友達か? それとも父さんの客か?」

「申し遅れました。私はDEM101(でぃーいーえむいちぜろいち)タイプノース、アンスリウムと申します」

「……えーと? ディーイーエムの何だって?」

「私のことはアンとお呼びください」

「……分かった。アンな。それでアンは何で俺ん家に来たんだ? 家の誰かに用か?」

「私はあなたをマスターとする為に来ました。マスター認証をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「マスター認証? ……それってつまり――」


 葵は今日出会ったローズのことを思い出した。どこからどう見ても普通の人間である自動機械人形のローズのことを。

 マスター認証とは自動機械人形が自分の主を決める為に行う儀式のような物。これは自動機械人形の力をフルに使うのに必要なことである。何故なら、全ての自動機械人形のOSはマスターを登録しなければその性能に多くのリミッターが掛かるように設定されているからだ。

 つまり、自動機械人形はマスターがいなければその性能の数割しか使えないのだ。

マスター認証を求めるということは、葵の目の前にいる銀髪美少女は自動機械人形であるということに他ならない。


「君は……自動機械人形なのか?」

「はい。私は自動機械人形です。識別名はアンスリウム。なのでアンとお呼びください」


 確かに、このアンと名乗る少女はローズに比べれば自動機械人形に近い。ローズは表情が豊かで仕草も人間そのものだったが、アンはずっと無表情であまり動かずに直立している。それに言葉に抑揚がないので、感情がほとんど読み取れない。

 だがそれでも、あまりに人間に近すぎる。これでは人間とまったく変わらない。アンもローズと同じ規格外の自動機械人形なようだ。

 ただそれよりも、一つ疑問がある。アンは葵をマスターとしたいと言ったが、その理由が葵には気になってしょうがない。


「……アン、君は何で俺をマスターに選んだんだ? 俺はただの研究員だぞ?」

「私はローズにあなたのことを聞きました。そして私は今、あなたを見ました。私はあなたのことが気に入りました。わたしはあなたが好きです」

 

 抑揚のない声で、アンは葵に告白のようなものをした。その声は機械音声ではなく肉声であり、ローズとは違った。ローズはアンとは違い、頭に直接響くような声を発していたからだ。アンを作ったのは人物とローズを作った人物は同一ではないのだろうか。それとも、アンとローズにはそれぞれ違う技術が使われているのだろうか。 

 考えられる可能性はいくらでもある。だが、今の葵にはアンとローズの声の違いを分析する余裕はなかった。葵には、アンの口にした告白の方が問題だったのだ。


「なっ!!」


 葵は、「好きです」というアンの突然の告白に驚き、驚愕の声を上げた。


「お、おまっ! い、いきなり、す……好きとか!!」

「? 何か問題はありましたか? 人は気に入った個人のことを好きであると評価するのではないのですか?」

「そ、そうだけど……」


 告白されたこと自体が初めてだったこともあり、葵はつい狼狽してしまったが、友達同士の好きだってあることを思い出した。そういう意味だったのだろう。


「ふー……落ち着いた」

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫!」

「それで、塔野葵さま。私のマスターになって頂けるでしょうか?」

「それは……」


 断る理由なんてどこにもない。だけど、こんな世界最高レベルの自動機械人形のマスターに自分のようなただの研究員がなってもいいのだろうか。それは、単なる我儘なのではないだろうか。


「どうしましたか、マスター?」

「……俺さ、そんなに偉い研究員じゃないんだ。俺よりも優秀な研究者は世の中にいくらでもいるし、そんな人たちを差し置いて俺が君のマスターになってもいいのかなって。それにさ、俺は君が思ってるようないい人なんかじゃ――」

「関係ありません。あなたを見つけたのはローズですが、あなたを選んだのは私です。私は、嫌いな人をマスターには選びません。あなたがあなた自身をどう思っているのかは分かりませんが、私はあなたを、塔野葵さまをマスターとして選びました」

「アン……君はどうして……?」

「私は、あなたが全ての機械を救ってくれるのではないかと思いました。私は、あなたが機械の味方であると感じました。それにあなたの目。とても深い色をしています。私の好きな色をしています」


 彼女が葵に何を見たのかは分からないし、何を言っているのかもよく分からない。だが、葵を認めてくれているのは間違いないようだ。


「……分かった。俺を君のマスターにしてくれ。アン」

「了解しました。それでは、マスターの認証作業を始めます。マスター、両目を閉じて、その場から動かないでください」

「? 分かった」


 葵はその場で両目を閉じた。マスター認証とは自動機械人形により方式が変わるので、アンがどのようにしてマスター認証をするのかは分からない。

 以前見た自動機械人形のマスター認証は、マスターとなる人間の血を一滴だけコアユニットにある直径一センチの開閉式の球体に入れることだった。

 他の自動機械人形は指紋を登録することだったり、皮膚をほんの少し切り取ってコアにあるケースに入れることだったりと様々だったが、アンは一体何をする気なのだろうか。


「それでは失礼しますね……んっ」

「んむっ!?」


 突然唇に感じた生温く柔らかい感触に驚いて目を開けた葵の目の前には、少し赤くなったアンの顔があった。雪のように白い肌が赤くなっているさまはとても可愛らしいもので、葵はアンの顔から目を離せなくなってしまう。


「んっ、んむっ……はぁっ、ちゅっ……んむ」

「むー! むー! (ちょっ、こいつ力強ぇ!!)」


 少し冷静になった葵はいきなりのキスに驚きアンを引き離そうとするが、そこは流石の自動機械人形。途轍もない力で押さえつけられ、逃げることはできなかった。


「んはっ……んむ、ちゅっ……はぁ、んう」

(キスってこんな感じなのか。柔らかくて気持ちよくて、頭がぼうっとしてきた……)


 悲しきかな男の性か。美少女のキスに段々抵抗する気がなくなっていった葵だったが、その更に上を行くアンの行動には僅かな抵抗を示した。


「んむっ……ちゅる……」

「んむー!! (ちょっと待て! 舌入って来てる、舌入って来てるーーーー!!)」


 アンの柔らかい舌も唇も、とても人工物とは思えない。というより、人間のものよりもいいのではないだろうかと思ってしまった。

 それはつまり、アンは人間と違いないくらいによく出来た自動機械人形であるということ。その技術レベルは計り知れない。アンやローズを作ったのが同一人物であるのなら、その人物はどれ程の天才であったのだろうか。


「ちゅる……んはっ、んむっ、んっ……ふぅ。終わりました」


 そして約一分間のキスの後、アンは葵を解放した。


「これでマスター認証は終了です。これより塔野葵さまは正式に私、DEM101タイプノース《名無し》のアンスリウムのマスターとなりました。これから、末永くよろしくお願いします」

「へっ? ああ、よろしくなアン。……ところで、今の長いキスは本当に必要だったのか?」

「はい。私のマスター認証は粘膜の交換により完了します。キスというのが一番やりやすい方法であるという情報が私のデータにありましたので、それを参考にしました」

「……そうなのか」


 葵はアンの唇を見てキスの感触を思い出していた。その柔らかい感触は思い出すだけでも至福のものであり、忘れることなど出来はしないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る