第3話 予期せぬ邂逅
「ったく。あんなに泣かなくてもいいじゃねえか……」
あの後、教室にいた子供たちは全員泣き出し、それを静める為に葵と担任教師が慰めて回ったのだ。泣いた理由は片腕を失った葵が可愛そうだからだと言う。
葵は同情されるのが嫌いである。だからこそ左腕にはいつもリボンを巻いているというのに、上手くいかないものだ。初めて義手について聞かれたものだから、それを見せた時の相手の反応を予想できなかったことが悔やまれる。
「これはこれで便利ではあるけどなぁ」
通常、義手は生身の腕と違って動かしにくく、もう片方の腕とは重さが違うからバランスがとりにくいなどといった欠点があるものだが、葵の義手にその類の欠点はない。
動かしやすい理由として挙げられるのは、義手の材料と使われている技術の二つだ。
義手の材料についてだが、駆動部分である関節部位には世界で最も柔らかくて軽い金属であるネーベル合金を使っているので、スムーズな動きが可能である。そして外部に使われているのはストランジェ合金と呼ばれる世界で最も硬く、軽い金属。これにより多少の衝撃ではビクともせず、零距離のショットガンの弾でさえ傷を付けられないだろう。
内部では自動機械人形と同じ技術が使われており、機械の神経部品と葵の神経を繋ぐことで義手を思うがままに動かすことができる。人間と機械の神経を繋ぐには類まれな技術と、機械と人間の相性のよさが不可欠であり、後者に関しては葵の運がよかったのも成功の要因の一つだ。
義手の重さと内部機械の重さは葵の右腕とほぼ同じに調整されている為、重さによる体感バランスのズレはほとんどない。そのおかげで葵は片腕が義手であるのにも関わらず、日常を普通に過ごすことが出来ているのだ。
「……さて、特別授業が終わったことを報告しに行かなくちゃな」
今回、葵が行った小学校での特別授業は研究所が受けた依頼であるので、葵にはその依頼の報告義務がある。更に報告が終わった後、翌日までに提出せねばならないレポートを書く必要があるので、今日は徹夜になるだろう。
本当なら今日は思う存分に自分の研究を進められる予定だったのだ。しかし昨日の夜遅くに、葵の所属している研究所の室長である葛西(かさい)から「お前ちょっと小学校言って授業してこい。明日だから」という無茶を言われてしまったので、予定を変更せねばならなくなった。おかげで昨日から授業の準備やら専門以外についての聞き込みや調べ物が多々あった為、今日の葵は徹夜明けなのだ。
「上には逆らえないのはどの業界も同じだよな。ああー、やべえ……超眠い……」
授業中は気合と根性で何とか眠気を抑えながら必死に授業をしていた葵だったが、もう限界だ。しかしここで寝る訳にもいかないので、ここから歩いて三十分のところにある研究所へと向かうことにした。
研究所に向かう道はいくつかある。その内の一つは大通りをそのまま真っ直ぐ向かう単純な道のりだが、時間が掛かってしまう。ただ、大通りから外れたところにある公園を通れば少し時間が短縮できる。だから研究所に戻る時、葵はいつも公園を通っているのだ。
(ん~、歩けば少しは目が覚めるかね? でもまぁ、折角だし住宅街の方から行くかとするかな)
住宅街を通る道は公園や大通りを通るよりも時間が掛かってしまう道である。だからこの道を通ろうとする研究員はよほどの物好きしかいない。
遠回りになってしまうから研究所に戻る時には葵も住宅街を通りはしないのだが、繁忙寝ている頭をスッキリさせる為に少し歩こうと考えた。
◇
「相変わらずここはあんま人いねぇなぁ」
ここは住宅街だ。つまり、沢山の住宅があり多くの人が住んでいるということである。その理由もあって人通りがなくなることはほとんどない。
だが、唯一例外である時間帯が存在するのだ。午後四時から午後五時までの一時間は人通りが完全に途絶え、無人のゴーストタウンのような雰囲気を持ち始める。面白いことに午後五時を過ぎると住宅街は賑やかさを取り戻し、ゴーストタウンの雰囲気など欠片も感じさせなくなるのだ。
そのせいか午後四時過ぎである今はまったく人がおらず、見渡す限り誰もいない。音も気配すらもなくなるのだから、何とも不思議な住宅街ではなかろうか。
葵はこの不思議な緊張感にも似た空気が好きであり、休日にはこの時間帯にこの住宅街を散歩している。
「やっぱここはいいな。空気も、気配も、緊張感も。……昔を思い出させてくれる」
葵の忘れてはならない記憶。忘れてはならない事実。忘れてはならない思い。
葵がそれらを忘れることは決してないだろうが、それでも過去の自分の決意を思い出させてくれる場所は必要だ。
葵はそのまま歩みを進める。自分の過去を思い出しながら。
「クスクス。お兄さん、そんな怖い顔をしてどうしたの?」
「なっ!?」
葵は背後から聞こえた声に驚いてすぐに後ろを振り向いた。それもその筈。気配に対して鋭敏である葵が三メートル程離れた場所に立っている幼い少女の存在に気付かない筈がないからだ。
しかも葵がこの住宅街を歩いている間はいつも以上に気を張っている。だからこそこんな近距離の気配に気付かなかった理由が葵には分からない。
「あら、驚いたかしら? それとも、わたしがこんなに可愛いから見とれているの?」
見たところ十歳前後の白い髪を持つ少女は軽く首を傾げてお道化て見せる。
(こいつは……何だ?)
目の前の少女の存在を確認した葵が感じた葵は素直にそう思った。
おおよそ一人の少女に対する感想ではないが、それも仕方ないと言える筈だ。何故なら、目の前の少女からは気配を感じないのだから。いや、そもそも生きているのかさえも分からない。
彼女の呼吸音も聞こえないし、彼女からは生気も感じない。声は脳に直接響いているような気がするし、その目には全てが見透かされているように感じる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。ボクはあなたの敵じゃないもの」
少女は葵に近付きながら優しく話し掛ける。確かにその目には敵意はないし、声には優しさが込められているように聞こえる。
「……君の名前は?」
「ローズよ。よろしくね、塔野葵くん。……それとも、××××・×××××くんと呼んだ方がいいかしら?」
「……お前、どこでそれを知った!?」
ローズが口にしたのはかつての葵の名前。葵自身が呪いであると考えている名前だ。
この名前を知るものは葵の古巣の人間しかいない。ローズと名乗る少女が知っているとすれば、それはつまり、ローズは葵の古巣と何らかの関係がある人間ということだ。
もしそうならば、葵が選ぶべき選択肢は――
「あらあら、誤解しないで。わたしがあなたのもう一つの名前を知れたのは、あなたの記憶を見たからよ」
「……俺の記憶?」
「そう、あなたの記憶。もう気付いていると思うけれど、わたしは普通の人間じゃないわ。今日ここに来たのはあなたに会う為よ」
ローズは自分のことを普通の人間ではないと言う。そう言われれば納得できないこともないが、普通の人間でなければ何だという話である。
普通の人間ではないのならば獣人ということだろうか。いや、そうではないだろう。いくらなんでも獣人にだって記憶を読むことができる者などいない筈だ。ならば、彼女は一体何なのだろう。
「フフフ。いいわ、教えてあげる。……わたしはね、自動機械人形なのよ」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出る。当たり前だろう。目の前の、どう見ても機械には見えない少女が自分を機械だと言うのだから。
「あら、信じてないわね? いけないわ、研究者が自分の目で見た物を信じないなんて」
「お前のどこが機械だっつーんだよ。どこからどう見ても人間じゃねぇか」
ローズの肌は人間のそれだし、先程から顔には細かな表情の違いも出ている。それに機械の駆動音もしないし、機械にしては滑らかに動き過ぎだ。ローズを機械だと判断する人間などこの世にはいないだろう。
「……ふぅ。仕方ないわねぇ。それじゃぁちょっとだけ見せてあげる」
そう言うとローズは着ていた白いワンピースのスカート部分を持ち上げて、葵に自分の腹を見せる。
「ちょ、ちょっと待て! 俺にそんな趣味は……」
「ほら、見なさい?」
ローズは狼狽する葵に構うことなく自分の腹に手を持っていき、自分の腹の数箇所を順番に指で軽く押していく。そしてローズが自分の胃の皮膚を前に引っ張った瞬間、ローズの皮膚が扉のように開いた。
「何……!?」
葵はあまりの事実に思わず叫んでしまった。ローズの腹が開いたことも充分に驚くべき事実だが、それよりもその中身の方が問題だったのだ。
ローズの腹にあったのはギッシリと詰まった大量の機械部品。それだけの量の機械部品など普通の人間の体にはないし、人工臓器などの機械部品を使っている人間の体の中にある機械部品だって多くても数十個ぐらいな筈だ。
加えて、ローズの体の中には臓器はないし、開いた腹の断面から血が出ていない。それらを踏まえて考えたならば、ローズは紛れもなく自動機械人形であると考えられる。
だが、何よりも葵を驚愕させたのはローズの自動機械人形としてのクオリティだ。
ローズはその動きから見ても、口にした言葉から見ても、葵との会話の応答から見ても人間であり、最初は葵もそう思っていた。だが、ふたを開けてみればローズは人間そっくりの自動機械人形だった訳だ。
人間そっくりの自動機械人形は全ての科学人形技師の目標であり到達点。葵が作ろうとしているのもそれだ。
しかし、葵自身それは夢物語だと思っていたし、それを作る為に必要な研究は一つとして完成していない。だからこそ、自分にとっての到達点であるローズの存在は葵にとっての希望となった。
(けど……いくらなんでも完成度が高すぎやしないか?)
ローズと同じレベルの自動機械人形を作る為には完遂させなくてはならない研究は山のようにある。それはインターフェースやAIなどの技術的な研究であったり、人工皮膚や眼球に臓器などの素材的な研究だったりと様々だ。
つまり、今の技術だけで完成する訳がない。
では、ローズはどこで、誰が作ったのか。まさか、未来……いや異世界の――
「フフフ。驚いたかしら?」
奇抜な結論に辿り着こうとした葵の意識が現実に引き戻される。
「……流石に驚いた。まさかこんなに人間と瓜二つの自動機械人形が存在するなんてな」
「それでね? 話は戻るけど、わたしがここに来たのはあなたに会う為だって言ったでしょう?」
「ああ。言ったな」
「じゃあ、何の為にあなたに会いに来たのだと思う?」
何の為にと聞かれても、葵にはその答えが見つけられない。
葵は確かに年の割には優秀だが、全体的に見ればただの研究員の一人だ。業界を揺るがす程の論文を書いて有名になった訳でもないし、数多くの科学人形技師の中でも実力的には下の方だろう。
すこし特殊な才能も持っているが、それでも葵より優秀な科学人形技師など掃いて捨てる程いる。
「……分かんねぇ。何で俺なんだ?」
「フフフ。分からないのならそれでもいいわ。とにかく、葵くんはわたしに認められたのよ。嬉しいでしょ?」
「まぁ、認められたのは嬉しいけど……それが何なんだ?」
「泣いて喜びなさい。あなたの研究に必要なモノをあげる。楽しみに待ってなさいね?」
「え? それってなん――」
葵が瞬きしたその一瞬の間に、ローズは消えていた。今、葵の目の前には誰もいない。
「あれ? ローズは……」
今のはもしかして夢だったのだろうか。それとも幻覚なのか。
気が付けば住宅街には何人かの子供たちや大人が出歩いている。何故人がいるのかと思って葵が携帯電話の時計を見てみると、今は午後五時五分だ。
「マジかよ。もう一時間近く経ってたのか」
集中していると時間が速く過ぎるものだが、そこまでローズとの話に夢中になっていたとは葵も思わなかった。
しかし、それ程までに完成度の高い完璧な自動機械人形がこの世にいるというのは驚くべきことである。だからこそ、今日の出会いが夢ではなかったことを葵は祈った。
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