第14話

 ちょうどユメが一曲歌い終わった頃、カーテンがジャッと言う音を立てて開き、桜ちゃんが顔をのぞかせた。


「すいません。少し時間がかかってしまいました」


「それはいいんだけど、何かいっぱい持ってない?」


「そりゃ、沢山選びましたから。でも、ユメ先輩はこの中から気に入ったのを一つ選んでくれたらいいですよ」


「流石に毎回皆に見せるってことはしなくていいよね?」


「そうですね。桜もそこまで鬼ではありませんから。でもどれを選んだかくらいは教えてくださいね」


 両手に抱えた大量の下着を置いて、桜ちゃんはカーテンの向こう側へと行ってしまった。


 試着室で取り残されたユメは、床に置かれているカラフルな布を一枚取り上げ、見慣れない形のそれをまじまじと眺めると口を開く。


「ねえ、遊馬」


『どうした?』


「これの付け方とか知っている?」


『知っていたら問題だと思わないか? と言うか、分かって聞いているよな』


「でも遊馬だって聞かずにいられない状況はわかるでしょ?」


『まあな』


 途方に暮れてしまい、二人同時に溜息をついて同じ名前を呟く。


「綺歩に頼もうかな」『綺歩に頼むか』


 ユメは手に持っていた布を元に戻して、カーテンから顔だし綺歩を探す。


 綺歩は試着室の近くにあるパステルカラーの下着をつけたマネキンを眺めていた。


「綺歩、ちょっといい?」


「ん? どうしたのユメちゃん」


 すぐに気がついて綺歩がやってくる。


「えっと、着替えるの手伝ってくれない?」


「いいけど……ユメちゃん達はいいの?」


「むしろ綺歩にしかこんなこと頼めないから」


「そっか。わかった」


「それでね……こんなことを頼むのもどうかと思うんだけど……」


「どうしたの? 何でも言ってみて?」


 ユメが言いたいことは何となくわかる。さっきもサイズを測るときに目を閉じていたのだから。


 何だかんだ言っても俺に見られるのが恥ずかしいのか嫌なのだろう。


「わたし目を瞑ったままで着替えたいの」


「ん? あ、そっか。遊君に見られちゃうんだね」


「いつまでも綺歩に頼むのもいけないと思うんだけど、今日はあまり時間をかけられないから……」


「うん。それじゃあ、とりあえず上は脱いじゃおうか」


「上だけでいいの?」


「ショーツは試着出来ないから上だけなんだよ。張り紙にもあるけどね」


 綺歩が指さした張り紙をユメが視界にとらえる。そこには確かに『ショーツの御試着はご遠慮ください』と書いてあった。


 興味深そうに眺めるユメは、俺と同じくその辺の勝手は分かっていなかったようで、先ほどまで嫌と言うほど女だと感じざるを得なかったユメが妙にこちら側に思えてしまう。


 ユメが着ていたカットソーを脱ごうと裾を持ち思いっきり引き上げる。


 頭を過ぎたあたりでやはり髪が邪魔になってしまい、綺歩に手伝って貰いながら脱いだ。


 上半身が男用のシャツだけになったユメは、あまり羞恥心を感じていないようだけれど、ユメの視点から胸の方へと視線を向けてしまうとほんのりと膨らんだ胸の先が見えてしまいそうな危うさがあり、できるだけ意識しないように頭の中で素数を数える。


 しかし一を数えたところで、一は素数だったかどうかと言う事に意識が持っていかれた。


「えっと、それじゃあ今から目を閉じるから……よろしくね」


「まかせて」


 ユメと綺歩の会話が聞こえ、視界がブラックアウトした。肌が外気にさらされていくのがわかる。


「じゃあユメちゃん、ちょっと前かがみになってもらっていい?」


「こう?」


「そうそう。それでこうやってカップを胸に当てて……」


 胸にひんやりとした何かが当たる。それがブラなんだなと思っているうちに綺歩が手をユメの背中に回し、何かを止めた。


 その時に綺歩が息がかかるほど近くに来ていたらしく、ふわりといい香りを残して離れる。


「ここから少し大変なんだけど、よかったら見て覚えてくれないかな?」


「そうなの? なら目を開けるけど……」


 ユメが恐る恐る目を開ける。光が戻った世界で始めに映ったのは綺歩の顔。


 次に薄桃色の派手な装飾がなく、申し訳程度にリボンをあしらったブラジャー。


「それでね」と綺歩の手がこちらに伸びてくる。


 その手はブラジャーの下の方――ストラップと言うらしい――を抑える様にしながら、反対側の手を脇腹の方へと持って行った。


「ユメちゃん細いよね……肌もきれいで……」


「わたしは少しくすぐったいかな」


 女の子同士だとこの程度なのかもしれないが、男である俺としてはくすぐったい程度ではない。


 桜ちゃんの時もそうだったが、今は半ば胸を揉まれているうえ直に触られているのだからもう何が何だか分からない。


 そもそも綺歩の手がすべすべで柔らかくて、ユメの肌も文字通り絹のようだからその二つが接触して気持ちがよくないわけがない。


 こんな状況で理性を保っていられる――まあ、保てなくなった所でユメの身体は動かせないが――のは表に出ているのがユメだからじゃないかと思う。


 心と身体は繋がっているなんて話も聞くが、まさにそれを体感していた。


「うん。それじゃあ、ちゃんと立ってみて」


 綺歩に言われてユメがやや胸を張るように立つ。張ったところで大してありはしないのだが、ユメの機嫌を損ねそうなので決して言わない。


「遊馬、今、胸小さいなって思ったでしょ」


『そんな事より、その姿で恥ずかしくないのか?』


「そんな事って……まあいいけど。恥ずかしくないよ。遊馬相手ならね」


「もしかして遊君って小さい胸の女の子の方が好きなの?」


 ユメと俺で会話をしていると、不意に綺歩が自分の胸とユメの胸を見比べて尋ねてくる。


 恥ずかしそうに俯き加減で訊いてくる綺歩にグッと来ない事もないが、質問内容がやや答え難い。


 女の子を見るにあたって胸の大きさは判断材料にはなるが、決して大きい方がいいとか小さい方がいいとか言うのは考えたことはない。


 もちろん大きい人がいたら目で追ってしまう事もあるが、鼓ちゃんみたいな子が笑顔でいても目で追ってしまう。


 こういった意見は一誠がよく豪語していたりするが、あのイケメンが言うならまだしも俺が言うとなると受け取られ方がだいぶ変わってしまう。


「その辺の拘りはあまりないと思うよ。なんて言うか、その人らしさって言うのが大事だと思わない?」


「そっか」


 でも、今の俺は美少女だったか。


 綺歩もそれ以上言及することなく一安心していた所で、ふと身体が窮屈になった事に気がついた。


 それと同時に視点が高くなったことにも。


 綺歩を見ると、なんだか涙目で今すぐにでも叫びそうな顔をしている。幸い鏡は見えない位置にあるが、綺歩の目には映っているのだろう。


 そう、三原遊馬がブラを付けている姿が。


「きゃああああぁぁああ」


 案の定綺歩の叫び声が響くが、幸い今回は殴られることはなかった。


『遊馬そんな悠長にしている場合じゃないよ。早く入れ替わって』


「お客様どうされました?」


 ユメと店員の声が重なり事の重大さに気が付き、思わず綺歩に負けないほどの声をあげてしまった。


 直後カーテンが開かれたため、ギリギリ間に合ったと言った形だが、ユメが怪訝そうな顔をした店員の目にさらされる。


「すいません、ちょっと虫がいまして」


「そうですか、失礼いたしました」


 頭を下げる店員の向こうには、一誠を含むメンバーがいて、ユメはすぐさま自分を抱くように身体を隠した。


 一誠を睨みつけ「一誠は席を外してくれない?」と名指しする。


 稜子に耳を引っ張られて一誠が何処かに連れて行かれたのを見送ってから、ユメが一年生の二人に謝った。


「ごめんね。驚かせて」


「びっくりしました。でも、なんともないようで安心です」


 言葉に合わせて表情がコロコロ変わる鼓ちゃんはやっぱり癒しだなと思っていると、桜ちゃんが含んだ笑顔を向けているのに気がついた。


「叫んだのってユメ先輩じゃなくて、綺歩先輩ですよね?」


「え、あ、うん。ごめんね。ちょっと気が動転しちゃって」


「見たんですね」


「えっと……見たって、何を?」


「遊馬先輩のブラ姿」


 綺歩が顔を赤くして、助けを求める様にユメを見た。


『まあ、今のはユメのミスだろ』


「そうそう、わたしが歌い忘れていたのが……って遊馬?」


「まあいいです。面白いものも見られましたし、あまりカーテン開けっ放しと言うのもよくないでしょうしね。


 ユメ先輩それにあっていますよ」


 桜ちゃんは猫のような笑みを浮かべて、カーテンを閉めた。


「えっと、ごめんね」


「ううん。確かにわたしのミスだから」


「こうなると、十五分タイマーみたいなのが欲しくなるね」


「そうだね。で、綺歩に一つお願いがあるんだけど……」


「何?」


「さっきの事は忘れてくれない? たぶん遊馬はそう思っているから」


 全くその通りだが、無理だろうなとも思う。俺だって一誠が女性物の下着を付けているシーンを見たら忘れられる自信がない。


 綺歩は困ったような顔をしながら「努力……します」と言った。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 綺歩に多少手伝って貰いながらもユメが一人で着替える事が出来る様になった頃、何枚もあった下着をすべて試着し終えた。


「サイズ的にはどれも大丈夫だと思うんだけど、ユメちゃんはどれが良かったとかある?」


「とりあえず、黒とか赤は……ちょっとね」


「私もそう思う」


「だから、黄色とかピンクとかパステル系の色がいいんだけど、綺歩はどれがいいと思った?」


「私は水色が好きなんだけど、ユメちゃんには黄色とかの方が似合っているかも」


「そっか、じゃあ黄色にしようかな?」


 その時、まるでタイミングを計っていたかのように、カーテンがジャっと音を立てて開かれた。


「決まったみたいですね」


「桜ちゃん急に顔を出すの止めてくれない?」


「そんな呆れた顔しないで下さいよ。これが桜のアイデンティティーなんですから」


「桜ちゃんはそんなアイデンティティーでいいんだね」


 ユメが疲弊したように話すのに対して、桜ちゃんははしゃいでいるようにも見える。


「決まったのなら他のを返すついでに買ってきますね」


「いいの? そんなことまで頼んで」


「先輩は着せ替え人形なんですから、先輩の仕事は持ってきた衣服を着続けることですよ」


「それなら私は手伝ってもいいよね?」


「助かります綺歩先輩。ユメ先輩は買ってきたものをまたきて貰いますからここで待っていてくださいね」


 二人が居なくなってユメが疲れたように設置されている椅子に座る。


『お疲れさん』


「でも、これからが本番みたいなものなのよね」


『何かもう一日ここにいたような気がするが、半日もたっていないんだよな』


「そうなんだよね」


『疲れているところ悪いがそろそろ歌った方がいいんじゃないか?』


「そうだね。一つ訂正すると疲れているからこそ歌いたいって感じかな」


『本当に好きだな』


「だってわたしは三原遊馬なわけだから」


『それもそうだな』


 ユメは恐らく俺に向けて笑顔を作ると、そのまま歌い始めた

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