第12話

 ユメの服を買いに行く前日。俺は一人部屋の中で服を広げていた。


 ユメがいると考えると一人ではないのだが。広げた服を眺めながらユメに問いかける。


「明日ってやっぱりユメが行くんだよな?」


『たぶんそう思うんだけど……わたしが着れそうな服ってないよね?』


「知っているだろうが、俺の服しかないからな。ユメが着るとなるとぶかぶかで歩き難いどころじゃないと思うぞ?」


『そうだよね』


 ユメの困った声に紛れて、ノックの音がする。続いて「お兄ちゃん今大丈夫?」と言う声が聞こえてきた。


「どうした、藍?」


 そっとドアが開いてノートを抱えた藍が姿を見せる。


「ちょっと勉強教えてほしいんだけど……洋服広げて何かあったの?」


「ああ、明日部活の奴らと出かける事になったから、下手な格好は出来ないかと思ったんだよ」


「えっと、それじゃあ……」


 邪魔をしないようにと思ったのか、藍が入ってきた方を見る。


「内容にもよるけどな。すぐに分かりそうな所だったら教えてやるぞ?」


「ありがとう、お兄ちゃん。えっと……ここなんだけど……」


 見せられたのは数学の計算問題。途中まで計算されているけれど、小数点以下十桁ほどの数になったところで止められている。


「公式なんかは全部あっているな……そしたら、あったここだな。


 ここで計算間違っているから後全部可笑しくなっているんだよ」


「あ、本当だ。ありがとうお兄ちゃん」


「これくらいならいつでも構わないけど、藍はこういうケアレスミスに気を付けないとな」


「はーい」


 藍が反省したような声を出して「それじゃあ、お兄ちゃん」と部屋を出て行こうとしたところで「藍、ちょっといいか」と呼びとめる。


『流石に藍や優希に服を借りるのは止めた方がいいと思うよ。わたしも考えはしたけど』


「う……」


「お兄ちゃんどうしたの?」


「あ、いや。そうだな……藍が着るならこの服の中でどれを選ぶ?」


「この中で? うーん……どれも大きくてずり落ちそうなんだけど……」


 そう言いながら藍が選んだのはジーパンと白のタートルネックのロングティーシャツ。


「確かにそれなら藍が着ても事故とかは起きなさそうだな」


「でも大きくて動き難そうではあるけどね」


「そっか、わかった。ありがとな」


「いえいえ」


 そう言って出て行く藍を見送ったところで、ユメの声が聞こえてきた。


『誤魔化しが上手くなったよね』


「お陰さまでな。やっぱり、兄に服を貸すって言うのは嫌なものなのか?」


『男の人に自分の服を理由もよく分からないままに貸すって言うのは気が引けるかなぁ、くらいなんだけどね』


「ああ、藍はユメを知らないから俺が着るみたいな流れになるのか」


『知っていたとしても、ある意味遊馬が着ているようなものだからね。


 こういうときは事情を知っている人に頼むのが一番だと思うよ』


「そうなると、やっぱり綺歩……か」


『貸してくれるかはわからないけどね。駄目もとで連絡してみた方がいいかも』


「わかった」


 一旦広げていた服を箪笥に戻し、ベッドの上に放置されてあった携帯を手に取る。


 電話にするかメールにするか迷って、メールを打つ事にした。内容としては『明日ユメが着る服を貸してほしいんだけど、駄目か?』みたいな感じ。


 どれほどで返ってくるかなと思っていると、すぐに携帯が震えだした。


『件名:Re


 本文:そうだよね。流石に遊君の服じゃ大きいよね。わかった、明日集合時間の一時間くらい前にユメちゃんで家に来てくれない?』


『件名:Re:Re


 本文:助かる。でも、何でユメで行かないといけないんだ?』


『件名:Re:Re:Re


 本文:遊君で来てユメちゃんで出て行くとお母さんに不審がられるかもしれないでしょ?』


『件名:


 本文:そう言われたらそうだな。そしたら明日はよろしく頼む。おやすみ』


『件名:Re


 本文:おやすみなさい』




『傍から見ていると、件名のReを途中で消すのって変な感じだよね』


「Reで情報量増やしても勿体ない気がするからな。変と思われようが多少溜まってきたら消す」


『そうだよね』


 ユメの楽しそうな声が頭に響く。


『すんなり貸してくれることになったのは良かったね』


「そうだな。でも、一応明日ちゃんと言っておくか「俺とユメは感覚共有しているけど良いのか」って」


『綺歩、変に抜けているところがあるからね』


「そうなんだよな。誰かに言っても信じてもらえないが」


 ユメと会話をしながら自分が笑っていることに気がついた。


 ただユメと会話をしているだけだと言うのに、どうしてこんな顔をしているのだろうかと考え、すぐに答えが出る。


 ユメはもともと俺なのだから、何を話してもユメは理解してくれるのだ。


 だからこそ、話がいがあると言うか、ただ単に自問自答していると言うか。


 ともかく、会話に変な歪みが生まれない。


「明日綺歩の家に行って、駄目だったら諦めて藍が選んだものを着て行くか」


『そうするしかないよね……流石に人が大勢いるところでああ言った格好は恥ずかしいんだけど……』


「でも、ユメなら似合うんじゃないのか?」


『はいはい、そうかもね。でも、わたしはそれを見ている側がいいな』


「それもそうだな。ユメが着ていても俺にも見えん」


『馬鹿な話は置いておいて、今日はもう寝ない?』


「そうするか」


 ユメの提案に乗ったところで一つ気になることが出てきた。


「ユメって俺が寝ている時どうなってんだ?」


『普通に寝てるよ? 遊馬が眠くなるのに合わせてわたしも眠くなるし、たぶん遊馬の意識がなくなったところでわたしの意識もなくなるんだと思う。


 同じ夢まで見ているかとなると流石に分からないけど』


「そう言うものか」


『そう言うものみたい』


「それじゃ、おやすみ」


『うん。おやすみ』



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 次の日の朝。買い物自体は十時に駅前集合なので、九時には綺歩の家に行かないといけない。


 綺歩の家から駅までは二十分ほどなので、綺歩の中では三十分で用意を済ませて十分の余裕を持ちたいのだろう。


 目が覚めると八時を少し回った位なので、時間的に余裕はある。


 しかし、今日は家を出る前にやっておきたいことがあるので、眠たい身体に鞭打って着替え始めた。


『眠い中、身体が勝手に動くのって便利だね』


「眠い中、身体を動かさないといけないのは辛いけどな」


『でも、動いたらだいぶ目も覚めたでしょ?』


「じゃあ、明日はユメが動いてくれるか?」


『それは遠慮しておきます』


 こんなどうでもいい会話をしながら、昨日藍が選んだ服に着替え終わったところで本題に入るためユメに問いかける。


「一旦表に出てもらってもいいか?」


『了解。本当に今の格好で大丈夫か確かめるんだね』


 ユメからの了承を得たので、裏声を出してユメと入れ替わる。


 一応ベルトで留めたりはしていたが、やはり少し緩んでしまった。


「やっぱり大きいね」


 指の先まで隠してしまっている袖を振りながら、ユメが言う。


 それからキョロキョロとあたりを見渡して携帯を手に取った。


 姿見があればいいのだろうが、姿見なんて大きな鏡どころか手鏡すらないので、携帯の暗くなった画面を使ってみようと言うわけだ。


 映し出されたのは、ぶかぶかの服を着た美少女の姿。タートルネックであるはずなのに、鎖骨が見えそうになるし、袖からはまるで指が見えそうにない。


 昨日俺がユメに言ったとおり、ある意味で似合っていると言えば似合っているのだが。


『あざといな』


「あざといね。でも、この位あざといと逆にありってことないかな?」


『どうだろうな。俺個人としてはあざとかろうと似合っていれば構わないと思うが』


「もちろんわたしもそうなんだけど、自分となると少し考えるところがね」


『綺歩の家にはこれで行くしかないわけだが、大丈夫か?』


 身体がスッと立ち上がり、部屋を回るように歩きだす。


 何歩か歩いたところで、裾が邪魔になり何回か折り曲げ、また歩く。


「裾を曲げたらなんとかって感じかな。ベルトはもう少しきつく締めたいけど」


『じゃあ、次変わるときは全力で締めるか』


「よろしくね」


 それから俺に戻るまで部屋に引きこもった後、朝食を食べ家を出る。


 リビングで藍に会ったときに「あ、それ……」とうれしそうな顔をしていたが、自分が選んだ服を着てもらえると言うのはそれほどまでに嬉しいものなのだろうか?


 家を出て、ひと気のない場所でユメと入れ替わり、綺歩の家を目指す。


「何ていうか、靴って言うのは盲点だったよね」


『そうだな』


 かぽかぽと踵が靴を出たり入ったりしている状況で、二、三会話すれば綺歩の家にたどり着く。


 ユメが軽く深呼吸をして呼び鈴を押した。すぐに「はーい」と綺歩の声が聞こえてきて、扉が開かれる。


「ユメちゃん、いらっしゃい」


「今日はごめんね」


「ううん。そんな事よりも早く私の部屋に来てもらってもいいかな?


 お母さんに見つかると少し厄介だと思うし」


「わかった」


 勝手知ったる人のうちと言うほどでもないが、何度も足を踏み入れている綺歩の部屋であるので、ユメも迷うことはない。


 ドアを閉めた所で、綺歩がこちらを向いた。


「改めていらっしゃい」


「お邪魔します」


「やっぱり、遊君の服じゃおっきいね。それでも可愛くはあると思うんだけど……」


「まあ、あざといよね」


「そこまで言うつもりじゃ……」


「いいの、いいの。わたしも遊馬もそう思っているから」


 ユメが笑って綺歩を見る。


「今日は服借りちゃっていいの?」


「もちろん。その格好じゃ歩き難いでしょ?」


「わたしが着るって事は遊馬が着るってことと大して変わらないんだよ?」


「あ、そっか。そうなっちゃうのか……」


『やっぱり気が付いていなかったのか』


 綺歩が困り顔になったのを見て思わずそう呟く。


 綺歩の中で整理がついたのか、頷いた。


「でも、変な事しなかったら大丈夫かな?」


「変な事って?」


「あ、えっと……」


 綺歩の顔が赤く染まる。


 こんな姿を見るのは珍しいため、ユメによくやったと言いたいが、恐らくユメも故意だと思うので何も言わない事にする。


 変な事ってだけでここまで恥ずかしがる綺歩も、何を想像しているんだかって感じではあるけれど。


「匂いを嗅いだり……とか?」


「大丈夫、しないしない」


「うん。信用するからね」


 服を持ってくるために綺歩が立ち上る。ほぼ同時にユメがふんふんと鼻歌を歌い始めたので、綺歩が少し変な顔をした。


「どうしたの、急に鼻歌なんて歌い出して」


「遊馬に戻らないようにね。気がけて何か歌っていないといけないんだよ。耳触りかもしれないけど我慢してね」


「耳障りなんてことは全然ないんだけど、そっか、大変だよね」


 綺歩は箪笥の方へと向かい、手に服を持って振り返った。


 手にあるのは、オレンジ色のカットソーと膝下くらいの長さのベージュのスカート。


「こういうのはどう?」


「上はいいと思うんだけど、スカートは……」


「やっぱり、抵抗ある?」


「抵抗はないし、着てみたいとは思わなくもないんだけど……」


「だけど?」


「何かの拍子に中が見えた時に男ものの下着……って言うのは良くないんじゃないかなって」


「えっと、あの……そうだね」


「わたしスカート穿き慣れてはいないから、どう気を付けていいのかもわからないし」


「さすがに下着は貸せないから……」


 綺歩がタンス漁りに戻る。


 ユメのスカート姿は期待したが、間接的にだか直接的にだか俺も穿くことになるのだから、貸すと言われないで安心した。


 二度目に振り向いた綺歩が持っていたのは、茶色のスキニージーンズ。


「これなら大丈夫そうだね」


「それなら良かった」


「それじゃあ、早速」


 ユメがタートルネックの裾に手をかけ捲り始める。


「え、あ、ユメちゃん、ちょっと待って」


「綺歩どうかしたの?」


「どうかってわけじゃないんだけど、ここで着替えちゃって大丈夫?」


「一応女同士なわけだし、わたしは気にしないよ? 遊馬も大丈夫だよね?」


『まあ、これはあくまでユメの身体だからな。ユメが見られて大丈夫なら俺は構わないが』


「大丈夫だって」


「それならいいんだけど……」


 良いと言いながらも、綺歩はどこに視線を向けていいのかわからないと言った様子を見せる。


 その間にユメは上も下も脱いでしまった。中途半端に服を着た所で手を止める。


「綺歩、そんなにじっと見られると流石に恥ずかしいんだけど……」


「あ、ご、ごめんね。なんて言うか女の子なのに男の子の下着着ているのが……って言うか本当に女の子なんだなって思って……」


「わたしも戸惑わないわけじゃないんだけどね」


 ユメの視線が自分の体へと移った。


 俺が普段着ている下着ではあるが、シャツは胸の所が僅かに浮き上がっているし、パンツだって辛うじて腰骨で止まっているだけ。


 何より綺歩に負けないほど白く透明感のある肌は、折ったら折れそうなほどに華奢な体型と相まって触れてはいけないような美しさをしている。


『ユメ、できれば早く着替えてくれないか?』


「あ、ごめん」


 ユメが動きを再開して、服を着始めた。


 男として美味しい状況だが、いけないことをしているような気がしてしまう。


 カットソーを着たところで背中に違和感を覚えた。


「ユメちゃん髪の毛。服の中に入っているよ」


「あ、なるほど」


 同じ違和感を覚えていたのか、ユメが納得したように頷き、服の中に入っている髪の毛を掻き上げる様に外に出す。


「女の子って大変なんだね」


「大変ではないと思うんだけど、慣れないと難しい事って沢山あるのかもね」


 先ほどの行動でぼさぼさになったのか、綺歩が後ろに回りユメの髪を梳かし始める。


 ユメは――まあ、俺もだが――そこで気がついたらしく「ありがとう」とお礼を言ってから、歌い始めた。

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