第10話


 一曲終わって、稜子が満足そうな表情を見せる。その額には汗が滲んでいて前髪がぴったりとくっ付いていた。


「決まりね」


「決まりって言うのは?」


「さすが御崎、察しが悪いわね。この子、ユメをメンバーに入れることよ。同時に三原のリストラもね」


「やっぱり遊馬を外すのか」


「当り前でしょ? 最初からそういう約束で居たんだから」


「オレとしては遊馬と二人でボーカルってのも悪くないと思うんだけどな」


「あ、あたしもそう思います……」


 一誠に同調するように鼓ちゃんが控えめに意見して、一緒に演奏を聞いていた桜ちゃんも口を開く。


「桜もいじれる先輩が減るのは少し寂しいですね」


 何と言うか、相変わらずと言うか。桜ちゃんの中での俺の認識がいじるための先輩だったと言うのは、今更ながら少しショックを受けてしまう。


「綺歩はどう思う?」


 形式的に稜子が綺歩に尋ねるが、どのような意見が来ても言葉は曲げないだろう。


 それが志手原稜子であり、ここで意見を曲げていては今の知名度も待遇もありはしない。


 注目が集まった綺歩は困った顔をして、ちらりとこちらを見た。


「その事に関してなんだけど事情が複雑でね。ユメちゃんの事を遊君は知っているし、ユメちゃんも遊君の事は知っているんだよ」


「綺歩、それってどういうこと?」


「稜子としては、ユメちゃんをメンバーに加えることに反対ではないんだよね?」


「もちろん。こんな逸材を逃すつもりもないもの」


「で、代わりに遊君を辞めさせるつもりだよね?」


「ええ、元々新しいボーカルが来るまでって約束だったでしょ」


「だからって、なあ。何だかんだで今まで一緒にやってきたんだぜ?」


「そこで感情に流されていたら上には行けないのよ」


「上……ねえ」


 珍しくバンド内で一触即発と言った空気が生まれて、俺としてもどうしていいのかわからなくなる。


 そもそも今の状態だと何もできはしないが。


「二人ともその辺で……ね」


「一誠も稜子に何言っても一緒なことくらい分かっているでしょ?


 それにわたしが入ったところで、遊馬を辞めさせることは稜子にも出来ないよ」


 綺歩の仲裁の直後、ユメが先ほどまでの敬語を何処かに放り捨てて二人に話しかける。


 ユメの態度の変化に、いがみ合っていた二人がきょとんとした目をしてユメを見た。


「えっと……ユメ、何を?」


「そう言えばちゃんと自己紹介していなかったね。わたしの名前は三原遊馬。


 今はユメって名乗っているけど。一誠と同じクラスの二年生で、一昨日もここで歌わせて貰っていました。皆一昨日ぶりだね」


「……と、そう言うわけなの」


「なあ、綺歩嬢。オレの耳が可笑しくなかったらその美少女が遊馬って事になるんだが、耳鼻科に行った方がいいのか?」


「大丈夫よ御崎。アタシにもそう聞こえたもの。きっとこれはどっきりか何かね」


「なるほど、綺歩嬢にしてははっちゃけたことをしてくれたわけだ。


 それで綺歩嬢。その美少女は本当は誰なんだ?」


「わたしは正真正銘三原遊馬だよ」


「うん。その冗談はいいんだよ、お嬢さん」


 予想は出来ていたがまるで話が進まない。


 何せ今の状態で鏡を見てこれは俺ですか? と聞かれても肯定は出来る気がしないのだから。


「とりあえず、その話は少し待っていてくれないかな? 後十分もしたらきっと分かるから」


「十分?」


「まあ、そうするしかないよね」


 一誠の疑問を無視して諦めたようにユメが声を出す。


 まくっていた袖と裾を元に戻したので、手も足も制服に隠れた。


「それなら、綺歩の言う時間が来るまで適当に待ってみましょうか。何か飲み物買ってくるけど何か欲しいものある?」


「じゃあ稜子嬢、オレブラックコーヒーで」


「あんたも来るのよ。荷物持ちでしょ?」


「あいあい、了解」


 やる気の感じられない声を一誠は出すと、声通りの動作で立ち上がる。


「それなら、お茶頼んでもいい?」


 綺歩が頼むと続いて桜ちゃんがカフェオレを、鼓ちゃんが綺歩と同じくお茶を頼む。


「わたしも一緒に行った方がいい?」


 ユメが遠慮がちに尋ねる。


 稜子は調子を崩されたように、ぎこちない笑顔を見せた。


「いえ、いいわ」


「それなら一誠いつものお願いね」


「いつものって……」


「行ってらっしゃい」


 有無を言わさずユメは一誠を外に追いやると、扉を閉めて「ふう……」と息を吐く。


「やっぱり稜子は難しいね」


「ごめんね。私がもっとちゃんと説明できたら良かったんだけど」


「普通こんなこと説明できる人なんていないよ」


 申し訳なさそうに謝る綺歩に、ユメがやや疲れた笑いで返す。


「あの、ユメ……先輩? は三原先輩なんですか?」


「そう言うことなのよ」


「でも、ユメ先輩なんですよね?」


 やって来た鼓ちゃんが、不思議そうに首をかしげる。


 その仕草が可愛らしくて、撫でてみたいななんて思っていると自然と手が伸びていた。


 いや、ユメが伸ばしたのか。ただ、ユメとしても思わずだったらしく、驚いたように「あ、ごめんね」と言って手を引っ込める。


「そうですよ。つつみん撫でていいのは桜だけなんですから」


「本当に桜ちゃんは鼓ちゃんが好きだよね」


「桜ちゃんの名前知っていたってことはやっぱり三原先輩なんですね」


「そうだけど……決め手はそこなの?」


「でも、そうだとしたらユメ先輩も三原先輩で三原先輩も三原先輩で……」


 ユメの話を聞いていないのか、鼓ちゃんが一人で考えはじめる。


 すぐに桜ちゃんが子供をあやすかのように鼓ちゃんを撫で始めた。


「今の先輩はユメ先輩。普段の先輩は遊馬先輩でいいんじゃない?」


「流石は桜ちゃん」


 満足したように鼓ちゃんが笑顔になり、代わりに桜ちゃんの方がこちらを睨みつける。


「さて、仮に貴女が先輩であったとして、見た目が女の子になっているのは認めます。


 でも、ひとつ気になっていることがあるんですよ」


「桜ちゃん、なあに?」


「それで中身は先輩なんですか?」


「ああ、なるほど」


 ユメは納得したように頷くと「えっとね」と説明しはじめる。


「もともとは一緒だったんだけど途中で分かれたみたいな感じかな?」


 説明とは言ってもこの程度しかできないのは俺もわかってはいたが、本当にどうなっているんだろうなと思う。


 あと仮にとは言え、どうして桜ちゃんは俺が女になった事を認める事が出来るのだろうか。


「ねえ、桜ちゃん」


「ユメ先輩、どうしたんですか?」


「こんなことを聞くのも変な話なんだけど、仮にでもよくわたしの事受け入れられたね」


「そんなことですか。そりゃあ、性転換や女装何ていうのは最近のライトノベ……」


 すらすらと話していた桜ちゃんがそこで固まり取り繕うように慌てて言い直す。


「つ、つつみんが納得したんですから、桜だって納得しますよ。


 そ、それでユメ先輩の中にもう一人先輩がいるってことでいいんですよね?」


「何となく二重人格を想像してくれると分かりやすいかな。ただ、わたし達の場合感覚まで共有しているんだけどね」


 ユメの返答に、何故か桜ちゃんがにやりと良からぬ表情を見せた。


「ユメ先輩。本当に女の子になったかどうかだけ確かめてもいいですか?」


「え、えっと。別に構わないけど……どうやって確かめ……きゃあ」


 ユメの言葉を遮るかのように、くすぐったい感覚が胸を襲う。


 同時に背中に柔らかい何かが押し当てられていて、それが桜ちゃんのものだと気がつくのに少し時間がかかった。


 要するに桜ちゃんが後ろから抱きついてユメの胸を揉んでいるらしい。


「あ、えっと、桜ちゃん何をして……」


「大丈夫ですよ。女の子同士なんですから」


 本当に女の子同士ならこんなことをしても許されるのだろうか。


 含みを持たせた桜ちゃんの言葉だけではどうにも納得いかないところもあるが、現実綺歩も鼓ちゃんも止めに入らないのでそうなのかもしれない。


 いや、そんな事より……だ。男の時には感じるはずのない感覚にどうにも落ち着いていられない。


「戻ったわよ」


 変にドキドキとし始めたところで、稜子と一誠が帰ってきて桜ちゃんの魔の手から逃れる事が出来た。

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