第9話
原作小説をイメージしたファンタジー風の後奏が終わって、余韻に浸るように皆が黙る。
「……完璧ね」
沈黙を破ったのは稜子の言葉。
「正直驚いたな……」
「すごい人が居たんですね……」
一誠と鼓ちゃんも目を丸くしている中、桜ちゃんだけが「まさか、そんな訳が……」とまた違った驚き方をしていた。
「ユメさん……だっけ。是非アタシ達のバンドに入ってくれない……と、言いたいところなんだけど、もう一曲だけいいかしら」
「いいですよ」
「今のでも満足しないなんて、志手原にゃんは欲張りですな。もしかして、遊馬の事を気にしていたりするのかの?」
「誰が気にするのよ。ただ、あの男にも長所はあるもの。それに負けない何かは欲しいと思わない?」
「確かに上手いだけじゃ、遊馬と即チェンジってわけにはいかないよな。オレら的にも」
稜子と一誠の会話を、綺歩が複雑そうな顔で見守っている。
今の一曲でユメが完全に俺の上位互換である事は証明されたわけだし、稜子が認めるか否かと言う事に関しては特に心配することないと思うのだが。
「そんなわけだから、これ」
稜子がユメに音楽プレイヤーと四つに折りたたまれた紙を手渡す。
懐かしいなと思いながら、視界に映る音楽プレイヤーに意識を向けた。
俺が入部を決める時も音楽プレイヤーを渡されて、「貴方の好きな日でいいからその曲を覚えてきてくれないかしら」と言われたのだ。
その時には綺歩のアドバイスを受けて「じゃあ、三十分後で」と返した。
ユメも同じだろうと思っていたのだが、すぐにはそうせずに俺だけに聞こえるようになのか、発音出来ているのかも怪しいくらい小さい声を出す。
「遊馬、本当にいいの?」
『それはお前もよく分かっているんだろ?』
「だから聞いたんだけど……」
ユメはそれだけ言い残して「じゃあ、三十分だけ貰っていいですか?」と、稜子に返した。
どうしてユメはわざわざ俺に確認なんて取るのだろうか。俺の答えなど分かっているだろうに。
良くないと言ったところで、俺が歌えるようになるわけでもない。
俺に選択肢などないのだから、いっそ開き直るしかないのだ。
「三十分……ね。面白いこと言ってくれるのね……とは言え、その曲を今弾けるのはアタシくらいだと思うのよね」
「へえ、稜子嬢新曲なんて作っていたのかい」
「ちょうどこの間できてね。あまりにも女子向けの曲になったから一人で録音してみたところでお蔵入りにしていたのよ。でも丁度よかったわ」
稜子はそう言うと、一誠と綺歩に楽譜を手渡す。
「貴方たちなら三十分もあれば十分でしょ? まだ一年生には荷が重いと思うけど」
稜子の言葉に桜ちゃんが鼓ちゃんを見て「桜達も大丈夫ですよね」と拗ねていた。
急に視界が暗くなり、周囲の音が小さくなる。
イヤホンを通して聞こえてくるのは、バラードのような綺麗な音色。
普段ツンツンしている稜子がどうやってこんな音色を出せるのかと不思議にだけれど、今考えても仕方がない。
遠距離恋愛をしている女の子が、寂しいながらも明るく前向きに恋人を想っている様子を描いた歌詞らしい。
起伏が激しい曲ではないけれど、その分表現力が試されるような難しさがある。
曲が二番になったところで、囁くように音だけ追っていく。
もちろん一番と二番でまったく同じでもないのだけれど、それである程度は曲の感じがつかめる。
一通り聞き終わったところで今度は目を開けて四つ折りの紙を開いて、書かれている歌詞を見ながら二周目に入った。
実際に行っているのはユメなので、折り曲げた袖が邪魔だったり、目に映る手が小さかったりと違和感がないわけではないが、まるで自分で動いているかのような感覚に襲われる。
「会えない夜に嘆くより 会える
呟くユメの声はたぶん周りの誰にも聞こえていないけれど、俺には聞こえてくる。
とても楽しそうなそんな歌声が。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
六周する頃にはアカペラで歌えるほどになり、ちょうど三十分が経った。
「三十分経ったけれど、準備は出来たかしら?」
「大丈夫です」
「それが本当だったら、遊馬以来の逸材だよな」
一誠の言葉にその遊馬自身なんだけどなと突っ込みを入れておく。そんな風に思われていたのかと妙に照れてしまうんだが。
どういうわけか、ユメも嬉しそうな笑みを浮かべる。
元々俺だからうれしいのかとすぐに気がついた。
「綺歩も御崎も大丈夫よね」
「うん」
「まあな」
演奏組の三人が頷き合って、一誠がスティックをカッカと鳴らし演奏が始まった。
先ほどまでイヤホンから流れていたものとほとんど変わらないメロディーは、イヤホンで聞いていたもの以上なのかもしれない。
各パートの難易度はわからないけれど、初めて楽譜を見て三十分程度でここまで弾けるものなのかと思ってしまう。
特に綺歩なんてこうやってベースを弾くのも久しぶりだろうに、ちゃんと弾けているのだから恐ろしい。
ユメも一誠たちに劣らない歌声を乗せている。
まだユメが生まれて二日ほどしかたっていないけれど、なんとなく分かった事がある。
ユメが出せる音域は、もともと俺が出せていた音域を越える事はない。高すぎて歌えないと言う曲は今までであった事はないが。
「貴方は今 何をしているの? 何を考えているの?」
問題なのは低さ。裏声を使う上で出しにくいのは低音――あくまで裏声準拠だが――の方なのだ。
出すことが出来ても、どうしても力を入れる事が出来ないことが多い。
しかし、ユメはそうじゃない。ユメとしては地声域だからだろう、俺が出すのに苦労していた低さの音も簡単に出してしまう。
「私は貴方を笑わせたくて 馬鹿な事ばかり考えています」
歌っていたユメが少し照れたような笑みを見せた。
「食べれるようになったと嘘をついて 回転寿司に行ってみようか
河原で平らな石を見つけ 子供のように遊んでみようか
それを見て貴方は少し呆れて それでも笑ってくれるだろうか」
サビに入る直前にわざとかと思えるタイミングでドラムが走り始める。
ギターとベースが何事もなかったかのようについて行く所を見ると、本当にわざとなのだろう。
「貴方と会えない夜こそが 貴方を笑わす作戦タイムで
それでも貴方と会ってしまうと すべてを忘れて甘えてしまう」
生演奏の経験が無いと焦ってしまうだろうが、ユメは構わず皆に合わせて歌い続けた。
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