第7話

 放課後になっていち早く席を立った一誠に「頼んだ」と一言声をかけてから綺歩が来るのを待つ。


 別に何処で待ち合わせるかなどと言う事は話していなかったが、綺歩から何かを言ってきたときには大体綺歩の方からやってくる。


 今回もいつも通りで、扉の陰に隠れるようにして綺歩が手招きしていることに気がついた。


「ごめんね、待った?」


「いや、さっき一誠が出て行ったところだからな」


 軽いやり取りをしてから、二人並んで歩き出す。


「そういや、科学部の部員って誰か知っているか?」


「噂だと何年も前から居るとか聞くけど、私達の学年だと特に思い当たる人はいないかな」


「俺達が入学してすぐには科学部室には近づくな、なんて噂があったからな」


「そうなるとやっぱり三年生なのかな?」


「四年生や五年生じゃなければな」


 冗談を言ったところで目的地に到着した。今日はドアの隙間から地面を這うような煙が出ている。


 ノックしていいものか綺歩の方を見ると、僅かに後悔がにじみ出ていた。


「怖いなら先に部活行っていていいんだぞ?」


「ううん。やっぱり遊君一人では行かせられない」


 綺歩が意を決したので、それ以上何もいうことはせず科学部室のドアをノックした。


 ……無反応。一度綺歩と顔を見合わせてからもう再度ノックする。


「もう、何なのだね」


 扉の向こうから、口調に見合わない不機嫌そうな女の人の声が聞こえ、ガラリとドアが開いた。


「ワタシは崇高な研究をやっていると言うのに……」


 姿を現したのは、ビン底眼鏡に白衣、ぼさぼさの髪を二つに結んでいる女生徒。


 眠たそうな顔は不機嫌に歪んでいる。


 やはり俺達の学年ではこんな人物は見たことがないので、恐らく先輩なのだろう。


「昨日ここで何かやっていませんでした?」


 できるだけ丁寧を心がけてそう尋ねると、半分死んでいるかのような先輩の目が生気を帯び始めた。


 その変化に正直やっちまったと思ったが時はすでに遅く、別人のように話しかけてきた。


「君はワタシが作り出した、願望実現マシーンを知っているのかい?


 あれをどう思う? そもそもどうして君なんかがワタシの崇高な研究を知っているんだね?」


「あ、あの……落ち着いてください」


「あ? ああ。すまないどうも取り乱してしまったようだね」


 綺歩の言葉に、先輩は今にも俺に掴みかかりそうだった体勢を正した。


 詰め寄られた時に聞き捨てならない言葉を聞いたような気がする。


「願望実現マシーンって何なんですか?」


「君が何者かは置いておいて、ここではなんだから、中に入ると良い」


 地味にかみ合わない会話に面食らいつつ、促されるままに科学部室の中に入る。


 中の構造自体は恐らく普通の理科室と同様だったのだろう、正面に黒板があり固定された長机が九台置かれている。


 しかし、黒板には解読不能の数式や図形が書かれているし、机の上の薬品からは謎の煙が出ている。


 極めつけは教室前方に配置されていた謎の機械。


 いや、バチバチと時折小さな火花が飛び、金属で出来ているっぽいので機械と言ってみたが、これが機械なのだとしたら何に使うのか想像がつかない。


 見た目からは、戦車の砲台のように見えなくもない。


「自己紹介がまだだったか。ワタシはめぐるゆきと言う」


「俺は三原遊馬といいます。それから……」


「志原綺歩です。急に押しかけてしまってすいません」


 丁寧に返した綺歩に、巡先輩は「いや、構わんよ」と首を振った。


「むしろ、君らは有益な情報を与えてくれそうだからね」


 にやりと口元を引き上げるのは、冗談でなく裏があると思ってしまうのでやめてほしい。


「さっき言っていた、願望実現マシーンってのは何なんです?」


「ワタシもそれについて聞こうと思っていたのだが、先にこちらから答えようか」


 巡先輩はくるりと回り、謎の機械を指さした。


「これが願望実現マシーン。今は願望実現マシーンだったとしか言えないがね。


 名の通り人の願いを叶える夢のようなマシーンだ。


 昨日完成して、試行したのだが、壊れてしまったのだ」


「俺が浴びたのはその光だったんですね」


「それでだよ」


 巡先輩のテンションが急に上がって思わず身構えてしまう。


「君には何か変化があったのかい? いや、わざわざここまで来たのだから変化があったのだろう?


 どうだ、願いは叶ったか?」


「願いが叶ったかは知りませんが、二重人格且つ女体化するようにはなりました」


「ほう……それは興味深い……」


 何か考え込むように巡先輩は腕を組み目を閉じてから、ギラリと目を輝かせて俺の方を見た。


 思わず身震いしてしまったのだが、巡先輩は俺の事などお構いなしに話し出す。


「では、早速その女体化と言うのをやってくれないか?」


「どうしてそうなるんですか?」


「恐らく君はどうして女体化するようになったのか、二重人格になったのかを知りたいのだろう?


 だとしたら実際に見てみるのが手っ取り早いと思わないかい?


 後は君が嘘ついていないかの確認ってところだな」


 巡先輩の言葉は的を射ているような気がして、でも、ユメと入れ替わっていいものかと考えてしまう。


 ここで入れ替わったら、間違いなくユメが先輩の玩具にされるだろう。


『わたしは大丈夫だから入れ替わろう?』


「いいのか?」


『あまりいい気はしないけどね。でも入れ替わらないと話が進まないでしょ』


「頼む」と小声で返して、試しに歌とは無関係に、ただ発声をするように「あー」と、裏声を出してみる。


 これで入れ替わったら普段の生活からもっと気を付けないから。案の定すぐに身体は俺の支配を離れてしまった。


「ほほう……」


 何が嬉しいのか、巡先輩が楽しそうに声を洩らす。それから舐めるように俺を――と言うよりもユメを――見ると再度口を開いた。


「うむ。完全に女になったようだな」


「だから言いましたよね」


「それで、今喋っているのは先ほどの男とはまた別の人格と言うわけか」


「わたしとしては、あまり違う人格って感じはしないんですけどね」


 ユメの低い視線から見ると、巡先輩の顔はやや高いところにあり先ほどまでよりも威圧感がある。


 先輩が先ほどと同じように「ほほう……」なんて言うものだから嫌な予感しかしない。


「違う人格の気がしないというところを詳しく教えてはくれないかい」


「それでいいんですか?」


「それでいい、とは?」


「あ、いえ。もっと何かされるのかと思っていたので……」


「何かして欲しいのかい?」


 巡先輩の言葉にユメが全力で首を振る。たとえ俺が表に出ていたとしてもまったく同じことをするだろう。


「とりあえず今日は何をしてもらおうなんてことはないよ。


 髪の毛の一本くらいはもらうがね。もともとの君の分も含めてね」


「髪の毛を?」


「別に頬の裏の皮膚とかでもいいんだが、生憎今は麺棒がなくてね」


「DNA鑑定でもするんですか?」


 今まで付き添いと言うことで、見ているだけだった綺歩が巡先輩に尋ねる。


 いくらなんでも一科学部でDNA鑑定なんて無理だろうと思っていたのだが、嘲笑うかのように巡先輩は「そうだ」と頷いた。


「それよりも、だ。さっきの君の発言の意味を聞かせてもらおうか」


 巡先輩はユメの方に視線を戻し、ユメは戸惑ったように話し出した。


「えっと、わたしとしては昨日まで遊馬だったのに、急にわたしになったって感じです。


 新しく生まれたと言うよりも、二つに分かれたと言うのが近いんじゃないかと……」


「ふむ……と、言うことは君もオリジナルの君の記憶をしっかりと持っているわけだね」


「少なくとも昨日までの記憶は全く同じです」


「と、言うことは君は女でありながら、男の身体の事もよく知っていると、それはなかなかに興味深い」


「男のから……」


 後ろからそんな声が聞こえてきて、ユメがそちらを向く。綺歩は顔を真っ赤にしてユメの視線から逃れる様に俯いてしまった。


 どう判断していいのかわからないのか、ユメが何も言わずに巡先輩に向き直る。


 巡先輩はクックックと笑ってから「あの有名な志原君がどんな想像をしているんだか」と呟いた。


 昨日のお風呂が云々もそうだったが、綺歩って実はそう言う事に興味があるのだろうか? いわゆる耳年増ってやつなのだろうか?


「ともかくだ。記憶が同じと言うなら、改めて尋ねてもいいだろう」


「なにをですか?」


「君からみて、オリジナルの望みが叶ったのかどうかをだよ」


「望み……」


 巡先輩がそれを尋ねてくる理由はわかる。


 事の発端であるであろう、願望実現マシーンなる怪しげな機械の成果を知りたいから。


 俺は最大の楽しみを奪われたに等しいのだが、でも考えてみれば確かにユメのような女の子に憧れはしたのだ。


 羨ましく思った。だからユメが生まれた。


 先ほどは曖昧に答えたが、望みは叶ったのかもしれない。でも、はたしてそれは……。


「叶った……とは、言い難いです」


「ま、そうだろうな。そうでなければ、こんなところには来るまい」


 わかっているなら何故わざわざそんな事を聞いたのだろうか。


 巡先輩が「さて」と言って机に腰掛け、どこからともなくノートパソコンを取り出した。


「ひとまず、現段階でわかったことでも纏めておくか。


 はじめに、願望実現マシーンは全くの失敗だったというわけではなさそうだな」


「成功……したんですか?」


 綺歩の問に巡先輩は首を振る。


「聞いての通り成功したわけでもなさそうだ。


 ただ、現にこうやって作用はしたみたいだからな。あながち失敗だったわけでもない。


 それから、君らの能力だが、恐らく性別が違うと言うこと以外はほぼ同じだろう」


 先輩がパソコンのモニターをこちらに向ける。


 ポリゴンで作られた俺とユメがクルクルと回転している映像があり、それぞれ同じようなところから矢印が伸びているのだが、それ以上はもう何が書いているのか分からない。


「つまりどういうことなんですか?」


 ユメが降参したように先輩に尋ねる。


「オリジナルの君の能力を女に変換した存在が君だと言うわけだ。


 さすがに男女で筋肉量なんかは違うからな。


 この辺りは詳しく検証しないと分からないが、オリジナルが筋トレしたらその効果が君にも現れると言った感じか」


「そんなのいつ調べたんですか……」


「いつもどうも、君たちがここに入ってきた時にあらかたそういったデータは採集済みだよ。この部屋には色々な装置が隠してあるからね」


「それ、言ってよかったんですか?」


 呆れたユメの声が俺の心を代弁する。


 隠していることを言ったら隠している意味がないと思うのだが、巡先輩は嬉しそうに「どうせ君らには探せないだろう?」と笑った。


「それで、遊君はどうにかならないんですか?」


 話が一段落したと思ったのか、綺歩が恐る恐る口を開く。


「どうにかって言うのは要領を得ないが、今のところどうにもならないね」


「そう……ですか」


 綺歩が考え込むような声を出したところで、「じゃあ」と巡先輩がドアを指さす。


「そろそろご退場願おうか。十五分経つのでね」


 そう巡先輩が言ったところで、俺に主導権が返ってきた。


 時計を見ると確かに十五分ほど経ったらしい。


 正確に見ていなかったのであくまでおおよそ十五分と言ったところだが。


 主導権が戻ると同時に頭に軽い痛みが走り、すぐに髪の毛を抜かれたと気がついた。


「検査等しないといけなくなってくるだろうから、定期的にここには来たまえ」


「検査と言うより実験と言う感じがするんですが……」


 俺が呆れたような声に、巡先輩は心外だと言った様子で首を振った。


「これでも、巻き込んだ事は悪いと思っているんだ。


 実験的意味合いが全くないとは言わないが、君らの心身に負担にならないように配慮するよ」


 この場所に来るだけでだいぶ心身的負担なような気もするのだが、口にはせずに「わかりました」と言って綺歩と科学部室を出た。

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