6

  人気ひとけのない夜中の公園で2人の影が揉み合っている。そのうち1人が持っていたナイフで相手に振りかざす。グサッ、肉を刺す音、「っうぅ」ヒトの呻き声、心臓の弱まる音、全てがスローモーションの様に目の前で流れている。地面をみると男が血だまりの中倒れていた。息は辛うじてしているが時間の問題だろう。男の隣には血に染まったナイフが落ちている。私が刺したのだろうか。よく見ると自分の手は男の血液で染まっている。赤い血、錆の香り、血に染まった両手。赤、紅、朱、緋。ありとあらゆるアカ、という漢字が頭の中を支配していく。この場に居てはいけない、疑われる、まだ捕まりたくない。そんな気持ちが私をその場から連れ出そうとする。私はまだ捕まるわけにはいかないのだ。人気のない公園から1人の少女が闇に溶けていった。


「尊、もう朝の7時よ。早く起きないと朝ご飯片づけるからね!」

「もう降りるから、朝ご飯とっといて!」階段を下りながら母親に一声かける。いつもの日常。制服は夏服から冬服に代わり、季節は冬に入ろうとしていた。慌ただしく制服を着ながら降りてきた私を見て母は溜息を一つ。

「いい加減、寝坊する習慣から抜けてよね。片付かないじゃない。高校生にもなって恥ずかしい」

「好きで寝坊なんかしないよ。まあ、善処します」すでに諦めているだろうに、母は事あるごとに言うのでもはや耳にタコである。全面的に私が悪いのだが。私はテレビに耳を集中させる。朝のワイドショーは女子高生には外せない会話の一つだ。芸能情報から一転し、殺人事件のニュースが流れてきた。

「昨日、深夜未明。東都市、永禮町ながれちょうの公園で男性の刺殺体が発見されました。」なんとこの近くではないか、世の中物騒だなぁと呑気に食パンを齧っているとテレビ越しのアナウンサーの口からとんでもない物を聞いてしまった。

「男性の名前は東雲春仁さん、35歳。都内に勤める会社員という事が分かりました。東雲さんは帰宅帰りに襲われた可能性が高いと思われます。」一瞬、聞き間違えかと思いテレビに目を向ける。画面には免許証の写真と思われる東雲春仁の写真が映し出されていた。少し日に焼けた肌、少し垂れ目の顔、分厚い唇。花火大会の時見かけた詩音の父親、その人だった。呆然としていた私に母が声を掛けてきた。

「世の中物騒ね、尊も帰り道は気をつけなさい。って、どうしたの?顔色真っ青よ。具合でも悪いの」心配そうに聞いてくる母に、震えながらも声を出した。

「お母さん、私この人知ってる。殺された人、私の友達のお父さんだよ!」最後の方は叫び声に近かった。学校に行くと、当然ながら詩音の姿はない。当たり前だ、父親が殺されたかもしれないのに登校する学生などいない。どことなしか教室の空気もいつもと違う。きっと私と同じように朝のニュースをみて動揺しているのだろう、この学校内に東雲という苗字は多くはない。そんな空気の中、担任が速足で入ってきた。学校も朝の報道でてんてこ舞いなのだ。教壇に立つや否や、担任は早口で現状を伝えてきた。

「皆も知っているかもしれないが、改めて伝えておく。昨日の夜中、東雲のお父さんが亡くなられた。東雲はかなり傷悴しきっている。当たり前だ、お父さんを亡くしたんだから。今日の夜、お通夜がある。もし行ける人がいたら参列してくれ。少しでもいいから東雲の力になってやろう。ホームルームは以上、一限目は自習になるから各自、勉強しておくこと」そう言って職員室に戻ろうとした時、私の顔をみて手招きしてきた。

「不知火、ちょっといいか?」十中八九、詩音のことだろう。すぐさま先生の許に駆けた。詳しいことは何も聞かされていないのだ、聞きださなくては。

「先生、一体どういう事ですか?何で詩音のお父さんが殺される羽目になったんですか?詩音は大丈夫なんですか?」聞きたいことが多すぎて上手くまとまらない。それでも聞かずにはいられない。それを察した先生は私を教室から遠ざけ少しだけ話してくれた。

「落ち着け、といっても無理な話だよな。俺達だって今朝、知らされたばかりなんだ。あまり詳しくは言えないが、東雲のお父さんは夜中、帰宅途中に襲われたらしい。正確な時間も未だ分からないとの事だ。襲われた公園は夜になると人通りがないから目撃した人も居ない、凶器もまだ見つかっていないらしい。不知火、今日の通夜行くんだろう?」

「勿論です。親友が悲しんでいるのに放っておくなんて出来ません。それに、話した事はないけど詩音のお父さんも知っていますし」

「そうか、ぜひ行ってくれ。東雲も毅然とした表情で警察に話しているが、心の中は限界が近いだろう。何せ、たった1人の肉親だからな。辛くないわけがない」ポツリと漏らした言葉に疑問を感じた。

「先生、詩音の肉親ってお父さんだけなんですか?確か、お祖母ちゃん居ましたよね」確か母方の祖母が居たはずだ。私から言わせれば詩音を苦しめていた張本人だが。

「なんだ、知らなかったのか。東雲のお爺さん、お婆さんも既に亡くなっているらしい。東雲の肉親は父親ただ1人、だそうだ」苦虫を噛み潰したように口元を歪ませながら答えてくれた。つまり、詩音はこの世で最後の肉親を失ったことになる。こんな事あるだろうか、神様は余りにも残酷だ。外はいつの間にか雨が降っていた。


会場に着くと思っていたより参列者は少なく、報道関係者も見当たらなかった。流石の記者達も喪主を務めるのが未成年と知って遠慮しているのだろうか。そんな事をぼんやりと考えながら私は通夜会場に足を入れた。祭壇の正面に詩音のお父さんの遺影が飾られている。楽しそうな笑顔を写している。詩音はこの写真をどんな気持ちで渡したのだろうか、想像するだけで悲しい。祭壇の右側に詩音は立っていた。参列しに来た人たちに挨拶をしているのだろう、頭を下げたり言葉を交わしている姿が伺える。私は遺影の前で焼香を上げ詩音の所に向かうと私に気付いたのか、疲れ切った笑顔で迎えてくれた。

「尊、わざわざ来てくれてありがとう。明日も学校なのにごめんね」

「私の事なんてどうでもいいから。詩音こそ大丈夫、なわけないよね。どうしてこんな事に」

「私にも何がなんだか分からない。父の帰りが遅いから連絡しても繋がらないし、やっと繋がったかと思ったら警察からの電話で。・・・もうどうしたらいいのか分からないよ、尊」詩音の目から今まで我慢していただろう涙が止めどなく溢れてきた。いきなり父親を失い、大人たちに囲まれて悲しみに浸る時間などなかったはず、それが今になってようやく悲しみという感情が追いついてきたのだろう。

「遺体が帰ってくるまで、死んだなんて信じられなかった。変だよね、警察署で遺体を確認したのに。そこでは実感が湧かなかった。でも、遺体が家に帰ってきて横たわる父を見て初めて実感したの、ああ、お父さんはもう還って来ないんだって。私、1人ぼっちになっちゃった」いっそのこと、大声で泣き叫んでくれた方がどれだけ良かっただろう、静かな声で訴える姿は見るに堪えない。私はこれ以上、見ていられなくなり思わず詩音に抱きついた。

「なんで大声で泣かないの?泣いて、泣きじゃくって誰かに縋ってもいいんだよ。誰も止めない。詩音は1人じゃない、私がいる」以前もこんなやり取りをした覚えがある。あれは、文化祭の準備で写真を撮りにいった時だ。似たようなセリフを詩音に伝えた気がする、詩音は1人じゃない、私が傍にいる。私の声が届いたのだろうか、詩音は恐る恐る背中に腕を回しながら、そして少しずつだが泣き始めた。

「もっと、お父さんに話したいことあった。一緒に旅行したり、ご飯食べたりしたかった。お父さん、お父さん。・・・お願いだから私を1人にしないで、置いていかないで、お父さん!うわあああああ!」たがが外れたように詩音は一気に泣き始めた。どうして彼女にばかり不幸が落ちてくるのだろう。1回目は母親が亡くなったとき、2回目は周りの人間からの中傷、そして3回目は父親の死。十代の少女が受け止めるには余りにも重すぎる。私に出来ることは泣きじゃくっている詩音の背中をさする事ぐらいだ。それがすごくもどかしく悔しい。しばらくさすっていると落ち着いたのか詩音が顔を上げた。目は真っ赤に腫れており見るだけで痛々しい、私は少しでも緊張がほぐれる様に茶化すように教えた。

「目が真っ赤。これじゃあ、文化祭の時と反対だね」口を開けてポカンとしていたが、私が何を言っているのか思い出したのだろう、ぎこちない笑顔で返してくれた。

「そうね、あの時とは反対ね。あの時の尊の顔すごかったけど、それと同じくらいすごい?」比べる対象が余りにも違いすぎるが、そのまま乗ることにする。

「いや、私以上にすごいね。それ以上泣くと大変なことになるから今はもう泣くのやめよう。お父さんに可愛い顔、見せてあげよう」言っている事を理解したのか、詩音は私から離れ祭壇に安置しているお父さんの所に向かった。その足取りは重いがきちんと歩いている。祭壇に着くと詩音は両手をお父さんの顔に近づけて包み込むように触った。

「苦しかったよね、痛かったよね。傍にいてあげられなくてごめんなさい。でも、もう苦しまなくていいよ。私の事は大丈夫、心配しないで。私には心強い親友がいるから。だから、安心して眠って。おやすみお父さん、どうか良い眠りを」額と額を合わせながら言葉を紡ぐ姿は懺悔ざんげのようにも見えた。しばらくその姿勢で向き合っていたが祈り終わったのか、私の方に足を進めてきて泣きはらした顔で宣言してきた。

「お父さんの前で私には心強い親友がいるから大丈夫って伝えてきた。だから、私のこと宜しくね。尊」これが精一杯の伝え方なのだろう、天邪鬼の詩音らしい。

「宜しくされなくても世話焼くから覚悟しなさい。これでもかっていうくらい、構うから」詩音に伝い終えると今度は私が祭壇に向かった。そして詩音のお父さんの顔を改めて見る。花火大会で見かけた顔そのものだ。私は深く挨拶をした。

「初めまして、詩音のお父さん。私、詩音の友達の不知火尊と言います。こんな形で会うなんて思っていませんでしたが詩音の事は大丈夫です。私が責任を持ってお世話します。なので、安心して眠って下さい」伝えたいことの半分も言えていないが十分想いは伝わったと思いたい。後ろを振りかえると詩音がまた泣いていた。いま流している涙が悲しみからではなく、嬉しさから泣いていることを私はしばらくしてから聞かされた。

 人もまばらになりそろそろ帰る準備をしていると、私と詩音の前に中年の男性が現れた。その途端、詩音の顔が歪み始めた。どうやら面識があるみただ。その男性は私の顔をみて胸ポケットから警察手帳を取り出した。

「初めまして、不知火尊さん。捜査一課の呉乃くれのと言います、こっちは蒼井。2,3伺いたいことがあるのですかお時間少々いいですか」物腰は柔らかく聞き方も丁寧だが言葉の節々に重みを感じる。答えるまでこの場から返さない、そんな雰囲気をかもし出している。姿勢を正し返事をしようと思ったら横にいた詩音に遮られてしまった。

「なんの用ですか、刑事さん。お話しすることは全てお話ししました。これ以上、何を聞くと言うんですか?帰って下さい」怒りを露わにしながら詩音は刑事たちを追い出そうとしている、こんなに怒っている詩音は初めて見た。呉乃という刑事は詩音を一瞥したがすぐに私の方に視線を向けた。一体、何を聞きたいのだろうか。

「詩音、落ち着いて。私は大丈夫だからさ。えっと、呉乃さん、でしたっけ?私に聞きたい事とは何でしょう。先にいっておきますが詩音のお父さんと面識は全くないので大した情報はないですよ」そう付け加えると呉乃のいう刑事は同僚の蒼井さんに何か告げると、蒼井さんは詩音を何処かへ連れて行ってしまった。その途端に呉乃という人の空気が変わった。例えるなら、獲物を狙おうとする狩人、刑事の顔を表したと言ってもいい。思わず身構える私を見て呉乃さんは口を開く。

「そんなに身構えないで下さい。別に取って食うわけじゃないから。私が君に聞きたいのは被害者の事じゃない、あのお嬢さんのことだ」

「詩音の事ですか?別に構いませんけど、なぜ詩音の事を聞きたいんですか。場合によってはお答えすることは出来ません。まさか、詩音を疑っているんですか?彼女は人殺しが出来る子ではありません。私が保証します」この刑事は詩音を疑っている、そんな気がしてならない。私が噛みつくようにしゃべると呉乃さんは手を前に出してまあまあ、となだめる。

「彼女を疑っている訳じゃない、一応関係者全員に話を聞いておるだけですよ。さて、本題に戻りましょう。貴女からみて彼女はどんな人物ですか」そう言いながらも呉乃さんは詩音を疑っているのだろう、そんな気がしてならない。

「どこにでもいる親想いの女の子です。なまじ見た目がいいし頭も良いから周りからは高嶺の花、なんて言われていますけど思いやりのある優しい子です」ありのままを伝えると更に質問を加える。

「分かりました。では最近、彼女に変わった事はありませんでしたか?例えば、恋人が出来たとか」例えば、という割にはどこか確信めいた発言に聞こえる。刑事の勘なのだろうか、嘘を言っても仕方ないので私は正直に述べる。

「刑事さんってみんな勘がいいんですか?確かに最近、詩音には恋人らしき人はいました。でも詳しい事は何も知らないんです。あまり自分の話はしない子なので。・・・まさか、その恋人が関係しているんですか」

「それは調べて見なければ何とも。どんな人か全くご存知ありませんか。名前とか背格好とか何でもいいので」そう聞かれ詩音との会話を思い出す。

「名前はハルさんです。苗字は知りません。確か、年齢はお母さんと同じって言っていたから20歳ぐらいかと思います。これ以上は私にも分からないんです」申し訳なさそうに言うと呉乃さんは首を振った。

「いや、それだけでも充分です。ご協力感謝します。それにしても最近の若い子は随分年上とお付き合いするんですな。それとも私の感覚が古いだけかな」

「まあ同年代の男の子は子供っぽいですから。でも、詩音が特別なんだと思います。私の友達は同い年の子と付き合っていますし。詩音は見た目から分かると思いますが、同年代の子達より大人びているから、年上の方が性に合うんでしょう」

「一理ありますな。私から見ても彼女は大人びている。制服を着ていなかったら20歳そこそこに見えるでしょう。だからこそ、危ういのかも知れないが・・・」最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、詩音について疑問点があるのだろう。私は思い切って一つ提案を申し出た。

「呉乃さんは詩音を疑っているんでしょう?そんな気がします。さっきは感情が高ぶってあんな事言いましたが、冷静になって考えると呉乃さんが詩音を疑うのは当然です。それが仕事ですから。だから、私と組みませんか」呉乃さん少し目を見開くもつかざす拒否する。

「一般人を捜査に介入させるわけにはいかない。ましてや君は高校生だ、私が逆に逮捕されちまう。気持ちだけ受け取っておくよ」尤もな言い分だ。提案した私ですら許可されないと思っているのだから。しかし、ここで屈する程、私はやわじゃない。

「呉乃さんがいう事は尤もです。別に捜査に加わりたいわけじゃないんです。ただ、このままじっとなんてしていられない、私は詩音以上にこの事件の真相を、真実を知りたいんです。好奇心から言っている訳じゃありません、私は何が起こったのか知りたい」呉乃さんの目を見て伝える。本音を言えば直ぐにでも逸らしたい。だが、逸らしたらきっとこの刑事は承諾してはくれないだろう。しばらく視線と視線の戦いになったが最後には呉乃さんが折れた。どうやら私の意向を汲んでくれたらしい。

「君が面白半分でない事はよく分かった。しかし、一つ忠告させてくれ。もし仮に、東雲詩音が犯人だったらどうする?君が知りたいという真実はもしかしたら残酷かもしれない、それでも君は知りたいのか」その目は様々なことを経験してきた刑事の目、そのものだ。知る覚悟はあるのか、という警告も示している。だから私も真剣に言葉を返す。

「もしかしたら私が知りたい真実は目も当てられない酷いモノかもしれない、呉乃さんが言ったみたいにもしかしたら詩音が犯人なのかもしれない。仮にそうでも詩音との友情は消えない。だから、覚悟は出来ています」

「そうか」と一言つぶやくと、手帳から一枚の名刺を取り出した。そこには呉乃さんの携帯番号が記載されている。それを私に差し出した。

「何か思い出したり、気付いた事があればそこに掛けてくれ。立場上、あまり情報を言うわけにはいかないが、電話越しの会話は俺の独り言だと思って聞き流してくれてかまわない」そう言って、去っていこうとする背中に慌ててお礼を言った。

「呉乃さんありがとうございます」呉乃さんは手を上に振ってくれた。

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