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 8月も半ばに突入し世の学生らは遊びや部活、アルバイトに精を出している頃だろう。私、不知火尊もその1人、と言いたいのだが本日私は親友、東雲詩音と図書館に来ている。理由は勿論、宿題が終わっていないから。主に私が。いや、終わっていないと云うのはいささか語弊がある。終わっていないのは毎度おなじみ現代文だけだ。宿題とは別に出されていた課題がどうしても解らずいた私は夜中にも関わらず詩音に助けを求めた。

「もしもし、夜中にごめん。いま大丈夫?」

「こんな夜中にどうしたの?」起きていた事にほっとしたのもつかの間、私は電話越しからでも分かるぐらいの土下座をした気持ちでお願いをした。

「助けて下さい詩音様!私の頭は既に限界を迎えています」

「・・・・・・、今のセリフで大体の想像はついた。現代文の宿題が解らないんでしょう」流石は親友。まだ現代文のげの字も言っていないのに分かってしまうとは。私は彼女に名探偵の称号を送ろうと思う。しかも私の心を読んだかのように電話口から声が続いた。

「名探偵じゃなくても誰でも分かるわよ。それで何につまずいているの?大方、別に出された課題で頭を抱えていると推理するわ」

「まさしくその通り、全然意味が分からない。勉強教えて下さい、お昼奢るから!これが終わらないと私は夏休みを一文無しで過ごさなければいけないの!」こんなに切羽詰まっているのには理由わけがある。夏休みに入ってからというもの、余りにも私の堕落した過ごし方に見かねた母が最終警告を発令した。8月15日までに宿題が終わらなければ今後一切、小遣いの面倒はみないと。それが嫌ならとっとと勉強しろ。何という暴挙だこれは。しかしこれまでの経験上、逆らえば命はないと分かっている私は小遣い停止を阻止する為、宿題を始めた訳だが案の定、というかやはり現代文で筆が止まってしまった。進めようと思っても一向に手が、指が、頭が動かない。15日まであと2日、これはマズイと感じた私は夜中という事も忘れ秀才、詩音に電話を掛けた次第だ。事のあらましを説明すると電話越しからでも分かる程の溜息をつかれた。

「全く、少しは成長しなさい。どうして苦手な教科を最後に残すの?嫌いなモノは初めに終わらすのが鉄板、もしくは誰かに教えをうでしょう。小学生でも分かることよ」ズバズバと正論を説かれぐうの音もでない、私の心はズタズタだ。

「ううー、反省しています。とにかく、これが終わらない事には私は何処にも行けない、詩音とも遊ぶことも出来ない。お願いします、私を見捨てないで!」もしここに母親が居たらお前にプライドはないのかと問われそうだがそんな事知ったこっちゃない。こっちは小遣いが取られるか取られないかの瀬戸際なのだ。プライドも何かも捨てた行為が功をなしたのか、また溜息をつかれながらも承知してくれた。

「そんな風に頼まれたら断れないじゃない。仕方ない、教えてあげましょう。明日、ってもう今日ね。午前11時に学校近くの市民図書館でいい?」

「勿論!時間は詩音に合わせるよ。やっぱり持つべきものは親友だね!」

『お世辞を言ったって何も出ないわよ。じゃあ11時に図書館で。寝坊しないようにね、おやすみ」

「寝坊なんかしないって、おやすみ」電話を切って私はふうっと、息を吐きだした。

「これで課題はこっちのもんだ、万歳!」ふふん、と鼻歌を歌いながら私はあることに気が付いた。

「そういえば、詩音と出掛けるのって初めてだなぁ」そう、あれだけ学校で四六時中といっても過言ではないぐらい一緒に居るのだがその行動範囲はとても狭い。学校内、又は下校時に少し寄り道をする程度だ。遊びではないが初めて詩音と学校外で会うという事実に私は遠足の前日みたいな気持ちで準備を始め就寝についた。次の日待ち合わせの時間より早めに着いた私は室内で待つことにした。何しろ本日の天気は快晴、気温は30℃を超える猛暑だ、外で待つには体にも肌にも良くない。室内で涼みながら待つこと10分、本日の先生、詩音の登場だ。

「お待たせ、って何?私の顔になにか付いてる?」

日傘を畳みながら遅れたことを詫びる詩音に私はつかさずツッコミを入れる。

「日傘で登場って、どこのお嬢様ですか貴女は」一瞬、本当にどこかのお嬢様が入ってきたのかと思った。そのぐらい詩音が着ている服は彼女に似合っている。麻で出来ている膝丈程の白いワンピース、サンダルも白だ。対して髪の毛は真っ黒。正反対の色を見事に着こなしている詩音の姿に不覚にも目を奪われてしまった。

「ぼうっとしてどうしたの?暑さにやられて遂に頭おかしくなったの」半分冗談、半分本気で聞いてきた詩音にとりあえず言葉を返す。

「ご心配なく、まだ頭は沸騰していないので。まあ、確かに現代文に関しては頭沸いているけど」これ以上、見ていると敏い詩音の事だ、気付かれるかもしれないので私は早々に話題をすり替える。

「ほんと、尊は現代文、というか国語が苦手なのね。どんな課題が出されたの?」詩音は特に気にすることなく話題に乗ってくれたのでそのまま話の波に乗ることにする。

「好きで苦手な訳じゃないよ。ただ国語って数学みたいにちゃんと正解があるわけじゃないからどうしても深く考えちゃうんだよね」

「気持ちは分からなくもないわ。私も深読みしすぎる時あるし。でも、案外答えはいつだってシンプルよ。自分が思った事、感じた事が答えなんだから。それが国語の良い所なのかも知れないわね」答えはいつだってシンプル、やけにその言葉が私のナカに浸透していく。思い返せば私は国語の試験でいつも考え込む癖がある。この文章には何かもっと意味があるのではないかと。でも答えはいつも簡単で明快だった。

「その様子だと、突破口の一つでも見つかったのかしら」顔を覗き込む様に伺う詩音の表情はニンマリとしている。

「突破口とまではいかないけど、これからの授業を受けるにあたっての心構え程度にはなるかな」

「そう。じゃあその心構え、とやらが消えないうちにさっさと始めようか」先に図書室に入ろうとする詩音を私は慌てて追いかけた。


8月の半ばというだけあって館内は宿題に追われている学生と読書を楽しんでいる利用者で賑わっていた。私達は隅っこの方に席を見つけ向かい合う形をとって勉強を開始した。

「そういえば、どんな課題を出されていたの?授業で習っていない所だったら流石の私もお手上げよ」頬杖をつきながら詩音は私に問いかけた。

「課題というか、正確にはこれ読書感想文のカテゴリーなんだよね、多分」私は言葉を濁しながら出された課題を詩音に差し出す。プリントには【日本の代表作である純文学に関して述べよ。】これだけ。余りにも抽象的すぎる。普通に問題を解く課題の方がどれだけ楽であっただろうか。よりによって感想文だなんて相性が悪すぎる。しかも読むジャンルが純文学、最も苦手とする分類ではないか。書く前に読みながら寝る自信がある。

「なるほど、確かにこれは読書感想文を書けって言っているものね。それで?私にどうしろと」すかさず私は言葉を放つ。

「この際、恥を捨てて言う。詩音が今まで読んだ本の中で私でも分かるような本を見繕って下さい。そして出来れば内容も教えて下さい!」私が考えた否、編み出した方法、それは詩音に本の内容をあらまし聞き感想文を書くこと。本好きの詩音だ、何かしらの『純文学』なるものを知っていると踏んだのだ。私の斜め上の回答に詩音は目をパチクリとさせていた。

「そうくるか。本を選んでとくれまでは想像ついていたけど、内容まで教えてとくるとは。私の推理もまだまだね」肩をすぼめてやれやれと、ジェスチャーしているが内心、呆れているのだろう。だって目が笑っていない。

「こんな卑怯なことしちゃいけないって分かっている。でも、私には本を読んでいる時間もついでに云えば感想文を書く時間も多くは残されていないの!タイムリミットは今日の午前12時。お願い詩音、私に力を貸して!」渾身の思いで頼み込んだ。しかし詩音は冷静にツッコんででくる。

「いや、時間ならたっぷりあったでしょう。尊、最初から私に聞くつもりだったんじゃない?怒らないから正直に言いなさい。楽になるわよ」図書室に居るはずなのになぜか警察署の取調室にいる気分なのは気のせいではないはずだ。何故なら詩音の聞き方がまるで刑事の尋問だ。さながら私は容疑者、いやこの場合は犯人の方が適切か。しかし、ここで容疑を認める訳にはいかない、何としても逃げきらなくては。

「何を言っているの、いくら国語嫌いな私でもそこまでしないよ。他の宿題で手が一杯だったの」髪を耳にかけながら容疑を否認する。だが刑事、東雲詩音の目は証拠を見つけた、と云わんばかりに輝きを放っている。

「残念ながら尊、貴女は嘘を付いている。その証拠は今、確認した。無意識なんだろうけど、尊は隠し事をするとき決まって髪の毛を耳にかけるのよ。いつも左側にね」

証拠を突きつけた詩音の顔はそれはもう、ドヤ顔という言葉が似合う程晴れやかだ。対して私の顔は罪を暴かれた罪人と言ったところか。罪を暴かれた以上、言い逃れはみっともない。いさぎよく自白をしようではないか。

「まさかそんな癖があるとは知らなかったよ。全てではないけど、大体その通り。でも本当に他の宿題でそっちに手が回らなかったの」「心配しなくても疑ってなんかいないわよ、普段の尊を見ていれば分かるから。その素直さに免じて手伝ってあげましょう」白い服を着ていることもあってか、詩音が天使に見える。神は信じない私だが今度からは天使の存在は信じようではないか。

「そう言ってもらえると助かるよ。ではとっとと終わらしてお昼にでも行こう。私にでも分かる作品ってなんかある?」

「そうね、一言に純文学、といっても沢山あるから。とりあえず、何でもいいから文豪と思う人の名前を言って。その中から選ぶから」

いざ言われると中々名前が出てこない。私は無い頭を絞って名前を挙げていく。

「先ずは太宰治でしょう、それから夏目漱石、宮沢賢治に森鴎外、福沢諭吉、川端康成。これぐらいしか出てこないよ」

「それだけ出れば上等よ。まあ、無難に夏目漱石といきましょう。『こころ』っていう作品知っている?」

「名前だけなら」確か中学で習った覚えがあるが内容は殆ど覚えていない。

「じゃあ、簡単に説明するわ。時代は明治末期、避暑地鎌倉へ旅行に来ていた主人公1の「私」は、主人公2の「先生」という人物に出会う。先生は東京で奥さんと二人暮らしをしているけど仕事はせず、人との交流を好まない。主人公1はそんな先生のもとに頻繁に訪ねるようになるの。そのうち、主人公1は先生の心に巣食う「過去」に触れてしまう。その過去というのは先生と主人公3の「K」、

後に先生の奥さんになる「お嬢さん」との友情と恋愛の板ばさみになった事。結局先生は友人より、お嬢さんを取ったの。結果、Kは自殺を図る。その所為で罪悪感に苛まれた先生は主人公1の私に手紙という遺書を遺す。その遺書を読み終えた所でこの話は終わるの」一気に語った為、疲れたのか詩音は腕を伸ばし始めた。一方の私は内容を聞いて辟易としていた。

「何というか、太宰治にしても夏目漱石にしても、文豪の書く話は複雑だね。はっきり言って感想文書ける気がしないんだけど」

「この作品はどちらかというと感想文向きの内容よ。私はこの作品を初めて読んだとき、先生の気持ちが痛いほど伝わった。全てにおいて勝っていたK、先生がKに勝てるモノは恋愛しか残っていなかったの。先生はお嬢さんを結婚という形でKに勝利した、でもその代償は余りにも大きかった。その所為で先生は大きな十字架を抱えることになる、妻にも言えず一人で抱えるしかない。故に耐えきれなくなって先生自身も自殺を図ってしまった。人を好きになるということは、自分の中に眠っていたもう一人の自分を覚醒させるきっかけを与える要素。そして、その目覚めてしまった新しい自分をどうコントロールするかが大事なのかもね」夏目漱石の感想を言っているのに何故か詩音自身の話を聞いている感覚に陥る。そう感じるのは彼女自身が、彼女の中に眠っていたもう一人の自分をどうコントロールすればいいのか悩んでいる最中なのだと感じられる。

「分かるような、分からないような。何となく意味は伝わったけどやっぱりこれは一度自分で読まないと駄目みたい」どうたら今すぐ家に直帰しないと終わりそうもない。

「それがいいと思うわ。読書感想文は自分で読まないと書けないもの。お昼はまた今度奢って頂戴。さっきも言ったけど、答えはいつもシンプル、尊が感じた事をそのまま書けばいいのよ」席を立ちながら詩音は件の作品、『こころ』を持って来てくれた。頁数ページすうは決して多くはないがこの作品にはきっと作者の想いや葛藤が詰まっていると思うと、少し重みを感じた。

「余り力になれなくてごめんね」

「ううん、そんな事ない。詩音のおかげで本を読むときに忘れちゃいけない事、思い出した気がする。私頑張って感想文書くよ」そう、本は文章の集まりではない。作家の想いや人生が描かれているのだ。それに感動したり、共感したり、悩んだりするのが読者側の楽しみ方なのだ。私はいつの間にか読書の楽しみ方を遠い所に置いてきていたみたいだ。

「終わったら連絡するね」

「今度掛けてくるときは遊びの誘いにしてね」軽口をかけながら私たちはお互いの帰路についた。私は課題を終わらす為に自宅へ、詩音がその後何処に行ったかは誰も知らない。

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