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 高校生活に慣れ始めた今日、私は学生を送っている以上決して逃れられない行事に身を置いていた。そう、定期試験。教師一同が丹精を込めて、もとい日ごろの生徒達に対するうっぷん払いの意味も込まれていると思っているのは私だけではないと信じたい。現に私は頭を抱えている。別に私の頭が悪い訳ではない。(余談だが私の通う月乃宮高校はそれなりの偏差値がないと受からないのだ。)そんな私を悩ませているモノ、それは『現代文』。日本人の半分は得意、又は普通と答えるであろうが私、不知火尊はこの科目が嫌い、いや大っ嫌いだ。特に現代文にありがちな問題「作者の気持ちを述べよ。」この一文が一番気に食わない。作者じゃないんから分かるか!こう思うのもきっと私だけではないはずだ。逆に私が最も得意とする科目、それは数学。数学が苦手、という人は結構いるであろう。だが考えてみて欲しい、数学は確かに難解であるが一度数式が分かってしまえば、工程が分かればそこに数字を当てはめてしまえばいいのだ。何よりも数学には必ず答え、正解が用意されている。それに引き換え国語には正解という概念があまりない。というより、正解はその人次第というのが多い。答えを求める人に対して酷いではないか。頭の中でトリップ、もとい現実逃避をしているとデコピンをくらった。

「ちょっと、やる気がないなら私帰るわよ」詩音は今にも帰る雰囲気を出している。

「そんな事言わないで助けてください、詩音様!」私はわらにも縋る気持ちで詩音に助けを求めたのだ、赤点だけは免れたい。

「この点数でよくこの学校に入れたわね、裏口でも使ったの?」

「失礼だな、数学と理科で点数稼いだの!」不貞腐ふてくされながら私は文句を垂れた。

「全教科90点以上の詩音には私の気持ちなんて分からないんだ」私は机に広げている教科書を睨み付けた。出題範囲は太宰治の名作、『人間失格』。この本の冒頭は「恥の多い生涯を送ってきました。」から始まる。本をあまり読まない私でも知っている有名な一文だ。話を簡単に説明するとこうだ。主人公は裕福な家庭で育ちながらも人間に恐怖を抱いていた。恐怖を隠すために道化として生きるものの、それを同級生に見破られ更に恐怖が増していく。主人公はいつしか普通の生活の真逆、普通ではない生活に居心地の良さを感じ始める。そんな生活の中で主人公は3人の女性と恋に落ちる。しかし、不運が彼と女性に何度も舞い降りる。その痛みや悲しみから逃れる為にモルヒネに手を出しついには中毒になる。精神病院で『人間失格』という烙印を押されてしまう、という話だ。

「こんな悲惨な話良く思いつくよね、文豪の考える事は分からん」素直に感想を述べる。「色々諸説はあるけど、死後に発行されたから遺書のような作品でもあるし、太宰治自身を書いているともいわれているわ」そう考えると太宰治の人生はそれこそ悲惨な人生といえよう、もはや溜息しか出ない。

「この本は悲劇でもあり喜劇でもある。この主人公に足りなかったものはヒトとして生きていくのに必要な愛と欲が欠けていた。というのが私の見解ね」サラリと事もなげに紡ぐ辺り何度かこの本を読んでいるのだろう。何故だかそんな気がした。

「愛と欲かぁ、これっ、という形がないから分かりにくいよね」そんな事をぼやくと詩音は太宰治についてもう一つ語ってくれた。

「『愛はこの世に存在する。きっと、る。見つからぬのは愛の表現である。その作法である。』親愛、家族愛、恋愛、愛の形は多けれど形がないから分かりにくい。だからこそ人は愛を求めるんじゃない?」その言葉はまるで自分に言い聞かせているようにも聞こえる。そこで私は思い出した。詩音は恋愛、と呼んでいいのか分からない『例の人』が居たことに。その人にどの愛を型に嵌め込んでいいのか悩んでいるのだと。私は勉強そっちのけで尋ねた。

「そういえば、『例の人』とはどうなの?あれから進んでいるわけ?」

「進んでいるも何も、恋愛かどうかもあやふやなのにどう進めろっていうの」詩音はそう答えながらも正解を出そうと頭をひねらせている。その姿が普通の女子高生らしくて安心する。時折高校生らしかぬ顔を出すので私は不安になる。その時の詩音は決まって雪乃さんを演じている。だからこそ、恋する顔をしている表情は詩音自身を見ている様でほっとするしなんだか可愛い。よし、ここは人肌脱ごうではないか。

「詩音にとってその人はどんな存在?」

「そうね、とても大切で私を理解してくれて、私を包みこんでくれるの」

「その人も詩音と同じ気持ちなの?」

「はっきりと聞いたことはないけど、でも一度だけ言ってくれたの。私が一番必要だって」何だ、脱ぐどころか、背中を押す必要もないではないか。答えは既に出ている、数学より簡単だ。私は笑顔で伝えてあげた。

「詩音、それは立派な恋だよ。親愛でもなければ片想いでもない、両想いだよ」そう教えてあげると詩音は大きな目を更に開けながら「これが恋なのか・・・」としばし物思いに浸っていた。しばらくして思考の海から戻ってきたのかおもむろに口を開いた。

「私、今まで恋なんてしたことがなかったから分からなかったけど、これが恋なのね。これまで自分は恋なんてしてはいけないって思っていた。だって私は私を想ってくれていたであろう母を殺したから。恋なんてする資格はないって思っていた。でも尊の言葉が私に気付かせてくれた、ありがとう。尊」その顔はとても晴れやかだ。やっぱり美人には笑顔が似合う。それからは少しずつだが『例の人』について話し出してくれた。名前はハルさんという事、歳上だという事、男なのに甘い物が好きという事など。流石に歳上と聞いたときは吃驚したが普段から大人っぽい詩音なのであまり気にならなかった。何よりハルさんについて語る詩音はまさに恋する乙女そのものだ、そんな詩音を見れて私まで嬉しくなる。親友の恋が成就したのだから。でもこの時あの一言に疑問を持っていればこんな展開にはならなかったのではないかと今でも悔やんでも悔やみきれない。詩音が漏らした「ハルさん、母と同じ年齢なの」この一言に。

 だいぶ話がずれてしまったが定期試験の話に戻ろう。結果だけ言ってしまうと現代文はギリギリセーフであった。赤点は40点という偏差値が高い学校であって赤点のラインも高い。そして私の点数は45点。

「尊、この点数は・・・」ジト目でこちらに視線を送っている。

「皆まで言うな、分かってる。折角教えてやったのにこの点数はあんまりだと言うのだろう。しかしこれが私の限界なんだよ、寧ろ教えてもらってなかったら赤点確実だったよ、うん」大袈裟に聞こえるかもしれないが事実なのだ。試験時間中、問題用紙を見るや否やトリップしそうになったが何とか持ちこたえた。そして現代文お得意の問題、『作者の気持ちを述べよ』が出ていた。いつもなら最後に回しチャイムがなる寸前まで悩むのだが、今回はスラスラと解答できた。頭の中で詩音と顔も知らないハルさんを思い浮かべながら解いた、と言ったらどんな表情をするであろう。ニヤニヤしながら詩音を見ていたら若干引かれた。

「何、ニヤニヤしているの?はっきり言って気持ちが悪い。それより他の科目は大丈夫なのよね」

「そんなストレートに言わないでよ、流石の私でも傷つくから。ご心配なく、他の科目は見事なもんだから」私は現代文以外の点数を詩音に公表する。世界史80点、生物90点英語84点、そして数学95点。改めて見ると本当に現代文だけアンバランスである。

「本当に現代文だけ酷いわね。ある意味、天才よ尊。私には出来ない芸当だわ」

「それ褒めてないよね、寧ろけなしているよね。私だって好きでこんな点数を取っている訳じゃない!」自分でも何故こんなに苦手なのか知りたい。結果はおおよそ分かっているが詩音の点数も訊くことにする。

「私の話はお終い。詩音はどうなのよ?」無言で解答用紙を見せてくれた。世界史95点、生物92点、英語89点、数学97点、そして現代文はなんと100点。パーフェクトだ。もはや言葉が出ない、溜息すら出ない。

「世の中は不公平だ、なぜ神は私に文才を与えなかったのだ‼詩音にだけ二物も三物も与えているのに!」

「貴女、以前無神論者って言ってなかった?都合の悪いときだけ神様引っ張り出さないの。神様が可哀想よ」

「詩音はどっちの味方なのよ!」これでは私が悪者扱いだ。

「味方とかじゃなくてこれは単純に尊の勉強不足でしょう、他の科目は点数良いんだから。勉強のやり方に問題があるんじゃない?」正論で返されてしまっては何も言い返せない。唸り声を漏らしていると流石に言い過ぎたと思ったのか優しい声が耳に入ってきた。

「でも、赤点免れて良かったじゃない。これで夏休み補修受けずに済んだのだから。思いっ切り遊べるよ、宿題分からないところがあったら付き合うからさ」そこまで云われると機嫌を直すしかない。

「今の言葉忘れないでよ、分からない問題があったらすぐに電話かけるからね。それと、夏休み絶対遊ぶこと」

「分かった、約束する。だからその膨れ上がったほっぺを鎮めて頂戴な」どうやら私の顔は餌を頬袋に溜め込んでいるリスのようらしい。頬を押され、ぷしゅうという気の抜けた音が聞こえる。なんとも間抜けな絵面であろうか。それでも気持ちはさっきより軽やかなのは確かだ。私が不貞腐れていたのは何も点数が悪かった事を嘆いていたのではない。いや7割ぐらいは嘆いていたが現代文の悲惨さは今に始まった事ではないので別に構わない。私が嘆いていたのは夏休みの間、詩音と会う時間が少ないことを嘆いていたのだ。それを少なからず感じ取ってくれたのであろう、だから詩音はあんな約束をしてくれたのだ。はっきり言うと私は詩音に依存している、それは自覚している。しかし、だからといって今更抜け出すのは不可能なのだ。例えるなら底無し沼のような感覚。少しずつ確実に沼に沈んでいる、抜け出そうにも温かい泥が心地よく抜け出すのを躊躇ってしまう、詩音の紡ぐ言葉は正にそんな感じだ。

「どうしたの?」鈴を転がした声音が私の耳に流れてくる。

「いや、夏休みの計画を立てていたの。どこか行きたい所とかある?」こんな穏やかな時間がずっと続けばいいのにと思っていた矢先に教師の一言が私を凍りつかせる。

「今回の試験で50点以下の奴は補修こそないが代わりに課題出すからなー」どうやら私の夏休みは有意義とはいかないらしい。

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